2016年8月30日
相次ぐ”喪報”。
このファッションの世界でも、
あの”プレタポルテ”の誕生期の当事者たちが亡くなって逝く。
変わって、昨今の現実的ファッションを語り評価する人間は
すでに、「SPAファッションビジネス」以降の人たちになってた。
これは確実に、一つの「 TRANGEDY/悲劇」。
七月二十五日、僕の大好きだったBill Cunninghamが亡くなった。
巴里へ出かけ始めた’86年に、ビルは僕をスナップしてくださってから友人になった。
当時の媒体誌は”DETAIL"誌だった。今は、東京に住んでGQ・Japan誌をはじめとする
コンデナスト・ジャパンで活躍しているGene Krellが編集発行人だった。
この雑誌は当時、とてもカルトなモード誌だった。僕はこの雑誌でマーク・オデュベという
もの凄い正統派で大変な才能あるデザイナーの存在も知った時期だった。
だから以後、彼、マークとも友人になった。
当時のパリで出会う人たちの多くはこのように、”雑誌”が
それぞれを引き寄せてくれていた。そんないい時代だった。
だから、いつもN.Y.から来ていたビルともこうして挨拶が交わし合う友であり得た。
僕は彼の生き方が好きだった。日本人以上に『謙虚さ』と『誠実さ』をすなわち、
自分の立ち居場所からの「距離感」を認識した行動がとれる、珍しい外国人だったからです。
決して、スーツ姿は見なかった。彼の生き方すべてに、彼の”哲学”がすなわち、
「自分がどのように生きたいか?」の根本的な「自由」が彼にはその「覚悟」と共に行動が
為されていたからでした。
少し、弱られた時期を感じても、僕には変わらぬ尊敬する遠くの友だった。
そんな僕が今思い出しても、一番嬉しく、一緒にその時を彼と共有できた
あの「モード勲章」なるものを巴里のサンディカの議長であったディディエ・グランバック氏が彼に送った、
装飾美術館のロビーでの受賞セレモニィーだった。
あの時の様子を録音したテープがある。懐かしく、彼の人格と人間性が一番感じられた
ひと時だった。この”瞬間”の当事者になれたことはその後の僕のBillへの畏敬の念が
より広がった。
「どうか、おだやかに、安らかにおこゝろ、笑顔とともに。
彼方でもきっと、シャッターを押しているのでしょう、ビル。
パリの索漠喧騒なモードの会場であなたの笑顔は僕には”救いと癒し”でした。
たくさん、たくさんの笑顔、ありがとうございました。」
そして、八月二十五日にはあのSonia Rykielが亡くなった。
’70年始まりとともに、この街、巴里で、新たなモードの世界、すなわち「プレタポルテ」の
世界を誕生と牽引した重鎮デザイナーであった。
当時の”新たな働く女性たち”へファッションで「オシャレという武器」でバックアップした
デザイナーだった。
ここにも僕なりの彼女たち世代の時代と社会へ立ち向かった「自由」をそのパワーとともに
強く感じる。
自分の「生き方」を選び定め、そこへ向けての「覚悟」そのものが「自由」であることの
彼女の生き方の証だった。
「くれぐれも、安らかにご永眠ください。
ありがとうございました。」
では、
このSonia Rykieの喪報をどのように受け取り、感じ、
どのようなお心の動きを行為としてなさったのだろうか?
「川久保玲さま。
ある意味で、あなたは彼女が存在して居なければ、
現在のあなたの立ち居場所は生まれなかったはずですね。
小さな嘘の積み重ねは自身を正当化せせてしまうものでしょう?」
合掌。
文責/平川武治:
2016年8月26日
おしらせ ”VACANT- Le Pli会 ”残暑の宴”
VACANT- Le Pli会 ”残暑の宴。”
三伏の候のごあいさつ。
みなさま、お元気で今年の酷暑を
お愉しみになりましたでしょうか?
既に、半年はご無沙汰をしてしまっていた、
この原宿VACANTでのLe Pli会を開催させていただきます。
僕はと申しますと、
初夏の宵に慌てふためいた結果、
路上で膝の皿を割ってしまうという久し振りに、
僕にはちょっとした出来事がありました。
お陰で、暫くは動きも取れずその後も、杖に厄介になる日々を
2ヶ月半ほど過ごしておりました。
が、今ではたくさんのお気遣いで回復へ、
そして、
巴里からも帰国し再び、鎌倉で潜む生活を営んでおります。
今回の会では
僕の近況とそこから色々考えていたことをやはり、
”モード”の立ち居場所からこれだけはお話をした方が良いだろうと言う事のいろいろ、
そして、みなさまからのご質問とともに
この残暑を忘れる迄の豊饒な時間をと考えております。
よろしく、ご期待ください。
今回のコンテンツは
マタイ伝から、「あたらしい酒は、あたらしい革袋に」
そして、「あたらしい自由」です。
僕たちは「近代」の次なるを考える時代性が来てしまっています。
何故ならば、ル・コルビジュェがもう、既に、”世界遺産”になってしまったからです。
原宿VACANT-Le Pli会のごあんない。
開催日時;九月二日午後七時より。(会場は六時半~)
会費;一般/¥二千円、学生/¥千七百円。
休憩時にお茶とお菓子をご用意します。
ゲスト;中里唯馬氏;
先シーズンの巴里のHaute Couture Weekにてコレクション発表.
予約|info@takashiogami.com
*件名を「Le Pli」とし、お名前・人数・ご連絡先を明記の上、
上記のアドレスまでメールをお送りください。
相安相忘。
平川武治
2016年8月 8日
「在命退位」を自らお言葉になさった天皇は、
『みなさん、日本の盛夏、お見舞い申し上げます。
どうか、酷暑に負けず、國体の行方を考え見守ってください。』
一昨日の友人とのメール交換から、
「在命退位」を自らお言葉になさった天皇は、
昨今の安倍内閣が手がけようとしている
「憲法改正」についてご自身が危惧なさっていることへの一石を
ご自身の「立ち居場所」からのみ発せられる行為を
ご自身の”生”を賭けてこの機をお設けになっただけだと
僕は解釈しています。
天皇は今現在では、自分たちの國即ち、これからの日本國民が
どのような國体における民族になって行くか、
自分たちの國土を自分たちで穢してしまった現在(もちろん現発で、)
そして、「第9条改定」へ、そのための「憲法全面改定」案。
ある意味で「神風」を起こそうと、
自分の國であるからという「責任こゝろ」という「覚悟」とともに。
残念ながら、これらはすべて、小泉内閣以後の我が国の国政の根幹は、
合衆国からの「飴と鞭」版”シナリオ”によって演じさせられてしまっている現実でしょう。
その証拠は戦後の「日米安保関係3悪条約・同盟」が外されないままのシナリオです。
天皇はこれを見破っていらっしゃいます。
よって、ご自身の「立ち居場所」でしか可能でないご感想発言。
ここには「日本民族」の”継承”という問題がもう一つにはありますね。
8月15日を待たずして、広島と長崎の原爆被爆記念日の間の今日という日を
お選びになったそのおこゝろに、
国民である僕たちは関心を持って今後の国政のためにも、子供達のためにも、
一国民として向かい合って天皇のご「本意」を知ってください。
そして、反対論、賛成論やいろいろを論じ合ってください。
お願いします。
合掌。
平川武治: