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速報/#Paris Fashion Week Homme-4/18th.Jan~22nd.'17;
速報/Paris Fashion week/18th.Jan~22nd.'17;
20日//CdG H.P.
今シーズンのトレンド・コンセプトの一つに”ジェンダー・ミックス”がある。
アンビギューティなテーマだ。これそのものが”Truthiness"であり、現代の時代感を捉えた
シーズンコンセプトであり、今年の僕の新年のグリーティングに作った言葉、
「The world is the wall-paper that looks like a truthiness.」でもある。
我らが世界へ誇る”ファッション・クリエーター”としてのCdGのデザイナー川久保玲はこの
テーマにこゝろ寄せそして、謳いあげた。
果たして、ファッションゲットーの人たちにはその”真実っぽさ”だけでいいがだが、
どれだけのファッショングルーピーたちには共鳴しただろうか?
証言その1、
彼女が銀座のDSMに使っている彼女のアート・コレクション、”シンディーシャーマン”の写真が一つのコード化されておぼっちゃまたちの頭にのっかている。むしろ、彼らたちの脳みそは
”シンディー”と同じなのですよと言わんばかりに。
2年ほど前に、僕はベルリンのギャラリィーでの”シンディー・シャーマン”展を訪れた。
新旧取り混ざったキューレーションの展覧会であったが、彼女がどのような写真に対する距離感からこの世界へ入ってきたかが判明した1枚を見たのが面白かった。それとは彼女自身の”ヴァギナ”を撮ったものである。
この写真家も”自己顕示欲”が正常ではないレベルのフェロモンを持ち、放っている人間であり
女である。”世間”でアーチストと呼ばれている”女性芸術家”には不思議ではない性格と人格であり、そのほとんどが”アーチスト”願望と自己顕示欲が重なったタイプである。例えば、年老いて帰国後、有名芸術家になってしまったY.草間も然りである。ここに、生きることへの自分が出し得る”執着心”と”ガンバリ”の全てを読む。
ここで僕が認識したこととは、彼女と写真に対する距離感、アーチストと作品の距離感である。
証言ー2、
僕はダイアン・アーヴァスの写真が好きだった。
1945年、彼女が身ごもった折にセルフポートレートを撮ったのが始まりで彼女は”写真”の世界に魅せられて、自分が居るべき世界であると信じ込んで1971年、自ら自宅バスタブで手首を切って自殺するまでの26年間をその多くはフリークスたちを撮り続けた。
彼女は’20年代のN.Y.で毛皮商人から財を成した裕福なロシア系ユダヤ人の娘で18歳には
すでに結婚した。そして、自らが身ごもったその姿を鏡て見てしまったことから以前から興味を持っていた写真を自分でも写真機を持って街を徘徊し、見慣れない、見たくない、見れない人たちの存在と自分の距離感を友人のエスクワイー誌の編集者からプレスパスを借りて撮りまくった。当時では、家が裕福であることで可能な職業の一つ、”写真家”になり、いいカメラ機材をいつも新機種が出るたびに購入し、湯水のようにフィルムを使って自分の好奇心に触れる人たちを撮りまくっていた。その写すという彼女の根幹はかなり屈折していた。
そんな彼女があるところへ招待されたことによってその2週間後にはN.Y.の自宅のバスタブで手首を切って自殺した。
3年ほど前にこのパリの美術館で久しぶりに大規模のD.アーヴァスの展覧会を見た。
この写真家には全てに恵まれた生による、”自己愛からの醜さへの逃避”という”覗き見的”な距離感を彼女の写真から感じている。しかし、その撮り方は不躾さが感じられる被写体をいつも正面から強いストロボを使ってライティングするというかなりの自己欲求の冷酷な演出によって写されていた。
そんな性格の彼女が以前、いつもの好奇心からニュージャージーの養護施設を訪れて作品を残していた。師匠であった、R.モデルからは良い批評が得られなかった作品でしたが、彼女の作品群ではいいポジションを占めたものになっている。
そして、彼女はかつて訪れたこの養護施設から慈善バザーの招待を受けて再度訪れます。
ここで本当に”笑顔”がどれだけ幸せを表現するか?養護施設という”世間”の中に入って知った
初めての”笑顔”。この養護施設という”世間”の幼子たちの屈託のない、自由な心から生まれる美しい”笑顔”とその”生”の無垢さを知ってしまったことによって、ダイアンは自分の今までとは何を撮っていたのだっただろうか?フリークスを撮る”覗き見的な根幹とそれとは裏腹に、被写体が自分をどのように見ているか?までの自己意識との距離感で撮っていたことに気づき、思い知り
そして、持病の鬱と重なり苦悩の末、その2週間後に自殺を行なった。
川久保玲はこのダイアン・アーヴァスにも大いなる影響を受けまた、彼女自身の育ちの中にも自分を重ねて見ていることによってのコレクションを例えば、飽くなき”黒”という素材や”ツインズ”を使うことなどの過去に幾つかあった。
証言ー3、
「彼女自身、”ジェンダー”とはをどれほど熟知しているのだろうか?」
自分自身の生き方が”ジェンダーフリー”だと思っているのだろうか?あるいは、思わせてしまっているのだろうか?または、思わされてしまっているのだろうか?
今回のコレクションでは彼女自身がかなり欲求不満な眼差しを持ってコレクションを構築してしまったと感じた。
ここでは、僕は昔から彼女が手掛けた”オムプリュス特有のバランス感”がある時から消えてしまったことも思い出してしまった。今回そのバランス感をジャケットとパンツで出そうと試みているのだが、元には戻れていない。いや、戻らなかった。以前の、肩幅がゆったり目で、着丈が短いプリュス特有のかつての優しいオムプリュスのバランスが見られない。
それを出したかったのだろうが、ここでは彼女のリアリティから生まれているはずの”ジェンダー”が感じられない。あるいは、彼女の実際の生は“ジェンダー”とは対峙したところにその根幹があったのではないか?あるいは、そうでありたいという思いからの生き方だったのか?
それがあのバランス感になり、あの美しいタッグ・プリーツになり、コーディネートによる
”ジェンダー・ミックス”なのだろうか?それらは、余りにも「真実っぽい」だけである。
美しいさに憧れるこゝろの有り様と、それを拒否するこゝろの有り様の対比によって生まれたとしか言いようも無い、背負い込んでしまった、フエルト(?)によるビーズ細工と”機関車”
と”自動車”。そして、シューズ。
「シンディ、どうして機関車を車を背負ってしまったの?」トーマスは聞いただろうか?
ここにも川久保玲流の、一つのメタファーとしての”ジェンダー・ミックス”がコード化されていたのでしょうか?
ここに彼女の「あたらしい自由」を感じ取るべきなのでしょうね。
きっと、展示会へ伺えば、思い切り着たくなるアイテムがちゃんと準備されているシーズンでしょうね。
文責/ 平川武治;巴里11区:
投稿者 : editor | 2017年1月21日 18:20 | comment and transrate this entry (0)