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Paris Haute Couture Fashion Week/中里唯馬コレクション;

Paris Haute Couture Fashion Week/
 Yuma Nakasato;
 「愉しみにしていた。」 
このクチュリエの先シーズンに引き続いて、第2回目のパリ・オートクチュールコレクションウイークでのデフィレである。
 巴里の”モードの大黒柱”であるクチュールコレクションに参加する或いは、出来得る日本人デザイナーは数が少ない。プレタポルテのデザイナーは自分たちがその掛かる資金を準備すればなんとかなる世界である。だが、この街の”モードの懐”はそんなに実際は広くない。特に、”クチュール”の世界は別世界であった。例えば、なんでもそうであるが”2nd.ライン”はそれなりのその立場での役割がある。この構造をそのまま、ビジネスにもしてしまっているのがこの街の”モードの世界”そのものでもある。クチュールに対するセカンドラインとしてのプレタポルテ。
 だから少し、以前まではこの街のモードの人たちもこのクチュールの世界とそのテリトリィーを頑なに堅持してきたがやはり、時代が”変革”したために、そのガードが緩み始めた。
 例えば、この街に僕の好きなカルチェェ、”サンマルタン運河”がある。これを最近のモードの世界に委ねてみよう。それは運河に新しい流れを作ることでその水面のレベルが上昇して船の川上への運行が可能になるという迄の構造手法によってすでに16世紀にはこの街で作られていたという。この手法が最近のモード組合(サンディカ)の戦略として読める。当然であるが、まだ古い手法としての「金次第」というのも残っているが。
 従って、この街のクチュリエたちとその周辺たちを刺激する迄の「あたらしい自由」によっての、「新しさ」を創造できる若いクリエーターたちがウエルカムされる構造になり始めた。
例えば、もう一方で評判が高まってきたオランダ人、IRS VAN H.嬢もその一人である。因みに、彼女は合衆国の3Dプリンターメーカーの企業力によって現在の立ち居場所が生まれた。

 「継続することもクリエーション。」
だから、唯馬君がこのクチュールコレクションを継続することそのものがまず、創造の世界につながる素晴らしいさである。
 多くのこの街に住んでいる?日本人の若い人たちが集まってきて見ていたが、彼らたちはまず巴里でこのコレクションが継続できることの大変さ。そして、それ自体の産業構造自体に対して無知であろう。このレベルは日本から取材に訪れているジャーナリストたちもほとんど勉強していないだろう。ただ、日本人がやるというレベルの次元で見にきている人たちが大半であった。  
 これが、僕が言う、そもそもの”壁紙”の始まりである。表層の変化のみを追っかけるが、「壁紙」の裏には「構造体」があり、”壁紙”は構造体の上に貼られるもの。
 継続させること自体に”創造性”がないとこの街ではすぐに外される。
ただ続けるには「金次第」の世界がすぐに”お手伝いしましょう”と、どこからか寄り集まってくる。

 「全てに、よく頑張った。」
 前回は僕が浅はかに見間違えてしまったので今回はどれだけ”進化”させたのかあるいは、”エボリュート”させたのか?それを感じ、見れることが楽しみだった。
 しかし、デフィレだけは又もや、どのように今回の彼の世界観がエボリュートされたのかほとんど不明である。暗闇の中から浮かび上がる全体の佇まいが美しすぎるからだ。
 翌日、展示会へ行ってまたもや、話を伺う。
確実に基本となる”エレメント”が幾つか増えている。そのために、それぞれを結合させるためのいわゆる”結界”部分を構造化する”部品”も新たに作られている。このパーツの開発によって確実に彼の”レゴ”の組み合わせにバリエーションと構築性が生まれた。ということはこの彼のアイディアと創造により、幅と深みと変化が出せるまでにエボリュートさせたのが今シーズンであった。
 やはり、彼は”レゴ・ジェネレーション”だ。そして、彼が創り出す世界とは「数学」の世界から生み出される。それぞれの”エレメント”が”数字”である。”エレメント”を並べ替えるだけでそのヴァリエーションは”無数”という世界である。

 「キャスティングが良かった。」
もう一つ、僕が彼の「あたらしい自由」さを感じ取ったことの一つに、今回のキャスティングがあった。このような時代性になると、モデルのキャスティングは大事であり、彼女たちによってコレクションの世界観までもが伝わるからだ。ただ美しいだけ、が大半を占めすキャスティング。唯馬君はここから遠ざかって、自分の”世界観”をその「あたらしい自由」さでまとめた。
彼のキャスティングにおいても”ジェンダー・ミックス”がなされていた。
 「あたらしい酒はあたらしい革袋に」のコンセプトがここにも使われていた。
あたらしい手法による新たなモードを平凡な、当たり前の”美しいさ”に着てもらうのではなく、”あたらしい女性”(ジェンダーミックス)に委ねたことが僕にはとても、新鮮に感じられた。
 ここで彼の今回の作品からは数年前にも好きで訪れた、ヴィエナの美術館の薄暗い一室に飾られていたG.クリムトの1枚のタブローをその色彩の美しさからイマジネーションした。
 次回も楽しみにさせてください。
ありがとう、唯馬君。

 前回の彼についてのブログです。
参照/http://lepli.org/discipline/articles/2016/09/post_160.html

投稿者 : editor | 2017年1月28日 23:03 | comment and transrate this entry (0)

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