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決して、語られなかった”コトの次第”を、「一つの展覧会を読む。」 /”M.MARGIELA, THE HERMÈS YEARS”展

 私事であるが、あれほど通っていたアントワープへ今回、なんと13年振りで訪れた。
 友人であった人が”公金横領”の罪を犯してしまいこの街から逃げてしまって以来、
この街へは一度も訪れなくなった。
この街のファッション学校の形骸的なデザイン性が強いカリキュラムも
時代に遅れを取り始め魅力を感じなくなってしまったこともあった。
もう一方、この時期に卒業したという日本人学生たちが帰国して、自分たちが”小さな嘘”の
上塗りでメディアに取り上げられ、セルフプレゼンテーションを器用にやり始めたことも
この街への厭気に重なった。
 そんな以前を熟知している僕の今回のこの街への眼差しは完全に冷めきった”傍観者”で
あり、ただ、日本レストランが増え、SPA系ファッションブランドショップが目につき、
”ユダヤ人ビジネス”が堂々と表通りへ出てきてしまった街の風情にもなってしまっていた。
 では、なぜこの機にそんな街を訪れたかというと、
最近、お世話になり始めた「日経新聞 日曜版」の取材のため、僕がいる頃に準備されて
出来上がったモード美術館の展覧会のためのインタヴューが目的だった。
友人が構想して設立出来たこのモード美術館も当時、面接試験を受けて友人に採用された
女性がチーフ・ディレクターになって今回の僕のインタヴューを待っていた。
 やはり、何かおかしい気持ちでの仕事になった。
終わってみて感じたことはこの若いディレクターの喋り方が”公金横領”をした
僕の古い友人の喋り方とそっくりであったということ。またそのインタヴューテープを
繰り返し聞きながら余計に、恐ろしくも感じてしまったことだった。
 ただ一人の友人と出会いディナーに招かれ、よく行き着けていたカフェへ立ち寄っただけで
僕は隣町のゲントへ幾度目かの一人旅を気取った。
この理由は、今シーズンのパリのコレクションに影響を与えていた一つ、
”フランドル・イメージ”に再び、触れたいとの思いもあったからだ。

 僕と入れ違いに、この展覧会の当事者であるマルタン・マルジェラはアントワープへ来た。が、
彼はオープニングレセプションへは参加しなかった。
中で騒いでいる輩たちは彼の偉業で金儲けをしている連中だという現実。
ここでも、”世間”とはこんなものなのであろう。

 今回の幾人かの取材で、今まで、決して語られなかった、
「THE HERMÈS とMARTIN MARGIELAの関係性が
どのようにして現実になったのだろうか?」を
この展覧会を機に始めて明かしてみました。
 ”水と油”のようなそれぞれの当時のモード界における立ち居場所の
新旧、2つのメゾンが、それぞれの思惑を持って、
どのようにこの現実へ至ったのか?

  <この原稿を”日経新聞 日曜版STYLE”、太田亜矢子さまへ感謝を。>

  ”MARGIELA, THE HERMÈS YEARS”展/MoMu in Antwerp;
開催期間/31.03.'17 > 27.08.'17
https://www.momu.be/en/tentoonstelling/margiela-de-hermes-jaren.html

 『ファッションの定義は人によっても違う。私にとってのファッションとは、
女性をめぐる問題であり、女性がどのように生き、どう戦いそして、どのような安らぎを
表現するのが、ファッションだ。』
/参照;「ヴォーグで見たヴォーグ」
/G.ミラベラ著:実川元子訳:文春文庫刊1997年:
 このような成熟した眼差しでファッションを捉えるには
この ”MARGIELA, THE HERMÈS YEARS”でデザインディレクションを請け負った
Martin Margielaの1997年から2003年の彼らたちの仕事ぶりを知ることは
近年のモード界に於いては最上質な機会であり、
モードとクラフトマンシップの関係性の総てが封じられ、創造されたベストな
”エルメスーマルタンシリーズ”である。この再見機会を与えたのが今、MoMuで行われている
展覧会である。
 筆者は’97年からのこのシリーズのショーをリアルタイムで観ているのでその経験を主軸に
展覧会を読んでみよう。

「なぜ、M.マルジェラは凄いのか?」
 ’88年にデヴューした彼のオリジナルブランド,"M.M.M.は”ジェンダー”をメイン・
コンセプトに斬新で異端でさえある”創造の発想”をヴィンテージというリアリティを素材に
かつ、ロジックに繋げ展開した14年間。ディレクターであるM.マルジェラを中心に、
このブランドが呼吸する総てが強烈なパワーとスピードで20世紀のモードへ
全く新しい、現代アートとまで言える視点を持ち込み、アヴァンギャルドからその頂点に
14年で達した過去に類を見ないブランドであった。
 このブランドが提案したカウンター・モードの凄さとカッコ良さに
一番早く犯されたのが我ら、日本の消費者であり当時、世界で一番売ったのは
仙台のブチック”レボリューション”。そして、最初のショップが出来たのも
日本であったことを証拠として特記しておこう。世界で”ストリートファッション”に
一番敏感で繊細な我ら日本のファッションカルトたちの肥満的病的欲望を充足させるには
このブランドのコンセプトとロジックに裏付けされた彼のクリエーション&イメージングは
総て「凄かった」のである。

 「なぜ、”エルメスーマルタン”がすごいのか?」
 これを述べるには最適な書籍*がある。
現代ファッションの新たな創造手法でもあるブリコラージュを真似て、
この本からブリコラージュして「なぜ、”エルメスーマルタン”がすごいのか?」を論じてみよう。
*「ヴォーグで見たヴォーグ」/G.ミラベラ著:実川元子訳:文春文庫刊1997年:
『私にとってファッションとは、女性たちが生活を楽しみ、喜びを見つけるのを
助ける手段の一つである。魅力的で、時には贅沢な道具といっても良い。』

 1997年から2003年の間、マルタン・チームが手がけ情熱を傾けてきたメゾン・エルメスの
女性服は彼たちによる「スタイル・エルメス」の追求にあり、このスタイルそのものが
”凄かった”のだろう。
『ファッションにおける”スタイル”とは女性が自分をどう表現するか?
世界とどのように接してゆくかの姿勢そのものである。服をどう着こなすかであり、
それ以上のもっと深い意味それがつまり、女性が生きる姿勢である。
このスタイルは金額も流行も「小綺麗に装う」ことも超えたところにある』

 これをマルタンはメゾン・エルメスという王道を手管にとって
エルメス哲学&クオリティを根幹に、自身が一度は試みてみたかった理想の女性の世界観、
「スタイル・エルメス」をこれ以上、出来るであろうかというまでの領域の創造に
挑戦したことの結果が”エルメスーマルタン”の「凄い」を生んだ。
 マルタンが求めた「スタイル・エルメス」は勿論、このメゾン・エルメスが哲学とし、
価値と考えているクラフトマン・シップという”職人仕事の愛情と情熱”に委ねられ
また、このメゾンが持ち得ている”価格は品質への障壁ではない”という経営倫理学に
育まれた”スタイル”に徹した仕事をマルタン自身も職人的に関わった結果であろう。
 『女性が仕事をする世界でより知的に競い合うためには、
よいスタイルを学ぶ必要がある。服は機能的でなくてはならない。
だが機能的なだけではだめだ。もう一つ素敵に上品に見せてくれなくてはならない。
現代女性は便利でかっこいい手帳や携帯電話やPCを欲しがるのと同じ次元で、
機能的に満足でき、素材によって自分をエレガントに見せてくれる服を求めている。』

 そこで、マルタンは洗練された慎重な服をプレゼンテーションするショー・モデルの
キャスティングによっても多くの新しい「スタイル・エルメス」を定義した。
40代と50代の魅力的な女性たちは、アン・ロハートのような元モデルの多くが、
チョコレート・アンクル長さのノースリーブのドレスに時代を超越した、
ざらつきのあるサイドジッパー付きパンツの上にでドレスを強調し、
過度の軽快なエアリー・レインコート、静かに深く切り込まれたVネックと
柔らかいテーラード・ショルダーでチュニックに似たベール・ウール・ジャケットと
パンツ、そしてしばしばネックのないコートの下で滑り落ちる広いカシミア・ローブは、
「スタイル・エルメス」を基盤からはずしたくないという明確な意図を語った
提案でもあった。 
 ここで、古くからパリの友人である、S.ヴァルニュェ氏**の証言を,
「マルタンは、エルメスのアイデンティティを定義するために、
幾つかのボキャブラリィを作り手たちであるクラフトマンたちへの
共通言語として投げかけました。(細部、心配、明度、などへの注意のような)
彼のアプローチは真に思想家の一人であり、ブランドをそのような深さで理解して、
エルメス自身よりもエルメスになったのです。彼はエルメスに何も追加しなかった。
逆にエルメス以外のものは差し引いた。
 彼はブランドを明確にし、それを劇的に特別にしました。
だから彼の作品のどれもがとにかく老化していないのです。
彼らは本当に時代を超越していました。」
**S.ヴァルニュェ氏/Stéphane Wargnier;元エルメス広報戦略担当談。

 「メゾン・エルメスとM.マルジェラの関係性あるいは、イメージの新陳代謝」
 「陰と陽の交わりから第3の”気”が生まれる。
陰と陽に印つけられた事物は、それぞれ特権的な対応関係で結ばれた相手を持ち、
それぞれの独自性を尊重しながら、互いの特質をより深めてゆく。
そして、第3の”気”は陰と陽が自らの最良の部分を抽出することによって、
より高い次元での完成に向かって変容を遂げるように促すのだ。」
F.Cheng/「すべてうつくしいものは、かけがえがない」

/phebus社刊”陰陽と第三の”気”」から。
 このメゾン・エルメスとM.マルジェラの関係性とはこのような陰と陽から生まれた
第三の気に例えられるだろう。
 この時期を思い起こすと、”ラグジュアリィー”という新たなファッションビジネスの
ステータスが再構築され始めた時期であった。これ以後、グローバリズムに乗って
このモードの世界は上は”ラグジュアリィー”、下は”ファスト・ファッション”という構造を
特化し始めた時代性でもあり、当時のファッションメディアも多くを語った。
LVMHグループは、LVブランドにM.ジェイコブをやっと採用して’98年からスタートしている。
しかし、当時のメディア評は新たな新しさとエネルギィイ補充、というニュアンスが多く
故に、ブランドとデザイナーの関係は”結婚”とまではいかず、がさつな表現をすれば、
”同棲”時代として始まったようだ。
 ではこの”水と油”的なるメゾン・エルメスとM.マルジェラの関係は
それぞれがどのような発端で誕生したのであろうか?
 マルタン側の証言、今回の展覧会の会場構成をディレクションしたアントワープの旧友、
Bob Verhelst*の証言。
 彼はM.M.M.の数少ない確か4人ほどで始まったオリジナルメンバーでもあった。
その彼が思い出して語ってくれたこと、
 「ある時、マルタンの夢をともに現実化したこのメゾンの社長であるマダム ジェニーと
マルタンの3人で食事をしていた時、マルタンがジェニーさんに、
”全てが完璧なるハイ・モードをデザインしてみたい。”
と熱く語り始めたという。そして、この話の後しばらくしてからジェニィーさんが
”エルメスから話が打診された”という知らせが来たと言う。」
Bob Verhelst*/ scenographer /http://www.fashioninantwerp.be/designer/bob-verhelst
 エルメス側の証言はもう一度、S.ヴァルニュェ氏、
「Jean-Louis Dumas前社長は、Claude Brouet(仏Elle誌とMarie-Claire誌の前編集長)を
相談役として、今後のエルメスについて多くのことを長い時間を掛けて話あっていました。
そして、以前はMartin Margielaのショーでモデリングもした経験がある
Dumas氏の娘、Sandrineとも話し合い、この二人がメゾン・エルメスには強力で
斬新なモード・スピリッツな視点を持って新たなエルメスに
熱きエネルギィイを注入できる才能として、
マルタン・マルジェラの名前を彼、ジャン=ルイに提言した。
 そのマルタンは職人技とデザインに対する概念的アプローチそして、
匿名のままにしたいというアルチザン的な欲求に焦点を絞っていたので、
このすべてが彼を完全な候補者にし、ジャン=ルイはこの彼の挑戦を愛し、
受けて現実となったのです。」
 結果、ジャン=ルイ・デュマ社長の主張であるマルタン雇用は、エルメスにその本質的な
根本主義を実証する機会を与えた。マルタンのアイデアは、個人的な裁量と、個人的な喜びに
根ざした”生活に根ざした贅沢”がコンセプトでした。
 パリ・エルメスの店でのデヴューコレクションは、カシミヤとディースキンと
ハイテク・シンセティックのレイヤーが特色。また、カシミア・ラップコートは
”ファッションレス・ファッション・ジャンパー”として特徴付けられファッション評論家は、
それを贅沢のルールの思慮深い放棄と賞賛した。そして、全体的な印象は、
エルメスとマルタンとの珍しい結婚が理にかなっていることが証明された。

 「なぜ今この展覧会なのか?」
 その一つは、「20年目」という記念。パリモードの世界では”20年周期”という言葉が
未だに信じられ、使われこれが”トレンド”の源流にもなっている。
 このアントワープMoMu美術館での今回の”MARGIELA, THE HERMÈS YEARS”展も
このプロジェクトが今年で20年目という節目で行われている所以でもある。
 もう一つは、モードの世界も実ビジネスの現在状況は”ファスト・ファッション”によって
完全に征服されてしまっている。ラグジュアリィーブランドもショーピース以外の
ワンポイントもののビジネス形態はすでに、「SPA構造」によって賄われているのが
現実である。そんな現実において、このメゾン・エルメスは変わらず、
”クラフトマン・シップ”にこだわったヒューマニティ豊かなモノつくりに委ねている。
したがって、この「老舗精神」を時折、アッピールすること自体がメゾン文化と
アイデンティティを刷新するには総てであること。
すなわちフランス国の国策でもある、「文化は武器である」というラグジュアリィー・
コンセプトが強く継続されている 一端でもあり、
「この時代の、このデザインそのものが今では、また新しいものである」という
”時代とはリバーシブル”だという眼差しもある。
 そして、クリエーションの観点からでは、
[グローバリズム="SPA"=フアスト・ファッション=アイテム売り。]というこのような現実の
流れがファッションビジネスのそのものになってしまっているのが昨今である。
したがって、この"エルメスーマルタンプロジェクト"でクリエーションされ提案された
”着回しができる服”が今、一度新しさを持って、”モード”へ戻ってくる。
 このような時代になれば、マルタンが自身のブランド、M.M.M.で行ってきた
”脱構築”がより、ラグジュアリィーブランドを任された若手デザイナーに学習され、
この”エルメスーマルタン・ライン”がサンプリングされて、再来するのは当然である。
 現代のファッションクリエーションそのものに新しさがなくなり、
全てが”ブリコラージュドゥアーカイヴ”の手法になった現在では、
この「着回し」ができる服がこれからまた新しさを呼び始めるという
視点の時代性でもあるだろう。
 今の若いデザイナーや着る側の世代たちにとっては全く、未知なる、
”新しく、新鮮な気分”なのだから。

 「”MARGIELA, THE HERMÈS YEARS”での彼のクリエーションとは?」
 マルタンはメゾン・エルメスという王道の中で彼が挑戦したくなった、
”マルタン流これがラグジュアリィーの極め”であるための重要なこと、
大切にするべきとこは選ばれた素材の贅沢と色の贅沢そして、優雅な着こなしが
着た女性たちを快適にできることを、エルメスのアトリエの人たちと関わることによって
大いに深く学んだ結果がこのシリーズのクリエーションの根幹になっている。
したがって先述、ステファンが語ったように、
「エルメス自身よりもエルメスになったのです。」という言葉になるのだろう。
 ディレクターのカート・デボのインタビューは
始終、マルタンの残したエルメスコレクションを着る女性の眼差しでマルタンの凄さを語る。
 まず、前社長であるJ.L.デュマ氏が語ったという彼らたちの関係性のリスペクトしあった
1点は、「マルタンは確実に、クラフトマン・シップを理解している。もしかしたら、
自分たち以上にだ。」に現れていたという。
 そして、マルタンのこのブランドにかけた”創造のための発想”とは、
彼は自分たちがやってきた脱構築やビンテージから学んだものをより、コンセプトに
ロジックにエルメスコレクションに用いて、多くのアイディアを
イノベーションさせた結果だという。 そこでは、着る女性たちの個人的な枠組みと
そのためのフレームワークが大いなるコンセプトであり、
ディテールそのものは大切であるが、見た目だけのものではなく
彼のコンセプトはもっと深いところにあった。
それはデザインの全ての要素が着る女性のために考えられたもので、
女性の体つきをより、美しく見せるため、楽しみとして、あるいは遊びとしての
コーディネートがなされるまでに考えられ、これがトータル14シーズンのコレクションが
全て”ワードローブ”となるまでのコンセプトでもあった。
それは着る女性の身体をリスペクトした、女性のボディのためにどのようなコンセプトで
プレゼンテーションが可能か?というまでに着る女性のためが考えられたデザインであった。
 そして、これらの14シーズンのスポーティレジャーウエアーには3つのベーシックな
エレメント、タイムレス、カンファタブルそして、タクティリティが考えられている。
例えば、楽しんでいろいろな着回しができるようにデザインがなされているレインコート。
これは着た女性がどのように快適に着こなせるかが大切に考えられている。
基本的には、ナチュラルシルエットであり、アンコンストラクションな素材。
ノーショルダー、ノーネックそして、羽織るもの。
これらが着る女性を快適に心地よさを与えるデザインの根幹であり、
プリントを使わず、派手な色も用いず、アクセサリーも使わず、
しかも色は、白、黒、茶色とベージュに絞り、 女性を快適に心地よさを与える
ラグジュアリーファッションの着こなしとそのあり方を提案した。
 もう一方では使う素材の素晴らしさと素材の開発にも心を配った。
それはただ高級素材のカシミヤだけを使うのではない。
例えば、6種類のセーターも彼の素材へのラグジュアリィー感がデザインされている。
彼は、「糸は思い出を抱いている。」という。
カシミヤのように見せるシェトランドウール、実際のシェットランドは直接肌に着ると
痒いものそこで、また、フラネルのように見せるカシミヤやキャメルの扱い方など、
これらの素材の使い方とアイディアそのものが”ラグジュアリー”でした。
 また、マルタンは 今までのヴィジュアルなエルメスらしさとしての
カレやプリントや派手な色は決して使わず、ラグジュアリィーとは何かを
新たな切り口でディレクションをした。
ニューダイレクションとはこのようなリアルラグジュアリィであり、
マルタン以後、”ラグジュアリィーとは”どうディレクションすれば良いかを
決して、”ロゴ”だけを用いることがそれではないと世間は知ることになる先駆けでもあった。
これらに寄って、マルタンは 確かに、エルメスに何かをもたらし、革命を起こした。
一方、彼らたちのオリジナルブランド、M.M.M.で行って来たいわゆる、
「レトロアイディア」、インサイドアウトやパッチワークなどのアイディアそのものも
エルメスの例えば、ムートンジャケットなどにも使いまわした。
 また、マルタンは自分たちのエルメスを誰に、どのような女性に来てもらいたいかまでを
熟知していた。
 今回の展覧会のための服はほとんどがエルメスが持っているアーカイヴであり、
足らないものは個人的な人たちから集めた。マルタンはこれらのアーカイヴは持っていない。
しかし、彼のチームの女性たちは当然このコレクションに大いなる興味を持って色々な
アイディアを提言してまとめられて作られたという。
 例えば、彼のコオトはノーボタンであり、ノーポケットである。
多くのものを取り去ってミニマムなところでの身体と服の関係性をも追求した。
ここで、マルタンは日本の着物を学び 通じてその哲学的で静的なシルエットを見つける。
これは着る女性の身体とのヴォリュームのバランスであり、多くを日本から学んだ。
着物は肩骨と腰骨、骨で着る平面構成の衣類であり、
洋服は肉、バストとヒップで着る3D.もの。したがってパターンメイキングが必要である。
また、マルタンのオリジナルラインには肩をポイントとした一群のデザインがある。
ショルダーの変化をパーツ化し、それぞれのアイテムを生み出したが、
このアイディアもエルメスで使われた。
肩とそこに掛ける上質な素材によって生まれる生地の流れ、
そのシルエットはゆったりとした快適さを生む。
これは着こなしの変化が着る女性の気分の変化へ通じ結果的には
シンプルな穏やかさを与える服になるという。
ここにはクラフトマンシップと人間工学的な組み合わせによる
女性のためのデザインが考えられていた。
 マルタンのデザインとは90年代のコンセプトが強いデザインであるが,
そのコンセプトが”ジェンダー”というロジックでどのような女性たちの日常性にどのように、
最終的には女性たちがそれぞれ持っている個性とそのパーソナリティへ,
”MAY I HELP YOU?”です。
 そして、タイムレス・デザイン、時代を超越できるデザインが理想だという。
 Jean-Louis Dumas氏はマルタンが「アルチザンシップ、テーラリングそして、
クラフトマンシップを熟知していて、どのようなものがよく売れるものなのかも知っている。
この結果、エルメスへ ”新しいさ”をもたらした。
そして、僕たち以上にヘルメスを知ってしまった。」と彼をリスペクトし、賛美していた。
文責/平川武治:
3月10日/Antwerp MoMuにて、Kaat Deboとインタヴュー。
(この原稿は日経新聞 日曜版執筆原稿のためのエスキース原稿です。)


 



投稿者 : editor | 2017年05月10日 22:24 | comment and transrate this entry (0)

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