« 保田與重郎に「絶対平和論」と言う著述がある。75回目の終戦記念日と言う今日に捧げる。 | メイン | 新しく、「The ARCHIVES Le Pli」/この”平川武治のノート-ブログ”に新たに、今までの掲載分から選択したアーカイブ集を始めました。「The ARCHIVES Le Pli」 »

Christopher Nemethの10回忌だった、9月22日。

「時の流れは実に早く、しかも我々は時の中を後ろ向きにしか進めないのです。」
P.ヴァレリー:
 *
 先日の9月22日は僕がリスペクトできる数少ないデザイナー、Christopher Nemeth
さんが亡くなられてから、もう10年が経つ日となりました。
 本当に、時が過ぎるということはそれぞれの想い出の深みや重みにもよるだろうが、
早いものであり、しかも我々は時の中を後ろ向きにしか進めないものですね。

 今でも鮮明に覚えているあの時のことが、
その知らせは、パリのタワーエッフェルのイルミネーションが見えたアパルトマンで、
友人からの知らせで知った。

 僕がなぜ、Christopher Nemethが好きか?
それは、ベタに言ってしまうが、
「全てに、カッコいいデザイナーであったからだ。」

 僕の経験が育んだ視点から見ると、
決して、東京の”自称デザイナー”と称しているその8割強は大変無礼であるが、「なりすまし」
ファッションデザイナーである。賞をもらったり、コレクションをやっているがそのほとんどの
デザイナーたちは「なりすまし」ファッションデザイナー先生となる。

 戦後の我々、日本人が憧れ、自由だからと求めた”横文字職業人”と彼らたちが築いた
”消費文化社会”そのものが僕流に行って仕舞えば、「なりすまし文化」社会でしかないだろう。
その根幹は敗戦後という時代状況のもとでその根幹は、日本人に”なりすまし”たい人たちの多く
によって、彼らたちの「根性と頑張り」で築かれた”大衆消費社会”だからだ。
 
 が彼、Christopher Nemethはそんな、”なりすまし”レベルの”ファッションデザイナー”では
なかった。勿論、「彼の創り出した、彼にしか出来なかった世界。」を創造したからである。 
 この彼が創り出した世界とは、”服”だけではなかった。
彼が想像した”自分の世界観”とその中心軸となった”服”には、彼の創造の世界の全てが存在して
いたからだ。
 「パターンの特異性と巧さから生まれた"ネメスのバランス観”。」そして、「素材の選び方
とグラフィック センス。」「靴とサックとキャップとソックス」そして、「バッジ」にまで。
 そして、それら「彼の想像のための器としてのショップ」のインテリア全てを、彼は創造の
当事者として、彼自らがその内装の全てを施工した。
 30数年前でも又、その後も、ここまでやりたい若者は多くいたであろうが、その大半は
彼が為した”創造のための現実”に成就しないところで挫折したものが殆んどだったはずだ。
 もう一つ、僕が彼、Christopherをリスペクトする理由は、
「彼の創造の世界そのものに、「嘘/虚実」がなかったということである。」
その証拠が、彼がデザインした”服”は、彼が一番似合う、誰が着るよりも一番カッコよく、
自分が似合う”服”を創っていたことである。これは僕を一番信用させた事実でもあった。

 彼が東京へ、そして、表参道の裏、現在のヒルズの裏でショップを開き、10年間ほどは
殆んど、知る人ぞ知る、カルトでコアな”Nemethファンとチルドレン達”にしか、深く静かに
知られていなかった。その一因は、当時の日本のファッション雑誌の編集者たちが彼の存在と
その世界を知らなかったあるいは、不勉強だったからでしかない。
 そして、’95年以降に、東京に古着屋経由組や、DJたちの「裏原デザイナー」たちの登場で、
少しずつ、”Christopher Nemeth”は知られるようになる。
 90年代が始まる頃に当時の繊研新聞に「川久保玲、C.ネメスをパクる!」という見出しの
原稿が掲載された。
 実は、これは僕の寄稿原稿であり、「C.ネメスのパンツ ポケットの”ヘムデザイン”をCdGは
レディースで御頂戴した。」というミュアンスで書いたものが、繊研新聞の編集者がこのような
見出しをつけて掲載してしまったために起きた騒動だった。結果、僕は2シーズン程、CdGから
のショーチケットが来なかったというお仕置きを課せられてしまった。
 これは、「川久保さんがC.ネメスのショップへお買い物に行き、”ワンラック分”ほどの
お買い物をした」ことを確かめた上で書いたことだったのだが。
 そんなCdGとの現在の関係性は僕からすれば、
「そうなんだやはり、川久保さんも”Christopher Nemeth”が好きだったんだ。」の世界でしか
ない。

 以下の文章は、10年前の僕の”アーカイブ寄稿文”です。
この機に、「Christopher Nemethさんの冥福をお祈りすると共に、改めて僕たちは、時の中を
後ろ向きにしか進めない者たちが出逢い、その存在を忘れない迄に、念いあいましょう。」
合掌。
 **
"We are deeply saddened at the death of Christopher Nemeth. He was an amazing, influential talent",
Terry and Tricia Jones.

 それは友人からの知らせで知った。
すぐには
信じられなかった。
辛かった、信じる事が。
本心は
今でも認めたくない!

 何も知らづに、
随分とノー天気な僕でした。
だから、余計に無念と悲しみが、
深く。

遠くより、
心からご冥福をお祈り申し上げます。
I am deeply saddened at the death of Christopher Nemeth.

 僕にとって、数少ない、
人間として尊敬出来る創造者でした。
優しさと頑固さを持った

誰よりも、彼は彼自身が一番、似合う服を作っていた
本当に、ピュアーでチャーミングな人でした。
あの、彼自身が作った総て、
その空間での
彼の笑顔が忘れられません。

横にはけいこさんが、
愛犬と戯れる彼の優しさと
缶ビール片手に
恥ずかしそうにしか喋れない自分の世界、
でも、それが総ての自信の彼、
こんな風景が、僕にとってのネメスさんでした。

僕のモードの25年間では
その殆どの人たちはVANTY"な世界を
メディアの入り口を見つけ
お金の方へ駆け寄って行く
逃げ足のはやい人たち。

そんな世界の中に在って、
自分の道をまっすぐ歩いた
大切な人
本当に純粋でした。
そして、貴重な存在でした。

"He was an amazing, influential talent".

テリージョーンズが見てました。
長きに渡り、25年間。
90年代の原宿ファッションキッズたちや
CdG, J.Galliano, A.L.Mcqueen & more,so on
多くの着る事を楽しむ
服好きな人々へ、僕も含めて
彼の世界へ訪れました。
そして、
職人魂の感動とその大いなる存在を
地球を廻る程までに
彼らしく穏やかに
激しく影響を与え残した。

彼は自分の居場所を知っていました。
自分が立つべき世界をそして、
自分の好きな服を、靴を、ドローイングを
自分が生きる道を
しっかりと信じ摑まえていたのでしょう。

「Ancient Briton」
彼の’85年の倫敦でのデビューコレクションのテーマでした。
今でも古びない世界観。
由緒あるイングランド魂は不屈
クラフトマン精神を自らの術(すべ)とし,自信として
純粋に生きる事を求めたロマンチィスト。

自分に純粋に、与えられた生を生きるとは、
無論、独りでは至難の事
けいこさまとお二人のお嬢さま
素晴らしいご家族を持たれて
守られて過ごされた25年たらずの異国。

その異国は
本当に彼に取ってどうだったのでしょう、

天国で本当の穏やかさを
缶ビール片手に煙草を吸ってください。
見守ってあげるべき人たちをお見守りください。

いっぱい、
本当にたくさん、ありがとうございました。
Mr.Christopher Nemeth.

どうか、
健やかにお眠りください。

平川武治:平成二十二年九月二十五日/イルド-フランスにて、

追伸/
 僕は
僕の無力さに
あなたとのお約束を守れなかった事に
自分の惨めさと
無様さを
残された時間、念い生きます。
けいこさま、みなさまにおわびこゝろと共に。
相安相忘。
ひらかわ:
文責/ひらかわ:
初稿/2010年9月25日:

投稿者 : editor | 2020年09月25日 20:38 | comment and transrate this entry (0)

コメントしてください




保存しますか?