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僅か、3年ほどの"夢の跡"。ー Virgil Ablohへのオマージュ。ーー"ブラックマーケット"は何処へ?;

はじめに;
 この原稿は日経新聞日曜版のための下書き原稿です。
新聞原稿のために、"文字数の制限とわかりやすさと根拠性"について厳しく校正され、
2022年1月16日の日曜版に掲載されたもののオリジナル原稿です。
 
 この原稿のために調べたことで面白かったのは、
「NIGOくんとカニエ ウエストとバージル アブローの関係性とその出会い」であり結果、
それによって、それぞれが求める"夢"が実現された経緯が理解できた事です。
 僕がよく言っている「出会うべき人に出会わなければ、その次なるが無い。」を地で
行った彼ら、この三人でした。

******
 『「 流行は夭折する。さればこそ流行には、あんなに重い軽さがあるのだ。」
 By J.C."大股開き"より。
僕はこのJ.コクトーの言葉が好きである。この言葉を昨年、11月28日の日曜日にシカゴ
で41歳で急逝したデザイナー、ヴァージル・アブローに捧げる言葉として僕は選ぼう。
 彼も「OZの魔法使い」よろしく、彼自身の「自己証明」として、モードキャピタル、
パリへ9年ほどの時間を費やして"イエローロード"を辿り、2018年6月21日に
"ルイ ヴィトン オム"の黒人初のファッション ディレクターに抜擢され凱旋した。
そして、一昨年7月には、LVMHの75のブランドを統括する新しいポジションに昇進し、世界
で最強のラグジュアリーグループの中の、最も強力な黒人アースティックディレクターと
なった。そして、もう一つは2014年から立ち上げた自身のブランド「オフ ホワイト」の
カルトデザイナーでもあった。

 僕がアブロー氏に感じた印象は、真面目すぎる純朴さと恥じらいのその笑顔がチャーミン
グだったこと。彼は今後、来るべき若き黒人デザイナー達の為にというサクリフィス的姿勢
を自分の使命とも考えて兎に角、真面目に働き過ぎた。アブロー氏のパリ凱旋後の3年ほど
の時間の経過において既に、彼は希少な癌である心臓血管肉腫と2年間の闘病とも戦ってい
たのです。

 ことの発端はローマのFENDIスタディオへ2009年に親友であり、パリのハイブランド
を共に目指す戦友であったKanye Westとインターンシップを500ユーロの月報酬で始め
たことから彼らのこの旅が始まった。自分たちが目指す目標がしっかりと定まっていた事と
グローヴァリズム以降に吹き始めた"モードの新しい風"が彼らたちに強運をもたらした。
 彼らの目標とは、「スニーカーとハイ モード」の融合すなわち、「ハイプビースト・
カルチャーとラグジュアリーな世界」の架け橋となることだった。そして、彼がパリへ辿り
着く数年程前からモードの世界に、もう一つの"新たな風"が黒人社会から吹き始めた
リアリティを既にアブロー氏は感じ始めていた事による更なる高みへの"旅"であり、好奇心
でありそして、目標であった。
 新たな顧客を呼び込もうと、彼らたち黒人の消費者が着たがるものだけでなく、ブランド
がデザイナーに求めるものそして「ファッション」の意味そのものをも結果、変革させたの
がアブロー氏の"あんなに重い軽さ"だったのだ。

 FENDIスタディオでのインターンシップを終えたアブロー氏のその後は、2012年に
ウェスト氏の会社である"DONDA"のクリエイティブディレクターを経て、彼らは二人の
アートワークブランド、"PYREX VISIONP"を立ち上げ翌年、2013年からはこのモードの
"新しい波/ヌーヴェル バーグ"を早熟に感じたパリのAPCのジャン トイッツーの呼びかけ
で、彼らの1回目のデニムラインのコラボをN.Y.で立ち上げ、ファッションブランドとして
本格始動した。その翌年にはこの"PYREX VISIONP"を"OFF WHITE"と改名し、2回目の
APCとのコラボも2015年に行うまでの流れ。この年には、ブランド"OFF WHITE"でLVMH
アワードに参加して最終選考に残った。このブランド名も彼の目標であった、"ハイファッ
ションとストリートウェアの対話を伝えること"に由来し、黒と白の間、その中間点は両方
のジャンルのファッションの混合を意味したかったという。

 3年程のアブロー氏のL.V.オムの仕事で言えば、彼は新しいシルエットを生み出すような
偉大なデザイナーではなくむしろ、「ミレニアル世代のカール・ラガーフェルド」だったと
評価されている。クリエーティブというよりは、時代の空気感を読んでアレンジやチューニ
ングが上手く、これらを多くの"コラボレーション"手法でいわゆる、"他力本願"にまとめる
ことに優れたセンスがあった"ファッションDJ"の一人。しかし、彼にとって服はただの衣服
ではなく、アートであり、音楽や政治や哲学の節点に位置するアイデンティティのトーテム
であった。さらにSNSとデジタルの世界を闊歩して見慣れたものを再文脈化し、文化的な
オーラを与えることを知的にこなした。
 ここではっきりと言えることはこれからのモードの世界における人材としてのディレクタ
ーに望まれる資質とは彼のように、個人が持ち得た"文化度"です。
 「純文化+カウンターカルチャーと消費文化+ポップカルチャー」のバランス観。
この二つの"文化観"をどのようなバランスと時代感を持ってディレクションが可能か?が
望まれる資質でしょう。アブロー氏はこの"消費文化"を'95年頃からの東京の「ウラ原」
系デザイナーの仕事と古着から大いに学んだようだ。そして、実際のコレクションでは
わかりやすい色で端的に表現して構築的に纏めた大胆さでしょう。この視線で他のブランド
ディレクターを見るとこれが上質に,ビジネス的にも成功しているのが、"GUCCI"のA.
ミケーレです。彼が演出するイタリアンアイロニーやペーソスやキッチュの纏め方に彼なり
の高度な"文化度"をイタリア人たちが認めているからです。同じように、アブロー氏の纏め
方もスケーターとラップと現代アートや建築などをアイロニックにそのブリコラージュの
上手さがこのブランド、L.V.オムが目指したブラックマーケットで世界制覇という企業の
ビジネス戦略を具現化したことだった。結果、黒人たちだけではなく白人のミレニアム+
Z世代までも引きつけた。僕たち日本人もこの「純文化」と「消費文化」をどのようにバラ
ンスよく持ち得るかが、今後の個人の資質になるのでしょうが、日本人の多くは、ほとんど
が「消費文化」の中で育ってきた世代だから難しいですね。

 最近のラグジュアリーブランドが求め始めたビジネスの新しさは"階級ある顧客層"或いは
それなりの"教養を持つ富裕層"への「ブランド=文化」をお届けするというニュアンスもし
くは、エモーショナルな世界です。彼ら達のアートディレクションとはやはり、この
「ブランド=文化」がモノ作りから広告宣伝そして、SNSによるイメージディレクション迄
が新たなカテゴリィーなのです。そして、パリの"ラグジュアリーブランド"メゾンはいつも
先ずは、"ビジネス戦略ありき。"であり、その戦術をトータルにディレクション出来る
ディレクターのみが求められるのです。決して、"作り手ありき"の、デザイナーの世界では
もうありません。

 では、白人たちのビジネス戦略によって輩出されたカルト ヒーロー、アブロー氏亡き後
の"ブラック マーケット"はどのような変貌を見せるのか?実際のところ、誰か次なる代役
を生み出さない限りマーケットへの訴求力は落下するだろう。
 ここではやはり、このブランドのCEOであるマイケル・バーグ氏がどのようなビジネス
戦略を企てるかに全てが懸かることでしかない。しかし、予測出来ることが3つある。
一つは、このまま"ブラック マーケット"を継続する。この場合はアメリカ人黒人デザイナ
ー例えば、K.ウェストに1年ほどを委ね、その間に才能とバランス感覚が良い若手新人を
探す。二つ目はこれを機に再度、中国マーケットおよび日本マーケットを標的に考える。
この場合に考えられるのが、"NIGO"が立ち上げるKENZOの結果を見てL.V.へ回すか?
青田狩り的には"YANG LEE"なども考えられるか?3つ目は、初心に戻って、白人マーケッ
トの"ミレニアム+Z世代"へあのBottega Veneta のクリエイティブ・ディレクターだっ
た奇才な才能を持つ、"ダニエル・リー"で再挑戦する。彼がライバル企業にいたことでの
話題性そして、イギリス人クリエイターであることが決まり手?
 しかし、ここではあくまで、CEOのM.バーグ氏の次なるビジネス戦略に委ねるしかない。

 ここで、NIGOくんの名を出したが、2006年に彼はローマのFENDIのパーティ
「B.MIX PARTY」のプロデゥースの仕事を受け当時、デザイナーであった"シルヴィア・
フェンディ"と出会い、彼女の紹介で、やはり当時、FENDIのCEOをやっていたM.バーグ氏
に会っている。そして、パーティーに参加していた、K.ウェスト氏とアブロー氏とも出会っ
ている。そこで、彼ら二人をM.バーグ氏に紹介したのはNIGOくんであった。このFENDIで
の彼らたちの出会いが、その後のアブロー氏のL.V.オムという立居場所であり、NIGOくん
のKENZOに繋がっているという"イエローロード"によって行き着いた強運なそれぞれの出会
いであった。従って、キーマンはやはり、M.バーグ氏の企て次第であろう。 

 僕自身はやはり、残念なる夭折でしかないと沈む。彼が今後どのような"ブラック
ラグジュアリー"へ向けて、そして、"ブラック・デザイナー"志望の若者達へ、未来の世代
にインスピレーションを与える文化観の力を深く信じ、どのような新たな世界を生み出して
くれるか見ていたい一人でした。ただ、彼ら達は案外若い頃からドラックにハマった経験が
あるので、余計に身体そして、精神もボロボロになってしまっていたのかもしれませんね。

「 流行は夭折する。さればこそ流行には、あんなに重い軽さがあるのだ。」
をわずか16年で駆け抜けたVirgil Abloh。

 蛇足的に、最後に、一つの確実に訪れる新たな現実。
例えば、戦後の日本人もあれほどまでに外国人たちの生活様式やファッションに憧れていた
民族なのに、今の"Z世代"の若者たちはむしろ、「民族衣装としての"和物"」に新鮮さと
懐古としての憧れを抱いている。この要因は生活が豊かさと充足感を生み出したベクトルで
あろう。では、今彼らたち"ブラック マーケット"に鬱つを抜かしている世代が落ち着いた
時には、彼ら黒人たちの文化度豊かな人たちは彼らたちの"ロコ ファッション"に回帰する
だろう。では、このターニングポイントがいつか?
 例えば、日曜日のパリのメトロで見かける黒人のご婦人たちが教会へゆく姿、それは彼ら
たちが豊かさを誇る一つのコードとして、素晴らしい"ロコ ファッション/民族衣装"を
着ている風景に出会う。

 参照/日経新聞日曜版1月16日/"THE STYLE"

文責/平川武治:
初稿/2021年12月18日:
出向/2021年02月08日:

投稿者 : editor | 2022年2月 8日 22:31 | comment and transrate this entry (0)

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