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T.S君への手紙をもとにして、「柳宗悦」没後60年、民藝100年記念展と「NIGO版KENZO」ブランドについて。

タイトル/<T.S君への手紙をもとにして、「柳宗悦」没後60年、民藝100年記念展と
「NIGO版KENZO」ブランドについて。>

文責/平川武治:

 T君、わざわざのバースデーメールありがとう。
そう、今年の誕生日は「喜寿」。
そして、あなたと出会ってからもう20年ほどですね。
嬉しい限りです。
こうして、今もメールが交換でき、話したいことが話せて、
時折、逢いたくもなる君がいることが幸せです。

 ご実家のご両親はお元気なのでしょうか?
此のような時世、何が起こるかわからない日々ですからね。

 時折、僕が好きなクラッシックなS.F.の作家、A.C.クラークのSF小説の「天の向こう側」の
エンディングをサンボリックに思い出してしまうまでの、
今までが、確かだったモノやヒトが一つづつ消えてゆくまでに感じるこの頃。

僕の鎌倉生活は、36年間、一度も外国へ出なかったこの22ヶ月です。
その分、この鎌倉の四季を実際に自分の目と鼻と耳とこゝろで感じる機会を作り、
大らかに、穏やかに結構、幸せです。
陽の動き、輝き、瞬き、風の匂いと葉の揺らぎ。
今では愛猫ミケーレと共に、穏やかでミニマルな日常を送っています。
最近はリスさんにも餌をやり、あとは、掃除、洗濯と手料理、そして勉強と読書がルーティーンの
日々です。
新しいことといえば、昨年出会った若い人たちと、毎週オンライン会議をして色々、好奇心と刺激を
もらったりあげたりでしょう。

 先週、「柳宗悦」没後60年、民藝100年記念展と銘打った展覧会へ久しぶりに東京へ出かけまし
た。最終日前日だったので混んでいました。もっと、年配の人たちが多いだろうと思っていたのです
が、若い人たち、美学生やデザイン生たちの多かったのにはちょっと驚きでした。
 やはり、戦前の彼らたち、柳や"白樺派"の人たちが活躍できた時代そのものが、いい時代だったと
いうことを改めて思い知らされました。一つのものに魅せられることで集中できるポジティフな
エネルギィーの凄さと大切さ。そして、此の時代の人たちの「文化」+「伝統」+「宗教」=「宗教
美学」というバックボーンを新たな美意識、「民衆の生活美」にまで昇華させた、"プロパガンダ"
運動でしたね。今的な言葉を使えば、「民藝」という"ブランディング"の旨さでしょう。これらを
改めて、"柳宗悦"を軸に俯瞰視出来た展覧会でした。

 が、戦前から戦後の彼、"柳家"の裕福さとそこから生まれる"エリート意識"、そこから生まれる
眼差しと自負できる仕事としての「民藝運動」というシナリオとその活動は、「宗教団体」の如きを
思わせる実態であったことをどれだけ若い人たちが知っているのでしょうね。展覧会でも展示されて
いた仕立て服「ホームスパン製の3ピース」はこの世界のそれなりの人たちの"ユニフォーム"になっ
ていましたね。また、東大前にある"日本民藝館"を訪れた人たちはその建築の重厚さと素晴らしさを
体感しているでしょうがあの建造物は生前の"柳"家の住宅だったのです。
 しかし、戦前の富裕階級社会の人たちの気概と気骨を持った「上手なお金の使い方」が生んだ
"文化ムーヴメント"の一つであったでしょう。そして、彼らのその美意識と思想を信じてきた人たち
が少しずついなくなり始め、この世界もその後の「消費文化」に吸い込まれた現代という時代性。
そして、ここにも、あの「天の向こう側」のエンディングを感じてしまいますね。
「天空から、ひとつ、ひとつ消えてゆく星、星、、、」

 この展覧会を訪れた若い世代の人たちが、これからの彼らたちの,"メタ バース"も含めた「日常」
における「生活の美」は?ここにも、何かしろら「倫理観」が必然なのですが、彼らたちはここに
彼ら富裕階級から文化教養としての「仏教美学」を持ち込みましたね。
 僕が二十歳になって、憧れた陶器の世界としての"民藝"の世界と、河井寛次郎氏の弟子で、
この世界でモノつくりをなさっていた陶芸の師、故生田和孝氏の丹波の窯元で僕がお世話になった
3年間へ思わずワープしてしまったのですが、この展覧会を訪れていた現代の若者たちが憧れる
「生活の美」とは?そのための「新しいモノ」を作るための"根幹"と"必然"と"憧れ"とは?何か?
その生活の精神のバックボーンになるまでのものを必要としているのだろうか?
それが"ブランドもの"でいいのだろうか?
あるいは、ヴァーチュアルな"メタの世界"には不要なのだろうか?

 そうですか、NIGO版KENZOのお手伝いをなさったのですね?
僕は、高田賢三さんからKENZOブランドを強制買収したことそして、それ以後、此のブランドに対し
て、日本人をリスペクトせず、誰も日本人ディレクターを起用してこなかったことなどなどの理由で
僕は企業LVMHと、M.アルノーが嫌いなので近ずかかったのです。
 が、ここに来て、亡くなった、ヴァージルの"恩返し"的なアドバイスで此の「NIGO版KENZO 」が
誕生したことには少し心動かされました。
 しかし、所詮、此の企業の事ですから、全て、「ビジネス」と「MD」ありきの戦略。
アジア人顧客としての"中国市場と日本人市場"と"コーリャンアジアン市場"の再構築と、
それに"ブラック市場"が相乗りしてくれば、という思惑と魂胆が読めてしまうますが。
 そして、出来れば、「Z世代」へ向けての"ハイブランド NIGO版KENZO"の誕生でしょう。
そのNIGOくんの20年前の"APE"と多くのプロパガンダ活動は裏ハラから香港経由の中国市場へ、
これらの仕事が今、「時代に乗っかる。」というビジネス マインドな狙いでしょう。
 ただ、NIGOくんがしっかりしているのは、M.バーグ氏という此の企業のCEOのビジネスマンと
その関係性を2006年来、ずーと継続してきたことに尽きるでしょう。(この経緯は前回の日経新聞
日曜版の「ヴァージル熕」で詳しく書いたので省略します。ご一読ください。)
 外国を訪れる日本人の殆どは、「デザイナーとお友達」という関係性で満足している輩ですから
ね。ご存知のように、パリのハイブランドは全て、"ビジネスありきで、全てが決まる実業の世界"で
す。トップが変われば、ディレクターも変わる構造です。彼らたちトップが、次にターゲットにする
"風向き"にどのようなサーフするかのタレント性とディレクション力ですね。
 彼のコレクションが、いつも僕がいうように3シーズン目が極めです。
この3シーズン目までで、どれだけ、彼らが目論んだ顧客を手中にできるか?
それによっての今後でしょう。
 この"KENZO"は此の企業グループにおいては"プレタポルテ/ハイブランド"ゾーンです。
この企業が持っている数多いビジネスのうちで、「免税店ビジネス」のライセンスを持っているの
で、この"KENZO"ブランドも、買収当時はこれら免税店で発売されたばかりの「香水KENZO」を売る
為の戦略だったのです。その後、このブランドは"子供服から大人服"という日本的ブランド構造を
構築し継続されてきたブランドですね。これはこれからも中国や韓国そして台湾などの"アジアン
マーケット"で利用価値ありきの構造だからです。極論すれば、「免税店での今後のKENZOブランド
の売り上げ」が伸びれば、NIGO君の"KENZO"も成功でしょう。これは、NIGOくんにも進言してあげ
てください。
 そして、あなたがどのような立居場所で、どのような関わりをしているか?
僕には不充分な情報ですが、デザイナーレベルとのリレーションはその"レベル止まり"です。
「上手な時間とスキルの使い方。」をこれからの君の"自分世界"へ惜しみなく、それが君の"経験"と
いう"資産と差異"になるでしょう。これを今後どのような"力"に、どの世界で変換してゆくか?が、
今後の君の課題でしょう。

 もし、ご帰郷のチャンスがあれば、ぜひ、鎌倉へもお立ち寄りください、
ミケーレさんも会いたがっていますゆえ。
ご自愛と共に。
合掌。

文責/平川武治:
初稿編集/2022年02月22日:

投稿者 : editor | 2022年2月27日 18:02 | comment and transrate this entry (0)

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