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ルプリ by 平川武治 JFW 東京コレクション‘07 S/S評論速報
Le Pli Diary ‘07 S/S by Take.Hirakawa
04/Sep.;
THEATERE PRODUCTS
武内 昭+中西妙佳
「‘50年代、『巴里のアメリカ人』現代版?」
このメゾンを見終わって感じる思いは「なぜ、このブランドへ人気が集まるのだろうか?」と言う自問である。観客は東コレをそれぞれの立場でバックアップしている、いわゆるそれなりのジャーナリスト、編集者たちが集まるメゾンのコレクションである。
が、一方では、スタイリストと称する輩たちのそれなりの連中の顔が見えない。多分、ある意味でこのブランドは「東京的」受け方をしているブランドなのであろう。
このショーを見て感じたことは、「やりたいことのフレーム」と「やらねばならないためのフレーム」の間で生じるノイズを感じてしまった。多分、このバランスの取り方そのものがショーとなっているのがこのブランドの最近の特徴かもしれない。
先ず、「やりたい事のフレーム」は「BODY」を如何様に意識した所での“エレガンス”を出すかのテーマ性だろう。その表れが、使われていた素材と色目に読めた。例えば、素材では一片のレースをどの様に発展させ衣服化するか。それらをボディータイツの上にレーアードすることによって身体の動きが生む布地の動きを女らしさの新しいエレガンスとみなす、見て欲しいというまでの読みをしてしまう。したがって、他の素材も薄物である、シフォン、ジョーゼットそれらに加えて昨シーズンからのランジュヱリィー素材が加わっている。
そして、「やらねばならないためのフレーム」は当然であるがマーケットを意識したものあるいは、トレンドと言われるものを触らなければというまでの素材とこなしとそれらによって作られたボディーコンシャスな初歩的コーディネート提案とそのためのアイテム群であろう。そして、これらのテイストは在る意味、大胆な発想としての“SEXY” 。しかし、これらのセクシーアイテムをアウターとして着るのか、ナイティ&インナーとして着るのか?この辺りの大胆さが、つまりズレ加減が”カワイイ“となり、このブランドの魅力となって冒頭の東京的観客を呼ぶのであるうかと考えてしまった。
もう一つこのブランドは自分たちの顧客層へのマーケットセグメントが旨く出来ているブランドでも在る。即ち、マーケティングが旨い。日本の女性既製服市場はいわゆる、OLマーケットがBIGESTマーケットである。そのため、アパレル発の各ブランドはこのマーケットを目標に売り上げを取り合っている。しかし、このブランドはなかなか旨い所を突いているのが、これらビッゲストマーケットの中心を直に狙わずに、そのちょっと上としての、“ミスティー&ミセス”をも含む所と、そのちょっと下としての“ヤング”の今で言われる“エロ・カワ”“モテ系”までを押さえたコレクションを作っていることである。OLマーケットの中心はアパレルさんに任して僕たちはそのマーケットでの特化したい人たちを狙うというまでのマーケティング。きっと、このクラスのブランドにしたら売り上げもいいだろう。
見終わって、このブランドが意味する「装い」とは何なのだろうか? メディアに気に入られる事が「装い」ではないはず。このブランドネームが語るように単に「衣装的」なるものに委ねてしまった服つくりなのだろうか? それに、彼らが提案する「新しさ」とは何なのか?それが今の時代における「問題意識」にも通じるはずなのだが見えないし読めない、探しても見つからないそれらの「コード」。それに、何の狂気すら感じない創造性の深み。これらも多分、共通する「東京的なるもの」であろうか?したがって、東京のジャーナリストたちは安心して見に来るのだろうか?
不安げに1枚の僕には印象に残ったトップスが出ていた。着物のハオリ感覚のジャッケットタイプのもの。なぜ、これをもっと軸にしなかったのだろう? いい提案アイテムであったのに。
‘90年代半ばにパリコレでも活躍していたモデルを幾人か使ってのちょっと、街角、クラッシク、エレガンスと言うムードつくりは音と共に楽しめた。文責;平川武治
04/Sep.
SOMARTA
廣川玉枝
「自分で時代が読めていない。」
美しい映像。そして、音。今時多くみられる、『心とからだをプロテクト』的イメージ。
鳥、ドアー、鍵、と枯れ木、エゴンシーレーに2点ある僕の好きな枯れ木に似たものと,いわゆる私?
ある種、贅沢な経験をしてきたデザイナーなのであろう。
そのために、バランス感がいい。そして、素材のチョイスが日本的強さを知って、新しさとして使っていること。それに、こなし方としての手法がクラフトである。
デビューコレクションだからなのだろう、見せる要素をメインとしたショー。それも、イメージと素材感に頼ったもの。デザイナー自らのリアリティはバランス感覚と素材選びの確かさだけ。
しかし、これは日本人デザイナーには本当に珍しいこと。
バランス感で贅沢感やエレガンス感、シックさが構築できるまでになれる可能性を持ったデザイナー。
しかし、他方、一生でのアシスタントが長すぎたのだろう、(確か、7年?)ある種、プロのアシスタントから抜けられない旨さを感じてしまう。フォルムやシルエットにオリジナルが感じられない。フェミニンでエレガンスだけど誰かがやったことのあるディテールのこなし。幾人かのオリジナルが読めて結局はザッピング。それは、靴の幾パターンの使い方でも読める。
トレンド的アイディアとしての『2nd.SKIN』は今シーズンでは当たり前。そこで、プリントモノ(?)のボディータイツと来ればもうすっかりトレンドブックもの。素材のハイテクさとその技術で出来上がったものとしての面白さは感じるが服としての新しさと新鮮さは素材感の方が上。黒のピンタックキュプラニットと称される素材のものが特に気を引いた。美しい素材であるし、素材そのものに品を感じた。
これからの課題は自分で時代を読むこと。感じること。そして、これだけの素材が使えるのだから堂々とした自分自身のアデンティティある世界を、どんな人にどの様に『装ってあげたいか』を自分自らのリアリティで発表して欲しい。それが、プロのアシスタントからの脱却ではないだろうか? しかし、今後が楽しみ。文責;平川武治