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ParisCollection‘09 S/S コレクション覚書;Vol.2、3

  『 揺らぐ身体-Illustion/Delusion-Reflections 』
[もう一つの現実。]
かつての6,7年前の東京・シーンが、やっと、世界的な現代社会の一面となる。
『誰でもがお手軽、お気軽にイメージを造れる生活環境。』
デジカメ、ケイタイとPCによるヴジュアル生活がこの、ヨーロッパでも一般化した。
その現われの一つに、今シーズンのコレクションではそんなヴジュアル化社会を幾つかのコンセプトにし始めたシーズン。そして、早熟な若者たちはやはり、自分たちの育ちの世界へモードを引っ張り始める。オプティカルアートから3ディメンション効果、そして、ヴァーチャルなイメージングへ。これらが特徴ある今シーズンのコンテンツと読めることにこの街、パリてはある種の新鮮さと面白さを感じた。そのための素材、プリントそして、こなし方、いろいろ。
アニメ、TVゲームから、ヴァーチャル・ハリウッドへ、かつての『アメリカン・ヒーロー』の世界へも再び?確実に、若者たちのリアルな日常性へモードのベクトルは動き始めるがどれだけ、彼らたちの「ILLUSION・パワー」は天上のオペラやバレー、クラシックーミュージックを再び、満足気に聞き惚れているスノッブたちを地上に揺らし落とせるか? 


 [50年、40年そして、20年。]
CACHAREL, Sonia RYKIEL, ZUCCAそして、Maison MARTIN MARGIELA
それぞれのアニバーサリーシーズンだった今シーズン。

CACHAREL、
ショーフィナーレではM.Cacharelの登場で最高の盛り上がり。自らの50年前の写真を招待状に使ってのアニヴァーサリーショーは、MDに長けた先シーズンからのデザイナーの一人、イーリー(Eley Kishimoto)のうまみある、ちょっと古めかしい既製服をリバティプリントを巧く使い込んだラブリーなコレクション。ショーの終わりに出てきたハイティーン・ジュニアのコレクションにこのブランドがいつも架けている未来を感じる。
Eley Kishimotoたちの優れたMD力が既製服感度へ上手に落としている巧さに驚く。

Sonia RYKIEL
はプレタポルテの黎明期からのデザイナー。シャネルのスピリッツを引きついでのプレタポルテにおけるこの40年はお見事。あのCdGの創成期もまた、ここから始まった。彼女の場合も当然であるがその奥にCOCOが。自らが持つ女の強さを癒すかのような仕事振りはさすが、強い女性たちの共通した業の一つ。時折のシーズンに見せる彼女のオムのコーディネート・ショーは好きだった。多くのこの時代のデザイナーたちが少なくなった現在、T.ミュグレーかソニアにチャーミングなはなやかさとシックさを委ねるしかない現在の巴里・プレタデザイナー。そして、今この街の装飾美術館での展覧会がご褒美で開催されています。
ご苦労様です。
 
ZUCCA
も20周年になるという。もう、20周年か?という、これが実感だった。このブランドが悩み学んだことは多分、自分たちの日本での成功をそのまま巴里へ持ってきても受けないということだったであろう。ここにも、シングルスタンダードだけではだめであるということ。世界を舞台に、そこに堂々と立ちたければ、ミックススタンダードを、それなりのコストとリスクを掛けて学習し持ちえなければいけないこと。その結果が、どれだけ、ユダヤ人業界人(その殆んどがそうである)に認知してもらえるかにかかってくる現実を知ったおかげで今回の20年アニバーサリー。そして、ご自分の『夢』を実現する。あの『Rue Cambon』の入り口に「夢のアドレス」のブチックが。(もと、Maria LUISAの1st.店後) 『継続は創造なり』、おめでとうございました。
(物入りで工事を始めた同じ通りのYOHJIのショップは1年になるが未完。ロシアンマネーが燻っているのだろうか?)

 Maison MARTIN MARGIELA
かつての’90年代始まりまでのCdGの川久保玲は大和なでしこながらあの小柄で、チャーミングな彼女はそのうちなる彼女の気概と性格を持って勇気と努力と根性を彼女自らの美意識と自分の世界観に委ねて、このモードの街へ出掛けて来て10年間、巴里・モードという“大木”をこれでもか、これでもかと揺らし、揺らして天上のサロン服をディストロイさせ地上へ引き摺り下ろした。
その勇気といさぎよさとそれ以上にカッコ良さを感覚的だけではなく、頭と身体で、感じ共鳴し始めた若者たちがその”路上”に落ちた天井からのモードの断片の落穂ひろいをし始める。その多くが巴里のすぐ隣の街の住民、フラマンのユダヤ人たちだった。彼らが習い作るモードには、それまでスタイルというものが見つからず探し回っていた連中。その先鋒が、3年半J.P.ゴルチェのところでこの巴里のモードとはの、何かを見てしまったMARTINと数人の仲間たち。彼らは頭のよさと悪ガキ振りを自分たちのために出資、工面してくれたディーバと共に、自分たちが拾い集めた断片をマジシャン宜しく、そのイメージまでも大胆に、質高く創造し、見事なクリエーションの醍醐味とビジネスを5年タームで僅か、14年間で成功させたのがMaison MARTIN MARGIELA。こんな、彼らたちのデビューコレクションを知っているものたちにしたら、なんと馬鹿げた、惨めなコレクションだったで在ろうか?最近のマルタンしか知らないファショングルービーたちにとってはアレでもいいのかもしれないが、僕にすれば、全くの『マルタン漫画』ショー。悲しくなってきました。会場を後に、出会った数人の旧い友人に打ち明けて、共感を得て一安心。
出てきたものがその後のディゼルイ以降の物がほとんどでマルタン時代のものはT-シャツのみだった様に(?)寂しい限りでした。
20周年記念を謳うも、その影ではマルタン自身の契約期限切れ問題を隠した演出。会場はその昔、モルグだったところ。死体置き場が操車場にそして、この10月半ばからアートスペース104に。そんな会場に多くを集めてのショーに出てくる服自体がもう、既に死体?僕から見れば、あのすばらしい初期のマルタンチームが必死で自分たちの夢へ向けての共有しあった精神と真心が否応にも感じてくるまでの強い品格を感じさせる服は残念ながら1着も出てこなかったショウ。まるで表層はそれなりのアイディアで作られた服、マルタンガゼット。でも、こんな服、誰が高いお金を払って買って着たくなるのか?
やはり、ディーゼルレベルのショーでしかなかったのがこの機に残念だった。もう、既にあの主役、マルタンはいない。終わってしまった。

文責;平川武治

投稿者 : take.Hirakawa | 2008年11月29日 21:03 | comment and transrate this entry (0)

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