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”2005年の1、2月の行動記”/ベルリン、パリ、イェール、ルセーン、東京など等で考えたこと。

「平川武治のノオトブログ;The Lepli ARCHIVESー11 」です。
今回は、初稿が2005年3月に書かれたもので、
 タイトルは、「”2005年の1、2月の行動記”
ーベルリン、パリ、イェール、ルセーン、東京など等の体験と考えたこと。」
初稿/2005-03-03記。

文責/平川武治:

 「こんにちは、誰もが予想をしなかった「コロナウイルス」によって、”時間”の流れが新しい
暦の変わり目へと継続される、余計に不安と不透明さだけの今年の年末ですね。
 「NEW NORMAL/新しい普通」というトレンドが来年には現実になり始めるのでしょうか?

 僕は戦後の「大衆消費社会」が、「監視資本主義」の元で「監視消費社会化」へ向かい始める
大いなる”不安元年”の始まりだと覚悟し始めました。
 例えば、5月27日に決議された「スマートシティ構想」や12月16日の「GIGAスクール
構想」の始動元年でもあります。これらのために、今回の組閣で新たに登場したのが、「5G」
利権の表官庁としての「デジタル庁」の登場ですね。
 これらの「NEW NORMAL/新しい普通」によっての影響は依然変わらぬ”合衆国版シナリオ”に
よる「格差社会」と「拝金資本主義」の拡大化でしょう。
 そして、これからの子供たちが、「監視資本主義」という新たな息苦しい、閉塞社会で
「安心、安全で自由に(?)」生きてゆかなければならなくなるでしょう。
 これらに対しての国民のリアルな肉声も未だ、日本メディアは取り上げていません。
来年はもう少し、”自國の政治”の動き方に敏感にセンスよく関わっていきませんか?

 今回の”ブログLe Pli/ARCHIVES"はちょうど、15年前のものです。
グローバリズムがスタートして、5年も経ち始めると、このモードの世界にも色々な変化が
見え始めたことを感じてくださればと。」
文責/平川武治:令和2年12月28日記:

●ベルリンの新たなファッションの動き。/
 ドイツのベルリンで、一昨年の秋からファッションフェアがはじまっています。
中でも規模が大きいのが「ブレッド&バター(B&B)」所謂、ファッショントレードショーで、
多くの人が注目しています。そしてこれを中心に、若い人が参加できる「プルミエール」や既製服
のフェアも含め、5つくらいのファッションフェアが3日~1週間の期間で行われています。

 '92年に壁がなくなって、二つの構造を持った都市が一つになり、世界では最も大きい都市で、
メトロポリスの割には土地単価が安く、まだ空き地があります。さらに、ドイツはもともと既製
服に強く、工場が沢山ありました。工場があれば、素材屋も多く、フランクフルトでは今も素材
の見本市が行われています。また、ファッション科を有する国立の工科大学が街の両端に2つ、
他にも私立の学校など、ファッション教育の環境もあります。戦後のベルリンは、歴史的観点から
言えば、ナチスの関係で一番ユダヤ人のいない街でしたが、60年経って、現在は戦前以上の
ユダヤ人たちの大都市になっています。そのような、歴史的環境で、従来からあったユダヤ人産業
の一つとしてのファッション産業に彼らたちのジュニア世代が当然のように音楽を中心にして
ストリートカルチャーの一つとしてファッションに興味を持ち、返り咲いて来たわけです。

 ”B&B”のテイストは、ストリートカジュアル。来客は、イタリア、東欧、北欧人が中心。
日本のバイヤーもそれなりのお店は、ここまでバイイング・ウオッチングに来ています。
今年はユナイテッドアローズやミッドウエストなどや巴里・三菱なども来ていました。
日本のジャーナリストはほとんどが未だ、行っていないのではないでしょうか。
 この”B&B”では、イタリーからのデザイナーやブランドが多く出店していることも、ここの
特徴でしょう。なぜイタリア人出店者が多いのかというと今、イタリアでもシューズとストリー
トカジュアルが前面に出てきていて、かつての”イタ•カジ”ブームを再度、起こそうとしている
ファッションピープルが興味とジェラシーをもって訪れて、サンプル買いしているのではないか
と思います。もしかすると、あの70年代後半のイタリアンカジュアルのように”ベルリン・
カジュアルムーブメント”が起こる可能性がありそうです。
 この背景には「アジダス」と「Y-3」それに従来からの「古着」マーケットと共に、巴里で活躍
し始めたドイツ系デザイナーたち、”B.ベルンハート”や”ブレス”、”ルーツ”たちが大きな存在に
なっていることも確かです。

 関心したのはやはり、このような規模のファッションイベントをやることによって当然ですが
都市の経済効率が伸びるということです。ベルリン市自体がファッションフェアを大々的にバック
アップしているため、海外のバイヤーが沢山、来ています。(ただこの状態がいつまで続くか?
という不安は払拭できませんが、)
 また、EUでは今、”都市のプライオリティ”を競い合っています。
”フランスにおけるパリからユーロにおけるパリ”、”イタリアにおけるミラノからユーロにおける
ミラノ”、となってくると広い範囲での経済競争が起こります。競い合いながら、産業経済をどう
回していくかということが大事で、そこでファッションもいい対象素材になってくる。
 多分、このベルリンも一つのアイデアとして、ファッションで”都市のプライオリティ”を持ち
たいということだと思います。

 ベルリンの街は成長段階にあって、沢山の可能性を持った街です。この4~5年、近代建築が
どんどん建っています。また、”現代アートやグラフィティ、音楽&クラブシーンなど”、この街
ならではのユースカルチャーも盛んで、”ストリートカジュアル・ファッション”を形成する要素
が整っているのでしょう。これらのユースカルチャーの面白さの所以は、「自由な発想で、自由
な情報で、作りたいものを作る」精神と環境がこの街を豊穣にしているのでしょう。
 例えば、セントマーチンで勉強した日本人の青年は、卒業後イタリアで2年間で細々と自分の
ものづくりをしていましたが、ベルリンの方が自分の発想を具現化できるという現実的な条件で
去年の暮れからベルリンに移り住んで可能性をいっぱいに、活躍し始めています。
 そして、CdGの”ゲリラショップ”の1号店出店もこの街からだったはずですね。

●モードにおけるグローバリゼーションとローカリゼーション/
 ファッションの世界の現在は、”グローバリゼーションとローカリゼーションのバランス化”が
デザイン面とビジネス面、全てにおいて重要になっています。
 ベルリンが自分達のローカリゼーションを軸としてフェアをやって、結果的にはグローバルな
市場に組み込まれていくというこの関係が経済の発展発達のモデルだと思います。
 ファッションとは、都市環境に左右されるものです。それからモードとしての様式即ち、ここで
は”ストリートカジュアルファッション”がこれらの環境から必然的に誕生するという現実が面白
い経済関係になっています。

 このファッションのビジネスにおいて、具体的には’92年グッチ以降のグローバリゼーション。
ーGAP、ZARA、H&MなどSPA企業が巨大なメーカーになっていることを見ても明らかです。
 一方、クリエイティビティの分野では、ローカリゼーションの視点が大事になってきます。
自分達のローカリティーをどのような形で作品化、オリジナル化するか。ここでは、今は
「パリから距離」を持った人達がモノを作った方が面白いと言えます。
 例えば、ここ10年間でアントワープの人達が巴里の仲間入りしたという勘違いをしている事
が目につき始めていますが実際には、「巴里からの距離感」の差異と拡散が自分達のアイデンテ
ィティの確立と表現することが大切な創造になってきています。
 日本人も自分達のローカリゼーションを確りと認識した上でヨーロッパへ進出するのであれば
それは彼らが活路を見出すのに有効な方法かもしれません。所謂、自分たちの”風土と時代”に
よって育まれた”ジャポニズム”が白人社会が持つ”異国趣味/エキゾティズム”という美意識の
一つに引っかかるからでしょう。最近では、”ストリート•ジャポニズム”を引っ提げてきた、
"UNDER COVER”があるでしょう。
 前回のメンズコレクションを例にしてみると、”作る側のグローバリゼーション”の好例として
は、CdG H.P. とJUNYA Man でしょうか?ハードな山岳ウエア、スキーウエア,ポンチョなど、
全天候型の”アウトドア スポーツ”アイテム群をモードに上手く、落とし込んでいます。
 いかに異業種とリンクし、結果、”コラボレーション”として彼らたちが培ってきた技術を共有
して、自分達の新しさを”モードの世界”でビジネスして行くか、という方法論を具現しました。
 この新たな”モードのコラボ”という流れは今後より、進化して行くでしょう。

●巴里モードの方向性/ 
 パリのモードの人たちが、その方向性を変えようとしています。
現在、ラグジュアリーブランドでは、確実に”服のランウエー”でイメージを作り、そのイメージ
の効果で、コスメ、靴、バッグ、貴金属としてのジュエリーと豪華な時計を売っています。
 彼らのメゾン全ての”広告塔の役割と包装紙”が”服”です。現在では、どこのラグジュアリィー
メゾンも広告素材としてモードがあり、商材としては前述の雑貨、コスメが中心となっています。
ほとんどのメゾンが服では儲けていないと言い切れるくらいです。

 そこで、巴里の”クチュール•プレタポルテ”をディレクションする”サンディカ/組合”の人達が
クチュールテイストを形に出来る若い人材を前に出していこうとしています。
 巴里がモードのキャピタルとして存続するには、自分達が歴史をもって作り上げてきたオート•
クチュールの世界を死守していくしかないのです。その為には、新しい感覚を持ったクチュール
予備軍デザイナーを育てることが必要なのです。巴里のファッションの世界では、”アントワープ
=コンセプチュアル”なものよりは、純粋に”エレガントなオートクチュール”を創造できる人を
求めているのが現在です。もっと言えば、ただ昔と同じことをやるのではなく、「クラシックな
手法・技術を新しいコンセプトによって、どう持ち込むか?」
「新しい手法を新しいコンセプト」で創作しても、もはや新しくない。例えば、現在の「デジ・
カメ」が良い例でしょう。技術の発達によって誰が撮ってもピンボケがしない。これはある意味
でクリエーションではなく、新しくはありません。
 現在の「ファッションの世界」での”創造”は、すでに人間の身体の形状が変わらない限り、
造形的に新しいものはかなり、”至難の技”になりつつある。
 だから、現在のモードにおける新しさとは、「素材感とバランス感」が大切な発想になって
いるのです。これは、「オート•クチュールの世界」における”創作の根幹”へ戻り始めたと、
「モードの世界」は”オート•リバース”と読むべき時代性でしょう。
 
●ヨーロッパのファッション•コンテストについて/
 南仏、コートダジュールのイェール市で毎年、4月末から5月初めの4日間に行われる
「フェスティバル・ド・イエール」は、今年で20年目を迎え盛大にその内容も進化させている。
 先の10年目から運営実行委員をやっているこの街の青年たちが、パリ•サンディカのチェアマン
やボードメンバーとリンクするようになり以後、この「フェスティバル・ド・イエール」がパリ
の新人デザイナーの登竜門的なコンテストとなっています。
 疎らですが、日本人も審査に残るようになってきていますし、最近では大手企業が協賛し始め
200万円単位で賞金を出しています。(LVMH,YSL,ロレアルグループや、”123”、など等。)
僕が審査員で呼ばれた’98年頃はまだ、”賞金”はなく、”ブリキでできた盾”と”ブーケ”だけで
した。
 この「フェスティバル・ド・イエール」の素晴らしさの一つは、招かれる審査員がジャーナ
リスト、デザイナー、アタッシュドプレス、バイヤーたちで、彼らたちとこのイェールの街で
4日間、みんなが一緒に昼夜行われる”コンテスト•イベント”に参加出来る事。
 もう一つは、若いデザイナーたちが独立し、パリでコレクションを行なってゆくために、
”出会わなければならない人たち”と出会えるチャンスがある事です。
 ”出会うべき人たちと出会える”と言うご褒美は若いデザイナーたちにとっては、とても自信と
可能性を与えてくれる素晴らしいアイディアのファッション コンテストです。
 審査内容は、「コンセプト+イメージング+プレゼンテーション」を中心に、どれほどの
オリジナリティある”自分世界”の具現化が問われ、各自が与えられたブースにおいてのプレゼン
テーションを中心に、コミュニケーションをとっての審査がなされる。
 あと、この「フェスティバル・ド・イエール」の特異性として、”イェールとパリ モード”が
繋がった事であろう。この「フェスティバル・ド・イエール」のトップ•チェアーマンがパリ•
サンディカのM.ディディエ グランバッグという構造が出来上がっている。したがって、彼、
ディディエがサンディカのチェアーマンに収まった折に、彼が成した事の一つが、
「自分のオフィスの窓を開けて、”イエール”からの”新しい風”を入れ始めた」事である。
 それによって、この「フェスティバル・ド・イエール」で何かの賞を貰えばジャーナリストは
自分のメディアで彼らたちのことを書いてあげる。バイヤーは自分の店のウインドウで作品を
ディスプレーをしてあげる。もし、受賞デザイナーがショーをやる気であれば、”プレスエージェ
ント”は彼らたちのプレス業務を見てあげる等、などのオプションが準備され、優遇されて憧れ
「パリ•コレ」へウエルカムが可能な素晴らしい仕組みでもある。
 例えば、昨年の11月にはパリのサンディカの連中は、今後進出するべき中国へ向けて、自分
達はこれだけの若い優秀なデザイナーを有しているということを北京でプレゼンテーションして
いますが、そのほとんどの若手デザイナーは先ほど述べた、”クチュールテイスト”がこなせる
この「フェスティバル・ド・イエール」出身のデザイナーたちでした。
 この若手の”パリ•コレ”デザイナーたちの”北京プレゼンテーション”には二つの目的がありまし
た。表の目的は、「今、”パリ•コレ”の若手デザイナーたちの世界観をモード後進国であった中国
へショーイングを行うこと。」そして、この裏では、「中国の安価な素材と豊かな生産構造の
取り込みとそれによって可能な”セカンドライン ビジネスの確立構想”があったのです。

 その他にも、ヨーロッパにはいいコンテストが沢山あります。”スイステキスタイル組合”が中心
となって主催してい「GWAND」。僕はここでも審査員をやっていますが、ロンドンのロイヤル
アカデミー、パリのスタジオ・ベルソーそれに、アントワープやブリュッセルのら カンブルなど
世界のファッション・スクールの代表校が競い合う部門と、スイスの若手デザイナーのコンペ
ティション部門で構成されています。ここでは、昨年の招待デザイナーはラフシモンズ、ソフィ
ア・ココサラキ、ハイダー・アッカーマン、イーリー・キシモトも参加しています。
 この「GWAND」のご褒美は、”スイステキスタイル組合”の素材を使ってもらうことがこの
コンパティションのミッションですから、スイス製の高級シルクや麻、コットンがメインのご褒
美です。確か、ハイダーくんはここでご褒美にもらった”素材と賞金”で自分のブランドをスタート
させましたね。
 
 それから、イタリアのトリエスタでは、最近始まったもので、”DIESEL社が主催する「IT'S」が
あります。このコンペティションのミッションは、世界のファッション学生たちの中から才能豊か
な学生を探し、彼らたちにその”夢”ある可能性を与えることであり、もう一つは”DIESEL社”の
ためのデザイナー探しと”青田刈り”でもあります。
 元、ミッテルモーダで行われていた素材中心のコンペティションをオーガナイズしていた女性
が広告代理店と組んで誕生した、なかなかビジネス臭さがプンプンする”企画コンペティション”
であるのですが、”DIESEL社”がこれに乗って行なったこと自体がある意味で、懐の深い企業だと
感じましたし、対象がヨオロッパだけではなく、世界中のファッション学生を対象としたグロー
バルな発想は新しいでしたね。
 ここでも、毎年、日本人が何人か入選しています。先月、ここのデッィレクターが東京を訪れ
幾つかの学校を回っています。
 いろいろな、ファッション学生のコンペティションに呼ばれている僕も、ファッション企業が
直接、このようなコンペティションを主催して行う時代になったと言う意外性を楽しみました。

●「夢」のため?「ビジネス」のため?日本人デザイナーの海外進出とは?/
 最初から結論を言いますが、パリ、ミラノその他、海外でファッションショーをやってみたい
という人は増えていますが、まず日本で儲けて、その使い方としては、海外進出もあるだろうと
私は思います。
 誰にも可能性はありますが、それが世界で通用するかという次の問題になります。 
日本の留学生がよく勘違いしているのは、海外の学校へ行ったら現地で就職できると思っている
ことです。”教育機関”は外国人を歓迎するかもしれませんが、ビジネスではそうはいきません。
外国人に対しては厳しいです。極論すると、日本人一人を雇えばフランス人が一人失業することに
なります。それでも必要とされる高い能力とタレント性がないと難しいと言う事実です。
  一方、ビジネスだけを考えた展示会参加はまた、別の次元です。
パリは世界のモードのショーケースです。なので、この世界は変わらず、賑わっています。
ユーロが高く、ヨーロッパ市場が活発でない中で、世界のファッション市場はアメリカ、アジア、
特に日本中心ですが、今後は中国もインドもそして、中東もその大きな可能性となっています。
 「時代が進化」することとは、生活者たちの”豊かさ”に現れることです。だから諸国によって、
この「豊かさの差異」がありますから、ファッションビジネスはそのカテゴリィーの違いがあっ
てもまだまだ、”発展途上産業”でしょう。
 個人の夢で海外に行っても、才能があって目立つ存在となれば、ファッションマフィアに喰い
潰される怖さもあります。
 それぞれ個人が持ちえた”夢”でなく、現実の成功のために行く。だけど、現実を知る情報や教育
機関もないのが現状の日本ですね、これは行政の怠慢の一つでしょう。

●なぜ日本のモードは文化となり得ないのでしょうか?/
 そもそも「今の日本の文化とは何か?」と問われても不明です。
「消費文化」と言う言葉があります。消費することが文化だと言われていますが、そうではない。
これはわかりやすい金儲けのための”文化論”でしょう。
 強いてあげれば、可能性があるとすれば、日本のオリジナリティーが感じられる”アニメ・
ゲーム産業”のコンテンツ分野が現代の日本文化の新しさでしょう。
 敢えて、提言すれば、「今、新しい”豊かさのスタンダード”を作らないと、日本の真の文化の
強さは生み出せないでしょう。」
 物質的豊かさを享受した今の若者は「何でもあり」「何でも出来る」状態である為に、
やりたいことにフォーカスが絞りきれず、逆に「何にも出来ない」状態。折角の”自由”を使い切れ
ず、持て余したり、放棄したりの状態が多いのも現在の日本人像でしょう。

 例えば、ファッションデザイナーに限って言ってもまずは、インテレクチュアルな発想や知識
があってデザイナーであるべきですね。”情報とトレンド、サンプル”さえあれば、日本にはまだ
生産背景がある為に”作る”ことはできます。例えば、ジャン・コクトーを読んでいなくても、
ボードレールを知らなくても日本ではデザイナーになれる。そして、それなりのモノが作れれば
ある程度は儲かる。ある程度、儲かれば、メディアを抱きこめてしまうのです。
 冒頭の「消費文化」とは、このような”抱き込まれた世界”の一つでしょう。

 それから、センターポールとなる秀でた人が出ても、ジャーナリズムによって食いつぶされて
しまうケースがあります。例えば、彼らを強かに、ガードしてきたから”川久保玲”は生き残って
いるのです。日本においては今後、世界に通用するデザイナーの一人である”川久保玲”の一人勝ち
でしょう。

 ”売れる仕掛け”を作るのがデザイナーです。そのツールとしてデザインがあるだけでしょう。
今、日本市場を制覇しない限り、”資本”は稼げません。日本人は国内で売れる仕組みこそ作る
べきなのです。その上で、世界に通用するファッションビジネスマンを育てる必要があります。
 パタンナーは優秀な人が多く、実際世界で通用しています。
まずビジネスを強化すべきです。ビジネスに通じれば、”文化”がどのように必要だということが
十分に理解ができるはずです。
合掌。
文責/平川武治:
初稿/2005-03-03 :

投稿者 : take.Hirakawa | 2005年3月 3日 08:25