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ARCHIVES/「東京コレクション速報紙「LE PLI」発行趣意書とお知らせ。」
「平川武治のノオトブログ;The Lepli ARCHIVESー12 」です。
今回は、初稿が2005年4月と10月に書かれたもので、
タイトルは、「東京コレクション速報紙「LE PLI」の発行趣意書とお知らせ。」
そして、この年の秋に行われた「東京コレクションの速報記」です。
初稿/2005-04-20+10月31日記。
文責/平川武治:
『みなさん、明けましておめでとうございます。
新たな年が始まりました。今年は、”穏やかさ”と”新鮮さ”が何気に大切な気分と時間を
齎してくれる年でしょう。
以前はよく、ファッション界の人たちは「時代が変わった!」とか、「もう、古い!」という
言葉を使いました。この言葉は自分たちのファッションにおけるあるいは、生活の営みにおいて
の”時代感覚”所謂、「センス」を表現する際に使われるのでしょう。或いは、「新しさ」と言うこの世界では価値そのもののメタファーとしての意味合いも兼ねているのでしょう。
そして、今ではこの言葉は殆んどの一般生活人たちが使う言葉になりましたね。
ここにも、「豊かさ」による、価値の変革が読めるのが
しかし、この言葉の”根拠”がどれ程、地に足が付いたところからの確りしたものがあるのでしょうか?
例えば、「モノが不足していた時代」、「自分の部屋が持てる様になった時代」「海外旅行が
容易くなった時代」それに、「情報が飛び交い始めた時代」「情報が個人で収集できる様になっ
た時代」そして、「情報が個人で発信出来る様になった時代」など、単純に考えてみても、これら
の”変化”は確実に、時代を変えましたね。ここにはある種の”生活の安定”とそこから生まれた
”豊かさ”の変化が時代の進化を促す”根幹”であり、”変わる根拠”になるのでしょう。
そして、現在では、もう「モノの豊かさ」ではなく、「こゝろの豊かさ」が時代を変革させる
までになってしまいましたね。「モノ」の”量”と”種類”と"安価”だけでは新しい時代は来ないと、
むしろ、”時代の退化”と言うまでの時代観を感じます。
そして、この「コロナ以後」によってこの現実がじわじわと世間に染み込み、令和3年はZ世代
たちが今後の「時代を変える」当事者たちとなるで元年と願います。
このアーカイブの当時はこの「豊かさ」が大きく変化をもたらした時期でした。
当然ですが、「時代と寝るデザイナー」がいつの時代にもキラキラ輝けるデザイナーで在った筈
でしたが今では、「時代と寝るブランド」群になってしまいましたね。そして、個人レべルで
見ると、「時代の気分」を感度よくデザインできるデザイナーが時折、一等星の如く瞬時の輝き
を閃かす、そんな時代でした。
この「Le Pli」は会場前で売るという”ゲリラ手法”をやったのですが実際には、”日本の世間”
らしく主催者側からの許可が降りず、途中でこの「Le Pli」は挫折してしまいました。
意気込んでやり始めた僕たちもこの”日本の世間”の不自由さに疲れと諦めだけの体験と、少し
の出会いがありました。
文責/平川武治:初稿/令和2年12月30日記:
*
はじめに;
10年ほど以前に、この「Le Pli」紙を東京コレクションの私的眼差しの速報紙として発行した
経験を再度、今シーズンの東コレより再発刊しようと考えました。
ファッションを取り囲んでいた時代と環境の全てがまったく変化し始めた現在です。
経済、社会、生活と政治さえも、それらがもたらした「戦後の豊かさ」が一様に”新・中間大衆
たち”に享受されたという時代性。
当然、この現実の裏側に存在している価値観も、戦後日本を現在のような社会性、経済性へと
導いてきた「将来志向、効率志向、仕事中心という『道具的手段主義 Insturumentalism』の
価値は衰退し、それに代わって、現在中心、情緒志向、快楽志向、私生活中心的な『即時的快楽
主義/Consummatorism』の価値が現在の私たちの新たな日常性を支配し始めています。(*1)
この様な新たな「豊かさの日常性」はグローバリズムの高度な全世界的構造化によってより、
進化をもたらしいわゆる「21世紀のリアリティ」がやっと、現実的に僕たちの日常生活環境で
始動し始めたという"機・気"を大切に、ここでもう一度、東京におけるファッション・デザイナー
の世界へ、何のしがらみもなく、持ちえた情熱と感情と学習してきたスキルと経験を本質とした
「21世紀スタンダード」を基盤に考えながら、永年からの低温火傷状態の現状・東コレへ
新たなる一石を投じようと決心しました。
そこで、この東京コレクション速報紙『Le Pli』は、
編集テーマ;「なぜ、東京のモードは文化の領域へ達し得ないのか?」
編集コンセプト;「ラジカルを読むジャーナリズム」
編集視点;「クリエーション、エステティック、インテレクチュアル、エモ-ショナル
そして、ウエアラブル」
再発行の意義;「独創性、現実性、辛辣性そして、速報性と人間味」
これらを基盤に今シーズンの東京コレクションを平川の私的レベルと方法によって
発行いたします。
この一石を投じることによって、願わくは東京のモードが文化の領域へ一歩でも近ずけばの
”大いなる思いを込めて。”
責任編集;平川武治。
(*1)出典;「倫理としてのナショナリズム」/佐伯啓思著・発行NTT出版。
「平川武治のノオトブログ;The Lepli ARCHIVESー12 、その2」
< 評論速報誌 "Le Pli "# 1 号/東京コレクション ‘06S/S >から抜粋。
初稿/2005-10月31日記:
**
はじめに-2;
やっと、この21世紀も5年が経た今年、世界に肩を並べられるコレクション運営体制が東京
にも出来たようだ。
これが遅いのか、早いのか又、グッド・タイミングなのか?
多分、現在の東京のモードの人たちからしてみれば然程、関係ないことかも知れないと伺える。
始まったばかりだから余計そうなのだろうが、僕が持ちえた傍観者の距離からすると、この
東京のモードの人たちの今回のはしゃぎ様は異常に感じるあるいは、不自然に感じた。
外国人たちが僕たちの街を訪れ、彼らたちが眼にし、体験した東京そのものが面白く、
エキサイティングであり、ファンタジックであるという確かなリアクションが彼らたち自国の街
のメディアに取り上げられ、彼らたちの声に押されてこの街の「東京ファッション界」もその
重かった腰をやっと、挙げたという観が現実のように思えてならない。
又、当然であろうが、2010年以降の中国という國を思うとこの”モードの世界”の日本も
今までのように『俺様然』してはいられなくなる事を、遅まきながら痛感し始めた結果の行為で
もあろう。
それに、ここ2年来、東京でのモードのデザイナー輩出機能のイニシアティブを取って来た
”文化服装学園”が現実の少子化現象の余波を当然ながらマイナス影響として感じ、実感し始めた
結果、ビジネス戦略として多くの予算を投じて、「世界の文化服装」という戦略を持ったことに
も関係しているだろう。
一体、今回の「世界に肩を並べられるコレクション運営体制」が目的としていることは
何なのであろうか?
勿論、最終的な目標は『よいビジネス』であろう。(残念ながらこのテリトリィーは文化庁の
管轄ではない。)では、ターゲットは誰なのか? USマーケットなのか、EUマーケットなのか
それとも、チャイナマーケットを中心にしたアジアンマーケットなのだろうか、
それに国内マーケットの建て直しも含まれているだろうが具体的なターゲットがファジーで
いつもながら”日本人の内弁解さ”とでも言おうか、明確さが欠けている。
現在の日本のファッション風土はデザイン表現力、素材開発力、生産キャパシティそれに
マーケット力そして、ファッションエヂュケーション。これらが国外から見ると、かなりの
”ハイポイント”でまとまった産業構造を成し、ハイ・テクと情報そしてメディア化によって更に
味方され構築されている現実がある。
しかし、これらは戦後60年間の勤勉な営みの結果の現実でもある。
市民の生活環境や情況と同じように中間大衆消費社会構造を構造化し、機能させ具現化させた
その元での「豊かさ」を享受してしまった現実でもある。
したがって、この「東京コレクション」の実態も、現在の日本市場向けの規模とレベルと
クオリティの現実と情況でしかないことを改めて知らなければならない。
結果、日本人は日本マーケットで十分と言う発想と意識と認識も一つの現実把握であろうし、
それ以上も、以下もないということ。
戦後、60年の結果が「豊かな生活」を享受した日本だとすれば、これからの我々がこの21世紀
に求めなければならないこととは?「倫理在る成熟」化であると思う。
単なる、物質的な豊かさからこころある成熟化即ち、精神的なゆとりと穏やかさを「人間同士
のがんばり」から求め努めるという”こゝろの在り方”が必要であるはずだ。
僕は海外のファッションブランドとそのビジネスを一つのフィルターとして、現在の日本の
ファッションの世界を見てみると、この「倫理ある成熟度」が必要だと考える。
売れれば勝ち。服に品がなくなっても、目立つものを目立つ方法でアピールすればメディアが
取り上げ、それのみで消費へ結びつくという倫理なき発想がジャーナリストをも巻き込み、品位や
品性までを感じさせてくれる服がこの数シーズン、僕たちの東京から姿を消してしまったようにも
感じてしまうのは僕だけだろうか?
我々の日常生活に倫理が消え、「悪趣味、風俗そしてメディア」受けがこのファッションの
世界にも堂々と土足で入って来てしまったツケをどうするべきかを考える機会として、
この「世界に肩を並べられるコレクション運営体制」が服の表層のみだけではなく服が持ち、
現わす社会倫理へまでも、思慮深い一石を投じられる新体制であれば初めて、世界レベルの”東京
ファッション”になりえるだろう。
今の時代、構造改革だけではダメである。(時の政府を見れば判るはずだ。)
当然であるが、構造を改革すれば、その新たな構造のためのルールが必然である時代だ。
この新たなルールに「倫理」という忘れかけられたキーワードをファッションの世界にも是非!!
初稿/31st. OCT.
文責:平川武治:
投稿者 : take.Hirakawa | 2005年4月20日 03:56