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JFWが主催した『’06~’07A/W 東京コレクション評論』;LePli by DISCIPLINEより:

 はじめに;
 東・コレ、今シーズンの眼差し;
 
 思い起こし、考えてみる必要がある、『かわいい!!』という形容詞が現在のように、これ程までに日本人の日常語、尋常語となったのはいつ頃からだろうと。
確か、‘92年に宝島社から『CUTE』創刊。その1,2年前から、コムデギャルソンのトリコが『カワイイ』のパイオニアたちを産み落としその後、『CUTE』と共に、そんな新しさを感じさせ始めた二十歳前のトウキョウ娘たちへZUCCAは時代のボキャブラリーになり始めた『カワイイ』をデザインし、ブランド化した。
多分、これで、『カワイイ』は完全にカッコいい響きとニュアンスを持った流行語として市民権を持った。
そんな、『カワイイ』は僕たちの日常生活の気分感を感じ解く、依然重要な『キーワード』なのだと再感する。外国で生活していると日本から訪れるその、殆どの人たちが唯、『カワイイ!』だけで殆どの感情表現を済ませていることが、不可思議に、奇妙にさえ感じてしまう経験が多い。
彼らたちの感情を表現する手段としての言語は、コミュニケーションの時代なのにそのコミュニケーション・ボキャブラリーそのものが単一化し始めているという現実。
あるいは『言語のユニフォーム』化現象の始まりなのか?
 今シーズンのLE PLIの眼差しは、この 「『カワイイ』が日本のモードにどの様に影響を与えているのかまた、与えられているのか? 」 「どの様な感情表現のためのボキャブラリーと使っているのか、又は、その時、感情は存在しているのか?という『カワイイ!観』を今シーズンの東コレで感じ、読んでみたい。 Le Pli 編集責任:平川武治:

 >>……確実に、この東コレも新たな“主役”交代のシーズン。

 もう、これ見よがしなノリと派手、悪趣味・オミズ嗜好な、オツム空っぽファッションブランドは
“二流”へ!!
 
 15年程が過ぎたこの国民的[カワイイ!!]も時代と共に変質変貌し始めた今シーズン。
等身大的人間のおおらかさを伸びやかに謳歌し始めた新たな[カワイイ!!]の登場。
これは今シーズンの東コレの本質的な新しさの一つ。
結論を言ってしまえば、『その、大半が、ニュアンス表現が幼稚で大味な作り手に成り下がってしまった。』


 具体的には、細部のディーテールのデザイン・バランスが大味で、無意味に取って付けた程度のバランス・デザインそして、固まりとしてのアイディアに(これはメディアに左右された所の)頼った無粋な表現または、成金・悪趣味的な所謂、お水っぽい感情表現の日常化が自らのレベルでの美意識(?)で着せ替え人形ゴッコお遊び即ち、「それぞれのバービー人形」化しただけの表層デザイン・コレクションが大半であった。そして、それらに対する形容詞がお決まりの全て、『カワイイ!!』語で処理してしまえるまでのある種、無責任なデザインと観客。
 いつの間にか、個人の大切な感情表現をカワイイ!の一言で済ませてしまっている我々、日本人の多くがもしかしたら、それぞれが持ち得た感情のニュアンスを表現出来ずに、又は感じることに億劫さと複雑さそして、無表情さを持ちえてしまった国民性なのではないだろうか?とまで言えるような疑問をやはり、この東コレのデザイナーたちの発表コレクションからも伺えてしまう。当然、なんでも『カワイイ!』環境の基に生活しているのは何も消費者だけではなく、作り手である、デザイナーと称される側の人たちの環境と日常性も同じである。
結果、かれら達が『それぞれのバービー人形』での着せ替えゴッコとして表現した今シーズン。幾つかの大きなブロックに分かれてしまった所詮、彼らたちのレベルでの『バービー人形』志向の『カワイイ!』観の現われでしかなかった東コレ。
イメージの上塗り作業、CADによって誰でもが作れる(?)美意識の低い過剰意識における成金的品性なき装飾性の『カワイイ!』と自己満足によるアイディアだけで先走ってしまっているちょっと捻った『カワイイ!』。それに、まるっきり無節操にマーケットのみを意識した日本の上得意であるO.L向けは「デパ・コレ」派『カワイイ!』そして、流行としてのリメイクもので、カッコいいと煽っている『カワイイ!』元ウラ原系から古着屋系まで。今後、注目されてくるだろうポジティフ・オタク、ちょっと文化系な「カワイイ!!」。そんな幾つかの『カワイイ!』を素材にスタイリストが加わっての、これを見て下さいと言わんばかりの時代への問題意識たるや希薄なスタイリング・ショーが今シーズンの東コレの結論。結果、東コレ、9つの原罪は先シーズンと殆ど変らず、「時代先取り観なし。知的さは殆どなく、アート観なく、エモーション少なく、従って、自由さが感じられず,文化の香りは間違っても感じられず、現実味が無く従って全体が面白味も無く、それでいて上代が高すぎる。」これらの幾つかを既に、スタンダードとして持ってしまっている育ちしか見えなかったメゾンが多かったに過ぎない。

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 これは今シーズン主催者側が招待してインターナショナル・ヘラルドトレビューン紙の世界のトップファッション記者、スージー・メンケス女史に見てもらったら良い評論を書いてもらえるかもという悲しい性の元にJFWサイドが今シーズンのトリに据えたドレスキャンプの彼女のレポートに的確に見られたから面白い。この短い文をご紹介しておこう。
 「Dress camp's wild show followed in John Galliano's footprints.」

 「本物」を見て知ってしまった人、何がモードかを知っている人たちにとっては所詮、”いかさまゴッコはいかさまゴッコ”これが現在、東コレの世界レベルの眼差しでしょう。彼女も精一杯に旨くそつない単語を使って書いています。日本メディアが騒ぐ、無理な集客力があるでも、やはりコピーはコピーの世界。
ジョン・ガリアーノは知的センスと途方も無い自由さの発想力による創造性が彼の先ず、スタンダードに在っての彼の世界。表層を追っかける所謂、日本的丘サーファー(時代に乗っかるだけ)ファッションD.J.レベルでは教養も品ある贅沢さも感じられない、全くの桁違い。(スージーさん、今シーズンはジョン・ガリだったかもしれませんが、先シーズンはヴェルサーチェだといっていたフランス人が居ましたよ。その前にはサン・ローランもやった事が在りますよ!!古い、器用なデザイナーなのでしょうね。)
 この彼女の3月28日付けのインターナショナルヘラルド・トレビューン紙では今までの彼女の経験と関係事実から一生グループのA・ポックとCdGの新人ブランドのTAOを大きく取り上げ、コレクション関係ではYAM YAMはパトリックがロンドン出身のためもあってだろうか、あとはTHEATER PRODUCTSを評論記事的に書いたのみ。さすがにこの英国人モード評論家の冒険心と反骨精神と問題意識を美的に刺激するまでの東コレ・ブランドは皆無だったのだろうか?
もう、彼女が好きな、あのUNDERCOVERがパリコレで見せているレベルの魅力的挑発的反骨精神を持ち備えた後発デザイナーは見つけられなかったのだろう。
 バイヤーたちは売れるものを嗅ぎ付けて買うのが仕事だから其れなりの物を探しに何処へでも行くし、来たとしても当たり前。海外のジャーナリストたちはわざわざ自分たちのコストを使ってまでもこの地へ、このコレクションを見には来ないであろう。見に来る必然性や興味が、余りにも「Far East」 過ぎるからである。招待されてこれだけのリアクションしかないのが現実のレベル。
客入りがいいから、ノリがいい、オミズ系とその筋の芸能人が来るだけで今シーズンのトリになってしまったDC が余計に惨めにも見えてしまう。誘うほうの思惑もそのレベルなら、誘われる方も大いなる勘違いとケチな下心だけでやってしまうまでの品格の無さは、これも現在の東コレを象徴。彼らを大いなる勘違いへ、豚もおだてられれば木に登るまでに勘違いをさせたのは2年前の『毎日ファッション新人賞』であろう。この年ではこのブランドが貰っていい賞はモネシャンドン賞で十分だったはず。自分たちのプリント素材をプロパガンダする為の、ある種の不純さとヒネ具合を持ってスタートしたテキスタイルデザイナー、10年歴のブランドであり既に、其れなりの企業形態になってしまっていたこのブランドはその受賞後すぐに三井物産との資本提携をもくろみ見事に成功。他に、苦労して小さな未企業形態で1枚のカラーコピーも思うままにならないで自分たちの世界観を丁寧に上質に創造しようと励んでいたインテレクチュアルな小規模なブランドも多々あったはず。例えば、この審査をした女性審査関係者たちは実際にこの服を試着してまでして審査をしたのであろうか?
 
 何故かと言うと、このブランドはこの時期まで完全に着る女性たちを美しく見せるための「分量のデザイン」、即ち、「バランスをデザイン」する事が殆ど皆無であったはず。このデザイナーの育ちが90年代初めに文化のメンズ科を卒業。したがって、パターンメイキングが出来ない。卒業後、同窓生6人で合同ショーをしている。呼んで貰って行った僕の目では彼の作品は只のスタイリストショーに過ぎなかったのを憶えている。以後、プリントデザイナー、即ち平面、CADデザイナーでしかなかったこと。従って、いつもヴィジュアル的な発想でしか服が作れて居なかった。自社のプリント素材とフリルと厚手素材の足し算でバランスを逃げた見た目のデザイン。だから、ショー時がこのブランドレベルの最高表層イメージの世界。(その多くは芸能人向け御手軽撮影にそのレベルのスタイリストたちが派手・見栄えするが故に使って表層化しただけ。)実際に、女性が試着すると品あるバランスが取れたデザインが出来ていなかった。これが僕の理由である。
又、現状ではこの賞自体も今後、継続して行くのならその在り方を再考しなければ、かなりの無理があるだろう。
 ここから確実に、日本の現実の東コレ・レベルが「ノリと観客動員数とオミズ的芸能界」指向へ。そう、水と同じように、『高きから、低くきへ流れるまま』になってしまった観を感じてしまうのは筆者のみか?

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 今シーズン、気が付いたことは海外で好きなファッションを学んだ人たち、帰国デザイナー
の幾人かは地味だが、確実な彼らたちの世界の進歩は今後の日本のモードをどの様に本当の意味での『インターナショナル』なレベルへと進化さすか迄の面白みを持っていた。彼らたちはコンセプトが作れる。それを然りとした自分の作品に3Dデザインできそして、そのコンセプトからのイメージングでインテレクチュアルでよりエモーショナルなプレゼンテーションが出来ていることが彼らの強み。本当の創造性には金の力や芸能界的小さな嘘の上塗りは不要な世界。
(アントワープからの瀬尾英喜(現在、日本人初のA・アライアの所でスタージュ)セントマーチンからのヨシ・山縣、インダストリアル・カテゴリーの横塚そして、10年住み慣れた巴里より帰国して群馬県の実家でデザイン活動を始め、ルーツを再確認し始めたコレクションのTAGOなどは気をつけよう。)

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 最後に、結果、ニュアンスのデザインが大雑把になってしまったデザイナーたちや、彼らたちが作りましたと見せる東コレでの新しさは、やはり、この時代になっての[カワイイ!!]が新陳代謝し始めて来ている事である。多分、15年程が過ぎたこの[カワイイ!!]も時代と共に変質変貌し始めたのも今シーズンの東コレの本質的な新しさでもあろう。

 POTTO,mercibeaucoup,Ne-net,MINTdesignsそれに、myeinなどがこの「トウキョウ・新・カワイイ!!」ムーブメントの起爆剤だろう。
 彼らたちのデザインの中から読み取れるコードは、[スタンダードが備わった人間としての、自由さ、おおらかさ、それに、ナイーフさも忘れてはいけないし、ユーモア、アイロニーそれに、周りに振り回されないつよい自我と自分たちらしいリアリティとゆとり、それらをポジティフに組み立て構築して行くデザイナーの等身大的知的さとニュアンスでデザインされているポジティフ・オタクなコーディネートファッション]である。
 TRICO,ZUCCA,JUNYA,TUMORI,I.S.、TOGA,MINA等のルーツがここにあることを忘れてはいけない。

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 終わりに、作られた服が大味になってくれば自分たちの着こなしに、彼女たち所謂、年頃の眼差し、真剣なおしゃれに対する心と自由さのニュアンスが伺えるのが、多分今も、一番の「トウキョウ・ファッション・リアリティ」であろう。
 彼女たちは日本発のファッションカタログ誌で毎日、毎日学習して来た賜物であろうかまた、10数年前に初めて、この彼女たちの学習結果を堂々と紙面に組み込み「街・スナ」という造語を生み出すまでの、ストリートでのナマのおしゃれ感度をページ化し編集し紙面化した[CUTIE]誌以降のトウキョウ・ファッション・メディアが敢行した独自性の「功」も忘れてはいけない。 街角で出会う重ね着を一生懸命、上手に自分流にスタイリングしコーディネートして十分に楽しんでいる彼女たちの等身大的リアリティを東コレ・デザイナーたちはどの様に学んでいるのだろうか?実際に、いつも東コレ・デザイナーの先を走っているのが彼女たちのトウキョウ・リアリティでしかない。この現実を読み、学び、謙虚さが見られないデザイナーたちはもう、既に終わり。
文責;平川武治:

 これは『Le Pli 2006春号』より抜粋。
今回のLe Pliは5月末発売予定。
各メゾンのコレクション時評は本誌でお楽しみください。

投稿者 : take.Hirakawa | 2006年05月28日 02:59