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総論的、パリ・コレクションが終わって、晩秋の巴里。’06 OCT.

『 シーズンが終わったばかりのこの街の白々しさは好きです。
あれ程までに、会場を埋め尽くす為に「群衆」化してしまうほどの人たちが何処に行ったのか、突然に居なくなってしまうこの街のマジックもまた、魅力の一つ。

 気が付いてみると’85年来この時期になると僕もこの街の魅力や友人たちに会いたくて通い続けてしまった一人。
正直言って、少し、永過ぎるようです。

 モード、そのものが、もう既に以前のモードとは違ってきてしまっています。
 当然ですが、モードを育む環境としての社会やそこに住む人々たちの生活意識や様式がその実体としての【リアリテ】も、そして【ネオ・リアリテ】も、総てが変化し過ぎてしまった後に来たのがこの21世紀。ある意味では、もう一度、総ての環境も社会も「人間」が中心の「人間」の速度による「人間」の心の在り方を軸とした社会と生活様式をその中での「デザイン」を考え始める時期に少し、近づきかけているようにも感じられる時代性を予感で来たシーズン。
 
 生きている人間の「実体」としての又、自分自らの「リアリテ」としての「身体」を一番大切だと感じ始め、それへ自らが投資し始め、健康や安心と同じレベルで自らの身体の美しさをバランスを想い始めた事。これらへ、気が付いてみると「服」よりも既に多く、投資している事実。社会でのこの傾向は決して、時代が貧しかった時期には「夢」であり、「願望」であったはず。社会が豊かになり始めてここまでの余裕が出来たことによる、今までに無かった新しさとしての社会現象の一つが、社会の表層としての「モード」が持っていた役割へと新たなスタンスで近づき始めたと読んだシーズンでしたが。
 
 かつてのモードは階級社会のイニシアティブを持っていた人たちによる「FAMME OBJECT」でスタートした世界。そのための男の身嗜みとしての「HOMME」はダンディズムと言う思想のルールの中での楽しみ。
その後、’80年代はじめより、男が男を想うことも社会の表層の一部となり始め「HOMME OBJECT」 がこのモードの世界のもう一方のコンセプトになる。以後、’80年代後半から’90年代はこの「HOMME OBJECT」に翻弄されてそれなりの女はより、見られることのみへ、又ちょっと違う所にいた女性たちは自分たち自身の生き方や思想までもを探し始め、「モード」の世界へまでも辿りつき、「モード」で感じようと試み可能性を探し始める。
そして、21世紀になり、生活の豊かさが一応に手中に入ると今度は自分にとっての「リアリテ」を想い始め、不安になり始める。ここで「モード」はこの時期から「PROTECTION/PROTECTS」という最も古いコンセプトが再燃され始める。ここでは、『イメージ』から『リアリテ』へ、モードの主体も変化したと読める。
 そこで新たにモードに加わったのが「SPORTS」「UNDER WEAR」そして、僕流に言う所の「SEX」。これらが今世紀に入ってからの「豊かさ」とその裏側の「不安」のアンバランスから生まれた新たな「モード」。これらは僕の視点ではみんな「PROTECTION/PROTECTS」がコンセプト。身体の機能と心のヒーリングそして性差と性そのものとを「モード」によってプロテクッションし始めたのがこの21世紀の新たな「モード」の入り口。
 今シーズンではこの「性」を考え、女性が持つ「リアリテ」として投資した「身体」の美しさをバランス化し始めたデザイナー達が先を走った。
 
 着ているブランドやデザイナーモノの「服」で楽しみ、見せびらかしたり遊んだ時代から、着ている服ではなく、着た服によってより、「身体」(=「リアリテ―生活」)を楽しみ、見せびらかし、安心して遊ぶために着る。時代性が今。ここに来て、大きく変った「服」と「身体」の関係のパラドックス化。変わりない、「イメージ」ばかりで遊ぶことに飽き始めて来たともいえるでしょう。イメージは所詮イメージのみ。「リアリテ」を作れなくなってしまったバーチャルな世界。「エモーショナル」なるものも所詮疑似体験としてのエモーション。彼らたちは「サランラップ世代」そして、TV,TVゲーム、まんが、MTVなどからの感動は総て、疑似体験感のみ。
 
 それだけ、現代の女性たちも、ゲイたちも自分たちの唯一の「リアリテ」としての「身体つき」をいとほしくも大切に想い始め、それらに気が付くと服以上に既に投資している現実性。これは今までに無かった「新しさ」の社会化。当然「モード」はこの先端に委ね我がもの顔をする。
ディーテール・デザインやプリントそのものが主役ではなく、もっと堂々と着る人の「身体」と「性」そのものを美しく見せるための、上品に見せるためのプロポーションをバランス感でどのようにデザインしてあげられるかまでがこれからのデザイナーの役割へと変化。だから「ボディー・コンシャス」。身体のシェープさと動きに委ねた「オプティカル・プリント」、ショートミニのための「ハイウエスト」、そのための「ショルダー・ポイント」そして、「トランスパーレンス」「ジョーゼット」「シフォン」。やはり、時代は「保守化の進展」のみへと。クラッシク、オーセンティック、べーッシク、トラディショナルそして、ロマンティック、エレガンスはエモーショナルとともに。しかし、実はその裏側には若者たちの新しい彼ららしい『STREET』が。その異相は『身体で遊ぶ』事。そのための「服」を「My I Help You?」の心が必要。即ち、「愛」と「ロマン」が。

 それに、もう一方では「たるみ」始めた身体をどの様に美しく見せられ続けるかの為のここでも、「PROTECT/PROTECTION」が「縛る」(フェティズム)までの表現も続くであろう今後。』

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  この『時代の身体つき』の変化に気をつけよう。
先ず、服を買う以前から、それ以上にもう、既に自分たちの身体つきに投資をし始めてきたご婦人たち。
自分たちの身体つきの変化に対してあらゆる可能性で既に、それ相当のお金を使い始めてしまっている彼女たち。
頭髪は染める植える付け足す,もう自由自在。顔は基礎化粧品を塗りたくってプチ整形から小じわ取り
身体の付き過ぎた脂肪をエステ、フィットネッスへ通いつめ、ダイエットをして矯正補整まで。そして、足。
勿論、ピアス&ボルトそれにタトゥウとシャドウまでの直接的装飾までも施す現代。
ここまで自分の身体を触りいじくった時代があっただだろうか?

 当然だろうが、ここまでの身体をどのように見せるかまでの『時代の身体つき』が大切なコンセプト。
そこで現れてくるのが『ボディーコンシャス』。日本の「ボディ・コン」とは総てのクオリティが違うはず。
ただ、単純に体の線を見せることよりもその線がどれだけ金がかかっているかまでの贅沢さをより、リアルにエモーショナルに見せるまでの「ボディーコンシャス」。
そのため選ばれた身体に纏いつくまでの感触ある素材と色とプリント。だから「オプチカルプリント」も新しい。そして、それらが感じられるまでのスタイリング。
身体をプロテクトしたスポーツユニフォームのデザイン化によるアウター化とカジュアル化で今世紀が幕を開け、心と気分をプロテクトした下着のアウター化が続きそして最後が、性をプロテクトするまでのフェティシュな「ボンテージ」モノとその週辺としてのウエアラブルなボディーコンシャス。
男が男らしさをモードの中に再び引入れたことによって、女は女らしさを自分たちが磨き上げ投資して来た身体で勝負の時代がここに。その時の性はいつも変わらぬ性差のシンボル。
これも、時代が「保守の進展」をもたらした新しさの一つ。
ダンス、現代舞踏それにバレーが面白くなってきたことも忘れてはいけない。  文責;平川武治:』

投稿者 : take.Hirakawa | 2006年10月16日 03:14 | comment and transrate this entry (0)

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