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2010年02月22日
ARCHIVE 原稿/新たなファッションビジネスの為に。「アジテーション;『20世紀を忘れろ!! そして、本質を知ろう。』」
新たなファッション環境とそのビジネスの為に
僕たちの今生きている時代とはどのような時代であり,
それを踏まえた上で今後,どのような時代性と時代へ
僕たちは生きて行くのか?を考えてみよう。
現在に起こりえているいろいろな状況を読み、
今がどのような時代なのか?
そして今後、この延長上にどの様な時代が到来するのか?
これらを思い巡らす時には当然ですが「時代の価値観」を考え、読まなくてはならないでしょう。
アジテーション;『20世紀を忘れろ!! そして、本質を知ろう。』
既に、9年目の今年はもう21世紀の10分の1近くが過ぎている。
確実に、僕たちは21世紀に生きている現実を意識しなければいけない。
その時に、『20世紀を忘れろ!!そして、本質を知ろう。』は結構,大切なコンセプトになる。
即ち、「全く新しい時代へ」を意識し、考える機を逸したのが日本ではないだろうか?
そして,その結果が今であろう。
わが国の政治には国体を考えた21世紀はこう在るべきだというビジョンがいつも存在しなかったし又、現在も存在しない。環境問題が大きく表層を現し、これに世論も当然ながら影響を受けその方向性は正しいがその背後に存在すべきはずの「本質」は感じられない。僕たちの国を思う心、自然を思うこころからの環境問題ではなく消費社会に向けての表層のみを思う短絡的な消費社会の『エコ』運動が論じられている傾向が強い。
20世紀の価値観の一つ、「時間/距離/スピード」を文明化した自動車産業がこの機に及んで見事な崩壊を見せ始める。
そのコンセプトは『距離/時間の短縮の消滅』現象とも読める。
IT産業の高度なる発達に伴って、新たな「生活機器」の一つとしてのPCがより手軽に一般普及化し、その情報処理によって我々の地球が狭くなる。そして、グローバリズムと称したある種のネオ-コロニアル主義の台頭とバーチャル・リアリティの普遍化。経済に於いても、その結果としての紙幣経済からバーチャルマネー経済が始まる。
又、ケイタイの高度・多様なる発達によって、事実上の「距離の消滅」化が始まりコミュニケーションツールが、デス・コミュニケーションツールとなる。
20世紀末で記憶に残しておかなければならないことは、
その世紀の変わり目に起り始めた幾つかの消滅し始めた特徴である。
1)文化と社会の区別、領域の消滅。
M.ジャクソンは人種、ジェンダーをコンバージョンする
2)実態と内容を無視して表層としてのスタイルを強調。
ヴィジュアリティ、ブランド性、何よりも見栄えが大切。
3)高級文化/芸術と大衆文化/芸術の区別、領域の消滅。
文化+アートの消費化、ラップミュージュック、グラフィティ、
4)時間と空間の境界の消滅。
ハイパーリアリティやバーチャルリアリティの世界、ゲームの世界。
5)メタ物語の衰退と変革。
世界の枠組み、グローバル構造とイミグレーターたちの新世界。
(D.ストゥリナチ著/『モダニティとポストモダン文化』彩流社刊)
これらの変化、革新は必ずその表層としての『消費社会構造』に何らかの影響を強く与え始め、続けるだろう。
高度な技術革命が我々の日常生活にもたらしたものはその便利さや便宜性と共に一方では、人間として生きるための『本質』や『本意』の不在性や不透明性をも、もたらし、与えられた「自由」の裁量にも不安を感じ始める。その結果が綿密に構造化され、与えられた『マニアル社会化現象』の現在の日本である。
その影響の一つでもあろうか、わが国でも「少子化」現象が始まる。
自分たちの国を想い、愛することが出来ない若者たちは『自己満足と自己肯定』な発想へ流れ,子供を生むことや大人になることにまで躊躇してしまっている。その結果が『少子化』や『草食性』若者の登場、他方では同性愛者たちも増え、セックスレスの若者たちも増える。このままで行くと国家の衰退化へと繋がることも考慮しなければならない。
今の日本でも、個人のアイデンティティに不安を感じ始め、自らが自分を騙したり、痛めつけ始める。変身願望や入れ墨、人体改造とプチ整形迄。そして、24時間音楽、コスプレ、かぶりモノ、アニメ、漫画、ブログマニア。
アキバというバーチャルの産みの里に彼らたちは自然発生化し、増殖化する。バーチュアル・リアリティに嵌る若者たちとその向こう側には、俗信的なレベルでの「神頼み」へ奔り、精神主義者と称される若者たちも増加する。
それらを揺り動かそうとコンヴァージェントする時代の波は若者たち迄も「保守の中庸化」が時代性となり始める。
「保守の中庸化」で考えられる時代の価値観は,
「家で・みんなで・安心という心地良さ」がコンセプト。
*家で;家を中心に、室内と屋外、昼と夜、、、
*みんなで;友人、恋人、家族、同僚、、、
*安心;心の安心と身体の安心そして、環境の安心、
そのための機能性を考え始める、、、
*心地良さ;楽さ、快適さ、のんびりさ、自分主義的コクーン。
そして、ファッション商品とそのビジネスにも、
「新・階級化社会構造へ」というベクトル。
「心に楽しく、身体に優しい」というクオリティ。
「アイデンティティを再発見、再感動のためのザ・ニッポン」
というテイスト。
これらが「20世紀」という流れの連続性から考えられる価値観と
その現れとしての社会化現象でしょう。
*
ここで、アジテーション、『20世紀を忘れろ!!そして、本質を知ろう。』を考えてみましょう。
もう、20世紀の後半は来ません。80年代も、90年代も戻って来ない。
来るのは21世紀と言う新たな価値観が必要な時代が、90年代の始まりのアーカイブをベースにして、実は、もう来てしまっているのです。
その基本発想は『本質を知った上での関係性の確立』が大切な根拠性。
**
資本主義の今後を考えてみると大きくは2つの新たな方向性が考えられます。
そのひとつは従来からの、20世紀を引き継ぐ構造がより肥大化する考え。
これは「独占資本主義」とでも呼べるまでのものでしょう。
ここまで来てしまったのだから出せる国家の「エゴ」、企業の「エゴ」
そして、個人の「エゴ」はどんどん出すことによっての現状肥大と維持化。
もうひとつは「共棲資本主義」とでも呼べるものです。
共に分かち合い出来るだけ「エゴ」を少なくして
みんなで責任を持ち合って共生してゆこうというもの。
ここで、共生してゆくための価値観の括りは政治性でもなく思想でもなく、
もっと自由な個人の生活者意識レベルでの括りの中で、
人間の大切な生活環境を守りながら個人のレベルだけでなく人間のレベルと、リズムで生活して行こうと言う発想。
ここでは個人の経験によって持ち得た価値観とクオリティオブライフの成熟度が
大切なキーワードになる豊かなる少衆化の資本主義構造。
例えば,かつての「ヒッピー」たちが思い描いたコミューン思想の昇華スパイラル化。
同じように『関係性』を拠りどころとした対峙する資本主義、
その一つがキリスト教的な「弱肉強食」社会の肯定と、
もう一つが仏教、儒教的な「想い合うこころ」によって生かされるという社会への望み。
進化した消費社会の日本でも最近、出始めた言葉に「共費社会」がある。
これなどは「共棲資本主義」を考慮したところでの言葉であろう。
***
20世紀の最終コースから始まった、「距離の消滅化」とは、
例えば、国と国。女と男。そして、作り手と買い手等、など、、、
このような関係性における「距離の消滅化」もこの21世紀の新たなコンセプトの重要な一つでしょう。
「国と国」の関係性は民族と民族の関係性へと拡大進展化してゆくでしょう。
この地球上で共産主義、社会主義というイデオロギーを持った国家の比率はますます少なくなるでしょう。
従って、今後は資本主義国家間における民族と民族との関係性が即ち、民族主義的なる国家がより、強力化、拡大化してゆくというコンセプト。
「女と男」、このジェンダーにおける性差の「距離の消滅化」は
より、人間的なる又、地球人たる発想の下での「女と男」を考えられるようになるだろう。
即ち、我々は女であり、男であるけれど、「だけど、人間だね!」というまでの新たなコンセプト。
「作り手と買い手」の関係性における「距離の消滅化」はもう既にプロシューマーと言う名で登場していますが、彼らたちのこれからは自分の作りたいものを作れる環境と状況はより狭くなるでしょう。
時代がもたらした豊かさによって、作り手からも、買い手からも、その欲望は両方からさほど、必要がなくなり始めるでしょう。
それほど、普通のものが高品位と高水準と低価格へと一般化して来たからです。
これが「進化」と言うものですね。
20世紀の延長としての新たな価値観の模索はもう、通用し難いまでの時代性が現在です。
例えば、現在のグローバリズムとはネオ・コロニアリズムであるという発想を持った時には20世紀を飛び越して、
かつての「植民地時代」のバーチャル・リアリティ化、バーチャル・イメージ化は一つのアイディアであるかも知れませんね。国家規模より、民族規模が新たなスケールとなるのですから。
****
現実の巷の日本は例えば,ファッションビジネスの世界も完全に「黒舟」到来で目覚め、騒ぎ立てている。
それは未だに、変らぬ『シングル・スタンダード』しか持ち得ていない大半の国民性の現状でしょう。
『本質』を見極める為の知識や知恵がその教育の一番の元であったはずが、いつの間にか『本質』はどうでもよくって、表層のみを、与えられた『マニュアル』さえ覚えこめば式の偏差値教育から社会構造と環境に至るまで、いたって単純な単細胞的なるシングルスタンダードの国民性へ成り上がってしまっている現実。
かつてのように『農業立国』や『工業立国』へ完全復帰が出来ない現実も考えないで、『再・鎖国論』さえも、もっともらしく表層化してしまうほどに、僕たちの『シングル・スタンダード』発想は普遍化してしまっている重症国民病でしょう。その一つに『自分の夢』『個人の満足』観が異常に強い志向性であり,『自己肯定』で自己防衛している狭い世界での自己満足型の若者たち。従って,国のため、社会のためという発想が未熟児的なる国民性もこの『本質』に無知、無教養であることの現れでしょう。
*****
先ほどの、「共棲資本主義」の進化を新しさと考えると、
新-国民服的なる制服の時代が予感されます。これが『ユニクロ』の登場でもあるでしょう。
それと並列した自由服としての『黒舟』もの。これらは「h&m」「21 forever」で代表されるでしょう。
新たな感覚での『UNIFORMISM』-『制服化』は多くの意味で、今後の繊維業界の一つの目玉になるでしょう。
豊かさと自由さをそれぞれのフレームとしたところでの『制服』、これにどの様な素材感とデザインがなされるかは一つの興味ある発想。
『ユニフォーミズム』の到来?とは、
気がつけば、誰もが、何らかのところの『ユニフォーム』を着て生活している?そんな時代。
『流行』とはトレンド物を着る事から自分たちの棲み分けのためのユニフォームとなるものを着ると言うまでの
分衆、属化現象が『流行』?スポーツジム、ゴルフクラブ、余暇サークル、コミュニティ活動、ボランティア活動などいろいろな『気概』を通じての「階級化社会の形成化」へ。
『気概のユニフォーミズム』も新たなコンセプトでしょう。
この辺りが新たな繊維産業の可能性へ繋がって行くとも考えられる社会の変化。
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日本的環境と都市構造と生活構造しての『コンビニ』環境をどのように取り組んだ都市生活者構造とそれらをターゲットにした新しい商業構造が組み立てられるか?そして、今後、しばらくはホットな流れになるであろう、『衣、食、住、装』という自分生活環境のテイストとクオリティからまとめ上げるMDが消費構造そのものになるまでの『カテゴリー・ミックス』が始まるでしょう。
例えば、「コンビニのあるセレクトショップ」や「デパ地下とセレクトショップ」など。
もう既に、現実の都市はより過疎化し始め、都市の中心はショールーム化してしまって実際のお買い物は豊かな人たちは自分たちが住んでいる地元で、という地域社会とのコミット化。
若い世代や家族たちも郊外のアウトレット・モールか、ネットのショップまたはオークションで上手なお買い物がより現実と頻度を増し始める。
15歳以降の日本人が今後、どのような生活環境を持ち得それが世界レベルとどの様な差異が在るかを見極めることも一つの視点。
この15歳以降は生まれてくると既に、PCが存在する生活環境なのです。
ここでの彼らたちの『脳味噌』がどのように日本的に変革をしてゆくのか?
僕は、もう、ここに一つの拠りどころを感じ始めています。
ここでは『ウサギと亀』のお話はPCを駆使して興味あるサイトにワープし,
大いに広げられる『ヴァーチャルな関係性』が発展進化する時代性がより,現実化へ。
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今世紀の始まりを待たないでも、BIO、DNA組み替え、新エネルギィー、サイバービジネス、個人レベルとヴァーチャルレベルも含めた知的著作権それに例の、宇宙開発による再世界参入、これらが新たな世紀の「利権戦争」の主戦場でしょう。
20世紀までで既に、あらゆる既成なる『利権』を地球規模で搾取して金を儲けてしまった階級者たちが向かう新たで、より激しい『利権』戦争がこの分野なのでしょう。
そんな世界からファッション産業はどの方向へ進化してゆくのか?または置いてきぼりを喰ってしまうのか?
ここでも、バイオや遺伝子組み換えによる新たな被服素材を開発し、バーチャルイメージにおけるビジネス戦略の多種混合化と新たなイミグレーターたちとの混血化による新しい日本人の登場、これらの『豊かさのリーミックス化』で高度、広範囲化なヒューマンビジネスと考えるビジネスの在り方もやはりファッションの世界に関係してくるのがこれからの世界観には必要でしょう。
我々の『金本位資本主義社会』は良く見て、『共棲・金本位制資本主義』に限りなく『自由』に揺れ動き、流れてゆけば未だ、それなりの可能性と人間らしさが失われずに生きて行けるでしょう。
が、ここに古呆けてしまった20世紀の『イデオロギー』による『独占資本主義』進化論を持ち出してしまうと元の木阿弥へ。
『HAPPY,PEACE & FREEDOM』
かつてのヒッピーが叫んでいた声が、やっとぼくたちのアメリカ印の日本の生活現場の後ろから
若い純粋なニュージェネレーションたちの声とスピリチュアルリズムを志向し始めた30代から聞こえてくる時代が確実に、一つの新しい時代を迎えるでしょう。
都市のベクトルは『郊外』型へ、郊外でうけているものが都市へ流れ込むベクトルも読めますね。
なぜ、郊外かと言えば、未だそこには『自然』が存在しているからです。『土』が在るからです。
そして、『住民』が住んでいるからです。
『黒舟』に対抗するには『土』しかないかもしれませんね。
また、それぞれが持ち得た生活の豊かさから“レジデンサー”が
新たな『本当の顧客』だという判断も必要な時代性でしょう。
決して都市へ集中するようないわゆる“スベニーヤー”たちはいい顧客ではなくなり始めたということです。
おわりに、
なぜ、『20世紀を忘れろ!!』なのかの本質は
国民の大半がもう既に、『豊かな生活環境と状況』を現実として経験していること、
また『豊かさのイメージ』のみを追っていた世代が疲れ始め
彼らたちによる新たなペイジが開かれる時が今だからです。
これからは『豊かさと穏やかさのリーミックス、サンプリング、リーメイク』が
モノ作りにも商業施設にも、そのコンセプトとして大切になり,必要なのです。
そして、此の時、もう一方で大事なのが『時間のベクトル』の質の変化を読む事でしょう。
そんな時代観を感じています。
文責/平川武治:(初稿平成21年2月/再編集平成22年2月):
2010年02月20日
DISCIPLINE会の皆様へ,『アート天国 「虎の巻」2010 Art Tengoku - Enter the Tiger』参加のお知らせ。
「 山茶花は うもれ枯葉に 紅朽ちし 」
こんにちは、お元気で、機嫌良くお励みのことでいらっしゃいますか?
ここ2年程,余り変化ある活動を行って来なかったのですが,
今年は僕がモードの為に巴里へ通うようになり25年が経ちます。
こんな年なのでもう少し積極的にそして,
好きなモードに新たな好奇心をいっぱい持って関わって行こうと考えていた矢先に,
此の様な機会を友人の皆さんが与えてくださいました。
ファッションの人たちもそれぞれ与えられ、持っている折角の自由さを
或る種の自己肯定の為になのでしょうか,
狭いフレームの中に閉じ籠ってしまっているように感じてしまうのです。
そんな今の眼差しを持ってジャンルの違う人たちとの
コミュニケーションに僕自身も新鮮な期待です。
お時間があれば是非,ご参加くだされば楽しいです。
ご自愛とお励みを、平川武治。
平成22年2月17日:
アート天国 「虎の巻」2010 Art Tengoku - Enter the Tiger
僕のお座敷は,
2月26日(金) Feb. 26 (Fri)
20:00 -
トークショー: アートとファッション 「ファッション的視点からのアート」
ホスト: 小林隆臣 (服飾デザイナー)
ゲスト: 平川武治 (モードクリニシュエ)
ゲスト: ヴィヴィアン佐藤
ゲスト: 三嶋章義 (アーティスト/デザイナー)
此のアートイベントの詳細は下記のブログにて,
http://arttengoku.exblog.jp
2010年02月13日
The Original Interview Lee Alexander McQueen in London '94.
nterviewer/TAKE.Hirakawa:
Media/The SWICH on March '95:
I was deeply grieved to learn of the tragic death of you,Lee.
Thank you so much for your passion with everything magical technic through La Mode for me.
With deepest sympathy,
Take. HIRAKAWA:
" To premature mortality epidemic. Shall receive what is fashionable, but there is so much heavier light. "
By Jean Cocteau:
セントマーチン校’92年の卒業生は豪華メンバーが揃っていた。
加賀美敬、フセイン-チャラヤンそして,リー-マックイーン。此の年は未だ,ミセス-ウエンディーが学部長として在任最後の年だったと憶えている。(その後、彼女はRCAへ。)当時,彼らたちの共通の友人に巴里に居たあの,田村千晶がロンドンでスタージェをしていた。僕は彼女にコンタクトを取ってインタビューがしたいと。そして,迷って結局、リーからインタビューをお願いした。理由は彼が当時では一番、プロ意識が高かったと記憶している。が、実際には一番未だガキっぽかったからだった。
内気でナイーブそして、寂しがり屋なリーは機転の利く鋭さも持ち合わせていた。その彼が写真さえも撮られるのをいやがった。丁度,当時のボーイフレンドと別れた時だったからだろうか? 否違う,それも引掛っていただろうが,それ以上に彼自身は一途さを持っていた。持ち得た『理想』が,いかにして『現実』と言う狭き門をくぐり旅発つ事が出来るのだろうか?と言う時期だったから余計であっただけだ。2度のインタービューを試みた。そして,写真を学校の裏通りに在る学生たちもよく行く,ロンドンでは珍しいいい雰囲気のフレンチカフェの2階。彼が指定してくれた。彼が好きだったカフェ。そのトイレの摺りガラス戸に内側から自分で顔を押し付けてそのシャドウを撮らせてくれたリー。
『多くのプレスに関わるのはとても容易な事だよ。そして、死ぬのも早いよ。』
彼の此の言葉が、今は僕のこゝろを辛く,とても悲しく響き,残された者の惨めさを味わう。
永い間会っていなかったね,リー。
何時までも『悪ガキ』で居れれば良かったのにね
どうか,ママに会っていっぱい,甘えてください、リー。
ゆっくり,お眠りください。
ありがとう,美しい世界をありがとうございました,リー。
合掌。
タケ:
12th. Feb.'10
インタビュー/
【TAKE.: どう?ビジネスのこと話せる?
LEE.: あまりよくわからない。日本でのビジネスが良いとか、どこが良いとか分からないし、あまり意味のない事だ。なぜなら、人々が好きな服をみつけて、着て、フィットさせてるんだし・・毎シーズン、僕はムードで作っているんだ。この日はデビル、ゴシップ、次の日はテクノロジー・・といった具合にね。だから毎シーズンが社会への僕なりの革命なんだ。
TAKE.: クリエーションがいつもかわるというのは、あなたのエゴから?
LEE.: それは僕の信念(conviction)だよ、僕は神でなくてただのデザイナーなんだよ。
TAKE.: でも、人々は貴方の事を偉大なデザイナーと思っているでしょう?
LEE.: そうだね。でも皆がそういっているからそう言っているだけだよ。一人が言い出して、そして皆が言い出て・・僕がICAの話をしているとき、女の子が来て、「貴方ってマゾ?」て聞いたんだ、「何でそう言うの?」って聞いたら、「貴方が私をみにくくするから」ってね。で、「僕のshowを見た事ある?」って聞いたら、ないって言っていたよ。
TAKE.: 何で彼女はそんな事言ったのだろう?
LEE.: さぁ、僕は9年程ファッション界にいるけど、ファッション産業は普通じゃないよ。くだらない事がたくさんあるんだ。彼らは、彼らが何で僕のことを天才だって言うかさえわからないいんだよ。僕の言っている事がわかるでしょ。もし、僕がジャケットの上に糞をしたとしても彼らは僕を天才と呼ぶんだよ。
TAKE.: じゃー、そうするの?
LEE.: もうやったよ。(笑い)
TAKE.: 最近で,尊敬しているデザイナーは?
LEE.: 他のデザイナーの中で僕が唯一、尊敬しているのはマルタン・マルジェラなんだ。マルタンは誠実だから。
TAKE.: 誰が自分に一番近いデザイナーだと?
LEE.: 人に似ている事に何の利点があるんだ?僕は僕自身だよ。マルタンを尊敬していると言ったけど、それは彼の態度や彼の観点についてであって、別に彼のやり方やスタイルにじゃないよ。
TAKE.: 男が女性服をデザインする時についてどう?
LEE.: 女性から極端で最大な視点を得ないといけない。僕は強い女性、時にはフェミニンでも、大半は強い女性に服をデザインするんだ。僕の周りにいる人々によって、それらはデザインされるんだ。僕の友達、レズビアンの子達は、彼らがそれを気に入れば言ってくれるし、もし僕がマゾ的であったら、それも言ってくれるんだ。プロポーションや服はとてもセクシーでテクニカルに見えるけれど、僕は男として可能な限りの見方で、女性をベストに引き立てるようにしてる。ハイテクな素材を使ってね。それらは僕らでつくるんだけど、主として女性のプロポーションが理由なんだけど、バンブスター(?)のように、彼女達が背が高く見えるような幻想なんだよ。
TAKE.: 新素材を良く使っているよね?どんな女性に?体つきに対してですか?
LEE.: 強いマインドの女性に。僕の服を買う人々は、とても独立しているんだ。彼女達はファッションを追いかけないんだ。彼女達は彼女達が必要なものを追いかけるんだ。素材に関して言えば、ゴーストプリントっていう、新しいやり方のプリントを使い始めたんだけどね。それはイメージのように隠れた図柄を顔料でプリントしたんだ。そして、ゴールドのいぶした顔料をその上にプリントして、その次にケミカルをつけて、プリントをまるで,ゴースト的なイメージで作り上げたんだ。素材がとても固かったから、柔らかくなるように僕らの手で多くの行程を施して作ったんだ。それはハイテクな素材と、テクノロジーと共にトラディショナルなやり方で作り上げたコンビネーション-プリントなんだよ。
TAKE.: 実際に,”服が縫える”というのが貴方の自信になっているよね?
LEE.: 16歳の時から働き始めたんだ、9年間ファッション界にいる。サビルロード(サビルロー?)からはじめて、3年間テイラーとして働いた。そしてパターンカッターとしてテレビやCFのための衣装のシアターで働いたんだよ。だから歴史的なパターンやコスチュームの作り方を知ってる。サビルローではたくさんのパターンとコンストラクションがある。だから、服とは多くの手数を施されてコンストラクションされてるんだ。だから、僕は二つのコンビネーションを使おうとしているんだ。サビルローと今日のテクノロジー、古いものと新しいもののコンビネーションをね。
TAKE.: yohjiのパターンワークもしたことがあったよね?
LEE.: ニューコンの前にKoji tatsunoがyohjiとロンドンでブランドを始めた事がありそこで働いていたときのことだよ。僕が働いたのは、特別にハイデザインを一人のために作っていたオーダーメイドのサビルローのようで、とても良かった。
TAKE.: どのくらい、みんなで働いたの?
LEE.: あまり長くはなかった、6ヶ月くらいかな。yohjiとkojiが喧嘩別れした為に。
TAKE.: マルタンは貴方に刺激を与えますか?
LEE.: 彼はとても誠実だから・・それはとても精神的なものなんだ、貴方達はそれを彼の服の中に見ることができるよ。彼は服をばらばらにして、また元に戻すんだ。僕にはそれが、リコンストラクティングに思えない。(ディコンストラクション?)いつもコンストラクションとしてそれを見るね。
TAKE.: マルタンはセクシーさに欠けると思うのですが・・
LEE.: セクシーに思う。Very flattering。あのせまい肩なんて僕にはとてもセクシーだしプロポーションはとても賢いよ。
TAKE.: 1969年の”欲望”(原題”Brow up")という映画に、マルタンのアイディアを2つ見ることができるよ?知ってる?
LEE.: その映画の事を聞いた事はあるけれど、みた事がないんだ。
TAKE.: マルタンはとても勉強していると思いますか?
LEE.: 服を仕立てると言う勉強はしているとは思えないな。それより観察力が鋭いと思う。鵜の目鷹の目で探していると思う。それはとても小さな事を自分の眼でキャッチしてる事なんだ。
TAKE.: Vogueに、イザベル(故Isabella Blow)について、
LEE.: ファイナンシャルサポートは彼女はしてないよ。彼女は世界を見せてくれるんだ。例えばThe queen through her・・彼女はエキセントリックで、服が大好きで、ファッションをとてもよく知っているんだ。何が良いか悪いかをわかっているんだ。彼女はインスピレーションに長けているんだ。
TAKE.: デザイナーにとってサポートしてくれる人は必要だと思います?
LEE.: そうだね。もし君がクリエイティブフィールドで働いていたとして、僕が思うのは、君はクリエイティブな人に囲まれてなきゃいけないってことさ。クリエイティブなものにもね。君は全てを、誰かが言った事を、吸収する事になるからね。そして君は、残りをはき出すのさ。
TAKE.: あなたにとってファッションデザインとは? 難しい質問ですか?
LEE.: 少し難しいね。ファッションはパーソナルに変わってくるんだ。とてもパーソナルなものにね。僕にとっファッションはお金儲けのためじゃ決してないんだ。もし僕がお金が欲しいのなら、ベルサーチや他のデザイナーのもとで働くよ。僕が思うにファッションは "Fashion is getting more to the love of clothes" 前より好きになるだけの値打ちのあるものになるんだ。それは、1 to 1 thing なんだ。それは布のコンストラクションについてなんだ。とても時間をかけるものなんだ。今、お金というのはとても怖いもの。もし人々が?800ポンドをジャケットに費やしたとしたら、とても美しいコンストラクテッドのジャケットを手に入れようとする。キャンパスパッド付きのね。家づくりと同じようなプロパーコンストラクションのをね。
次のコレクションはとても規模の小さなものになるんだ。25くらいのアウトフィットでビスポークテイラーを使ったものに。ビスポークはミリメーターでコンストラクションされてるもので、とてもfineラインなんだ。一人の人、その人に誂えたものなんだ。フィットするかしないかのもの。もし君がサイズ12なフィットしない、14にしないとね。最終的には、服はmateのサインになる。人々に注目を得るために、服を着るとか、自分の気分をよくするために着るものになる。
TAKE.: 他の人とチームを組んだり、他の仕事をもってます?
LEE.: いいえ。オリジナルラインだけです。ショールームがパリとミラノとNYにあり、NYはミックスされてる。パリはM・Mでミラノはフランザンチーニ、4コレクションすでに行ったんだ。
TAKE.: 世界中に名が知れ渡りましたね?
LEE.: 本当に,パリでもかい?
TAKE.: そうなりつつありえるし、そうなるよ、きっと!!
LEE.: それは少々茶番に思えるな。彼らは何かを得たいし,新しいものを奪いたいんだよ。
TAKE.: それって,凄く危ないことだね。
LEE.: そうだね。多くの罪があるよ。
TAKE.: 名は知れてるが実際には,1店輔でしか服を見られないが・・
LEE.: それは僕の選択なんだ。”1対1”風のが好きなんだ。僕が売っている店は、ペリカーノっていうんだけど、そこの人は僕の友人なんだ。それは、何かスペシャルなことをペリカーノにしているって感じなんだ。違う事をするし、発送も遅し。時間をとやかく言うことがとても嫌いなんだ。僕は、服に時間を設定するのは不可能だと思う。コンピュータを買う訳じゃないし服作りは、時間とともにするもじゃない。僕がペリカーノにしているコレクションは違うもので、とても特別なもので、僕とアシスタントによって作られた、特別に、ペリカーノのためのものなんだ。それが僕のパッションなんだ。
TAKE.: では服を売るのはとてもパーソナルなことなのですね。
LEE.: そう。僕が欲しいものは、家だけ。僕が一番怖いのはホームレスになることなんだ、イギリスではこのことが最も恐いことなんだ。世界中どこでもだと思うけど・・僕が欲しいのはセキュリティーと家だけなのさ。そんなにたくさんのお金はいらない、だから単に楽しみたいのさ。僕が思うのは、お金は人々をめちゃくちゃにするものだってこと。多くのお金は人々には良くない。僕は心地よくありたいだけで、そして好きな仕事を楽しみたいだけ。
今回のコレクションはready to wear 、世界中で売られる(写真をさしながら)。もし君がMcQueenが欲しければ、ペリカーノに行くんだ。なぜならペリカーノは世界中で初めて僕を見てくれた店だし、とても親切でフレンドシップ風の店なんだよ。
TAKE.: マルタンと君のデビューが似ていると思うが、先ずは自分の情熱しかない所からのスタート・・
LEE.: 僕が思うのは、自分自身を保ってベストを尽くす事、お金に影響される事なくね。だって、多くのデザイナーはお金の事を先ず,考えているだろう?もし僕がお金の事を考えていたら、今、僕が一銭もないなんてないでしょう、僕はファッションに情熱をもたなきゃいけないと思う。
TAKE.: マルタンは、イメージクリエイティブに長けているけど,・・
LEE.: そうだね、僕にすれば、僕はまだ若いんだし、プレスも店も僕が育つための時間を与える必要があると思う。別に眼を向けるなってことじゃなく、僕はまだ成長しているんだし、毎シーズン変わっているんだ。マインドもアウトルックも変わってきてるし、こういう事をするのにも、僕は時間を与えられる必要性があるんだ。例えば,アナ・ウィンターに会うつもりだったんだけど、会わなかったんだ。そして、10ページのThe Faceにするつもりだったんだけど、これもしなかった。多くのプレスに関わるのはとても容易な事だよ。そして、死ぬのも早いよ。
TAKE.: 次のコレクションについて話してくれない?
LEE.: ”very sad”について。前迄の4シーズンはとてもハードだったんだ。僕は成長するのにもっと時間が必要なんだ。僕はテクニシャン、クラフトマン、テイラーとしてはじめたでしょう。ショーを始めてからというもの、ビスポークテイラリングから離れられないんだ。コレクションの中の一つのジャケットもパッドのないものはないよ。次のコレクションはとてもビスポークなんだ。これはエドガーアランポーを基にしているんだ。彼の仕事ではなくて人生についてね。彼と僕を比べて言うと、彼は詩の天才で作家だろう、でも彼はとても苦悩の人生を送ったんだ。僕は同じ事を今思えるよ。何でかって、僕はファッション産業が大嫌いなんだ、自分がしたい事をしようとしていると、いつも誰か止める人がいるんだ、とても悲しい事だね。
TAKE.: 君はファッションデザイナーorドレスメーカー?
LEE.: 僕はいわゆる,デザイン画と言うものを描かないんだ。コレクションのためのスタイル画は全くないよ。誰も紙の上にジャケットを描けない、みんなそれを実物で見なきゃいけないよ。絵だけの,ファッションデザイナーはみんなジャケットをデザイン出来ないよ。不可能だよ。全て実物の身体の上で、ダミーの上でじゃなきゃ。僕のしているパターンカッティングは16世紀のテクニックなんだ。それはアーキテクチャーのアイディアをベースにしたカッティングなんだ、トラディショナルなやり方のコンストラクションで仕上げてゆくジャケット。(完)】
合掌。
協力リ-ライト/Z.KATAGIRI:
2010年02月03日
或る友人への手紙-3;
お元気そうなメール、ありがとう。
もう,2月になってしまったね,寒くなってきた巴里での生活は如何ですか?
B.でスタージュを為さっていらっしゃるそうですね。焦らず、物事の本質を学ぶような時間の使い方を為さってください。
現代のような時代性の一つは『POP社会=消費社会』の泡沫化現象でしょう。
「MICRO POP」或いは、『After the reality』とコンテンポラリアートの世界で言われている状況とも似通った時代性鴨知れませんね。もう、塊としてのPOPが通用しなくなり、普遍的になってしまった社会性。もしくはより、蔓延化してしまっただけの状況。これが今の時代性とも言える「スーパーフラット」な現象でしょう。そして、『豊かさのイメージ』を追うに疲れた姿か若しくは『豊かさを享受』してしまった微温湯の中での彷徨いか、「中庸」を選択してしまう優柔不断な自己肯定に依るコンサヴァティブ状況なのでしょう。(世の中すべてが、既に200%、POPでありそれがフラットになってしまったね?)
昨年末、読み直した本に『キッチュ』が在りました。(法政大学出版局刊『キッチュの社会学』?)
創造とデザインの世界では『キッチュ』性がより全面へ出て来るでしょう。B.も所詮、キッチュでしかなくこれがウケル時代性でしょう。例えば、ニコラの後ろには嘗ての大きなPOP以前の強い洗練された塊があったことを理解と認識の上でのデザインディレクションをしているのが彼の賢さですね。
「Kitsch」の世界もしくは歴史又は現象とその内容については改めて、学ぶ価値ありです。特に、ドイツ、オーストリー圏はその発祥とメッカですからね。ある時代の文化が円熟し荒廃期に差し掛かると表層化して来るのが『キッチュ』現象。
もしかしたら、『江戸POP』や『アキバPOP』『ゲームPOP』『渋谷POP』なんかも僕たちなりのキッチュ-ジャポニズムと読めるかもね?
そう,BAMAKO'09の写真展は凄かったよ!!
甘っちょろさが無く、みんなラジカルなこころの様を自由さに委ねて表現している写真は今のモードのただ表層と小手先を加えただけのそれらには見られないもので驚きとより、好奇心が。しかし、この「好奇心」を虚栄心と安直な安心の上にすり替えてしまってとてもつまらぬ時代の微温湯に浸かってしまた『迷える子羊』にはならないでくださいね。
旅をしてください。
与えられた『生という時間』は自分の人生という道への旅をするために与えられた時間であると考えることも出来ますね。例えば、B.でのスタージュも『旅』だという発想も可でしょう。
良く,『すっかり,時代が変わった』と言う言葉が出ますが『時代が変わる』ということは、『時が進化して螺旋階段を上りつつ、』ということですね。
その進化とは、何がどのように進化したのか、どれ程の位相が付いての螺旋階段なのかを学んでください。これは自分が持ち得たリアリテから感じ知り得るのが直感的でしょう。それをロジカルに理解する為に学ぶという行為が必要ですね。此の両方のバランスが自分らしさの根拠性。
もう、『ウサギと亀の話』では亀ではだめですよ!! ウサギになってください。
目標さえ持ちえれば、亀でなくウサギですよ!!ウサギは『飛べる』という特技がありますね。亀は甲羅が在る事によって守るだけの機能しか持っていません。だから真面目に只、只、歩くしかないのです。
戦後の、あの時代背景を背負った日本人の新たな生活を取り戻す為には「教訓」として『兎と亀』の童話の解釈が在りました。しかし、現代ではその社会状況も環境も変化しました。兎が持っている機能としての『跳ぶ』ことが出来る特技を使って、いろいろな体験やそこで生まれる『関係性』が大切だと言いたいのです。でも、何処かで昼寝をしているだけでも駄目ですね。昼寝と同じような只、微温湯に 使って、彷徨っているだけでも駄目でしょう。『目的』に向かう為に堂々と出会うべき人たちとの出会いの機会が得られるような“旅”が必要ですね。経験と時間の使い方そして、その時にどれだけ、自分の中身が在るかでしょう。だから、何を学び、誰と出会いどのような時間を使い、持ち得るかが大切な心得でしょう。その時、もう今の時代性では亀さんよりウサギさんだと思うのです。これは僕がよく言う『シングルスタンダード』と『ミックススタンダード』の違いでもあるでしょう。亀はS.スタンダード、ウサギはM.スタンダードを持っていると。一つの自分の行動から生まれ得る可能性ある新たな『関係性』をどのように広げ、継続してゆくかが総ての始まりであり、その結果が友情であり、愛情であり、家族であり、ビジネスでもあるという現実とその本質を知ることは大切でしょう。
昨日は雪が積もりましたね、巴里にも。
寒いでしょうから、健康には十分に気を付けてくださいね。健康在っての総てです。これは僕が26歳の時に肺病で1年療養生活をした経験から学んだ本質です。
『ユニフォーミズム』
これが今僕が想っている言葉。
昨年の8月15日はある記念日でした。
そう,ウッドストックロックフェスティバルの40周年だったのです。
僕はレンタルヴィデオやでDVDを借りて1週間見つずけても楽しく、凄い感動でした。
あすこには『未来』があります。
これについては次回にお話ししましょう。
僕たちが今想い考えなければ成らないことは,
今後10年先,20年先の日本がどのような国に成るのだろうかということです。
子供たちが自慢出来る国に成るのでしょうか?
僕は彼らたちが自慢出来る国にしたいのです。
余りにも自分たちの目先のセンスの悪いことばかりに無駄な時間とこゝろと金を使い過ぎる社会になってしまっていますね。
変わらぬ資本主義であれば,その資本主義がどのような資本主義に成って行ってくれれば良いかを考えませんか?
ここからがスタートです。もう『20世紀』は忘れよ!!です。
そして,『ウサギとカメ』の新たな解釈が必要な時代性でもあります。
今年に行われる上海の「世界万博」が終われば,僕たちの国は大きく、何かを負い背負わされるでしょう。もしかしたら,国自体が『亀』になってしまう恐れも考えられますね。
『自由とは恐怖でありしかも、孤独である。』
『I came to this city 25 years.
Mode through the things I learned in the end, human beings can make the original creation and of human nature have earned nothing but inspiration and depth of experiential learning and personal freedom.
Will create a sense of balance is the essence of good sense and intellectual level of freedom and humanity have earned it. Therefore, the collection and I have the opportunity to discover its essence is very happy. This is a generation or nationality or gender, and its creator, just the fundamental things that you ignore the times. And this is certainly one of the acts of human happiness.』
“Thanks a lot for my 66years brithday,Take.Hirakawa:”