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昨日の”友人への手紙”から返って来た事の一つと、PARIS HOMME COLLECTION S/S '12
昨日の”友人への手紙”を川久保さんへも見て頂くようにプレスを通じてお出しした。
その答えが展示会へ伺って返って来た。
『川久保はジャケットを”破壊”したいのであのような女性のもののディーテールを使って表現したのです。それだけの事です。』と言うコメントがプレスを通じて返って来た。多分、この後には「私はあなたが言っているような理屈ではなくただ、そんな気分だったのでこうした。」と言う言葉を付け足しがなされるのであろうか、いつものように。
”ジャケットを破壊する。”このデザイナーらしい言葉使いであるが、既に今までにこの手法は幾度も繰り返しなされそして、現在のこのデザイナーの立ち居場所とブランドの在り方そしてビジネスの継続がなされて来ているはずだ。そして何よりも、ここには『HOMME OBJECT』の領域をこえる破壊力は存在しない。
僕はこのプレスからのコメントを聴いた時に『今、ジャケットと言うものを”破壊”する事が大事なこゝろの在り様で、僕たちが”知ってしまったこと”に対しての想いを訴える,伝えたいと言うこゝろの在り様より強かったのだ。このデザイナーはどちらが大事なのだろうか?』と言う青い浅はかな疑問を持った。
『“ジャケットを破壊”する事と、例えば“時代の新しさ”や”“新しい時代を生み出したい。”そのための自分なりの感じ方や思いを時代観を表現したいが為に考え、念い選び、つくり出す行為とはこのデザイナーの内においては同レベルの価値なのであろうか。』と言う迄の事を考えてしまった。
”今”と言う僕たち、日本人が持ち得てしまった3.11以降の時代性の元では何よりも“ジャケットを破壊”する事が表現したかった事だったのだろうか?或は表現しなければならない手法であったのだろうか?
モノを変える事と時代性を思いそこに或る種の問題意識や美意識を表現し絡めるこの行為即ち、創造を、僕が尊敬するデザイナー川久保玲から今、最も多くを感じ取りたいという思いと願望が強かったためにこのような疑問を持ったのだがこの言葉を聞いたとき僕の身体の中からこの疑問に対するエネルギィイが引いてしまった。
このブランドの”立ち位場所”はもう既に決まっている。
自分がやりたい事とそうした今に至る創作活動の努力と結果と連続から周りの人たちからもそのように認められてこの、ブランドの立ち位置が決まっているし,決められている。この自分たちが願い、又そう観られているこのブランドの”立ち居場所”を利用し、現在までの存在が在る。このような強いブランドは当然だが、極少である。また、このタイプのブランドを他に捜す事も現在のようなファッションデザインの状況下では在り得ない。これがこのブランドの強みであり総てである。この”立ち居場所”を持つ事が凄い事であり、次にこれを表現し、継続してゆく事もより、大変であり本当に至難の業である。そこには努力と才気と信用と資金と関係性が必要である。そして、その結果がビジネスにおける継続を産み出している現実もある。多分、この“立ち居場所”の事をこの世界では“うちらしさ”と言われている言葉なのであろう。
『今なぜ、ジャケットを破壊したかったのですか?』と言う次なる質問を本心、聴きたい。
が、これは野暮な質問である。ここにはあの『裸の王様』が存在している。現実のファッションと言う実業の世界の事であるからこの世界から自分たちの”立ち居場所”をどのように設定し、継続させるか?そこで、この『破壊』と言う言葉が機能する。
ジャケットと言うメンズファッションには非常に解り易いモノを一つの記号としてこれを”破壊”する事で次なる意識下へメタモルフェーゼさせるためのリアリティであろうか?そして、未だ、このような時代性が現代なのであろうか?
モノの革新を表現する事とモノの亜流を生み出す事の違いのとは、その因り所の違いとは何のだろうか?
僕の答えはその当事者だけが持ち得た『こゝろの在り様』の在り様でしかない。
この事を今回のCDG-HPのコレクションを拝見させて頂いて学んだ事であった。
ありがとうございました。
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ラフシモンズのコレクションは変わらぬ“RAF-ISM"を精神性として、まとまりの在る素材感と素材の組み合わせの技法と手法にそして彼が選んだ色の世界に彼の時代に対するこゝろの在り様を観た。見慣れたチェック素材を使って奥行きを感じさせる構築的なパターンを平面上へ変換するまでの手の込んだ縫製手法と今にも浮かび上がるまでのグラフィズムを使ったコンビネーションは一つの世界観までも表現させた。そして、彼の嗜好する世界の男の子たちへ丁寧に手渡すが如くのこのデザイナー特有のセンスにこゝろが伝わった、好きなコレクションであった。
彼ももう既に、ここへ来て彼自身が何処に立ち位置を決めれば良いかを熟知してしまったかなり早熟な才気あふれる僕は好きなデザイナーである。
僕流に言えば、『パジャマとベッドウエアー』が無かった潔い良いカッコいいコレクション。
そして以前に、未だ早い頃の彼が、ラ-ビレットで行なったときのコレクションのイメージを思い出して喜んでいた。
いつも感じる最近の彼のコレクションの手法に『ジルサンダーとラフシモンズ』と言う”入れ子構造”を感じてしまう。この入れ子構造には2つの入り口がある。しかし、ラフは一人である。と言う事はラフのこゝろの在り様は元々一つであるということ。この当たり前な矛盾と詭弁が彼の現在の立場での強い手法になっている。彼のコレクション準備に始る”こゝろの在り様”はこの状態の時には”カオス”でしかないであろう。
ありがとうラフ君。
ANNのコレクションは多く観られた、『パジャマとベッドウエアー』それに気に入った風のヴィンテージなジャケットに装飾性をミシン刺繍でこなしたものとベストの組み合わせ。その組み合わせがANNらしさでまとめたもの。
蛇足ですが、ここで、パジャマとは『安らぎへのための衣服。睡眠と言う一番のやすらぎへのために着る衣服。』ベッドウエアーとは『心地よさの感覚を望むための衣裳。即ち、性への誘いのためのコスチューム』この感覚は日本人には馴染みが薄い。が、これがこれからの新たなモードのひとつの潮流へ。このレベルで言えば、僕の友人の事で恐縮であるが、ドミニック君の『PAJAMAS』やむらたあきこさんがやっと、始めた『MA』と言う生まれて間もないブランドを思い起こす。ここにも『新-当たり前主義』的なスノッブな感覚と『HUMMAN OBJECT』のコンセプトが見取れる。
豊かさを享受した市民生活者における『当たり前さ』は100人100様である。が、その中でも幾つかの相似タイプが生まれて来る。この事が”潮流”を即ち、”トレンド”を見つける手法である。
ゲイプラウドのパレードの当日に併せて行なわれたB.ウイルヘルムのコレクションはジムでのゲイ仲間たちに声を掛けてみんなで愉しくやってしまったと言うコレクション。彼がやれば、こんなにも沢山の人たちが見に来てくれるコレクションが出来る事が、彼の性格と才能のすばらしさ。となりに座っていたジャーナリストが『こんなに売れないものをやっているのだから凄いね!彼は!!』と。その事に尽きる。でも、確実に数点のアイテムは新しさを提案した面白いものがある事とアースティックなグラフィズムにユニークさを見つける事も出来るも確かな彼のコレクション。
変わらぬ自由さがあふれ無邪気な若者デザイナー、気持ちがいい。下心だけで動いている輩が多くなり、こんなデザイナーも全く少なくなった時代性だから、応援したい、がんばって行って欲しい大好きなデザイナーである。
ありがとう、バーナード!!
ありがとう、巴里。
文責/平川武治 6月26日/ST.=CLOUDにて:
投稿者 : editor | 2011年06月26日 21:41 | comment and transrate this entry (0)