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久し振りの巴里で交換した幾通かのメールより。

 太陽を 追ってちかずく 灯る巴里
 会の後、幾通かのメールを頂きました。
それぞれが、僕が学ばなければならない多くを示唆して下さっている内容でした。
変わらず、おこゝろ、ありがとうございました。
 *
 僕の未熟さを見抜いての、言葉足らずを救って下さった“瘤ドレスと中川先生”の関係性。
ここから始めましょう。
 僕の経験からの見解では当時のCdGを救ったとも云える“瘤ドレス”の件の本質は、
中川先生との出会いでした。
激しいまでの美しさを生むお人のこゝろの有り様とお軀の実態。
この所謂、超現実。
これに接した時に感じられた衝撃とその後の衝動。

『驚き』+『美しさ』はより、激しさを持った『感動』や『感激』であり、
そこにこそ美意識と想いを入れ込んで出来上がるものが”特意性”あるもの。
そして、初めて見る畏敬による”モノ”としての服。
人間の躯つきまでを変えるものとしての”服”がここに存在したのでしょう。
瘤という見掛けの形態とその内面の美しさが根幹だったのでしょう。
例えば、J.コクトーの”美女と野獣”ですね。

今までに”なかったあやういモノとそこに漂う美しさ”
ここまで考えられた川久保玲の”瘤ドレス”が生まれたのでしょう、きっと。

「表層のカッコ良さから目覚めた眼差し。」
とでも呼べるあやうい美しさなのでしょう。
が、その根幹は一瞬の眼差しの交差だった。

ある時期、嘗ての’90年代の半ばは、
例えば、もう既に古くなってしまったご存知のあの当時のアントワープ校でも
“表層のデザイン”、形骸的なる驚きを服化する事を
西洋人の美意識外への方向性へ委ねて、
そこに現在に生きる女性像を重ねあわせた”特殊性”として
教えてしまっていた。
あの頃は未だ、“イメージ”が先行していた時代でした。

結局は自心のこゝろの有り様を覚悟し、重ねあわせるのか?
自心のこゝろの有り様の差異を写し取るのか?
その時の眼差しの広がりと深さを何処までに?
ただ、表層を切り取る事は容易な時代になってしまった。
写真ででも、言葉ででも、モノででも。

『 頭はすぐに忘れます。
こゝろは感じます。
躯は覚えています。』ひらかわ/
この三位一体が今後のクリエーションの一つの根拠性へ?

では、これからの新しさとは何で時代の表層を切り取るべきなのか?
ここで僕は一昨年から“五感”を学び始めました。
身体における五感、
仏教における五感、
哲学における五感、
モノに現れた五感、
作品に使われる五感、
生活に必要な五感、
そして、”五感”とは、

視覚+聴覚+触覚+味覚+臭覚=五感。
結局はこのバランス在る”調和”とは?
時代を象徴出来るバランスとしての”調和”とは?
そのとき、服とはどのような佇まいとありようを見せるのだろうか?

僕が言って来た、現在という時代性は、”視覚+聴覚”がより、先攻、先鋭化してしまった
時代性というほか在りません。
これでは人間”という哺乳動物が、
この生命体が益々、異型化して行く進化は拒めません。
新たな時代への、新たな”五感のバランス化”という問題を定義しなければ、
四足歩行から二足歩行へ進化した人間が一番進化した感覚は“視覚”だったのでしょう。
が、

今は、『皮膚感覚と人間のこゝろ』/伝田光洋著/新潮選書刊というのを読んでいます。
学ぶところが多く、興味たくさんの内容の本です。
“皮膚感覚”で作るイメージ。
“皮膚感覚”でデザインする服。
“皮膚感覚”で読む評論。
“リアリティ”が先行してしまった時間軸には
“皮膚感覚”に因って、躯で覚えてもらう。

頭脳が先行するのみの時代は後退してしまった。
理屈でこね回す世界はカッコ悪くなる。
"日常”をどのように経験して感じるか?
この様な時代性では“皮膚で感じる”事の
直感が一番的確でしょう。
その時の形容詞とは?
ぞっとする、ざらざらする、粘り着く、むずむずする、冷ややかな、温もり、
よだつ、痒い、くすぐったい、こそばゆい、ひだるい、気だるい、
寒い、熱い、暖かい、冷たい、ふんわり、じゅっくり、滑らかな、つるつる、、、、、

日本の従来からの”美意識”を表現する言葉は
この皮膚感覚/触覚感覚の言葉がその大半でしょう。
http://www.sony.co.jp/Products/SC-HP/cxpal/vol82/pdf/angle82.pdf
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/31247/1/WasedaNihongoKenkyu_01_Hosokawa.pdf

 **
 友人から紹介されたアーチスト、Gordon Matta-Clark。
http://en.wikipedia.org/wiki/Gordon_Matta-Clark
川俣正がインスパイヤーされたアーチスト。
川久保さんたちの世代ですね、ちょうど。
ほぼ、僕と同時代の人。35歳で夭折しています。
双生児で、建築を学んでの活動。
彼の作品はあれだけの”遊び”をするに、相当の学んだものが在っての
それに対する“狂気”と“覚悟”の世界でしょう。

 「われわれはただ賭けるだけである。
それが生きることだからである。」/大森荘蔵:

あの時代には未だこの“賭ける”というこゝろの有り様が
一つの強い生き方であった時代でした。
彼は’68年に巴里へ来て巴里大へ留学しちょうど、当時の“MAY'68"革命に遭遇し、
参加もしたらしいですね。都市を”美しく壊す”という発想が当て嵌まる一つであれば
もしかしたらこの体験に因るところも考えられるでしょう。
『フィロソフィー』+『美意識』+『愛』+『生き方』+『社会性』+『日常性』
此の関係性の途中での現れる”ノイズ”が若しかしたら
”狂気”を生み出す要因なのかも知れません。
また、当然ですがそこにも”覚悟”が要りますね。

 ある時から、総てが”ゲーム”に構造化、組織化されてしまった社会構造。
そこで見事に、惨めに”飼いならされて来た僕たち。”

そこに巨大なるこの時代のパワー構造としての
”資本主義”構造が“自由主義”というルールを携えて、社会化し、日常化し始めたのも
この’60年代から。
そして、いつの間にか、この“自由”というルールがマニュアル化させられ
総てが”ゲーム”化し始めた’70年代。
確か、’60年代は“ハプニング”でしたね。
“シュミラクル”と”パフォーマンス”そして、今では“イベント”。
広告代理店の仕事に成り下がってしまったのが現実。

ここには”哲学者”が必要なくなり始め、代わって
資本の流れに都合良い事を構造化するための“理屈屋”である
”社会学者”という立ち居場所が出来始める。
彼らたちとそんな社会の現実化をバックアップするところの”広告屋”がたちが今度は
“情報社会”という自分たちに都合の良い構造を表層化し始めたのが’80年代でしょう。
そして、それらに必需である”マネー”の流れ、即ち、金権資本主義の登場とその仕組みの
“マネーゲーム”という”ゲーム化”の出現。そして、ここに登場したPCという
ブラックボックスを利用したゲームが“仮想”化された手法が仕組まれたのが’90年代。
人間が未来の世界観を覗き見したいという願望が”芸術”という世界と手法を
こゝろの有り様で”芸術家”という立ち居場所の人たちが生み出したとすれば、
現実の”仮想社会”が構築され始めるとこの“芸術”の世界もゲーム化され始めたのが
21世紀へのプロローグで在ったかもしれません。

 こうして考えてみると、これらが現代である総ては、“過去”に成ってしまったのです。
そう、僕たちは”現代”という”過去”に生き始めているのです。

 ”また、僕たち、人間として生きて行きたいよね”という人種たちが生き残り
求めなければならない事とは?
ここに、新たな”賭け”が必要であり、その“賭け”に参加するため、勝つための
“決心”と”覚悟”が必要。
その為の、新たな”自心のこゝろの有り様”とは、
“決心”とは??????
”結心”で在る事の誠実さへ。 

 Gordon Matta-Clark、彼の展覧会のヴィデオは
この時代に生きた人間の”賭け”と”覚悟”によってやはり、潔い自分の世界観を構築した
作品群です。全く、シンプルで斬新、だからカッコ良い!!
これがまた、建築専攻だったというから驚きというか、納得。
まわりの建築家ぶる事に煩わされている若い建築家や学生に見せつけたいくらいですね。
構造を理解しているから、切るべき切りどころを押さえているのでしょう。
http://www.youtube.com/watch?v=-NOad-06Ms4&feature=player_detailpage
この論文も併せて読まれると興味が広がります。[作者/平野千枝子/山梨大学]
http://www1.doshisha.ac.jp/~bigaku59/youshi/h_12_2_1.html


 ****
 巴里には、何か、いつも新しさを感じさせる気配とその状況を生み出しても居るので
愉しくも、好奇心が僕のようなものには大いに働かせてくれます。
これもこの街が持っている魅力である潜在力の一つでしょう。
東京にはこれが本質的には既に消費されてしまう構造の中での
新しさでしかなくなっています。

そのパワーには凄まじいものがありますね、
一番、誰でもが嵌ってしまい易い、
人間の解り易い”業慾”の近くに位置しているからです。
この、安直なる恐ろしさは
もうすぐ3年になる、あの『3.11』で多くの犠牲者と共に啓示された事を
忘れないように。

日本を発つ前に起った事の重大さとは?
きっと、今の日本に居ると気ずきずらい構造なので
気ずかずに居ようとしてしまうでしょう。
いろいろ、地球が人間たちの強欲に幾つかの警告を
タイミング良く発し、それらを受け始めたのではないでしょうか?
今年は世界レベルで日本と日本人が”覚悟”せねばならない元年になるでしょう。

巴里は思ったより、寒い空気が。
でも、春はもうすぐなのでしょう。
木の芽の脹らみが公園の樹木に
そのおさな姿を見せ始めていますから。


 *****
 以前に調べた事なのですが、『寂と侘』の事を想いだしました。
これからの”賭け”のためにこゝろするものは多くの中から選ばれたARCHIVES.と
この『寂と侘』の関係距離でしょうか?
この関係距離を20世紀のハードウエアリングを21世紀のソフトウエアリングと
全世紀のラブヒューマンウエアリングに因ってコンピューターリ-ミックスが可能か?
そこへ何を”賭け”るか?ですね。
地球、自然、人類、家族、友、そして、命、過去又は、未来??????????????
いずれにせよ、”取り返し”の効かないものを“決心”と共に”賭ける”しかないでしょう。

 『さびとわびについて,』/唐木順三著『千利休』より,:
 『寂』は無を根底としているのに対して,『侘び』は有と有との対比の観念である。
―巨大なものに対する狭少,派手に対する地味,豊富に対する欠乏,豪奢に対する謙虚でありながら,どこかに自己の優越を感じているという所に『わび/侘び』の世界が存在する。
 *
 元々『わび』の観念は“有”と”有”の対比の観念である。
このただの,対比だけの観念であればそれは西洋人たちでさえ持ち得た観念である。
 『わび』が『わび』と成りうるには,この観念の元で,そして,此の関係性のどこかで
作者の人間的優越なるこゝろの有り様が存在する所に『わび』が生まれる。 
 この人間的優越なるこゝろの有り様によって『わび』の世界に日本人特有の自然との
ともいきによる,こゝろのゆとりと調和が日本人の湿りをともなった情緒を生み,
“諧謔”や”哀愁”や”皮肉”さえも一つの姿を現す。
 **
 多くの日本人が、特に海外へ出た経験のある若い世代の輩たちは
それを外国人によって教えられたかのように当然の如く、
『さび』『わび』を簡単に、単純にさも,自分の言葉の様に使うが,
その大半の日本人の輩たちはこの『さび』と『わび』の世界観の相違が理解出来ずに
もしかしたら,ただ無闇に日本人ぶる事のワンポイントワッペンのごときに
使っているだけであろうと思ってしまう事が外国に居ると多くある。
文責/平川武治:平成二十五年二月二十一日:巴里市オウルレット街52番地にて。

投稿者 : editor | 2013年2月21日 19:16 | comment and transrate this entry (0)

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