« 久し振りの巴里で交換した幾通かのメールより。 | メイン | UNDER COVER PARIS COLLECTION, IT WAS A GREAT SURPRISE!! »

東博に於ける飛騨の円空展を見る。

 飛騨の円空展を見る/平成二十五年2月十日。

 円空の作品をこのように一度にたくさん見ることは初めてであり、嬉しい、
心地よい興奮と好奇心が軀中をめぐる良い機会であった。

 
 規模と会場は思ったより小さいかった。
列ぶ事なく、入場制限無く見ることが出来る規模だったので幸い。

 僕が感じ今迄、彼の作品が好きであった理由がはっきりと確認出来る。
その結論は、”神/仏+信仰心+民衆+自然+気+木目/節目=円空仏”という
実に解り易い、明解、明晰なるこゝろの有り様からの覚悟で生涯5000体以上を
作り上げたエネルギィーと結心に観る者への激情や情感を含むエモーションを
与える強さが在るという事だ。

 ここには、彼、円空の世界には、“媚びる”という概念が存在しなかった。
彼の生そのものが彼にとっては“媚びること”であるという迄の覚悟を持っての生まれから、
その後の人生が始まった人であるから、作品で”媚びる”という世界で仏像を造っていない。
媚びる事によって要らぬ装飾が必要になる。
媚びるためにそれなりの様式を重んじなければならない。
媚びるためにそれなりの大きさが必要になる。
これらを総て排除したところに彼の世界観がその中心軸に神仏観が大きな幹として
直立していた。
だから、木片でいい。廃材でいい。老木でいい。枯れ木でもいい。
円空のこゝろの有り様は総て彼の作った神仏像の”眼”の表情に現れている。
これだけ充分である事も彼は見ぬいていた。
一宿一飯と見窄らしい衣。
この様な姿であっても、このような彼の世界観がこの後世迄残せ、
観る多くの日本人にその時代時代による安心を与え、感激が与えられる。
ここには安っぽい西洋美学は入り込めない。
アフリカのシャーマンが造った木像や面など、
世界各地に残っているシャーマニズムが持ってしまった
ピュアーな神への畏敬なこゝろの有り様だけが入り込める相手である。
白人社会では11世紀迄のロマネスクにしか太刀打ち出来るモノは
余程のモノでない限りないであろう。
 彼、円空の世界には“プロパガンダ”という下こゝろがない。

 自分のためでは無い。自分の存在を、育ちを神仏心を持って"GIFT"として
どれだけの他者たちへ、彼の場合はそれが民衆へ何か出来る事が在る。
という迄のこれは覚悟を決めてしまった者だけが持ち得る自信であろう、
これを見せびらかすのではなく、実に、淡々と自分が出来る事を
神仏こゝろ100%以上に込めて為せる事を即ち、“GIFT"を残して行っただけであろう。
 
 白山信仰をその根幹として始められた彼の神仏への畏敬のこゝろの有り様が
為せた業でしかない。ここに、後世迄も観る者にその持ち得たこゝろの有り様を
重ねあわせる事で得られる安心が未だ生きているのであるから凄い。
多分、観る者に神仏こゝろが在れば在るほどにその尊さに自心を委ねたいであろう。
その多くの鑑賞者たちはどれほどの宗教こゝろが在って、重ね合わせて
観賞した事なのだろうか? 
でないと、その表層の形骸的な驚きだけで”良かった、物凄かった!!”という
例の、文化モノも消費される構造の中でしかの展観に過ぎないであろうし、
それだけの感嘆だけの展観であろう。

 彼のこの神仏を崇め拝む根幹であった”白山信仰”とは?
がまともに解説されていればもう少し彼のこゝろの有り様へちかずく事が
出来たであろうと、
この辺りの当時の日本人が持ち得ていた信仰こゝろの有り様が理解も出来、
より彼の作品の生まれでるまでの苦悩とその道程とそれを拝む民衆たちの
こゝろの在り方も感じられた事だろうと。
 
 若者は今回の展観を観て、“円空”の存在と彼の仕事と生き方に好奇心を持ったなら、
先ず、彼の全体像を知る事から謙虚に学んで欲しい。
本展観はタイトルの如く、”飛騨地方、千光寺を中心とした規模と範囲に限られた”
展観であるからだ。
 これは彼の世界観と彼が生きた証の僅か、100分の1ほどの規模と内容なのだ。
 
 興味を持たれた方が参考に読んで欲しいのは;
『歓喜する円空』/梅原猛著:新潮文庫刊

 幾つかの彼の足跡を訪ね、神仏こゝろと共に尋ね歩きたくなった展観でした。
ありがとうございました。
合掌。
相案相忘。
文責/平川武治:

投稿者 : editor | 2013年2月24日 00:18 | comment and transrate this entry (0)

コメントしてください




保存しますか?