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『倫理』のことをとやかく言うのは時代遅れだろうか? ”時代性に適合した『倫理』観の再考と提案を。−4”ー

 ”時代性に適合した『倫理』観の再考と提案を。−4” 
  『自然が環境であった人間に於ける環境と、技術が環境となった場合の人間の環境とは
相違しているのではないか?なぜかと言うと、環境は関係を変容するからです。』
 『これは結局、従来の倫理学は対面倫理学―顔と顔とを面し合っている倫理学―
であったがその対面倫理の限界が明らかになって、倫理は遠隔操作の及ぶ非知覚的距離に
於ける行為と関わりを持つようになって来たと言う事です。
 技術、生産はそれを媒介として不特定と多数の人々との見えざる関係を結ばしめる。』
『エコエティカ―生圏倫理学入門』より、今道友信著/講談社学術文庫刊より;
 *
 巴里で思った事を少々。
 今の巴里は既に、バカンスシーズン。
それは、この街の住民たちが入れ替わるシーズン、近郊のEU諸国の家族連れが目立つ。
それに未だに増える中国人が目立つ。 

 この街を訪れる外国人観光客が増えるシーズンになると働きがいが出て来る商売に
メトロのスリがある。メトロでのジプシーの子供たちによるかっぱらいやスリ行為である。
 彼らたちは4〜6人ほどが集団になってメトロの列車から列車へ、改札出口付近で仕事を行っている。
必ず、子供たちであるという条件がある。捕まっても少年法ですぐに釈放。
それに、彼らたちは巴里市郊外にイミグレーとしているパスポートを持てない連中である。
巴里で仕事を行って、郊外の所轄署でお叱りをうけるという構造が出来上がっていている。
だから当事者たちも然程、犯罪意識が無い。ジプシーの子供たちの通過儀礼的行為である。
結局、観光客が狙われて、観光客がとら取られ損という繰り返しである。最近では形式上、
日本語のアナウンスもメトロの各駅に入るようになった。
 
 今回発見した面白さはそんな彼らたちのファッションである。
もう、そんな彼らたちでさえ”ファッション”しているのである。
嘗ての彼らたちは未だ”フォークロアファッション”であった。
見ると、彼らたちはジプシーだ!という事が雰囲気も含めてすぐ解った集団であった。
ところが、今回は彼らたちに会うと、もうすでに”ファッション”を着ているのだ。
だから、彼らたちはどこから見ても周りから浮いて見える事が無くなった。
 彼らたちも“集団の夢”のフレームの中で生活が出来る迄の時代性になったのだ。
このリアリティは僕なんかはもう、金鍍金なキャットウオークを見るよりも痛快。
そのファッションの現実の面白さとして、改めてファッションの機能と役割を愉しく、
面白く、この街の新たなリアリティとして現実に見せてもらった。
 これは”豊さ”が日常生活への新たな可能性を生むという現実?そして、ファスト
ファッションの発展化?の現実だろう。きっと、彼らたちはファッションの凄さを、
面白さを、愉しさを実感している事であろう。こんな格好をすればより、仕事が巧くゆく
という事が解ったのだろう。

 これに似た事がこの街のリアリティにもう一つある。
ベルビル界隈やサンドニ界隈に“中国人売春婦”が目立つほどに仕事に勤しむ姿を多く、
見かける様になったのも最近である。彼女たちも、その着ているファッションが変化し
始めている。歳に関係なく、いわゆる、“ファッションセンス”がいい娼婦たちは忙しそうに
働いている。ここにも、ファッションの本質と王道が現在の”路上”においても
継続されている。

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 ある、テンプレート、
 モードのキャピタル、巴里も20世紀末期の日本人が賑わったこの街が今ではすっかり、
本土から進出して来る中国人たちと入れ替わってしまった。
’85年来からこの街でのモードコレクションを見る為に訪れ、棲み始めた僕にはその後、
この街のモードの人々の多くがユダヤ人たちであり、彼らがどのように自分たちの
ビジネスチャンスを世界レベルへ拡大してゆくかの、その時間と行為の繰り返しに
ある種の”テンプレート”が幾つか読める様になった。
 この時期はモードの世界が”新境地”をディスカバーリングし、大いなる富を求め始めた
時代だった。クリエーションとビジネスがバランスよく社会に寄与していた時代でもあった。
 結果、余計に現実としてその事実の中で僕もいろいろな体験と彼らユダヤ人たちと関係性を
持ち得ることが出来た。自分たちのビジネス発展への更なる可能性を多くの商才と才気
豊かなユダヤ人が日本人社会に求め、その直接の“OPEN DOOR"の把手に日本人女性たちが
ターゲットになった。折からの時代の風は”キャリアを積み、自立出来る女”の登場であった。
 自国のバブル経済と本人の多くは異性問題や仕事関係のノイズから自分を守る為、
キャリアを持つために所謂、新たな人生へのチャレンジを、その為には過去を消去したい、
”リセット”する為にこの街に憧れてやって来て語学学校で3ヶ月から1年ほどの語学を学び
少し、日常会話が出来ると次は、異性友達が出来る。当然だが、彼女たちはこの街の
ファッションに憧れ、学んだ中途半端なフランス語を携えてその周辺をうろうろした。
それが彼女たちにはカッコ良いと思えた時代でもあった。
 この様な女性たちはファッションユダヤ人たちの格好のターゲットとなり’90年代以降の
彼らたちのブランドビジネスの発展に、その大いなる日本人の“パワー”?を振る舞った。
そして、20年近くを経た現在、この様な日本女性たちと現地人の離婚が増加している。
滞在許可の問題、子供の成長そして何よりも、経験等によって外国でも生きてゆく為の
面白さと強かさを備えたからだろう。一方、“リセット”を終え帰国した連中も
当時のバブル経済の流れと共に、巴里留学を云う来歴を携えて”外資系”企業へ再就職を
果たし新たな”キャリアある自立”した生活を強かに生きる。

 この数年の巴里ではもうすっかりこの様なテンプレートは日本人に変わって、中国人が
その勢いを定位置にして主人公になってしまった。ファッションユダヤ人たちは
’90年代迄で構造化された日本とのビジネス構造とスキルをまったくの手本として、
もう彼らたちの本心は“中国”に有り始めた。
 嘗ての、彼らたちの手法を中国人相手に先ずは試みる。
そして、日本人と中国人の国民的性格とキャパシティの違いや『倫理観』の違いと
スタンダードの複雑さで戸惑い始めたユダヤ人たちも既に現在では現れ始め、
21世紀型のファッションビジネスへと、これからが新たな修整時期へと入ってくる。
 デザイナーの立場もそうである。ここ数年来迄、日本人デザイナーたちへの好奇心ある
眼差しは嘗て、あれ程に騒いだはずだったのに、今では皆無である。例えば、昨秋から
若手プレタポルテデザイナーたちを十人ほど集めてサンディカがその大半の費用と
広報をし、始めたサロン展示会「APARTMENT」にも日本人は入れてもらえなかった。
勿論、該当する日本人デザイナーがこの巴里には少ない事は事実である。概ね、ユダヤ人と
中国人で構成されていた。僕が思うこのプロジェクトに該当する日本人デザイナーは
この機会を与えてもらって次なるステージへ行く為のUNDER COVERでしか無いと思った。
が、多分このプロジェクトをプレスがU.C.を推薦する迄に至ったのであろうか?という
初歩的疑問しか無い。例えば、彼らたちはあのCdGがファッションユダヤ人たちの
”仲間企業意識”へ広がっただけで十分なのである。後は、今では“SACAI"の様にどれだけ
儲けさせてくれるジャポン-ブランドがあるか?でしかなくなって来た。
ブランドに“文化”が無いものは、売れる時に売リ、儲けられる時に儲けるブランドの一つで
あればいい。弱肉強食の世界だ。

***
 気が付けば、最も”嘗ての、農協的集団としての、
 そして、今年のあのイエールコンテストでも中国人新人デザイナーの大歓迎会であった。
言っておくが、一部の世界知らずたちが“IT'S"というコンテストをネタに
郎党を組んでいるが、このコンテストの”育ち”はそのスポンサー企業の広告宣伝の為の
客寄せパンダコンテストでしかない。日本人が受賞する時は本体企業の日本ビジネスの
業績が芳しくない時である。
そんなコンテストに出す為にタダ働きさせられてイキがっている、ここにも日本人特有の
優しく優柔不断で覚悟なき、世界知らずな、馬鹿な学校郎党が出来上がってしまっている。

 もう、「個人の夢」の為の時代は終わってしまったのである。
「個人の夢」の成就が社会を豊かにした時代は終わってしまった。
無論、彼らたちやその周辺のリタイア組の大学講師をしているB層的輩たちには
以下の事は殆ど、解らないであろう。
 
 今、なぜ、”モダンデザイン”の誕生期を思い起こさなければならないか?
デザイン”という言葉が一般化し始めたのはいつ頃かも知らない輩たち。
今、なぜ、『uniformizm』なのか?なぜ、”コスチューム”や”舞台衣装”が面白いのか?
今、人気のあるブランドとは?"I.Marant"や”ACNE"そして、“A.P.C."や“KITUNE"が、
あの”PLAY"が売れているのか?
今回のジュンヤのメンズコレクションを見ても解るように、“コラボ-デザイン”の限界は
なぜ今頃来たのか?
そして、巴里のモードは“サンチェ出身-ブランド”/マージュやサンドロやクーポルが
なぜ、そのビジネスを延ばしているのか?
なぜ、“R. Herman"などのライフスタイリングタイプのショップが売れて
今迄のセレクトショップやD.V.S.M.GINZAが終わりかけているのか?
なぜ、あのラルフローレンの売り上げが世界規模であれ程迄に成ったか?等など、、、、、、

 これらも解らず、リアリティも持ち合わせていなく、この時代観が感じられず、
このリアリティが読み込めないのなら、彼らたちが大好きな、ご近所芸術ゴッコ作品も
排卵出来ないであろう。また折角、登った教壇でも”昔取った杵ずか”しか語れないであろう。
 
 ファッションは、J.コクトーも言っているように未だに、時代の“逃げ足”が速い。
その持ち得た”早熟さ”で既に、『個人の夢』から『集団の夢』の時代を奔り始めている、
芸術や建築よりも、誰よりも早熟に。

 ここがファッションの面白さであり、全てである。
僕が未だ、愉しく楽しんで居られるのもここに根拠がある。
これがずれてしまったら、僕はモード評論廃業である。
 
 ファッションの世界の根幹の一つである「イメージ」が「リアリティ」と逆転してしまった
’90年代末期、イメージがリアリティを産み出せなくなり、反対に持ち得たリアリティが
イメージを産み出す迄に至った時から、この「個人の夢」はもう終わり、
変わって『集団の夢』が多くを語り始めたのだ。
 アイロニーであの映画『ZABRISKIE POIT』の有名なエンディングシーンの3分間を
ピンクフロイドのサウンドと共に愉しくクールに思い出そう。
 
****
 既に、”2等国”に?
 この現実は既に、ファッションの巴里でも僕たちの國日本は“2等国”に成り下がって
しまった風景の一つとしてこの様な中国人の進出が有る。
 今、それなりの彼らたちの思いは”願わくば、中国に於けるCdG”のようなブランドを
見つけられるか?育てられるか?自分たちが組めるか?がある。中国デザイン、中国生産
そして、ワールドワイドなビジネスが可能なデザイナー若しくは、資金力とブランド力ある
クオリティ高き企業を捜せ!!が現実なのだ。(現実は蜃気楼の如きであろう、
CdGはCdGで終わりであるからだ。)
 これが現在のユダヤ人たちと中国人たちのファッションビジネスを通じての経済的
絡み合いの一つの解り易い現実である。そしてその後ろに、ポリテカルなそれぞれの下心が
見える。『文化は武器』というスキルを持っての”世界規模”という発展である。
その本心は嘗ての『植民地政策時代』を彷彿させ、殆ど変わっていない。
国政が前に出てくるか、民力によるかの相違でしかない。嘗て、日本をある種の
『ファッション自由居留地』とする為に構造化されスキル化したこの手の“テンプレート”は
もはや、中国人専用に入れ替わってしまっているという現実が今の巴里である。
この“テンプレート”のキーワードは“フランス語という外国語によるコミュニケーション
ツール”と”外国人コンプレックス”という古いものでしかなかった。
 そして“中国”の次に待ち受けている大きいターゲットは“AFRICAN BLACK"の社会”である。
嘗て、ファッションが持っていたファッションの夢としての「個人の夢」の時代は
もう遠のき、この様な世界迄に、「集団の夢」として広がって来た、
『イミグレーターたちがターゲット』と言うこの国のリアリティ。

*****
 そして、もう一度、「個人の夢」と「集団の夢」について、
 今、ファッションに関わりたい人が考え思い悩む事とは、「集団の夢」に対しての
個人の関わり方である。どのように自分が学びもち得たスキルと価値観を持って
”実社会にコミット”するか?そして、産業に寄与出来るかである。
いわゆる、”恩返し”思想である。そして、國を想うこゝろが有るか?の責任感である。
 その為のこゝろの有り様が必要である。
その場合の”覚悟”が、”勇気”がどれだけ有るかでしかない時代性である。
そんな現代と言う時代性に未だ、「個人の夢」に逃げ込んでむやみにデザイナーぶっている
覚悟無き輩たちの哀れな自慰行為そのものと自己肯定。
そこには自心のリアリティ、経験から生まれ持ち得た『倫理』も感じられない
大半の輩たちである。大いなるズレからの自己肯定による“他人のプライドに縋り付く
自惚れ”集団化、ここでは所謂、“礼節”と思いやりが欠如してしまっている。
家庭教育がなっていなかったのであろうか。それ以上の、自分たちのコンプレックスな
下心の為の気骨なき、”米つきバッタ”ばかりである。
こんな”馬鹿の学校集団”を一緒になって煽る一部メディアや教育関係者の貧しさは
もう、今更ではない。
 ここでも『FUKUSHIMA』を忘れてはならないはずだ。

 もし、ファッションをこれからも論じるならば、「個人の夢」を弄くり回しても
終わっている。現実離れをしてしまった時代遅れであり、論じる側の良くある、
インテリ-マスターベーションでしかない。
あのオウム事件のインテリと呼ばれた輩たちを、
宗教本を読んで宗教を解ったと思い込んでいた教養ある彼らたちを思い出してしまう。
 ファッション論を報道された見え透いた虚実/如何様/イメージを元にして、
リスクを持たぬ自己肯定論説は所詮、そのレベルでしかない。
 この実社会の現実、”リアリティ”即ち、「集団の夢」を自らの立ち居場所によって実感し、
スキルと眼差しでコレクションと読み合わせをすると言う持つべき”リスク”を持たなければ
もう、逃げ足が速いファッションは論じられない。
即ち、東京に居て、巴里のモードは論じられないという事である。極論すれば、
東京の生活というリアリティがあれば東京のファッションは論じられるという事である。
そんな時代が今である。与えられた、求めた”情報”を手段として自分のリアリティを
進化させてゆく。若しくは、与えられた”情報”を鵜呑みにしてそこで論じる。
この違いであろう。

 3年目になる日本人はあの『FUKUSHIMA』から何を学んだのだろうか?
「集団の夢」が余りにもお粗末であり、如何様ばかりだった事を学んではないのだろうか?
 これをこれからの若い世代が立て直してゆかなければならない。
彼らたちはもう、行動をし始めている、彼らたちの本能で既に! 
 ここに、新たな『倫理観』や『エコエティカ』思想が勇気と力を与えてくれる。
 「個人の夢」でファッションを論じても所詮それは既に、通過してしまった絵空事、
子供の書いた絵本。自分たちの生-生活場所である「集団の夢」からファッションを
論じ始めなくては、もうそのような時代なのである。

******
 巴里でのもう一つ、
 もう『PUNK』は起こり得ないのである。
あのS.メンケス女史も、メトロポリタン美術館で行われている”PUNK展”についての論評は、
”全てがゴッコ”になってしまたのだ。それは『生社会』が不在であるからだろう。

 今シーズンのCdG,H.P.のショーにしてもそれが云えた。
ファッション誌的カッコを付けて言ってしまえば、
「ソフュスケーテトされてしまったパンキィッシュコレクション。」
巧いこなし方であり、まとめ方である。が、PUNKでは無い。
やはり、"Just variation of the Punk Collection"でしか無い。
だから、売れるコレクションである。
という事は、時代性を狙った、“PUNK"というフレームにおけるビジネスの為の
”PUNKゴッコ”である。
”それでいいのだ!!”バカボンの親父ではないが、これが売れるという味付けである。
 もう、「個人の夢」が消滅し始め、それが「集団の夢」、「大衆の夢」へ広がった時間は
逆行してしまったのだから仕方ないであろう。
あの、V.ウエストウッドのキングスロードの店頭にある大時計は時間を今だに、逆走しる。
それが彼女であるからだ。

 ここでは、『ブルジョアのプロレタリア化』と『プロレタリアのブルジョア化』という
公式が読める迄の時間の退化へ。

 もう一つ、このブランドのコレクション後に考えてしまったのが、
作り手とリアリティの距離間である。
この川久保玲というデザイナーにおいては、創造とリアリティに距離がある。
その彼女が持ち得た距離間をコンセプトとして創造がなされて来た。
しかし、これはもう古くないだろうか?という疑問だ。
例えば、決して、彼女の実生活ではいまだ、“ブルジョア指向”の実生活である。
慶応幼稚舎、朝日新聞、日本航空、 紀伊国屋、Hôtel Ritz, 18Place Vendôme,などなどいろいろ、
PUNKとは程遠い寧ろ、一流志向のコンサヴァティブな生活様式である。
決して、彼女は自分のリアリティからのファッションは最近でも作っていない。
”観光旅行”というある種の仕組まれたブルジョア-リアリティからでしか今迄も、
作品を創作してこなかった。ここにも「個人の夢」からの創作という視点が読める。
 それに引き換え、今の若いデザイナーたちは彼ら自身が持ち得た実生活としての
リアリティから創作を産み出す。それだけ、彼らたちのリアリティは豊富さと豊かさが
既に、あるからであろう。ここには、創造とリアリティに距離が無い。
あるのは彼らたちの選択肢多い、リアリティである。
 「集団の夢」が創造の為の発想と成っている世代にこの世界は変革してしまった。
ここでもこのデザイナーの在り方の時代観が読めるし、もう古くなってしまったと
感じる原因であろう。特に、このブランドのメンズはデザイナーが女性であるから余計に
無理がひび割れして来ている。
でも、”それでいいのだ!!CdGH.P.だから!”

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 今後のモードとファッションの行方は、
 嘗て、M.-フーコーが講義し論じた、『生政治』論はこのファッションの世界にも
顕在化し始めた。
これからは益々、“ファッションにおける創造とは只単に、
“VARIATION OF ARCHIVES"でしか無くなり、
その全てが消費社会へ放り出されるとすぐさま、”単に,モノのバリエーション”の世界
に成ってしまう迄の『生-社会』の誕生である。
 それが、『BIG-DATE & ARCHIVES』の関係性であり、
『FASHION ARCHIVIST』という新職種の登場であろう。
ここでは、デザイナーという「個人の夢」と一般消費者という「集団の夢」の
パラレル化が起り、誰でもがデザイナーに成れるというシナリオである。
これによって、『ファッションビジネス』と他方で、『モードビジネス』が確立されて、
これらが対峙する新たな産業構造が誕生し、進化してゆくのが、
今後の巴里の強かさであろう。ファッション産業の継続化の為の未来構造であり、
これがこれからのファッションビジネスの大いなるコンテンツともなる。
 
 これは次回に論じよう。
リアリティ知らずして、ファッション学生たちにファッションの未来も語れない、
昔取った杵ずかばかりを喋っている人たちの為と
ファッションが好きでこれからのファッションがどのようになってゆくかに
大いなる関心とそれに負けない位の不安を持っている学生諸君の為に。

 『云うまでもなく、個人にとって外的であるようなかなり多くのものが、
集団にとっては内的なものである。
個人の内側には臓器感覚、詰まり病気だとか健康だという感じがあるように、
集団の内側には建築やモード、いやそれどころか、空模様さえも含まれている』

[k1,5]:W.ベンヤミン/『パサージュ論−1』より:岩波書店刊:

長文の拝読、ありがとう。
相案相忘。
文責/平川武治:巴里ードバイー鎌倉にて、

 

 

投稿者 : editor | 2013年7月15日 16:33 | comment and transrate this entry (0)

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