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カルーセルに乗ってしまった以上、語らなければいけないのだろうか?

 “ 語らなければいけないのだろうか?
最近のコムデギャルソン、川久保玲のコレクションを??
――もうすぐ、次のパリコレが来るという前に、やはり語っておかなければならない事。”

 嘗て、ロランバルトは言った。
『神話はかたりの形式であり、内容の物語ではない。
神話の形式には限界があるが、内容には限界がない。
どんな内容であっても、神話的な語り口を持ってすれば、全て、神話になるのであると。
思えば、神話的な語り口というのは貧慾なのもである。』

 このような昨今の“ファッショングローバリズム”が生み出したファッションビジネスの
レアリズムを享受した結果、此処からどれだけ”距離”を持ち、新たなブランド戦略としての
“継続可能なる”立ち居場所を築き始めようとしているのが、敢えて言ってしまうが、
『ブランド-レイ-カワクボ』である。
 ここ数年間、多分過去4シーズンにあろうかブランド、コムデギャルソンのデザイナーで
あった川久保玲はまた新たな野心と大いなる業によって自分の立ち居場所を
先シーズンのコレクションから露にし始めた。その彼女が行ない始めたのは、
前述の”モード-コレクション”の諸根幹を悉く無視した所での
”アート”と呼ばれたいコレクションを巴里モードのランウエーで行ない始めたのだ。

 たいした精神力と度胸である。70歳を既に、超えた彼女に何がそうさせるのであろうか?
ここ迄来るともう、『女の凄さと恐ろしさ』を感じてしまう。多分、その根幹の一つは、
『生涯現役』という創始者が持ってしまう迄のがんばりであろう。
中途半端な事はしたくないという美学であろうか?僕が彼女の全盛時代に感じていた
彼女の素晴らしさの一つ、美意識としての『潔さ』はここには見当たらない。
 想い、感じてしまうこのコレクションからのイメージはやはり、彼女、
「川久保玲が歩んでいた”時間”とはこんなに重かったのだろうか?」であり、
そして、「彼女は『美』に対して何を想い、感じ何を求めていたのだろうか?」

 最近の川久保玲が作っている世界とは、”季節感や機能性など無視。着れなくてよい。”
しかも、”売れなくて良い。”ただ、川久保玲が作り続け、残し続ければ良い世界。
だから、コレクションピースはショーピースしか作らない。
受注を受ければそのショーピースを売ればいい。即ち”作品”を売る事である。
今的な言い方をすれば、『私はもう、アートスベニィールは作らない』と言う
新たな立ち居場所をお披露目したのだ。
 
 ショー会場でお披露目をして、お友達ジャーナリストたちを
ファーストローに座らせて『凄い!!』に極めの解説を付けてもらえば良い。
まるで、あの『裸の王様』の世界がここでも現実化し始めたとも感じた。
受注会ではその『凄い!』が陳列されてブランド企業のアイデンティティが錆び無ければ
良い世界。在庫にならずして、シーズン中に売らなくてもいい、着てもらわなくていいものを
作り続けるエネルギィイとは?何のためののだろう?

 此処では、もうかれこれ10年前に『もう、壱抜けたと、』あれほど迄の創造性と
イメージングで当時のCdGをも窮地へ追い込み震激させ巴里の最先端を行っていた
メゾンドゥ.M.M.と比較すると面白い。
今では本人は僅か、14年間にして生涯生活出来るだけの富を持って
時折、巴里のフリーマーケットで古着を売って愉しんでいる。
一方でこんなに潔く、痛快なカッコいいファッションヒッピーと言う輩がいるというのに、
彼女は今もがんばっている。
否、僕には失礼だが、苦しんでいるとしか言えないモノ作りを行ない始めた。

 『レイ-カワクボ』コレクションはそれなりに”お金”が有って出来るコレクションでしかない。
企業CdGの売り上げが使える。それに彼女には”社員”と言うなの優秀な“手”が有る。
CdGという”金看板”を利用すれば何でも使える。それらを使っての結果としての晩年の
コレクションシーン。これらを自分の意のままに使ってのコレクションは「凄い!」
だけど、「重い」「暗い」「辛い」そして、作品のトーンが「ネガティフ」である。
これらの言葉がショーが終わって巴里の友人たちそれぞれに感想を聞くと出て来る共通する
感想のコメント群である。
 人生も最終コース。彼女自身のこれ迄の生き方が、あんなに好きだった”オシャレ”が
ある男との出会いと、共有出来た”夢”とその為の共同二人三脚作戦その結果、
巴里の「ファッションデザイナー」という旅に出たが故に、
こんなところに迄辿り着いてしまったのだろうか?
 彼女自身が持っていた「潔さ」や「がんばり」や「躾け」「エスプリ」そして、
「軽やかさ」や「コケティッシュ」が煌めいていた時代が有ったはずなのに、
ある時期からは「人と同じ事は否」と言う迄の「特異性」に固執したようなモノ作りへ
変貌し始めた。巴里での自分の立ち居場所を実感し、その世界に固執し始めてからで有ろう。
若しくは、次なる男が違った血の掟を言葉にし、その言葉に酔い深けてしまったのだろうか?

 巴里での展示受注会へ伺うとその中身の思惑が読めるので面白い。
ブランド“CdG”がこのような「レイ-カワクボ」ブランドになってしまってからの”CdG”は
より、このブランドらしさをたっぷり沁み込ませ、”トレンド”をフレームとしたブランドに
なっている。所謂、バイヤーが売りたくなるものをデザインしてこの会場だけでビジネスを
取り仕切っている。これらはショーには殆ど出ない。
バイヤーたちをビジネス的に喜ばせるものでしかない。
ショーを見るだけでお仕事をする有名ジャーナリストと言われている輩たちは、
実際、ブランド“CdG”はどのようなものをデザインして売っているのか知らないで
ショーピースとしての「レイ-カワクボ」だけの事を書く。
ここにも『表と裏』の世界が構築されている。

 このような実際のビジネスの為の“CdG”が素晴らしいブランドとして構造化出来るのは
この企業の生産面の充実した経験からで有る。所謂、「工場さんとの付き合い」から
生まれるもう一つのこの企業の強さである。
ここにはこのブランドの生産ディレクターという役割の揺るぎない存在がある。
それに、この企業の生産背景はその大半が“made in Japan”という強みがここに来て
より、この企業の“モノ作り”の根幹をしっかりと築き継続している凄さである。

 ある時期から、”オリジナル素材”を使わなくなった。
この企業も“原反在庫過多”と言う非常事態に陥った時期が有った。
ここで登場したのが今のビジネスカップルの相手である次なる男の登場であった。
以後、彼のアイディアによって原反在庫と商品在庫を減らすべきに“ゲリラショップ”が登場し、
”CdG.HP”も作風が変った。以後、原反在庫量が落ち着き始めるとそれ以後、
ブランドCdGは「粗利の稼げるデザイン」の為の素材を中心にしたデザインへと変貌した。
その多くが”プラスティック系”の生分解されない合繊繊維が使われる。
 ここ迄来るともう、この企業『コムデギャルソン』は真の世界レベルのラグジュアリー
ブランドメーカーとなった。
 結果、昨年、11月のファッションサイトBOFでエイドリアン氏が語った
“CdG International"の総年商は220億円と発表される迄に至った。
http://www.businessoffashion.com/2013/09/adrian-joffe-rei-kawakubo-tending-the-garden-of-comme-des-garcons.html

**
 ではその「レイ-カワクボ」ブランドのクリエーションとは如何ようのものなのだろうか?
僕のこれ迄のモード経験から、30年程、毎シーズン見せて頂いて来たCdGコレクションからは
やはり、その“conception for the creations”も“image of the creations”もそして、
”source of the inspirations” も違う。それは当然であろう、『モノを作る』と言う根幹に於ける
自らの立ち居場所が変わってしまったのであるから当然である。
 前出した、『季節感や機能性など無視。』『着れなくてよい。』『売れなくて良い。』
ただ、『川久保玲が作り続けられるだけ、残し続ければ良い世界』に固執しての
”モノ作り”であれば良いのである。
と言う事は、彼女の今後の立ち居場所は“企業コムデギャルソン”の今後の即ち、
川久保玲の死後に、どの様に自分の作品が関わり、それがこの企業を今後も
“世界企業、コムデギャルソン”であり続けられ尚、この企業が変らずの発展継続のための
現在の彼女に残された使命とした行為でしかない。言い換えれば、彼女の死後、
この企業は彼女のビジネスパートナーであるエイドリアン氏が総統となる日本発の
”ラグジュアリィーブランド”と言う進路へ向かうしかない。
その為の、企業存続のための”モチベーション作り”としてのコレクションであると
読めてしまう迄の作品作りである。
 
 川久保玲の育ちも日本である以上、彼女のモノ作りの、”source of the inspirations”も
彼女自らが初体験として見たモノであったり、自らが強烈に感動体験したモノからの
インスピレーションが良いコレクションを発表して来た。
所謂、彼女が当事者としての経験からの”source of the inspirations”と、
彼女が傍観者としての経験からの”source of the inspirations”の深度とその振れは
当然だが違っていた。
 過去に於いて、彼女が”当事者”としてインスピレーションを得てのコレクションは
初期では、ポルトへの旅からの『黒』のシリーズやあの「瘤」コレクションや
「sexy」コレクションは印象に残っている。また、素材開発と共に行なって来た
オリジナル素材を使っていた時期のコレクションは素材の面白さ、特意性から素晴らしい
コレクションになったものも多く記憶にある。
僕の場合は ’85年’から88年位迄の数年間が最も印象に残っているコレクションであり、
この時期はこれでもモードか、こんなもの迄がモードかと感じる迄の見事な
『モード-マジシャン』の仕業であった。
 ’88年の秋、M.M.M.がこのファッション-ゲットーに登場して以来、
彼女はM.M.M.の服作りの根幹に煽られ始めた。
結果、力強いコレクションも見られた時期だった。

 後の多くは、彼女のモードに対する誠実さと真剣さと熱心さそして、勤勉さに因る
『人と違ったもの、同じものはやりたくない』と言う自由さと意志の強さに因って
もたらされた”傍観者の眼差し”からの”source of the inspirations”によって構成された
コレクションであろう。そんな中では、多くのカッコ良かったロンドンストリートテイスト、
タータンチェックの使い方と”パンク系”コレクションやC.ネメスを知った直後の
コレクションも美しい強さを感じられるものになり、その印象は強い。
 
 そして、オリジナル素材が使われなくなった以降のコレクションは即ち、結婚以後の
彼女の作品は所謂“大向こう”、お友だちジャーナリストたちを意識し始めた
コレクションとなって行った。ここからは自分の巴里での立ち居場所としての”特異性”、
巴里モードのスポットライトが当たる、ギリギリの際に立ち続けると言う綱渡りを
しかも堂々と始めた。”巴里モード”との距離の確立と位置に心掛け、嘗ての袂を分けたはずの
友人の様に決して、”オートクチュール”へは近づかなかった。
 また多分、この時期とは身内の渡邊淳弥ブランドが立ち上がって彼のコレクションも
全く違った眼差しで巴里の”大向こう”を多いに唸らせ始めた事に気が付き始めてからであろう。
彼のコレクションが良い刺激となり始めたと言う事だ。
 
 そして、時の流れは現在の様に自分のブランドでは売り上げをとらなくても良い状況と
境遇に入ってしまった。依って、そのコレクションは却って、“苦しみ”や”悶え”さえも感じる
結果のコレクションに読めてしまう。
 今のモード界に於ける『凄い!!』とはどれだけのリアリティあるクリエーションなのか
また、それにどのような意味合いがあるのだろうか?
(僕の体験からは、多分無いであろう。業界用語の一つでしかないからだ。)
 
 僕が’97年来ヨーロッパのファッション学校の卒業コレクションに呼んで頂いて
彼ら学生の作品群を数多く見て来た日本人もいないであろうと自負出来る。
アントワープ、ラカンブル、アーネム、ベルリン、ヴィエナ、バーゼルそしてバロセロナ、
トリエスタ、スイスと巴里、イエール。結果、これらの学校やコンテストを10年間程
卒業コレクションヒッピィーをさせて頂いた。僕の様な若い人たちの可能性を感じる事が
嬉しく即、素晴らしいエネルギィイになる様な者にはモード体験として実に愉しかった、
稀有で贅沢な時間の流れであった。(みなさま、ありがとうございました。)
 この時期の学生だった多くの者が今ではそれなりのメゾンのデザイナーをやっていたり、
自らのコレクションを大変ながら継続している。
 なので多くの素晴らしい学生コレクションを覚えている。
この経験が実は、『レイ-カワクボ』コレクションを読み解くすばらしい教養になっていると
自負してもいる。彼女のコレクションから感じられる僕にとっての”負”のイメージは
彼女自らが歩んで来た時間の姿なのか?若しくは、彼女の自心のこゝろの有り様からは
程遠いところで”source of the inspirations”を探している様が感じられるからだ。
 それが学生の自由で青い闊達な世界や勿論、ユーモラスな”プリミティブなアート”からも
”source of the inspirations”を探し彷徨っている。

 老いてゆくと言う事は、若さが無くなる事だと言う、確かに”身体”の機能低下は免れない。
しかし、若さは歳とは関係ない。僕もそんな年頃になったので言えるのだが、
老いてゆくとはそれ迄に無尽蔵の様に在ったはずの”好奇心”が無くなり始める事であろうと
僕自身は理解してしまっている。“好奇心”が無くなり始めるとは、
自心のこゝろの有り様に堆積しているカオスが整理分類され、テンプレート化されて来ると
もう“好奇心”が芽生える”隙き間”がなくなる。
 “時間”とは今しかないものであると言う。
今在ると信じられる”時間”をどの様に消費するか、使うか、それが今と言う”時間”を
生きると言う事であり、その今が在れば、昨日も存在するし、
又、明日をも思い巡らせることが出来る。これは先月読んだ『14歳のための時間論』から
改めて、教えてもらった事の一つである。/『14歳のための時間論』:佐治晴夫著/春秋社刊:
 この本を14歳で読んでいれば、その後の何十年かの人生に大いに役立つ“時間論”の本である。
ですが、現在の僕が読んでもこの本で再び知った”時間”を後、
何年役立てられるか?の違いが在る迄の事です。
 
 今、人間川久保玲はどのような”好奇心”を持っていらっしゃるのだろうか?
残念ながら、見えない。想像がつかない距離も存在してしまった。
 プレスに聞くと、勿論今後の会社の事、社員の事を思いその為に良いコレクションを
続ける事です。と言う王道な答えが返って来るだけであろう。
勿論この“王道”は必要である。
もう一つの顔、社長、川久保玲と言う立ち居場所からの義務であって、”好奇心”ではない。
 
 僕は最後迄、彼女の性格の一端である『人と同じことはしたくない。違った事がしたい。』
と言う、”大いに、自由なる好奇心”を自心のこゝろの有り様として、
今迄の全てに、”努力”と言うラベルが張ってある”時間”が自心のこゝろの有り様の中で
発光する迄の『見た事のない美しい白い光』を探し求める”好奇心”の旅へ、
そんな想像のためのカオスへ彷徨って下さい。
 『ありがとうございました。』合掌:
文責/平川武治:

投稿者 : editor | 2014年9月10日 01:33 | comment and transrate this entry (0)

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