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三伏の候/ 繋がるための誠実さとは、映画『繕い裁つ人』から。

 少し古い話になりますが、多分、見られた方は多いと思いますが、今年の1月後半に
封切られた映画『繕い裁つ人』。

http://tsukuroi.gaga.ne.jp
 今の日本に無くなってしまったものや消されてしまったこゝろなどを”繋げられる”だけ
繋げて作られた映画ですが、清々しさと、こころが洗われたような気分に浸してくれたそして、
忘れていた何かを、それがとても生活の質を感じるためには大切なものとはをも、
思い出させてくれた映画でした。そして、僕がよく20代後半に歩き回った神戸の北野町界隈も
ロケ地として使われ僕にとっては懐かしさも相当なものでした。
 あの映画に登場する衣装としての服と主役としての服、これらが素晴らしさのそのものでは
無く、登場人物の生き方であり価値観であり、美意識でありその根幹になっている倫理観と
そこから生まれた誠実な生き方の断片がジグソーパズルのように物語を構成していたから
この映画はある種の洗練さを醸し出せたのでしょう。勿論、それらを理解した上での衣装であり
服でありスタイリングでもあるのですが、結果、この映画では”人の繋がり”という温もりと
大切さをテーマにしていた。僕がよく言っている「関係性」の”繋がり”の発端を作リ出すのも
「モノを作る」人の役割であるという根幹。ここに、「デザインとはコミュニケーション」
という役割の所在があることもわかります。
 よく当たり前のように言われる、モノを作ることとは「自分を表現すること。」だけでは
ない。ましてや、有名になるため、カッコつけるためだけそして、儲けることなど、自我欲と
自己表現のみの安っぽい「自由」ではないことをこの映画は爽やかに、含羞を込めて作られて
いた映画だと僕は感動したのです。
 もう一つ、この映画でモノの存在を確かに再認識させてくれたモノがありました。それは、
”ミシン”です。その姿と、それを使う人との関係性そしてその行為によって聞こえて来る”音”、
足踏みミシンの音は僕も幼い時を思い出しました。よく母が隣の部屋でミシンを踏んでいる。
その隣で無心におもちゃで遊ぶ僕。ここにも、母親と子供の「関係性」を”繋ぐ”音がありました。
その音は母の言葉に変わって、安心と安らぎをそして、安心を醸し出すまでのものでも
あったことを思い出させてくれたのもこの映画でした。
その後の僕には、”轆轤”を廻して聞こえる音もこの種類の、生活の中で聞こえる音でした。
今のように、テレヴィジョンやケイタイやiPODがなかった時代でしたので、
ここにも人のこゝろを繋ぐ”エピソード”が静かに幾重にも優しく絡み合っていた時代性でした。
 僕はこの映画を劇場へ観に出向き、映画の途中から重なってくるこのような幾つかのことが
ありましたが、もう一つ、一昨年に、東京で亡くなったC.Nemethのチャーチセレモニィーへ
お招きいただきロンドンへお伺いした折に、久し振りに会った長島悠介君でした。
それまでの長島君=アントワープという僕の中での繋がりが完全にもう、違うシーンになって
僕のこゝろを打ったのでした。とても成長なさっていた。
 ”理屈作りと見せ方作り”をメインに教え込むアントワープから遠く離れて長島君は自由に
使える英語を一つの安心道具として再びロンドンへ戻り、「手の温もり」を感じて生きてゆく
道を選んだ。この発端までは知っていたのですが、その後、数年間はご無沙汰。
そして、再会がC.Nemethのセレモニーが行われた教会ででした。これも、僕には何かの”縁”を
感じました。なぜか、この映画『繕い裁つ人』を見ていて思い出した人が彼でした。
 『倫理観が洗練さを生む』は作られたモノもそうですが、そのモノを生み出す”作り人”にも
言い得ることです。”理屈作りと見せ方作り”に忠実にいやそれ以上に上手に都合良く立ち回って
いる輩たちがその殆どである彼らの固まりからは遠くに立ち居場所を持ち、謙虚に自分の求め、
目指した道を堂々と歩んでいる一人が長島君であり、彼をこの映画からたくさん思い出して
しまったのです。
 その長島悠介君が帰国なさると伝えられた僕は是非、彼からたくさんの「作り人」のお話を
皆さんの前でお伺いし、交わしたいと。
 この9月01日の原宿VACANT-LEPLI会が決定しました。ありがとうございます、みなさん。
http://www.vacant.vc/d/241
 是非、実際のロンドンテーラリングとは?教わり学ぶこととは、仕事をするということとは、
服を作るということとは、人との繋がりを作ることとは、等など,
いろいろ、皆さんのご質問と共にたくさんの経験話をご一緒にお伺いしませんか?
 
 余談になりますが、この映画で出てくる神戸、北野町にはコムデギャルソンが’76,7年に
神戸に初出店したF.C.ストアーがあったのです。そして、この”ローズガーデン”をデザインした
建築家が、あの安藤忠雄がまだ、建築家に成っていない時代の作品でした。
この”ローズガーデン”で同世代の川久保玲と安藤忠雄というこの世代人の共通した幾つかが
重なり共に二人の接点が始まったのです。
此処にも,”モノを作りだす人”が繋げる世界が現実になっています。
 当時、川久保さんはこの”ローズガーデン”をとても気に入り、出店を可能にするために
もう一つランクの上の”繋がり”をこの不動産管理会社と持ったのも事実でした。
 先日のお盆休みに、墓参を兼ねて関西へ出かけました。
神戸では以前お世話になった金沢の21世紀美術館にいらした平林さんが横尾忠則美術館へ
転職なさったのでこの機会にご挨拶をとお伺いし、そのついでに北野町界隈を昔の友人の
アトリエや”サブ編集室”という友人の雑誌編集室を思いつつこのローズガーデンを探し、
映画の世界へもこゝろ入れ、”繫がる”エピソードを繋げていましたが、
この”ローズガーデン”は見つからなかったのでした。
見つかったのは映画で美味しそうに食べるチーズケーキの場面のコーヒー店でしたが、
その日は休日で残念ながら、僕とは”繋がり”ませんでした。
文責;平川武治:

 長島悠介君のロンドンのショップサイト;
www.connockandlockie.com

投稿者 : editor | 2015年8月26日 18:04 | comment and transrate this entry (0)

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