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安藤忠雄と川久保玲。あるいは戦後の”横文字産業”とは、
巴里のファッションウイークが始まった。
僕なりの感触は”低調”。何か、”から騒ぎ”を感じてしまう。
本当は、”ショーどころ出はない”と言うのが本音であろう時代のシーズンに感じる。
この街へ入る前に、コムデギャルソンのプレスヘインビテのお願いをした。
まず、その時に書いたメールから紹介しよう。
『”10コルソコモ”の件、
”やっぱり、来たか!”という想いで嫌なニュースとして僕は受け取ったのです。
僕はもう巴里へ着きました、どうか、お気をつけていらっしゃってください。
楽しみにしております。』
この”10コルソコモ”の件とは、WWD N.Y.が(9月12日)書いた一文出ある。
http://wwd.com/business-news/financial/10-corso-como-tax-10220661/
『10 Corso Como Said Facing Big Tax Bill By WWD STAFF
MILAN – Concept retailer 10 Corso Como may be facing financial troubles. According to media reports, the store created by Carla Sozzani allegedly owes 4.67 million euros, or $5.27 million at current exchange rate, to Italy’s tax office Equitalia.
While Sozzani’s lawyers contend the retailer has asked to repay this debt in installments, Equitalia deems the store is unable to do so and is requesting Milan’s courthouse to declare its bankruptcy. A first hearing in the trial is expected on Wednesday, according to the online version of magazine L’Espresso, which also states that 10 Corso Como had requested Italy’s tax commission to allow an additional extension to repay its debt. The commission has yet to decide on the issue.
Executives for the retailer could not immediately be reached for comment.』
この街へ来て調べるも、そのほとんどの日本人は知らない。日本からの人たちも知らない。
でも、この街では当然出あるが、一般紙にも報じられ、TVにも放映された。
それなりの”不祥事”である。
僕たち、日本人から見ても”関係”は少なからずある、コムデギャルソンとの関係である。
一時は、東京での出店時には彼らたちは共同で会社を起こしていた。
川久保玲の夫とカルアさんとは同じユダヤ人コミニティでの大の仲良し。
彼、エイドリアンが現在のように”DSM”へ至ったのには彼女からの指導と教えがあっての今。
そんな彼女に、このような「脱税疑惑」と裁判所がついに動いた。
また、時が重なり、エイドリアン自慢のあのロンドンの"DSM"も移転を迫られ、
ドーバーストリートでは無い場所へ"DSM"は移転しなくてはならない羽目にもなる。
なのに、日本のファッションメディアはこのスキャンダルを皆目知らない。
決して、偶然ではなく、そのタイミングは当然、”狙われた”のかもしれませんが、長い時間、
かかってコードされていた案件。僕も、東京での”10コルソコモ”出店時に調べてこの状況は
知っていた。この裏には、カルアさんファミリィーがイタリーでの力あるファッション
ファミリィーであり、その力を少しでもという魂胆もあったからです。
ここには”ユダヤ人コミュニティ”の商法の極端さがこれほどまでに膨らんで出た事件であり、
この根幹は彼らたち、ユダヤ商法における”倫理観”の問題でしかない。
多分、川久保さんも内心、心配なさっていたことがこのように表層化したまでのこと。
自分たちは当然のように”これ見よがしな生活ぶり”をし、行うべきことを知って居ながら、
怠る。この”倫理観”はかつての日本にもありましたね。この手法で大きくなってきた戦後の
日本企業はたくさんありましたし、その多くも”在日系”で在ったことは僕は知っています。
今、戦後の日本の根幹が面白いほど”暴露”され始めています。
安藤忠雄の件や佐野氏の問題によって、いろいろ、考えもつかなかった”横文字産業”が
この現実を一手に浴び始めました。この世界では案外と”当たり前”のように黙認されてきた
現実レベルの”倫理観なき、仁義なき”戦後のドサクサがまた一つ表層化されたのでしょう。
この時代を手のひらを返したように生き延びてきた人たちの一つの時間の象徴です。
戦後の”横文字産業”はそのほとんどの根幹が”パクってなんぼ”という商法。
外国雑誌を手元に、読めない英語に囲まれて、ネタ探しをする。
これが、”カッコイイ!!”と言われた”横文字産業”の全て!ファッションは全てが”パクリ”
から始まった当時の新業種でしたね。グラフィックも、フォトグラフィーも、雑誌も。
この70年代のコムデギャルソンの根幹も、ブランド名が示すように当時の
”ソニアリキエル”日本版からの出発でしたね。
この夏、墓参で大阪へ行き、神戸、京都の
40年来の友人を訪ねるという旅をし始めました。
この時、神戸の北野町を訪れ、あの”ローズガーデン”を見に行きました。
建屋は残っていましたが悲惨な状態です。”メッキ”が剥げ落ちてしまったというまでのもの。
川久保玲とこの”ローズガーデン”はご存知ない世代になり始めたが、色々、ありましたね。
まだ、彼女も若かったから激しさを持っていらっしゃった。
僕の友人が大阪でCdGに勤務し、大阪はパルコ、京都はBallそして、神戸はこのローズガーデンを拠点にすべく、猛烈に働かされていたのを思い出す。
その友人はその後、死へ急ぎ、間も無く亡くなった。
この”ローズガーデン”は’77年完成だったので、’76年にはすでに、川久保玲は安藤忠雄と
出会ってる。否、その数年前に、あの”フロム1st.”ですでに、出会っている。
この”フロム1st.”も本当は安藤忠雄が基本設計までを手がけていて、彼はやる気満々でしたが、
その後急遽、ロンドンから帰っていらした、山下和正さんに変わった代物でした。
ここでも、川久保玲はこの”フロム1st.”にはこだわった。白という色にこだわり、タイル張りの内装になった。その後、スタイリストとして活躍なさっている堀越さんがここで働いていらっしゃった。懐かしいいい、時代でした。
しかし、安藤忠雄はこの山下さんのレンガの使い方の上手だった、”フロム1st.”からその後
”ローズガーデン”のエスキースを頂戴してしまっています。
そして、この二人はその後、一度だけ対談をした。どちらもが乗り気のない対談だったことを覚えています。
が、川久保玲はその後、もう2度と彼と一緒には表立ってメディアへは出ない。
しかし、その後、安藤忠雄は彼の建築事務所を”ブランド化”し始めました。
その後、多くのファッション系の商業施設を”浜野商品研究所”を営業部門とし手掛けました。
そして、今の立ち居場所の第1期を構築しました。
この発想は建築家自身が設計しなくても、その名の事務所がすればいいという方式です。
これは当時の建築界では考えられない形でしたが、これが見事その後の”安藤忠雄”へ進化して
現在へ至ったのですから凄いですね!!僕流に言えば、彼は”建築界の小保方方式”で、
建築事務所を”ブランド化”したことが今の立ち居場所を築き上げたのです。
「ル・コルビジュェ+カルロ・スカルプ」=長屋の家を始めとする彼の”外装”+”内部空間”のミニマルなマニエリズム的な混成、或いはブリコラージュは
コムデギャルソンのその後のクリエーションの根幹にも通じるところがありますね。
そして、安藤忠雄の事務所も今は確か、外資ユダヤ系が資本投資しています。
僕も神戸大学建築科の知人だった、貴志雅樹氏が彼の事務所へ入り、その後は、安藤忠雄の
デビュー作を始め多くの”ゴーストライター”をしていました。否、させられていたのでしょう。
彼は神大から手土産を安藤事務所へ持って行ったモノがあったからでしょうか?
その彼、貴志氏が今年の1月に亡くなられました。
あの国立競技場の一件が表層化し、安藤忠雄は出るべき時期にメディアへ出れなかった原因は
ここにありました。ですから、安藤忠雄も死んだのと同様です。
最後に目論んだこの、ハッザとの連携プレーで、文化勲章は手中にしたものの、国家建築を
手がけられなかった現実と、彼の”倫理観”も’60年代のどさくさと同じでしかない”育ち”。
今回のこの問題において安藤は官僚たちによって、完全に葬られたと言って良いでしょう。
しかし、僕はこの問題の根幹には”評論の不在”があると考えています。
戦後、’80年代以降からから現在に至っては全く”評論”は存在していません。
ちょうど、時代が”大衆消費化社会”を歓迎し、全てを”消費”の中へ納めることで経済が上手く
回って行くという論法とその後ろで活躍した広告産業と代理店という構造がありました。
その後の日本流文化即ち、”広告文化あるいは消費文化”がこの構造で構築されて行ったのです。
従って、戦後の”横文字産業”はこの時流に如何に要領よく外来イメージをパクって、巧く
広告業界と連係プレーをカッコよく都合よくやって行けば、サーフすれば成功というシナリオが戦後の日本のデザイン界の本性であり、正体でしょう。ここには”評論”の正論は必要なく、
”評論”の不在が都合よく良かったのです。この現実が今回、表層化され始めようとされ始めた
いい機会でもあろう。
安藤忠雄についての的確な評論も見当たらないです。
大阪にいらした二川幸夫氏を頼ってのメディア進出でしかありませんでした。
その後、二川氏はあの”GA”ギャラリィーと出版社を始め共に、ブランド”安藤忠雄”を素材に
外国へ売って出た現実がありましたね。余談ですが、この辺りは、何か、川久保玲と亡くなられた故小指敦子さんを思い出します。
今の日本の評論の世界はすべてが、浅はかな”感情と情緒”を拠り所とした、”良い、悪い”の
価値判断でしかなく、メディア受けと、向けなるデモストレーションだけです。
デザイナーたちとお友達になりたいという感覚レベルでしかない所詮、変わらない戦後からの
”横文字ごっこ”の世界です。
従って、メディアの人間も学んでいない。勉強をしていない。ただ”知っている”レベル。
そのほとんどが僕に言わせれば、”御用インタビュー”と”御用記事”提供者としてのデザイナーからの一方通行記事ばかりでしょう。従って、今回の”10コルソコモ”のスキャンダルも日本メディアは何も知らないで、いつものように”フロントロー”に座ってイキがっている輩ばかり。
僕から見れば、彼らたちへの悲しさと哀れさしか見えない変わらないここにも、まだ、戦後の
”横文字産業”状況でしかない惨めさが現実。
”すごいですね!”
で代表される”感情と情緒”だけでの価値判断。
この言葉はCDGのショー後の世界で尋常のように聞かれる言葉ですね。
この言葉にすべてを”委ね”てのメディアコントロール、これが今現在のコムデギャルソンの
メディアコントロールの手法、川久保玲の世界観。
この手のプロパガンダにはもう、僕にはしんどくなりました。
"EVERYTHING TOO MUCH!!TOO HEAVY!!TOO PAINFUL!!
THAT'S YOUR LIFE、THAT’S TRUE YOU ???"
僕も、そろそろ、本音で日本のファッションの”根幹”を語ってゆこうと今、学習中です。
この続きは次回。
巴里MARAIS街にて;
投稿者 : editor | 2015年10月 5日 17:17 | comment and transrate this entry (0)