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シアーリングエコノミィー(共有型経済)の根幹、『「分ち合い」の経済学』から、

 『スエーデン語に「オムソーリ』という言葉が在る。
本来的意味は、「悲しみの分ち合い」である。
 人間は悲しみや優しさを『分ち合い』ながら生きて行く動物である。
つまりは、人間は『分ち合う動物』である。
『分ち合い』によって、他者の生も可能となり、自己の生も可能となるのである。
しかも、『分ち合い』は他者の生を可能にする事が、自己の生の喜びでもあることを
教えている。人間の生き甲斐は他者にとって自己の存在が必要不可欠だと実感できた時である。
『悲しみの分ち合い』は他者にとって自己が必要だという生き甲斐を付与することになる。
 もう一つ、スエーデン語のラーゴムという言葉があるが、
「ほどよいバランス」という意味も『分ち合い』と根底で結びついている。
極端に豊かになることも、極端に貧しくなることも嫌うラーゴムは、
社会の構成員が人間らしい生活を営むように、『分ち合う』ということを意味するからである。』

出典/『「分ち合い」の経済学』/岩波新書/神野直彦著:

 戦後、70年を経て、資本主義形態もやっと、変わり始めた。
物質的豊かさの中で生まれ育った世代たちが気がつき始めた新たな価値観と新・生活必需品、
PCを使い熟してもたらし始めた『第3次産業革命』。ここから生まれ育つであろう「新しさ」
が確実に次世代の『前衛/The Avant-Garde』を触発させる。ここでは決して、「モノの前衛」
ではなく、「コトの前衛」である。
 しかしながら、その彼らが望み始めた未来觀の価値観の根底には「ヒィッピィー・コミューン」思想が感じられるのはなぜなのだろうか?
 ほぼ半世紀を経て、新たな世代たちが求め始めた”新しさ”としての、「シアーリングエコノミィー/共有型経済」と「ヒィッピィー・コミューン」思想の間で考えられる二つの共通項の根幹
とは、「豊かさの分かち合い」あるいは、「豊かさからの逃避」であり、そこに共通する環境
とは「豊かさの中」で生まれ育った者だけが行為可能なる価値観であろう。 
 そこで冒頭に紹介した「オムソーリ」という言葉が印象に残る。
この思想はもう一方では「ピコ協定/1916年」に端を発する宗教紛争と移民紛争で仕立て上げられた「テロ問題」への根幹の”人間倫理”にも共通するはずである。
文責/平川武治:


投稿者 : editor | 2015年12月11日 06:51 | comment and transrate this entry (0)

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