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SS18/ Paris Homme Collections-1;プロローグ;

 37度を超えた日中の最中に行われた初日。 
まるで、A.カミュの”異邦人”の冒頭を錯覚させるまでの酷暑のこの街、巴里。
 この最中、定例のメンズコレクションが始まったが、このファッションウイークそのものも
また、その内容もこの異常な暑さとは裏腹に盛り上がらなかった。
 パリ・サンディカ(組合)の人事が変わってからオーガナイズがラフで何かスッキリしない。
今シーズンのコレクションスケジュールの組み方もどこかおかしい。
参加メゾン数も減っている。ちなみに、ミラノのウイークも3日間になってしまったという。
 ここ3シーズン来、このメンズのファッションウイークそのものが様変わりし始めている。
男服に加え、女服もランウーでショーイングするメゾンが増えたこと。
考えられる要因は前回も書いたが、
「スケジュール+経費の節約+素材関係の早期ビジネス。」が主であろうが、
このファッションウイークの形態自体がまだ落ち着いていないのがざわつきの一つでもあろう。
 が、何か、”怪しさ”を感じる。
 穿った考えをすると、”LGBT"というジェンダーを意識してモードの世界の新たな領域を
狭軌ではあるが構築するためなのか?ここにデザインの面白さを求めるのは容易いからだ。 
 あるいは、もっと現実を読み込むと、現在の世界のファッションビジネスは
”ファスト・ファッション=SPA"の登場以後、確実にビジネスの量としての本流は彼らたちが
その主導権を握ってしまっている新たな”ユダヤ人ビジネス”の領域になってしまった結果。
 従って、当然彼らたちは情報としての”シーズン傾向”である、”素材・カラー・ディーテール・バランスそして、雰囲気”という必須情報はより、早くランウエーから知りたい、パクりたい。
それによっての工場投入期が変わってくるすなわち、”ビジネスチャンスが太く、長く、
リピート”が可能になる。ここには従来のメディアが成せなかった、情報の”スピード”化が
SNSという無数のファッショングルービーたちから直接に入手可能になった現実も加わっている。
 即ち、グローバリズム以降に構造化された、”ファスト・ファッション=SPA"タイプの
グローヴァル・ワールドワイド・ファッション産業(=ユダヤ産業)の儲けにつながるという
読みもできる。このために、今シーズンも変わらず”コラボ・コレクション”は全盛である。
 読み方を変えると、”ファスト・ファッション=SPAファッション産業”の拡大化のための、
”プレゼンテーション”そのものに、”プレタポルテ”のファッションウイークは様変わり始めた
”新構造”とも読めるであろう。しかし、この発想そのものは’70年代以降の当時、
”プレタ・ポルテ”がこの街で登場してきた時代と同様の構造でもある。
 上は、”ラグジュアリィー系”の定番商品から、日本では”セレクトショップ”系のオリジナルと称している商品はそのほとんどが”SPA構造”で生産されている現実である。
これを知るのは生産地を知れば理解できる。
 例えば、ブランドは巴里、生産は中国あるいはモロッコなど。
日本のセレクトで売られているそれらも同様で、そのほとんどが中国生産に委ねてしまって、
粗利を儲けるための構造でしかなく、”いい服”を作るという誠実さや真実は残念ながら、
ここにも見当たらない。

 世界規模では確実にこのような”ファスト・ファッション=SPAファッション産業”の
ビジネスは拡大しているのである。
 まず、素材関係業者が儲からなければこの世界は成立しないのが根幹であるからだ。
しかし、日本のファッション産業構造はこれを見逃して、
”製品”だけで儲けようとしているに過ぎない産業構造に堕落してしまっているのが
戦後の現実である。
 例えば、戦後日本の”アパレル・ファッション”とは、自分たちの身勝手な儲け主義のために
都合の良い、”粗利”がより、多い構造を構築して、”中抜き構造”化しただけである。
 従って、現在、もっともらしく言われている”日本の生産体制、素材屋さんと工場さん”の
衰退そのものはそんな彼らたち自身が導いて来た現実の一端でしかないことも熟知していない。
 ましてや、ファッションメディアや教育関係で”業界人顔”して、もっともらしい立ち居場所で
イキがっている輩が大半である”壁紙産業”でしかない。
 例えば、この現実を、”業界紙”と称するファッションメディアに関わっている人たちが
どれだけ、世界と日本の現実をバランスよく学習してその彼らたちの役割を
仕事としているのだろうか?
 日本に帰国するたびに感じる”憂”である。

 今シーズンはとても”ハッピー”なクールなコレクションをしたCDG H.P.が
このようなコレクションができる現実の可能性と凄さとは、
”生産業務”そのものの進化と凄さにある。
 この現実の”関係性”を彼らたちは30数年で構築されてきた信頼が、
”川久保玲”を生んでいる実態である。
 彼女が”やってみたい世界”を確実な”ガーメント”へ落とし込めるまでの
”素材”と”縫製技術”の確保とリアリティとクオリティがこのブランドの
本当の”凄さ”なのである。
 
 ファッションは産業である。したがって、”製品”が最後の全てを語る。
いくら、メディアを騒がすだけのデザインをしてもそれが”製品”に落とし込まれなければ、
次なる”継続”へ、可能性へ”は至らない。
ここには現実としての”納期と製品クオリティ”が必然となる世界であるからだ。
 このメゾンは未だに、素材も工場も”MADE IN JAPAN"に全てを委ねている
本当に珍しい貴重なる日本のファッション企業である。
 ここにこの企業の倫理観とその志が読める。
そして、その覚悟がシーズン毎のデザインにも現れてくる。
 展示会を訪れて最近、富にこの感想を強く持つのがこの”生産業務”の素晴らしさである。
このような時代性になると”表層のデザイン”は誰でもがそれなりのことができる、
”ブリコラージュ”の世界になってしまった。
 では、それを客が喜んでくれる”ガーメント”に誰が、どのような関係性の元に、
どのようなディレクションでなされるか? 
 この企業の”凄さ”には、ここにもう一人のCDGの顔がある、田中蕾さんの存在である。
変わらず、僕が好きなモードの世界でリスペクトしている人である。

 だが、最近のパリのラグジュアリィーと称されているメゾンで欠如し始めているのが
この従来からの”アトリエ”と”量産工場”の距離感への責任と倫理観である。
 ”マーク”だけで売れる、という思い上がり。
それを誰がリアリティへ落とし込み、ディレクションできるかの可能性に掛かっているからだ。
 ここに、不協和音が聞こえ始めていると感じる。
(ラフ君がD.社に捨てられたのもこの不協和音が根幹であった?)
合掌。
文責;ひらかわ/巴里にて;

投稿者 : editor | 2017年6月25日 16:38 | comment and transrate this entry (0)

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