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改訂版/ THE PARIS & TOKYO FASHION-WEEK BRICOLAGE;
今回も、巴里ファッションウイークが終わり、
ファッショングルービー達もこの街の表層から姿を消し始めた頃、
僕は地中海の向こうのタンジェへ、三度目の旅立ちへ。
その紺碧の空とそこで戯れる風に委ねたいそして、異国語の飛び交う喧騒さの中に身を
浸したいという欲望と願望から訪れたタンジェはその期待に答えてくれた。
パリのコレクションが始まる少し前に亡くなったP.ベルジェ氏がパトローネだった
この街にはやはり似つかない佇まいの書店へも立ち寄って、特有のスノッブさを醸し出している男性と話を交わす。
「ピエールさんは去年の年末は、日本へ訪れて、「直島」で過ごされていたのですよ。」
この言葉を聴き僕はP.ベルジェ氏の“好奇心”に揺さぶられた。
http://http://www.librairie-des-colonnes.com/http://www.librairie-des-colonnes.com/
1)パリ・ファッションウイーク ‘18S/Sでは;
資本主義の肥大化と元では、「巨大資本がより、巨大化を占有するのみ。」
巴里の今回のファッションウイークはLVMHグループの企業戦略とその為の資金の使い方と
そして勿論、政治力を見せつけられた一面としての、新店舗ラッシュ。
ヴァンドーム広場の入口のゲランショップを横へずらして迄のLV店舗のオープン。
マレでは、とてもいい古い金属加工部品屋だったところの角地をKENZOショップに
この時期に合わせて変貌させた。
そんなシーズンのパリ・モードの風向きも分かり易い”ストリート & スポーツ”。
その風が”ストリートの吹き溜まり”をいずれ、もうすぐ作ってしまうのでしょうが、
それまでに何処が、どれだけ儲けるか? のシーズン。
トレンドアイテムが”ストリート”へなびいてるのですが、僕的な見方ではそのすぐ後ろに
”ドレス”が見えてきました。例えば、日本のセレクトでも、”ドレス”が動き始めていると言う。
”ストリート”に対局する世界がこれからじわじわと次なる”新しさ”へ、これが通常の
ファッションのトレンドの動きであるから驚かないでおこう。
ファッションビジネスの世界も“ビッグ・ビジネス”だけがより、“ビッグ・ビジネス”へと
邁進する方向性を見せたシーズン。
まずは、シャネルとディオール社の全面戦争が始まる兆し。
そのまえにYSL社との対決も踏まえた、その一つの現れが、コレクションウイークの初日に
YSLとDIORのビッグメゾンがコレクションを競い合った。
DIOR社は「フランスの文化資産」であるメゾン・ディオールのクチュール部門のすべてを
完全買収して手中に収めたその企業力と文化力とプライドを今後、実ビジネスにおいても、
売り上げでトップを取りたい勢いが始まったシーズン。YSLはP.ベルジェが死去したことから
今後の転換が迫られるであろう兆し。
元YSLのデザイナーはL.A.でCHANEL社との契約としての、M.カールがくれるお小遣いで
声がかかるのをアーティスト気取りで待っている状況のみ。
当然、若手のインデペンデントなデザイナーは苦戦シーズンが続く。
しかし、このような“豊かさ”を持ち得てしまった社会では、どの様に自分たちのブランド・
アイデンティティをプロパガンダするかも至難の技になってしまった。掛かる経費の問題で
あり、新たなクリエーションとは?の両面の向かい風を受けてしまっているからだ。
そこには新しいクリエーションは見られず、ミレニアム世代が知らなかった90年代の始まりの
バブル期前後の時代が経済的に豊かだったころへのオマージュとノスタルジアへ
流れるしかない貧困さも。
従って、モードの世界も成熟期を迎えた頃のクリエーションからのバリエーションと、
ここ数シーズン来のトレンド、“スポーツ & ストリート”のラグジュアリィー版が
継続トレンドのメインだった。まだ、多くの若いデザイナーたちはVETMONTを見習って
“2匹目のドジョウ”を探し求めるが、、、、、、
商人はその勘が鋭い。オリジナルとしての“vintage”がまた、新たな表世界へ。
日本人ファッション人間たちの“ご利益スポット”のトップである”メルシー”のロビーでは、
ディスプレーが“VINTAGE”フェアー。特に、パリでは“アメリカン・ヴィンテージ”がウケる。
新しい顧客としての黒人社会での高額所得者とそこから降りてくるミレニアム世代たちへの
影響を読み込んだ“ラグジュアリィー・スポー ツ & ストリート”は強くやはり、
その解り易さがウリ。
今シーズンは新たなトレンドはオケージョンを提案したクラシカルな気分を呼び込もうとした
ロマンティックでポエティックなドレス、ワンピースが登場。
この時代の気分を見事な発想とユーモアで観るものもその仕掛が判らないほどの
コレクションをリヴァーシブルな世界で堂々と謳い上げたのがUNDER COVER、高橋盾の
コレクション,”JANUS”。“ここまで凝るか?”と言う彼らしい世界は日本生産でしか出来ない
世界でもあり、ユーモアとアイロニィー溢れたチャーミングなシーズンだった。
もう一つ、彼、U.C.のコレクションはショーで見せるものは全て展示会に出し、受注をとる。
これもこのデザイナーの実直さと心意気を感じるので僕は好きである。
https://www.sz-mag.com/news/2017/09/undercover-ss18-womens-paris/
カレンダー外のデザイナー達の自由と好奇心を愉しむまでのインスタレーションの幾つかに
勢いを見ることができ、嬉しかったシーズンだった。
彼ら達の中で僕が素晴らしいと感じ選んだのが、「ANDRE WOLKER、NOIR/二宮慧それに、
ANDRA DUMITRASCU」を挙げる。
https://www.nytimes.com/2017/10/05/fashion/andre-walker-paris-fashion-week.html http://www.dumitrascu.de
ANDRE WOLKERは80年代、自分のパリで発表したコレクションを復元した。
見事な時代の読みとパラドックスと遊びが現代という時代性を捉えたクールなコレクション。
彼のコレクションは着まわしコレクションであり、安全ピンをデザインしたドレスピン一つで
いかようにも着こなしが可能という世界。
今回はDSMから締め出されて、新たにイタリーの工場エージェントがついての発表。
彼のスマートさとセンスの良さと思い切りとエレガンスに徹した美意識を買う。
僕もこの彼のコレクションを80年代にレアで見たことを思い出し余計に嬉しくなった。
使っていたシューズもいい!!彼も”ゴールド・シューズ”を出した。
CdG・チルドレンの一人、NOIR/二宮慧は変わらず、優等生である。
彼の”レゴ・ジェネレーション”特有の発想はすでに認められたがその内容とまとめかた
そして、時代感としての「軽く、強い。」のこなしかたと見せ方と、そのバランス感が
時代の空気感を表現している。このデザイナーにはファンが既に、生まれて居るが
彼らたちバイヤーも買って着たくなる服を作っている。
この”レゴ・ジェネレーション”ではもう一人、日本人でパリ・クチュールに参加して居る
”YUIMA・NAKAZATO"も僕は好きで注目している。彼も遅まきながら、今回、新人奨励賞を
貰ったようでうれしい限り。
彼らたちの世界には共通する今後の一つの新しさとしての“WITHOUT SEWING”の彼方が
想像できる。
彼らの特徴は、素材をまずは”3D"のパーツ化をし、そのパーツにPCで可能な装飾を施す。
それをボディに構築してゆくという処方と美意識に委ねた世界はレゴ・ブロックで育った世代の発想であろう。
ANDRA DUMITRASCUはベルリンに住みセレクトショップも経営している30代デザイナー。
ヴィエナのクンストを卒業し、当時先生だった、V.ブランキーノに彼女の卒コレが見事に
パクられてしまったという逸話を持っている自由人デザイナーである。
前回はパリにある”ラブホ”を借り切ってのインスタレーション。
今回はポンピドゥーセンター前でのインスタだった筈が当日急遽、駄目を出されて、
近くのメトロの駅をモデルがチケを買って入ってショーイングという自由な発想で、
これまた人騒がせなコレクションを行なったが、その内容は新しさと自由さが満杯の
メンズ&ウイメンズコレクションだった。
選び使った素材が新しい、タクティックな感触をオーバーバランスとフリルで楽しませた。
ここでもアンビギュゥティなコンセプトと遊びと愛が溢れたクールなコレクション。
”愛”をモード化したデザイナーは今までも少なかったが、それだけで今の時代感と空気感を
センスとユーモアで良く醸し出した。なかなか頭もいい、センスも良い、スキルもあり
美意識が高いデザイナーの一人です。
(今回、久しぶりでやはりイタリーの工場エージェントがついてインスタレーションを
行なった、”W. & J."が彼女の素材感を一部パクっていた。同じヴィエナ出身だからであろうか?)
もし、次回もこの3人のデザイナーがコレクションをやるならば是非、美的&知的好奇心を
持って、彼らたちが提案してくれるクールな”時代の空気感”や”時代の気分”を感じ見て欲しい。
彼らたちのコレクションは全てが”ウエアラブル・コレクション”であり、それらは決して、
”アーチスト”気分でお友だち世界でデザインしていない、強さとオリジナリティある王道観が
逞しい。そして、彼らたちはみんな、「フランス人」ではないのが楽しい。
ビジネス面で見れば、少しその活動が落ち着いた市場である。
“ロシア”への再度なるアプローチが今後の営業不振を救うとしているが、そのロシアも
自国のデザイナーやファッション企業が進化したことによって今までのように
外国人ブランドへの興味が薄らいだのが事実であり、それだけロシアン・マーケットが
厳しくなって来た。
この状況は少し前からの“中国”のファッション・マーケットの進化と良く似ている。
その証拠にロシア人デザイナーのコレクションもこのパリのウイークでは増え始めている。
もう一つ、このパリの「モードのショーケース」たる所以の“サロン”は数は増えるが
入場者数は増えないという現実のパイが見え始め来場者数は減少ばかりの状況で、現状維持が
精一杯の苦戦。
ここに来て、従来のこの街のファッションウイーク本来の業務内容を変更しなければならない
機を迎え始めたと読む関係者も生まれる。その原因はやはり、「E.C./e-コマース」の進化だ。
作り手と売り手の間に存在した「セールス・エージェント」という構造が「E.C.」の普及と
進化によってその存在価値と利用価値が弱くなり始めたという時代性。
2) 20世紀と21世紀のファッションビジネスの違いとは?その“新しさ”とは?;
ーーー「E-コマース」という新しさをもう一度考えてみる。
何気に“仕事”を”自己満“でこなしている当事者たちは、案外この違いを熟知していないか、
感じていないだろう。
もう、“川上”や“川下”の世界ではあるまい。この視点は未だ、東京を見ていると
恐ろしい位にこの視線がそれなりのファッション人間達からちらつき哀れさを感じてしまう。
’97年以降、 PCの確立で変貌したファッション産業。一つはクリエーションにおいて、
もう一つはビジネス。この両方を認識して21世紀型のファッション産業を再考&再構造化する
必要が現在の様にかつて、”アパレル”と言われた日本のファッション産業界には必然である。
モノつくりは「新たらしい”過去”へ」流れ始めるしかない。
そのためには、PCによって自分たちの”嘗ての杵ずか”である「アーカイヴス & パターン」の
再構築化のための“整理と分類とマニアル化”であろう。
もう一つのビジネスにおいての手法は”e-コマース”という新たな技法が 加わった事によって
そのトレンドとしての服の見え方、見せ方が変わり結果、売れるものと売れ方が変化した事に
気づき、新たな”営業手法”として管理と監修を行いここでもマニュアル化が必要になる。
この変化が今後どのように変貌してゆくか? ここがこの低迷化するだけの日本の
ファッション産業復活の為の“ヨミ処”であろう。
では、この現時点で、新たな”e-コマース”というビジネス手法はどのような、
儲けるための都合良い構造改革が今後考えられるか?
或いは、新たな”e-コマース”でどれだけファッションが”トキメキ”を与えられるか?
現在の”e-コマース”の構造は日本においてはそのほとんどが「zozotown」に依存集中している構造でしかない。この構造では”エージェント・フィー”が発生する構造となんら変わりがない。
例えば、個々のブランドが”e-コマース”のアプリ利用によって独自の”e-”営業が可能な
システムを考え構造化することも有りであろう。新たなPCを使った営業方式が定着すれば、
新たな”作り方”と”見せ方”が可能になる。ここにまたこのファッションの世界の
「自由な発想と新しさ」がウリになるであろう。
ファッションによる”トキメキ”とは何らかの”新しさ+好奇心=自由な発想”という公式から
生まれるものでしか無いからだ。
例えば、ファッションショーと”e-コマース”だけで今後のファッションビジネスが可能か?
「イメージング+話題性+コーディネーティング+着まわし+素早さ+トキメキ+リーズナブル=
”e-コマース” というまでの極端な見方はどうだろうか?
ここでは「“ショー“という動画配信」というカテゴリーで考えられる”e-コマース”への
新しさとその付加価値を顧客へどのようなサービスとおもてなしで行なって行くか?
この場合当然、”e-コマース”に都合の良いモノつくりとショーの在り方とメディ アの対応、
などのパッケージ・ビジネス的な発想は必然になる。
3)東京ファッションウイークを全く新しい眼差しで考える。;
ーーー世界の主要消費都市ではすでに、21都市で行われている”ファッション・
ウイーク”。
気がつき、考えなければならないことはそれら各都市で行われている
ファッション・ウイークの”手法と価値観”が全て同じ構造で行われていると言う事である。
ここには、この世界の連中だけが儲けられる構造が仕込まれてしまっているからである。
このワールドスタンダードになってしまった”ファッション・ウイーク構造”そのものを
都市が持つ差異をもっと自由な発想と新しさで取り組むことを提案しよう。
例えば、今シーズンの東コレでは、年商売上400億円ほどのブランドが参加した。
それが、”G・W”。きっと、過去最大の売り上げブランドが参加したことになった。
このG.W.のショーは時代のキーワード「軽く、強い」を上手くまとめ、アンビギュティな
イメージングと共に、爽やかさが溢れたコレクションを見せた。
https://www.instagram.com/p/BahD9XKF17i/
実はこのコレクションをまとめたのは文化卒業後、パリのスタジオ・ベルソー卒業その後、
19年間パリに住み、クリエーター J.コロナの元でアシスタントを務めていた経験者だった。
世間では、“東京コレクション”とはファッション・クリエーションを競い合う機会と
一つの環境であると言う古い見解がまだ 残っている。
これは、前述の「ファッション川上・川下」論と同じく、単なるアナログ発想でしかない。
従って、参加デザイナーたちにはクリエーションがある、あるいはクリアティビティな
コレクショ ンをする作家やアーチスト達という古い、表層的なる理解の元、無知なる
思い込みと希薄な職業意識のもとで誤解されて行われて来たことが長過ぎたのではないか。
これによって、結果、多くの勘違いをしたファッションデザイナー像を捏造してしまい、
「大いなる自己満足」タイプのアート・コンプレックス症候群デザイナー誕生の根拠に
なってしまった。
では、このようなタイプのデザイナーのブランドの売り上げがどれ位あるのか?
ジャーナリスト達は本人に聞く勇気も持っていない。これだけのショーをやるのだから、
これぐらいの売り上げがあって当然、という視点と読みが皆無であるのが変わらぬ、
東コレ・ジャーナリズムの弱点。この現実はショー後のインタビューでも理解できる。
彼らたちが聞くこととは「コンセプトはなんですか?」から始まるというアナログ発想。
多くのブランドは10年ほど東コレを続けているのに年商2億円程度の”ノラリクラリブランド”
言ってしまえば、”未熟児ブランド”が多い。そんな彼らたちはOEMやSPA等の”バイト“慣れで
この綱渡りをこなしているに過ぎない。
このような現実の裏側が”枯れ木の賑わい”を見せ、メディアも便乗しての“ファッション・
デザイナーゴッコ”を年2回、行政+スポンサー企業の援助金を使って遊んでいる状況は
ここ20年以上、変わっていない。これが”東京コレクション”の自体と現実でしかない。
ここには低迷する日本のファッション・アパレル産業をどのように発展させ担って行くか?
の使命感は全く感じられない。
4)「現代における「ファッションクリエーション”とは
或いは、前衛とは何だろうか?」
ーーーなぜ、ファッション・ディレクターが活躍するのか?
僕の経験からの判断では、すでに20年前にはその兆しが見え始めて、
10年前の2007年からは完全にファッションにおける“全く新しいクリエーションあるいは、
クリアティビティ”は消滅してしまっている。この時期とは、たとえば、ブランド、M.M.M.が
ディーゼル社に売却した時期でもある。
この原因は生活者の“生活のリアリティ”が豊かになったこととジェンダー以後、
時代の最前線で生き抜く“新たな女性像”が見えにくくなってしまったことが考えられる。
変って、ファッション・クリエティビティとは、“時代の空気感”あるいは、“時代の気分”を
表現するレベルのクリエイティビティとイメージングの世界でしかなくなった。
結果、今までのような”コンセプト“頼りの形骸的な造形服はファッション学生の課題向け。
そこで”アーカイヴのブリコラージュ“と言う“古くい新しさ”という手法が生まれた。
では、またこの時代における“前衛”とは?なんであろうか?
この世界も作り手たちが現実、どのような社会環境で生活しているか?を問う事で
その答えも明白である。
“豊かさ”を享受し、“安心、安全、快適”を求めた「安心のファシズム」に無条件に
自由を委ねた、そんなリアリティの元での「アヴァンギャルド」は所詮“前衛ゴッコ”、
例えば、“PUNK”は”PUNKY”というここでも「時代の空気感」でしかないのが現代であろう。
“現代アーチスト”が生み出す作品もこの、「時代の空気観」あるいは、「時代の気分観」が
まず、ロジックなコンセプトにまとめ上げられている必要がある世界でしかない。
そこで、ファッションクリエティビティとは、それぞれの時代の“空気感”あるいは、
“時代の気分”をどのように表現するかまたは、”人間の皮膚感覚”にどのような新しさ或いは、
感覚そのものが投じられるか?が特徴となるのが現代社会における「ファッション・
クリエーション或いはクリエティビティ」だと言える。
若くは、その為にどの様な素材を選びまとめるか?がこの世界である。
この世界觀が従来のような形骸的な造形服よりも着ることがトキメキを与えてくれる服
或いは、安心させてくれる世界がプライオリティを取り始めた。
ここでも”20世紀”と”21世紀”の違いを読み込まなければならない。
人間的なる五感の世界から見ると、「聴視覚の時代」が20世紀だったとすれば、
21世紀は「触覚の時代」が始まった。皮膚と素材の「タクティックな関係性」である。
しかし、ここに一つの「時代のパラドックス」がある。
それはITの世界、e-コマースの世界はやはり、仮想な世界でしかない。
したがって、ここではこの21世紀の新たな関係性である「タクティックな関係性」が不在。
ゆえに、現実の服に求められるものが自ずと違って来た。
そこで”アーカイヴのブリコラージュ“と言う“過去があたらしさの根幹”という発想と手法が
生まれ、時代の「タクティックな関係性」を素材感に頼ることも大切な現代の時代感である。
このような時代には何を、「オプションするか?」が全てを決定する。
そのための感覚と教養とスキルと人間性がファッション・クリエーションにも、最も必需な
根幹が現代です。
もう一つ今、僕が評価できるいいコレクションあるいは、いいデザイナーとはを敢えて
いい放すと、
「先ず、どの時代の、誰の、どのアーカイヴを選び出すか? そのセンスの良さを判断します。
次に、大切なことはその選び出したアーカイヴ・アイテムにどのような素材を選出し、
当てがうか? そして、場合によってはこの選んだ素材にどのような“後加工”を施すか?
この感覚と感度がそして、スキルがいまの時代には一番重要でしょう。
ここが“現代ファッション・クリエーター”としての見せ所と決めどころでしょう。
後は、コレクションとして、”時代の気分や空気感”をどのようなバランスでまとめているか?
アイテム、コーディネート、分量、色彩、プリントそして、イメージングと、そこにやはり、
ファッションデザインの世界ですから”ウエアラブルな服”という基本要因は必然です。
これらを見せていただいたショーから判断して「良かった或いは、ダメだった。」を言う。
このそれぞれのバランス感が「時代の気分」あるいは「時代の空気感」を生み出し、
現代の創造性となります。実際にここまで考え、まとめ上げられるデザイナーあるいは、
コレクションはやはり素晴らしいく、かなりの才能と経験と美意識と文化力がないと独りでは
到底、出来ないことです。
なのでここに”ファッショ ン・ディレクター“と言う役割があるいは、”アトリエ・チーム”の
存在価値が生まれ、高まり現代には大切なポジションになっています。
更なる今後、ファッションにおけるクリエティビティを自由な好奇心で求めるなら、
一つの方向性は、「WITHOUT SEWING」。レゴ・ゼネレーションたちが競い合う
新しいモードの世界。
これを代表している優等生が“NOIR/NINOMIYA”や“YUIMA NAKASATO”,ここでも世界へ
この独自性を発信し始めているのはI.V.ホッテンと共に日本人デザイナーたちです。
もう一つの世界は、「コスチューム」という発想でまとめられる世界でしょう。
最初から”アート”を意識した輩たちの服作りとここが大いなる違いの根幹です。
元々のクチュール思想とは顧客という人間がトキメキと共に装身するもの。
即ち、「時代のコスチューム」を優れた職人たちの手仕事で仕立て上げ、
その時代の手仕事としての”技“にトキメキを感じ、粋に着る世界だったのです。
「コスチューム」には3つのカテゴリィーが有ります。
ヒストリカル・コスチューム、フォークロア・コスチュームそして、ステージ・コスチューム。
今ファッションが向かい合っているのは、「現代という時代のステージコスチューム」。
「ヒストリカル・C.+フォークロア/C.+ユニフォーム」と言う足し算がコンテキストの世界。
このようなコンテキストは新しいトキメキを創造することでしょう。
この眼差しは実際にそれなりの人たちは感じ始めていますね。
ロッテルダムで催されていた「POWER MASK」展という展覧会もこの流れを証明したもの。
ここには”ノマド“や”プリミティブ“或いは、”エキゾティズム”というボキャブラリィが
そして、装いたい人間の最後の砦、「顔」をラッピングすることが生み出す
新しい“装い/粧ひ”のトキメキとクールさが見え始めています。
5)もう一度僕たちの足元、東京ファッション・ウイークへまなざしを、;
ーーーファッション・アパレル産業を救いたいファッション・ウイークなのだろうか?
このような時代性ですから当然、東京コレクション自体も変革しなければなりません。
しかし、残念ながら現在のこの東京コレクション関係者たちの時代認識においてはこの発想は
未だ、感じていないでしょう。そして、日本のファッショ ンメディア自体も遅れています。
「売れている服にはクリエーションがない。」と言う時代遅れな視点。
今の時代におけるファッションクリエーションとはなんでしょうか?
自己満足な、着ずらい形骸的な服がアートして、クリエーショ ンというファッションに対する
思い込みはもう終わっていますね。この世界は売ることを去勢した”自己満足の自慰行為”で
実際の社会のリアリティにコミットしたくない世界で漂っているだけ。
従って、この世界に漂って居る輩たちは同じ傷を舐め合うが如く、自称”アーチスト”擬きで
世間にデザイナーぶって居る、”お友だち、みんな集まれ!”、
彼らたちの求める自由とは、「安心のファッシズム」共同体の自由探しでしかなく、
決して、それが産業や社会に繋がる或いは、コミットするまでの”デザインの価値”行為でも
無く又、トキメキ迄の“カッコよさ”ではないのです。
かつての、”TD-6”を誕生させ日本のデザイナーファッションの世界を支えた先輩、
レジェント・デザイナーたち、菊池武夫や当時の川久保玲たちの”志し”は決して、
「自己満足」の世界で漂わず、堂々と”マーケット・パワー”を最優先したことによって
それぞれがその後の”志し”の高さと努力によって、今の立ち居場所をものにしたのです。
そして、時代は既に21世紀も17年です。今回の東コレへの幾つかのSPA系の参加は
”マーケット・パワー”を基盤に、新たな顧客のためへの新しい眼差しを提案した行為と
取れるでしょう。
ここには”コレクション”=”クリエーション”という公式はなく、ショー自体を全く違った
コンテンツで機能させ、社会化させるという、即ち、今後の「ファッションアパレル産業」の
実ビジネスを再興するための手段の一つ「“ショー“という動画配信」も今後のこの世界の根幹。
実社会へ自立したくない、頭デッカチな未熟児デザイナーたちのショーイングだけの
デザイナー観や「壁紙デザイナー」の服作りは“ダサく”、「枯れ木の山の賑わい」。
彼らたちのレベルでは現実の日本のファッション産業の振興と発展と彼らたち自身の“継続”に
どれだけパワーフルなミッションと「高き”志し”」を持っているのだろうか?
合掌:
文責/ひらかわたけじ:まだとれぬ、時差ボケとともに鎌倉にて。
投稿者 : editor | 2017年10月13日 15:19 | comment and transrate this entry (0)