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「これほどまでに、ある新しい体験、」

前回のブログを書く発端は僕の旅の経験から発した全てがそうさせたので少し、
書き加えたくなった。

多分、『安心のファッシズム』の中で快適さを求め、のほほんと自己満足に委ね、
一喜一憂している輩達には到底実感が伴わない一つのリアリティーであろう。

前回の約1ヶ月の旅では今迄、これほどたくさんの外国の街を旅 慣れしてきた者でも
“初体験”を経験した。
 この体験は実際に外国を旅慣れていないと心に留めないことであろう。
また、グループ旅行や企業任せの仕組まれた旅行ではこのような体験には気がつかないで
あろう。
僕がパリを軸にして興味ある街と人間と美術館を徘徊しはじめてすでに30数年が経つ。
若い時代の旅を合わせてるともう、僕の人生に半分程を既に,海外の都市への徘徊に委ねて
来たことになる。

確か、この体験はここ6、7年前まではこのような経験はなかったと言い切れる。
これは時代が変わったということに尽きる体験であり、僕は結構ショックを感じてしまった。
結果、自分の国「日本」の現実を思い知らされたという実感を味わってしまった。
前回パリのファッションウイークの前後に合わせてユーロ圏とモロッコの7都市を徘徊した。
この旅路において幾度か気軽によくあることですが道すがら出会って、声をかけられた。
「あなたは中国人ですか?」 「お前は中国人か?」「中国人?」、、、、、、
見事に、それらは全て僕を”中国人“と見なしたのだ。
こんな体験は初めてであった。

以前であれば、「あなたは日本人ですか?」「君は日本人か?」「日本人?」でしか無かった。
しかし、ここ数年来は、「あなたは中国人あるいは、日本人?」もしくは、
「君は日本人ですか中国人ですか?」という掛詞であった。
そして、ついに、今ではもう、完全に日本人であることへの興味や友好気分は消えてしまって、
黄色人種、イコール「中国人」という自分たちが知っているレベルで国名を名指しすれば
間違いがないあるいは、その方がクールであるという彼ら達のいわゆる”常識”レベルでの
価値判断の結果が僕が体験したこの現実であろう。

海外を旅しているとこのような現実に出会う。
このリアリティそのものが時代を新しく生み出している大きな要因である。
そして、この体験は実際に“旅”をしない限りわからないし、理解できない。
「安心のファッシズ」の中でかき集められ、送り込まれる諸情報や知識からは
このリアリティは知り得ることができない。

 「日本」という国家が戦後、敗戦国でありながらここまで、この70数年の努力の賜物が
結果、現在ではもうすっかりその立ち居場所を「中国」に取って代わられてしまったという
現実は僕に取っては全く悲しい限りでしかない。
 僕の経験からの’80年代後半から2000年ほどの15年間はこんなことは全く、聞かれなかった。
声を掛けられてもそのすべては「あなたは日本人ですか?」「私は日本が大好きです。」と
までのウエルカム・グリーティングを頂くことでしかなかった。

僕の視点は、これは現在の「日本」という国家の実態が完全にアジアから消えてしまった
結果とも読めよう。
 僕に取ってのこの経験はアジア圏国家としてのアイデンティティが確実に日本国は
もう既に、“中華人民共和国”に取っ手替わらてしまったというリアリティを実感した
出来事であった。
 全てがわかりやすく日本にとって変わって、「中国」がアジアに於るそのイニシアティブを
完全に掌握変革させてしまった現実が街に、大衆に現れたといえよう。
 この現実が世界においては、現在のアジアにおける僕たちの国家「日本国」の政治的、
経済的、市場的にそして、モラル的な立ち居場所の評価でしかない。

 「砂糖菓子」が崩れる時とは、
一滴の水でジワーと時間の染み込みのごとく緩やかに、音もなくそして、綺麗に
消えてしまうものである。

 「やがて、オージー/狂宴の後、」
(ボードリヤールのある書物に使われていた言葉である、)
「安全のファッシズム」日本国も今は、2020年が目前に迫り始め、その“オリンピック”に
多くの輩たちが ”ぶら下がる事”しか考えていない。

 その狂宴もいずれは終焉を迎える。
その終焉後の”向こう側”に何が姿を現し見えてくるのだろうか?
「シン・ゴジラ」であろうか?

 その向こうから見え始めるのは「徴兵制度」。
トランプ政権のウリである、”強い国家”のための「新・安保条約」後の日本は、
これに基づく新たな憲法改正後に、戦後70数年、日本でそれなりの人たちが待ち望んだ、
「軍隊」と「軍事産業+原子力産業」が表層に現れ、独り歩き始める。

 ここで、少子化による18歳に選挙権を下げた根幹もここで帳尻がつく。 
軍事防衛費がやたらと膨らむ。成り上がり国家はやたらと「最新型兵器」に弱い。
あの不評限りなく、多発事故発生軍機”オスプレー”は
現在、日本以外の国家はどこも購入していないという現実も知ってください。
そして、北朝鮮がミサイルを飛ばす度に日本の軍事防衛予算が億単位で平気に膨らむ現在。
安倍内閣の閣僚議員達は小泉政権以来の「天下り利権」から「ファミリィー利権」に貪り
掴まろうと、メディアを使い、解り易い“お笑い芸人”までも巻き込み、
トランプ氏から与えられた「北アジア冷戦構造」という“シナリオ”を読み上げているだけ。
 これが現在の僕たちの国、「日本国」の政治事情とそこから生まれる経済事情の根幹。

 これでは、「あなたは日本人ですか?」と聞いてくれる外国人たち庶民は居ない。 

 このような現実を体験してしまった僕は、斜陽、硬直化してしまている現在の日本の
ファッション産業に対して何が問い掛けられるか?

 「ファッション・デザインによって、どのように、実産業を発展豊かにさせて行けるか?」
「デザインは遊びではない。”ファッションデザイナー・ゴッコ”で在ってはならない。」
 自分のブランドとは、持ち得た世界観を、文化度と美意識と倫理観そして、ヒューマニズムに
よって、それぞれの世界で確立展開させる責任所在のマーキングでしかない。
決して、”自己満足”の証しだけではない。
なぜならば、デザインとはやはり一つの”コミュニケーション・ツール”である。
自分のブランドで、どのような世界へコミットできるか?
自分のブランドで、自立自活出来るか?
そして、自分のブランドで何が社会へ還元出来るか?」

 世界のファッションピープル、多くのユダヤ人たちも既に、5、6年ほど前から
「JAPON」と「CHINOIS」の棲み分けは, 完了してしまっている。
ありがとう。
合掌:
文責/平川武治:

投稿者 : editor | 2017年12月18日 18:46 | comment and transrate this entry (0)

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