« 桑沢デザイン研究所講演デジュメ/「時代とデザインすること」とは? 『IKEA』を読み込むと。 | メイン | Review from behind "Scales from the eyes" by Taque. Hirakawa. “019 S/S Paris Collections; »
「進化」と言うデザインを再考しよう。S/S ‘19 パリ・コレに見る新しさという眼差しは?
◯はじめに;
「今年も73回目の終戦記念日を真近かに、平成の“安心のファッシズム”ボケとしか
言えない昨今の日本。こんなにも支離滅裂な政治を愚行している安倍内閣への支持率の異常さは
続き、ますます今後の日本國は“親離れ出来ない”、アメリカユダヤ複産資本の言いなりのポチ
国家に成り下がるのみ。
気骨ある戦前からの日本人としての平和祈念、気概はただただ、風化する。
そして、現在は“フクシマ”を風化させ、“東京オリンピック”と“IR法案”によってそれらの利潤は
新興商人やパチンコ業界の階層に分有されるのみがこれからの日本国の“豊かさ”の有り様では
無いだろうか?」
冷静に考えてみると、現代という時代感は、日本も世界も資本主義国家群に於いては、
「そう、世界は”真実っぽさ”で溢れかえってしまっています。」
ーYes, the world is overflowing with "truthfulness".
“truthiness”,これは2005年にN.Y.の人気コメディアンのS.コルベアが有名にした言葉です。
ある時期から政治家や評論家たちが合理性、証拠、さらには事実に基づいた議論に変わって、
むやみに感情や勘に訴えるようになってきた現状を評したもの。現代社会とはヴァーチャルな
時代観と相まって、この”真実っぽさ”によって全てが構築されてしまているという趣意。
◯プロローグ;
今回、パリで初めて行なったUNDER COVERのメンズコレクションのランウエーを見て直感し
た近未来、2020年以後のためのキーワードがある。それは「革命/レボリューション」です。
S/S ‘19 パリ・メンズファッションウイークから一つの新たな時代への共通言語を敢えて、
探し出すと僕はこの「革命/レボリューション」と言う言葉の響きが新たな新しさを欲し始める
世代感を強く感じたのです。
例えば、メインターゲットが白人からイエロー&イエローへそして、新たに黒人達へ移行し始め
たことそのものもこれは従来のモードの世界からは決して考えられなかった”レボリューション”
である。そして、今の時代観の一つ、「世界には真実は無く、真実っぽさのみ。」と言う現実に
対峙し始めるニュージェネレーション達の“カウンター・カルチャー”の現れも感じ始める。
それは現代社会の「真実っぽい豊かさ」を危惧する感情の現われの一つかもしれない。
この今回感じた「レヴォリューション」とは、僕たち世代がそうだったようなポリテカルな
レヴォリューションではなく、彼ら達の「レボリューション」という言葉が持っている新たな
意味やニュアンスは新しい「豊かさの進化」における「プロテクション/守り」が感じられ、
望まれるであろう。
加えて、今この街では3つの「革命/レボリューション」に関しての展覧会が開催されている。
その一つは「ロシア革命」100年記念に関してと、「‘68年5月革命」の50年記念の各展覧会で
ある。そして、もう一つこの街の「近代デザイン」運動の流れを生み出した、「UAM」の回顧展
も開催されている。(UNION ARTISTES MODERNES/現代芸術家連盟:1929年設立~‘58年)
この運動はバウハウスの影響を受け、’25年パリ万博で見せた近代化を社会へコミットする為に
始まったこの国の「近代デザイン運動」の黎明期を再考するための展覧会と読むことができる迄
の興味深い展覧会だった。構成主義以降のアートの世界から建築、インテリアデザインと家具、
工芸そしてモードにグラフィックに至るまで。
因みに、来年は「バウハウス」創設100年記念の年でもある。
「真実っぽい豊かさ社会」にデザインは何ができるか?と言う、「レボリューション」とも読め
るであろうか。きっと、そんな時代がめぐり回って来たようだ。
(共に、ポンピドゥ・センターにて展覧会中;
http://mediation.centrepompidou.fr/infos/ja/index.htm)
◯はじめに、「時代とデザイン」の関係性を「モノ」の進化として考える
「服」のデザインの世界とは?;
ファッションにおいての服も「モノ」である。「モノ」は時代とともに「進化」する。
では、「モノの進化」すなわち「服」の進化あるいは、「服」の技術革新という視点もこれから
の新しさには大事な視点になる。
“時代が変わる”事とは、この根幹の一つにはそれぞれの時代に生活している人間が得た豊かさ
からの「自由度」から生まれる“ゆとり”あるいは精神的な余裕性が社会を変革することに他なら
ない。しかし、デザイン・ビジネス全般においては未だに、モノの表層あるいは見え方と機能に
十分に引っかっている。あらたな時代が提示してくれる“新たなゆとり”から生まれる思想や価値
観から掘り起こしそれらをデザインに落とし込むまでの文化的プロセスがファッションデザイン
の世界では年々より、軽薄で単純になっている。このファッションの世界では為されるデザイン
によって生まれ変わるモノの表層のニュアンス即ち、シーズン毎の“トレンド”と呼ばれている
この世界の「差異化構造」の「壁紙」の張り替え作業の繰り返しが依然、変わらず市場化して
いるのに過ぎないのが現実のファッションの世界。このファッションの世界システムそのものに
も「進化」は見られない。
これは戦後の豊かさがもたらした、日本社会の“文化”の領域が「消費社会のための消費文化」
でしかないのもこの要因であろう。判りやすく言って仕舞えば、「儲かるための手法」でさえあ
れば良いだけの世界が時代とともにより顕著にワールドワイドになってきた時代性だと読める。
「デザインされたもの」が全て消費社会へすぐさま飲み込まれてゆくための”壁紙“デザインと
その“上書き速度と量”が要求され、”売れているモノ”を探すだけのMD主導型の世界のための
作業そのものがデザインの現実でしか無い。
実際の職場ではどの様にその“時代が変わる”状況変化というリアリティに応じて、”デザイン
する事”をフィジカルに考えが為されているのだろうか? 現実はMDという機能によって、
「売れているもの」の情報を餌とし、集められそれをデザイナーへ投げ与えて、デザイナーたち
はその与えられた情報のバリエーションをトレンド・デザインと称して、「壁紙世界の上書き」
に走る。この速度競争に勝つことが今ではブランドビジネスの必須根幹になり、この傾向はここ
数シーズンでより顕著になり、拡大もして来ている。ここにも、“ファスト・ファッション”から
の悪し影響が見られる。
もう一つに、「ファスト・ファッション」の登場によって、リアル・ファッションとは単なる
「アイテム・ファッション」になり下がり、分かりやすい着やすいコーディネート・ファッショ
ンが時代の顔になってしまったことも原因であろう。”トップス&ボトム“をどのような「壁紙
アイテム」でコーディネートするか、これがわかり易いファッションセンスになってしまったか
らだ。
「モノ」の進化として考えられていた時代の「服」のデザインには”着まわし“のセンスで着こな
す服がモードそのものまでも”進化“させていた。例えば、1着のワンピースで幾通りもの”着回し
“が可能であり着る女性も十分、楽しめるまでの工夫すなわち、「進化」がデザインそのもので
あった。
が以後、ファスト・ファッションによって誰でもがより解り易い服が市場とメディアを占領し
始め、従来のおしゃれな感覚としての”着まわし“で着こなす服がグローヴァリズム以降世界の
モードからは殆ど姿を消してしまった。最近では、2年ほど前のアンドレ・ウオーカーDSMT・
ギンザにおけるコレクションにはその精神がまだ健在であったが、「売りずらいあるいは、売れ
ない」という理由でこの先端ショップを自負している店からさえも消滅させられてしまった。
実は、30年ほど前までは自分たちがそうしたデザインで生き残って来たことを忘れてしまって
いる。(実は、覚えている、知っている社員がいないからだろう。)
◯「モノ」の進化として考えられた「服」はその時代のヒットアイテムであった。;
ここでファッションの世界は「トレンド」という差異感覚に因りどこったビジネスのための巡回
システムの根幹がある。そして、このトレンドによって「モノ」としての「服の進化」から逃れ
てきたという現実もあろう。
しかし、この21世紀は「バーチャル」に始まり、A.I.やビットコインの時代である。そろそろこ
れからの世代達のためにもこのファッションの世界でも服を”モノとしての進化“へ新たな目を再
度、向けるべき時代性が来ているようだ。
ここ数年来の”アーカイヴのヴァリエーション“を求めて、それらに「装飾性」を加えるだけがデ
ザイン・ワークそのものではないだろう。時代の豊かさがもたらすそして、「真実っぽさだけ」
の新たな生活環境に対峙した服。技術革新と自由な発想によって生まれる新たなシンプルさや機
能性とそこに必然とされる新たな素材やパーツ類などそして、ミシンに頼らない縫製技術と新た
な組み立てシステムや手法などが総合化され、新たな時代のバランス感を生み出すことで初め
て、“進化” ある新たな「モノとしての服」の姿が誕生する。そうした「進化した服」は勿論、粗
利を生む。
この「モノ」としての「服の進化」は女服のデザインよりは男服のデザインの方がより現実的で
あり、必然性がある。何故ならば、ファッションにおける男服とは所詮、“ユニフォーム“の
カテゴリィーが根幹であるからだ。だから、先日のパリ・メンズファッションウイークでこの
「進化」に興味を覚え、このシーンが今一番、ファッションの世界の先端であり、問われ始めた
と感じたのだ。
それなりの若いクリエーター達にその兆しが感じ始めまた、現れ始める時代性をも感じた。
たとえば、歴史を省みても「近代デザイン」が登場した‘20年代終わりは「ホック・ボタン」に
変わって登場した「ジッパー」や「ナイロン」素材などとロックミシンの進化などが現在のファ
ッションにおける「モノ」としての「服」の進化を大きくもたらした時代であった。これらによ
って、タイトなボディーシルエットが可能になり、モードも着る女性たちを大いに進化させた。
アーカイブを紐解いて見ても「モノ」の進化として考えられ、デザインされた「服」はそれぞれ
の時代のヒットアイテムであった。シャネル・スーツが今尚、シャネルブランドの定番となって
売れている現実や、CdGの80年代後半の5年間程には川久保玲の生み出した女性服にも多趣多様
なローブの着まわし服の進化があった。ミラノのスピーガーノ通りの裏道にあったおばちゃん服
のプリーツ屋さんに頻繁に通い工場までも見せてもらうと、とうとう先生自ら意匠登録した
イッセイのプリーツ・プリーツにせよ、僕の大好きなJ.コロナの平面パターンの表ロックミシン
うちのパンツやコオトなどなど過去のモードを振り返って見ても、その時代時代でヒットアイテ
ムとなって売れた服はやはり“進化”から生まれたデザインものがほとんどである。
近年では、今「壁紙」デザインの渦中になってしまっている元M.M.M.で、一番売れているもの
は何か?それは日本の地下足袋を進化させた“たびシューズ”である。彼らたちはこの”たびシュ
ーズ“をその後も幾度も進化させていまに続いている人気アイテムである。そして、服の進化系は
ストリート発からも読み取れる。最近ではbeautiful peopleが売りまくったボンパージャケット
のミニ版も,”コーディガン“なるカーディガン+コート丈のはおりものもこの“進化”に入るだろ
う。もう一つの世界では、YUIMA NAKAZATOが挑戦している世界もこの「進化」を根幹にし
た自分世界への高き挑みだ。
◯「モノ」としての「服の進化」に気づかせてくれた発端は、;
今回、この「服の進化」に気づかせてくれた発端はJUNYA MANのデフィレだった。
JUNYA MANがどうして、何故“コラボ・コレクション”をこれだけ長く続けているのか?
従来のファッションの目線で見ていると、もうほとんど彼のコレクションはコラボから始まり、
コラボに頼りそして、コラボによる“消化不良”を起こしている世界でしかない。だが、今だに
現状が継続されている現実。ここには、このデザイナーが為してきた実力と実績とともに、
「誰が彼とのコラボを望んでいるか?」そして、「必要としてされているか」そして、彼ら世界
規模のナショナルブランドがその根幹にこのコラボレーションで欲しているものとは?を深く読
むことで理解が出来るであろう。
今シーズンの彼のコレクションは僕的なタイトルは、「ウォリィーくんを探せ、アウトドア編」
であり、目立ったものはウエアーよりサック類だった。しかし、このアウトドアウエアーでは
その機能を担っている重要なパーツの一つに、「ファスナー」がある。JUNYAが今シーズン選ん
だファスナーはYKKではなく、「朝日ファスナー」だった。数シーズン前にもこのデザイナーは
この「朝日ファスナー」を使っていたが、今回もファスナーの持ち出し金具に特徴のあるカッコ
良いもの、“WALDES”を確りと選んで使っている。例えば、この感覚と決定がナショナル・ブラ
ンドの企画者たちへ拘りと差異感を与えるのだろう。
彼ら世界のナショナル・ブランドは自分たちの生産システムとその規模と構造を利用し、未来へ
の「モノの進化」を必然に考えなければならないビジネスの根幹があるからだ。彼らがコラボ・
デザイナーに託していることとは、自分たちが考えられないデザインの世界においての可能なる
「進化」とその「アイディア」を託しているに過ぎないのだ。
この規模のワールドワイドなビジネスにおいてのトップを走る企業は「時代に常に新しいモノ」
或いは、「時代と共にモノも進化する。」というコンセプト&コンテンツの元に彼らたちのビジ
ネス・スキル、「新しさ感」がモノのヒットを生み出すことを熟知しているからだろう。
◯今シーズンの若手デザイナーで「進化」を感じさせてくれたのは?;
20世紀のモードにおける根幹コンセプトとは着る人間の身体を”Wrap/Wrapping”する事であり
21世紀には新たなコンセプト、“Protect/Protection”へ進展し、身体だけではなく心の有り様ま
でも“Protect/Protection”する事がストリートから生まれた現代ファッション観となっている
では、今シーズンのパリの若手デザイナーでは、「GmbH」を 僕は挙げる。このフランスの
ユニットチームの時代観と新しさを感じる彼ら達の感受性の繊細さと、それを「モノ」としての
「服」に落とし込むまでの知的プロセスとシステム発想が全く新しさを生み出したコレクション
を行なった。何故ならば、彼ら達の進化のアイテムの一つに“補正/補整下着”からのデザインソー
スを読み取ることが出来るからだ。ここでは“Protect/Protection”というボキャヴラリィーが
新たな領域、「補整/補正」へ進化しデザインがなされ始めたと読めるコレクションだったからだ
着る人間の身体や心を“守る”事から”正す“或いは“補う”までのニュアンスが新らたなコンセプト
“Protect/Protection”というファッション・ボキャブラリィーに加わり、モードの世界の最新の
シーンを語り始め、これも新たな時代観と読める。
生活者個人が持ち得なければならない「セルフ・バランサー」が今という時代においては、
新たな消費のモチベーションであるヨガ等も自身の心を“補正/補整”する為の「セルフ・バランサ
ー」と読めばこの流れも理解できるであろう。
◯日本の若手デザイナーたちが考えている「ファッションをデザインするとは?」;
これを語るには僕が今、疑問視している例えば、今の時代における「ファッションアワード」と
は、その正体とはなんであろうか?この「ファッションアワード」の舞台裏を知ったならば、
これらは全て、『「客寄せパンダ」を探そう。』のカテゴリィーに収まる。
‘97年以降10年間ほど、各々のインターナショナルジュリィを数多くさせていただいて来た過去
の経験から言わせて貰えば、今現在、色々行われているファッションアワードとはその90%は
開催企業の“広告宣伝”の話題作りと客寄せパンダ発掘そして、若手のデザイナーからのアイディ
アお頂戴と“青田狩り“でしか無い。あのLVMHアワードなどはこの最たるもので日本の審査には
元バイヤーと元サッカー選手が選んでいるというお粗末な茶番劇でしかない。
しかし、「豚もおだてりゃ木に登る」で、選ばれた当事者たちはそんな内情は知らず、LVに選ば
れたという田舎者はいきなり世界のデザイナーになった気で振る舞いが始まる。ここには既に、
彼らたちの大いなる勘違いが始まり、その後の人生を傲慢にしかしない。しかし、最近ではN.Y.
で選ばれてメンズのアワードを取った“KOUZABURO”の世界は魅了させられる。彼の服の世界
観には深いプロ意識を持っている。
他方、残念ながら日本から行政絡みの”ご褒美パリ“でうつつをぬかして、パリ上陸を勘違いして
いる若手ブランドやコレクションブランドの殆どはパリのファッション広告塔のこれ見よがしの
「壁紙」を上書きする事がデザインだと勘違いしたレベルのセンスと教養と世界観が殆どだ。
或いは“パッケージ”に気を使い、これ見よがしのパッケージング・アイデァがデザインだと
糠喜びする輩たち。
この現実は仕方なであろう、今だに日本のファッション教育やその行政関係者たちは、
「デザイン」=「装飾する事」=「模倣」或いは「驚かし」(これをアートと称して、)が根底
の教育や指導が未だに風靡された世界の住民でしかないからであろう。ここには”リアリティの
欠如“の結果がもたらした、大いなる自己満でしかない田舎者たちの世界が読めるだけだ。
しかし、国家の税金を使って、これ見よがしのデザイナーを選び、パリへ送り込むその根拠は?
そして、その目標とは?結果、誰をどれだけの人たちを“幸せ”にするための国税使いなのだろう
か?
国内のアワードを取って選ばれた彼らたちに共通することとは、「ブランドに世界観や文化度が
低く、デザインする事とはにあるべき教養が低い、世界マーケットの実情を学んで来ない、売り
たいバイヤー情報を勉強していないそして、その多くは英語が不十分」という共通点が読める。
従って、この税金の使い方は官僚行政関係者が仲介役として商社(I.C系、)へ丸投げし、商社は
パリのセールスエージェントを使って彼らへ丸投げし、彼らが都合できるサロンへご膳立てをし
数日間からそれぞれがそれなりの旨みを味わう構造でしか無い。
実ビジネスを目的としたこの ”ご褒美パリ“体験ツアーとは、ここから何が生まれているのだろ
うか?
◯エピローグ;
一方、米国によって世界に蔓延してしまった21世紀社会のリアリティとしての「真実っぽさ
/truthiness」とはファッションの世界では元々からの根幹,FAKE=イメージング= TRUTHINESS
であるなら誰が「真実を仕立て上げるか」も新たな時代性の「クリエーション」になると言うま
でのパラドックスも現代である。
例えば、「真実っぽさ/truthiness」しか知らない人間が生み出せる世界は所詮、「真実っぽさ
/truthiness」の「上書き/更新」が根幹の世界観でしかないであろう。
さて、冒頭の僕が感じた明日への新たなボキャブラリィー、「革命/レボリューション」とは、
敢えて言うなれば、この「真実っぽさ/truthiness」という社会や生活環境でどっぷりと浸かり
切って生まれ育った世代が新たな世界を知ろうとする時、これらの環境や状況へ彼らたちの眼差
しでカウンターを抱く。ここから生まれる不安や不満や不平等それに、寂しさや儚さに対しての
“レヴォリューション”が生まれる可能性を思う。
それは、「真実っぽさ」のみが蔓延する世界から「真実」を守るための「革命/レボリューショ
ン」であろう。 宇宙を、地球を、自然を、人間を、身体を、性差を、個人をそして、新たな価値
観としての差異を「守る」ための 「革命/レボリューション」。
その根幹はやはり、「新たな自由による進化」が読めます。
決して、「安心のファッシズム」の中で飼い慣らされてしまった拝金主義者のための都合の良い
“自由“ではないでしょう。
このままでは、ファッション・デザインの世界はより、“キッチュ”な世界へ押し流されて
行くでしょう。
もう一度、「モノをデザインすることとは時代性と対峙した“進化”を考える事」と言う視点と
コンテンツによって為されるのもであることを再考して見る時期でもあろう。
ここに、新しい「革命/レボリューション」が共振する。
合掌。
文責/平川武治:平成6月23日:追稿7月23日+8月5日、10日:
投稿者 : editor | 2018年8月11日 21:38 | comment and transrate this entry (0)