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「近代」の綻びをモードの最前線に立って感じること。−1、

「近代」の綻びをモードの最前線に立って感じること。
*はじめに;
 僕はもう既に、2010年を過ぎた頃から、残念ですが、「モードにおける創造性」に疑問を
感じ始め、‘13年を過ぎた時点で、「モードの世界の創造」が枯渇し始めた。と生意気な問題定義
を発してきました。創造に変わって、“ブリ・コラージュ”の世界になってしまったという根幹。
 この定義の根幹は「構造としての人間の身体」はこれからも不変である。と言うことです。
即ち、モードにおける創造のその第一義は、「人間が着る」ということ。ここに、服が持つべき
「機能性」あるいは「拡張性」を考えるからです。もしかしたら、モードの世界が「進化」して
来たのもこの「機能性」ゆえ。そして、「進化」が緩やかになってきたのもこの「機能性」の為
でしょう。
 「服」における機能とは, 一つは外界への機能性、すなわち、“環境“に対しての機能性。
そして、もう一つは内観のためへの機能性。これは着る人間の”人間性や精神性“あるいは、
“気分やマインド、安心感”でしょう。それにもう一つ、“性”に対する機能性が最後に加えられ、
ここ半世紀を経たのが’70年に巴里で始まった「プレタ ポルテ」における創造と言う神話であり
脈絡でした。
 が、これがここ数シーズンで一つの歴史が終わったのでしょうか?
無論、当事者であるデザイナーたちが社会へ立脚してからの職業人としてのコレクションには、
学生時代には成績のためにこのような事を考え思い巡らせ、発想して作品を作っていましたが、
いわゆる、プロになってからの彼らたちの90%近くはこのような眼差しを持って「服」を作って
いません。では何を持って「服」作りをしているかと言えば、“トレンド”と言う儲けるための
安全枠、リスクヘッジを「流行」と称し、拠り所にして、「儲ける即ち、ビジネス」のために
毎シーズンのコレクションを作っているのが、実際の「ファッション業界」の現実であり、
この世界と構造は半世紀は変わっていません。

**「近代」と共に誕生したのが、「モード」の世界です。
 「近代」と言う19世紀後半からの時代は「人間至上主義」=「白人至上主義」=資本主義社会
=自由主義=個人主義=消費主義社会というパラダイムをヨオロッパの白人たちで構築して来ました。
そして、僕たち日本人もこのヨオロッパ発の見せつけられた「近代」と言うパラダイムの中で
あの「黒船到来」以降、急速に学び結果、「帝国主義」国家にまで発展、拡大しそして、やがて、
敗戦を経験し、その後の戦後復興と繁栄と経済効果によって、「革新」を生み出し、新たな
「豊かさ」=「差異と力」を構築し、この「近代」がもたらした循環構造の仕組みの中で現在の
ゆたかさの次に、「安心」も手中に入れて「発展」して来たのです。 
 従って、我々が当たり前のように発言している「時代が変わる」こととは「資本主義社会=
自由主義=個人主義=消費主義社会」というシステム環境内においての、それぞれの「生活の
豊かさ」のレベルアップが特に、大きなモチベーションになって「時代は変わり」、
このリアリティを感度良く誘発させ敏感にビジネスの構造と仕組みにある種、循環構造として
仕組まれ込まれたものがモードの世界における先に述べた「トレンド」でしたね。

***「近代」が綻びてきた兆しとして読める、「創造のための発想」としての概念の変化。
 モードの世界における「人間が着る」と言う機能性は当初の「Wrapping」から、90年代中期に
は「Covering」そして、2000年には既に、「Protecting」と言うコンセプトへ循環し現在では、
「Soft & Hard Protecting」に至っている事。
 そして、もう一つこのモードの重要な「機能性」が1825年にフランスで出版された、
ブリア=サラヴァンが彼の名著、「美味礼讃」で提唱した人間が持ち得ている6番目の感覚として
の「生殖感覚」に由来していることも忘れてはいけないこの「モードの機能性」なのです。
 ブリア=サラヴァンは人間の五感、視覚、聴覚、嗅覚、味覚そして、触覚にもう一つ、重要な
感覚がありそれが「生殖感覚」であると言う。「例えば、視覚は絵画や彫刻などのスペクタルを
生み出し、聴覚はメロディやハーモニィー、舞踏や音楽とそれを奏でるための道具を生み出し、
嗅覚は香料を求め、味覚は食べ物になる素材を生産し、選択し、調理することを促した。触覚は
手を用いた芸術や工芸、さらにはあらゆる工業を生み出す元となった。そして、最も重要な生殖
感覚は、・・・男と女の出会いを用意し、その結びつきを美しく演出するための道具として、
フランソワー1世が先鞭をつけたロマネスクな恋愛、コケットリィーそして、モードといったもの
を生み出した。“ロマネスクな恋愛、コケットリィーそして、モード”と言う現代社会を牽引する
3つの大きな原動力については、これらは生粋にフランスの発明である。」
(参照/「美味礼讃」: ブリア=サラヴァン著:玉村豊男訳:新潮社刊:2017年4月発行)
 従って、“モードの世界”のもう一つの機能とは、ブリア=サラヴァンが提言した「生殖感覚」
としての「男と女」の結びつきに関わる欲望や希望、感謝の念に由来するものでもあった。
 このように過去形とする理由は、モードの世界もここ数年で「男/女」間の「生殖機能」が
「GENDER」をも含める「生殖機能」(?)へ拡がったからである。
巴里のモードの世界のテーマが時代性と共に「Famme-Object」から「Homme-Object」へ、
そして最新のテーマ性は「Gender-Object」と言うまでの社会性に富んだ拡がりを持ち始めたのが
ここ数シーズンのこの世界の1番の面白さ?あるいは見せどころ?即ち、「COOL!」である。
文責/平川武治:静けさの師走、鎌倉にて。

投稿者 : editor | 2019年12月28日 17:38 | comment and transrate this entry (0)

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