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「補足版/[ Homo Deus ] 新たな「近代」を念い、考えるために。」
『 [ Homo Deus ] 私的読書感と共に、』をより、理解していただく為に、
「近代」がどの様にほころび始めてきたかをモードの世界はどの様に捉え始めたか?を論じる。
僕は唐突に同じ著者の1冊、「ホモゼウス」を紹介し、この本を叩き台として
僕が危惧する今後の“近未来”の世界が、「近代」と言う時代の“パラダイム”では、
もう全てが、政治、経済そして、民主主義と地球環境危機と気象危機それに、富の格差や人口
減少化などの現代社会が持ち得てしまった諸問題が既に現実になりつつ、諸限界に達している
と言う視点をモードの世界の最近の変化から読み込んだのがこの補足版、『[ Homo Deus ] 私的
読書感と共に、』である。
*はじめに、/
日本では昨秋に翻訳本が出版された、2冊の本を紹介しておこう。
2015、16年に出版された「サピエンス全史」(上下2巻)と「ホモ・デウス」は(上下2巻)は
最近では珍しくヨオロッパにおいて三十万部を越えるベストセラーを記録した本である。
著者は2冊ともユヴァル・ノア・ハラリで、彼は’76年生まれのイスラエルの歴史学者であり、
TEDでも喋っているし、「サピエンス全史」はNHKでも特番が組まれたから既に、既読された方
も多いであろう。
僕は「ホモ・デウス」に興味を持ったが、やはり、「歴史家」という傍観者が書いた情報量
満杯の「データー至上主義」に未来を委ねたい白人が書いたとても乾いた、“近未来歴史書”と
いう印象は免れなかった。
世界でも、「近代」と言う時代が既にほころび始めてきた事を容認する人たちが増えて来て
いる。今春、ひょんなことから鎌倉の自宅を訪れてくれたトム・サックスと話した折も最後は
この話題になり、彼はもうすでに綻びどころか、破れ始めていると言う旨のことを話して帰って
いった。きっと、彼も、このハラリの本を読んだのであろう。(?)
「近代」の次なる時代とはどの様な時代が到来するのか?その時の「人間の存在価値とは?」
あるいは「人間の役割とは?」または、「人間らしさとは?」に疑問と想像を求める迄も無く、
アルゴリズムとテクノ宗教を信仰する「白人至上主義者」の一人が書いた本である。
*モードの現在に眼差しを置くと、/
ほころびて来た近代のルールとシステムを未だに根幹にした現在の行為は今後変わらず所詮、
「上塗り」作業でしかなく、世界を変えるまでの新しい世界を生み出すシステムでは無い。
ここでは、ただのヴァリエーションを増やすだけの世界。ということは、無駄と複雑さを蔓延
さすだけの行為。そしてここでは、彼らたちしかこの「近代」構造システムによって得られる
「利権/ライセンス」或いは、「コラボレーション」を発展増長するだけの世界でしょう。
最終的にはこれら「利権」を持っているものが一人勝ちしている世界でしかない。
そして、そんな彼らたち、その多くは「ラグジュアリィ・ファッションビジネス」でこの世界
をリードしている白人社会は、ここに「文化度」を付加・構造化するために、モードの世界も
新たに「FOUNDATION・BUSINESSES 」の世界を構築してしまいましたね。
ここでは売れなかった「在庫」も選ばれて、諸サンプルズを自社内で保管しておくことより、
保管場所を変えること即ち、「FOUNDATION」を設立しここで保管すると言う手法ですね。
ここには、ブランドビジネスの根幹である、「イメージ」+「来歴」によって全く、「新たな
価値」が生まれると言う手法を見つけ出したのです。
この手法は何も全く新しくはなく、むしろこの手法も彼ら、白人至上主義者たちが「近代」を
構築した際に生み出した、「アートビジネス」が根幹でしょう。
「ないものを、あるように見せかける」為の仕組みと装置を構築し、「ないもの」から付加価値
と呼ばれる“価値”を生み出す装置である。このビジネス構造の根幹は「文化は武器である」と
言うまでのある種、白人文化至上主義者たちの予見の見事さが功を生み出した強かなビジネス
モデルの世界です。僕がよく言っている、“The fashion is always in fake.”が根幹だからです。
*オークションハウス「サザビーズ」の場合或いは、これからの“ブランドビジネス”の
新しさとして、/
例えば、あのアート・オークションを商っているご存知「サザビーズ」は、80年台代はじめに
アメリカの不動産業で富裕層に成り上がったアルフレッド・ドーフマンが買収しその後、彼の
新しいアイディアによって、現代のような「アートビジネス」構造が構築されたと言う事実を、
日本でも、昨今のアートキュレターと称している輩たちはどれだけ彼の事を知っているか?
それまでの「絵画作品」はその殆どが「骨董商」的商い手法で、古い「ファイン・アート」と
称される絵画を発掘品と宝石装身具と室内装飾品類を骨董商よろしく、商っていたこの商売も
例に漏れず、「関係性ビジネス」です。その後、この世界をオークション方式を採用して商って
来たのが「旧・サザビーズ」。そして、買収後の「サザビーズ」のA.ドーフマンによって現在の
規模と構造とシステムに生まれ変わった。当然ここには新たな商材としの「現代アート」と言う
分野がパリから、‘68年以降のN.Y.C.へ移って来たことも由来しているでしょう。
ここで、この当時ロンドンの「サザビーズ」を買収して、新たな「アートビジネス」を構築した
A.ドーフマンが成した新しさを紹介しよう。ここには、現在の「ラグジュアリィ・ブランド
ビジネス」の新たな行方が読み取れるからです。多分、LVMH社のM.アルノーは彼から多くの
知識を学習したのであろう。
まず、彼が幾らで「サザビーズ」を買収したか?
その買収価格は1億3900万ドル(当時のレートで、)でした。
そして、彼が自分の会社になって為したこととは、これまで排他的だった美術市場へ新規参入
者たちをウエルカムし始めた。当然、この世界は先にも述べた、「関係性」が信条のビジネス
だからです。
しかし、彼はそれまで、閉ざされていた”顧客の窓“を開いたが、決して「玄関戸」は変わらず
閉じている。そして、新たな、美術品投資家を開いた窓から入ってくる作家とともに、新たな
顧客層として育成化した。その根底に彼は、芸術を商う事も、“小売店で扱う日常の商品の一つ
と見なしていた”と言う。
そして、具体的に彼がイノヴェーションした事とは、
1)資金融資システム
2)保険システム
3)修復、保管等のサービス & システム
4)メセナのためにスタッフたちをアートに関心のある企業への派遣システム
5)オークション前の“下見会ツアー”システム
6)宣伝、キャラバン等のプレス広報活動
これらが代表とされた改革事項であった。結果、美術市場を”ブランド化”させたのである。
彼が目指した、”ブランド化“とは、「商品/モノ」と実際の価格の関連性をいかに、世の中に
強く定着させるか?そして,新たな”価値”を生むこと。その為には、"Provenance/”来歴”という
作品のアイデンティティをリアリティ化する事であり、その役割とプロセスが大切な機能となる
ことを読んだ強かさな発想であろう。
“Provenance means the origin or history of something.”by John Myatt:
このアートビジネスの世界では、”絵画作品“の所有権の移転歴が作品の価値を生む最も重要な
ファクターであることの事実を認めた上での、” 移転歴連鎖記録“の作成に務めた。
”来歴“とは、『画家のアトリエから美術館へ、オークション会社からコレクターへ、絵画が
どのように動いたのか、その軌跡を明らかに示す一連の書類―受領書や送り状、手紙展覧会の
図録―と云ったものが事実上の作品の芸術的価値を構成する。その年記の中に著名なギャラリィ
やコレクターが仲介していた事を記録出来ればいい。作品の名声は作品自体の質だけに基づく
のではなく、その血統によっても決まってくる。』これが彼が構築したロジックな”来歴”論で
ある。そして、コレクターの心理とは『その絵画が持ち得た”神話”の一部を共有する事に優越感
を持つ事である。』と、読む。
では、美術館の仕事とは、その一つは、作品の展示展観。即ち、プレゼンテーション&
プロパガンダ。そして、教育と保管管理と作品の情報制作とその管理と広報である。
それに,美術館のもう一つの重要な仕事として,“来歴”の作成がある。この”来歴記録リスト“
の作成と保管する人が、立場の高い「ARCHIVIST/アーキヴィスト」と呼ばれる人たちである。
結局、彼、A・ドープマンが為した根幹とは、「美術の世界での3つのポイント」を熟知した
教養と経験値が現在の「サザビーズ」をイノベーションしたのである。
その3つとは、「1)敷居の高さへの挑戦。2)価値/ヴァリュウ。3)流動性。」であろう。
これらは、”窓を開けて新たな空気を入れ替える“ことに他ならないだろう。
ただし、「玄関ドアは閉めておけ!!」である。(これはユダヤ人しかわからない。)
さて、これでお解りであろう、モードの世界はもう既に、この「アートビジネス」の一端が
「ラグジュアリィの世界」へも押し寄せて来た現実。90年代も終わりから、プラダをはじめ
とした各ラグジュアリィ・ブランドの“ファッション・ファウンデーション”の設立がここ10年間
ほどのファッションビジネスの新しいリアリティである。
自分たちが選んだアーカイヴスはメゾンで保管していればそれらは全て、課税対象となるが、
“別棟”を構築してそこで保管すれば、課税対象にはならず、むしろ、新たな価値が生まれる。
その選ばれたアーカイヴスの価値は先述の「アート・ビジネス」に寄り添えるまでの価値を
生み出す。そして、昨今のSNS機能を駆使すれば、アーカイヴスの“来歴”が飛び交い”流れる“。
と言うことは、「美術の世界での3つのポイント」がクリアー可能な構造なのである。
例えば、より具体的な仕組みでは、昨今の「コラボレーション」と言うビジネス形態である。
どこのブランドと“コラボ”をしたということが“来歴”となって、そのデザイナーブランドの“名声
=価値”が創成される。ここにもユダヤ人特有の「関係性ビジネス」の根幹が漂っている。
ここまで書くともう,お解りでしょう。
今後のモードの世界もこの方向性が必然性を持って来ます。
そうです,“ARCHIVES"の世界をどのように"PROVENANCE"して行くか。
ここで,モードの世界にも”ARCHIVES”を記録し,それを管理活用して行く ”ARCHIVIST
/アーキヴィスト”という新たな役割が必要になるのがこのモード産業の近未来でしょう。
未だ,日本のファッション産業は“市場”構造でしかありません。
作られた鮮度のあるものをその賞味期間中にどれだけ売り切るか?そして、後は,見切り、
セール販売にかける。この繰り返しですね。
今、この”アーキヴィスト”に近い実ビジネスを始めたのが、青山にあるヴィンテージショップ
でしょう。ランウエーでそのシーズンの「壁紙」になったデザイナーモノのオリジナルをネット
や古着屋からかき集めてきてそれなりの高価な値段をつけて「リース&セールス」と言う商いを
始めています。パリからのそのレベルのデザイナーたちが東京へきたら訪れるこの手の”有名店”に
なっています。例えば、ヴァレンシャガアのデザイナーが探していたものは90年代までのM.M.M.
モノ。これらのオリジナルがここでは買えると言う迄のビジネスです。
この商いの新しさは“ アーキヴィスト”的でしょう。
ここで,やはり,“モードビジネス”ということを新しさとして考える必要がありますね。
デザイナーは誰でもがなれる時代性になってしまった、この「近代」の崖っぶち現象の一つで
しょう。
※[Adolph Alfred Taubman /アルフレッド ドープマン:A&Wオーナー/(born January 31,
1924): American real estate developer and philanthropist.
Taubman bought the ailing British auction house, Sotheby's, in 1983.]
参照/https://en.m.wikipedia.org/wiki/A._Alfred_Taubman
*ファッションの世界も「近代」という時代の産物です。/
1832年にミシンが発明されファッションの産業化が促進発展した。(シンガー1号は1850年に
開発された。)その現実は「男性」と「女性」という二項対立の世界観をこのファッションの世界
でも確立し、社会的存在価値を尊ぶ「男性」世界と”求められる女性観“がその存在価値である
「女性」世界にモードの世界もそれぞれの領域を築き、「Femme Objects」を根幹として
「進化・発展」を「近代」という時代の表層を被覆化して来たのがヨオロッパにおけるモードの
世界でした。
20世紀も終わりの15年ほど前に初めて登場した、“ジェンダー論”と当時の「GAY」たちへの
讃歌をこのモードの世界も歌い始めたが、その現実の「男性」服と「女性」服の関係性は事実上
現在まで変わらず依然、「メンズ」&「レディース」というカテゴリーで展開されて来ている。
しかし、最近のモードの新しさとは、ここ数シーズン来、社会的に問題化され始めて来た
「ジェンダー/Lgbti」を新たな顧客として意識しイメージングにも取り扱われ始めたことです。
これは従来からの「男性」と「女性」の性的カテゴリィーが崩れ始め、新たな“ゾーン”が認めら
れ始めたという“新しさ”でしょう。
気がつくと、「男性」と「女性」の間に、「GAY & LESBIAN」が参入しそして、現在では
その“グレーゾーン”であった性的ゾーンそのものが社会的な衆目を浴びるまでに至り、「男性」
と「女性」の中間ゾーンを新たなモードの領域とした創造性が現れ始めた事です。
「男性」モードは、「ユニフォーム」(スクール、スポーツ、ミリタリー、ワークスそして、
ホワイトカラー)というカテゴリィーであり、「女性」モードは「コスチェーム」(民族衣装、
歴史衣装と舞台衣装)というカテゴリー でその“2項対峙”のバランスを図って来たのが現在までの
「モードの近代」の根幹でした。
しかし、先シーズンのパリ・メンズコレクションに於いてもこの「ユニフォーム」と
「コスチューム」がビミョーに重なり始めました。
(この好事例はやはり、「CdG H.P.」のオペラ”オーランドの衣装“コレクションでしたね。)
そのコレクションにおける現れは、アイテムやコーディネートそして、使われる素材そして、
後加工としてのプリント、イメージングとしてのヘヤーやメーキャップに顕著に”新しさ“を
コレクションでランウエーさせたのが昨年の6月のパリメンズ F.W.のランウエーの楽しさでも
ありました。
この、“「ユニフォーム」と「コスチューム」がビミョーに重なり始めた”ことによって,
先シーズンのパリは、僕は「ニュアンスのユニフォーム」と「キャンプなコスチューム」という
新たなボキャブラリィーを創出した程です。
従来は、「ユニフォーム=機能性」と「コスチューム=エレガンス」の世界でしか無かった
このモードに新たに、「気分やニュアンスのユニフォーム」と 「ビミョーな存在感ある=CAMP
なコスチューム」という発想が幾人かのデザイナーたちのランウエーから感じ取ることが出来、
それそのものが面白く、新鮮さが感じられたのです。
ここでのMD的発端はその数シーズン前から白人たちがイエローに続く新たな顧客として、
“黒人”たちを自らが呼び込んだ事でこの現代の表層の新しい動きはより、その可能性が広がり
モードの世界は素早く“黒人”たちと“GENDER”たちを両方味方にし、「時代の壁紙」としての
“CAMPな新たなマーケット”戦略が生まれたと読める。こもう一つ、の流れを素早くクールに
仕掛けたのが、ブランドLV.だったことで余計にその流れに勢いがついたのが現在のパリ。
もう一つ、僕はこの新しさは、「近代」そのもののある根底が中和・溶解され始めた証と
感じ、「近代の終焉」が 近づき始めているという視点をも改めて感じたのです。
*おわりに、/
しかし、モードの世界は常に、“逃げ足の早い”世界です。いわゆる、時代の「壁紙」をデザイン
する「壁紙デザイナー」とは、「はったりと逃げ足の早さ」のタイミングの旨さがデザイナーの
身上、良し悪しを決定していることも確かです。
故に、彼らたちは、まだ「近代」のパラダイムの中でただ、時代の表層の「壁紙」を張り替え
「近代」の綻びを繕う作業を繰り返すだけなのかあるいは、根幹から「近代」を創生する作業
例えば、「縫わなくてもいい服」や、「サスティナブル/シリカル」をチョイスするのか?
或いは、これらが“共生“された世界を求めるのか?
これらの処方の選択は、持ち得た生活のリアリティを服作りの根幹にして、自分の世界観と
倫理観ででブランドをディレクションしてゆく、新たな「ファッション・ディレクター」に
委ねるのか、自分が気になる探し求めたイメージやSNSによって服作りを変わらず繰り返している
「ファッション・デザイナー」に未だ、委ねなければならない世界なのか?
このモードの世界の現在点は、例えば、現在世界の幾つかの都市、香港やパリで起こっている、「終わらないデモ集会」と言う”リアリティ“がやがて、”イメージによる政治体質“を変革させ、
「近代」のパラダイムが、これからの”地球との新たな「関係性」“を構築すると言う迄の世界観
に通じるのか?
僕が見続けてきたこの35年のパリモードの世界はこのような視点からは然程、変化がない、
変わらず閉ざされた世界だと言うことでもありますね。言い換えれば、モードの世界の「進化」
とは、新たな創造性が消滅し始めたためにその速度が年々、スローになって、「昨日が新しい」
という迄の世界で戯れているのでしょう。
「次なる近代」のモードの、その作り手とは「A.I.」たちに着せる服をデザインする輩たちが
斬新なデザイナーと言うまでの世界なのでしょうか!?
合掌。
文責/平川武治:
投稿者 : editor | 2020年1月15日 08:31 | comment and transrate this entry (0)