« 最終回/[ Homo Deus ]私的読書感と共に、新たな「近代」を思い考えるために。 | メイン | 「補足版/[ Homo Deus ] 新たな「近代」を念い、考えるために。」 »

[ Homo Deus ] 私的読書感と共に、新たな「近代」を思い考えるために。−第二部/

[ Homo Deus ] 私的読書感と共に、新たな「近代」を思い考えるために。
第二部;
初稿/令和元年八月:
参照/「ホモ・デウス(下)ーテクノロジーとサピエンスの未来」/著名;ユヴァル・ノア・ハラリ
(株)河出書房新社;2018年発行/

 *とはいえ、本書を締めくくる第三部では、
この人間至上主義の夢を実現しようとすれば、新しいポスト人間至上主義のテクノロジーを
解き放ち、それによって、ほかならぬその夢の基盤を損なうだろうと主張することになる。
 人間至上主義に従って感情を信頼したおかげで、私たちは代償を払うことなく現代の契約の
果実の恩恵にあずかることができた。
 私たちは、人間の力を制限したり意味を与えてくれたりする神を必要としない。
消費者と有権者の自由な選択が、必要とされる意味を全て提供してくれるからだ。
 それならば、消費者と有権者は断じて自由な選択をしていないことに私たちがいったん
気づいたら、そして、彼らの気持ちを計算したり、デザインしたり、その裏をかいたりする
テクノロジーをいったん手にしたら、どうなるのか?
 もし全宇宙が人間の経験次第だとすれば、人間の経験もまたデザイン可能な製品となって
スーパーマーケットに並ぶ他のどんな品物とも本質的に少しも違わなくなったときには、
一体何が起こるのだろう。

 *個人主義と人権と民主主義と自由市場という自由主義のパッケージに支配されている。
とはいえ、二一世紀の科学は、自由主義の秩序の土台を崩しつつある。科学は価値にまつわる
疑問には対処しないので、自由主義者が平等よりも自由を高く評価するのが正しいのかどうか、
あるいは、集団よりも個人を高く評価するのが正しいのかどうかは判断できない。
 一方、自由主義も他のあらゆる宗教と同じで、抽象的な倫理的判断だけではなく、自らが事実
に関する言明と信じるものにも基づいている。

 *そもそも「欲望」を選ぶことはできるか?(P-106)
私は自分に欲望を選ぶことは出来ない。欲望を感じ、それに従って行動するにすぎない。
魂など存在せず、人間には「自己」と呼ばれる内なる本質などないことを一旦、受け入れれば
「自己はどうやって自らの欲望を選ぶのか?」と問うことに意味なさなくなる。
「本当に生き物に自由意志がないならば。」生き物の「欲望」を操作し、意のままにさえできる
可能性がある。
 より、日常的な自由主義の目標を達成するためにも、自分の脳内の電気回路を操作する
だろう。人は外部から気を散らされて、自分の最も大切な真の欲望に気づき損ねることが多い。

 *「思い出」を消去できるシステム。(P-123)
私たち人生における重大な「選択」ーパートナー、キャリア、住まい、休暇などの選択の大半は
物語る自己が行う。
 経験する自己と物語る自己は完全に個別の存在ではなく緊密に絡み合っている。
物語る自己は重要な原材料として私たちの経験を使って物語を創造する。すると、その物語が
経験する自己が実際に何を感じるかを決める。自分を物語る自己と同一視する。
 私たちが「私」というときには自分がたどる一連の経験の流れではなく頭の中にある物語を
指している。
 自由主義の疑わしい信念は、私たちが生まれてから死ぬまで変わることのない単一の
アイデンティティがあるという感じを常に維持することから生まれている。

 *国家や貨幣や神と同様に自己もまた想像の物語である。
自分の見た映画や、読んだ本、耳にした演説、耽った白日夢と混ぜ合わせその寄せ集めの中から
自分が何者でどこからきて、どこへ行くのかにまつわった物語を織り上げる。
 この物語が私が私に、何を好み、誰を憎み、自分をどうするかを命じる、すべてただの物語に
過ぎない。

 *それならば、人生の意味とは?何なのか?(P-130)
自分に自由意志を使って自分の人生ばかりではなくこの世界全体の意味を生み出すべきなのだ。
現代の自由主義者たちは、個人の自由な選択が人生に意味を与えてくれると信じているが、
どちらも同じような妄想でしかない。(=映画「アギーレ、神の怒り」もそうだった。)
 「個人の自己は幻想である。」

 *「宗教的信念と政治的制度の全く新しいパッケージが必要になる。」
民主主義と自由市場と人権は今後の、テクノロジーによって個々の人間に自由意志など全く
許さない時代にどのように生き延びられるか?

 *二十一世紀の後半には、一人一人の人間が比類のない価値のある個人であり、
その自由な選択が権威の究極の源泉であるという信念は脅かされる。
(P-132)
・人間は経済的有用性と軍事的有用性を失い、そのため、経済と政治の制度は人間にあまり価値
を付与しなくなる。=従来の人間が持っている価値が変質する。
・経済と政治の制度は集合的に見た場合の人間には以前として価値を見出すが無類の個人として
の人間には価値を認めなくなる。=集団化>個人
・経済と政治の制度は、一部の人間にはそれぞれ無類の個人として価値を見出すが、彼らは人口
の大半ではなくアップグレードされた“スーパー”という新たなエリート層を構成する。=新階級

 *近代における「自由主義」が成功したのは、
政治的にも経済的にもそして軍事的にも、一人一人の人間が必然であり大切であったからであり
人間全員に価値を与えることが理に適っていたからである。
 すべての国民には等しい価値と等しい政治的権利(参政権)がることを認め、人々に政治的
権利を与えれば、動機付けや自発性が高まり、それが戦場と向上の両方で役立った。
 
 *女性に参政権を与えたことも同様である。
産業化戦争においては女性が不可欠な役割を果たすことに気付いた結果であった。(=日本の18
歳の参政権はこのルールによってなされた、政府の遅れてきた陰謀)21世紀の戦争と経済におい
ては男も女もそれぞれの価値が失われるからである。

 *戦争手段は極めてゲーム的にテクノロジーに一握りの専門家とアルゴリズムに委ねたものになる。
したがって、多くの人間は戦争に役立たなくなり、ただの盾的な役割になってしまった。

 *「経済」の領域でも、人権と自由を守るのは、
道徳的な義務であると同時に経済成長のカギであった。「経済と人権と自由」を自由化した国家
が戦争に勝利した。(=フランス、イギリスそして、アメリカ)

 *最近の専制君主国がクーデター後に行ったこととは
これらの自由主義化であった。その理由は道徳的理由ではなく、経済的理由からであった。
 
 *一般大衆が経済的重要性を喪失すれば道徳的理由だけで人権と自由が守れるだろうか?
新たなエリート層と政府は経済的な見返りが無くなった大衆の一人一人の人間を尊重し続ける
か?(今の中国を見ればいい。)

 *過去には人間しか出来ないことが沢山あった。
だが、これからの時代にはA.I.とP.C.が間も無くほとんどの人間の仕事で人間を凌ぐ可能性が強く
なると、人間は直ちに、経済的な価値を失う危機に直面する。
 なぜなら、知能が意識と分離しつつあるからだ。
今日まで、高度な知能は常に発達した意識と密接に結びついていた。より、高い知能を必要と
する仕事は意識のある人間にしか出来なかった。が、現在ではそのような仕事を人間よりも
はるかに上手くこなせる意識を持たない新しい種類の知能が開発されているからだ。
 これらは、総て、パターン認識に基づいた、意識を持たないアルゴリズムがこれらのパターン
認識を行い、人間の意識を程なく凌ぐからだ。

 *人類の歴史は、生物の進化は意識の筋道に沿ってのろのろと進んできた。
だが、非生物であるP.C.の進化はそのような流れをそっくり迂回してスーパーインテリジェンスへ
と続く全く別の早道を辿るかもしれない。

 *知識と意識では、どちらの方が本当に重要なのか?(p-138)
二十一世紀の今後では、軍と企業とにとっては答えは単純明快で、知能は必須だが、
意識はオプションに過ぎない。そして、人間の経験や多くの大衆たちの仕事を消去するだろう。
(参照/マターサイト・コーポレーション)(P-146)

 *21世紀の最も重要な課題は、
膨大な数の余剰人口と人員をどのようにするか?あるいは、彼らたちはどのように生き延びる
か?(P-147)

 *従来からの「農業<工業<商業<サービス業」という求人の流れが変わる。
機械よりも人間の方がうまくこなせることが常にあった時代、人間には身体的なものと認知的な
ものという2種類の基本的な能力がある。この身体的な能力の面だけ機械が人間と競っている限り
は人間の方がうまくこなせる認知的な仕事が多くあった。ところが、パターンを認知記憶そして
分析したりする点においてもアルゴリズムが人間を凌ぐようになると、何が起こるか?
・生き物はアルゴリズムである。あらゆる動物は膨大な歳月をかけた進化を通じて自然選択に
よって形つくられた有機的なアルゴリズムの集合体である。
・有機的アルゴリズムに出来ないことは非有機的アルゴリズムでは可能。

 *「心を持たないアルゴリズムが人間よりも上手に教えたり、診断したり、デザインをし
たり出来るようになれば人間はどうしたらいい?

 新しい世代のA.I.は人間の助言よりも機械学習を好む。

 *過去の人間はずーと、「専門化」を進化させて来た。
A.I.が人間を求人市場から締め出すには特定の職域が要求する特別な能力で人間を凌ぎさえば
良いことである。アルゴリズムが人間を求人市場から押しのけて行けば、富と権力は全能の
アルゴリズムを所有する、ほんの僅かなスーパー・エリートたち、大富豪たちの手に集中して
空前の社会的、政治的不平等社会を生み出し、新たな独占社会の可能性もある。(すでに一部の
世界では現実となりつつある。)
 また、アルゴリズム自体が所有者になるかもしれない世界、アルゴリズムが「法人」を所有
することも可能である。アルゴリズムは人間の主人の思い通りになる必要はなく、自ら巨大な
ベンチャーキャピタルファウンドを所有できる。

 *現在の地球の殆どは、既に、人間でない共同主観的なもの、すなわち、国家と企業に合法的
に所有されている。
(EX.土地はその国家が総て所有している実態。)
 産業革命によって、新しい労働階級が生まれ彼らたちの前例のない欲求と希望と恐れによって
誕生したのが都市プロレタリアートだ。

 *21世紀には私たちは新しい巨大な「非労働者階級」が誕生するかもしれない。
経済的価値や政治的価値、さらに、芸術的価値さえ持たない人々、社会の繁栄と力と華々しさに
何の貢献もしない人々、ほとんどが雇用不能な「無用者階級」の登場である。
 例えば、2030年ごろまでには、例えば、「ヴァーチャル世界でのデザイナー」のような新しい
職業が誕生するかも知れないが、人間がアルゴリズムよりも上手くこなせる新たな仕事を見つけ
出さなければならないだろう。

 *教育においても、今日、既に子供達に何を教えて良いのかがわからなくなって来ている。
現在子供たちが学校で習っていることの大半は、彼らたちが40歳の誕生日を迎える頃には
おそらく時代遅れになっているだろう。

 *「人間は何をするか?」
このような時代になれば、人間は何をするか?何かする必要がある。
することがなければ頭がおかしくなる。
 「薬物とP.C.ゲーム」というのが一つの答えかも知れない。あるいは、3Dのヴァーチャル・
リアリティの世界で時間を費やすことも多くなる。
 夢の国で人工的な経験を貪って日々を送る無用の怠け者たちの、どこがそれほど神聖なのか?
このような生き方は、人間の人生と経験は神聖であるという自由主義の信念には致命的であろ
う。

 *自由主義は人間の価値を信じているし、個人主義も信奉している。
よって、軍事的にも経済的にも無用になるという脅威と,人間は必要とされても個人は必要と
されない時代が来る。政治と経済の制度は個人から権威と自由を奪う。

 *生き物はアルゴリズムの集合体である。(P-161)
人間を構成しているアルゴリズムはみんな自由ではない。
 二十一世紀のテクノロジーのおかげで、外部のアルゴリズムが人間内部に侵入して自分より、
自分についてはるかによく知ることができるようになる。
そこで、自由主義はシステムが自分自身以上に自分の事を知るようになったときには崩壊する。

 *二十一世紀の新しいテクノロジーは、人間至上主義の革命を逆転させ、
人間から権威を剥ぎ取りその代わり、人間ではないアルゴリズムに権限を与えるかもしれない。
 生き物はアルゴリズムであると生物学者たちが結論した途端、彼らは生物と非生物の間の壁を
取り壊し、コンピューター革命を純粋に機械的なものから、生物学的な大変動に変え、権威を
個々の人間からネットワーク化したアルゴリズムへと移し た。
 
 *個人というものは、宗教的な幻想以外の何物でもないことが明るみに出るだろう。
現実は生化学的アルゴリズムと電子的なアルゴリズムのメッシュとなり、明快な境界も、個人と
いう中枢も持たなくなる。

 *自由主義に対する三つの実際的な脅威のうち、
その第一は人間が完全に価値を失うこと、
第二が、人間は集団として見た場合には依然として貴重ではあるが、個人としての権威を失い、
代わりに、外部のアルゴリズムに管理され、ポスト自由主義の世界となる。
 自由主義に対する第三の脅威は、アップグレードされた人間の、少数の特権エリー ト階級と
なることだ。 ほとんどの人はアップグレードされず、コンピューターアルゴリズムと新しい超人
たちの両方に支配される劣等カーストとなる。

 *自由主義のイデオロギーの基盤が崩れる。
自由主義は、社会経済的な格差とは共存できる。自由主義は平等よりも自由を好む。
自由主義は、人間は全て等しい価値と権限を持っていることを、依然として前提としている。
 社会的不平等に対する自由主義の解決策は、異なる人間の経験に等しい価値を与えることだ。
世界の最高富裕層62人の資産を合わせると。最貧層の36億人の資産の合計に匹敵する。
 将来は、アップグレードされた上流社会と、社会の残りの人々との間に、身体的能力と認知的
能力の本物の格差が生じるかもしれない。

 *医学は途方もない概念的大変革を経験している。
二〇世紀の医学は、病人を治すこ とを目指していた。
だが、二一世紀の医学は、健康な人をアップグレードすることに、しだいに狙いを定めつつある
 病人を治すのは平等主義の事業だった。
健康な人をアップグレードするのはエリート主義の事業だ。卓越した記憶力や、知能、最高級の
性的能力を望む。
 二〇世紀に医学が一般大衆のためになったのは、二〇世紀が大衆の時代だったからだ。
二〇世紀の軍隊は何百万もの健康な兵士を必要とし、経済は何百万もの健康な労働者を必要と
した。国家は公衆保健サービスを創設し、万人の健康と活力を確保した。最大の偉業は、
大衆保健施設の設立と、集団予防接種活動と、集団感染の根絶だった。

 *大衆の時代は終わりを告げ、二一世紀には無用の三等車を置き去りにして、一等車だけで
突き進むのが最も効率的な戦略となりうる。

 新しい超人のカーストを生み出し、科学的な発見とテクノロジーの発展が大量の無用な人間と
少数のアップグレードされた超人エリート層に分割したなら、権限が人 間から知能の高い
アルゴリズムの手にそっくり移ったなら、その時には自由主義は崩壊する。

 *テクノ宗教が幸福や平和や繁栄、さらには永遠の命さえ約束する。
テクノロジー の助けを借りて ? 新しいテクノ宗教は、テクノ人間至上主義とデータ教という
二つの主要なタイプに 分けられる。
 人間を森羅万象の頂点と見なし、人間至上主義の伝統的な価値観の多くに固執する。
テクノ人間至上主義は、はるかに優れた人間モデルであるホモ・デウスを生み出すために、
テクノロジーを使うべきだと結論する。
 *ホモ・デウスはアップグレー ドされた心身の能力も享受する第二の認知革命を引き起こせる
かもしれない。

 *WEIRD、「西洋の、高等教育を受けた、工業化された、裕福で、民主的な」という
意味の英語の語句、

平均的な人間の平凡な経験を神聖視するようになった。
(「Western.educated,industrialises,rich and democratic」)
 ハーヴァードで心理学を学ぶ学生の精神世界を記した詳細な地図はあるものの、
アメリカ先住民のシャーマンや仏教の僧侶やイスラム教神秘主義者の精神世界については、
解っていることがずっと少ない。(WEIRDは学ぶ必要性を感じていないから?=白人至上主義)
 医師や技術者や消費者が、精神疾患の治療とWEIRD社会での生活の享受に専念しているかぎり
標準未満の精神状態とWEIRDの心理を研究していれば、私たちの必要は十分満たされたのかも
しれない。(=白人至上主義)
 ところが今後、30世紀の幕開きの頃、自由主義的な人間至上主義がテクノ人間至上主義に道を
譲り、医学が病人の治療よりも健康な人のアップグレードに次第に的を絞っていく中、私たちは
完全に異なる種類の課題に直面している。
 心のアップグレードは主にWEIRDの人々の標準的な精神状態や標準未満の精神状態の
スペクトルなので、どんな目的地を目指せばいいのかすらわからない。

 *超標準の領域は、科学にとって概ね人跡未踏の地のままだ。
私たちは全く地図を持たずに突き進み、現在の経済や政治の制度が必要とする心的能力をアップ
グレードすることに的を絞り、他の能力は無視したり、ダウングレードしたりさえするかも
しれない。例えば、太古の人間はおそらく、嗅覚を幅広く使っただろう。 現代の人間はFOMO
(見逃したり取り残されたりすることへの恐れ)に取り憑かれており、かつてないほど多くの選択肢
があるというのに、何を選んでもそれに本当に注意を向ける能力を失ってしまった。  
 <FOMO/https://www.gqjapan.jp/life/news/20140829/fomo_momo>
 匂いを嗅いだり、注意を払ったり、夢を見たりする能力が衰えたせいで、私たちの人生は
貧しく味気ないものになったのだろうか?
 経済と政治の制度にとっては、十分価値があった。
人間の心に対する将来のアップ グレードは、政治的な必要性と市場の力を反映する可能性が
高い。 私たちは首尾良くアップグレードできるかもしれないが、その過程で心を失いかねない。
 
 *テクノ人間至上主義は人間をダウングレードすることになるかもしれない。
能力を強化されたチンパンジーだった。だが将来は、特大のアリになるかもしれない。
 テクノ人間至上主義は、私たちの欲望がどの心的能力を伸ばすかを選び、それによって未来の
心の形態を決めることを見込んでいる。
 
 *今後、テクノロジー の進歩のおかげで、
その欲望を作りかえたり生み出したりできるようになったら、 何が起こるのか?
 不満だらけの結婚生活にはまり込んだ女性は、その生活が提供する経済的な安心感を失うのを
恐れる。シプラレックス(抗うつ薬)生化学的な不均衡と神経疾患の産物。

 *汝自身に耳を傾けよ!という、人間至上主義の第一の戒律は
もう、自明ではなくな った。内なる声のボリュームを上げ下げすることを学ぶと、
本物の自己への信仰を捨てる。

 *自分の意思をデザインしたりデザインし直したりできるようになった日には、
あらゆる意味と権威の究極の源泉と見なすことはできないだろう。

 *人間至上主義によれば、人間の欲望だけがこの世界に意味を持たせるという。
もし自分の欲望を選べるとしたら、いったい何に基づいてそうした選択ができるのか?
私たちが自分の欲望を厄介に感じることがあっても、テクノロジーはそこから救い 出してくれる
ことを約束する。

 *テクノ人間至上主義は、
人間の意志がこの世界で最も重要なものだと考えているので、人類を促して、その意志を
制御したりデザインし直したりできるテクノロジー を開発させようとする。つまるところ、
この世で最も重要なものを思いのままにで きるというのは、とても魅力的だから。
とはいえ、万一そのように制御できるようになったら、テクノ人間市場主義には、その能力を
使ってどうすればいいのかわからない。
 神聖な人間もまた、ただのデザイナー製品になってしまうからだ。

 *テクノ宗教は、
人間のような存在の欲望や経験を中心に回ったりはしない世界を予見している。

 *意味と権威の源泉として、欲望と経験に何が取って代わりうるのか?
その候補とは、情報だ。最も興味深い新興宗教はデータ至上主義で、宗教は神も人間も崇める
ことはなく、データを崇拝する。

 *生命科学では生き物を生化学的アルゴリズムと考えるようになった。
データ至上主義はこうして、動物と機械を隔てる壁を取り払う。そして、ゆくゆくは電子工学的な
アルゴリズムが生化学的なアルゴリズムを解読し、それを超える働きをすることを見込んでいる

 *すべての科学者に共通の言語を与え、
学問上の亀裂に橋を架け、学問領域の境界を越えて見識を円滑に伝え広める。
音楽学者と経済学者と細胞生物学者が、ようやく理解し合えるのだ。

 *人間はデータを洗練して情報にし、
情報を洗練して知識に変え、知識を洗練して知恵に昇華させるべきだ。

 *データ至上主義者は人間の知識や知恵に懐疑的で、
ビッグデータとコンピューターアルゴリズムに信頼を置きたがるということだ。

 *生物学がデータ至上主義を採用したからこそ、
コンピューター科学における限定的な躍進が世界を揺るがす大変動になったのであり、
それが生命の本質そのものを完全に変えてしまう可能性が生まれたのだ。

 *経済とは欲望や能力についてのデータを集め、
そのデータをもとに決定を下す仕組みなのだ。本質的には、競合するデータ処理システムだ。
 資本主義が分散処理を利用するのに対し、共産主義は集中処理に依存する。分散型データ処理
が集中型データ処理よりも巧くいくからだ。

 *二一世紀に再びデータ処理の条件が変化するにつれ、
民主主義が衰退し、消滅さえするかもしれないことを意味している。
 データの量と速度が増すとともに、選挙や政党や議会のような従来の制度は廃れるかも
しれない。それから非論理的だからではなく、データを効率的に処理できないからだ。(P. 216)

 *一九世紀と二〇世紀には、
産業革命がゆっくりと進展したので、政治家と有権者はつねに一歩先行し、テクノロジーの
たどる道筋を統制し、操作することができたのだ。
 「政府というカメはテクノロジーというウサギに追いつけない。」
アメリカのNSA(国家安全保障局)は私たちの会話や文書を全て監視している。
テクノロジーが政治を出し抜く。AIとバイオテクノロジーは間も無く私たちの社会と経済を
ーそして体と心もーすっかり変えるかもしれない。

 *権力がみなどこへ行ったか誰にもわからないというのが、悲しい真実なのだ。
イギリスがEUを離れても、トランプがホワイトハウスを引き継いでも、権力は一般の有権者の
もとには絶対に戻らない。

 *二一世紀初頭の政治は壮大なビジョンを失っている。
政府は単なる管理者になった。国を管理するが、もう導きはしない。彼らの狙いがごく限られて
いるからだ。
 混沌としたシステムでは視野が狭い方が有利に働くし、億万長者の権力は彼らの目標と緻密に
釣り合っている。

 *二一世紀に、従来の政治の構造がデータを速く処理しきれなくて、
もう有意義なビジョンを生み出せないのならば、新しくてもっと効率的な構造が発達して
それに取って代わるだろう。そのような新しい構造は、民主主義でも独裁制でもなく、以前の
政治制度とは全く異なるかもしれない。唯一の疑問は、そのような構造を構築して制御するのは
誰か?だ。
 もはや人類がその任務を果たせないのなら、ひょっとすると誰か別の者に試させることに
なるかもしれない。

 *データ至上主義の視点に立つと、
人類という種全体を単一のデータ処理システムとして解釈してもいいかもしれない。
一人ひとりの人間はそのシステムのチップの役目を果たす。
1    プロセッサーの数を増やす。
2 プロセッサーの種類を増やす。
3 プロセッサー間の接続数を増やす。
4 既存の接続に沿って動く自由を増やす。

 人類は過去七万年間に、まず拡散し、その後別々の集団に分かれ、最後に再び一体化した。
それぞれの集団はそれまで集め、発達させてきた独自の考えと道具と行動の遺産を持ち寄った。

  [ Homo Deus ] 私的読書感と共に、新たな「近代」を思い考えるために。
第二部/終わり:
参照/「ホモ・デウス(下)ーテクノロジーとサピエンスの未来」/著名;ユヴァル・ノア・ハラリ
(株)河出書房新社;2018年発行/
文責/平川武治:

投稿者 : editor | 2020年01月11日 03:27 | comment and transrate this entry (0)

コメントしてください




保存しますか?