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Paris Fashion Week Homme 20/21 A/Wの新しさを読む。

「先月の巴里・20/21 A/W メンズ・ファッションウイークから時代感を読む。」
 
 1)はじめに、一つの提言;
 「もう、皆さんも気がついていらっしゃるでしょう、
白人至上主義によって構築された「近代」のパラダイムはこの200年ほどで
綻びが出始めてきた現実を。
 白人が白人たちのために構築された「近代」のパラダイムの根本原理は植民地政策主義と
産業革命から始まった、「自由主義+個人主義」者たちの「富」への願望とその為の
「二者択一」が主構造。この構造は彼らたちの宗教感覚からの根幹でしかありません。」

 これが既に、今の時代の速度とスケールに持ちこたえられなくなってきました。
ここで新たな次世代のための「近代」の構造を構築するには僕たちのような宗教観の違う
民族の知恵と価値観も混合せねばならない”ワールドマインド・ミックス」な時代性でしょう。

 2)俯瞰私論;
 今シーズンのパリでは、その多くのデザイナーたちは、自分たちの立ち居場所の、そのエッジ
に立ち止まってしまって、”向こう側“へ行けず、誰かが、その向こう側への“架け橋”或いは、
“後ろ“を押してくれるのを待ってしまったことによる無様な“立ち往生”のシーズンであった。
 その為か、その立ち往生を誤魔化すための余剰的な演出のショーが多かった事でも読める
までの、誰かが、「明日」を指差してくれるのを待っている惨めな「壁紙デザイナー」たちが
より、目立ったシーズンでした。
 多くの白人デザイナーたちはまだ自分たちの古ボケてしまった「近代」に固執し続け
「近代ボケ」故に、自分たちの立ち居場所さえ確認できずに今までの「近代」のZAPPING・
COLLECTIONSしか為す術がなかったシーズン。
 また、白人デザイナーメゾンはここ数シーズン来、“黒人たち”と言う新たな顧客に熱い
ビジネス的な眼差しを投げ掛ける事に始終専念した為にメンズモードの世界もただ、
”キッチュ“な、”CAMPな”世界を展開し、ここにも“エレガンス”と言うモードが持ち得るべき
形容詞が見当たらないシーズンが続く様になった。
 そんな中での今シーズンはやはり、UNDER COVERとMIYASHITASOLOISTのコレクションは
他のデザイナーたちを抜きん出、白眉でそれぞれが素晴らしい世界観を見せてくれたシーズン
だった。
 この様な現実に嫌気を覚え、時代観を読み込んだコレクションを行ったのがまずは、
UNDER COVERであり、僕はジョニオくんの時代を読む感の鋭さと勇気とその根性に驚き、
次には称賛した。
 もう一つが、MIYASHITASOLOISTの今シーズンだった。MIYASHITAも彼らたちをあざけ
笑う様に、その自信と熱意と根性によって、すばらしい”GENDER・ELEGANCE”なコレクション
を見せてくれた。
 ショーの会場選び、その空間を見事に使いこなした演出と自分が焦がれるモードへの想いを
音でも見事に奏で雰囲気をもちろん、キャスティングとメイク&ヘヤーデザインも自分が
イメージングした確かな世界観に基づいて完璧な世界観を生み出し、見事なまでの美しい
コレクションだった。
 35年間、パリのモードを見続けている僕が久々に、マヌカンが白い耀きの影の向こうから
現れたオープニングで肌の毛穴が全開してしまって、或る種のアレドナリンが出たのを
今だに覚えている。実際、このパリでも、この様なコレクションランウエーを見ることは
ほとんど少なくなってしまったから余計であった。

 3)私視点ー1;
 『ユニフォームをどれだけエレガンスに、コスチュームをどれだけユニフォームに、』
 この根幹はここ数シーズン来のモードの世界に顕著に現れた「GENDER MIX」旋風である。
 モードが始まって以来、”女性服と男性服”だけの領域の世界に新たに登場したこの中間領域は
これからの新しい社会を生み、新たな可能性をもたらし始めている。
 そして、この中間領域そのもの登場が「近代」が綻び始めた一つの現実でもあることを
認識しよう。
 「女性服」は“コスチューム”のカテゴリィであり、「男服」は“ユニフォーム”と言うモードの
世界の構造は「近代」と言う時代とその社会を背景にほぼ、200年ほどが継続されてきた。
 しかし、60年代後半からの、「CAMP論」そして、80年代の「ジェンダー論」から現実社会の
「GENDER MIX」の登場によってこのモードのカテゴリィーも重複するまの変化と“新しさ”が
この世界の創造性そのものになり始めた。
 そこでモードの世界で具現化されたこととは、「女らしい男」と「男らしい女」というCAMP
な性的ゾーンへのアプローチである。
 よって、考えられるのが、前述した、
『 ユニフォームをどれだけエレガンスに、コスチュームをどれだけユニフォームに、』
と言う新しいコンセプトである。これは今シーズンも過大な影響を残した。
 しかし、この傾向を多くのデザイナーが顕著に表したのは服のデザインではなくランウエーの
モデルのキャスティングであり、メイクやあのブランドの様に物議を醸し出したヘヤーデザイン
によるところが多かった。
 しかし、MIYASHITASOLOISTに登場したそのメインアイテムの”拘束服“からのトップスは
全く、「ユニフォームを美しく着れるエレガンスに、」創造されていたのは注目に値した。
 そして、このような時代になると、メンズ・ファッションのメインアイテムである“カジュアル
スポーティウエアー”はより、着る人間の豊かさが渇望するまでのニュアンスを考慮した、
”コージー・ウエアー“と言う新らたなカテゴリーが考えらる。
 或いは、「ニュアンスのユニフォーム」とでも呼べるあらたな「ユニフォーム」の世界が
このメンズの新しさを創造始めた。
 
 4)私視点ー2;
 今シーズンにおける、所謂「トレンド」の代表の一つに、「グラフィズム」がある。
 「素材感+オーバーサイズ+レイアード+パッチ・ワーク+グラフィズム+ZAPPING」が
挙げられるトレンドだったが、中でも特に、目立ったのはそれが分かり易いからであろうか、
“グラフィズム”はいろんなデザイナーがその趣を凝らしていた。
 中でも、僕の印象では、UNDER COVERのとCdG H.P.のグラフィズムが世代間相違の
良い例になろう。
 先ず、CdG H.Pはこのブランドらしさを演出しただけで、何も新しさはなく、無難なビジネス
を過度に考慮したの範疇のグラフィズムであった。その根幹に80年初めにミラノで一世を風靡し
た“メンフィス・デザイン”とそのバリエーションでしかなかった。これでは若い世代は彼らの
無知も含めて新鮮にも伝わらないし、僕たちの世代からはもう使われすぎて古い感じしか残ら
なかった。ただ、”CdG H.Pらしさ“と言う範疇のコレクション。むしろ、コレクションで印象に
残ったのは、未だ短めのパンツ丈とそこから覗かせた“ソックス”だった。スニーカーが下火に
なってきた昨今では、僕の好きな古いタイプのソックスが復活しましたね。
 それに比べれば、UNDER COVERのグラフィズムは素晴らしかった。そして、上手かったし
新しかったと言える。
 ここでも「古ぼけた近代」を蹴落として、あえて、白人世界へ挑んだ彼の「YELLOW MIND」
に拍手。中でも、彼の今回のコレクションで見せたジョニオくんが全てを手掛けたグラフィズム
観は白人世界も含めた“ミレニム世代”にはたくさんの「共通言語」を与えた。彼らたちは、
「ゲーム世代」でもあるからだ。当然“漢字”を使ったグラフィズムである事、読めない漢字を
彼らたちのゲーム世代に共有するグラフィズムに仕上げられている。
結果、これはCdG H.Pのそれとは大いに差異がついた新しいものとなった。
 CdG H.Pブランドも日本ブランドとされているが、現在のように極論すれば、派手さと
「ユダヤ人ウケ」を狙ったデザインコンテンツが今後、どこまで通用するか?僕は疑問に感じて
しまったシーズンであった。
 もう、CdG H.PやJUNYA-MANそれに、RAF、L.V.、O.W.では無い、UNDER COVERや
MIYASHITASOLOISTという“YELLOWなオタク”メンズ・デザイナーの時代到来と感じた。
文責/ 平川武治; 

投稿者 : editor | 2020年2月23日 23:41 | comment and transrate this entry (0)

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