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UNDER COVERとMIYASHITASOLOISTから読む新たしさとは⁉️
「UNDER COVERとMIYASHITASOLOISTとの違い。」/
今シーズンの彼らたちは共に、映画からインスファイアーされたコレクションを創り上げた。
「蜘蛛巣城」と「ジョーカー」と言う、相容れない映画がその発端となった。
が、一つ特記すべきは、それぞれが「病院と戦場」と言う世界観で創造がなされたことである。
ここには「ユニフォーム」が現存している世界である。彼らたちはそれぞれのユニフォームから
インスファイアーされて、自分たちの美意識によって世界観を構築したスーパー・クールな
コレクションに仕上げたことに僕は感嘆する。
UNDER COVERのコレクションには僕も驚いた。
というのも、僕が5年ほど前に、今後のモードの新しさを創造するには「ミシンと糸」と言う
縫製工程を考えないで考えられるクリエーションが今後の全く新たなモードの創造性になると
言い切って、その僕の発想の根幹が「甲冑」であったからだ。
戦国時代の武将たちが装着したそれぞれの地位に見合った意匠と機能性に凝った
甲冑をインスパイアーした所での「WITH OUT SEWING」プロジェクトを発言していたからだ。
この「甲冑」はユニフォームとしての機能性があり、着る武将たちのそれぞれの地位を
象徴した「装飾」が施され、異素材とその後加工、漆や板金によってマクラメでまとめあげられ
ていることである。そして、昨今にわかに注目を浴び始めた、アフリカン・ブラックたちの
戦闘時に身につける“衣装/コスチューム”もこの範疇に根幹がある。
ここに、現在のモードの世界が辿り着いた「衣裳と制服」の根幹が読める。
こんなことも、今シーズンの彼らたちunder coverとMIYASHITASOLOISTのコレクションから
諭されたことであった。
今のような世間になると、「壁紙の上塗り」と言うデザインは誰でもが出来るご時世である。
外国ブランドの、外国人デザイナーたちが大枚を払って“広告代”を使ってメディアで騒がれた
からと言って、その「上書き/トレース」が巧いと言うメディア報道はもう過去のレベルでしか
ない。自分たちの持ち得た「美意識と文化度」でどれだけ、心に触れたコレクションに対して
「深読み」が出来るか?これが評論というものであろう。
もう一つ、今シーズンのパリのメンズで面白い事が起こった。
それは、奇しくも、もう1人この「甲冑」をコレクションアイテムとして発表したデザイナーが
いた事である。彼の名は”Yoshio KUBO”である。N.Y.在住で頑張っているYellowなデザイナー。
多分、ほとんどのメディアは報じないであろうが、Tokyo からと、N.Y.から機を同じにして
「甲冑」が白人社会のもとで発表された、こんな時代がやっと、やってきたと目論見僕は喜んでいる。
1年前のCdG、川久保玲のコレクションで、彼女が初めてシリコンラバーを使って創作した
アイテムに「甲冑」があった。しかし、彼女の「甲冑」は西洋のそれであり、やはり、今回の
under coverの覚悟と勇気はそれより、「あたらしく、Super Cool」であった。
MIYASHITASOLOISTで感じるこのデザイナーのもう一つの美意識とセンスの良さ、
そして、考えこみの深さを商品に落とし込んでいる発想に惚れ込んでいる。
彼が継続してやっている「A parts of the Body」というコンセプトに注目し、時代性を読む。
ネックカラーであり、今回のハーフ・ベストであり、この彼の発想はやはり、古くて、新しい
コンセプトになってモードの先端を今後ゆくであろう。
もう、トータルコーディネートをワンブランドでという甘いビジネスにはほとんど無理が始ま
る時代でもある。また、こんな着こなしは、「着こなし」とは言わないダサさであろう。
そこで、「服でない服」或は、「ファッションでないファッション」という新しい
カテゴリィーを読む。この「服でない服」を寄せ集めて「服」にしていたのが、M.マルタン・
マルジェラの手法の一つにあった。
この僕の発想視点は、先日のベルリンでのクラブ、“BERGHAIN”での体験であろう。この世界
の最先鋒を誇り、一番入るのが難しいクラブBERGHAINで感じた事が、”What’s means the
Fashion?”であった。僕が今までに見てきたファッションが全くない。
ほとんど、80%が”ネイキッド“および、それに近い装いなのである。
彼ら彼女たちは、自分たちが「隠したいいところ」或は、「見せたいところ」への”装い“でしか
ないのである。しかしここでも、多くの彼らたちから「ユニフォーム」という視点は読める。
「個人主義者+自由主義者」たちが求める彼らたちの「自由」は「快楽」を求める。その彼ら
たちがそれぞれ求める「快楽」の為の「ユニフォーム」なのである。その時に”ブランドもの“を
めかしこむ事が既に野暮であるという現実。ここでそんなユニフォームに味方をするのが、
「A parts of the Body」と言うコンセプトが、スーパー・クールなのである。
https://www.berghain.berlin/en/
MIYASHITASOLOISTの純白なカラースカーフだけ。あとは、”ネイキッド“という想像は
僕を夢心地にした。
次回訪れる機会が、もし僕の生涯で未だ、あれば、「これで決めてやろう!」
※追記:
しかし、時代は動いている。こうしているうちに今度は全く異質な顧客が登場し、彼らたちを
新たなターゲットにしなければならない時代がもう目前でもある。
その新たな顧客とは「GENERASIONーZ」である。
プレタポルテのデザイナーたちはこの世代へのアプローチへの考えは皆無である。
ほとんどの彼らたちはいつも、自分たちの目先の動きしか読んでいない。
あるいは、余裕がないのである。モノとしてのファッションにどれだけの心を動かすか?
あるいはそれなりの価値を見て今までのように高価なものを買う顧客なのか?
この新しさは女性服の世界ではより、大きく影響を与えるであろう。
例えば、昨年の、パルコのリニュアルで登場させた、「CdG girl」はこの新たな世代を
予知させるこのメゾンだから出来る「先手必勝」MD戦略であろう。
が、本来は自分たちのブランドを“2階たて”に構造変革が必要になろうがここに来ての、
「コロナウイルス」による中国生産の痛手は大きくこのモードの世界にもブレーキをかけて
しまった。したがって、それぞれの世界での新たな世代へ向けての「スタンダード」と言う
ミッションが価値を生みだろう。
はじまった、F.W.Parisでは、どのような反応或は読みもしくは企みを読ませて頂けるか!?
或は、「A parts of the Body」と言うコンセプトが発信されるのか?
合掌。:
文責/平川武治:巴里ピクピィス大通りにて。
投稿者 : editor | 2020年2月25日 18:53 | comment and transrate this entry (0)