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NINOMIYA NOIR コレクションで感じてしまった事。
「NINOMIYA NOIR 」コレクションで感じてしまった事あるいは、覚めてしまった事。
このデザイナーの当初から持ち得た“純朴な発想と仕事ぶり”が大好きな僕である。
なので、彼のデヴュー以来そのほとんどのコレクションを見続けて来た。
そんな僕が今シーズンのコレクションで感じたことを正直に書こう。
今シーズンも変わりなく、とても彼らしい世界観と華麗なコレクションであった。
いや、今回はより、変わらず、力作のもの凄いコレクションであった。
既に、2016年から8シーズン続いて巴里でもコレクションを行い、今シーズンから
公式カレンダーに組み入れられた。それによって新たなジャーナリストたちが見る機会を得た
シーズンでもあった。
だから、力が入ったものとなったのだろう。今までのオーナメンタル-エレメントにフェザーと
メタルワイアー等という新たな“物質”素材が加わったのが際立った。
そして、全体が大きな有機物の塊に見えてしまう程の“力作”のオンパレードなショーだった。
又、珍しく、今シーズンはこの企業のそれぞれのビッグ・ブランド、CdGとJUNYAが共通して
出した、“吊り下げる”というコンセプトがこのブランドでも幾体か見られた。
僕が発言している、「服でない服」の登場。所謂、「サスペンダー」タイプのものである。
そして、今シーズンの僕の眼差しは、「The Armor’s Objects for the Vanity.」である。
僕がこのデザイナーの存在を知った5年程で彼のコレクションは成長しているのだろうが、
今シーズンを見ると、すべてがそうとは言えないと感じた。
”大きな塊“の存在感だけが目立ったからでもあろうか、彼の持ち味であるはずの繊細さが
隠れてしまったのか、この手のコレクションになると、どれだけ、繊細なエレメントによる、
ほとんど手作業による完成度でしかない。使われる素材が違っても基本的には“手工芸”の世界で
ある。
では、このデザイナーがこの街のモードの主軸である“オートクチュール”と言うカテゴリィー
で発表しないのか?と言う疑問も湧いてくる。が、この街のクチュール世界が持っている規約に
不十分であるからであろうか? あるいは、この“古くて新しい”世界への挑戦はこの企業その
ものが許さない。その理由は”企業内ヒエラルキィー“が存在しているからであろうか?あるいは
このデザイナーの立ち居場所が日本的に“不明確な”ことによって起こるビジネスに託しているの
だろうか?
というような現実的なことを顕著に、この企業の体質を熟知している僕が考えてしまった
コレクションでもあった。
諸手を挙げて「凄いでしたね!!」は殆ど素人的視点でしかないであろう。
もっとも今日の”ファッションジャーナリスト“として観ている観客の多くはブロガーであり、
SNS、インスタ.の世界の若者が多い。そういう観客には、「凄いね!!」という所謂、
「インスタ映え」効果だけで十分な世界に成り下がってしまっているのが現実でもあるからだ。
それなりの従来からの新聞や雑誌の編集者たちも、書くことと言えば、「業界スズメ」的なる
話題で読者へこの世界の裏側を寸視させる事を始終し始めて久しい。もう、このモードの世界が
行なっている「ファッションウイーク」とは完全なる一つの「エンターテイメント」業であり、
入場料を取らない代わりに、思い切り沢山、“インスタ”で繋げて下さい。そして、「売り上げに
も出来れば、ご協力ください。」という構造でしか無くなってきた現実がこのメゾンの“力作”
コレクションにも感じてしまったのである。
僕は「ファッションデザインとアート作品」は違うと言い切っている。
創造物をアート作品にするには、あるいは語るにはそれなりに「哲学」を学び、美意識をより、
深めて自らの生活の日常からにして欲しい。
では、このデザイナーはこれ程までの、“力作”をこれ程までの数を何の為に発表するのか?
女性こゝろにあるそれぞれの変身願望、「花になりたい!」「鳥になりたい!」
「綿玉になりたい!」「スモッグになりたい!」あるいは、「オブジェになりたい」etc.,,,
このような女性たちの変わらぬ「乙女こゝろ」へ向けて創作されたのであろうか?
このコレクションを着たくなり、欲しがり、買えるまでのリアリティある層が現実にどれだけ
想像出来るか?(特に、この“プレタ”の世界では如何なものであろうか?)
また、作り手は自分が造る世界を誰に着てもらいたいか、誰に売りたいかを想像してこれ程
までの手作業(?)と時間を費やしているのだろうか?
これだけの作品群を作り出すこととは、それなりの人の思いとアイディアと願望と欲望が先ず、
働く。あとは準備と手作業にかかる所要時間と体力とそして、これらを現実にするための
ヒエラルキーと大切なのがやはり「金力」である。それなりの「資金力」が必要であり、それに
よってこのコレクションがなされている。
と言う事は、現代社会に於いては「お金があれば、なんでも出来る」と言う時代観故の
コレクションなのか?とも、感じてしまった。
彼個人が持ち得た「自己願望と欲望」それらが企業のビジネスのための「イメージングと
諸戦略」等と重なれば良いと言うまでの「聞き分けの良い、お利口さんデザイナー」なので
あろか?あるいは今の日本人の若者のほとんどがそうであるように、「自己弁護」の為の聞き
分けの良い「お仕事」なのだろうか?
デビュー当時はこのブランド名である「NOIR」と言う立居場所が明解にあり、それがこの
デザイナーが心使う“繊細さ”を表し、「黒」と言う有彩色の世界を美しく新しいバランス観で
表現されていた。使われたエレメント類を引き算しても、そこには「服」という“美しさ”が確実
に存在したブランドであった。
だか、今シーズンのこのデザイナーの“力作”コレクションからは、僕にとってのこれらの
「ファッション」の大切なものが見え辛く心痛めた。
「安全ピン」「タータンチェック」「黒/赤」「鋲打ち」「イミーション」、、、、、、
これらはこの企業のそれぞれのショー・ブランドが“売り物”にしている「PUNK あるいは、
PUNKらしきさ或は、リアリティなきPUNK」が見事にこのブランドにもエディケーションが
なされているシーズンでもあった。
従って、この企業グループもそろそろ「固まり始めて来た。」と読んでしまったのは
この企業を35年間見続けて、熟知していると自惚れた僕の深読み過ぎるのであろうか?
最後に、このコレクションを見た「generationーZ」世代の女性に感想を聞いてみたが、
その本音は、「美しい、凄いコレクションだけど、、、、」「何の為に?」「誰のために?」と
いう言葉がやはり、帰ってきた。
「もう、あの時代ではないのだ!!」
僕も気をつけよう。
合掌。
文責/平川武治;巴里ピクピィス大通り。
投稿者 : editor | 2020年3月 2日 20:54 | comment and transrate this entry (0)