2020年2月25日
UNDER COVERとMIYASHITASOLOISTから読む新たしさとは⁉️
「UNDER COVERとMIYASHITASOLOISTとの違い。」/
今シーズンの彼らたちは共に、映画からインスファイアーされたコレクションを創り上げた。
「蜘蛛巣城」と「ジョーカー」と言う、相容れない映画がその発端となった。
が、一つ特記すべきは、それぞれが「病院と戦場」と言う世界観で創造がなされたことである。
ここには「ユニフォーム」が現存している世界である。彼らたちはそれぞれのユニフォームから
インスファイアーされて、自分たちの美意識によって世界観を構築したスーパー・クールな
コレクションに仕上げたことに僕は感嘆する。
UNDER COVERのコレクションには僕も驚いた。
というのも、僕が5年ほど前に、今後のモードの新しさを創造するには「ミシンと糸」と言う
縫製工程を考えないで考えられるクリエーションが今後の全く新たなモードの創造性になると
言い切って、その僕の発想の根幹が「甲冑」であったからだ。
戦国時代の武将たちが装着したそれぞれの地位に見合った意匠と機能性に凝った
甲冑をインスパイアーした所での「WITH OUT SEWING」プロジェクトを発言していたからだ。
この「甲冑」はユニフォームとしての機能性があり、着る武将たちのそれぞれの地位を
象徴した「装飾」が施され、異素材とその後加工、漆や板金によってマクラメでまとめあげられ
ていることである。そして、昨今にわかに注目を浴び始めた、アフリカン・ブラックたちの
戦闘時に身につける“衣装/コスチューム”もこの範疇に根幹がある。
ここに、現在のモードの世界が辿り着いた「衣裳と制服」の根幹が読める。
こんなことも、今シーズンの彼らたちunder coverとMIYASHITASOLOISTのコレクションから
諭されたことであった。
今のような世間になると、「壁紙の上塗り」と言うデザインは誰でもが出来るご時世である。
外国ブランドの、外国人デザイナーたちが大枚を払って“広告代”を使ってメディアで騒がれた
からと言って、その「上書き/トレース」が巧いと言うメディア報道はもう過去のレベルでしか
ない。自分たちの持ち得た「美意識と文化度」でどれだけ、心に触れたコレクションに対して
「深読み」が出来るか?これが評論というものであろう。
もう一つ、今シーズンのパリのメンズで面白い事が起こった。
それは、奇しくも、もう1人この「甲冑」をコレクションアイテムとして発表したデザイナーが
いた事である。彼の名は”Yoshio KUBO”である。N.Y.在住で頑張っているYellowなデザイナー。
多分、ほとんどのメディアは報じないであろうが、Tokyo からと、N.Y.から機を同じにして
「甲冑」が白人社会のもとで発表された、こんな時代がやっと、やってきたと目論見僕は喜んでいる。
1年前のCdG、川久保玲のコレクションで、彼女が初めてシリコンラバーを使って創作した
アイテムに「甲冑」があった。しかし、彼女の「甲冑」は西洋のそれであり、やはり、今回の
under coverの覚悟と勇気はそれより、「あたらしく、Super Cool」であった。
MIYASHITASOLOISTで感じるこのデザイナーのもう一つの美意識とセンスの良さ、
そして、考えこみの深さを商品に落とし込んでいる発想に惚れ込んでいる。
彼が継続してやっている「A parts of the Body」というコンセプトに注目し、時代性を読む。
ネックカラーであり、今回のハーフ・ベストであり、この彼の発想はやはり、古くて、新しい
コンセプトになってモードの先端を今後ゆくであろう。
もう、トータルコーディネートをワンブランドでという甘いビジネスにはほとんど無理が始ま
る時代でもある。また、こんな着こなしは、「着こなし」とは言わないダサさであろう。
そこで、「服でない服」或は、「ファッションでないファッション」という新しい
カテゴリィーを読む。この「服でない服」を寄せ集めて「服」にしていたのが、M.マルタン・
マルジェラの手法の一つにあった。
この僕の発想視点は、先日のベルリンでのクラブ、“BERGHAIN”での体験であろう。この世界
の最先鋒を誇り、一番入るのが難しいクラブBERGHAINで感じた事が、”What’s means the
Fashion?”であった。僕が今までに見てきたファッションが全くない。
ほとんど、80%が”ネイキッド“および、それに近い装いなのである。
彼ら彼女たちは、自分たちが「隠したいいところ」或は、「見せたいところ」への”装い“でしか
ないのである。しかしここでも、多くの彼らたちから「ユニフォーム」という視点は読める。
「個人主義者+自由主義者」たちが求める彼らたちの「自由」は「快楽」を求める。その彼ら
たちがそれぞれ求める「快楽」の為の「ユニフォーム」なのである。その時に”ブランドもの“を
めかしこむ事が既に野暮であるという現実。ここでそんなユニフォームに味方をするのが、
「A parts of the Body」と言うコンセプトが、スーパー・クールなのである。
https://www.berghain.berlin/en/
MIYASHITASOLOISTの純白なカラースカーフだけ。あとは、”ネイキッド“という想像は
僕を夢心地にした。
次回訪れる機会が、もし僕の生涯で未だ、あれば、「これで決めてやろう!」
※追記:
しかし、時代は動いている。こうしているうちに今度は全く異質な顧客が登場し、彼らたちを
新たなターゲットにしなければならない時代がもう目前でもある。
その新たな顧客とは「GENERASIONーZ」である。
プレタポルテのデザイナーたちはこの世代へのアプローチへの考えは皆無である。
ほとんどの彼らたちはいつも、自分たちの目先の動きしか読んでいない。
あるいは、余裕がないのである。モノとしてのファッションにどれだけの心を動かすか?
あるいはそれなりの価値を見て今までのように高価なものを買う顧客なのか?
この新しさは女性服の世界ではより、大きく影響を与えるであろう。
例えば、昨年の、パルコのリニュアルで登場させた、「CdG girl」はこの新たな世代を
予知させるこのメゾンだから出来る「先手必勝」MD戦略であろう。
が、本来は自分たちのブランドを“2階たて”に構造変革が必要になろうがここに来ての、
「コロナウイルス」による中国生産の痛手は大きくこのモードの世界にもブレーキをかけて
しまった。したがって、それぞれの世界での新たな世代へ向けての「スタンダード」と言う
ミッションが価値を生みだろう。
はじまった、F.W.Parisでは、どのような反応或は読みもしくは企みを読ませて頂けるか!?
或は、「A parts of the Body」と言うコンセプトが発信されるのか?
合掌。:
文責/平川武治:巴里ピクピィス大通りにて。
2020年2月23日
Paris Fashion Week Homme 20/21 A/Wの新しさを読む。
「先月の巴里・20/21 A/W メンズ・ファッションウイークから時代感を読む。」
1)はじめに、一つの提言;
「もう、皆さんも気がついていらっしゃるでしょう、
白人至上主義によって構築された「近代」のパラダイムはこの200年ほどで
綻びが出始めてきた現実を。
白人が白人たちのために構築された「近代」のパラダイムの根本原理は植民地政策主義と
産業革命から始まった、「自由主義+個人主義」者たちの「富」への願望とその為の
「二者択一」が主構造。この構造は彼らたちの宗教感覚からの根幹でしかありません。」
これが既に、今の時代の速度とスケールに持ちこたえられなくなってきました。
ここで新たな次世代のための「近代」の構造を構築するには僕たちのような宗教観の違う
民族の知恵と価値観も混合せねばならない”ワールドマインド・ミックス」な時代性でしょう。
2)俯瞰私論;
今シーズンのパリでは、その多くのデザイナーたちは、自分たちの立ち居場所の、そのエッジ
に立ち止まってしまって、”向こう側“へ行けず、誰かが、その向こう側への“架け橋”或いは、
“後ろ“を押してくれるのを待ってしまったことによる無様な“立ち往生”のシーズンであった。
その為か、その立ち往生を誤魔化すための余剰的な演出のショーが多かった事でも読める
までの、誰かが、「明日」を指差してくれるのを待っている惨めな「壁紙デザイナー」たちが
より、目立ったシーズンでした。
多くの白人デザイナーたちはまだ自分たちの古ボケてしまった「近代」に固執し続け
「近代ボケ」故に、自分たちの立ち居場所さえ確認できずに今までの「近代」のZAPPING・
COLLECTIONSしか為す術がなかったシーズン。
また、白人デザイナーメゾンはここ数シーズン来、“黒人たち”と言う新たな顧客に熱い
ビジネス的な眼差しを投げ掛ける事に始終専念した為にメンズモードの世界もただ、
”キッチュ“な、”CAMPな”世界を展開し、ここにも“エレガンス”と言うモードが持ち得るべき
形容詞が見当たらないシーズンが続く様になった。
そんな中での今シーズンはやはり、UNDER COVERとMIYASHITASOLOISTのコレクションは
他のデザイナーたちを抜きん出、白眉でそれぞれが素晴らしい世界観を見せてくれたシーズン
だった。
この様な現実に嫌気を覚え、時代観を読み込んだコレクションを行ったのがまずは、
UNDER COVERであり、僕はジョニオくんの時代を読む感の鋭さと勇気とその根性に驚き、
次には称賛した。
もう一つが、MIYASHITASOLOISTの今シーズンだった。MIYASHITAも彼らたちをあざけ
笑う様に、その自信と熱意と根性によって、すばらしい”GENDER・ELEGANCE”なコレクション
を見せてくれた。
ショーの会場選び、その空間を見事に使いこなした演出と自分が焦がれるモードへの想いを
音でも見事に奏で雰囲気をもちろん、キャスティングとメイク&ヘヤーデザインも自分が
イメージングした確かな世界観に基づいて完璧な世界観を生み出し、見事なまでの美しい
コレクションだった。
35年間、パリのモードを見続けている僕が久々に、マヌカンが白い耀きの影の向こうから
現れたオープニングで肌の毛穴が全開してしまって、或る種のアレドナリンが出たのを
今だに覚えている。実際、このパリでも、この様なコレクションランウエーを見ることは
ほとんど少なくなってしまったから余計であった。
3)私視点ー1;
『ユニフォームをどれだけエレガンスに、コスチュームをどれだけユニフォームに、』
この根幹はここ数シーズン来のモードの世界に顕著に現れた「GENDER MIX」旋風である。
モードが始まって以来、”女性服と男性服”だけの領域の世界に新たに登場したこの中間領域は
これからの新しい社会を生み、新たな可能性をもたらし始めている。
そして、この中間領域そのもの登場が「近代」が綻び始めた一つの現実でもあることを
認識しよう。
「女性服」は“コスチューム”のカテゴリィであり、「男服」は“ユニフォーム”と言うモードの
世界の構造は「近代」と言う時代とその社会を背景にほぼ、200年ほどが継続されてきた。
しかし、60年代後半からの、「CAMP論」そして、80年代の「ジェンダー論」から現実社会の
「GENDER MIX」の登場によってこのモードのカテゴリィーも重複するまの変化と“新しさ”が
この世界の創造性そのものになり始めた。
そこでモードの世界で具現化されたこととは、「女らしい男」と「男らしい女」というCAMP
な性的ゾーンへのアプローチである。
よって、考えられるのが、前述した、
『 ユニフォームをどれだけエレガンスに、コスチュームをどれだけユニフォームに、』
と言う新しいコンセプトである。これは今シーズンも過大な影響を残した。
しかし、この傾向を多くのデザイナーが顕著に表したのは服のデザインではなくランウエーの
モデルのキャスティングであり、メイクやあのブランドの様に物議を醸し出したヘヤーデザイン
によるところが多かった。
しかし、MIYASHITASOLOISTに登場したそのメインアイテムの”拘束服“からのトップスは
全く、「ユニフォームを美しく着れるエレガンスに、」創造されていたのは注目に値した。
そして、このような時代になると、メンズ・ファッションのメインアイテムである“カジュアル
スポーティウエアー”はより、着る人間の豊かさが渇望するまでのニュアンスを考慮した、
”コージー・ウエアー“と言う新らたなカテゴリーが考えらる。
或いは、「ニュアンスのユニフォーム」とでも呼べるあらたな「ユニフォーム」の世界が
このメンズの新しさを創造始めた。
4)私視点ー2;
今シーズンにおける、所謂「トレンド」の代表の一つに、「グラフィズム」がある。
「素材感+オーバーサイズ+レイアード+パッチ・ワーク+グラフィズム+ZAPPING」が
挙げられるトレンドだったが、中でも特に、目立ったのはそれが分かり易いからであろうか、
“グラフィズム”はいろんなデザイナーがその趣を凝らしていた。
中でも、僕の印象では、UNDER COVERのとCdG H.P.のグラフィズムが世代間相違の
良い例になろう。
先ず、CdG H.Pはこのブランドらしさを演出しただけで、何も新しさはなく、無難なビジネス
を過度に考慮したの範疇のグラフィズムであった。その根幹に80年初めにミラノで一世を風靡し
た“メンフィス・デザイン”とそのバリエーションでしかなかった。これでは若い世代は彼らの
無知も含めて新鮮にも伝わらないし、僕たちの世代からはもう使われすぎて古い感じしか残ら
なかった。ただ、”CdG H.Pらしさ“と言う範疇のコレクション。むしろ、コレクションで印象に
残ったのは、未だ短めのパンツ丈とそこから覗かせた“ソックス”だった。スニーカーが下火に
なってきた昨今では、僕の好きな古いタイプのソックスが復活しましたね。
それに比べれば、UNDER COVERのグラフィズムは素晴らしかった。そして、上手かったし
新しかったと言える。
ここでも「古ぼけた近代」を蹴落として、あえて、白人世界へ挑んだ彼の「YELLOW MIND」
に拍手。中でも、彼の今回のコレクションで見せたジョニオくんが全てを手掛けたグラフィズム
観は白人世界も含めた“ミレニム世代”にはたくさんの「共通言語」を与えた。彼らたちは、
「ゲーム世代」でもあるからだ。当然“漢字”を使ったグラフィズムである事、読めない漢字を
彼らたちのゲーム世代に共有するグラフィズムに仕上げられている。
結果、これはCdG H.Pのそれとは大いに差異がついた新しいものとなった。
CdG H.Pブランドも日本ブランドとされているが、現在のように極論すれば、派手さと
「ユダヤ人ウケ」を狙ったデザインコンテンツが今後、どこまで通用するか?僕は疑問に感じて
しまったシーズンであった。
もう、CdG H.PやJUNYA-MANそれに、RAF、L.V.、O.W.では無い、UNDER COVERや
MIYASHITASOLOISTという“YELLOWなオタク”メンズ・デザイナーの時代到来と感じた。
文責/ 平川武治;
2020年2月20日
MIYASHITASOLOISTのショーに撃たれた衝撃という快楽。
ーーー「本当は、もっと早くに書けていた原稿だったのに。」
「MIYASHITA THESOLOISTのショーに撃たれた衝撃という快楽とは、
ーーー”今日も楽しい道化仕事。“」
ー「かまって欲しい。」;
『 “生きもの”は全て、
「かまって欲しい」と言う
欲望あるいは、願望を持っている。
その生が激しいものだけに
あるいは、激しく生きるのもだけのに許された
強欲でもある。
そして、この究極は、
「温もり」を求め、“愛”というこゝろの有り様に
行き着くだろう。』
ーーーーーー
僕の私生活。
今、年老いた猫と共棲生活を
させてもらって、もう10ヶ月ほどになる。
共棲生活で知った事は
「かまって欲しい」がために
生きていると思わせるまでの日々の彼女である。
多分、彼女は「人間に成りたがっている猫」なのであろう。
飼い主を喪った経験からか
「孤独」と「危なさ」言う時間が長かったからか
身についた生き方なのであろう。
何しろ、彼女は、
「かまって欲しい」珍らしい猫なのである。
ーーーーーー
『ジョーカー』と言う映画があった。
主人公、アーサーの人間味の根幹は、
「かまって欲しい」人間が
世間で生きようとしたが為に、
“ニヒリズム”と言う快楽を感知したと読んだ。
「孤独」と「寂しさ」は違う。
その差異の根幹は人間が持つべき
“自己の強さ”でしか無いだろう。
あるいは、その求め方が違うのであろう。
「孤独」は自らが自らを求める。
「寂しさ」は他者に自らを求める。
そして、「孤独」は“繋がり”を生み出すが、
「寂しさ」は“群がり”を生むまでしかない。
ーーーーーー
それは
「ドア」の外、
「白い耀き」。
あの“ラストシーン”が
プロローグで始まった、
“MIYASHITA THESOLOIST”のランウエー。
とてつもなく、せつないが
それ以上に優しさというロマンティズムが
風のざわめきのように
人間に纏いつきながら漂う。
「かまって欲しい」人間が発する
“美意識”とはこんなに儚く、切ないものなのかと
人生における、
一度限りに見せる想いと覚悟。
全てに、細やかな神経と湿りまでも触れる
優美過ぎたショー。
“The life is comedies.”
”ファッシズム”が
ヨオロッパに台頭し始めて来た‘30年代初め、
C.チャップリンの言葉が
繊細にそして、このデザイナーの拘りが
白という空白に
市川孝典と共に手掛けたグラフィズムが
燻し銀に仕上げられる。
「世間」と「病院」という関係性。
或いは、「仮面」と「ユニフォーム」という関係性。
ー “The mental illness。”
拘束衣という”白衣“と拘束手袋たち、
“自由”を封じ込めるための衣装具。
或は、“自由”を目覚めさせるための衣装具。
解体されて生きながらえるであろうベスト
そして、ソックス。
ジョーカーがこゝろに携えていた
アイロニックな「黒い薔薇」或いは、
オマージュとしての「黒い薔薇」。
そして、アイライン。
これらを丁寧に
敢えて選んだ MIYASHITA が欲する“ニヒリズム”が
綺羅りと。
その耀きが一瞬にして、
彼の美意識と願望を魅せるまでに
煌めいたコレクション。
「 “ユニフォーム”をどれだけ“エレガンス”に!
“コスチューム”をどれだけ“機能美”に!!」
MIYASHITA はこの現代の価値観を確りと掴んでいる。
綻びて来た「近代」と言う時代性に
”Don’t serious“と投げかける。
ーーーーーー
“My life is joking” と生きている僕。
僕は”人間“になれるのか?
現代のような時代、
「安全のファッシズム」或は、
「キャンプなファッシズム」な世間は、
多くの人間の願望に、“ジョーカー願望”があるだろう。
貧しさ故の「願望」と、
富を持ち得たが故の「ジョーカー願望」。
この現代社会を玩んでいる現実は後者たち。
「何が真実」が解らなくなって
「真実っぽさ」だけが充満してしまた
この“世間”という現世は、
決して、誰もマジに「かまってくれない」。
「今日も楽しい道化仕事。」』
P/S;
“ People expect you to behave as if you don't ”
ーーーーーー
「余談らしきもの、」
僕が「ジョーカー」を見てわかった事、
「母一人、子1人」というミニマムな家庭。
アーサーの育ちが同じだという事。
僕の青春には
こんな幸せな時があったのだ、
「左には道化者。
右には厄介者。
真ん中に挟まれた俺たち。」(70年代のソング/挿入歌の一つ。)
今の僕は、
「落ち葉は風を恨まない。」(座頭市より。)
「おわりに、」
僕の不祥事でこんなに遅れてしまった原稿、
宮下くん、すみません。
時間が経って、想い出すほどに、本当に、美しい時間だった。
選ばれた空間と演出された空間も、音楽の選曲も、コーディネートのエレガンスさも、
僕には、全てが“SUPER COOL !!”であり、
確実に、世界は新たな日本人デザイナーを認めたであろう、ありがとう。
巴里でIPadが故障し、頭脳が止まり、
伯林のクラブ『Berghain』での数時間で
脳味噌は完全に蕩け、時間も止まってしまったが、
“世間”の時間は止まらず「不確実な事」がいつものように、
メディアによって「真実っぽく」煽られ拡大している。
「コロナウイルス」。
誰も未だに、「確実な事」が判っていない、「真実」が語られていない。
誰かが、「これはテロである。」と叫ばない!?
「ジョーカー」に憧れるが、
誰も、「ジョーカー」にはならないという真実が時代性???
合掌。
文責/ 平川武治;巴里ー伯林ー鎌倉ー巴里:
2020年2月11日
『 The Club BERGHAIN in Berlin.で彷徨う。THE HAPPY CHAOS !! 』
『 ベルリンのクラブ “The Club BERGHAIN”彷徨記。』
このクラブ “BERGHAIN”は世界で最もその存在価値を耀かせているベルリンならではの
“Super Extra Cool”なクラブである。<https://www.berghain.berlin/en/>
“People seek their respective hedonism.”
/29th. Jan. ‘20:
『 この中は
一つの大きな街。
無機質で無表情な空間。
かつては人間が生活の一部が
営まれていた空間とは思えない深い空間。
そして、自らを映し出す術のない空間。
絶え間なく続く激しさの一つのリズムに
委ねられた波動は身体をより捻るが如く
ただ、身体を液状化する。
かつての音は耳が機能したように
ここでの波動は内臓を機能する。
その存在を保って、個人主義者たちが、
自由を求めて本能のままに
自分たちが欲するリアリティをつくる。
ここではヒエラルキィがない、
虚飾がない、
仮想空間でもない、
SNSもない、
繋がらない、ここだけの世界。
ここにはファッションはない。
外の世界のあるべきものとしての
虚飾なるファッションの世界は皆無。
この空間では、ファッションとは皮膚&スキン。
かろうじて、選ばれて身につける一片だけが
ファッションと呼ばれるもの。
自らが見せたい自己、
自らが隠したい自己。
そのための究極のミニマリズムが
この世界でのファッション。
彷徨い疲れた個人主義たちは、
持ち得たと思う自由を術に、
より、真淵なる
それぞれの自由を求め探すために
この世界へ辿り着くのであろうか。
或いは、旅発つのだろうか?
究極なる自由とは
それぞれが求める快楽?
あるいは、ここでしか求められない自由、
それが快楽, ”HAPPY CHAOS”.
人間はそれぞれの属性を求める。
それは国籍ではなく、民族でもあり、
寧ろ、生き方に由来し始める。
彼らたちの生き方の最終レベルには
それぞれが求める、快楽がある。
モードの最終的行方も
この“快楽”にたどり着く。
「快楽のためのユニフォーム」という
古くて、新たなカテゴリーが生まれる。
生殖感覚が研ぎ澄まされる。
ただ、自分たちが探し求める自由のための
人はそれを快楽と呼ぼうが、
快楽のカテゴリーに対してのユニフォームが
今後のファッションの根幹。
全く、このTHE BERGHAINは、存在するメトロポリス。
とにかく、すごかった!!
新しいもう一つの国を見たような、
僕は少年のような老人になってしまった。 』
***
“People seek their respective hedonism.”
/ 29th. Jan. ‘20:
“ In this
One big city.
An inorganic, expressionless space.
In the past, humans were part of life
A deep space that you can't imagine as if it had been run.
And there is no space to reflect yourself.
One rhythm of incessant intensity
The entrusted wave will twist your body more
Just liquefy the body.
The old sound was like the ear worked
The waves here function the internal organs.
In keeping with its existence, individualists
Instinct for freedom
Create the reality you want.
There is no hierarchy here,
There is no fake,
Not a virtual space,
No SNS,
A world just here, not connected.
There is no fashion here.
As what the outside world should be
There is no fancy fashion world.
In this space, fashion is skin & skin.
Barely, only one piece selected and worn
What is called fashion.
The self that I want to show,
The self that you want to hide.
The ultimate minimalism for that is
Fashion in this world.
The wandering and tired individualists,
Using the freedom you think you had,
More deep
To look for each freedom
Will we get to this world?
Or will you leave?
What is ultimate freedom?
The pleasure that each seeks?
Or the freedom required only here,
That's pleasure, "HAPPY CHAOS".
Humans seek each attribute.
It's not a nationality, it's a nation,
Rather, it begins to derive from a way of life.
The final level of their way of life
There is pleasure that each seeks.
The final destination of the mode
We reach this "pleasure".
"Uniform for pleasure"
Old and new categories are born.
The reproductive sensation is sharpened.
Just for the freedom we seek
People call it pleasure,
Uniforms for pleasure categories
The foundation of future fashion.
Indeed, this Berghain is a metropolis that exists.
Anyway, it was so cool & amazing !!
Like seeing a new country,
I have become an old man like a boy. "
/ By Taque.HIRAKAWA:
※後記;
この衝撃の体験から数日後、僕は76歳の誕生日を迎えた。
この75年間、こうして健康で僕の好きな世界に身を委ねられ、生きてこられた僕の人生と言う
“リアリティ”とは多くの人たちの優しさと愛によって助けられ、支えられ後ろを押して頂いて
来た“不連続の連続”と言う恵まれた時間の流れと関係性の繋がりの賜物でしかありません。
改めて、この誕生日という記念の日に皆様に感謝と御礼を申し上げます。
そして、僕は先日のベルリンでのこの“The Club BERGHAIN”へゲストで連れられ、
彼のガイドで異空間を彷徨った経験を新たな歳の始まりの儀礼として
今後への” The force of Curious Chaos“として、こゝろに残し、
母が生きれなかった時間を自分らしく豊かに生きたいと誓うのみです。
合掌。
平川武治:
※ Postscript;
A few days after this shocking experience, I reached my 76th birthday.
The life I have been able to survive and live in my favorite world for the past 75 years
"Reality" is helped by the tenderness and love of many people, supported and pushed back
It is only a gift of the connection between the blessed flow of time and the relationship that has come.
I would like to thank and thank everyone again on this anniversary of this birthday.
And I was taken to this "The Club BERGHAIN" in Berlin the other day as a guest
and with him.
I want to leave the experience of wandering in a super cool space as a ceremony of the
beginning of a new age as “The force of Curious Chaos” in the future,
and to leave the time when my mother could not live richly like myself I only swear.
Gassho/ The Deep Prayer.
Taqueji Hirakawa:03 Feb. ‘20: