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2015年6月 5日

プロローグ或いは、"桑沢合同ゼミ+もう少し、プロ的な視点、"

 < もう少し、ファッションプロ的なる時代へのまなざしを付記しておきましょう。   昨年は僕は「新らたなローカリズム」を考え、デザインの世界が今後、どのような新たな可能性を持っているか?あるとしたらそれはどのような根幹が必要なのかを学んでいました。 一つは、昨年来からの「政治」を読むこと、知ることそして、政治を感じた場合、どのように自分たちのこれからの國や社会へ向けてのなすべき行為が可能か?僕たちの國に、豊かさと強さを増して行くために、どのように若い人たちは社会へコミットして行く可能性があるのか?"自己満足"という閉塞感な世界へ逃げ込まずに! この眼差しは、ファッションのみばかりではなく、"デザインの世界"においての今後の、若い人たちが持つべき、"デザインするとは"の新たな根幹と"視点"であろうと考えています。 ここでは、もう一度「近代デザイン」が具体的に誕生し、社会にコミットし始めた時代へワープしてみる必要があります。ここには現代という時代性の根幹がこの時代観にチューニングされ始めたからです。ファッションの"トレンド"も一昨シーズンから"'30年代"が来ています。 今シーズンでは、あのS.メンケスが「流線型/streamline」という言葉を使い始めています。ここにはその時代が願望する新しさとしての"合理化や能率的や簡素化そしてスピード化"などが時代のボキャブラリィーとして込められていたのです。   東京の街の様が昨年秋頃より、様変わり始めましたね。また、ラグジュアリィー系ブランドのブティックが我が物顔をし始めました。   '70年、プレタポルテシステムが誕生して以来、'90年代終わりまでは、「プレタポルテファッションデザイナー」たちがその自由な才能を武器にクチュリェたちを脅かすまでの主役であった。彼ら、才能と才気豊かなプレタポルテデザイナーたちの創造性に影響を受けモード産業は勢変を遂げてきた。'90年の湾岸戦争以後事実、クチュールの顧客が減って、"ラグジュアリィー-マークビジネス"という新たな括りでモードビジネスの新しさをミラノの老舗*が見つけた。しかし、モードの新しさを生み出すのはまだ、プレタポルテデザイナーたちであったこの時代が、グローバリズムの到来と女性の生き方が家庭へ戻り始めることそして、ファウストファッション登場で新たな局面を迎えた。 ここには、"世界観と女性のポストジェンダー化と価格破壊"という"新しい波"が押し寄せ以後、時代性そのものが変革した。これによって、まともにこの新しい波を被り被ったのは資本力の弱いプレタポルテデザイナーたちであった。一方、資本力が安定している"ラグジュアリィー-マークビジネス"は服を売り、コスメを売り、靴バッグそして、ジュエリィと最近では時計を商い品目として、日本へ上陸その後、2000年以降は総てのメゾンが、新しいマーケット"としての中国へそのビジネスの可能性を求めて方向転換した。 そして、約10年が過ぎた昨年来、かれらたち、"ラグジュアリィー-マークビジネス"の商人たちは中国マーケットへの限界を知り始めた。同じアジア人でも、日本人と中国人のマーケットモラルが違うことを知った彼らたち。 ここで、昨年秋以降再び、"ラグジュアリィー-マークビジネス"の商人たちは日本へその矛先を転換し直した。ここに来ての、表参道界隈の"ラグジュアリィー-マークビジネス"ブチックの乱立はこの証拠である。かつての手法、日本にブチックを作り、中国人たち観光客顧客を煽る処方である。 例えば、昨年末に行われた、DIORのショーと展覧会がこの"ラグジュアリィー-マークビジネス"の新たなビジネス展開の手の内を見せた。ショーには中国からの上顧客と中国ジャーナリストを招待。展覧会では、デザイナーではなく、ディレクタ-RAF君とそれを助ける"アトリエ"のチームクチュリエたちが主役という新たな構造を自慢した代物でしかなかった。 従って、"デザイナー"よりも、"ディレクター"へ、という構造が生まれた。"VARIATIONS OF THE ARCHIVES"で価値ある多くのアーカイブを持っているメゾン系が今後の時代のモードリーダーとなり、そのメゾン内で実際に働きてた"アトリエチーム"たちがリアルビジネスのクリエーションの主役へ躍り出る。 ここで、新たなモードビジネスは"チームワークビジネス"であることへの構造とシステムの転換が行われ始める。この"ラグジュアリィー-マークビジネス"のU-ターン現象の根幹は今後の東京の新しさ"カジノ"を目論み、新たなターゲットにまでその射程距離を広げた陽動作戦であろう。

モードビジネスが変わった。; "ラグジュアリィー-マークビジネス"が中国から日本マーケットへシフトし直したことの根幹は、モードビジネスも大きくは"スーベニィールビジネス"であるということ。 "ラグジュアリィー"のイメージとクリエーションを実質ビジネスにつなげているのが、巴里では"サンチェ系"と呼ばれていたデパートをメイン顧客として、コピーブランドを束得ているアパレル勢である。MAJE,SANDOR,をはじめに、KOOKAI,KOOPLE,いろいろ、彼らたちは確実にラグジュアリィーに負けずとリアルビジジネスをリードし始めている。 そして、彼らたちのもう一つのフランスにおける「モード産業界」へ、サンディカ(オートクチュールプレタポルテ組合)が大きくバックアップを始めた。 彼らたちへの人材育成機関として、従来はクチュールのお針子さん養成学校であったこの組合付属の学校を"サンチェ"に隣接移動し、授業内容も、ミシンを使ってのアパレル向けカリュキラムへ変更。そして、サンチェ系出身のプレタポルテデザイナーメゾンのコレクション参加も大いにその門を広げた。これらの方針は確実に、ファストファッションへのビジネスプロテクトであり自国のファッション産業の経済効果を拡大するための手段である。 もう一つは、やはり、EUにおける日本よりも遅れていた"ITファッションビジネス"の進化。プレタポルテデザイナーのネット通販ビジネスへの参入、NETーAーPOTERやイタリアンヴォーグ社の"the corner.co."とYOOXとのコラボビジネスも始まる。 あのH&Mが始めたファストファッションのシニア版ブランド"COS"が好調な売り上げを上げている。このブランドのマーケティング戦略はうまい。例えば、同じ、スエーデン発のプレタポルテブランド"ACNE"をターゲットに絞り込んだ戦略で40代ターゲットを軸にクオリティもそれなりのデイリィーウエアーにまとめ、抑えられた価格帯とともに見事に成功している。東京にも昨年11月に1号店が出来た。 このブランドによって、パリサンチェ発の"MAJE"もここに来て脅威を感じ始めた。今後、このゾーンが激戦になるラインである。"ラグジュアリー"から"プレタポルテ"や"サンチェ系"が影響を受け、"COS"で下限を囲われてしまっているのが今の巴里のファッションビジネスの現実である。 最後に、もう一つ、このモードビジネスがグローバル化した証拠。面白い現象は、今まではフランスでモードの仕事をするには、当然のように"フランス語"が必要であったが、今では、この"フランス語"よりも"英語"が本格的なビジネス語となり始めた。フランスのファッション企業で働くためには英語で面接されるところも出てきた。ここにも、ITビジネス化の余波を感じる。

最後に、目立つ問題点; このような時代性になるとアーカイヴからコレクションを作る場合、今の若いデザイナーたちにはその持ち得た"リアリテ"がない。殆どが、サイトやブログそれにインスタ等の"ヴァーチュアルリアリティ"の世界でモードにも関わってしまっているからだ。 そのため、フラットな平面性、ヴィジュアルからのデザインになる。故に、"分量"のデザインが出来にくい或いは、出来ない。表層のシルエットのコピーは出来るが、今の"時代の分量感"に置き換える"ニュアンスのデザイン"ができないデザイナーと、パターン力の低下が目立つ。 学ぶ方法は、教養を深め、歴史と学ぶ、古着を触る、古い映画を見る、自分の育ちを省みる。そして、熟練者の仕事を敬い、学び、オープンマインドであること等など、、、 案外、"ファッション学歴振り回し族"たちはこのディシプリンがない。彼らたちは、もう終わっている。

トレンドについて考えると; ここ数年来トレンドのキーワードは変わっていないと読める。トレンドの根幹は不変であり、その"意味付け"だけが変化させているということである。  [メイントレンド+サブトレンド+ホロ-トレンド=新規トレンド+継続トレンド-1+継続トレンド-2,,,]

終わりに、"問題"はその次に起きることだ。 「自民党は憲法9条の改正に動き、自衛隊の海外派遣をどんどん実現できるようにするだろう」安倍政権の目論見は明らかだ。日本の国の姿をかえることにある。したたかにこの国の風景を変質させていく青写真の作り手たちが蠢きはじめるだろう。 '20年の「東京オリンピック」や「カジノ」を出来る限り、経済効果として利用し、この広告産業の一つを今後の歴史的契機と、安倍政権が変えようとしている國体とは、それぞれの社会体制システムによって構築されてしまったアメリカ合衆国の属国としての「社会」が、『再-安保改定』により、もっともらしく残るが、嘗ての日本國が持っていた「日本人としての気骨」や「気概」ある國体、「世間」は喪失してしまう。 安倍の渡米によりアメリカへ、5千億円以上のアメリカ軍事産業への武器類の購入があった。安倍政権の目論見によって、彼らの論理で言えば、「何時、玉が飛んで来るか解らない自衛隊に対しての」僕たちの國家の防衛費予算の増加率は世界1位になり、('64年を基にした軍事予算の増加率は、54.5%である。出典/日経新聞5月09日付け、「世界はこう変わった」より、)「平成の大軍拡」の現実を皆さんはどれだけ、認識しているのだろうか?解ったふりして、投票に行かず、政治のことを発言するのは一番悪い。親の筋をかじってカッコつけているからこれでいいのか? 「1月14日に閣議決定した平成27年度(2015年度)政府予算。そのうち防衛省予算は前年度比2.0%増で過去最大の4兆9801億円となる。しかし、補正予算案に盛り込まれた防衛費(2110億円)と合計すると5兆1911億円となり、「5兆円」という大台に乗る。「平成の大軍拡」と言っていいだろう。」出典/東洋経済オンライン/2015年01月26日より抜粋。http://toyokeizai.net/articles/-/58914 そして、「カジノ法案」もそうであろう。これらの発案の根幹に何が蠢いているのか?結局は「金/カネ」でしかない。在日系の人たちによって、より「格差社会」が「ギャンブル依存症」が増加するだけのごとく変わらず、"倫理観なく"構築されてゆく、そのための「利権」政治を、与えられた"シナリオ"を棒読みしているだけが、今の"安倍政権"の実態である。 これはグローバルな日本企業にも、地方自治にも言える警告である。「問題はその次に起きることだ。」文責/平川武治;平成27年5月;

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2015年6月 4日

『人生、90年』プロジェクトを広めよう!!

パーソナルプロジェクト「人生90年」とは
  『大衆が求める”イメージ”とは、いつの時代も、あり得るべきこれからの生活とそのスタイリングを”夢”としたものである。ファッション産業とは、そのあり得るべき生活と
そのスタイリングへときめきを与えるものに変わりはない。』

 今年の僕のパーソナルプロジェクトがこの「人生90年」プロジェクトなのです。
このパーソナルプロジェクトを持って、今年の前半はパリ、アムステルダムそして、ロッテルダム等の友人たちとそれぞれの立ち居場所でコミュニケーションを取り始めています。
そして、日本でもアパレル企業との協労が進んでいます。

はじめに/私案『人生、90年』プロジェクトとはなんだろう?
 20世紀が終わったように、「人生、60年」という時代観はもうすでに終わっています。
戦後の日本人が不器用に、敗戦という恥を背負って必死に一生懸命に生き抜いて来たのが
”昭和”という時代であった。ここではまだ、”ライフプラニング”や”ライフスケジュール”という
言葉は殆ど、存在し得なかった。そんなゆとりや豊かさをまず自分たちの生活に、という時代の流れが「人生、60年頑張れれば幸せだね。年金も貰える」だったこの70年です。
 そしてやっと、このような戦後を生き抜いてきた世代から3世代を経て、現在の僕たちの国の社会が表は「モノの豊かさ」を現実にし、裏では「社会保障のホコロビ」ももたらしたのです。
 今年の新-成人世代はそんな「人生、60年」時代を生き抜いてきた彼らたちの”第3ジェネレーション”。 彼らたちが國家の新しい主役に参入し始めるのです。
 従って、戦後の、「人生60年」という時代の社会システムそのものが無理な状態になり
ほころびてきていることは昨今の多種多様な出来事としての事件でも理解できるでしょう。
最近では、この”システムのほころび”へ、合衆国のエゴが剥き出しに入り込み始めていますね。
 本プロジェクトは日本が世界に先駆けて迎えたこの「少子多老化」という時代社会への撃つ
べきポジティフな一撃です。このプロジェクトの根幹は「少子多老化社会」という”未来現実”を
決して、ネガティフな捉え方ではなく、ポジティフな視点で考え対峙し、今後の新たな
「社会システム」を産業化するまでの発想の元で考えてゆくものです。
 その理由の一つには、我が国が迎える「少子高齢化社会/少子多老化社会」は今後、他の先進国も足並みを揃えて迎えなかればならない近い、未来社会の構造変化であるためです。
 白人先進国の戦後は今、大きく問題化されている「移民」たちを彼らたちの宗教倫理とともに受け入れたことによって「移民」たちを受け入れたことの清算が、日本よりは遅れて迎える
現実状況の違いであり、いずれ、世界の先進国と言われている諸国が「少子多老化社会」なる時代が来てしまう。その先鋒を日本とドイツが迎え始めた。という認識下で、この社会状況の先端を行く我が国はこの「少子多老化社会」をこれからの国力と生活環境の「あり得るべき豊かさ」を創生するためのコンテキストとしてポジティフにそして、格好のチャンスとして発想し、実践して行こうというプロジェクトです。
 そして、この『人生、90年』プロジェクトはファッション産業が関わらなくてはならないプロジェクトの一つであり、新たな可能性の一つとして、「ファッションによる、ときめきあるクオリティオブライフスタイリング」を提案、構築するためのファッション産業には大いに可能なるプロジェクトなのです。そして、当然ですが、今のファッション産業の不況と腐心を拭うことの一案にもなるものです。
 閉塞感が浸漬する現状から今後の新たな”豊かさ”へ向かっての可能性が日本社会への大いなる、有意義な先駆けをなすものであるという考えです。
 そのために必要な新しい「社会システム」検討し、開発構築し,できればそれらを今後の
新たな日本の成長産業として捉えるまでのプロジェクトを考えています。
 
 この現実の視点を変えてみると、これからの日本社会への新たなる国力になり得るまでのこの「少子多老化」を”ジェロントロジー/加齢学”として、新たに社会に認知させること。
そして、それによって世界の先進国に先駆けて激しい「少子多老化社会」を迎える日本は、
この現実認識とその社会化とインフラ整備を考えることとは、”新たな国家=共同体”を構築する
ことであり、今後の「地域再生構想」にも大いなる可能性”の一つです。
 今後、世界がこの方向へ多くの国が向かっていくのですから、これは大いなる可能性でしかありません。
高高齢者と、高齢者そして,セカンドジェネレーション、サードジェネレーションとのまた、
移民外国人たちとのいわゆるコラボ-プロジェクトなどがこのファッション産業が関わるべき
『人生90年プロジェクト』の根幹です。
 決して、倫理観乏しき、”目先のニンジン”を追いかけるためのプロジェクトではありません。

*『人生、90年』プロジェクトコンテキスト;
 日本が世界に先駆けて迎えた
 ジェロントロジー
 少子多老化社会
 ポジティフな視点
 新たな「社会システム」の構築と産業化
 ときめきあるクオリティ オブ ライフスタイリング
 ニュースタンダード
 スローソサエティー=スローライフ+スローファッション+スローアーキテクト
 マインドフルネス

”ジェロントロジー”『人生90年プロジェクト』を考える。;
 ”ジェロントロジー”とは、人間の老化現象を人間に関わる、生物学、医学、社会学、
人間関係学、心理学、サイエンス、自然環境学、生活環境学そして、政策立案にいたるまで
多面的、総合的に研究する学問で邦訳は「老年学・加齢学」。
 これからの高齢化の問題は一国の社会問題なのですから、一つの領域だけで解決することは
出来ない、新しい社会環境とそのためのルールとインフラ整備等など、「社会システム」に至り考えように因ると、もう一つの新しい共同体即ち、新しい価値観に元ずくコミュニティ共同体を発想した”新-社会創生”となる。
 高齢化・エイジングを根幹に、関わるあらゆる領域の「知」と「経験」と「関係」を結集して、 課題解決に臨むことがジェロントロジーの特徴であり醍醐味となる分野です。
 皆さんが「人生、90年」と思い込めれば、どのような「夢」を持つでしょうか?
どのような関係性の元で安心して、より、クオリティの豊かな幸せな生活を望むでしょうか?
そのためには、何が要らなくて、何が必要なのか?、残すものは何か?引き継ぐものは何か?
消去させるものは何か?などを学際科学と産官学民と連携しながらの実学が
”ジェロントロジー”です。
 このジェロントロジーの視点での『人生90年プロジェクト』は新しい価値観による、
新しい共同体をデザインするまでのプロジェクトです。

 ○実際に現在行われ始めているジェロントロジーのフィールドワークは、;
生理面/遺伝子、細胞、臓器骨格、栄養、運動ほか、
高齢者医療/慢性疾患、臨床、薬、退院支援、医療コストほか、
介護/予防、アセスメント、ケアプラン、サーヴィスモデル、公的、私的保険、青年後見制度ほか 
心理/記憶力、性格、達成感、価値観、時間観念ほか、
死-倫理/死の定義、準備、送る側の準備、死後の諸事、尊厳死、ホスピスほか、
政治/政治への関心、投票行動、投票動機、高齢者団体の行動理論ほか、
経済/所得格差、税制、社会保障、生活保障、シニア市場、近代化理論ほか、
社会-文化/若者の高齢者観、メディアの高齢者観、公益法人制度改革、構造機能主義ほか、
生活行動/時間の使い方、余暇活動、同世代相談、生涯学習ほか、
人間関係/夫婦関係、親子関係、兄弟姉妹、友人関係ほか、
労働-退職/働くことの意味、退職と健康、定年制の是非、定年起業、ワークシアーほか、
家計/収入、支出、貯蓄動向、資産運用、相続ほか、
住居/どこに誰と住むか、買い替え、住み替え、バリアフリー、リバースモーゲージはか、
 
 これらは総体に、”ネガティフな発想”によるそして、打算的なるものが多い。
その証拠なのだろうか、ここには「ファッション産業」および、「デザイン産業」が
加わっていない。

ファッションの視点から「人生、90年。ときめきのある長寿生活とは、」を考えてみる。;
 しかし、新たに迎えるはずのこの社会問題に、ファッションの世界から視点を定めて社会への提言が為されていません。そして、今日までも、ファッションの世界は変わらず、”20世紀の
価値観”を根幹にした、「人生60年」のルールと方法論そして、”アーカイヴィス”の
諸バリエーションの世界でしかありません。この現実が昨今のアパレル産業の衰退でもあるでしょう。作る側も、報じる側も、商売をする側もそして、教育する側も、論じる側もこ
”20世紀の価値観”とイメージングとシステムによってもう既に、30年以上が経っています。
即ち、その生活意識の根幹は依然、「人生60年」感覚でしかないのです。
このファッションの世界からこそ、新たな共同体を構築するという視点での
『人生90年プロジェクト』が必然ではないだろうか? 
 戦後日本がこれほどまでの”ファッション大国”になった実力と経験と情報を駆使して、
世界が羨む”超高齢社会”を”少子多老化社会”をカッコよく築き上げるチャンスでもあります。
 参考サイト/
http://jp.fujitsu.com/group/fri/downloads/report/research/2012/no389.pdf
https://www.nissay.co.jp/kaisha/csr/chiiki/shakai/pdf/gerontology.pdf
http://www.ducr.u-tokyo.ac.jp/jp/research/study_groups.html
空き家問題/
http://jp.fujitsu.com/group/fri/downloads/report/research/2014/no416.pdf

○幾つかの現状参考数値。
*2030年/高齢者所帯のうち、約40%が独居世帯+約30%が夫婦のみの世帯となる。
*2012年からは、高齢者が年間100万人づつ増えている。
 ということは、昼間から彼らたちは地域に止まって生活をしている。
*地方社会では、地域の過疎化と高齢者による限界集落が増加。
*2005年来、出生率より、死亡率が増加。
*少子化は国力の低下衰退へ繋がり、労働人口は2030年には約1000万人の低下により、
5600万人ほどになる。
*「老老介護」が現実化する。
*「空家」の増加。現在で約800万軒の空き家がある。 
○今後の人口推移;/マクロで見ると、
2020年には/0-14歳:14,567千人(11.7%) 2010年は16,803千人 
2020年には/15-64歳: 73,408千人(59.2%) 2010年は81,031千人
2020年には/65歳以上: 36,123千人(29.1%)内75歳以上:18,790千人(15.1%)  
2010年は夫々29,245千人・14,072千人
  そして2022年には団塊の世代が75歳以上の後期高齢者になります(3割以上が要介護)。
総人口は124,099千人(2010年は128,057千人)と余り減ってはいないのですが、
「少子多老化」が猛烈なスピードで進行します。
介護・医療に要する費用だけで国の税収をほぼそのまま使い切ってしまいます。

○”ジェロントロジー”『人生90年プロジェクト』をすこし、具体的に考えてみる。
 では、新たなローカリズムを根幹にした『人生90年プロジェクト』のための
共同体/コミュニティとは、その根幹は、”Aging in quality of life”
穏やかに、おおらかに暮らせるもう一つの共同体を考えることでしょう。
 目的は、「安心で活力ある豊かな長寿社会」の構築。
1)『人生90年』にふさわしい「真に長寿を喜べる生き方」
/ライフデザイン分野。
→生きる目的がある事と、身体が衰えても、QOLを維持できること。
2)安心で活力ある超高齢者社会の創造、”Aging in Place”の現実化。
/ライフエンヴァライメント分野。
→住み慣れた自宅や地域で最後まで自分らしく老いることができる共同体を考える。
3)健康長寿の推進と本来の安心を提供する「共同体ケアーシステム」の構築。
/医療ケアー分野。
→”寄り合い”システムなど、ローカリズムとしての”長屋”共同体が成し得るケアーシステムを考える。

○ここで僕たちファッション産業人がより、直接的に関われる分野とは?
「価値観、趣味、関係性、経験値、スキルなどで編み込まれ、重ねられた新たな環境としての
「共同体」を構築し、その共同体で生活すること、楽しむ事自体が”新-市場”となるような
”交流と触れ合いと学びと遊びと愉しみと安心と穏やかさのサーヴィス&ホスピタリティ”を、
マインドフルネスを根幹に考えた”CARE & CURE”のための倫理観から生まれる”品性”や
”品格”、”洗練さ”がシャワー効果となるまでの”緩やかな時間消費”環境を考えることでしょう。
→男女消費/文化消費/観光消費/学習消費/CARE & CURE消費/セキュリティ-福祉消費/
伝統回帰消費/ノスタルジア消費/エピソード消費/夢消費/マインドフルネス消費等など、
これらをどのように「ゆったりとした時間観」の中で実環境化して行くか。

○考えるべきミッションとその順序は、
→コミュニティ環境を構築する。そのための共有出来る価値の創生。
→新たな消費環境を”いりこ構造化”する。そのための新たな”風土”魅力をデザインする。
→ときめきあるQOL.のためのサーヴィス&ホスピタリティ”と”マインドフルネス”。
そのための人材エヂュケーションを行う。
→『人生90年プロジェクト』のための商材編集とプロダクツディレクション。
そのためのマーケティング。
→仮想空間を構築し、汎世界戦略を行う。そのためのC.G.テクノロジーと
デザインディレクション。

○そこでこの新しい時代に考えるべき問題の一つが「倫理観」です。
 ”お金の豊かさ”を「倫理観」の第一義としてきた戦後70年は、”THE END"です。
これからの「あり得るべき規範」としての”新たなる豊かさ”を"、QUOLITY OF LIFE"を目指し、
『人生90年プロジェクト』のための生活や社会にコミットさせるために、
今まで置き忘れられてきたこの「倫理観」を再考する時代性が今年です。
この根拠は、30数年間、パリモードを中心軸にモードに接してきた僕の結論的発想の一つに、
「成熟された倫理観が洗練さを生む」という信念を持っています。

○本プロジェクトのコンテキスト;
倫理観ある共同体。
→経験、スキル、資産、労働意欲、
コミュニティ、みんなが國力。
→高齢者が増えると集い、集まり、消費時間もスローに穏やかな流れへ。
目指せ、あり得るべき新たなるニュースタンダード、”クオリティオブライフ/QoL”の改善と
向上。
→生きがいと幸福感が増す。”昔取った杵ずか”の多重層異文化集約型ミルフィーユ効果。
みんなで価値観を共有し、一体となって連携、協労することそして、マインドフルネス。
現実の状況を正しく認識すること。悲観的な状況であろうと、現状を出来るだけ定量的にかつ、先入観なく客観的に見ること。
 課題を明確にした上で、その解決策を立案し具体的な計画を立て、行動する。

 参考文献/ 「2030年,超高齢未来 ―「ジェロントロジー」が、日本を世界の中心にする」:東京大学高齢社会総合研究機構刊
 文責/平川武治:平成27年3月:無断転載等を禁じる。必要な際にはご連絡をください。

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桑沢合同ゼミ-19MAY’15で話したこと−3、

3)改めて、ファッションにおける”新しさ、アヴァンギャルド”とは、”創造”とは?;
  ファッションとは、何時の時代もその時代を生き生きと生きる先端の女たちを
”ミューズ”とし、彼女たちの生き方とリンクしてその時代時代の女性たちへ”アヴァンギャルド”というイメージングによって、ファッションの創造が展開されていた。

 20世紀のモードとは、産業革命以降の機械工業化社会=量産化の始まりによって、”新興中産階級”が登場しその新たな階級の新たな女性たちの自由な愛の生き方をアイコン化することから
始まり、2つの大戦を経て戦後は’60年後半からの新しさとして、教養ある女性たちの生き方と社会化=知性とともに強さと自由さを”象徴”化するためのイメージイング作業とその社会化が
高級既制服という”プレタポルテ”の世界を生み、この世界は時代の先端を生きる女性たちへ
”ミューズ性”を与え、讃えることによって、それぞれの時代における 新しさ=アヴァンギャルドを生み出してきた。そして、時代の進化という、20世紀の”豊かさ”(=消費社会化=物質的なる)の急激な進展とメディアの社会化により「あり得るべきイメージ」から「あり得るべきリアリテ」のための消費社会構造が誕生すると、その社会性のための”フアストファッション”が誕生
する。21世紀に入って時代がもたらした新しさとは、情報という”バーチャルリアリテ”による
ライフスタイリングのサンプリング化すなわち、”リアリテ”のバリエーション化でありこれはIT
モバイル社会による情報量の普遍化の象徴である。
 これらによって、実生活におけるイメージとリアリテが”逆転”し、新たにバーチャルリアリテが加わった世界、例えば、最近のディズニー映画の世界は”あり得るべきすべてのヴィジュアリィティ”が、[リアリテ+ヴァーチャル+3D+アニメーション]というミックスメディアであり、現代の新しさでもあり、醍醐味でもある。そして、「あり得るべきリアリテ」としてのイメージング即ち、望むべき手本であるQoLのライフスタイリングが新たな目標になる。そして、ファッションは物量と情報量によって、その実マーケティングの”速度”を減速しつつ、イメージング作業の一つとして時代のキーワードである「安心、安全そして、快適」のための”ユニフォームのアヴァンギャルド”化が始まる。
 その手法はファッションサイクルの中で”模倣=バーチャル”という手法を使って”時代の習慣”
=リアリテを生み出すことであり、ここ数シーズンでは、かつてのアヴァンギャルドを、例えばPUNKをコード化し始める。という事は、新たな新しさではなく、かつて在ったものからの選択と編集作業がクリエーションになる「Variation of the Archives」という世界の登場である。
 従って、情報も創造のための情報から”選択と編集という”ブリコラージュ”のための情報量に
変質した。

4)では、ファッションの最前線とは、;
  今、モードの新しさとは?について、はっきり言えることは、「モード産業は広告産業である。」(広告を産業化する時代のヴァリエーションの一つ。このカテゴリィーには
産業スポーツも入る。)
 時代性はより、『家で、みんなで安心、安全そして、快適に!』なる時代。
従って、モードの世界もこの現代という時代性の王道を行く、”工業製品のプライド”の復権の
時代でしかない。
 クチュール/手工芸の世界と、ラグジュアリィーファッションをトップとした”既製服”の世界
そして、ファストファッションの棲み分けが、あるいは、”ミュージアムショップ”と”スーベニールショップ”というクオリティの差異化がこの21世紀前半の”スタンダード”であろう。
(ノームファッションの登場もこの世界のヴァリエーションでしかない。)
 そして、モード産業とは、クチュール+ラグジュアリィ+プレタポルテ+アパレル
+ファーストファッションから、新たな産業化として、”スローファッション”のカテゴリィーが
生まれ、ヴィンテージの世界とリ-プロ/リ-メイク/リ-サイクルという手工芸化が加わる。
そして、ラグジュアリィレベルでは、個人デザイナーからアトリエチーム主体型へ、そして、
彼らたちをディレクションできる”ファッション-アースティックディレクター”志向へ時代は流れ始めた。
 一方、従来型のアパレルやファーストファッションにおけるビジネスでは、”生産企画&管理”
職が重要な構造になり、ファッションの世界も”リアリティ+ヴァーチュアルリアリティ
+イメージング”の三位一体化構造へ進化した。

 もう一つ、ファッションのクリアティビティとしての『新しさ』の規範が変化した。  
JUST NEWからSOMETHING NEW + OLD NEWへ、そして、”FRESH NEW”へ、あるいは、
今シーズンのコレクションに多く現れた”EPISODE NEW ”へ。
 従って、基本的なクリアティビティの根幹は、”VARIATIONS OF THE ARCHIVES”であり、
過去の集積から今の時代の空気感を感覚でセレクトし、そこへ新しさとしての”素材+色
+プリント”それに、”一味/ひとあじ”を加える、ニュアンスのデザインが重要な仕事となる。
ビジネスを考えると、大事な作業としてはプルミエールヴィジョン(1年先の素材を売り込む
ための素材見本市)が発信する”トレンド情報”のフレームからセレクトし、当て嵌め込んで行く
作業であり従って、”デザイナー”よりも、”ファッション-アーステイックディレクター”が重要な時代性であり、DIORのRAFやS.L.のHEDIEなどがその代表選手となった。(例えば、日本では”instagram”からパクってカッコつけているデザイナーブランドもある。)
 基本的な、”技術開発”が無ければこのファッションの世界のクリアティヴィティは
”モノのヴァリエーションの時代”が蔓延るだけである。
そのモノのヴァリエーションの世界に意味性と嗜好性と時代性を味付けするには
”エモーション”や”ノスタルジィ”と”妄想力”がキーワードとなる。
 もう一つの確実な新しさは、”スローファッション”の進展であろう。
このコンテキストは「使える物はみんなでより、使う」であり、時代の感覚と技によって、
全くの違った世界を、妄想力とともにリアリティへ落とし込む世界はM.Mのジョンの登場と
共に、これからの若い人たちへのより、現実の新たな可能性である。

*そして、今の時代におけるデザインすることとは;
 ファッションの世界で普遍的になった機能性を含む諸コードをレイアウトすることである。
そして、”時代の空気感”をデザインし、ライフスタイリングの”ニュアンス”をデザインする。
それらをデザインするための時代の感覚的新しさとは、”リアリテをイメージング”することであり、”イメージのリアリティ”化ではない。
 従って、時代の感覚的新しさとしては”素材+色+プリント=質感=3D感”が
形骸的なエゴ-デザイン性よりも、プライオリティを持つ。そして、ビジネスを考える場合は
”トレンド”を自分たちのマーク&ブランドの世界観とイメージでデザインすることである。
*ファッションをディレクションすることとは;
 自分たちのマーク&ブランドの世界観でモノとイメージをマーケティングディレクションが
できること。
 そのための”手法”とは、ファッション-アーカイヴからのバリエーションをブリコラージュすること。その根幹は、”時代の空気感”をイメージングし”ニュアンス”をモノと広告の世界で
ディレクションすることである。そして、デザイナーよりも”知性とスキルと創造性と感受性と
美意識と好奇心”の特化が必要とされる。
*ファッション-アーカイヴとは;
 ファッション世界におけるビジネスとクリエーションにおける”基本コード”の集積化である。
イメージングされたそれぞれの時代における女性の生き方の”コード”の堆積化である。
 ファッション-アーカイヴには、”スタイル+パターン+素材+色+ディテールとバランス
そして、イメージと概念の諸コード”があり、それらが堆積されている巨大な世界になっている。即ち、1860年以降、ワースがパリで初めてクチュリエのブティックを創業し,約200年余の
”ファッションリアリテ”の集大成である。
 ここに、それぞれの時代の出来事や生活情景をヒストリカルにラインアップさせ、
”ビッグーデーター”化し、マドリックス化すればあとはこのファッションの世界も
”確率”のでクリエーションがなされる時代が来るだろう。

*これからの時代にデザインするということとは、
  もう一つ、普遍的なることでは、人間が何かを「産み出す」ためには、
他の動物が持っていない、人間しか持ち得られない、違うことを組み合わせて、産み出すため、継続させるためのエネルギィイにすることである。
 ブランドビジネスにもこれは大切なことです。個人が持っている或いは、ブランドが持っている
『知性+感受性+創造性+美意識+好奇心』の五角形のバランスを知ること高めることです。
このためには「学ぶ」という構造とプロセスが必要です。
文責/平川武治:

投稿者 editor : 16:42 | コメント (0)

桑沢合同ゼミ-19MAY’15で話したこと−2、

2)妄想という自由なる発想から、現実の先端/アヴァンギャルドへ、;
 「さまざまなものが遠くに逃げていくという感覚に包まれて、現代の私たちは生きている。
家族もそのひとつだろう。家族と縁が切れたわけでもないし、関係が悪化したわけでもない。
モノにも恵まれている。それなのに、少しずつ少しずつ遠い存在になっていく。それは自分自身にたいしても起きていて、日々活動をしているこの自分が自分自身であるはずなのに、それは頭でわかっていても、感覚の世界では、自分自身もまたどこか遠くにいるつかめない存在なのである。」
引用文献/ [新・幸福論「近現代のつぎにくるもの」] / 内山 節著/ 新潮選書:新潮社刊:
 
 この哲学者はこのような現象を「遠逃現象」と呼んでいますが、僕はこのような世界観から生まれる「妄想力」は現代の日本人が誇れる想像力のブリコラージュだと感じています。
日本が誇れるコンテンツビジネスの根幹であるアニメや漫画世界はその殆どがこの「妄想力」がイメージの根幹です。ここには想像力以上の雑草的パワーを感じます。「妄想力」が次には
ヴァーチャルイメージを喚起させ、持ち得たIT技術によって他国に誇れる新たなるパワーになり
これが、現代日本の産業のリアリティの一つにもなっています。この世界は漫画、アニメから
始まり、ゲームアプリとパチンコの世界を征服してしまっています。
 では、ファッションの世界ではどうでしょうか?そして、I.D.の世界はどうだろうか?
僕の専門のファッションの世界を見る限りではもう、”自由の産物”であったファッションにおける創造性は全く変質してしまっています。 結論を言ってしまえば、現在の”マーケットありき”の
ファッションの世界でのクリエーションとは、「Only Variation of the Archives」の世界でしかありません。ここでは”新しさ”が変質してしまったのが最大の原因でしょう。
 ”生活の豊かさ”とともにファッションの情報量とスピードの速さが「安心、安全そして、快適」のためのシステムを構築し、持ち得た豊かな生活によって、その時代の”価値観”が変化し、実生活としてのファッションの楽しみ方はバリエーションをどのような”雰囲気”で楽しむか?
これがファッションな最前線です。この実生活というリアリティは、ここでもその普遍性が生まれた事によってファッションの世界の新しさは「Variation of the Archives」から編集再構成する
”ブリコラージュ”な世界になり、妄想という自由な発想でのファッションの世界は辛うじて、
”コスプレ”の世界や”リメイク”の世界がその市民権を得て面白い”妄想”からの創造性が楽しめるまでの可能性が今という現実の先端/アヴァンギャルドなのでしょう。
文責/平川武治;

投稿者 editor : 16:24 | コメント (0)

桑沢合同ゼミ-19MAY’15で話したこと−1。

テーマ:「閉塞感」と「自由」、「安心、安全と快適」と「傷み」というアバンギャルド。
 このような時代、これからの新たな時代のために、もう一度、”服やモノをデザインすること”とはを考えてみませんか?---

 『(大半の?)結婚と同じく、安全と自由はお互いがいないと存在できないが、
その共存は容易でない。自由のない安全は束縛に繋がり、安全のない自由は慢性的な不確実性に繋がり、神経衰弱に陥る恐れがある。万が一、パートナー(あるいは、もう一人の自分)と
帳尻を合わせたり、関係の修復を図ったり、なだめたりする試みがいずれも不調に終われば、
安全も自由も、熱烈に求められる価値から眠れない夜の悪夢へと変わる。安全と自由はお互いに独立していると同時に排除し合っている。それらはお互いに目盛りの異なる秤を持って引き合い反発しあっており、これらの矛盾する感情の相対的な割合は、その頻繁に起こる(日課とみなされくらい頻繁に起こる)「中庸」からの逸脱と足並みそろえて変化するため、それらの間で幾度も妥協が図られる。(なが続きしないことが多いが、)ー中略ー安全と自由の共生は、
常に激しくて緊張をはらんだものとなる。その本来的で解決しがたいアンビヴァレンスこそ、
無尽蔵な創造のエネルギーと強迫的な変化の源泉である。』
参考文献/「リキッド化する世界の文化論」
(ジグムンド バウマン著/青土社刊)

1)はじめに、ー「閉塞感」ー「安心、安全そして、快適」ー「マニュアル」
 よく、”今の時代は「閉塞感」を強く感じる。”と言われる時代のようですがそれは、
なぜなんでしょうか?こんなに、モノも食べ物もそれに、情報もなんでもある時代なのに、
なぜ、「閉塞感」が忍び込むのでしょうか?
時代が悪い、社会が悪い、政治が悪い、企業家たちが悪い、いろいろな原因はあるでしょうが、その本当の原因はどこに? 
 この現代社会の一つの普遍性とでも言える「閉塞感」は人間本来の、人間しか持っていない「自由」という権利を脅かし、それは知らぬ間に「飼いならされてしまった集団」化へ追い
込まれ当然ですが、「創造」する世界へも大きな障害を与え始めています。
 僕はその大きな要因の一つに、ヴァーチャル社会が進化しより、複雑に高度に広がり始める
ことで、「あるべき筈である”距離の消滅”の完了」が社会化されてしまっていること。即ち、
ヴァーチュアルなリアリティが現実社会になり始めたこと。これは”ケイタイ”と”PC”を現実社会に進化させた”サテライト産業”が根幹でしょう。当然ですが、もう一つには、「人間性」の根幹があるでしょう。言い換えれば、ヒューマンマインドとヴァーチュアルマインドの差異とそれぞれのテクノロジーのその強制的なる調和が”ノイズ”を生み出した結果の精神不安と社会現象の一つ
でしょう。モノにも人にも社会にも国にもすべて、”あるべき距離”があります。この距離を”自由に楽しめる”ようになることが次なる時代の人間に課された”豊かさ”、あるいは”プライド”ではないのでしょうか?そして、”価値観”なのでしょう。
 むしろ、短縮したり、ショートカットすることだけでは既に、終わっている”20世紀の価値観”でしょう。

 僕は田舎に住んでいます。時折、利用する電車での光景、プラットホームへ入ってきた電車に
急いで我先へと乗り込む人たちとは、どのような世代の人が多いのか? 観察してみると、
オヤジ世代もいるのですが案外、若い世代が多いのです。彼らたちは自然に目は”空席”を探し、
身体はもう座ることへ動き始めています。たとえ、周りにご婦人やご老人たちがいても、周りの
ことにはほとんど神経を使わなくこゝろ配らずただ、自分が座ることのために行為する。
そして、座ってしまうと決まったようにケイタイを取り出して安心し、次なる行為を行う。
これがほとんどの停車駅で乗ってくる人たちの、今では当然になってしまった、当たり前の行為と仕草の風景です。 
 ここで、僕の現代社会の読み方は、彼らたちは車内でも自分が安心できる場所の確保がもう、自然な行為として為されている。まず、安心と安全を確保する。そして、ケイタイで”繋がり”を
探す。あるいは、ゲームをする。”安心と安全そして、快適”なる時間を少しの時間の合間でも確保したいという願望がなせる行為が日常化されてしまっているのが現実社会。
 これも日本の戦後70年が持ち得た”豊かさ”という現実の一断面でしょう。多分、その「安心、安全そして、快適」ために、築かれた”社会システム”即ち、「マニュアル」をお利口さに読み込み行為することが長けてあたりまえになってしまった世代と、現代の日本社会の構造はこの
「安心、安全そして、快適」のために、築かれた”社会システム”すなわち、各々のそのための
「マニュアル」が非常に高度なシステムと構造で消費社会に組み込まれた構造のマニュアル社会になってしまった、世界に類を見ない「安心、安全そして、快適」な国なのです。
 しかし、この裏は「戦後の国民を巧く、おとなしく平均的に集団的に飼い慣らす」という戦後のアメリカにより、政府が与えた”シビリアンコントロール”のための社会システムのとても優秀な
実践結果の現実でもあります。
 多分、皆さんのほとんどはこの”社会システム”を自分自身の教養で”点検”しないで与えられた
システムを疑いもせず社会に巧く、順応してしまっている世代でしょう。だから殆ど、自然に
本能的にこのシステムを使って「安心、安全そして、快適」に社会で生きている。このシステムに順応することがもしかしたら「自由」な行為であると考えているのかもしれません。
 このように立派におとなしく飼いならされた日本国民を最近やっと、一部のメディアは「B層」と呼び、まだ、ほんの一部ですが、この集団を危惧し始めました。
 僕は「大衆とは思想なき群集」であると言い切っていますが、多分、今の自民党へ投票する人たちは世代関係なく、この「B層」の人たちが大半なのでしょう。 
 例えば、みなさんが、3日間”ケイタイなし生活”をある種の自分探しのゲームとしてやってみるとわかるでしょう。”ケイタイなし生活”で遭遇することとは、”不安””不信””不便”が殆どで、
そして、それぞれを行為するためには”時間”が必要であることも体感し、理解できるでしょう。
特に、体験した「不便そして、遅い。」はこれからの時代の生活には大切なるもう一つのキーワードでもあります。そして、”不安””不信”は勘と覚悟と勇気とコミュニュケーションによって
その殆どは修復されてしまうものです。あとはどれだけのこゝろある教養を持ち得ているか?
でしょう。
 このゲームによって、もしかしたら皆さん世代が「安心、安全そして、快適」を”モノの豊かさ”の次に求め始めたことによって、失われ始めている大事なことがあることに気が付くかもしれません。それが改めて、「自由」です。
 「自由」とは最も人間的なる、創造の根幹です。自由なこゝろの有り様が在って初めて、自分らしい創造が可能であるという根幹です。そして、「閉塞感」を打ち破ることができるのもこの
「自由」です。またこの自由の「軽さ」や「行き過ぎ」が閉塞感を生み出す要因でもあります。
 今の日本は「保守の進展」という時代性。グローバリズムを機に大衆消費社会を軸にして進化しているのが、ここ15年来の現実で、「保守化」=「中庸」でしかありません。自分たちだけの「安心、安全そして、快適」のためにマニュアル化人間になって終えば、当然このリスクとしての「閉塞感」は感じてしまう。従って、今みなさんが感じている「閉塞感」の原因と根幹は個人にも存在しているということです。個人が、より、オープンスタンスで堂々と生きてゆけば、
社会も国にも現在のような「閉塞感」はかなり、少なくなるでしょう。
 ヴァーチャルコミュニケーションも必要でしょうが、やはり、リアルコミュニケーションが
人間の「五感」へコミュニケートする最短、最良の方法でしょう。ですから、「窓は開けておくほうがいい。」ですね。そして、”「デザイン」の根幹は「コミュニケーション」”ですから
「閉塞感」を持ってしまった、日常ではデザインの豊かさへも関わってくる問題ですね。
文責/平川武治;

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