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2018年3月28日

18AW-PARIS・Fashion Weekからモード環境を考察する。/『 ”象徴の貧困”としてのモードの世界とは?』

「モードの環境」と、「ファッション・ビジネスの現場」の新たな時代の関係性を
理解するために。

”象徴の貧困”としてのモード化社会。/18AW-PARIS・Fashion Weekから
「モードのパリ」と言う現場の変革を深読みし、一つの考察をしてみよう。

 僕の流儀である、まず結論を先に言ってしまえば、
 この様な時代性になってしまった”モードの世界における創造”とは着る人間の身体構造と
生活環境が変革しない限り、「服」における全く新たな造形の創造は”枯渇”してしまった。
 この現実をまず、認めるべきである時代性。
次は、このような時代では”創造性”とはどの様なことであるかを認識すべきであること。
では、この様な時代性になった現代の、ファッションにおける「創造」とは過去の創造の
ストック、「FASHION ARCHIVES」を利用する”バリエーション化”あるいは”ブリコラージュ”
と言う手法に取って代わられてしまった「創造的あるいは、装飾的」が現代のモードの
「創造の世界」である。
 他方、新たな現実に対応し始めた「ファッショ・ビジネス」の世界は、その”象徴の豊かさ”に
委ねられたモードの世界が”象徴の貧困”化し始める。ここでは「工業製品」である”ファスト・
ファッション”を生み出し、従来のアパレル産業に取って代わり、「SPA型」ファッション・
ビジネスの世界を発展させ、時代の”IT”を味方に付け、”e-コマース”と言う新たな”ヴァーチャル
売り場”を戦力にした世界と生産プロセスにおける多種多様な情報力とその量と速度の高度な進化
によって、”e-プロダクト”と”e-メディア”と言う新たな可能性をも味方にした”象徴の貧困”が
ファッション化されている。
 この様な時代性になった時、”作り手否、送り手”であるデザイナーたちはどの様な「価値観」
を携えてこのファッションの世界へ「夢と憧れ」を抱いて来ているのであろうか? 
 或いは、この”象徴の貧困”のファッションの世界に、どの様な「創造の価値」を心して
デザイナーに成りたいのか?或いは、成っているのか?
ーーー名声、富、ヴァニティーな世界への憧れ、自己満足、自己顕示欲、自己肯定等など???
??? 有名になりたい、金持ちになりたい、デザイナーと呼ばれたい云々、、、、、、、、、
 
 『既に、”新たなる創造なき世界”に何を価値として関わって行きたいのか?』
僕はこの”象徴の貧困”の根幹こそが、そのデザイナーの人間性を問うまでの時代性になったと
感じ始めてしまっています。

時代を象徴する一つのプロローグを、
モードを語る前に、既に、”象徴の貧困”としてのモード化社会を認識しよう。
『我々の今日的社会はコントロール社会(管理される社会)と言う調整社会であり、
この様な社会に於いてはバランサーとしての感覚的な武器が必要不可欠である。』
Jeremy Rifkinはこれを『文化資本主義』と論じた。
/参照;「アクセスの時代―Age of Access」/渡辺康雄訳;集英社刊/01年:
 例えば、以前読んだもう1冊には、このような一文もあった。
『ハイパーインダストリアル時代には、感受性は執拗なマーケティング戦略攻撃に
晒されているが、その感受性こそが今、紛れもなく起っているあらゆる種類の戦いの争点と
なっていると言う事。その戦いの武器はテクノロジーであり、被害を受けるのは個々のそして、
それぞれの集団つまり、異文化/異民族の特異性であり、今や文化資本主義の下、我々の
消費社会は”象徴の貧困”が果てしなく広がるに至っていると言うことを認識してください。
例えば、武器としてのオーディオヴィジュアルやデジタルと言ったバーチャルな感覚に関わる
技術をコントロールする事が問題なのでありそして、その技術のコントーロールを通じて、
魂とそれが住む身体の意識と無意識の時間までをもコントロールしようとの企てが始っています
ね。それは”フロー”をコントロールする事で”意識と生”の時間を調整する事なのです。』
/参照;“DELA MISERE SYMBOLIQUE 1. L'epoque hyperindustrielle"
By Bernard STIEGLER EDITIONS GALIEE,04/Paris.
 
 そして、世界は確実にある一つの流れの方向へ導かれている。
世界規模での地デジ変換の目的の一つもこの範疇であった、インターネットを介したTVとPCの
統合により、明日の『テレヴィジョン』端末は『テレアクション』端末へと、モバイルになり
小型化、大量情報そして、速度というファクターによって変革してしまった。
この現実とは、文化資本主義の下に文化産業が産業全般そして、今後の情報社会の基幹産業と
なりつつある事だ。現代日本の「安心のファッシズム」に漂っている多くの消費社会の国民は
この「テレアクション」=映画+TV+ゲーム+音楽+フットボール+ショッピング+金融+保険
に現実時間の多くを委ね切った安心という願望の日常リアリティでしかない。

世界は21世紀以来、文化資本主義の下、文化産業をビジネス構造化するための”文化価値”と
感覚的武器の一つである芸術の価値即ち、”美-美意識”の“価値判断”の唯一統合化に依って、
”特異なモノが特殊なモノに”変えられてしまう。そして、彼らたちにとって変わらぬ世界とは、
コントロール社会(管理される社会)が”金融―価値観―武器”の新たな調整戦略によって
より高度な技術による、「コントロール社会(管理される社会)」へと進化,革新している。
これが今と今後の、世界の”グローバリゼーション”の本意本質である。
嘗ての20世紀初頭、政治の根幹は自分たちの国家が富める国家であろうとするために、
「植民地政策主義」によって利権化構造とともに白人資本主義社会が帝国主義化を競い合い、
黄色人種としての日本も加わって、結果、2つの世界大戦をもたらしてしまった近い20世紀の過去
を忘れないでおこう。そして、21世紀を迎えた我々は新たな技術を持って、新たな武器
とした「グローヴァリゼーション」の時代を手中にした。この新たな技術が「インターネット」
であり、この新たな技術を利用した「コントロール社会」の構築化と進化が現在の21世紀の
初頭であろう。ここには古いシステムに、新たな技術を加え、構造化された根幹が読める。
即ち、資本主義とは、『力と差異をどのようにシステム化』することで可能なシナリオであり
これは依然、変わらない白人社会が生み出した根幹である。ここに、新たな進歩としての技術
革新が加わっただけが「文明の進歩」と読むことが現代をシンプルで理解しやすいであろう。

**
さて、こうして”未来”を読んだ場合、
ファッションの世界にも“象徴の貧困”が染み込み始め、表層化されるだけであろう。
そこに“表層のボキャブラリィー”がより、フォーカスされ”特異な文化が特殊な世界に”消費社会
のために変えられてしまう。ここに僕が発言している「壁紙デザイナー」や「庭先デザイナー」
の登場とその立ち居場所が可能になったファッションの世界が現代である。
 ある時期まではこのモードの世界も、”象徴の豊かさ”故に存在価値があった時代があった。
メゾン、M.M.がこのモードの世界へ彼らたちの「創造の発想」によって一つの時代性を創造した
根幹は、それまで存在していた”象徴の豊かさ”を解体し、“象徴の貧困”と言うリアリティを
”落ち穂拾い”即ち、再構築したことであろう。
 そして、現代のファッションに於ける“象徴の貧困”とは、ヌーボー・リッシュ(新興成金)に
よるラグジュアリィ・ファッションの金メッキ化されたヴァニティな世界そのものの存在で
あり、他方、“流行/トレンド”とはグローヴァリゼーションを背景に新たなパワーとして
の大量生産可能な「工業化製品」としてのフアスト-ファッションの登場とその差異化のための
コードが“象徴の貧困”である。
 もうひとつ、それらのブリッジとしての役割を与えられていたプレタ・ポルテの現実とは
ファッシズムな調和のための創造的ゲームであり、“フェッチ&キッチュ”か或いは、
“ユニフォーム”へと流れ始めている。ここでは、 救われる唯一の身体の意識と無意識の時間の
ための”武器”は“過去”の使い方である。この過去とは集積された”アーカイブ”であり、
“共有したノスタルジア”の不連続な連続における集合体として甦る。
 ここでの価値は”未来のイメージ”ではなく過去へのイメージであり、それ以上に共有し得る
”エピソード”のヴィジュアル化と“コスチューム”化が“象徴の貧困”社会の新たな”武器”だ。
 象徴が貧困化すればするほど、嘗ての”カッコ良さ”がノスタルジー化され,美化され語り
続けられる”エピソード”になる。そして、これによってモードの世界も「美術館ビジネス」と
言う新たなビジネス構造が誕生し確立される。
この発端を直接的に構造化したのはCdG川久保玲の”作品展覧会”が動機である。
売れなくてもいい。それなりの場所に置いておくだけで価値が生まれると言うビジネスシステム
をランウェーで実行したのが川久保玲だ。ここにこれ以後の新たな彼女の新しい立ち居場所を
アヴァンギャルドに自らが創造したのであるからやはり彼女の気迫と根性はすごい。
 以後、世界のラグジュアリィー・ブランド企業はこぞって、「ファンデーション機能」を
設立し始めたのも現実になった。ここでは自分たちのアーカイヴを使っての未来への”創造性”と
それらのアーカイヴにより、文化資本主義の下、文化産業をビジネス構造化するための
企業自らがデレクションした”文化価値”を育成するためである。

もう一方の側の若手デザイナーたちの立ち居場所では、固定されない立ち居場所を見出し
始めている。考えようによると「自分のブランドとはインターネットのプラウザである。」
と言う視点だ。「いいね!」を押し合って彼ら世代のバーチャルな関係性を構築し、そこで
「コラボレーション」と言う手法を味方につける。この手法も見方を変えれば、
「アートビジネス」の構造に類似している。「コラボ」することによって自分たちのブランドの
「来歴」を造ると言うシナリオだ。この「来歴」即ち、「コラボ」の話題性が凄いほど
そのデザイナーの立ち居場所がメディアによってシナリオ化され拡散され、ブランドと
デザイナーの「知名度」へ繋がる構造がここには見られる現代である。
 ここではコラボの相手先がインターナショナル・ブランドであればあるほどに、自分たちが
求めている”立ち居場所”を約束してくれると言うシステムになりつつある。これは彼らたちの
関係性の拡散手法に『”成熟”を拒否し始めた世代』の表層が実は見える。
 この根幹は「競い合う」対象の変革化とでも言える新しいビジネス構造の一環になり始める。
”創造性”で競い合うことよりも”話題つくり”と”ヴァリエーション作りあるいは、
”ブリコラージュ”によって競い合う「選曲・編曲」と言う時代性であり、変わらぬ
”ファッションと音楽”の関係性が尚、ハネムーンであるし、そこに新たに”アートビジネス”の
システムが加わりファッションビジネスも本格的な「モノ資本主義」から「文化資本主義」の
元、文化産業としての新時代が到来したのが今である。
 
***
 このような時代観を自らの”形態言語”の日常環境とした時、モードを語る人たちは
何を語れば良いのか?
『誰が』『いつ』『誰に向けて』『何のため』それらを作ったのかという事をどのような
”立ち居場所”で、どのような”眼差し”で、どのような”ボケブラリィー”で、どのような”素材”と
“手法”によって、”未来の貧困”へ向けて語られているのだろか?
あるいは、”過去の豊かさ”へ向けて持ち得たそれぞれの「文化度」によって語りかけるだけの
ものなのであろうか?
 或いは、それ以上に「作り手」と言うよりも既に、唯の「送り手」になってしまった
ニュー・ジェネ・ファッションディレクターたちが認識し、持たなければならない根幹がある。
それはこの時代性だから持たなければならない「創造のための価値」観である。
 「創造のための価値」とは簡単に言ってしまえば、時代が進化することによって生まれる
「豊かさ」によって、「作り手=送り手」たちも、「なぜ好きな服を作るのか?」どうして、
「ブランド・デザイナー」になりたかったのか?と言うまでの自身の心の有様の根拠性と
自らが求めた”立ち居場所”のためのアイデンティティそのものでもある。そして、持ち得た
自らの「夢」の根幹でもある。
 この現代の作り手としての根幹である「創造のための価値」の発想の由来と根拠が本来は
そのデザイナーやブランドの「クオリティ」や「品格」となり、自らが求めた「立ち居場所」の
存在意義の確認に大切な根幹になる。
 なぜ、今この根幹が大切な時代であるかと言えば、ファッションの世界に「純創造」と言う
世界がいまだに存在するのであればその「創造」に挑戦することが自分が持ち得た自由の根幹
になりそれが創造へ賭ける心のエネルギィーになり得た時代があった。
 嘗て未だ、ファッションの世界に”新たな創造”と云う領域が芳醇に存在していた時代であれば
「作り手」は「創造のための発想」のみを深く考えて行為し、概念を発言すれば良かったのだが
今はこのシーンはすでに過去のものになってしまったからである。

 僕が最近のコレクションを見て評価する根拠は、このデザイナーはどのような
「創造のための価値」を持ってコレクションを作ったのか?と言う眼差しで見始めている。
誰のために、どのような人達のためのためのコレクションなのか?
或いは、コレクションを行なっているのか? を感じ、読むことがとっても大切な「共有感覚」
を創造する根幹であることだと信じて見ている。
 しかし、その多くは「自己中心」に始まり、「自己満足」「有名になりたい」「儲けたい」
それに、ラグジュアリィーブランドのデザイナーに登用されたいと言う“象徴の貧困”を
上塗りするだけの「壁紙デザイナー」や「庭先デザイナー」が賑わいを作っている世界でしか
無くなって来たと読めるまでの先月の『Paris・Fashion Week,18A/W』だった。
合掌:
文責/平川武治:  

<参考>
 *今回、パリで見た展覧会;
『M.M.M. 20周年回顧展』/於;モードガリエラ、
『Y.S.L.展』/於;ファデーションYSL,
『FUJITA展』/ 於;マイヨール美術館、
『RAOUL HAUSMANN写真展』他/於;JEU DE PAUME: 1918年のベルリン・ダダに関わり、
2つの大戦を経験したその作品群は眼差しの向こう側にあるものを捉えていたウイーン生まれ。
『IMAGES EN LUTTE展』/ 於;Palais des Beaux-Arts : 今年で50年を迎えた「’68MAY」の
オマージュ展。当時のグラフィック、フリーペーパーなどとその後、続出したキューバ、チェコ、
インドシナ等の「革命」のプロパガンダ・イメージ & グラフィックス展。
 日本おける「安保'68」展は何処かでやるのだろうか?  
『MUSEE CONDE』/ 於;CHATILLY, 久しぶりにシャンティイ城と街全体を16世紀の佇まいを
残したサンリスへ出かけた。サンリスの夕刻がメラコリックでいい。
 *読書;
『都市と娯楽』/ 加藤秀俊著:鹿島出版会刊:
『柳宗悦』/ MUJIBOOKS刊: 
『暴政』/ T.スナイダー著:慶應義塾大学出版会刊:御一読を進めます。
『日本二千六百年史』/ 大川周明著;毎日ワンズ刊:

 ありがとう。

 


 

投稿者 editor : 17:12 | コメント (0)

ブルータスSTYLEBOOK 2018 S/S向け原稿草案。『モードにしがみついてきた男の供述書。』

本原稿は、「ブルータスSTYLEBOOK 2018 S/S向け原稿草案」として書き下ろされたものの
全稿であり、私書版「14歳のためのモード論」のプロローグの一章でもある。

『モードにしがみついてきた男の供述書。』
ーーーーーー終戦の気配が漂い始めた頃に生まれたものが、
あの戦後の荒廃期の中から不謹慎さと共に変わらず、「装うことが好き」と言う事を
自分の中に見出して、幾通りもの好奇心と衝動に揺れ動かされながらも、
それにしがみついて来た者の追憶記否、供述書。

「今だから言えることなのでしょうが、
結果、それが何であれ、私の中に何か、「輝くもの」を感じ触れ、触れればそれは、
まず、第1のしあわせだと思いました。
次にはその見つけ出した、私の中の「輝きそうなもの」を恥ずかしさうにつかみ出して、
私らしく輝くようにその想いと共に、磨く事。
そして、時間と想いを掛け、磨きをかける事。
すなわち、感じる事、学ぶ事、喜ぶ事、愉しむこと。
そして、自分の価値観を築くことに費やした私でした。

そうすれば、仲間を見つけられ、時には競い合うこともありました。
私はこれを感じ、これにしがみついて来た事の結果として、今があります。」

“しがみつけた理由の根幹とは?”

「それは、まず何よりも、母の存在でしょう。
私事ですが、彼女はとても上品でおしゃれで自分の人柄を漂わせるお洒落をしていた人でした。
敗戦後の“母独り、子独り”と言う特殊な家庭(?)環境でどのように育てられたかと言えば、
母が装う姿を荒廃した社会の日々に、日常として目にしていたことでした。
今ではそれが当たり前の日常ですが、その当時では寧ろ、異常な非日常の光景でした。
その母の姿は、優しさと共に、喜びや勇気、プライドや責任感、楽しさや嬉しさそれに、
ある時は悔しさや悲しみさえも私は当時の母の粧姿からすでに、子供こゝろに感じ取っていた
のでしょう。そんな母の姿を見かける多くの人たちは決まって、「君のお母さんかい?
綺麗な人だね。」「上品な方だね。」「美しい人だね。」「優しそうなお母さんだね」と
声を掛けてくださっていました。まだ幼かった私にはそれが自慢でもあったのでした。
そして、この感覚はすでに小学校の頃には私の装いの感覚になっていました。
自分が産んだ子供なのに、自分が付けた名前で呼べない母と子。
この母との距離感と関係性が、いまの私と装いにはあります。
だから、私は今の「装い」を評論する立ち居場所を探したのでしょう。
そんな母が選んで着せてくれた私の装いは当然、当時の周りの友達や近所の目からは
浮いてしまっていました。
しかし、私は当時、すでにその目線が与える心地よさや楽しさや嬉しさときには、
ときめきさえも知ってしまっていました。
私の小学生時分はお兄ちゃんたちのお古の“国民服”が一般的でしたが、
私は一度もその様な服を着せてもらったことが無く、私が中学へ上がった時に始めて着たのが
常襟の学生服でした。私はこの学生服を学校から着せられることによって、自分の心までもが
社会の制約の中へ閉じ込められる想いと感覚を今でも覚えています。
私が私らしく装うことを躾けてくれたのが母の存在とその母が自分の体験から選んで
着せてくれた装いだったのです。それは、それしか出来なかった母のリアリティであり、
彼女が出来得た「愛」の一つだったのです。
これにしがみついて来たのが私です。
或いは、この頃では私はこれにしがみつくしかなかった時代と環境だったのでしょう。」

”その後、何に影響を強く、受けましたか?“

「敗戦真近に生まれた私がその後、自分の世界観と価値観らしきものを感じ始めた時
あるいは、自己主張を装いによって生意気にそして、異性を意識するまでに育った頃に、
世間では大いなる味方が誕生していました。それが「VAN Jac.」でした。
そして、「JUN」も知りました。
私は大阪で生まれ育ちましたから、そのあとに「Edward」を知り、そのテイストの違いに
かなりの衝撃を覚えました。だから私は「VAN Jac.」で当時流行した“アメリカン スポーティ
カジュアル”なる装いの洗礼を確実に受けた世代の一人です。
当時は心斎橋そごうの1階に在った、「VAN Jac.」コーナーや梅田に出来た、「Men’sShop」
難波に在った「トラヤ帽子店」の「JUNコーナー」そして、神戸三宮の高架下にあった
「ボンド商会」に友人たちと通ったことも記憶に残っています。この「ボンド商会」の親父さん
からは自分だけの「装い」とはのいろいろなことを教わり一方、「VAN Jac.」の創業者であった
石津謙介氏の大阪時代に母が知り合いだったことから母もこの装いには味方をしてくれました。
もう一つ、私は母の影響でB.クロスビーやF.シナトラ、メルトーメ、S.デイヴィス Jr.等の洋楽
スタンダードを聞いていたのですが、この頃には私は「モダンジャズ」を聞く様になりました。
当時、戎橋と梅田にあった「バンビ喫茶店」や心斎橋の橋詰めにあった「オグラ」に通い始め、
友達も出来“装い談義とジャズ談義“に明け暮れていました。O.ピーターソン,S.ロリンズ、
M.デイヴィスやC.アダレー、J.コルトレーンのコンサートを当時の大阪フェスティバルホールへ
勿論、「装い」を決め込んで、友人たちと押しかけていました。」

”覚えている自分のかっこよさとは?“

「私が「VAN Jac.」を通じて知ってしまった、”装う“事のその楽しさと生意気さは年齢と
時代と共に変化し始めました。アメリカでDacronが発明されて当時の新しい素材が登場した頃、
私も「銀座ヤジマテーラー」でラペルをジャズメンたちに見られたシングルラウンドにした
黒のスーツを仕立てて頂いたことも憶えています。今でも時折、私が着ているものに、
「エドワード」のエポーレット付きのキャメルジャケットがあります。
もう、半世紀以上のヴィンテージものなので、縫い糸がほころびてきていますが、好きで、
かっこいいジャケットだと信じて未だに大切にしています。
私は歳を取っても体型が変わらなかったので、これらのとてもお気に入りのスーツや
ジャケットで好きなもの、良いもの、気に入ったものは大切に、大事に随分長く着ています。
だから、当時、母に買って貰った「VAN Jac.」のジャケットも今も着ています。余談ですが、
私はこの「テーラーヤジマ」のジャケットは当時交際していた女の下宿に忘れてしまったことを
今も覚えているぐらいです。それも、既に20年ほど昔の話ですが。
「好きなもの、大切なものはそのこゝろの想いの分だけ大切に着てあげなさい。」と、これも
母から躾けられた”装いこゝろ“の一つで、”お洒落“とはの根幹を躾けられたと
私は自負しています。」

“おしゃれこゝろの大切さとはなんでしょうか?“

「私の次なる新しい装いのシーンの舞台は倫敦に移りました。
’73年から数年間、機会があって住み始めた都市、倫敦は私の装いの価値観をもう一つ広げて
くれました。私はこの街で「自由さ」という精神が接ぎ木されました。
当時の倫敦は未だ、“ロックとカーナビー”の残り火が燻っていましたし、キングスロードも
輝きと騒がしいさを溢れせせていました。それらの輝きは当時の体制に対する自由の裁量から
発せられたものでした。
「装い」とは一つの才能であること、その才能は自由なこゝろから生まれ、持ち得たバランス
感覚で如何様にもなり得ることを私はこの街で体感しました。
私は気ずくとその輝きの中で新たな自由とは、何であるか、どの様にすれば感じられるか?を
現実の中で体感し、自分のリアリティとして学んで来たようです。
そして、私は本当の「自由」とは現実の中に生まれたものでしかあり得ないという根幹を知り、
それを価値観として身に付け始めました。
もう一つ、当時は未だ、「質素、倹約」がこの国の美徳であった時代でしたから、自ずから、
「古くても好きなものは大切にする。」という心の有様も学び、私の「装い」こころに新たに
「古着」という“宝の山”を発見したのがこの街からでした。
この街での4年近くの実生活の後半はHIGH STREET KENGINGTONにあったマーケットと
その裏にあったアトリエでの「陶芸と古着屋」で生活費を稼ぎそして、スクーリングと音楽と
育児が生活の全てでした。

”あなたが「装い」にしがみ付くことの大切さとは何ですか?“

「結論から申し上げます。私が、私らしく生きてゆくことの一つの証です。
私の中で輝くものが何なのか?それを感じ、それが好きになれば、
その好きなものを現実で探し、見つかれば、それにしがみ付くしかなかったのが私の時代、
私の育ちそのものだったのです。私がこんなに長い間、しがみつけたのも苦しいものより、
楽しい幸せなものの方が、醜いものより、美しいものがその根幹にあったからでしょう。
そして、私以外の人たちにも共有していただけるものの方が良かったのです。

その後、日本社会も豊かさが生まれ始めて、消費社会が誕生した後はこの「装い」も
新たな世代へ広がり、装うだけではなく自分たちが着たいものを作り出す世界が多く誕生し
始めました。私が倫敦から帰国し、上京した時には気がつくと私自身もそんな作る世界の側に
足を入れ始め、しがみつき始めていました。しかし、この時期とはあの「VAN Jac.」が倒産した
時期でもあり、その後、数年で母も他界いたしました。

世間では、「酒の上の過ち」と言う言葉がまかり通っていますが、
私の場合は母が幼い頃から気を使ってくれた「自由な装いの過ち」が勇気と覚悟を与えてくれ、
今の私の立ち居場所を決断させてくれ、私の人生をこのような幸せな流れに導いてくれたと
たいへん感謝しております。」

”最後に、14歳の若い人たちへ「装い」についての一言を、“

「 私のこれまでの経験から申し上げますが、誰のために「装う」のか?
という問いへの答えは、まず、自分自身のため。自身の存在を自分で自由に表現できること。
そして次には、自分が愛する人のため。それが恋人だけではなく、家族や友人たちも含まれま
す。ここには自分が愛する人への想いが存在するからです。そして、出来れば、社会のために
なればもう最高でしょう。この根幹は「装う」ことが持っている自由さと幾つかの価値観、
立ち居振る舞いや身だしなみ、躾などですね。それに、“コミュニケーション”と言う機能が
ある為です。
ここまでお話しすればもうお判りでしょう。私の「装い」には所謂、ブランドやデザイナー
モノへの薀蓄や願望等は殆んど、介在しませんでした。それより寧ろ、「モノが持ち得た
リアリティ」に魅力を感じていたのでしょう。だから私の装いのほとんど全てが自分の古着と
それぞれ訪れたことのある街の古着屋から目に留まった「リアリティが詰め込まれた古着」が
私のワードローブの全てであり、それらと自由に遊ぶと言う感覚での着こなしを楽しむ
「装い」でしかありません。

最後の最後に、私の好きな、第14世ダライ・ラマの言葉に、
“Approach love and cooking with reckless abandon.” というのがあります。
私はここにもう一つ、「装い」を付け加えたいです。
“Approach love, cooking & fashion with reckless abandon.”
ありがとうございました。」
文責/平川武治:私書版「14歳のためのモード論」からのある1章より。

投稿者 editor : 04:01 | コメント (0)

2018年3月20日

UNDERE COVER 高橋盾 AW18を評論する。

かつての70年代終わり、ミラノの「ゴルディースミス」によって「イタ・カジ」ブームが
起こり、引き続きパリ、80年代初頭には当時の「シェビニオン」で代表された
「フレンチ・カジュアル」が全世を風靡し、リセの子供たちのユニフォーム的にまでなった
時代があったのを思い出させるまでの痛快さを感じた。
丁度、その当時の”ニュージェネレーション“達が今では、このUNDER COVER の高橋盾世代
であろう。「時代はリバーシブルあるいはメビオスの帯」。

ここ数シーズンのUNDER COVERのコレクションは好感を持ってクオリティー高い違いを
感じることがある。
先シーズンのPitti uommoのメンズコレクションにしても、パリで行われているファムの
最近の4シーズン来にしてもそれぞれデザイナー自身が何よりも、愉しんでいることである。
即ち、高橋盾が楽しみながらコレクションを、自分世界の中に引き込んで創っているのが
感じるまでの世界を堂々と見せてくれていることである。
この状況をデザイナー自身が持ち得て自分のコレクションを創っているデザイナーは矢張り
少ない。自信がない、トレンドを気にする、売りを気にするそして、それなりのデザイナー先生
ぶっているのだからそれなりに見られたいことなどが大きな要因になって、このデザイナー先生
自身が苦しんで創っている或いは、大いなる邪心と共に自信のないコレクションの結果なって
しまうことの方が多いからだ。
そもそも、ブランドとは「商標」であり、自分のブランドとは自分の世界観を生み出すための
「商標」であり、この世界観はデザインに関わった人たちとそれを総合でディレクションする
人たちが学んで来た「スキルと経験と関係性と美意識それに持ち得た文化度」によって構成され
ているのが当たり前である。ここにこのブランド或いはデザイナーのもう古くなってしまった
ボキャブラリィーである「個性」がその創造性と共に現れるものを「デザイナーブランド」と
称されて位置付けされている。

従って、UNDER COVERの高橋盾の世界観としての、「スキルと経験と関係性と美意識それに
持ち得た文化度」に余裕が生まれ始めた事。或いは、豊穣され、”豊かさが自由さを生むまでに“
なったことと感じられるので僕は好きである。
あと、自分のコレクションだから、自分のやりたいことを自分らしくやるというレベルの
ゆとりと、もっと言えば、「自分たちのお金で堂々とパリに来ているのだから自分たちの
やりたいことをクールにカッコよくやりたいね。」という正直なデザイナーの声も聞こえる。
もう一つが、「自信」であろう。もうここまでの10年数という経験をこなして来た自信でも
あろう。この辺りが最近のアンレ・森永の進歩しない、他人の新しい褌を使い回しての古い発想
で面白くもない学生コレクションレベルとの大いなる相違点であろう。根幹はこのデザイナーが
自己自慢がしたいがためのパリ。結果、パリからは何も学んだものが見当たらない故、女性が
着たくなる服が作れない所詮、「庭先デザイナー」でしかない。

さて、本題の今シーズンのUNDER COVERのコレクションの素晴らしかったこととは、
「新鮮」であったこと。「愉しかった」こと。「自由」であったこと。そして、幾つかの
「新しい」アイテムが見られたこと。何よりも僕が嬉しかったのは、彼が提案したターゲットが
「14歳」(?)
僕の去年来の構想と雑誌「ブルータス」の特集にもなった、「14歳のモード論」にも彼は
目線を行き届かす「自由さと新鮮さ」がとっても可愛いかった。
彼の眼差しはこの世代の女の子が恥ずかしやり屋さんであることを承知したところでの
「オシャレ!」にコンテンツを投げかける。「普段着の安心と親しみ」で着られる「ちょっと
違った、オシャレ感覚」を提案。「分量あるキャンパス・ルック」を可愛く着せる。
素材の面白さでは、形状記憶素材をこの世界へ落とし込んで”おしゃまなシルエット“を提案。
ゴム長にメッセージを書き込む。スニーカーも逃さない、上手い。そして、キャスティングも
良かった、ナイキに出ている旬なモデルをちゃんとゲットしていたからだ。
トレンドも気にしていない。自分がやりたいことを堂々と自身のクオリティを落とさないで
クールにこの”ニュージェネレーション“に全てを投げ掛け、コーディネートを見せたことも
潔が良い。結果、パリのファッション雀の意表をついたコレクションは話題になる。
その証拠にショールームでの実ビジネスもとても良かったと友人のマダム・クリスティーヌに
聞かされた。

ここで、冒頭のかつての「フレンチ・カジュアル」ブームへ、イマジナリ・ボヤージュとなる
「あたらしさ」を思うのは愉しい想いである。

そして彼、高橋盾はこれからは、メンズを軸としたコレクションをパリで挑戦発表する
という。
ここでも、彼の「豊かさから生まれる自由さ」をこのデザイナーと共に、愉しんでみよう。
文責/平川武治;パリ市ピクピュス通りにて:

投稿者 editor : 19:24 | コメント (0)

2018年3月11日

“JUNNYA WATANABE” AW18コレクションを評論する。

先ず、僕の結論はここ、2シーズンが低迷であったJUNYA WATANABE コレクションの
今シーズンには一つだけ彼らしさの力量を持って自分らしさの世界に挑戦した世界があり、
いいコレクションだった。

勿論、ビジネスをも考えなければならない立ち居場所上、ヴィンテージセーターや
そのリメイク的こなしをいつものパンキュッシュなイメージングによって、しっかりと
そのお役目も含めた”Good job”をしたのも好感がもたれる。

大事な今シーズンの視点はやはり、「分量のバランス感」だった。
渡辺淳弥はパターンメイキングでは素晴らしい腕を持っている職人肌のデザイナーである。
このような職人はいつも自分自身に挑戦する難しさを正面から迎え撃っている。
それが自分のプライドとなる“腕”を磨くことであることを熟知しているからだ。
彼の今シーズンの新しさへのチャレンジもここにあった。
僕が感じた彼の今回の“source of the new balance”の根幹は先シーズンのオムでもトレンド
アイテムの一つであった”ポンチョ“だ。このポンチョが持っている肩に乗せるだけで生まれる
ボリューム感が生み出すシュルエットに注目したのではないだろうか?
彼はこの時のシルエットとボリューム感を今シーズンのテーマの一つになった
「袖周りへの新しさ」へ彼のパターン力を駆使した造形へチャレンジしたと観た。
僕は袖と袖下に造形の新たな空間を見つけ出した彼の眼差しに感心した。
そのほとんどの白人デザイナーは今シーズンのこのテーマを表層の足し算のデザインで逃げ、
フリルをつけ、プリーツを使いあるいはシンクビックと。しかし、彼は過去からも多くの
デザイナーが避けてきたこの新しさへ職人気質で向かい合ったシーズンだったと感じた。

今シーズンのパリのモードの欲求には、「もう、90年代のアーカイブからのブリコラージュ
だけでは感動がない」という新たな欲求が感じられた。そこでやはりモードの造形の根幹である
「分量のバランス感」が問われ始めた。新たな分量のボリューム観によってのシルエット、
そのバランス感でどのようなシルエットを生み出すか?にあった。この欲求にはリスクが
多くある。すなわち、「売れるか、売れないか?がはっきりとビジネス上で数字で現れるから
だ。」従って、このトレンドに真っ向からいぞんだデザイナーは少なかった。ラグジュアリィー
は無論、若手と称される4シーズン目に入ったデザイナーまでこのトレンドを避けた
コレクションがほとんどだった。ここではパターンメイキングの基本力が問われるからであり、
今の大半のデザイナーたちはこの能力が皆無に等しいからだ。

身体を「表と裏/左右対称」しか考えない西欧人たちの美意識の根幹。
その上でのバランス観から始まり、非対称そして脱構築とジェンダーレスまでがこの西洋美學に
基づいたモードの世界の創造性の変換であり、現在へと至ってきた。
この世界へ刺激ある現実を持ち込んだのが82年のCdG・川久保玲であり、それに刺激と影響を
見つけたのが後のマルタン マルジェラだった。
その後、90年代はじめには多くの若いデザイナーたちが、
H.ラング、M.シットボン、J.コロナ、A.L.マックイーン、H.チャラヤン、V. & L.たちが
このモードの世界を芳醇、豊饒な新たな世界へと革新した。
その後の多くは所詮、彼らたちの「チルドレン」たちでしかない。
そんなこのモードの世界観の遍歴を考えると、今シーズンの渡辺淳弥のコレクションには
新しき視線が感じられ、その挑戦への自信が読み取れて僕は心地よかったのだ。
「ありがとう。」
文責/平川武治:パリ市ピクピュス大通り:平成30年3月5日初稿。

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2018年3月 9日

CdG, ”川久保玲作品発表会“/3月03日、を論じる。

今年のこの街は、興味ある二つの「50周年記念」がある。
一つは、この国の戦後の左翼イデオロギィーの根幹になっている「MAY ‘68」の50周年。
もう一つはあの70年代のモードの在り方、「プレタポルテ」を生み出して牽引して来たメゾン、
「ソニア リキエル」の50周年でもある。

そして、川久保玲がスタイリストをやめて、友人三人で始めたこのブランドも多分、
「50周年」を迎えるであろう。当時の全てを知っているものが少なくなったことは、
この「50年」という半世紀前の出来事を熟知しつずけている人間が少なくなったことと、
やはり、都合の悪い事は忘れたいという心情と、”時間“が暗い時代とこゝろを
「風化」させてしまったからであろう。これによって戦後の大衆は「豊かさ」を持ち得るまで
に”努力“して来た50年であった。


ここで、 ”川久保玲作品発表会“を見る度に思うことがある。
このデザイナー、川久保玲はどのような服を作りたくって日本のファッションの世界へ入って
来たのかである。
彼女の全ての始まりは、彼女達がつけたブランド名でも判るし、当時のS.リキエルの
コピーから始まった彼女たちのブランドが、先日のような”発表会“を為すまでに至ったかを、
このような時間と、どのような関係性と努力を経て、現在の川久保玲の作風に至るまでの
「メタモルフォーゼ」が可能なのか?を誰も今だに論じない。
ある意味では、ここに日本のファッションが「文化の領域」にまで達することができない
所以の一つがあろう。他方では、自らが欲しくって、「文化勲章」を貰ってしまったデザイナー
も存在したと言うのに。
最近の東京ファッションウイークの”枯れ木に山の賑わい“も、日本の現在の外交政治
「庭先外交」と同じく、その多くが「庭先デザイナー」でしかない。
見える庭先ではしゃぎまわっているだけの輩たち。
「おい、君たち、“床の間”を持っているのか?」
すみません、今のマンション住まいで育った世代は”床の間“の存在すら知らない世代でしょう。

では、”川久保玲作品発表会“を論じよう。
まず、何よりも昨シーズンから、このデザイナーの作風が変わった。僕もハッピーになる。
多分、あのN.Y.での展覧会以後、このデザイナーはある種の肩の荷が降りたのであろう。
今シーズンは先シーズンに増して、何よりも当のデザイナー自身が楽しんでコレクションに
携わったであろうと感じた。
このデザイナーがこのような発表会形式でショーを行ったこととは、新しい時代の、
新しいモードの立ち居場所へ挑戦したことが何よりもこのデザイナーに僕が感じた功績である。
以後、この現実性を見抜き始めたモードの世界のビッグメゾンはL.V.やPinoグループなどが
独自の「ファンデーション」を持つまでにモードがアートの世界へ近ずく、新たな在り方へと
変革させた。この事自体がこのメゾンが成し得た最近のモードの世界での大きな変化である
ことを忘れないでおこう。

あの、F.フェリーニの代表作「道」の、ニノロータのテーマ曲でこの発表会は始まった。
チネチッタで見慣れた仕草がランウエーを動き出す。二つの照明什器が静かに引き上げられる。
すると、ファーストルックが。
全身白で装った黒人のマヌカンがゆっくりと歩み始める。
これは長い間見せていただいて来たパリ・コレクションにおいてもこのメゾンでは初めての
キャスティングである。窓は開かれた!!
素晴らしい、オープニングであった。これも,川久保玲の特技の一つであろう、上手い。

今回の川久保玲のコレクションは無垢さとチャーミングさそれに大胆な美しさを見事に
自分の創造世界の中でポジティフに展開した。
変わらず、自分の好きなエレメントは継続して居る。
それらに加えて、今回はいくつかのいままでに見られなかった手法を魅せてくれた。
今回の”source of the image”はトレンドの一つである「レイアード」を彼女の世界観へ
引き込み、自らの美意識と過去への想いも込めてポジティフな世界観を構築した。
ボンディングやキルティングを「未完の状態」で自分の素材とした事。
そこへヴィンテージ下着やヴィンテージニットを加えるという手法を用いた。
このヴィンテージにそれなりの彼女なりの想いがコードとして感じられ、読める。
魅せたかったのはそのエッジとボリュームのバランス感の変わらぬ美しさであったであろう。
僕が一番気に入って好きだったのは、白を基調としたレイアードの中から見え隠れする
いくつかの色彩あるうす布が見え隠れするあの“ミルフィーユ構造”のシンプルな構築の中に、
多くの布をレアードされたそのエッジの美しさとチャーミングな少女的はじらひを造形した
アウトフィットのものだった。
とっても失礼な思いだったが、思わず、食べたくなった。
(ある日、ローズベーカリーへ行くとこの”ミルフィーユ・れい“が食べられる。
そんな思いまで、)
だが、少し時間を置いて想いおこすと、「女の表層としての面と内面がエッジに現れ見え隠れ
するうす布の僅かな色彩」にこのクリエーター、川久保玲の「はにかみ」と言う女らしさを
想った。
この「はにかみ」というこゝろの有り様はやはり、日本人が持っている特異性であり、
人間としてのチャーミングさでもあろう。そして、隠されている美しさがあるからこそ、
こゝろ魅かれる。ここには日本人でしか理解できないこゝろの有様の一つに、
「情緒をひとしをに深くする」という美意識があった事も思い出す。
そして、かつては多分、このデザイナーはこのような内面性を自身で語ること自体が
「はにかみ」であったであろう。こんなところにもこの、川久保玲のメタモルフォーゼを感じ、
共有出来たことに喜びを覚えた。

このメゾンのプレスが対プレス関係者へ手引書的な文章を出しているようだが、僕は未だ、
貰ったことがない。ということは、僕は彼ら達がくくるプレス対象者ではないのである。
これも、僕の立ち居場所をよく理解されての対処であろう。
そして、今回のテーマが「camp」だったと言う。
僕が思い出したのは、S.ソンタグ。あるいは、古い映画「coach 22」。
それにしてもやはり、このコードとしての「camp」は僕たち世代のボキャブラリィーだ。
例のウキペディアでこの「camp」を引くとすぐさまそれなりの教養が入手できる白人的解説が
学習できる。あくまで、西洋哲学と西洋美意識の範疇によって60年代にコード化された
ボキャブラリィーでしかない。
ここには日本人特有の“湿り”から生まれた哲学と美意識は皆無である。
ちなみに、「バロックやキッチュ」はドイツ美學から生まれた様式である。
しかし、「CAMP」は戦後のアメリカで生まれたボキャブラリィーである。
ここにも僕は残念ながら、今だに「外国コンプレックス」或いは、「白人コンプレックス」が
むやみに横行している様しか見ることができない。非常に悔しい。
多分、このようなプレス対応のシナリオは白人が考えるのだろう。
当然であるが、海外のプレスやバイヤーたちに理解してもらいたいという役割があるからだ。
悪く思えば、そのついでに日本人たちへも、このように読み込んで欲しい。そしてどうせ、
あなたたちは「カワイイ!!」「スゴイ!!!」しか言えないだろう。という目線も見える。
しかし、現実的には、この幼稚すぎる日本人的眼差しがこのブランドを育て、愛して来た40年
ほどであった事も忘れないでいよう。日本マーケットのバックアップがなければ、
いまの川久保玲の存在もこのブランドの立ち居場所もないのであるから僕たちはもっと、
自信を持って、僕たちの美意識と感覚とそこからのボキャブラリィーで”川久保玲作品発表会“を
見てあげ、報じてあげなければならない。
貰った、”虎の巻“をリライトすることが記者やジャーナリストと自称する輩の仕事ではない。

昨シーズンの”川久保玲作品発表会“は「キッチュ・ジャポネズムズム」が僕のタイトル
だった。この時もトレンドを意識して、時代を先取りしていた。
そして、この「キッチュ」という香辛料は既に、今シーズンのある意味で、
メインコンセプトになった。
当然、このような全く新しいものが必要なくなって来た時代性の元での
クリアティヴィティとはやはり、足し算の世界へ走る。この足し算の趣味性あるいは、
悪趣味が「キッチュ」である。
全てが「真実っぽさというフェイク」で満たされ始めた現代という時代。
そんな時代の存在象徴がトランプであり彼の向こうを張って、ゲームに付き合っているのが
北朝鮮の金である。
このような、在るようで無いリアリティな時代性の最中のモードの世界もここでは、
バロック、キッチュと続けば、今後の流れはどのようになる?という予測的眼差しが読める。
その西洋的、黒人的、ヴァニティ的「悪趣味」がこれからのモードの世界を覆う
流行り病であろう。大変な騒々しい、ケバケバしい時代になろう。

”川久保玲作品発表会“で見せていただける作風が全くポジティフに、彼女のこゝろかわりに
接しられること、見られることは僕もハッピーな人生である。
例え、玄関ドアーは重いドアであっても、最近の彼女は窓を開けているからだ。

ここにモードの世界も時代がメビオスの輪のように根拠あるものをリンクする風景を
見せてくれるのが面白く、傍観し続けて来たのがパリにおける僕の立ち居場所でしかない。
「ありがとう、川久保様。いつも好奇心を揺さぶるまでのエネジーを。」
文責/平川武治:パリ市ピクピィス通りにて、初稿;平成30年3月06日:.





投稿者 editor : 17:41 | コメント (0)

2018年3月 8日

、“CdG NOIR KEI NINOMIYA”のデビューコレクションを評論する。

僕が彼のデビュー当時から注目していた若手デザイナーの二宮啓のブランド、
“CdG NOIR KEI NINOMIYA”がパリでオフィシャルなコレクションデビューを先ほどした。

最近の日本人デザイナーのデビューコレクションとは違って、世界レベルでのジャーナリスト
やバイヤーたちが詰めかけた。
というのも、実際にはこのブランドは数年前からCdG Parisの自社内でプレ・コレクションを
行い、この企業のお友達メディアやバイヤーたちに実ビジネスを始めていたブランドの
パリファッションウイークでのオフィシャルデビューだった。 従って、もう既にコンデナスト社
やバイヤーたちからもそれなりに注目されている幸運な育ちと環境と彼の実力の元にデビュー
したブランドである。
実際に、Junya に次ぐ立ち居場所を彼はこのデビューコレクション以後、担うであろう、
それ程の実力と器を持っていると信じている。

ここでは、このブランドの立ち居場所をはっきりさせておくべきであり、
その立ち居場所によって、どれだけのデザイナー自身が持っている才能とこの企業のチーム
ワーク力を計算した上での評価がされるべきであるからだ。
この企業(株)CdGの現状と今後を読む限り、新たな才能あるデザイナーが必然であることは
時間が証明している。以前には「TAO」というブランドがこの役割を担わされてパリでデビュー
させたことがあり確か数シーズン、ランウエーをしたことを覚えている。
僕はこの「TAO」のデザイナーがロンドンのセント・マーチン校を卒業した際の卒業作品を
見に行った事、その彼女の卒業作品が全く、尊敬するにやまなかった川久保玲のDNAを持った
ものであったことを未だに、覚えているしその後、彼女の希望どうり、川久保玲のCdGの元で
実際は、渡辺淳弥の「トリコ」のアシスタントデザイナーから大好きなこの企業で頑張り、
彼女のブランド「TAO」がパリでデビューした経過も熟知していた。その後、数年後に突然に
この企業内で「TAO」ブランドは消滅さられてしまい、この残り火が今ある、「トリコ・
スペシャル」という纏まりで残されている。
結果、この企業が今後の世界ビジネスを掛けたところでの新たな戦略が
この “CdG NOIR KEI NINOMIYA”の起用となった。
もともと、“CdG NOIR”は90年の初めに立ち上げられたフォーマルを意識したブランドだった。
が以後、お荷物ブランドとして二宮くんが登場するまでは、「在庫」されていた。
その当時のアーカイブスは殆ど、税金対策も含めて、京都服飾財団へ寄贈された。

今回の “CdG NOIR KEI NINOMIYA”の二宮啓のカレンダーデビュー・コレクションは
この重責を担って行われたデビューコレクションだった。
僕が評価する根拠は「3つの素晴らしさ」があった。
その一つは、彼がこの企業で学び培った「バランス観」が見事なぐらいに、川久保玲の
バランス観であったこと。分量あるシュルエットの分量感のバランスは勿論であるが、
今シーズンのトレンドバランスの一つのである、“ハイ・ウエスト”においても、かつて
川久保玲が自分のバランス観にした“チョゴリ”のバランスが構築されていたこと。
きっと、この“バランス観“が、”ブランドらしさ“を表現できるあるいは、今後このブランドを
継続して行く唯一のクリエーション・ファクターであろう。
「バランス観」あるいは、「バランスをデザイン」することそのものが現代の、もうすでに
新たな形骸的なデザインが終焉化してしまった昨今では、クリーエターの”good job”そのもの。
ついでだが、お母さんの奥座敷的コレクションの作品群にしてもこれが根幹にあって成り
立っている彼女の作品群であり、そこにどのような想いあるエモーショナルな「素材観」と
「色」そして、時代を表装するプリントをデザインするかの世界でしか無い。
その2つ目は、やはり、このデザイナーが理知的である証拠であるが、
「自分にしか出来ないこと」を正面切って勇気と覚悟を持って行っていることである。
言い換えれば、「お母さんには出来ないこと」とは何か?を深く考えられた上での
コレクションであったこと。
これは、この企業においては必須事項であり、貴重なことである。川久保玲だけでは無い、
渡辺淳弥もいる。この二人の世界の最高峰なる先輩たちには出来ないことを目指すのは
エレベストへたった一人で登ることよりも難しい。このデザイナー、ケイ・ニノミヤはそれを
わずかなパーティたちとともに敢行した。彼の「自分にしか出来ないこと」への始まりは布帛の
中に優しさを入れ込むエンブロイダリーから始まった。ここにも彼が見つけ出した
「手芸性あるいは、工芸性」をこのメゾンに持ち込んだ。
彼は「手仕事」をリスペクトすることからこのメゾンにおいて、「新しさ」を見出す。
そして、この続きとして、3っつ目の素晴らしさがある。このデザイナーも僕流にいえば、
「レゴ・ゼネレーション」である。彼らたちの子供時代はレゴ・ブロックで遊んだ。
しかし、我々の子供時代の室内での遊戯とは、ぬりえで代表される2Dの世界でしかなかった。
すでに、3Dのレゴ・ブロックのピースを使って遊ぶという世代たちの時代が来た。
ここにも、「お母さんには出来ないこと」への根幹の育ちと時代の違いを知覚したところでの
彼のその後の創造性が始まる。その世界が、まず素材によって“3Dのピース”を作る。
ここにも彼がリスペクトする「ヒューマン・テクノロジー」が拠り所として存在する世界を
探した結果がある。

丁度、少し前に一方で僕が若い人たちへ投げかけ始めていた、「without sewing」プロジェクト
があった。このコンセプトやコンテンツを健全に具現化し始めるデザイナーが登場し始めた。
そのひとりがケイ・ニノミヤであり、もうひとりは「YUIMA NAKAZATO」である。
僕の考え思いついたこのプロジェクトの根幹は、「新しさ」と「ユダヤビジネスから
遠く離れる。」そして、「日本の甲冑鎧」の世界観があった。女性たちが美しさを装うための
「甲冑鎧」が発端であった。この21世紀においても、ファッション産業が成立している
産業的根幹は依然、「ミシンと針と糸」の世界でしかない。『今後の21世紀におけるモードの
「新しさと凄さと新たなビジネスチャンス」』という眼差しが僕のプロジェクトの根幹だった。
パリでのこの新しさへ挑戦したのが68年のパコ・ラバンヌが居た。勿論、彼が見出した
「source of the creations”は西洋の甲冑だった。

時代がチューニングし始めたと言うのであろうか、丁度現在、この街の東洋美術博物館ギメ
でこの日本の鎧甲冑の展覧会がなされている。
余談だが、すぐ隣のモード美術館ガリエラでは時代の寵児、「M.M.M.展」も始まった。
しかし、僕的には、「M.M.M.展」はモードの世界に「20世紀の終焉」をもたらした
クリエーター。しかし、「日本の甲冑鎧」展で見られる世界はある意味で、”21世紀への
プロローグ“とも深読み出来る。

さて、話が少し飛びましたが、このケイ・ニノミヤが持ち得た新たな眼差しとしての
クリエーションとは、「お母さんには出来ないこと」+「21世紀モードへのプロローグ」+
「CdGらしさのコンポジション」である。この足し算は見事である。
今回の彼のデビューコレクションで見事に、自分しか出来ないこととして、
『エレガンスに、美しく品性を感じさせるまでの「装い」の世界』を
この20世紀の”終焉の断片“に現を吐かし、しがみついて居る昨今のパリのモード界へ、
覚悟ある勇気とともに見事に健やか品性深く見せてくれ、新たな新しさをもたらした。

余談だが、僕がショー後彼のバックステージへ行って挨拶をした折の僕の評価は「80点」
だった。この僕の「ー20点」とは?
それは、彼が、あまりにも素直で、お利口さんであるための、「ー20点」である。
「分量のバランス観」すなわち、「装いのコンポジション」をどのように時代にチューニング
し、構築するか?が、現在の最もクールなクリエーションであると自負して居る僕からは、
あまりに、真面目であり、お利口さん過ぎたというところが僕なりの物足りなさという
本音であったからだ。

「ありがとう、にのみやくん。脱帽です。
僕は素直に、日本人としての喜びを、あなたの新たらしい色を感じさせるまでの黒という
『風』から爽やかさを感じました。」
文責/平川武治:巴里、ピクピィス大通りにて。初稿/03 03 ‘18:

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