2020年5月 2日
(番外編)コロナウイルス”と言う「テロ」に向き合うと言うこととは-、番外編
●改訂版;
(番外編)「やぶ睨み、ユニクロ系列がお金に変えている”差異”とは?
或は、“なりすまし“・ファストファッション」
当然であるがこの「新型コロナウイルス/COVID-19」騒動は、
世界レベルの災いとなり、現在まで継続している。
そして、未だに、完治する”治療用ワクチン“は開発されていない。
この「新型コロナウイルス/COVID-19」騒動は現在進行形である。
この騒動が終焉を迎えるタームがきた時には、確実に「時代」が変革する。
戦後の70数年で「時代が変わる」という実因と実感はポジティフな視点で
「潤沢な社会」がもたらして来た結果である。
しかし、今回は「疫病」という悪魔がもたらした
ネガティブなパンデミックと経済危機である。
従って、謙虚に、「潤沢な社会」を省みるある種のゆとりを
各人が持たなければいけないであろう。
これからの迎えるべき”未知なる時代”への願望と発展のための、
「反省と目標」或いは、「復習と対策」のためであり、
言われるままに、“Stay Home”を行っている人たちの義務でもあろう。
そこで、僕の立ち居場所での持つべき眼差しとしての好事例を話そう。
僕は1ヶ月ほど前に、
「UNIQLO系列は今回のコロナウイルスの影響下、今期の営業利益も44%減の1450億円と、
従来予想(5%減の2450億円)から下方修正した。」
というニュースを知って、考え込んでしまった。(日経:2020/4/9 15:38版)
ここで僕なりの「やぶ睨み、ユニクロ系列がお金に変えている”差異”とは?」
その実態とは何なのだろう?と。
僕のような、“デザイナーファッションビジネス”の先端を
40年ほど携わり、見て来た者からすると、
「どのようなマジックを使うとこのような営業利益が算出出来るのか?」と、
この時世故、今更考え込んでしまったのです。
この企業グループがこれだけ儲けられる「差異と力」とは、何なのか?
「ファッション・クリエーション & イメージング」を差異の根幹とした
デザイナーブランド・ビジネスでは到底考えられない世界です。
そこで、敢えてこの企業の“差異”が何であるかを考えてみると、
その根幹は所詮「スケールバリュ/量的価値」であり、
既に、綻び始めて来た「資本主義社会のオールドスクール」しかないだろう。
「どれだけ自分たちが必要とする
大量の生地を手配し、安く仕入れて、
どれだけ多く工場発注し、どれだけ安く納品でき、
どれだけ多くの直営店で、どれだけ大量に売るか!」
言っておくが、このグループの売り物である
「ヒートテック」という素材も、
この企業が開発した素材ではない。
この”The Value of volumes “の根幹で、
「どれだけの儲けが算出出来るか?」の世界が
このユニクロ系列企業の「ビジネス根幹」でしかない。
これで言えば、売っているものは生活”衣料品“である。
が、その作り方と売り方、そして、儲け方は
すなわち、ビジネス業態の根幹は
「大量生産の工業製品」を売っているのだ。
ファッションビジネスの様に見せ掛けた、
「百均ビジネス」の変形業態でしかない。
日本のメディアとファッションメディアは
決して、このユニクロ系列のビジネス実態を
この様な目線で報じたことは無かった。
むしろ、「ファスト・ファッション」と称し、
この旧体然したスケールメリットを持ち上げた
報道しかなされて来なかった。
海外の”ファスト・ファッション“と呼ばれている、
H&M, ZALA, Mangoなどのレベルと
同等なカテゴリィーでは決してない。
彼らたちの世界では、
ファッションビジネスの宿命である
「トレンド」と「納期」のリスクがある。が、
ユニクロ・カテゴリィーにはほとんど
実ビジネスに影響を与えるまでの
この2つのリスクは皆無である。
という事は、このファッションビジネスにおける
最大のリスクである「納期遅れ」と「在庫過多」が無い。
しかし、ビジネス構造は「ファッションビジネス」構造である。
という事は、
他の物販ビジネスには無い「粗利益」が取れる
ビジネス構造そのものの商売である。
世間へ“ファッション製品”だと思わせる為の
「イメージングと広告戦略」と白人デザイナー起用という
虚業産業のオールドスクールが実態と読める。
更に、ここにリスクヘッジに商社機能を呼び込み、
「国際フリ屋」として、
世界規模の低コスト生産地をクルージングする、
”グローバル・サウス”へのしわ寄せであり、
グローバリズムという“新・植民地政策主義”にサーフしただけの業態ビジネス。
このビジネス業態の根幹で「44%減で営業利益1450億円?」
というビジネスが可能なのであるから、ある意味で、凄い!!
「ファスト・ファッション」と言う“なりすまし“業態。
所詮、海外戦略において、かつてから、
「ブラック企業」と評価されたことも決して、忘れてはいけない。
日本の若い、本当にファッション・クリエーションが好きな
デザイナーたちへの援助もなければ、
彼らたちへ夢を与える企業でもない。
この2ヶ月、「マスク」にも手を出さない。
矢張り、何処かおかしいであろう。
今回の「新型コロナウイルス騒動」に対しても、
海外のそれなりのラグジュアリィ・ファッションビジネス企業は
何らかの救済ボランティアを早々に始めたが、
このユニクロ系列は未だ、
何も救済事業を行っていない。
むしろ、この機を利用して儲けているだけである。
この企業グループオーナーの“氏育ち“によって
ほとんど、“独裁者”的存在であり、
この企業の倫理観や宗教観の欠如が如実に現れている。
海外のユダヤ人たちのこのレベルの企業には
「Give & Take」と言う倫理的ルールがあります。
例えば、
参照/New York Times;
“Should Coronavirus Face Masks Be a Fashion Statement? - The New York Times”
https://www.nytimes.com/2020/04/22/fashion/coronavirus-fashion-face-masks.html
僕の様なファッションの立ち居場所にいる者は、
この種のビジネスには共通する、
『あるべきビジネスバランスを顧みず、
「顧客を見下げ、需要と供給のあるべき倫理観」の喪失。』が
ビジネス成功の実態と読んでしまう。
そして、資本主義の鉄則の一つである、
「金さえあれば、全てが“本意”となる。」の典型方式。
「金さえ使えば、何でもが、可能である。」方式の「あきんど/商人」。
この企業がこれほどまでに巨大化したのは、
「上手なお金の使い方」と言う「商人」の鉄則を
「時代の追い風」と共に
為して来たからであろう。
「地方創生」「グローバリズム」「観光立国」「インバウンド」「E-コマース」等などと、
「潤沢な社会の誕生」にMD (昭和の”公設市場の特売”レベル、)を特化させた、、、、。
決して、“デザインファッションビジネス”ではない。
従って、「44%減で営業利益1450億円?」というビジネスが可能なのであろう。
さて今後、今回の「新型コロナウイルス・パンデミック」後、
彼らたちは如何ほどに「上手な金の使い方」が出来るのであろうか?
「ポスト・近代」という時代にも、
戦後の混乱期に誕生したこの様なビジネスの
根幹は今後も、
どれだけ「資金次第」で通用継続するのだろう。
「完全封鎖」後に現れるであろう、
一時的「爆買い」を既に、読み込んだ
「今期の営業利益、44%減の1450億円?」ビジネスは
今後登場する「シン・スタンダード」にサーフ出来るのか?
或いは、「シン・保守」な時代観にチューニングするのだろうか?
「国民的“なりすまし“ユニフォーム」企業化するのだろうか?
僕は「緊急事態宣言」後、
“Stay Home”で“ユニクロ系列の儲け方とは?”を「営業利益、1450億円?」
ビジネスの根幹とはをこの様に深読みして考え込んでしまった。
この「新型コロナウイルス」によって促されるであろう、
「近代」の崩壊とは
即ち、”キャピタリズムの崩壊“という発想。
では、「差異と力」は
「差異=力=金」が、やはり、全てだという時代も緩和されるであろうか?
新型コロナウイルスが収束したのちに現れるであろう「新しい時代」では、
これまでの資本主義社会が求めて来た、
「大量生産/大量消費」といった在り方が反省され、
利潤だけを追い求める事より、
人間が中心である「環境問題」としての
「地球環境危機」や「気象危機」などに、
「サスティナブル」にどれだけの関心と為すべき事を、
どの様に具現化してゆくか?
そのために考えなければならない、
「生産の次元」が決定的により、重要になるでしょう。
企業における生産過剰によって現実となっている
“エネルギィ消費”や“二酸化炭素排出量”等の
環境危機と気象危機の根幹に関わっているからです。
これらはこの「新型コロナ騒動」以前の
実問題であった事を忘れてはなりません。
江戸時代の「商人」たちがその商哲学とし、
「倫理観」と「道徳観」から実践されていた「三方良し」。
「作り手+商人+買い手」のそれぞれが良しと言う商売哲学が
今後、新たな時代としての「ポストキャピタリズム」では、
「自然環境良し+資金周り良し+労働者生活良し」と言うまでの
「三方良し」な関係性の再考がこゝろある商人/あきんどであろう。
すなわちこれらが、
「繋がる」社会構造や経済構造を考えることが
次なる「ヒューマニズム」であり、
ここに、“人間主義”発想が問われるでしょう。
やはり、このユニクロ系列企業が求める、
「営業利益、1450億円?」ビジネスの根幹とは?
「大いなる時代錯誤ではないだろうか、」 と言う新しい時代が到来するだろうか!?
「ポスト・近代」と言う、「ポスト・キャピタリズム」。
或は、「マルクス主義とエコロジー」を学美、謙虚なる根幹があるだろう。
参考文献/「資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐点」
斉藤幸平編: 集英社新書0988A刊:2019年8月発行:
(出来れば、第三部のポール メイスンから読み始めると馴染みができるでしょう。)
「大洪水の前に、ーマルクスと惑星の物質代謝」斉藤幸平著/堀之内出版刊:
「ポスト・キャピタリズム」ポール メイソン著/ 東洋経済新報社刊:
合掌。
文責/平川武治:
(4)コロナウイルス”と言う「テロ」に向き合うと言うこととは-4:
●改訂版;
(4)子供たちがこの”招かざる禍い“をどの様に体験をし、
今後の自分たちの人生のために何を学ぶのだろうか?
「飽食消費社会構造」そのものへの「警鐘」!!!
一方では、もっと現実的には、
「ワクチン強制摂取と言うM.チップスの埋込」と
世界の「人口減少化作用」そして、「新世界/N.W.O.」の樹立化。
そのための新たな経済構造構築化としての
「デジタルマネーの日常普及」へ、
そして、新たな「國体」が必然となると言うまでの
世界シナリオを読んでしまうのですが。
参照/ <ビル・ゲイツ 人類の敵。/https://youtu.be/PdKqMzzaVH8 >
「ただ、人々を新自由主義に向かわせればいい。
*愚かな人間どもは、やがて自らの欲望によって破滅するのだ。」
これは、フィリップ・ロスチャイルドに寵愛された、
アイン・ランド/Ayn Randによって書かれた小説、“Atlas Shrugged”からの一文です。
(この本は、世界支配のアジェンダをコード化した小説とされている。)
参照/<『Atlas Shrugged/アトラス・シュラッグド』Ayn Rand著より:
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=334081&pgh=2 >
これがそれなりの世界の人達が持っている
わかりやすい、 価値観であり、今回の“パンデミック”の根幹ですね。
そして、これが戦後の日本人へも向けられ、
仕掛けられたコンテンツの一つでも有りました。
その結果が現在の日本人の
「長屋の金持ち衆」の自由主義と個人主義思想(?)
そして、「物欲消費社会」という豊かさの享受。
政治は「新・自由主義」と言う民力依存と社会保障減少化と
格差社会を生み出す緊縮政策化。
香港のデモの完全消滅。
B.ゲイツの突然のマイクロソフト社退陣。
1918年のスペイン風邪のパンデミックが「ドル通貨へのシフト」、
今回は「デジタル通貨へのシフト」でしょう。など等、、、、、、
「真実らしい」ことばかりで、
決して、これらは「真実」ではないと言うまでの「なりすまし時代性。」
誰でもがそうでしょう。
「罹りたく無い」ー「他者に移したくない」ー「死にたくない」ー「生きていたい」。
では、なぜ”生きたい”のか? この機会にもう一度、考えてみる。
ならば、どのような生き方をしたいのか?
どんな希望や目標があるから生きたいのか?
どのような人たちと、 愛ある関係性と共に、
どのように与えられた人生の時間を
どの様に使って行きたいのか?
どのように、人の為になりたいのか?等など、、、、、、
ならば、この“機”に今後、どのような人間として、
どのような価値観を持って、
どのような意義と役割を再認識し
どんな人生を歩みたいのか?
“自分の生き様”へのプラクティスに、
この“機”を使うこともありでしょう。
そして、今後への「再生・自分らしい世の中の為になる生き方」を
考えるにはこの時間は稀に見るスローな流れですから
大いに豊かに、有意義に
考え、使えることでしょう。
このような時世ですから
どうか、表層の情報に惑わされず、
自分が持ち得た知性と倫理観と経験に委ね、覚悟と共に、
リズムある日常として、呉々も安心なる日々を、
笑顔を忘れずに、“With COVIO-19”を
謙虚に力強く!!生き延びてください。
どうか、「情報のパンデミック」にうつつを抜かさず、
ただ、ただ、無知と怠慢は不幸を生み出します。
より、謙虚に地球と自然から多くを学んでください。
第4部終わり。
合掌。
文責/平川武治:
(3)コロナウイルス”と言う「テロ」に向き合うと言うこととは-3
●改訂版;
(3)では、この様な「新型コロナ ・パンデミック」の収束後は
確実に、人心と経済観念が変わるでしょう。そして、世相が変革するでしょう。
結果、人生の価値観にも影響が及ぼすことでしょう。
そこで、改めて『私たちが望む「豊かさ」とはなんだろう?
「しあわせ」とは何か?』という眼差しが、再考されることでしょう。
では、今後も何のために「服」を作り売るのか?
究極は、それぞれが持ち得た「自由の裁量」と
そこから生まれるそれぞれの「しあわせ度」への
“May I help you for happiness?” と言う視点が
「ジェネレーション-Z」たちを含む
新しいマーケットを生み出せる可能性でもあるでしょう。
もしかしたら、”芸術“の世界が然りでしょう。
ならば、それぞれどのような「自由」と「しあわせ度」を選び求められるか?
そこには、より、”人間性“や”人格“と言う倫理観を伴った根幹になるでしょう。
また、現代の時代観の一つであった、
「簡素な生活と虚飾な生活の何れかを選ぶ “贅沢”が許されている文化と豊かさ」
のバランス観も変化し、それによる新しさが
「新しい普通」をニーズとする時代性も有りでしょう。
ここには「ユニフォームではない、ユニフォーム」的なニュアンスが
キーワードの一つになるでしょう。
「ファッションではない、ファッション」や、
「服でない、服」等、など。
ファッションの世界そのもののが、
「なりすまし」である事を忘れてはいけませんね。
僕が提案出来る収束後の“トレンド“とは、
「リアリティのユニフォーム」。
そして、「新しい普通」と言う時代性に登場する
「新しいモノ」の誕生は、
「モノ・余り」+「リ・メイク」+「コラボ」=「ネオ・ハイブリッド・クラフト」、
「手作りではない、手作りモノ」というまでのオブジェ/ガゼット感覚、
「何何ではないが、何々である。」と言う「なりすまし・コンテンツ。」
多くの高齢者たちが老後の夢としていた
彼らたちの求めた「しあわせ度」の
一つであった 「豪華客船/クルージング」が
あんなモノなのかと言う 覚めてしまった目線、
或は、憧れの「ラグジュアリィ」ブランドも
実は、”Made in China”だった?
これでは「ラグジュアリィ」の鍍金も
剥げてしまう事も起こり得る
今後のモード界でもありますね。
ラグジュアリィ企業である“L.V.M.H.社“の
ラグジュアリィーの実態に一端が解るサイトです。
是非、ご一見を!!
参照/サイト;
●ディオールのドレスはインドの奴隷職人によって作られる/N.Y.Times
https://courrier.jp/news/archives/198276/
●ルイヴィトンの靴は世界最安のルーマニアで生産/
https://courrier.jp/news/archives/96224/?utm_source=article_link&utm_medium=textlink&utm_campaign=articleid_198276
気がついて調べてみると、
この地上で、”The Fashion Week“は 既に、
世界中、25都市以上で、 同じシステムで
コントロールされているのが現実です。
ここにも、ある種の「利権」ビジネス構造が
メディア界を軸にしてそれなりの人種たちによって
構築されてしまっています。
中身のファッション・クリエイションは
その大半が、「過去のアーカイブスのザッピング」。
従って、ショー自体が”エンターテイメント“。
演劇化やダンス化それにコンサート化や「男装ザ・タカラヅカ」
結果、シャンペン業界も賑わうという“Luxury・ビジネス“構造。
まるで、映画、「OZの魔法使い」のドロシーたちが
“芥子畠”でひと眠りしてからやっと辿り着いた
“OZの塔/クリスタル・タワー”さながらの現実が
「ガラ・パーティ」としてより、盛んになるでしょう。
グランドフロアーでは、派手でヴァニティなパーティーの賑あい、
その上層階では??? (ぜひ、カルト映画、“wiz“も併せて観てください!)
この現実がいよいよ、より肥大化してより、現実に。
参照/“WIZ” / https://ja.m.wikipedia.org/wiki/
%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%BA_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
どうか、みなさん自粛生活を笑顔と共に、愉しんで下さい。
“Please, enjoy your life of the self-discipline with cool smiles.”
合掌。
文責/ 平川武治:
(2)コロナウイルス”と言う「テロ」に向き合うと言うこととは-2;
●改訂版;
「新型コロナウイルス以後」、「新しい普通」が始まると、
蔓延する一つのコンテンツは
映画、「オズの魔法使」のコンテンツの一つである、
"There's no place like a home.”でしょう。
戦後のアメリカのセールスマンからはじまった 「物販」業、
そして、大衆消費社会構造の根幹コンセプトが
この、"There's no place like a home.”です。
終息後の新たな時代への「物販」も
今後も変わらぬ根幹でしょう。
ここに白人社会のキリスト教徒信仰の
根幹が存在しているからです。
ですが、ITと言うテクノロジーの発展により、
これからの「新しい普通」は決して、
“オールド・スクール”の “リヴァーシブル”ではありません。
「家にあるべきモノと、なくてもいいモノ」
ここから新たな「シン・ベーシック」の根幹が見えてくるでしょう。
この視点は既に、ジェネレーションーZ世代以降の若者たちには
「何が豊かさなのだろう?」と言う“豊かさへの懐疑“から始まり、
「何が本当に必要なモノなのか?」への眼差しの変化、
彼らたち世代の、当たり前の「自由」のカテゴリィーがより、発展するでしょう。
参照/映画「365日のシンプルライフ」:http://365simple.net/
(ヘルシンキの26歳の青年がある日、彼女にフラれた事をきっかけに
自分の部屋のモノの多さに幸せは無いと感じ、自分の持っているモノを
全てリセットする実験を決意し、実行するドキュメンタリー映画です。
今見ると、タイムリーな映画でしょう。)
もう一つ、再発見しなければならない価値観として、
「地産地消」と言う価値観がありましたね。
かつての、「地方創生」政策時に搭乗した、
自分たちの国で作ったものを、自分たちが消費すると言う
「消費における倫理観」的考えと方法論ですね。
これが、「ポスト・グローバリズム」のリ・コンセプト。
そして、収束後のファッションビジネスが
どのような対応と「新たな価値」を見つけ出せるか?
一つの新しさへの挑戦と好奇心を生み出せるか?
どのようなエモーションを顧客へ提供できるか?
そのための「モノ作り」とそれらの「販売」とは?
そして、これらの新たな「経済価値」が
どの様な仕組みと関係性で生み出せるか?
貨幣構造もゆくゆくは電子マネーの時代へ変革され、
「資本主義+社会主義」という新たなる構造が
どのようなバランスシートと比率によって政策化されるか?
ここに、「ポスト・キャピタリズム」の価値観と
その時代がより、近づいてしまったようです。
合掌。
文責/ 平川武治:
2020年5月 1日
(1)コロナウイルス”と言う「テロ」に向き合うと言うこととは-1
改訂版;「コロナウイルス”と言う”テロ”に向き合うと言うこととは」-1;
文責/平川武治: 令和2年4月末日:
4月も終わり、僕が帰国してから約2ヶ月が立ちました。
コロナウイルス騒動は依然、僕たちの国は未だ、収束の目処が立たず、
安倍内閣の気骨無く、覚悟なき決断により、余計に医療崩壊と経済危機いう
多重迷路へ国民の不安を誘っているだけのこの2ヶ月でした。
さて、僕も3、4日遅ければ、 パリの都市封鎖に引っかかるところでしたが、
運良く、3月11日には鎌倉へ無事に帰国。
でも、僕は平素から「自宅待機」と変わらぬ 自分の生活リズムで、
いつも通りの日々をおおらかに、独りと1匹でこの竹藪の中で過ごし、
時折の街へ買い出しへ。
しかし、やはり収束後の経済不安と子供達への変化と影響を考えてしまうと神経は病みます。 そして、いろいろ考え深読みを始めています。
今回は、僕のこの「新型コロナウイルス」による、「緊急非常宣言」下の体験で感じたこと、
考えたことを皆さんへお話ししましょう。
●
1)はじめに;
僕の本心は、一昨年来、僕が発言してきた「近代」と言う時代の終焉が
この様な形で「御和算」を求めて来たと言う心境です。
「飽食消費社会と資本主義」への最終警告の機が来たと謙虚に受け止め、
今後への新たな世界ルールとしての「ポスト・キャピタリズム」を意識しなければいけい
“機”だと感じています。
*参考/< P.メイスン著「ポストキャピタリズム」:
https://en.m.wikipedia.org/wiki/PostCapitalism
< 斉藤幸平著/「大洪水の前に」:
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E5%B9%B8%E5%B9%B3
今回の「新型コロナウイルス騒動」も、
そして、忘れてはならない現在の地球上で起こっている”負“の現実のいくつか、
「気候危機と自然災害」これらを根幹にした「食糧危機」や「富の偏り」などは、
20世紀の我々が「近代」が選択し構築した「資本主義と消費主義」、
その発展為の「利益主義」を継続し、「利潤の拡大化と飽食化」へ
唯、謙虚さ無き進展を走り求め過ぎた結果の、
『“民”への「神からのペナルティ」』と言う、
大いなる犠牲を伴った警告だとこゝろしています。
僕が昨年来、発言している「近代」の終焉が
この新型コロナウイルスによるパンデミックで、
完全に白人至上主義の元での 「近代」が生み出した
”キャピタリズム“そのものが 「破綻」して
「ポスト・近代」の誕生へ近づく事でしょう。
そして、「新たな近代」としての経済構造や生活モラルが
「新しい普通」を待望する事でしょう。
また、僕が発言する「シン・スタンダード」論は
“There's no place like a home.”が
再び、より真実味を憶える時代が到来するからです。
この「シン・保守性」は
バイオテクノロジィとアルゴリズムとIoTによって操作される
一歩間違えば、危険極まりない保守性です。
或は、「サイバー独裁」もしくは、「デジタル封建主義」と言う、
あの、G. オーウエルの「1984」の電脳版社会に類似した
未来予測になる可能性も大いにありでしょう。
そして、あらゆるモノの創造はこの「第3次産業革命」後における
“Made in Internet”が主流となり、
“IoT+Cloud Com. +Big Dater”が生み出す
監視性を内蔵した保守性でもあるでしょう。
参照/映画「ザ サークル」:SNSが国家機能となり強制的に加入させられて
政治の多数決に利用される恐怖手段となると言うストーリー。
https://movies.yahoo.co.jp/movie/361586/
収束後の今後の「モノ作りの世界観」は、
この新たな技術に委ねたMade in Internetの世界、
或は、これにどれだけ隔たりを持った世界、
もう一つは、この世界観にどれだけ、人間味をミックスしたところでの世界、
という三つの方法論的現実が発想できますね。
そこへ、"There's no place like a home.”
「家の外にないものはどんなに遠くへ行ってもない」 と言う
あるいは、「お家が一番!」論。
1939年に出版された、「OZの魔法使い」のドロシーの言葉がまた、
騒がれ始めましたね。(先日はスピルバーグもこの映画を取り上げていました。)
昨今の状況はまさに、”There's no place like a home with the P.C.”の世界。
合掌。
文責/平川武治: