2020年10月01日

新しく、「The ARCHIVES Le Pli」/この”平川武治のノート-ブログ”に新たに、今までの掲載分から選択したアーカイブ集を始めました。「The ARCHIVES Le Pli」

 「時の流れは実に早く、しかも我々は時の中を後ろ向きにしか進めないのです。」
P.ヴァレリー: 

「いつも拝読、ありがとう。このような時世です、
思うように進まぬ”明日”を考えるために、過ぎ去った”昨日”へ、後ろ向きに進んでゆく。
P.ヴァレリィーの言葉を想い出して。」
 
 その始まりが、2002年だったでしょう。
ほぼ、20年近くの時間が既に、このブログにも堆積してしまっています。
 そこで、この機を利用し、以前に書いた僕のこのブログ集から、改めて僕が自薦し、
少し校正を入れた”拙筆文集”を作りました。
 これがこの、”平川武治のノート-ブログ”/「The ARCHIVES Le Pli」”です。
変わらず、ご一読くだされば、嬉しい限りです。
合掌。

 はじめに; 
 このユダヤ人たちのファッションビジネスの世界で言い伝えられている、
「”トレンド”についての定説があります。」
 その一つが、「トレンドは20年サイクル説」です。
単純に、「20年前には、何がファッション以外でも、”トレンド”になったか?」と言う
視点です。
 20年前に流行った、展覧会は?音楽は?映画は?芝居は?バレーは?
あるいは、バカンス地は?インテリア・カラーは?そして、ファッションでは?等、などを
思い出すことです。
 これはこのような汎デジタル時代になった今でもこの世界では確かな定説になっています。
例えば、ここ1、2年前では、20年前にヒットした、映画「レオン」がストリート
ファッションの”センス オブ トレンド”になりました。
 「レオン」の主人公の少女確か、A.ジョリィーのデビュー作だったでしょう。
この映画での彼女が、”アイコン モチーフ”です。
 この映画を二十歳代で見て、好きだった人たちはぜひ、思い出してください。
そして、この映画を知らない世代の人たちは、一度見てください。
その詳細は述べるよりも「一見、必須!」です。 

 さて、今回からのこの僕の、”平川武治のノート-ブログ”/「The ARCHIVES Le Pli」”を
始めますが、このブログの”ミッション”の一つが、
”ユダヤ人たちのファッション トレンド、20年周期説”のために色々その当時を思い出すための
参考情報になればと言う念いを込めて。
ひらかわ:

 「The ARCHIVES Le Pli」/01;
 まずは、「ブログを始めるにあたって、」と言うご挨拶から始めましょう。
投稿日/2002-10-16 :再校正/2020-09-18:
 ***
 はじめに、
 遅まきながら、”平川武治のノート・ブログ/The Le Pli”を
周りの友人たちのお陰で立ち上げました。今後、よろしく御付き合いください。

 永年、ファッションジャーナリストという立場をインデペンデントに活動して来ましたが、
やはり、我が国のジャーナリズムが気骨無き「御用ジャーナリズム」と化してしまっていること
に微力ではあるが抵抗したくこれを立ち上げました。
 ジャーナリズムが本来持ちえている「第4の権力」的立場の復活と、ジャーナリズムがある種
の「社会教育」を担っていると言う視点からこのホームページを始めます。
 そして、この”LE PLI”を媒体にして、多くの人たちと好きなモードの世界を中心に 
コミュニケーションが持てればうれしいです。

 この初回は日記風に、僕がパリを軸にしてどのような行動をしているかも交えて書き始めます。
 8月の終わりから東京を離れて先ずはこの街、巴里へ。
そして、アントワープ、巴里、アントワープ、チューリッヒ、アントワープそして、コレクション
のために再び巴里へ。これが今回の現在までの僕の行動。

 8月27日:成田発巴里へヴィエンナ経由で出発。
未だ、バカンスから戻っていない閑散とした巴里も一つの顔。8月も第4週の週末になると流石
この街のバカンス好きな巴里ッ子達もこの街へ戻って来始める。彼らたちを直接的に巴里へ呼び
戻すのがこの街に多くあるアートギャラリィーである。彼らたちが売り出したい作家たちの新作
展覧会のオープニングレセプションである。残念ながら、ファッションは2の次だ。
 今年からちょっと洒落た趣向を凝らしてのオープニングはアート好きな若者たちを喜ばせた。
多くのギャラリィーがあるマレ地区の一角で、ご近所のギャラリィーが共同でオールナイト・
オープニングレセプションを催したことだ。僕も30,31日の週末にはこの催しへ顔を出す。
中でも面白かったのは『BINGO』展。幾人かの若手アーチストたちのポップでガゼットな作品を
同じテーマで界隈のギャラリィー数軒が共同企画での展覧会。古くからの友人で、日本にも幾度
かコレクション写真を撮りに来た事があるフォトグラファー、クリストファー君が全く、新しい
作品で、アートの世界へ登場し、今回の新人展で見事にデビュー。写真とコンピューターを
使って微妙な皮膚感を人工的に合成した写真は医学写真の新しさの様で面白く興味を持った。
 この後、彼はヨーロッパ写真家美術館でアービング・ペンの新作展と共に、ニュー・ジェネレ
ーションの世界をここでも披露している。彼に話しを聞いてみると、彼の作品に興味を持った
この美術館が制作費用を持ってくれて今回の展覧会になったという。よいものを見る眼とその
よい作家を誕生させる公共の構造がこの街には確りと出来ていて、新人であろうが彼らたちの
眼に止れば今回のクリストファーのようにデビューが出来る仕組みが結局、この国の文化の新陳
代謝になっているのだろう。

 「マルタン・マルジェラ・ブランドがイタリーのヂィーゼルへ身売り。」
 コレクションを1ヶ月後ほどに控えた9月の始めにこの意外なニュースが、この街のファッシ
ョン雀たちの口角を賑わせた。今、モードの世界はクリエーションよりビジネスのほうが面白い
と言う典型なニュースである。
 今、我が国では海外デザイナーブランド物ではバッグのLVには及ばないが、服ではこの
『M.マルタン・マルジェラ』が一番良く売れている、人気度の高いブランドが身売りをした。
しかも、あの、イタリーのデニムメーカーの『ヂィーゼル』にである。発表されたのはこちらの
ファッションビジネス紙の『ジャーナルド・テキスタイル』紙。それをニュースソースとした
日本的なが報道が「センケン」紙と「WWDJapan」紙に発表された。当然だが、これらの記事は
余りにも表層しか書かれていない。勿論、当事者たちも余り多くを喋りたくない。しかし、
面白い事件である。結果、こうなってしまったかと言う感じが僕にはした。
 なぜかと言うと、ここ3シーズン来、彼のクリエーションは今、一つだった。
一時の覇気が無くなっていた。丁度、東京にやっとの事で世界での1番店の直営店がオープンし
た頃から、その感じが匂い始めた。そして、多くの彼とそのチームの友人たちにそれとなく話を
いろいろ聞き始めていた結果が、コレだったのかと。

 アントワープのロイヤルアカデミィーを卒業し、J.P.ゴルチェの元で3年半、働きその後、
独立したのがマルタン・マルジェらである。彼が未だ、ゴルチェの所にいた時には幾度か会って
いる。体格がよくいつもキャスケットを被っている物静かなで、ナイーフな青年だった事が印象
にあった。‘87年の3月コレクションを最後にゴルチェのアトリエを去り1年半の期間をその
準備期間として自らのブランド「M.マルタン・マルジェラ」を発表したのが’88年の10月の
コレクション。このコレクションはよく今でも憶えている。
 彼のデビュー・コレクションを見た事によって、僕はこの仕事をしていて良かった、幸せだと
感じたからだ。僕が、マガジンハウスの春原さんを誘って友人のフランス人ジャーナリストに
教えてもらって行ったその会場には日本人ジャーナリストはいなかった。ポンピドウーの裏に
今でもある小さなライブハウス的なところ、「ラ・ガラージュ」が彼の歴史的なデビューをする
場となった。屋外で既に、小1時間は待たされた事、その時あのJ.P.ゴルチェもみんなと同じよう
に待っていた姿が印象深く記憶にある。
 M.M.マルジェラはこのコレクションを機に、僅か5年間で高イメージを築き上げるまでの見事
なクリエーションとショーを僕たちに見せてくれた。デビューコレクションは当然、資金が無い
ため素材はコットンのみ。永く待たされた後に登場したのがトップレスのマヌカンたち。
胸を抑えて出て来た彼女たちが穿いているのがロングのタイトスカート。それから、次々に
上ものがコーディネートされ、スーツになってタイトでスリムな、健康な若い女性の肩がまるで
はじけ出るのではないかと思わせるようなタイトなコットン・スーツそして、僕たち日本人に
見覚えのある地下足袋を改造したシューズ。
 彼が近年に無いデザイナーだと知ったのは僅か5年間で彼自らのパーマネントコレクションを
古着を使ってクリエートしてしまった事だ。これは近年のデザイナーにはいなかったことだ。
そして、次の5年間で自らのクリエーションを定番化しコマーシャルラインの#6、#10など
を完成させた。このコマーシャルラインが売れた。イメージもどんどん昇華した。そして、
第3期の5年目で、エルメスのデザイナーと東京に直営店第1号を持ち、ブリュッセルと6月に
はこの街巴里にも直営店を出店した。この、僅か13年足らずで彼、マルタン・マルジェラは
巴里のプレタポルテ、クリエイチィブデザイナーの頂点に達した。多くのデザイナーや学生たちが
彼の影響を受けた。モードの流れを完全にストリートへ引き落としたのも彼だった。
 ショーイングのアイデイアや会場選択にも彼が新しい流れを創った。そして、14年目を迎え
ようとした時にこの事件(?)である。

 「ディーゼル社、社長がマルタン・マルジェラの株式の過半を取得。」
このタイトルはセンケン新聞のものであるが現実はこうである。
 話は約1年半前ぐらいから起きた。当時、マルタンの生産を請負っていた「スタッフ・インタ
ーナショナル社」が2年前に倒産し、その後デーゼル社が買収した。ここで先ず、マルタンと
ヂィーゼル社の関係が出来た。東京1号店の直営店が出来た頃からお互いのビジネス戦略上で話
し合いが持たれ始めた。店舗を拡張しビジネスを拡大してゆくには「資金」「生産背景」そして
「物流」の充実が必要になる。ここで、「生産背景」はヂィーゼル社の小会社が請負っているの
だから「資金」も「物流」もこのヂィーゼル社が望むのならこの組み合わせが一番明解な組み合
わせである。その結果がこうだとはちょっとおかしくないだろうか?
 「この"M.M.M."自身がブランド拡大を本心から希望したのだろうか?」という疑問から
僕はこれが『真意』ではないという発想から調べまくった。あんなにも確実に5年単位で自らの
クリエーションとイメージングを昇華しながら地に足を着けたビジネス戦略をキャフルに展開し
てきたこのメゾンの本当の問題は何なのだろうか?その結果がこのような状況を創るのが一番の
方法だったのか?誰が一番儲けたのか?エルメスはどのような態度をとったのか?

 確か、昨年の12月頃にかなり多くのスタッフ、7人ほどが辞めた。この中には事実上、
コレクションラインをデザインしていた女性もいた。彼女の場合も、円満退社ではなかった。
一方、マルタン自身は旅行に凝っていて、多くの時間を好きな旅行に費やしていると聞いた。
ここ3シーズンほど、コレクションラインがコマーシャル化し始めてきた。一方、相変わらず、
コマーシャルラインの#2、#6、#10等の売上は伸びていた。ショップが出来てからかなり
店頭MDが入たものが店頭にはまってきた。最初から大好きで見て来ている僕にとってはこの変化
を感じるのは易しい事だった。何か、このメゾンの内部でも”変化”が起こっていると思い始めた
のが7月だった。

 マルタンがJ.P.ゴルチェの元から独立してバッカーを捜して約1年半後に出会ったのがマダム 
ジェニィー・メイレン。それまでの彼女はブリュッセルでかなり大きな洋品店を2店舗を経営して
いた。ギャルソンも売っていたし、ヨウジも扱っていた。彼と出会った彼女は今までの成功して
いた洋品店を処分して彼、マルタンに掛けた。
 いつか,彼女はインタビューで、『彼が私の夢を持って来てくれたのです』と語っていた。
そして、‘88年10月のあの衝撃的なデビューコレクションとなる。以後、彼らたちは2人3脚
でがむしゃらに働いた。特に最初の5年間は20年分以上のエネルギーを使ってチームワーク良
くやって来たから現在があるのだろう。コマーシャルラインのレデイースを見るとその殆んどが
マダムジェニィーが似合う服ばかりである。だからこのブランドがその後、彼女のような多くの
キャリアウーマンに人気があったことが伺える根拠がここにあった。

 一番儲けたのはヂィーゼル社の社長、レンゾー・ロッソ氏である。
彼らたちの約70%の株を買い占めたからである。これからこのようなブランドを新たに造ると
したら、当然、造ろうとしても不可能ではあるが、これ以上の資金と才能とセンスが必要になる
からだ。マダム ジェニィーとマルタンはデザインコンサルタントとして年契約をした。
結果、いつでも辞めたい時に辞められると言う立場を、やっと得た。

 エルメスが買ったら良かったのにと言ったのは僕と元ジャルダンデモード誌のマダムアリス・
モーガンだけだったと後でエルメスのスタッフから聞いたが、何故そうならなかったのだろう?
この一件はここにも一つの鍵があったように思った。エルメスとの契約は後数年残っている。

 当然であろうが、物凄く時期、タイミングを計算した結果の出来事であった。
"M.マルタンマルジェラ・ジャパン"の「ここのえ」はマルタン側と三菱商事との合弁での会社で
あるが、これがこのように整理されるまでこのM&A契約は発表されなかった。
 当初の『ここのえ』はマルタンと三菱そしてオリゾンチィ社との3社間で始まった。その後、
直営店プロジェクトが始まるとこのオリゾンチィ社に力が無い事が解り、オリゾンチィ社を
外そうと持ち株の分担を減らした。が、そうこうしている間にやはり、このオリゾンチィ社が
倒産という行き着く結果を迎えた。その後、このオリゾンチィ社の親会社W系もこの放蕩会社を
手放した。その先が、ライセンスビジネスの伊藤忠。
 従って、三菱はこの数10%ほどの株を伊藤忠から 買い戻さなければならない羽目になった。
そして、それがちゃんと終わった段階でこの買収契約が発表されている。
それに、仙台の最初からの大口取引先である『レボリューション』がマルタンのオンリィー
ショップをオープニングした後での、事の次第でもある。
 全て、計算された結果の行動である。これは当然であるがこれ程迄に計算された結果の本意
には裏が、何かがあるはずだ?

 3ヶ月前には既に、それなりの社員たちには話があったという。
では、M.M.M.ジャパンの『ここのえ』には同じように話があったのだろうか?

 このブランドも然りである、多くの巴里発の海外ブランドの企業成長に我々日本人は
どの国よりも貢献し、愛し、尽くしてきた。
 彼ら、M.M.M.の14年間のサクセス・ストーリィーも同様である、日本は最大の理解者で
あった筈なのに。本当に今後の企業発展のための結果でこうなったのなら、何故、日本企業にも
アテンドが無かったのだろうか?また、エルメスと組まなかったのか?
 その最大の原因は? 

 しかし、彼らたち、M.マルジェラとマダム ジェニーをリーダーとした、彼らチームの見事な
”仕事”である。やはり、彼らたちはプロ中のプロであった。
 スマートでクレバーなファッションピープルたちが駆け抜けた14年間だった。
当然である、マダム ジェニィーとマルタン マルジェラは膨大なお金を手に入れた。
 「輝きそうな石。きっと、輝くと思って一生懸命磨き上げれば、
それはダイヤモンドになった」というアントワープらしいお話。
 彼らたちは、「M M.マルジェラ」と言う”ファッション・キブツ”を構築し、そこから無限の
可能性を育て上げた。
 その後、この”ファッション・キブツ”で働いていたと言う連中の多くが、他のブランドへ
侵食して行った事だろうか?
 
 「あんなにも彼らたちの売上に貢献した日本人たちは、マルタン自身が誰であるかも
知らないままだ。ーFashion is always in fake.」
文責/平川武治:
投稿日/2002-10-16 :


 

 
 

投稿者 : editor | 2020年10月01日 15:22 | comment and transrate this entry (0)

2004年06月30日

<2004年6月>[コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展]企画・解説に参画して。

平川武治のノオトブログ/”ARCHIVES Le Pli-07;" 
[コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展]企画・解説に参画して。
初稿/2004-06-30 :
文責/平川武治;

 ご存知だっただろうか?
6月14日からコムデギャルソンの東京本社内のワンフロアーを利用して
「コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展」というのが始まった。
1)はじめに;
 '60年代後半に立ち上げられたこのブランド”コム デ ギャルソン”の黎明期は”三人”で創業した
ブランドであった。そして、現在では数百人という従業員の企業体になっている。
 このCdGブランドの黎明期を知っている業界人やジャーナリスト達はその数も減って来たのが
現実。この状況は、当のCdG企業内の社員も然りである。
 現在のCdGブランドとその商品しか知らない社員が増えて来たことを危惧なさった、オーナー
デザイナーである川久保玲さん本人の発案でこのとっても贅沢な企画が発案なされ、僕が具体的
なこの展覧会のためのコンストラクションを提案させて頂き現実した。
 「うちも、人数が多くなり、昔のコムデギャルソンを知らない社員が多くなって来たの。
なので、そんな社員たちに何か、”コムデギャルソンとはどんなブランドだったのか?”の何かを
やっていただけない?」と言う趣旨が発端。
 そして、「私はご存知の様に忙しくって、時間がないんです。」「あなた、手伝ってくだされ
る?」で、僕は大喜びと言う次第。
 これは、ファッション企業多けれどたぶん、世界でも最初の試みであろう。
1週間のみの展観であり、観客対象はコムデギャルソンの社員のみ。アトリエで働く人たちも
各地のショップで働く人たちも総て,社員が対象。正に「プライベート・ミニ・展覧会」で
ある。一企業が自分たちの社員のために、思い切り私的な発想と規模と条件で行われたとても
”贅沢な展覧会”である。
 本音を言ってしまえば、“企業トップ”としての義務と責任感の強靭な表れであろう。
そして、その内容はどこへ出してもおかしくない寧ろ、出せば、確実に一般のファッションに
興味がある観客たちに感動と興味と楽しみそして、お勉強が出来るまでの「小規模だけど充実」
した展覧会が始まった。

2)”The Root of the Comme des Garcons” /
ーーー「全く育ちの違う3ブランド。それでも、同じ服。」 
 前述の様に、企業コムデギャルソンは自分たちの新しい社員へ向けて何かしなくてはという
ある種の危惧からの責任ある行動として今回の企画展[コムデギャルソンのためのコムデギャル
ソン展]の発端になった。
 若い、新しい社員が年々増えてくる。彼らたちとの”共通言語”を模索しなければならない。
そして、その共通言語で共有して行かなければならないこととは、それらが今後のこの企業の
存続と隆盛を決める。もしかしたら第二の渡辺潤也が生まれる可能性だってある。 
 [コムデギャルソンとはどんなブランドなのか、どんな服をどのような精神と時代観で創って
来たのか、どのようなメッセージを時代毎に発信していたのだろうか?]
所謂、[コムデギャルソンらしさとは?]を服屋は服で語ろうという極シンプルな試みである。
そのためにこのブランドは贅沢で高品位なアーカイヴを持ち得てしまっているので川久保玲は
それを利用して何かやれないものかの思いと責任感がこのミニ・コムデギャルソン展に進展し
それに僕も企画とこの展覧会のための解説を書くことに加わった。

3)"The Concept for the constractions"/
 ーー第1回目であるので、明快なコンセプトを提案した。
 ‘92年を軸と考えた。この年はモードの世界観が大きく変化の兆し表し始めた年である。
クリエーションでは、[モードが地上へ舞い降りてきた。]即ち、特権階級者のためのモードが
戦後の新市民階級者たちのモードになったように、このころ、バブル経済崩壊後から新たな市民
階級者が認知された。
 そして、モードを提供する側はいち早くこの新・階級者たちを見逃さず、自分たちの新たな顧客
に加えるためモードをより、中産階級者のためのものへとストリートから誕生した当時のサブ
カルチャーやユースカルチャーの影響を受けたミュージュックカルチャーのMTV化、ストリート
スポーツの大衆化その結果としての、グラフィチィや古着の再流行、リ・サイクル、グランジ、
リ・メイク、リ・ミックス等など、ストリートでの”リアリティ”が音楽シーンと共に大きな影響を
受け、モード化され始め、提案され始めた時代の動きがあった時だ。
 次に、イメージ戦略と広告戦略に湯水のほどに投資して自らのブランドのイメージ再建に、
エゴイスチィックに半ば、暴力的にファッションメディアを巻き込み結果、トム・フォードと
いう今までこの世界には不在だったスーパースターが「ファッション・ディレクター」として
誕生し、自作自演を演じることでグッチブランドの再生化に繋がるというこの世界ならではの
荒療法を持って登場した。
 彼はN.Y.の地場産業とも言っておかしくは無いこの街の広告産業を見事に利用したイメージ
戦略と広告戦略を持って登場した。その後、この影響は言わずと知れたもので、モードの世界で
再び[ラグジュアリーブランドの時代]を誕生させるまでに至った。プラダ然り、ルイ・ヴィト
ン然りそして、あの”LVMH対PPMR戦争”へと突入して行ったことは忘れてはいまい。
 これらの影響を順風万帆に受けてその後の変化を、このモードの世界をより市民生活者へ向け
進化させたのが、[モードのグローバル化]だった。
 アメリカのインダストリアル・ファッション・クロージングの世界即ち、アメリカの軍服、
作業服メーカー上がりの衣料品世界の人たちが、発達したテクノロジーと通信技術を利用した
世界規模でのMD戦略とラグジュアリィーたちと同じレベルのイメージ戦略に投資し、中国、東南
アジアを一大生産基地として世界を目指した。その成果がやはり、‘92年に巨大「GAP」再生させ
た。以後、北欧という新たな地誌から”H&M”が。そして、工場ブランドを世界規模のグローバル
化させた”ZALA”や”MANGO”もこの’92年以降の現象結果である。
 当然ながら、この世界規模の新たなファッションビジネスは新・市民生活者たちの手ごろな
”ファッショナブル日常普段着”として巨大マーケットを築き始め、既存のプレタポルテファッシ
ョンデザインビジネスを「低価格」と「高イメージ」で大いに脅かし始めた。
 この最盛期はまるで、[ラグジュアリー対GAP] の勢いまでを感じさせるほどだった。
当時は彼らたちの狭間に挟まれたプレタポルテ・ファッションデザイナーたちは瀕死や溺死状態
たったといっても過言ではなかった。拝金至上主義な、ファッション・メディア誌上で大いに
屈辱として、広告ヴィジュアル先行のビジネス戦略に自分たちの肩身の狭さを味わった。
 この年’92年に”ブランド・ジュンヤ”が東京でデヴィーした。CdGも確かに、この時期以降
[ストリートテイスト]を認識した美意識と創造性を持って実際にハッピーに着れる事を大いに
意識したこのデザイナーらしさの品位ある作品群へと進化していった。
 例えば、反対に”V&L "などは’90年代半ばから、これ見よがしの、”着れないファッション・
オブジェ”を、遅れた視線でこの世界へ侵入してきたファッション・プロパガンダなフェローに
過ぎない。 
 僕の今回の企画においての”眼差し”の一つとして[‘92年]がこうしてコンセプト・キーワード
となり、展覧会になった。
 そこでの展示方法は’92年を代表とした「GAP」と「CdGとジュンヤ・W」をある種哲学的発想
を持って[二項対立]的手法と空間演出を行った。
 [CdG]が‘92年以降の彼らのアーカイヴから代表する創造性豊かなストリート性が強いものを
トータル50体と’92年の[ジュンヤ]デヴューコレクションを初めとした50対余り。それに、
[GAP]が40体ほどの規模で、を[二項対立]の展観となった。
 「全く育ちの違うこの3ブランド。それでも、同じ服。」
ここでそれぞれのブランドが持つブランドらしさ、そして、見え方が同じ服であっても当然
[根っこ・ルーツ]が違うことによる”差異”をあらゆることから、たとえばこの会場がかもし
出す違和感などと雰囲気からも、身体で感じ、心で読んで欲しいという願いがある。

4)この展覧会のための書き下ろした”拙筆文”を記しておこう。
解説 / 平川武治:
主旨 / ”The Root of the Comme des Garcons”
ーーー「コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展」:
 「あらゆる人やモノそして、存在する全てのモノには「根っこ」があります。
いわゆる「ルーツ」であり、「育ち」の根元です。
 しかし、高度で充分すぎるまでのステレオタイプの情報量が主役となったこの日本の現在社会
の環境では、ただただ、私たちの目先を通過していくこれら時代の表層、過剰情報の取捨選択と
それらを再編集する作業のみで、日常が慌ただしく過ぎてゆくことが、クリエーターと呼ばれる
人たちでさえ、彼らたちの日々の現実の繰り返しです。 
 この様な私たちの日常の風景の中での「根っこ」は自らによってその存在確認すらされない
まま表層のみが社会化され色々な環境や風景を形づくっているのが現在の東京のリアティーで
しょう。
 自らの「根っこ」を自認し、再確認しつつ、ディシプリンしてゆくことでその結果としての
現れが社会的に認知され、認識されやがて、それらが関係、時間、質量そして、存在と経験に
よって「根っこ」は「育ち」、人あるいはものやブランドに「あり得るべき良き姿の本質」で
ある<品性や品格>が備わってきます。

 初めての試みである本「コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展」の主旨は
ここにあります。
 新たに働く人たち、もう既に働いている人たち、即ち、企業コムデギャルソンの社員の人たち
に、自分が働いている企業コムデギャルソンの「コムデギャルソンらしい創造性」とは何かを
自らの眼と心で感じ理解してもらうためのミニ・エキシビジョンです。

 今回の第一回展は手法として<二項対立>的なある種、哲学的発想をもって、ブランド、コムデ
ギャルソン及び、ジュンヤ ワタナベの'92年以後のコレクション・アーカイブの中から
「コムデギャルソンらしい創造性」とは何かを。
 他方、'92年以後台頭し始めたアメリカ発のファッション産業のグローバリゼーションブランド
の先陣、インダストリアル・ファッションクロージング・ブランド「GAP」 製品との対比に依る
展観を試みました。
 この展観をエモーショナルに経験する事に依って自らの心の安心と自信が拡がり、それらが
自分たちの直接の企業内の職域での仕事へ、新しい発想とそして、本質的なエネルギーと昇華し
ていくことを願います。」 
  <二項対立におけるコムデギャルソン>
・与えられたものとしての身体、肉体をどう拡張するか。そこに創造の必然性がある。
・構築されたものとしての教養、美意識、関係、時間、存在などをいかに再構築するか。
そのためのルールの解体がコムデギャルソンらしい創造である。
  <二項対立としてのGAPブランド>
・インダストリアル・ファッション・クロージングの現在のあり方の一つ。
・MDとイメージング+工業製品としての衣料品=ファッショナブル・インダストリアル・
ブランド。
・日常性としてカジュアル、カンファタブル、デイリー、チープ、マスプロダクト、アウトドア、
ストリートウエアー、ユニフォーム/スクール、ワークス、スポーツ。

 そして、”会場構成”は、これらの解説文がグラフィカルに白地のパネルに書き込まれている
だけの風景の中に不連続な連続性を感じるまでのトルソーが建ち並ぶ。

5)おわりに;
ーーー「総ての人が、アーカイヴを持ちえ始める。」:
 これからの時代においてかつて、過去という時代が決して持ち得なかったことが一つある。
それは、「総ての人が誰でもが、企業がグループがアーカイヴを持ちえ始めた。」ことである。
 誰でもが持ちえたアーカイヴだが問題はその量ではなくやはり、「根っこ・ルーツ」と
「質・品性」だろう。それ以外はゴミでしかない。
 コムデギャルソンがこの企画を実行出来たのも彼らたちのアーカイヴが本当に、総てが高品位
で品格が感じられるまでの高水準の作品群だったからである。これらの作品群を創造し続けて
きた企業の存在と環境にも敬服である。ここからこのデザイナーの「根っこ」の一つとしての
”気骨と気概”がここまでの現実を成就させたことも読み取れる。
 「根っこ・ルーツ」を認識することとは、自分自身のアイデンティティを確認することで
ある。植物の世界ではこの根っこにも2種類のタイプの根っこがあるという。
 1つの根は広く大きく、所謂「根が張る」という表現の根でありそして、もう一つは深く
しっかりと太く、所謂「根ずく」タイプだある。
 多分、人間の特異性にもこれは当てはまるであろう。
こうして、それぞれがアーカイヴを持ちえるようになった時代では自らのアーカイブを通じて
自分の「根っこ・ルーツ」を思い巡らすことも大切な時代的行動行為である。
 そこから「未来」が顔を覗かすことすら在ろう。
今回の仕事によって僕が経験したことは自由で自分らしい経験をコストとリスクを持って積み
重ねてゆけば経験そのものに自信が持てる事。それを土壌に考え、思慮深さを積むこと、再認識
すること、再調査をすること。そして、編集することと再学習であった。         
 「博物館学または図書館学」そして、「美術館学」もそうであろう。
今後、アーカイヴが増加状況を創ってゆくことが時代性となった時、「収集学」とでも言う学問
が、時のニューメディアとともに新しい”博物学的発想”が面白く、重要なものになってゆこう。
 今後の展覧会を考えるときもこの時代性は大切な一つのメッセージになろう。

6)さいごに、
 ーーー「よい展覧会とは?」;
 昨年のチューリッヒでの展覧会企画の経験も入れて僕なりのよい展覧会企画とは?を
考えてみよう。
 展覧会企画は、ある意味で「映画を作るのとよく似ている。」良い”シナリオ”が必要である。
どのようにこの展覧会を見てもらいたいかの”シナリオ”である。
 即ち、展覧会のコンセプトである。
また、この”シナリオ”によって空間造形や導線が構想され構築される。
 見せ方としての”ショーイング&照明方法”。それに、キャスチィングとしての展示物の
バランスのつけ方と並べ方などなど。
 今ではもう昔の展覧会のようにお勉強だけの雰囲気では楽しくないであろう。
現在では「展覧会ビジネス」と言う新たなビジネスの領域が、「総ての人が、アーカイヴを持ち
始める。」と言う時代性ゆえに誕生しているからだ。
 現在の展覧会に必要なサーヴィスポイントとは?
1)エモーショナル。感情を与える。
2)興味を与える。
3)楽しみを感じさす。
4)お勉強が出来る。
5)情報が多くある。
6)満足感がある。
7)そして、もう一度感。
8)物販という機能がある。
これらをどのようなレベルとジャンルでまとめ上げるかが展覧会としても重要な時代性である。
 例えば、この発想にあの、「デズニーランド商法」もある。ここにはもう一つ、「食」が
加わっている。
 これらはこれからの日本の社会環境を考えれば、”ファッション産業”にも適用できる。
総てが、「サーヴィス業」。生業としてゆくならばこれらのサーヴィスは物販でも必要になって
くるはずだ。自分たちのブランドの売り場はいくつのサーヴィスが必要か?という視点だ。 
 
 最後に、「社員へのサーヴィス」までを知的に考えた企業トップ、川久保玲。
彼女は自分たちのアーカイヴを使って「根っこ・ルーツ」を知ってもらうことで、この展覧会を
共有し経験した人たちへ「自信と意欲」を与える術として、”服と服”から発せられる共通言語を
もって、”サーヴィス・コミュニュケーション”を投げかけた。
 この結果としての、「共有したエモーション」と「共労する社員たちの”モチベーション”」と
いう新たな「共有言語」が生まれたであろう

 付記;
 6月14日から22日までの1週間の開催期間で約400人ほどの人たちが
この展覧会「コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展」を見てくださった。   感謝。
初稿/2004-06-30 :
文責/平川武治:

投稿者 : take.Hirakawa | 2004年06月30日 08:50

2004年05月27日

NEW-2/「東京コレクションシーズン雑感。」A/W '04~'05版

 平川武治のノオトブログ "ARCHIVES Le Pli"-06;
 「この東京ファッションウイークが始まった昨今と比較してご一読、愉しみください。」 

A/W '04~'05版「東京コレクションシーズン雑感。」
初稿/2004-05-27;
文責/平川武治:

1)スイス バーゼル芸術大学のモード科主任教授の初めて見た東コレとその環境。;
 最近は、気がついてみると東京へ戻ってくる機会が少しずつ少なくなって来ている。
多分、巴里、アントワープに加えチューリッヒでの仕事が加わりその結果であろう。
 今回は丁度、東京コレクション時期と友人のバーゼル芸術大学のモード科の主任教授が
初来日して居るので比較的多く彼女と東コレを見る機会を持った。この彼女の学校は例えれば、
スイスにおける『東京芸大のモード科』にあたる国立大学である。
 彼女、Pia Himmaneは自分自身でリスクを張って、約半年の長期休暇をとり最初の2ヶ月程を
タイ、ベトナム、カンボジア、ラオスそして、ハワイ経由で東京に入り、自分で家を探して3ヶ月
の東京生活を始めている。実際に僕も彼女と一緒にアパートを探したのだが、外国人、女一人
そして,3ヶ月という条件では普通の不動産屋は皆無。鼻から断られ放しを経験し結局、比較的条件
の悪い外国人専門のアパートを蒲田に借りることが出来、今では楽しく東京生活を行っている 
 ヨーロッパの多くの学校がそうであるように彼女の学校も3年生になると最初の半年は自分たち
が希望するデザイナーのアトリエや企業への研修参加が義務付けられている。
 そこで彼女はこの機会を利用して経験として憧れでもあった東京のファッションシーンを体験
し、出来ることなら東京の学校と自分たちの学校とで生徒たちが交換学習を出来ればさせたいと
いうもうひとつの目的を持って来日した。
 そして、実際に彼女が幾校かの学校訪問を行ってみると現実の答えは殆ど決まっていると
嘆く。『それは是非、やってみたいのですが、今は未だ、、、、』それと廻っているうちに基本
的なレベルが違うことにも彼女は気がつき始めた。そこで今度はショーを見て彼女が興味を
持った東京のデザイナーのアトリエで研修が出来ないかと。これも現実では『TOGA』がO.K. を
出してくれたがやはり、至難。これから『ミントデザイン』や『ATO』を回ってみる予定だが
このレベルのアトリエはかなり可能性が無きにしも非ずというところであろうか?
 残す、3週間ほどでどれ位、彼女が最初に夢見ていた東京ファッションシーンでの学校や
デザイナーとの交換研修などのコラボレーションが可能か?これも現実としての現在の
東京ファッション教育レベルの一端と現実であろう。
 そして、彼女が見た限りあるコレクションの中では、『TOGA』『FLABOA『MINTDESIGN』
『SUNAOKUWAHARA』などに好感と興味を持ったという。そして、少し彼女にとってはきつい
モノが在ったキッチュな『DRESSCAMP』はある面でとても東京的だったと。
 彼女は自分の経験と立場上、何のために洋服をデザインするかの『根っこ』を読む。
その発端としてのコンセプトそして、クリアティヴィティを重視する。 これらは彼らたちの発表
された服と彼らたちが感じた時代の雰囲気が質よく、高く提案されていて、何のためにデザイナ
ーと自称する人たちがコレクションを発表するのか?その根本的な『根っこ』の部分の世界観が
全体のビジネスマインドや売名行為以上にオリジナリチィを感じさせるかにプライオリチィを
視点として見た結果だという。その結果、全体的にはビジネスが優先されていると感じたらし
い。しかし、これは無理もない、彼らたち東京のデザイナーたちは一応「プロ」であるからだ。
 これはPiaの学校やヨーロッパにおける他の国立芸術系工科大学校のモード科ではアントワープ
もオランダのアーネム、ブリュッセルのラ・カンブル等僕が審査員をさせて頂いている諸学校も
同視点である。[質の高い創造性と自由な時代感]を好きな服の世界で教えるという立場を
取っているからであろう。
 これら僕が海外でコンテストや彼らたちの卒コレで学生たちに接する時の僕の責任としての
視点は、『クレアティヴィティ、クオリチィ、イメージ、ウエアラブルそして根っことしての
コンセプト』であるが、巴里・コレ等でのプロの仕事になるとこれに『ビジネス』という項目を
加えて評価し、これらのそれぞれがどの様なバランスでまとめられているか?が評価の軸として
いる。      

2)戻って来る度に東京は『悪趣味』が蔓延化している。;
 これはこの街が持ち得てしまった一種の時代感なのかも知れない。
かつての’30年代初頭にはドイツを中心として『キッチュ』が登場した。時代のあだ花としての
”キッチュ”。
 今回の僕は巴里のデザイナー”JEAN COLONNA” を連れ立って帰国した。
彼も日本企業とのビジネスマネージメントが巧く行かず、あれだけの才能と実力そして何よりも
人間的に豊かな感性と魅力を持った、巴里のモード界では誰からも愛される人柄の人物でも
日本企業の幼稚さと無知さ、それに何よりも企業のエゴ優先とそこで働く個人がリスクとコスト
を回避するのが当たり前の環境の中では彼の知的創造性と繊細な感性は破壊されてしまった。
 彼にとっては2年半ぶりの東京を一緒に1週間すごした。
現在の東京ファッションビジネス構造は『新たな「ターミナル型」と「郊外型」の2極特化』で
ある。”ターミナル型”は以前のようにその代表がデパートではなくなり、各所に出来ている
駅ビルがこのマーケットの中心である。このマーケットのコンセプトは『コンビニアンス』。
(フランス語では、敏速、便利、便宜、簡単にと言う意味)ファッション情報カタログ雑誌に
よって発せられた消費情報を元に、どれだけスピーディーにコンビニアンスにファッション
コンビニ的駅ビル ブチックで会社の帰りにお手軽にショッピングが出来るか?の進化(?)
 もう一方の”郊外型”は確実に戦後日本社会の発展を新たな生活環境とした『時間消費型』の
「AEON」で代表されるそれである。自分たちのテイストと感覚に合ったファッションショッピ
ングが自分たちの地元住環境で出来ることの満足感と安心感がこのタイプ。
僕はこれを『ファッションディズニーランド』化と呼んでいる。この郊外型で今一番ホットだと
言われている”AEON”で代表される旧量販型ショッピングセンター等は正しくこれであろう。
 主なターゲットは、「マイルド・ヤンキー」と言われる元ヤンキーたちの「地元パラサイト」
族である。休日はもう街へ出てゆきたくない。家族みんなで安心して、時間を生活空間全般と
化したファッションショッピングで楽しもう。女物の店には男モノも子供モノまで揃っている。
当然、服だけではなくいわゆるファッション小物からコスメまで。そして今回、驚いたのは愛犬
用ファッショングッズまで揃っている事であった。
 そして、現在のTVメヂィアを中心とした大衆娯楽の世界はより、低俗化が進化するのみだ。
今、東京のファッションの環境はこの低俗化したTVタレントやいわゆる芸能人を媒介とする事で
消費のモチベーションを挙げているのが現実である。その証拠に元々センスの悪い芸能人ご用達
のスタイリストたちが同じ狢たちの雑誌メヂィアによって勘違いさせられてもう幾年も経てば
彼らたちの勘違いも日常化してしまっている現実。
 そんな結果であろうか、東京のテイストが『悪趣味』化している。
先ほどのペットブームに見られる消費現象も然り、街を闊歩する女性たちのいでたちには個人の
上品な趣味性は殆ど姿を消しユニフォーム化されて仕舞い、『悪趣味』を悪趣味と解らない世代
が登場しているのである。対峙すべき『良き趣味』を知らないで育ってきた世代。
 彼らたちからは既に『躾と恥じらい』という言葉が死語になっているのだろうか?
もし、これが死語となってしまっているのなら日本のファッションの世界も新たなシーンを必要
としているしそれが現実化していてもおかしくはない。
 東コレを見ていてもこの傾向に気が付く。先に挙げた『DORESSCAMP』などはこの『悪趣味
/キッチュ』時代の風向きに順風漫帆なのだろうか?こんな時代を少し先取りしてしまった結果
が受け始めているのだろうか?
 戦後60年間で社会構造の中に殆ど、『クラス』が無い現実は一方では『趣味性』を欲し、
他方では『悪趣味』が現実化する。 多分、この矛盾は2010年まで『あだ華』となって進化し、
消費の強力なモチベーションとして進化して行くだろうがその後は、”上海の万博”が終わった
中国が巨大な”大衆消費社会構造”を確実に稼動し始めると僕たち日本人は悪夢から否応にも目覚
め、新たな21世紀の日本の役割を謙虚に捜し始めなければならない。
 そして、外国人たちの眼差しはこの『21世紀版悪趣味ジャポニズム』を早熟に感じエンジョイ
し始めたのが今。そして、これらの東京の現実が「観光立国」化の売り(?)

”WWD Japan”「東コレ・アンケート回答」(初稿/2004-05-27:)
 僕はすべてを見ていないので貴社企画の『ベスト3を選ぶ』には不適当な回答となるでしょう。
また、この様な「ベスト」を選ぶことには多少の疑問があります。それはビジネス業績や企業規模
それに企業形態の違いがあるのにステージでの見えている部分でしかの判断の結果としての
「ベスト」選びは「大いなる勘違い」を生むから僕はこのレベルでの、この様な企画はメディア
の興味本位即ち、実ビジネスを狙った企画でしかないと想っているからです。
 僕が国内外の[コレクションを見るときの基準]:
世界レベルでデザイナーのコレクションを見る時の『基準』があります。
1)クリアティビティ:
 時代観と美意識をバランスで診てそのデザイナーのオリジナリティを読む。
2)クオリティ:
 どれだけその服が美しいくクオリティ高く出来上がっているか。
作られた服に対する気持ちのクオリティと技術面からのクオリティ。
3) イメージ:
 デザイナーが感じる時代観とその雰囲気や気分をどのようにイメージングしているか?
そのアイディアと独創性。
4)ウエアラブル:
 着れる服であること。時代が求める機能性や汎応用性をも含めた着れる服であること。
ここで僕はファッションはアートでないという視点を重視。着る人の心や気分そして環境や風景
とのバランスを感じ読む。
5)プライス:
 当然ファッションもビジネスであるため、モノに見合った価格が大切。
ここではどれだけそのデザイナーたちがプロであるか?を読む。身勝手な自己満足におぼれた
デザイナーはここで落ちる。
 この”5つのポイント”で東コレを見てしまうと、、、
それに僕は「ベスト」という順位をつけることはこの東京ではナンセンス。
ただの趣味の悪いお遊び。レベルの低いメディア側の自己満と感じてしまうからです。
 デザイナーブランドでは、[「フラボア」「TOGA」と「DRESSCAMP」]:
 そこで僕が観たものでこの基準に沿って高得点なメゾンをあげさせていただく。
  「フラボア」:このデザイナーの自由さが程よく新しさになって服に現れていた。何か、
人と違ったことがしたいという基本的なデザイナーである前の作り手としての心が在った。
  「TOGA」:このデザイナーのショーは不参加。展示会でのヴィデオと作品を見て。
しっかりとビジネスをも考え自分の世界観を持って、成熟してきたデザイナー。
全体のコレクションの作り方もうまくなった。3人で自分たちの作りたい服を作りながらのメゾン
のスタートを知っているのでよく成長したと想っている。ビジネス的にはこのメゾンが一番企業
構造も安定していると想っている。世界へのチャンスもあり???
今後の課題は彼女が持っている”服作りの『根っこ』”をもっと豊かに深いものにすること。
そして、”フラットから抜け出すこと。”
 僕の合格ブランドはコレだけ。きっともっといろいろ可能性のあるブランド デザイナーが
いるのだろうが、僕は見なかったのでこれだけ。

 後、印象に残ったブランドは「DRESSCAMP」:
 今の東京をある意味で代表しているブランド。
『悪趣味』が蔓延している東京とその時代性をこれ程までに見事にイメージングして気持ち悪い
ほどに堂々と明るくショー化しているこのデザイナーの「東京ポジティフ」が面白い。
好きなものがはっきりとしたコレクションは気持ちよいが、いつまで続くかが問題。
今後もう少し自由さと謙虚さそれに彼も自分の「根っこ」をもっと成長させなければいけない。
このままでメディアに勘違いさせられると唯の、「東京芸能人ご用達スタイリスト向け悪趣味
デザイナー」でしかなくなる。

 ここに上げた3組のメゾンはそれぞれ企業形態がっている。
すなわち、『育ち』が違う”3組”のメゾンである。コレは東京的な面白さと特徴である。 
 「フラボア」は東京DCの元祖ある(株)BIGIの一ブランドデビジョン。
「TOGA」は自分たちが作りたいものを作ってゆく最小規模から始めたメゾン。
「DORESSCAMP」はプリント素材メーカーが親会社で、このデザイナーは今でもこのプリント
会社の社員であり、既に10数年歴でありここでも給料を貰い、御報美的とこのプリントメーカー
の企業戦略によってこのブランドを展開している。
 こうしてこれらのブランドの企業背景を調べても当然、企画環境もビジネス構造も違っている
ので今後の成長の規模や期待が違ってくる。当然であるが、この根拠は「お金の流れ」である。

 [「MINA」「NEMETH」「VOLGA  VOLGA」そして、「ミントデザイン」]:
 いわゆる、世間一般的な「苦労をして自分の好きな世界を築いてきたデザイナー」では
「MINA」をあげる。彼の素材に固執する職人気質でのものつくりは本物であるはずだ。
これに近いものを持っている東京デザイナーでは「クリストファー・ネメス」と
「VOLGA VOLGA」を挙げたい。
 '85年にロンドンコレクションをしてその後、東京へ移住してからの彼、ネメスのこの東京での
仕事振りは服職人である。'90年代初頭のストリート系東京デザイナーの殆どが彼の服をパクッて
デビュー。しかし、残念ながら彼の服つくりの精神まではパクらなかったためそんな彼らたちは
10年も持たずして、殆どが自爆状態である。
 「VOLGA VOLGA」はロシア人と日本人のペアユニット。ロシアからヨウジにほれ込んでの
来日。そして、3年半ほどをここで勉強してからの独立。デザイン発想の玄人らしさとそれらを
商品とした服にするためのパターンメイキングがしっかりしている彼らたちも服職人的存在。
奥さんである人が巴里のサンディカで学びパターンメイキングの基礎が出来た技術者である。
彼らたちに共通するところは「骨太な服つくり」ができるしっかりとした「根っこ」を持って
いる人たちである。
 メディアをかまして、芸能人に擦り寄ったスタイリストたちに媚を売ることが引いては
ビジネスに繋がると言う公式の元でのファッションデザイナーとその関係者が多いこの東京
ファッションシーンではこれがリアリティなのだからこの所謂「微温湯」の中で悪趣味感覚に
馴らされながらやってゆくのならそれはそれで良いだろう。儲かるし、カッコもつけられる
しかし、もし、”違う世界”を見てしまったらどうするかがその人の人間性に関る事となるで
あろう。
 「ミントデザイン」は好きなブランドであるが、悲しいかな、彼らたちにもう少し野性的な
強さが作品にも表れればもっと好きになれるブランドである。育ちが良すぎる分、今の東京的
悪趣味の中では居心地が悪いだろう。それに少し彼らたちが作る服のフレームが狭すぎる。
それによって毎シーズンの面白さに欠ける気配がするのが残念である。
 他の若手と称され、メディアを騒がしているデザイナーたちもその殆どが「オカ・サーファー
」である。”乗る”こと即ち、時代の流行や雰囲気に乗ることは上手でこんなことも出来ます、
あんなこともしますという部類。
 肝心の「時代の大きなウエーブ」を造ることが出来ず唯、乗っかるだけが多い。
従って、これらのタイプのブランドは3~4年でこけてしまうのが現実であろう。

 本来の、「根幹」を持った、”メイド イン TOKIO"デザイナーを育てるという「視点と気骨」を
持ち得た「ファッション・メディア」も、共に育ってゆかないと日本のファッションデザイナー
の今後のこの世界は変わらないだろう。                         [完] 合掌。
文責/平川武治:
初稿/2004-05-27:

投稿者 : take.Hirakawa | 2004年05月27日 07:02

2004年05月24日

時代を呼び込む、「21世紀モード的眼差し、環境と風景を探して。」

平川武治 ノオト ブログ/"The ARCHIVES Le Pli-05"/「21世紀モード的眼差し、環境と風景を探して。」
初稿/2004-05-24
文責/平川武治:

 「この初稿原稿は、現在の「大衆消費社会」の様を予測していた。
そして、「新型コロナ」以前のここ数年間の日本国内の消費経済の最先端を促していた
「インバウンド」さま様状況を思い出して下さい。見事に予測が的中しています。」
ひらかわ:

 Feb.‘04
 1)「観光立国化と戦後日本の独自性としての、コンテンツ産業立国化」
 昨年末に書店の店頭でもらってきた小冊子「草思」(2004年1月号草思社発行)が興味深い
特集「日本の生きる道」をしていた。
 「奇跡の経済成長も今は昔の話。もはや工業立国・貿易立国の基盤もアジア諸国の追撃に
危うくなった日本は、物作りは得意でもソフトは危弱、食料の60パーセントは輸入に頼り、
輸入率100パーセントの石油無しには我が国は成り立たない。長引く景気低迷のうちにもはや
日本は衰退の一途をたどるのみ。ー ー言われてはいるが、本当なのだろうか。(中略)
今直面する問題とその克服の道を考察してみた。」とプロローグに始まるこの特集は本来、
全てが拝金主義の大衆消費社会の全カタログ誌と化した一般教養誌で真剣に取り上げるべき内容
であると信じているのは筆者だけであろうか。
 ここで取り上げられている我が国の生きる道は4つ。
「農業立国・日本は可能なのか?」
「科学技術立国の落とし穴?」
「観光立国への道ー醜き衰退から美しき成熟へ」
そして、「日本の新たな資源としてのアニメーション」
ここで戦後日本のお家芸的なアニメーションやTVゲームのコンテンツビジネスが語られている。
 
 筆者が思うにBSE問題で現実としての「吉野家」牛丼販売停止や鳥インフルエンザによる
関係業種の開店休業的状況は確かに目先の問題としては大変な事件であろうがこの状況は
もしかしたら今後の日本の食料事情の変化を促進し、60パーセント輸入に頼っている我が国を
救い、思いも寄らぬ方向へと進展させるベクトルになる可能性も考えられる。
 例えば、それはもう一度、21世紀の僕たちが謙虚にそして、150年ほどタイムトリップをして
日本人らしさの根幹の一つとして、江戸時代のような基本的には自給自足を目指した菜食主義的
な民族へ戻る為の一つの機会と考えるのはどうだろうか?
 
 筆者は90年代後半に既に、我が国は2010年以降は「観光立国」化へという発想を持っていた
のでこの特集はとても興味深く読んだ。
 筆者の主なる根拠は隣国の「中国」が大衆消費社会化へと2008年の北京オリンピック開催と
2010年の上海の万博以後、戦後の日本がその同じシナリオによって完全に現在のような大衆消費
社会構造を築き歩み始めたことを思い起こせば納得するであろう。
 この時期の日本は、「労働者」がいつの間にか「消費者」というニュアンスで語られるように
なったことその後、ハワイは観光メインの州として星条旗の星の一つに加わったことを想い出し
てみよう。
 このような発想を持った以後、筆者の近未来への眼差しは「観光立国」化であった。
資源の貧しさも手伝って、生産性よりも消費性を、サービスを生業とした現在のような国民の
大半以上が商売人的感覚の民族と化してしまった以上、「観光立国」化は考えられる最善策の
一つであろう。

 2)このような「観光立国化」におけるファッションビジネスのあり方とは?;
 社会がそのような「観光立国化」と言う”環境と風景”になったとき「ファッションビジネス」
は今以上に多種多様な”サービス化”が必然であり、辿るであろう。同じような物がより、
パーソナルメディア(SNS)を通じてトレンドと称されて例えば、携帯でトレンド情報を、
コーディネート情報を、それにバーゲン情報などがコンテンツ化されると「ユニフォーニズム」
へと進展していくはず。そうした近未来を考えると各ブランドやショップ、デパートがどのような
独自のサービスを持って顧客を満足させるかに行き着くのは確実であろう。
 この現実を既に生業として行っているのが「エルメス」「ルイ・ヴイトン」などの老舗商法/
”ラグジュアリィブランド•ビジネス”であろう。彼らたちは「イメージ、情報、安心そして、
アフターケア」のサービスを150年前にやはり、同じパリで誕生した世界最初のデパート,
ボンマルシェの「空間、品揃え、接客」サービスを基盤に時代と共に常に新たなサービスを加え
提案し現在に至っていることを熟知しよう。「継続はサービスなり」とでも言えよう。
 従って、今後のファッションビジネスも”ホスピタリティ”も加わってより、サービス業である
という自覚と新たな発想は大事な視点となるであろう。

 3)「今、東京にあってもおかしくないデザイナーズ ホテル」;
 そこで、これだけありとあらゆる物が氾濫する中で、ない物を探すのが大変な東京でない物を
挙げるとしたら、この「観光立国」化に通じるもので「デザインナーズ ホテル」がない。
 その殆どがアメリカンタイプの遅れてきた20世紀物ばかりが目につくこの東京です。
この「デザイナーズ・ホテル」が無いのは21世紀的「環境と風景」をイマジネーションした発想
とマーチャンダイジングに独自の”リアリティ”が欠如しているからであろうか?
 「観光立国」+「サービス業」+「ファッションビジネス」=「デザイナーズ・ホテル」という
公式が近未来であろう。30室ぐらいでクオリティーが高くセンス良く、ホスピタリティと
サービスがセンス良いホテル空間とそれに併設された自社ブティックとバーやレストラン、テラス
カフェ。室内はハウスホールドの雑貨物からリネン、トイレタリーを含む”五感”に訴えるデザイン
物でこぢんまりとした落ち着いたたたずまいの玄人請けするミニホテルをデザイナーや建築家と
アーティスト、料理人たちとコラボレートして作る。これは確実に21世紀型のファッション
ビジネスの一つの新たな可能性であろう。
 が、残念ながらこの東京にはない。「地方創生」と言う国家戦略とヤンキーたちの”地元帰り”
の時代の風を受けて、郊外型の商業施設がその生活環境が戦後も、60年ほど過ぎると進化し、
豊かになってきたために生活者の行動ベクトルが都心型から郊外型へ移行してきた結果が現在の
ファッションビジネスの現実と現状を語っているはずである。
ならば、都心型は次なるビジョンを発想して「新たなる環境と風景」を創造すべきである。
 これに一番近いところにいるのがファッションアパレルであろう。
(余談になるが、15、6年前に筆者は既に青山の根津美術館付近でこれをやってはとあるアパレル
企業に提言したことがあったのだが。)
 この界隈はファッション人間たちの”参勤交代”が行われるために少なくとも年4,5回は地方の
ショップバイヤーたちが上京して来るという現実は30室でも口コミが人を呼ぶ物である。
また、海外からのモード関係者たちが東京へ来れば、競って宿泊したくなるような東京的様式美
が若手建築家やインテリアデザイナー達によってデザインさたホテルは今是非、欲しいもので
ある。例えば、パリでは”ホテル コスト”がこの役割を果たして、この街を訪れるファッション
ピープル達の新しいご用達ホテルになっている。
 20世紀の特化した物を世界レベルでコラボレートして新たな環境と風景を築くことがこれから
の東京、すなわち「観光立国」のキャピタル”東京”には必要であるはずだ。このように、”環境と
風景”をあたらしく構築することで、ここに新たなファッションビジネスの新境地が生まれる。
 このコンセプトで昨年オープンしたのが目黒のビジネスホテルを改造して出来上がったホテル
”クラスカ”であろう。ここは筆者流に言えば21世紀の風景がある。また、80年代後期のバブル期
にブランド アパレルの”ビギ”が渋谷のラブホテルを買収したことを想い出す。
 筆者はこの日本独自の”ラブホテル”をリ・メイク、リ・モデルする方法もこれからは有りで非常
に面白いと思うし、自らやってみたいことの一つである。これは、スケール的にも丁度良い規模
であるし、立地条件もよい。利用者として最近では”パラサイト”と呼ばれる「豊かなる難民」が
現実に増殖してきた現在、ラブホテルをもっと自由な活用にした利用者が増加している事実も
忘れてはいけない。
 我が家以外の”棲み家”を持つことの願望は特に、社会で成功している人たちや男性が好む、
文明が豊かになれば自然発生的な欲望現象である。ここには「時間消費」「男女消費」や
「クオリティー消費」などが派生するはずだ。

 4)「たとえば、オリエンタルバザーを見直そう。」;
 今回の帰国で新たな発見は表参道に戦後直ぐに出来た「オリエンタルバザール」の建築で
ある。ここの内部は面白い。地下一階地上二階のこの規模が良いし構造体がしっかりしている、
空間がゆったりしていることも良い。むろん立地は申し分ない。表参道に面した二階には
バルコニーもある。
 この規模で「十貨店」をリモデルして「デザイナーズ十貨店」を外国人旅行者たちのために
リニューアル・オープンすればこれも21世紀の原宿の昔を継続させた”新しい風景”になることは
間違い無しであろう。
 元々このオリエンタルバザールは戦後、高岡の鋳物生産者たちが自らの地場産業をこの地で
外国人の土産物へ転向させて商売をするために創設された物であるから、今後の「観光立国」
東京、原宿にはもってこいの環境であり風景とショップコンセプトになるはずだ。
 いつも日本人は近視眼的な発想でこの戦後の現在の環境を築き上げてきたがもう、そろそろ
次世代的な眼差しで21世紀をイマジネーションしてみようではないか。
 その時、物事の「根っこ/根幹」から思い起こして考えることが大切なプロセスのスタート
である。あまりにも、現在の東京人は近視眼的目先のみを落ちつきなく見ている様な気がして
ならない。
文責/ひらかわたけじ:

 5)あとがきとしての追文;
 この拙文の初稿が、2004年の05月24日である。
この15年間ほどの時間の流れと堆積によって、僕のこの視点、「21世紀モード的眼差し、”環境と
風景”を探して。」は殆どが現実化された。
 因みに、その世界的代表が「airbnb」であろう、2008年に創設された新事業である。
この10年間ほどで、”世界制覇”を行った、「動きまわりたい人間」のための「宿」ビジネス。
 今回の僕のような視点を日本の若者たちがもっと、突き詰め、自分たちが想像できる
”リアリティ”を生み出すことを熟考すれば、このユダヤ青年2人のアイディアによる「airbnb」の
日本版が独自に構築できただろう。
 僕がいつも感じる、日本人が持つ”遅れて来たコンプレックス”の一つに、「外国人特に、白人
たちの元で仕事がしたい。或は、友達になりたいレベル」のコンプレックスがまだ若者たちにも
普通のように、何も疑問視せずにある。
 僕の立ち居場所である、ファッションビジネスの世界では、特にこのコンプレックスで仕事を
している優秀な日本人男女が多く働いている。彼らたちをみていると、悲しくも、惨めにさえ
思ってしまうのである。
 「ああ、ここにも、日本人でありながら、日本の歴史を、宗教を、哲学を礼儀作法をそして、
何よりも、”気骨”を、”含羞”を忘れている或は、不勉強な狭義な日本人たちがいる。」と分別
してしまうのですが、やはり、年老いたせいでしょうか⁉️
合掌。
文責/ひらかわたけじ:
再校/令和2年10月5日記:



投稿者 : take.Hirakawa | 2004年05月24日 10:12

2003年08月26日

[過ぎてゆかない過去]の中で漂っている僕たちの21世紀から逃亡せよ。

新版/平川武治のノート-ブログ ”The ARCHIVES Le Pli"-04;
新たに、今までの掲載分から選択したアーカイブ集を始めました。
”「過ぎてゆかない過去」の中で漂っている僕たちの21世紀から逃亡せよ。”
初稿/2003-08-26:

  「”過ぎてゆかない過去”の中で漂っている僕たちの21世紀からの逃亡。   
僕たちはもう、既に21世紀で生活しているというのに!!
―――ヨーロッパに於けるファッション環境の新しさとは?」

 まず、日記風に。22th.AUG.’03;
 アントワープデザイナーの一人、ラフ・シモンズがここ3年来この学校の客員教授を行って
いるヴィエナ工科大学ファッションコースの卒業コレクションのための審査からスタートした
2ヶ月間あまりの旅を終え帰国。
 この間、巴里ではクチュール時期を利用してコレクションを発表した若手デザイナーのショー
とメンズコレクションそして、幾つかのファッションイベントへの参加とこの国を代表する
ファッションの専門学校”スタジオ・ベルソー”の卒業コレクションを見た。
 これらの合間を見てアントワープを訪れこの学校の進級発表に立会い日本人学生の現実を
知り、僕のギャラリーで”ワンナイトイベント”を行う。
 又、イタリーのトリエスタで今年も行われた、”IT’S#2”の2回目のファッションコンテストに
も審査員として参加。しかし、今回の多くはスイスのチューリッヒでの展覧会企画の仕事に始終
した。

 僕的眼差しから、;
 現在の様な1年の内、4ヶ月ほどをパリを中心にヨオロッパで生活をするという生活形態を
送っている僕の眼差しはある種の距離と位相を持ち得た状況から、僕独自の発想と視点で東京と
言う都市の表層の差異が読み取れるので面白い。
 従って、毎回、帰国する度に東京を良い意味にも悪い意味にも興味を持って”俯瞰視”が出来る
その結果が最近では嘆き憂う事の方が多くなっているのは、僕が歳を取り始めたという事だけで
はなさそうである。
 今回、一番に感じたことはこの東京は街そのものと、そこで生活している人たちとモノが作り
出される環境と風景が知らない間に”より、悪趣味”化へ暴走していると感じたこと。(これは
先週、大阪へも行ったのだがここの”悪趣味化”は東京のそれよりも尚、悪いと感じた。)
 例えば、環境と風景を考えた”調和”、自分と他者と社会を考慮した”調和”すら感じる事が少な
くなって来た。大半の日本人は自分たちのやりたいことや楽しい事、ハッピーな事は願望し現実
化へ努力するが、出来る事なら”責任”は取りたくない、自分たちの行為に対しての”リスクと
コスト”は出来れば、避けたいという群衆の溜まり場が都市化してしまったようだ。
 その根幹は、個人が人間的な端正さで生きるよりも、個人が群がって、責任転嫁が可能な集団
の中で楽に生きればいい、という生き方を選択してしまったようだ。
 又、季節柄だからであろうか、路上を闊歩している若者達の服装から今や、”躾と恥じらい”が
喪失してしまったようである。業界人たちがこれをファッションや流行またはカジュアル化、
個性化と思い込んでいるのなら僕は大いに危惧する所である。思慮深い人が少なくなり思想亡き
群衆が中流化から”ハイソ”を気取り始めたプロセスとその表情としてのこの街の様は結果、
ファッションも含めて、”悪趣味”以外の何者でもない。
 多分、本来の”よき趣味”を知らない拝金主義者たちの群集がメデアにより、大いなる勘違いを
しているだけなのだろうが、これを王道に嗜める人たちがいるのだろうか?これからの子供たち
が成長し生活しなければいけない僕たちの国の将来を考えると恐怖をも覚えてしまう。

 巴里•コレから見たファッションの世界の進化とは?; 
 さて、今回は僕が滞在していた時期に起こった事、考えた事のいろいろなトピックスを
"Le Pli"的視点で深読みしてみよう。

 1)[21世紀のカジュアルウエアーはスポーツ、下着とセックス。
そして、そのコンセプトはネオ・プロテクション]

 ‘93年、当時、W&LTブランドを展開していたデザイナーW.V.ベイレンドンクに
インタヴューした時の事をお互いが良く覚えていて先シーズンのパリでの彼のショールームでも
その話が話題になった。あのときの僕の質問が彼のコレクションから、将来、21世紀のカジュ
アルウエアーは[スポーツ、ランジェリィ―とセックス]という発想を彼に問い掛けていた事が、
今年になっても彼は覚えていた。
 僕にとっては‘90年代始まりまでの、かつてのモードは[ラッピング]がコンセプトであった。
醜い身体つきをどの様に美しく見せるかの為のラッピング。
 そして、’92,3年ごろからのモードは[カヴァーリング]をコンセプトとして当時のモードを
僕は読込んでいた。着る人たちの身体つきが良くなったことからもう全身を覆い隠さないでも
見せたくない所だけをカヴァーする事がモードの新たな役割になったという発想だ。
 それに、美しくなった身体つきをより美しく見せるためのスリム・チューブラインとそのため
のシースルーで伸縮自在な合繊素材がより多く開発されモードによって日常化された。
 そして、21世紀も近くなった時、J.P.ゴルチェを筆頭に先のウオルターも然り、彼らは
[スポーツ、下着とセックス]を日常化し始めた。この時の僕のコンセプトが[プロテクション]だっ
た。当然、これらの世界で使われている”素材と縫製技術”までを含めて、これらが新しいモード
カジュアル化へと”進化”するという理論を僕は既に展開していた。
 スポーツウエアーの身体の動きと、外界に機能するプロテクションと、下着の皮膚とこころ
に、気分に優しいプロテクションそして、セックスショップで売られているボンテージやフェチ
なコスチュームは着る人間の生物的性癖をプロテクトするものであるという視点での発想。
 そこで最近の僕のモードに対する新たなコンセプトは[ネオ・プロテクション]である。
全てが不確実な時代、信じられるものは自分の身体。(TATOOの普及化もこの現象であろう。)
そして、現代のプロテクション、[ネオ・プロテクション]とは、“安心、安全、癒し、快適、楽、
性的“などをキーワードとしたもので、決して”守り囲う”ことだけのプロテクションから自分自身
をより、自分らしく安心とポジティブに生きるためのモードの機能になったと見る事が出来ると
いう視点である。
 現代の女性たちを見ていると以前のように[自由]を表現するためだけのモードではなくなり始め
た事も考えられる。もう彼女たちの自由はすべて手に入るものになってしまいむしろ、安心出来
るのであれば人と一緒でも良い、マークやブランドそして、メデアが提案する着こなしで自分た
ちの[属]が明確になること、プロテクトされる事がファッションを着る事であるというある種の
パラドックス化状態ともう一方では、時代の雰囲気に遊び、楽しむための彼女たちが持ち得た
ポジティブな服選びでもあろう。
 プロテクションには大きく分けると”4つのカテゴリー”がある。
「自然、身体、社会的モラルそして心的安心。」
 これらのプロテクションを[スポーツ、下着そしてセックス]でヴィジュアリティに、
ミュージュックマインドとヴィンテージテイストも忘れてはいけない安心の大きな要素として
どの様にバランスよくまとめコレクションを行うかが今のプレタポルテの時代性になった。
 そして、カジュアル性は日常性やウエアラブルを必然とするし、時代性ではこれらをどの様な
”贅沢感”を持ってまとめ味付けをするかがヴィジュアリティと共に、今後もより進展するだろう
 従って、[消費するデザイン]としてはデイテールに凝ったデザインよりも素材と色調やプリント
と分量がデザインにおける大事な勝負どころになる。
 例えば、カモフラージュ/迷彩服。これも今ではアーミーで代表される自然と人間との距離感
からの迷彩だけではなく、都市に生活している人間と都市風景との距離感で発想できる迷彩も
必要な時代性。
 20世紀は[距離の消滅]の時代であった。が、もう今では僕たちの日常生活では携帯やPCと
言う情報機器の発達によって[距離の消滅が完了]が為され始めている。これからのこの21世紀は
[距離の再確認]と言う時代性をコンセプトにすればより、この[ネオ・プロテクト]と言う僕が提言
するコンセプトが大切になるだろう。
 やはり、モードの世界も[ポスト・モダン社会]の中で確実に人間的,五感的に進化しているの
が、うれしい。
 Ex..デザイナーでは、ベルンハルト、ラフ・シモンズ、Dior、J.ガリアーノなどなど。
ひも、コード、ベルト、尾錠、ボリューム、羽織る、巻きつける等のファンクション。
そして、素材ではラッテクス、光り物、ぬめり感あるモノとフォトプリントもの。
イメージ・シンボルンとしての”プロテクト”はポッチェルリの[ヴィーナスの誕生]の右側の女性。
そして、これらのコンセプトは、“Home is not a House.”。”安心と快適さは家だけではない。”

 2) [21世紀を意識して動き始めたヨーロッパの都市が面白い。]
 僕が今回訪れた都市はヴィエナ、巴里、アントワープ、チューリッヒ、バーゼル、ブラッセル、
ロッテルダムそれにトリエスタ。これらのヨオロッパの都市は20世紀まではそれぞれの国におけ
る都市であったのが現在ではEUの都市になってしまった。そこでこれらの都市ではここに来て
自分たちの都市は自分たちで独自に活性化し、21世紀の今後のためにも経済面だけではなく
”文化の領域”に於いても自分たちの都市の伝統と共にアイデンテイテイを大いに生かしてゆこう
という積極的な動きが各都市で始まったことである。これは、日本にいて、書物を読んだだけで
理解できることではない。実際にこれらの都市を徘徊しなければこの空気感と鼓動は感じられな
い事である。
 特に、モードの世界ではこれらの街はベルリンやアムステルダムも含めて以前より教育面が
活発化し始めている。各都市や政府の行政が自分たちの国の若いデザイナーたちをバックアップ
し、オーガナイズするためのファッション研究所を設立したり、サイトを立ち上げ、自国の
デザイナーたちと巴里へ進出している他国のデザイナーたちとの情報交換を企画したり、
ファッション・コンテストやイベントを都市を挙げて行い始めている。例えば、ヴィエナでは
学校関係者たち自らがセレクト・ショップを始めるなどの動きもある。又、モード系の展覧会
企画を国立の美術館が主催して行う機会も多くなってきているし、モード雑誌がここに来て多く
発刊され始める。
 これらの動きに共通する事は学校関係者たちと産業界そして、市や国にまでも抱え込んだ動き
を取っている事だ。そして、これらの殆んどが若い人たちが意欲と責任を持って率先して携わっ
ている事である。
 では、東京では何が為されているのだろうか?
「枯れ木も山の賑わい。」状況を変わらず、勘違いした人たちで構造化されているだけの
現実感しか感じられないのは僕だけであろうか?

 3)[早ければ来春かもしくは来秋には中国からの巴里コレ参加デザイナーの
コレクションが見れそう。]

 中国のデザイナーたちもかつての日本人デザイナーたちと同じように、巴里でコレクションを
やりたがっているデザイナーたちが増えてきている。毎年、我が国を訪れるモードサンデイカの
理事長グランバック氏も東京の前か後には必ず、北京や上海を訪れている現実でも読める。
 そこで彼へのインタヴューによって聞いた話では、遅くとも‘05年をめどに中国人デザイナー
のコレクションが巴里で見れるようだ。
 現実は多くのデザイナーたちが希望しているのだが、彼らたちの殆んどは未だ、その水準に
達していない事を理由に延ばし延ばしにされているのが現実。
 そのため、巴里サイドは毎年、春に南仏のイエール市で行われているファションコンテスト
[フェステイヴァル・イエール]を利用して一度、このコンテストで彼ら中国人デザイナーたちを
受けその後、パリコレ登場を企て、このコンテストを中国で開催をも考えているという。
 この裏面には、パリの若手デザイナーたちを中国の生産環境の情報と紹介するためでも在る。
かつての日本人デザイナーがこの街へ参入して来たときの‘72年以降の事を思い浮かべてみよう
 “憧れのパリコレ参加“後、当然の様にメイド イン フランスのデザイナーブランド商品が堂々と
日本市場へ登場しその後、80年代を待って、日本企業とのライセンスビジネスもスタートした
という過去が証明している。日本における現在のファッションビジネスと市場構造と状況の全て
が、この“憧れのパリコレ参加“というミッションとモチヴェーションによって高揚され以後、
現在の状況へ発展した記憶は忘れてはいけない。
 これは「文化は武器」と発想した彼らたち、フランス人の強かな所である。この戦略は最近
では’90年代後半からのソ連崩壊後の”ロシア市場への参入”と”ブラジル市場参入”があった。
そして、次なる”新しい顧客”は中国。
 中国における、‘08年と’10年、北京オリンピックと上海万博という経済戦略のための国際
イベント以後の中国へ、日本企業はどのレベルで、どのような規模で経済参入が参入可能なの
だろうか?或いは、計画がなされているのだろうか?
 今の状況ではアフリカとの関係性においても同様であるが、全てが、”中国の後追い政策。”
でしかない。

 4)[工場に主導権が再び握られ始めたEUファッション産業界。]
 ‘90年代初頭、ベルリンの壁崩壊以降のロシアと東ヨーロッパの変動は当然、この
ファッションビジネスにも大きく影響を与え,新たな産業構造を再構築し始めた。
 その一つが、東ヨーロッパ地区のユダヤ人達が新たな生産地として再度、認識され活性化し
始めたことであろう。
 又、ポスト・モダン社会以降、このモードの世界も幾つかの大きな変革があった。
“普遍的物語“としての独創性豊かなファッション・クリエーターと彼らたちのクリエーションの
末期的状況下、ファッションデザイナーの質とタイプが変質したことがある。
 もう一方では、メデアの高度な発達によるヴィジュアル化社会の発展によるイメージの高度化
と進化の結果、“ファッション・デイレクター“が登場し、もう一つ、最近ではオリジナルとコピ
ーの境界意識が希薄なシュミラクールとしての“ファッションDJ“さえもが登場して、“大きな物語
から小さな物語“へ、多くの”どんぐりの背比べ”的なデザイナーが増殖した状況になってしまった
ことであろうか。これは言い換えれば、“情報のスピードとその量“の進化によって誰でもが
デザイナーになれる環境と何でも有り状況がこのモードの世界の現在を”進化”(?)させた。
 こんな時代であるからデザインする側より、実際にモノとしての服を生産する工場が今まで
以上に、”大きな力”を持ちはじめ、政治的にも発言権を振るい始めたのがここ最近のEUのモード
環境の現実である。ここには、従来からの“ユダヤ ビジネス”の更なる発展化が読める。
 デザイナーたちが、幾らすばらしいデザイン発想力やアイデアを持っていても工場が生産して
くれなければ実ビジネスにならない。この状況によって、最近では若手の才能あるアントワープ
デザイナーたちが、アントワープには工場が殆ど無い為に、消え始めていることや、オランダ勢
がその生産背景が極小のため、思ったより伸びない事も現実になる。
 最近、パリのファッションビジネス・エリートを育てる学校”IFM”では、サンディカ理事長
でもあるムッシュ グランバックが30名ほどの生徒たちを連れてイタリーとイギリスの工場見学
を行い、生徒たちと工場との”お見合い”コミュニケーションを図った。
 今思うに、’80年代も後半、バブル経済期にカシヤマが今は亡くなられた、故中本氏の
アイデアでイタリーの工場企業”ジボ社”を買収した一件は、彼の時代を読む眼と現地在住からの
経験と発想が無ければ今の世界に於けるカシヤマの存在は決して、実現していなかった。
以後、カシヤマはこの”ジボ社”を持った為にデザイナー契約に彼ら達独自のプライオリティが
発揮できたのである。作る生産環境が在ればその中に必要なソフトとしてのデザイナーは自分
たちが主導権を持って選び放題である事をこの”ジボ社”とカシヤマの連携プレーは事実を教えて
くれる。
 それに、ZARAやMGOを代表とするモードに於けるグローバル化が定着したのも”工場主権”に
よっての現実である。実際、モードの環境がここまで変革して来た一方では、この反動として、
“手作りもの、リ・メイクもの“がクオリテイー・アップした事、その存在価値を少し高め始めた
のも事実であるが。
 現実として、日本のファッション産業環境と構造を「日本的21世紀型」へ、再考しなければ
ならないだろう。世界のファッション産業環境が21世紀型へと変革し始めたのだから、
余計である。

 このようなパリを取り囲む世界のファッション産業の現実をもう少し、深読みすると、
「素材・生地関係も、生産工場オーナー達もそして、トレンドをデザインするデザイナー達も、
その彼ら達をプロモーションするビジネスマンやリテーラー達も、そんな彼ら世界をメディア化
するインターネットをはじめとしたメディア業界もみんな、ユダヤ人たち」
という強力な世界が再構築され始めたということなのである。

 5)[誰が21世紀のYSLになるか?真剣に探し始めたパリ。]
 老舗エルメスがJPゴルチェを次期デザイナーにした事はこの街にとっても、正論過ぎるほどに
正論であった。
 今、巴里のモード関係者たちは誰が次の、YSL的存在になれるか、誰を推そうかと必死に、
詮索している。
 言い換えれば、フラン人デザイナーで、フレンチテイストをフレンチモード的に演出できる
YSL的中心デザイナーを物色しているのだが、殆んど誰もいない状況に気が付き始めたのも
今なのである。
 「フランス人、フレンチテイスト、フレンチエレガンスそして若手ゲイ。」
これが条件であろうがG・ユーキヴィッチやアレキサンダー・マチュ―でも未だ、不十分。
では誰?エルメスにおけるJPゴルチェの起用は既に、彼が同系列会社のデザイナーであるため
最も、当たり前すぎるほどの選択で会った。しかし、彼を推すしか今は若手が居ないというのが
現実なのだ。
 僕も次期デザイナーの件ではエルメスの友人へ僕なりの候補デザイナーリストを作ったのだ
が、この時もゴルチェは彼の作風から言っても、本命中の本命で面白くなかった。
 日本のモード関係者たちはどれだけ本意に、21世紀のモードを背負って立つ“ポスト川久保玲
やヨウジ“を育てる気はあるのだろうか?または、もう必要ないのだろうか?

 6)[ゲイマーケットが冷め始め変革を迫られているメンズファッション界。]
 確実に、2シーズン前から世界のメンズマーケットが変化し始めた。
この10年以上の間、そもそもは‘85年来、ゴルチェが登場し「オムオブジェ論」をコンセプト
にメンズ界の教祖的存在になって以来、特に’90年代の若手メンズデザイナー達は自らたちも
そうであって当たり前のようにゲイ化し、ゲイマーケットをターゲットとしてビジネスを行って
きた。だが、ここに来て“エイズ以降“彼等、ゲイたちの生活様式が変化し始めた。
 彼ら達もそれなりのライフスタイルそのものを楽しむ方向へ転化し始めたからだ。
その主流は、健康スポーツ志向へ向い、高級スポーツ・ジムでの身体造りに励む事が彼らたちの
ライフスタイルでのプライオリティーになる。続いて、イベント参加、CD&DVDとライヴ・
コンサートそして、バイクと旅行、ハイテク機器と料理とインテリア関連と続く。
ファッションはH&MでO.K.という彼ら達の”NEW NORMAL“な時代が新しい。 
 その結果が、“ノーマルな男たちへの普段着を贅沢にオシャレさせよう“という魂胆が再び、
メンズマーケットのメインになり、着易くコンファタブルなジャケット中心の”シンプル&
ラグジュアリ―”がキーワードのコレクションへと変化し始めた。
 その兆候として女性デザイナーたちが、川久保玲、エルメス・オムのヴェロニックやS.リキエル
たちが造るメンズ服が熱くなった。
 日本では“オカマ“マーケットがソフィスティケーテッド可能なのだろうか?

 7)[一ファッション企業Dieselのプロモーション事業でしかなかったファッション
コンテスト、IT’S#2]

 昨年、イタリーの国境の街トリエスタで始まったファッションコンテスト“IT’S”に僕も昨年の
第1回目の審査員でそして、今年もプレスとしての招待で参加させてもらった。
 ここで判った事は、このインターナショナルな規模のファッションコンテストはEUで幾つか
行われている、代表的なものはフランスのイエール・コンテストなどとその最終目的が違って
いることだった。
 考え様では、これも21世紀型といえよう。
現在、行われているファッションコンテストの多くがインデペンデントなデザイナーへのパリ
コレへの登竜門的性格の“イエール・フェスティバル“のようなコンテストか、自分たちの国の
ファッション産業そのもののレベル・アップの為に行われる、スイスの“GWAND“や
素材メーカーがバックアップして自分たちの素材を若いデザイナーたちに使ってもらい新たな
可能性をプレゼンテーっションし、問うためのイタリーの“ミッテルモーダ・コンテスト“等の
種類に分けられるファッション・コンテストなのだが、この“IT’S#2“はスポンサーである
イタリーの”Diesel社”の広告販促と自分たちの企業へ、世界レベルで才能ある可能性豊かな人材を
探し、見つける事が目的のファッションコンテストなのである。
 そのために、世界中のファッションデザインスクールの学生や新卒者を対象にし彼らたちを
選ぶ審査員も世界中から招待した雑誌を中心にメデア関係者、有名バイヤー、ヘッドハンテイン
グオフィスそれに、デザイナーたちを巻き込んだ規模のものとなっている。
 従ってこのコンテストをオーガナイズしているのは地元の”広告代理店”と元、ミッテルモーダ
でオーガナイズをしていた女性が“Diesel社“と組んでの、なかなか強かな構造を構築したもの。
 この規模で、この様なファッションコンテストが出来る“Diesel社“は今、手中にした地元
イタリーの幾つかの生産工場とマルタン・マルジェラブランドそれに、メインのデニムラインが
好調な印なのであろう。ここにも生産背景を手中にした企業が強い証拠を見せてくれている現実
がある。
 この勢いで行くと“Diesel社“はここトリエステに“Dieselタウン“を作って、ファッションと
ストリート・スポーツとアートそれに勿論音楽、ゲームをエンジョイさせた21世紀型の
「ファッション・アミューズメント・タウン」を環境化してしまえば面白いのにと僕は考えて、
知り合いである“Diesel社“の社長へ提言する。
 本当は,日本にこの様な21世紀発想の新しいファッション環境が街ぐるみの規模で
プロジュースされれば面白いし、今後の対中国戦略とアジアにおけるファッション・キャピタル
としての可能性が考えられるのだが。
 21世紀も10年を過ぎる頃には僕たちの国、日本は今後、「観光立国」としてしか国際的には
立場が無くなるであろうから余計である。
 東京アパレルが自分たちの新たな人材を捜す時にこれだけの心意気で“規模とリスクとコスト“
を掛けてやるだけの企業が在るだろうか?

 8)[みやげ物ブランドを考える価値がある東京アパレル。]
 僕の思い込みでの将来の日本は先にも書いたように「観光立国」化するしかないであろうと
真剣に想っている。
 勿論、「日本的新・観光国」である。ファーイーストとしての、伝統的なる日本、世界遺産の
日本各地、ポスト・モダンの先進国としてのハイテク・日本そして、アニメ・ゲームと風俗をも
含めた東京・アミューズメントこれに新たな産業、お台場カジノがやがて加わるであろう。
 この根拠は2008年の北京のオリンピックゲームと2010年の上海での万博以降の中国が
かつての日本よろしく確実に、物的欲望を喚起する「大衆消費社会」構造へとイデオロギィーに
関係なく、“様変わり“をしてゆくと読ん時に、この発想が一つ考えられる。
 僕は世界のファッション ラグジュアリー企業の最近の東京進出ラッシュによるこの街の
様変わりはその殆んどが、対中国へのプレゼンテーション機能も考慮された“サンプル都市化“
状態がその根幹だと認識している。なので、その中国からの観光客を呼び寄せることが、これか
らの「日本的新・観光立国」化と、インバウンドには欠かせない”お得意様”であろう。
 そこで、「日本的新・観光国」の”土産物マーケット”が気になり、日本のみやげ物の実態をTV
で見た。全国のみやげ物菓子で一番が歴史的にも江戸時代から在る、お伊勢名物の[赤福]で年商
約90億円。続いて比較的歴史の浅い戦後の商品、北海道の[白い恋人たち]、これはJリーグ誕生
と関連があり、これで年商約85億円。すごい事である。東京の[東京バナナ]も新興みやげ物では
トップ。これらはワンアイテム・ビジネスである。もしかしたら、[消費されないデザイン]という
コンセプトが適応されるであろう世界だ。
 これをファッション業界で考えてみたらどうだろうか?
多分、[古着 ]や[裏原]ブランドそれに「竹下通りブランド」が僕はこの分類に入ると思っている。
この街へ来たら買って帰るT-シャツそして、馴染みになるブランドそのもの。言い換えれば、
[街ブランド]である。そして、この手の元祖は大川ひとみの[MILK]であろう。その証拠に今の
[裏原]系ブランドのデザイナーと称されている藤原ヒロシを始めとした連中はひとみさんに可愛が
られて社会へ出てきた連中が多い。当然、彼らたちのメディアとの関わり巧さも大いに手伝っているが。
 40年近くの歴史の戦後のこの国のファッションアパレル産業も気が付いてみると未だ、
[ナショナルブランド]といえるブランドが無い。例えば、”ブルックス ブラザース”、”ラコスト”
”バーバリィー”などなどである。
 日本の大手アパレルが売上を競っても所詮、ワンブランドの最好調期は3,4年周期しか継続し
ないのが現実である。日本には、戦前からの素材メーカーと生産工場が構造化された産業環境に
よって再発展してきた戦後アパレルと、それに続くデザイナーブランドとキャラクターブランド
そして、“裏原“系の1発屋ブランドの現在に至るまでそして、最近では“SPA型“という小売業が、
その生産背景を中国方面へ発展させた「大量生産と大量販売」構造をグローバル時代の波に
乗ってモノつくりを行い、ワンシーズンにより回転数を多くし、実質の売上を伸ばして来た
「SPA型」アパレルが現在までの日本のファッション産業の変革であろう。
 そして、そのための情報量と速度はインターネットによって加速し、従来のMDは今では
より消費者へ近づき、店頭MDが大切な情報源にもなっている。
 しかし、我が国のファッション産業の最終コンセプトは40年経っても変わらず、
「消費されるデザイン」と「差異としての時間差的価値観」でしかない。
 ”グローバリズム”と言う汎世界的経済構造を構築された現在、この辺でファッションデザイン
も「消費されないデザイン」というコンセプトで新たなビジネス方式を考えてもよさそうであ
る。
 ならば、今後の「観光立国化」と「スーベニィール・ファッション」という新たなビジネス
コンセプトも考えられるであろう。

 9)[21世紀の新しい環境とランドスケープとしてのプラダビル]
 最近、“六本木ヒルズビル“が出来たが、これは残念ながら[遅れて来た20世紀のショッピング
テナントビル]でしかない。美術館を併設しているが、所詮”貸しビル業”出身の仕事である。
 従って何一つ、新しいさ在る商業施設としての21世紀を予言し、それを構造化していないし
また、21世紀の風景も作り出してはいない。規模が大きいだけで環境もアクセスも都市機能も
そして、テナントとそのデベロップメントも20世紀型の延長でしかない。
 その一方で、遅れて出来上がった“プラダビル“は21世紀の顔をしている。
建築そのものだけではなく、使っているマテリアルもそうだし、敷地の使い方、ユーティリテイ
としての空間の使い方そのものが新しい。幾つかの勾配斜面を作り上手にゾーニングし決して、
大きくない敷地を見事に豊かに新しい“ランドマーク化“している。地元の従来からの風景を、
横裏に当たる所に在る“マニマンダラ“のハーフチェンバー様式の建物を上手に取り込んでもいる
 そして、僕が1年前に提案していた「垂直のガーデニング」をここでは苔/モスをネット上に
仕込んだバイオ・タイルを作ってこの敷地境界面をゾーニングしている。強いて、欠点を言えば
地下への導入部のエントランスのデザイン的こなしと素材感が今一貧弱である。この建築設計は
バーゼルの建築家ユニットが請負った。
 これから、表参道界隈は日本人建築家の作品ラッシュになる。伊東豊雄のTOD’Sから黒川記章
に、妹島和代のDIORそれに向かい側に安藤忠雄。さて、どんな21世紀を彼らたちが”環境と
ランドスケープ”として見せてくれるのであろうか? 
 決して、東京をニューヨーク化する事が21世紀ではないことに気が付かなければならない。

 番外) [次期パリ・コレでのトレンドは‘92,3年が再び???]
 湾岸戦争、ジェンダー、フリーダガーボ、レゲエミュージュック、パンキー、不確実性、不安、
グランジ、リ・メイク、厚底、デ・コンストラクション、フィット&ルージイ―、プリント、
ニュー・迷彩等などと、何でも有りのモードの世界のトレンドと称されて発信された”環境と
ランドスケープ。”
 そして、クリエイティブ・コンセプトは「ネオ・プロテクション/ネオ・カモフラージュ」、
イメージング・ソースは仏映画「レオン」であろうか?

 [終わりに]
 もう一度、再確認してみよう。
「僕たちは既に、21世紀に生きている事を❗️❗️
そして、僕たちの未来を豊かにポジテイフに考え、
 次世代の子供たちのための「大いなる空想旅行」を❗️
そして、「新しい環境とランドスケープ」を思惟してみよう。
 ならば、それから逆算して今を考えたとき、
本当に今、ファッションデザイナーは何をデザインしなければいけないか?
 この新たな方法とは?この発想と順序付けが大切なこと、
それ自体が時代性ではないだろうか?
 これが21世紀型「アヴァンギャルド、再び!!」の真意と根幹である。

 [過ぎてゆかない過去]の中で漂っている僕たちの21世紀から大きく窓を開け、
未来をポジチィフにかつ、思慮深く感じ考えてみよう。
そのための“深呼吸“も忘れないように!!
合掌。
初稿/2003-08-26:
文責/平川武治:

投稿者 : take.Hirakawa | 2003年08月26日 20:37 | comment and transrate this entry (0)

2003年08月07日

「21世紀のカジュアルウエアーとプロテクション」或いは、『距離の消滅』から『距離の消滅の完了』という時代性について。」

 「新版「The ARCHIVES Le Pli」/03;
「21世紀のカジュアルウエアーとプロテクション」或いは、
『距離の消滅』から『距離の消滅の完了』という時代性について。」

 これは、ノオトブログ Le Pliの2003年のアーカイヴ原稿です。
初稿/2003-08-07:再校正を9月13日;
 ***
 今回の僕の眼差しは、
<「距離の消滅」を御和算或いは、リセットした「新型コロナ」>という試論です。
 この原稿のように、”『距離の消滅』から『距離の消滅の完了』”でしたが、
今回の「新型コロナ」以降のバンデミックによって、世界は「三密」という、「新型コロナ」が
齎した”新たな普通/New Normal”のコンセプトは、再び「距離」を設定し、なくなり始めた
「差異」あるいは、「距離」が、再び生活環境と空間に再必需。
 しかし、今回の「新しい距離」とは”実距離”では無く、”バーチュアル”な「距離」が、
これからの「新しい普通/New Normal」の生活における”距離”となるのだろう。
 ここでは、確実に「時間観」が変革する。
そこでは、「自由」も”バーチュアル”化する。
 では、この”バーチュアル”な「距離」は再び、新たな「差異」をも生み出すのであろうか?
この「”バーチュアル”な”差異”」によって、モードの界も新たな価値を生みださるのだろうか?
 
 ***
「”HOME IS NOT A  HOUSE.”
---21世紀のカジュアルウエアーとプロテクション。
或いは、『距離の消滅』から『距離の消滅の完了』という時代性について。」

初稿/2003-08-07:
文責/平川武治: 

 『人間のこの地上における関心事は全て、ホックやボタンを掛けられ、
衣服によってまとめられている。』
Thomas Carlyle:

はじめに;
 僕たちは既に、21世紀にもう、3年も生きていると言うのに、毎日の生活に於いてこの現実
感と意識はどれほど存在しているのだろうか?
 モードが時代の表層であり続けているとしたらそれらがどのような要因で僕たちの路上へ変化
を及ぼし始めたのだろうか?

仮説『距離の消滅』と『距離の消滅の完了』;
 ここで、一つの仮説を提言して、モードと現代社会の関係を僕も住んでいる東京という大都市を
サンプリングして改めて考えてみよう。
 20世紀という時代とその文明はあらゆる意味で『距離の消滅』のためのモノの発見や発明
そして、進化のための時代だと仮定出来るだろう。そうした時、例えば新たなるモノとしての
ハイ・テク機能を多重化し日本化した”携帯電話”の登場と我が国におけるその、"ケイタイ”の
発展・進化の速度は本来のコミュニケーション機能をこれもまた、日本的にコンビニアンスで
一元的かつ短絡的なものへ変質させ、20世紀最後の日本国民の新たな必需品と化してしまった
 これによって、20世紀末期の東京では既に、『距離の消滅の完了』が僕たちの生活環境の中
で日常化してしまったと言える。
 ここで言う『距離』とは、空間、人間、時間、関係、カテゴリィ、クオリチィ、性と国、
イデオロギィーそれにグローバル化等までをも含めた『距離』を考える。これらは日本という
島国の国土の狭さ、人口の多さそして、階級のない敗戦後の諸コンプレックスを拭い去るために
勤勉に働き、その多くは思想無き大衆化した表層的には単一民族のハイ・テク中流消費社会構造
での『距離の消滅の完了』であり、この状況は他国に比べて顕著に,早々に表層に具現化してし
まった。
 ボードリヤールが既に指摘した『全ては狂宴/オージーの後』化状態が現在の東京の路上で
あろう。そこには人間本来の楽しみや面白さと共に哀れさや儚ささえもが強かに、単一的に、
ノイジィーに過敏に同居した虚飾な業の日常化でしかない。本来、1世紀を掛けて成されるべき
事が戦後の僕たちの国では僅か50年足らずで成された結果が全ての不調和、不自然さをも日常
化してしまったからだろう。元来、日本人が持っていた価値観や美意識では決して、認められ
得なかったはずの大切なこゝろから安らぎが消えた。結果、精神的な空虚さとこゝろの寂しさを
背負い込んだ僕たちは既に、10年程以前に『オタク』と言う新しい言葉を探し出し、手探りも
しないままで他者との距離感を無理やり作った。そして、与えられたあらゆる過剰な情報を元に
して各人が背負い込んだ『寂しさ』を共有する事で得られる一時的な安らぎを「消費」という
現実行動に求めた。あらゆる世代の日本人が以外とポジチィフに自分たちが求める安心を社会の
最表層を漂って、誰でもがすぐに手を出し易いモードの世界即ち、『流行』の『記号』=
『/ブランド・マーク』に委ね、癒す事の虚飾も含めたあらゆる心地よさを憶え、味わい続けて
いるのが現実の大衆消費社会の東京であろう。

「モードとポスト モダン」そして、「ファッションDJ」;
 モードの世界での‘90年代後半以降、より現実になった「距離の消滅」はTVやインターネット
それにPCとそれを使っての印刷メデイアとイメージングの高度な発達によって、”シーズントレン
ド”を発信するコレクションとその分析情報が即座に、同時に世界規模で見たい人たち、必要と
する人たちへ、アマチュア/プロフェッショナルの区別無く、確実に届くまでの速度と言う時代
になった。一方では、コレクションデザイナーたちによって発信されるクリエイティビティにも
それなりに、”在るべき差異”が無くなり、ビジネスのために発信される”トレンド”を中心に
毎シーズンが過去のノスタルジアに基いた幾つかの”小さな塊”が投げかけられるだけの現実と
なってしまった。
 モードの世界もここでは既に、「ポストモダン」状況が現実と化して、かつてのような
「大きな塊」としての、眼を見張り心躍るようなマジシャンよろしく、知的に大胆かつ繊細な
クリエーションを見せてくれた、80年代からの偉大なファッション・クリエーターたちの存在
が殆んどと言って良いほどに少なくなり、「ポスト・モダン」社会特有の「大きな物語」に変わ
って、「小さな物語」のモード化現象を生んでしまった。
 それらは既に、時代の”気分”や”雰囲気”、”心の情景”を大切なキーワードにノスタルジアと
いう「過ぎてゆかない過去」をアーカイブとしてそれらをサンプリングし、リ・ミックスや
リ・メイクという音楽的な発想と手法それに、ヴィジュアリテイーにのみ委ねた服つくりを行う
30歳代前半の、「ポスト・モダン以降」の新たな作り手が多く登場し始めた。
 その結果、路上での若者達の日常着としてのスポーティ‐カジュアルウエアーは「スポーテイ
ー・ミュージュック カジュアルウエアー」と化し、コレクションデザイナーたちとの在るべき
はずだった距離が無くなり始める。
 この結果、最近ではこのような音楽的発想とサンプリング手法によってヴィジュアリテイのみ
をイメージングするデザイナーたち、「ファッションDJ」もコレクションを行う時代にもなった。

モードにおける「距離の消滅」と「プロテクション」;
 「距離の消滅」は「未来」をも消滅させたかのように彼ら世代にとって未来は不毛化し
「今日」だけが残り続けている。かつてのモードの世界のアヴァンギャルドなる言葉も消滅して
久しい。その結果、『イメージとリアリティー』の距離も消滅した。
 例えば、この新たな現実を即座に嗅ぎ取ってビジネスチャンスとして登場したのがモードにお
けるグローバリゼイション。発信されたトレンドはこのグローバル化によってより特化したデーテ
ルデザインか、ベーシックに純化されたクロージングの世界で路上に登場し「クロージング/
衣料品」のモード化が「SPA」と言う手法によって、スポーティカジュアルウエアーを進化させた
 そして、モードが時代の気分や奮囲気そして心の情景や安心を新たな表現価値とし始めた時、
モードの機能は変質し始め、『より、心地よいか』『より豊かな感情でいられるか』『より、
素直な自分らしさの心や気分で居られるか』そして『安心』が得られるか迄の現代的なる
『プロテクション』が新しい意味の拡がりを持った大切な『モードのヒューマニズム』現象。と
なる。これらはスポーティカジュアルウエアーともシンクロしながらその距離をうつろい、消滅
させながら、新たな「SPA」と言う工業化で進化してきた。
 当然、この『プロテクション』はデイテールのデザインのみに求めずむしろ、「色」「模様」
「分量」との”バランス観”から生まれる「調和」そして、「素材感」「手作り感」「和み感」等
より、エモ‐ショナルな要素を重要視し始める。
 そして、これらは以後、スポーティ‐カジュアルウエアーの世界を含めた新たなモードの世界、
全般の『共通言語』となり始めた。

モードの新たなコンセプト、「プロテクション」;
 東京の路上での若者達のモードはイラク戦争を待つまでも無く、”ケイタイ”の登場と共に彼ら
たちの日常着としてのスポーテイ―カジュアルウエアーの分野で既に、あらゆる意味でポスト・
モダン社会への『プロテクション』化が始まっている。
 ここで現代社会に於ける「新たな環境」の眼差しを試行してみよう。
新しいモノの日常化によって僕たちの生活そのものや生活様式、環境が変革した。それらの中で
の人間の立居振舞やルールとしての躾などまでもが変化した。当然、生活者としての当事者であ
る人間の心の在り方までもが変質してしまう可能性が在る。例えば、先の『ケイタイ』の日常化
によって「HOME」と言う概念が全くと言って良いほどに変化しはじめ、若者たちは路上へ溢れ
始めた。そこでは、『HOME IS NOT A HOUSE』と言うコンセプトが考えられる。
 これは単純に『ケイタイ』の出現によって何処でもが「HOME」化してしまうと言うまでの
発想である。このコンセプトを元にモードを考えると、「新たなプロテクションを考えたホーム
ウエアー」が最新のモードに為り得る。考えられる事は可能なプロテクションをデザイン概念
として、『楽、派手、ベーシック』に時代の雰囲気をミュージュックDJ感覚とスポーツ感それに
ヴィンテージ・テイストをベースに味付けし色感、素材感と分量感によってプロテクションが
デザインされたニュー・ホームウエアーの世界である。
 これが僕の、ケイタイ以後の東京発信の路上に於ける眼差しであり、スポーツウエアー観で
ある。事実、東京でのストリートカジュアルウエアーでビジネス的に成功しているブランド、
例えば、”ハリウッドランチマーケット”や”コムデギャルソン・シャツ”等と”アンダーカヴァー”
で代表されるいわゆる”裏原系”はこのカテゴリー・ブランドと僕は分類している。
 従来の『PROTECTION』は人間が人間らしく安全に生活を営む為のあらゆる『機能』に対する
プロテクトであった。例えば、対自然環境や自然現象としての天候までも含めた従来のプロテク
ションから次には、「対社会環境、制度やモラル」に対してまでの機能とてのプロテクションで
あった。しかし、現在では、”より豊かに人間らしい内面”を優しく穏やかに生きるための新たな
プロテクションである。従って、『心的、精神的かつ、健康的』な意味を強く持ち始めた事だ。
それに勿論、『性的』なプロテクションまでも含まれるのが現代の『PROTECTION』であろう。
 従来のそれは”殻”をイメージ出来るクローズドな発想で物理的側面が強かったが、新たなプロ
テクションは”羊水”がイメージであり、よりオープンでエモーショナルな五感的発想へと移行し
始めている。現代の路上ではヘッドホンで自分たちの好きなファッションで、好きな音楽を聴く
ことそのものが”PROTECTION”行為である。

都市、東京と「距離の消滅の完了」;
 このようなハイ・テクノロジーを実生活に取り込んだニュー・メディア社会に於ける最近の
東京発のストリートウエアーはここ一年ほどで今までモード先進国だったロンドンや巴里を始め
とする路上のKIDSたちへ、”アニメと漫画”をも携えて現代の”新たなジャポニズム”として、
大きな影響を与え始めた。そして、この東京のストリートファッションが即ち、”スポーティ
カジュアルが今、面白い”とこの街を訪れる外国人デザイナーたちも多く増えた。
 それはこの東京が既に、「距離の消滅の完了」が成され、従来在った筈の他者との距離が、
在るようで、消えてしまったことからの”あらゆる不安”が彼らたちの日常着としてのスポティ‐
カジュアルウエアーにより多くの要素とそして、デイテールに”プロテクト”を必要とし始めた。
 彼らたちの遊び道具もウオークマン以後、ゲームボーイ、ポケットカメラ、スケートボード、
ローラーブレード、キックスケートそして、デジカメ、ケイタイなどの全てがパーソナル・ギア化
し、日常生活の中へ世界に先駆けて、サイバー・リアリティを新たな環境にしたことでも理解
出来る。従って、この東京の若者たちの多くは一足先に、20世紀状態から抜き出て”路上が
全て”と言う、嘗ての「ヤンキー」がマイルド化された。しかし、その根幹の多くが「ヤンキー
的」である事によっての”知性と豊かさ”のバランス観不在、多くは悪趣味に満たされた”何でも
あり状態”と言うリアリテイーそのものが東京を外国人を驚かす21世紀にしている。
 それは彼らたちにとっては、『全てが、狂宴/オージーの後』であるが為に、『距離の消滅の
完了』の兆しを実際に感じるが為に、一つの”未来観”をこの東京と言う都市環境から体感出来る
からであろう。

「差異という距離」はモード世界からなくなるのか?;
 現代ファッションの面白さとは、全てに”差異”を感じたときの興奮度であっただろう。
すなわち、「他人と違う」という感覚が生む”差異”であった。しかし、最近では、「他人と同じ
ようなモノ」、をチョイスすることが、”ファッション”的になってしまった。
 全ての”差異”によって、「近代」が生み出した資本主義経済が構築化されている筈だったのが
この最近の『距離の消滅の完了』の加速によって、あらゆる表層的な”差異”が消滅し始めたため
であろうか、今後は二つの大きな流れが生まれるだろう。
 一つは資本主義経済構造そのものの「パラドックス化」と、もう一つは、消費構造そのものが
今後、より差異化のベクトルを求め「階級消費社会構造化」が始まる。
 これが現在進行中のモードにおける『ラグジュアリィー・ビジネス』化の本意であろう。

 最後に、ファッションは約100年という時間を費やして『WRAPPINGからCOVERING
そして、PROTECTING』へと21世紀の実社会とパラレルに進化して行くのだろうか?

****
おわりに; 
 このアーカイブ原稿から、わずか20年足らずで、僕たちの実時間の流れが、「新型コロナ・
ウイルス」によって突然変異してしまった。
 結果、「距離の消滅の完了」が、再び、「在るべき、距離」を意識する実生活が始まった。
一方で、「新たな資本主義社会」構造を考えるべき事態と、その実生活においては、従来にも
なかった、「三密」と言うコンセプトによって、極めて、”保守的な”「距離」を要求し始めると
言う、この時代性とは??????
 大いに、新たな可能性が見え隠れする”New Normal”ですが、いかがでしょうか?
文責/平川武治:

投稿者 : take.Hirakawa | 2003年08月07日 04:25

2002年10月28日

新版「The ARCHIVES Le Pli」/この”平川武治のノート-ブログ”に新たに、今までの掲載分から選択したアーカイブ集を始めました。「The ARCHIVES Le Pli」03 S/S パリ・コレ 平川版

 新版「The ARCHIVES Le Pli」/
この”平川武治のノート-ブログ”に新たに、今までの掲載分から選択したアーカイブ集です。 
 
 今回も、日記風に書く。
 新版「The ARCHIVES Le Pli」-02:
「03 S/S パリ・コレ ひらかわ版;」
 この”平川武治のノート-ブログ”に新たに、今までの掲載分から選択したアーカイブ集を
始めました。

初稿/2002-10-28

 21th.OCT.02/
  アントワープで「incubation gallery DISCIPLINE-JAP」をオープン;
 コレクションが始まる前の9月の半ば過ぎ、2週間ほどはアントワープ。
9月21日にこの街に新たに完成した「モード美術館」のオープニングに合わせて、
僕も「incubation gallery DISCIPLINE-JAP」をオープンさせ、レセプッションを開き多くの友人
たちが、巴里からのWWDのロバート夫妻、モード美術館の館長に就任したリンダ・ロッパと巴里
のI.F.M.のチーフファッション・ヂィレクターのフランシーヌ、マガジン・Cの編集長ゲルデイー
を始めアカデミーの先生や生徒たちとU.A.の栗野さんやバイヤーそれにウオルターたちも。
いっぱいの人たちが、集まってくださってオープニングが出来た。このギャラリーは名前の通り
ファッションを学んだ元学生たちが実社会へ出てゆくために役立てて欲しいと言う思いでの
スペース。展示会や展覧会それに彼らたちのプレゼンテーションに使ってくれればという発想の
ギャラリィ。今このコンセプト・ドシエを製作中。御楽しみに。

 JACOB S.社の100年展の企画。; 
 その後、チューリッヒへ行き10年来のこの街の友人たちと2004年にチューリッヒ
ナショナル美術館でオートクチュール素材の企画展を行うための打ち合わせ。
これは僕も大変に勉強になる仕事。
 チューリッヒの郊外約80K.の所にザンクト・ガレンと言う織物の町がある。
ここに古くから、100年を越えて受け継がれ、今も盛んに美しい、良い素材を作っている
クチュール素材専門の素材メーカー、JACOB S.社のための企画展。この”ザンクト・ガレン”は、
8世紀には既に、麻、亜麻織物産業が始まり、18世紀には綿工業が主流になり、19世紀からは
精緻な刺繍やレースの産地として広く知られる町。
 JACOB S.社はパリのクチュールメゾンの御用達素材メーカーで、最近では、スワロスキーの
クリスタルをシルク地に打ち込む技術開発によってより、需要が広がった。
ここのチーフディレクターマーティンが、ロンドンのセント・ マーティン校で教鞭をとっている
ことから、日本人のインターン生も嘗て、はいたと言うところ。
 そして、今回は組む人たちがみんなプロなので楽しみ。

 コレクションが始まる。;
 そして、アントワープ経由で再び、巴里。
僕が始めてこの街へコレクションを見るために来たのが‘85年。それ以来、一度も欠かさずに
コレクション詣での状況が続く。
 そんな僕が今、振り返って思うことは‘93年ぐらいまでは僕も好奇心旺盛に情熱を持って見て
いたが、それ以降は少しずつ惰性的になって来ていると感じる。
 「モードは退化し、服が進化し始めた。」と提言したのが丁度、この時期。
世界情勢が変わり、社会も変化し、生活の価値観が変貌し始め、女性たちの生き方も、身体つき
までもが進化したためであろうか、モードが新たなシーンを迎えたようだ。

 モードに再び、夢を求め始めた、今シーズンのパリコレ、#1;
 マルタン・マルジェラの一件でその前月迄を賑わしていたパリのジャーナリストたちもこの
時期が来るとモデムと会場にその神経が集中する。
 近年来、ここパリコレもトレンドだけを捜すためにであれば初日から2,3日で既に、読めて
しまう程の現状になってしまった。
 先ず、総括的な今シーズンのモードの状況とそこから生まれたトレンドを紹介しよう。
いつも良く聞かれる質問「トレンドは誰が作るのですか?」の答えは今シーズンを見ても解る。
それはデザイナーではなく勿論、素材メーカーである。素材メーカーが1年先のコレクションの
基礎となる”トレンド・フレーム”を発案し、プルミエール・ビジョン(パリで催される合同素材
展)でプレゼンテーションを行う。これが一年先のトレンドの”基礎フレーム”である。
そして、現在ではその殆ど、何らかの形でビジネスが継続しているプレタポルテ・デザイナーたち
はこのプルミエール・ビジョンへ出掛ける。
 悪く云ってしまえば、「ワラをもすがる」ために、いわば、第一のビジネスの安全パイを手に
入れるためにこの素材展”プルミエール・ビジョン”へ出掛ける。多分、最近の傾向を見ていると
この安全パイを先ず入手するデザイナーは以前より増えたことでコレクション初期に既に、
「トレンド」が読めるようになった原因であろう。若いデザイナーも、売る事を意識し始めたと
も読める。
 従って、大半のファッション・デザイナーは”トレンド”を文字通りデザインするだけだ。
この時に、「自分の世界観」で”トレンド”をどのように、”デザインするか”がそのデザイナーや
ブランドのアイデンティティとなる。素材メーカーが与えたトレンドフレームの中で彼らたちは
素材を選び、テーマ性を考え、インスピレーションを探し求め、自分たちの世界観をどのような
イメージでショーイングするかに掛ける。これが「コレクションを創る」と言うことである。
 最近の若手デザイナーたちのその多くが「ネタ」を過去のデザイナーの作品やモノからサンプ
リングしリメイクして”時代の気分”を自分の美意識の中で一つの世界観を創造する作業そのもの
が、『未来への閉塞感』、『未来への不安感』が時代観になってしまい、過去のノスタルジーへ
その拠りどころを求め出したのがここ数年来のモードの現実である。
 即ち「時間がスローになり」結果、「明日を想うために、昨日を探す。」ことがでザインする
手法になりつつある。

 そこで、今シーズンから僕は新たなデザイナーのカテゴリーを考えた。;
 従来は、【ファッション・クリエーター】【ファッション・デザイナー】だった世界に、
‘91年のトム・フォードの登場と共に、【ファッション・デイレクター】がこのモードの現実に
新たなデザイナー・カテゴリーとして登場し、この約10年間が賑わった。
 しかし、21世紀のファッションデザイナーのカテゴリーとして、僕は【ファッション・D.J.】
を加えたい。
 ここでこれらのファッション・カテゴリーを少し、説明しておこう。
 【ファッション・クリエーター】とは時代をクリエートする事とモードをクリエートする事が
自らのアイデンティティとコンセプトによって、同じクオリチィー・レベルと感覚と美意識で
時代と服をクリエーションして来たデザイナーたちだ。A.アライア、J.P.ゴルチェ、川久保玲、
M.マルジェラ、J.ワタナベ、H.チャラヤン、B.ウィリヘルム等がさし当たって思い出せる。
 【ファッション・デザイナー】これは先程にも書いた”トレンドをデザインするデザイナー”で
ある。プレタポルテの世界は大半がこれである。
 【ファッション・デレクター】とは”ファッション・ビジネスのMD”をイメージングするのが
上手く、巧みなデザイナー。勿論、彼らは服のデザインだけではなくもっと、トータルに、
ファッション・ビジネスそのものをイメージ・デレクション出来る新たな人種とでも言えるだろう。
 【ファッション・DJ】MTVジェネレーションたちのモードへの参加現象で誕生した。
これは今シーズンのアンダーカヴァーやラフ シモンズが代表であろう。そのネタは”ザッピング”
によって他のデザイナーのものから”サンプリング”してそれらを今の時代の気分にヴィジュアル
的に上手にまとめ上げる連中の事である。当然、彼らたちには”オリジナル”は必要なく
”オリジナル”に対する貞操観念は皆無である。自分たちが今の時代でカッコいいと思ったものを
サンプリング或は、パックっての”ヴィジュアルゴッコ”。これは彼ら、ファッション・フェロー
たち、ニューゼネレーションの新たなファッションデザインの領域でもあろう。彼らたちの
クリエイティブキーワードは≪ザッピング≫≪サンプリング≫≪ヴィジュアル≫≪カッコ良さ≫即ち、
ミュージュックD.J.のファッション版でしかない。「ストリート+ミュージック+ファッション」
がクールの根幹だと言う世代。
 これは現在の日本では他国よりも環境が発達している。その為に、このタイプのデザイナーが
殆んどが、日本の状況である。メヂィアがモノ情報のカタログ化状態であるため≪サンプリング≫
のネタが多いというだけである。そして、≪大きな物語よりも小さなデチィールのサンプリングに
よるヴィジュアル化≫現象、これは≪ポストモダン≫社会の超・消費化現象の一つでもあろう。

 新らたな見事なまでのモード・マジシャンが居なくなり始めた。;
 そして、これらのモードにおける構造変化の要因は90年代始まりの、「モードは退化し、服が
進化し始めた。」頃より、本質的なモード・クリエーションの領域が不明確になって来た事。
もう、殆んど、新たな見事なまでのモード・マジシャンが居なくなり始めた事と勿論、その結果
と影響によって、ファッション・デイレクター、トム君が登場し、ビジネスライクのデザイナー
・メゾンの多くがこぞって、このトラックに並び始め、参加した事。
 もう一つは、‘90年も半ば過ぎより安定してきたこれら、「ファッションのマック化」現象の
即ち、ファッション産業のグローバリゼーション化の結果とその反動としての【ファッション・
D.J.】の登場である。
 その為、現実のプレタポルテデザイナーの実状はこの二つの大きな「ファッション・ビック・
マック」に挟まれてしまった。一つはラグジュアリーのファッション・ビック・マックと
もう一つはSPA型のビック・マックに!
 この結果、従来までのインデペンデントなクリエイティビティー豊かなデザイナーたちが
生産面とビジネス面でメインストリームを独立独歩、歩むことが至難化した。
”マック”には「笑顔とスピードと安価」というサービスがある。しかし、そのテイストは割一
で、クオリチィーは???である。
 彼らたち、ラグジュアリィーブランドの笑顔とサービスは膨大な予算でメディアを操る
イメージ広告と店頭MD力である。彼らたちメゾンは、「裸の王様」よろしく、誰を味方に付け、
成金たちや大衆を先導させればよいかを、モードよりも立場やお金の好きなファッション・
ビクティム・ジャーナリストたちを煽っている。
 
 総括的、幾つかの”キーワード”と”トレンド”とは、;
 この様なモードのランドスケープをバックに今シーズンもやはり、トレンドは生地屋が発振し
デザイナーがそれを受けてトレンドをデザインしたコレクション・シーズン。
 先ず、クリエーションコンセプトは「分量/ボリュームのデザイン」である。
そこで、クリエーティブ・コンセプトは分量からの発想で、「サークル/円」そして、
「ジオメトリー」。素材メーカーは喜ぶ。しかし、このコンセプトも早いデザイナーからすれば
既に、5シーズン目に至っているので旬は越したと云える。よって、”テーマ性やイメージ
コンセプト”がもう一方の重要なコレクション軸となる。同じ素材も理屈を別の目線で作れば、
違って感じる、見える。と言う戦法である。
 
 昨年の11th.Sep.以降より、未来が見え難くなり、経済や社会の不安定さ、不確実さと
YSローランの引退後のモードは『モードとポエジー』という新たなポジティフなテーマ性も
考慮始める。
 これらのテーマは「太陽の新しい輝き、光」と「新しく、爽やかな風」そして、
「ファッションに夢、再び」をいくつかのトレンド・テーマの中で謳歌した。
これらの時代性、社会性をくみ取った幾つかのトレンドテーマの一つは『新・ロマンティズム』
素材は綿中心に、ジャージ、カットソー、麻、サテン、シャンブレー、そしてシフォン等など。
プリントは多くが「小花」プリントの謳歌。インテリアファブリックやウォール・ペーパーも
魅力。
 解り易く、ミラノでも主役を勤めたテーマが『セクシー』。
女性の身体つきのパーツをバランスよく、美しくセクシーに新鮮に見せる。着た女性が輝き、夢
再び!というコンセプト。
素材はレーヨン、トリコ、ジョーゼットなどと輝きのあるラメ、スパンコール、シルバーと
ゴールドもの。それに、下着素材が中心とデュポン社のストレッチ素材のダイクラも。
 実際には、このテーマによって、”ミニ・スカート”の再登場や次のコレクションへ影響を
与えるであろう『ソフト・ボンテージ』もちらりと登場。
 「ニュースがモード」のコンセプトは「北アフリカンテイストのエスニック」。
素材は綿、麻、洗いざらしと染め。そして、クラフトな温もり感がポイント。
ここでも花プリント。バックやベルト、アクセサリー類にこのテイストはビーズやスパンコールの
刺繍と共にプリミチィフな施しでより、人間味ある感覚として多く表れた。
 これらのトレンドテーマと「分量豊かなバランス化」というクリエーションコンセプトを
つなぐディテールとして「結ぶ」「しめる」「巻き付ける」「たぐしあげる」と言う機能が多く
登場。その為に「パンキッシュ」も一つの香辛料となった。
 そして、デイテール使いにラメやスパンコールの光り物と、風になびくひもやリボンが多く
表れたのも珍しくはなくなったが”新しい輝き”のためであろうか?

 「どんなデザイナーが良かったかと?」;
 シーズンが終わった今、フランス人ジャーナリストたちから、「どんなデザイナーが良かった
かと?」これも良く聞かれる質問であるが、
 今シーズンで、最もクリエイテイヴィテイあるエキサイテイングデザイナーはH.チャラヤン。
最も美しいショーを行ったのはJ.ワタナベ。最も良いコレクションを行った新人デザイナーは
H.アッカーマン。ワーストコレクションはジバンシー。
 今シーズンで格が下がったデザイナーはV.&ロルフ。若返りが成功したブランドはモンタナを
はじめたS.パルマンティエ。反対に、若返りに失敗したのがR.フェローのJ.P.ノット。
 来シーズンに影響を与えるであろうコレクションを発表したのがM.シットボン。
自らの”ルーツ帰り”でクリアーなコレクションを発表したのが僕の好きな、J.コロナ。
それに、ショーはしなかったがコレクションとしては充実し、彼の個性が溢れ出ていたのが
B.ウイリヘルム。彼のコレクションにはいつも、多くの次回のコレクションのアイヂィアが
溢れている。
 次回は個々のデザイナー・コレクションについて。
ありがとう。T**E.

投稿者 : take.Hirakawa | 2002年10月28日 09:11

2002年10月16日

始めのごあいさつ。

 はじめに、
 遅まきながら、”平川武治のノート・ブログ/The Le Pli”を
周りの友人たちのお陰で立ち上げました。今後、よろしく御付き合いください。

 永年、ファッションジャーナリストという立場をインデペンデントに活動して来ましたが、
やはり、我が国のジャーナリズムが気骨無き「御用ジャーナリズム」と化してしまっていること
に微力ではあるが抵抗したくこれを立ち上げました。
 ジャーナリズムが本来持ちえている「第4の権力」的立場の復活と、ジャーナリズムがある種
の「社会教育」を担っていると言う視点からこのホームページを始めます。
 そして、この”LE PLI”を媒体にして、多くの人たちと好きなモードの世界を中心に 
コミュニケーションが持てればうれしいです。

 この初回は日記風に、僕がパリを軸にしてどのような行動をしているかも交えて書き始めます。
 8月の終わりから東京を離れて先ずはこの街、巴里へ。
そして、アントワープ、巴里、アントワープ、チューリッヒ、アントワープそして、コレクション
のために再び巴里へ。これが今回の現在までの僕の行動。

 8月27日:成田発巴里へヴィエンナ経由で出発。
未だ、バカンスから戻っていない閑散とした巴里も一つの顔。8月も第4週の週末になると流石
この街のバカンス好きな巴里ッ子達もこの街へ戻って来始める。彼らたちを直接的に巴里へ呼び
戻すのがこの街に多くあるアートギャラリィーである。彼らたちが売り出したい作家たちの新作
展覧会のオープニングレセプションである。残念ながら、ファッションは2の次だ。
 今年からちょっと洒落た趣向を凝らしてのオープニングはアート好きな若者たちを喜ばせた。
多くのギャラリィーがあるマレ地区の一角で、ご近所のギャラリィーが共同でオールナイト・
オープニングレセプションを催したことだ。僕も30,31日の週末にはこの催しへ顔を出す。
中でも面白かったのは『BINGO』展。幾人かの若手アーチストたちのポップでガゼットな作品を
同じテーマで界隈のギャラリィー数軒が共同企画での展覧会。古くからの友人で、日本にも幾度
かコレクション写真を撮りに来た事があるフォトグラファー、クリストファー君が全く、新しい
作品で、アートの世界へ登場し、今回の新人展で見事にデビュー。写真とコンピューターを
使って微妙な皮膚感を人工的に合成した写真は医学写真の新しさの様で面白く興味を持った。
 この後、彼はヨーロッパ写真家美術館でアービング・ペンの新作展と共に、ニュー・ジェネレ
ーションの世界をここでも披露している。彼に話しを聞いてみると、彼の作品に興味を持った
この美術館が制作費用を持ってくれて今回の展覧会になったという。よいものを見る眼とその
よい作家を誕生させる公共の構造がこの街には確りと出来ていて、新人であろうが彼らたちの
眼に止れば今回のクリストファーのようにデビューが出来る仕組みが結局、この国の文化の新陳
代謝になっているのだろう。

 「マルタン・マルジェラ・ブランドがイタリーのヂィーゼルへ身売り。」
 コレクションを1ヶ月後ほどに控えた9月の始めにこの意外なニュースが、この街のファッシ
ョン雀たちの口角を賑わせた。今、モードの世界はクリエーションよりビジネスのほうが面白い
と言う典型なニュースである。
 今、我が国では海外デザイナーブランド物ではバッグのLVには及ばないが、服ではこの
『M.マルタン・マルジェラ』が一番良く売れている、人気度の高いブランドが身売りをした。
しかも、あの、イタリーのデニムメーカーの『ヂィーゼル』にである。発表されたのはこちらの
ファッションビジネス紙の『ジャーナルド・テキスタイル』紙。それをニュースソースとした
日本的なが報道が「センケン」紙と「WWDJapan」紙に発表された。当然だが、これらの記事は
余りにも表層しか書かれていない。勿論、当事者たちも余り多くを喋りたくない。しかし、
面白い事件である。結果、こうなってしまったかと言う感じが僕にはした。
 なぜかと言うと、ここ3シーズン来、彼のクリエーションは今、一つだった。
一時の覇気が無くなっていた。丁度、東京にやっとの事で世界での1番店の直営店がオープンし
た頃から、その感じが匂い始めた。そして、多くの彼とそのチームの友人たちにそれとなく話を
いろいろ聞き始めていた結果が、コレだったのかと。

 アントワープのロイヤルアカデミィーを卒業し、J.P.ゴルチェの元で3年半、働きその後、
独立したのがマルタン・マルジェらである。彼が未だ、ゴルチェの所にいた時には幾度か会って
いる。体格がよくいつもキャスケットを被っている物静かなで、ナイーフな青年だった事が印象
にあった。‘87年の3月コレクションを最後にゴルチェのアトリエを去り1年半の期間をその
準備期間として自らのブランド「M.マルタン・マルジェラ」を発表したのが’88年の10月の
コレクション。このコレクションはよく今でも憶えている。
 彼のデビュー・コレクションを見た事によって、僕はこの仕事をしていて良かった、幸せだと
感じたからだ。僕が、マガジンハウスの春原さんを誘って友人のフランス人ジャーナリストに
教えてもらって行ったその会場には日本人ジャーナリストはいなかった。ポンピドウーの裏に
今でもある小さなライブハウス的なところ、「ラ・ガラージュ」が彼の歴史的なデビューをする
場となった。屋外で既に、小1時間は待たされた事、その時あのJ.P.ゴルチェもみんなと同じよう
に待っていた姿が印象深く記憶にある。
 M.M.マルジェラはこのコレクションを機に、僅か5年間で高イメージを築き上げるまでの見事
なクリエーションとショーを僕たちに見せてくれた。デビューコレクションは当然、資金が無い
ため素材はコットンのみ。永く待たされた後に登場したのがトップレスのマヌカンたち。
胸を抑えて出て来た彼女たちが穿いているのがロングのタイトスカート。それから、次々に
上ものがコーディネートされ、スーツになってタイトでスリムな、健康な若い女性の肩がまるで
はじけ出るのではないかと思わせるようなタイトなコットン・スーツそして、僕たち日本人に
見覚えのある地下足袋を改造したシューズ。
 彼が近年に無いデザイナーだと知ったのは僅か5年間で彼自らのパーマネントコレクションを
古着を使ってクリエートしてしまった事だ。これは近年のデザイナーにはいなかったことだ。
そして、次の5年間で自らのクリエーションを定番化しコマーシャルラインの#6、#10など
を完成させた。このコマーシャルラインが売れた。イメージもどんどん昇華した。そして、
第3期の5年目で、エルメスのデザイナーと東京に直営店第1号を持ち、ブリュッセルと6月に
はこの街巴里にも直営店を出店した。この、僅か13年足らずで彼、マルタン・マルジェラは
巴里のプレタポルテ、クリエイチィブデザイナーの頂点に達した。多くのデザイナーや学生たちが
彼の影響を受けた。モードの流れを完全にストリートへ引き落としたのも彼だった。
 ショーイングのアイデイアや会場選択にも彼が新しい流れを創った。そして、14年目を迎え
ようとした時にこの事件(?)である。

 「ヂィーゼル社長がマルタン・マルジェラの株式の過半を取得。」
このタイトルはセンケン新聞のものであるが現実はこうである。
 話は約1年半前ぐらいから起きた。当時、マルタンの生産を請負っていた「スタッフ・インタ
ーナショナル社」が2年前に倒産し、その後デーゼル社が買収した。ここで先ず、マルタンと
ヂィーゼル社の関係が出来た。東京1号店の直営店が出来た頃からお互いのビジネス戦略上で話
し合いが持たれ始めた。店舗を拡張しビジネスを拡大してゆくには「資金」「生産背景」そして
「物流」の充実が必要になる。ここで、「生産背景」はヂィーゼル社の小会社が請負っているの
だから「資金」も「物流」もこのヂィーゼル社が望むのならこの組み合わせが一番明解な組み合
わせである。その結果がこうだとはちょっとおかしくないだろうか?
 「この"M.M.M."自身がブランド拡大を本心から希望したのだろうか?」という疑問から
僕はこれが『真意』ではないという発想から調べまくった。あんなにも確実に5年単位で自らの
クリエーションとイメージングを昇華しながら地に足を着けたビジネス戦略をキャフルに展開し
てきたこのメゾンの本当の問題は何なのだろうか?その結果がこのような状況を創るのが一番の
方法だったのか?誰が一番儲けたのか?エルメスはどのような態度をとったのか?

 確か、昨年の12月頃にかなり多くのスタッフ、7人ほどが辞めた。この中には事実上、
コレクションラインをデザインしていた女性もいた。彼女の場合も、円満退社ではなかった。
一方、マルタン自身は旅行に凝っていて、多くの時間を好きな旅行に費やしていると聞いた。
ここ3シーズンほど、コレクションラインがコマーシャル化し始めてきた。一方、相変わらず、
コマーシャルラインの#2、#6、#10等の売上は伸びていた。ショップが出来てからかなり
店頭MDが入たものが店頭にはまってきた。最初から大好きで見て来ている僕にとってはこの変化
を感じるのは易しい事だった。何か、このメゾンの内部でも”変化”が起こっていると思い始めた
のが7月だった。

 マルタンがJ.P.ゴルチェの元から独立してバッカーを捜して約1年半後に出会ったのがマダム 
ジェニィー・メイレン。それまでの彼女はブリュッセルでかなり大きな洋品店を2店舗を経営して
いた。ギャルソンも売っていたし、ヨウジも扱っていた。彼と出会った彼女は今までの成功して
いた洋品店を処分して彼、マルタンに掛けた。
 いつか,彼女はインタビューで、『彼が私の夢を持って来てくれたのです』と語っていた。
そして、‘88年10月のあの衝撃的なデビューコレクションとなる。以後、彼らたちは2人3脚
でがむしゃらに働いた。特に最初の5年間は20年分以上のエネルギーを使ってチームワーク良
くやって来たから現在があるのだろう。コマーシャルラインのレデイースを見るとその殆んどが
マダムジェニィーが似合う服ばかりである。だからこのブランドがその後、彼女のような多くの
キャリアウーマンに人気があったことが伺える根拠がここにあった。

 一番儲けたのはヂィーゼル社の社長、レンゾー・ロッソ氏である。
彼らたちの約70%の株を買い占めたからである。これからこのようなブランドを新たに造ると
したら、当然、造ろうとしても不可能ではあるが、これ以上の資金と才能とセンスが必要になる
からだ。マダム ジェニィーとマルタンはデザインコンサルタントとして年契約をした。
結果、いつでも辞めたい時に辞められると言う立場を、やっと得た。

 エルメスが買ったら良かったのにと言ったのは僕と元ジャルダンデモード誌のマダムアリス・
モーガンだけだったと後でエルメスのスタッフから聞いたが、何故そうならなかったのだろう?
この一件はここにも一つの鍵があったように思った。エルメスとの契約は後数年残っている。

 当然であろうが、物凄く時期、タイミングを計算した結果の出来事であった。
"M.マルタンマルジェラ・ジャパン"の「ここのえ」はマルタン側と三菱商事との合弁での会社で
あるが、これがこのように整理されるまでこのM&A契約は発表されなかった。
 当初の『ここのえ』はマルタンと三菱そしてオリゾンチィ社との3社間で始まった。その後、
直営店プロジェクトが始まるとこのオリゾンチィ社に力が無い事が解り、オリゾンチィ社を
外そうと持ち株の分担を減らした。が、そうこうしている間にやはり、このオリゾンチィ社が
倒産という行き着く結果を迎えた。その後、このオリゾンチィ社の親会社W系もこの放蕩会社を
手放した。その先が、ライセンスビジネスの伊藤忠。
 従って、三菱はこの数10%ほどの株を伊藤忠から 買い戻さなければならない羽目になった。
そして、それがちゃんと終わった段階でこの買収契約が発表されている。
それに、仙台の最初からの大口取引先である『レボリューション』がマルタンのオンリィー
ショップをオープニングした後での、事の次第でもある。
 全て、計算された結果の行動である。これは当然であるがこれ程迄に計算された結果の本意
には裏が、何かがあるはずだ?

 3ヶ月前には既に、それなりの社員たちには話があったという。
では、M.M.M.ジャパンの『ここのえ』には同じように話があったのだろうか?

 このブランドも然りである、多くの巴里発の海外ブランドの企業成長に我々日本人は
どの国よりも貢献し、愛し、尽くしてきた。
 彼ら、M.M.M.の14年間のサクセス・ストーリィーも同様である、日本は最大の理解者で
あった筈なのに。本当に今後の企業発展のための結果でこうなったのなら、何故、日本企業にも
アテンドが無かったのだろうか?また、エルメスと組まなかったのか?
 その最大の原因は? 

 しかし、彼らたち、M.マルジェラとマダム ジェニーをリーダーとした、彼らチームの見事な
”仕事”である。やはり、彼らたちはプロ中のプロであった。
 スマートでクレバーなファッションピープルたちが駆け抜けた14年間だった。
当然である、マダム ジェニィーとマルタン マルジェラは膨大なお金を手に入れた。
 「輝きそうな石。きっと、輝くと思って一生懸命磨き上げれば、
それはダイヤモンドになった」というアントワープらしいお話。
 彼らたちは、「M M.マルジェラ」と言う”ファッション・キブツ”を構築し、そこから無限の
可能性を育て上げた。
 その後、この”ファッション・キブツ”で働いていたと言う連中の多くが、他のブランドへ
侵食して行った事だろうか?
 
 「あんなにも彼らたちの売上に貢献した日本人たちは、マルタン自身が誰であるかも
知らないままだ。ーFashion is always in fake.」
文責/平川武治:
投稿日/2002-10-16 :

投稿者 : take.Hirakawa | 2002年10月16日 07:59