2021年7月30日

2008年版/『"TOKIO デザイナーたち"が世界マーケットでは、どのようにみられているのか?』

「平川武治のノオトブログ」/"The LE PLI" ARCHIVESー20」です。
 今回は、『「また始まる、東京コレクションの前に、」と題して、
"TOKIO デザイナーたち"が世界マーケットでは、どのようにみられているのか?』が
テーマです。

初稿/2008-03-11 記。
再稿/2021-06-06~
文責/平川武治: 
 はじめに
 望むと望まないに関係なしにそのカルーセルの中に一度、嵌ってしまえば自然の流れで再び、
コレクション発表の時期がやって来る。これは巴里も此の東京も同じである。
 このコロナ以後の東京でも、"変わらぬ顔つき"でコレクションが継続されている。
その実態は結構、惨めな現実をそれぞれのメゾンが被っているであろう。
 「コロナ以後」とは、"三密"が根幹に社会が変革せねばならぬ状況を押し付けられた。
そこでは、従来の"対面販売"と言う"構造とシステムとその仕掛け"がほとんど機能しなくなった
ことが全てを変革させた。"デパートやセレクト"などがカッコつけていた空間そのものが殆ど
意味をなさなくなってしまった。
 ショーの形式も同じであり、ブランドを売り込むための"プロモーション"としてのショーも
若い世代たちがよりわかり易いあるいは、日常的な"ヴィジュアル"として差し出されてしまった
これによって今後、"ショー"はそれぞれのコレクションを発表するために、過大な費用を掛けて
わざわざ、"パリ詣で"を行わなくてもいいと言う新たな視点も生まれるだろう。
 "パリへ出掛けるデザイナー"と言う、ある種の"プライド"も、ここでも「近代」が生み出した
価値が崩壊するまでに至り始めたと読む方が、今後への"可能性"と"新しさ"読めるであろう。
しかし、送られてくる"パリ ファッションウイーク情報"はその眼差しは微塵もない。

このオリジナル原稿は2007年に書き下ろしたものである。
当然であるが、この時期は「グローバリズム」と言う新たな白人たちの"植民地政策"が時代を
風靡した時であり、"中国"という新たな"顧客"と"工場"という両面のビジネスが起動し始めた
時代でもあった。
 従って、"中国人デザイナー"と言っても彼らは本国から、台湾からそして、香港からやはり、
このパリを目指して来た時代の台頭であり、そんな彼らたちの多くは外国で学んだ学歴を持って
いた。この現実はそれまでの日本人デザイナーたちがパリを目指した状況と環境が大きく変換し
始めた時代でもあった。
 従って、日本人デザイナーたちは、かなり"背負い込んだもの"をたくさん背負って乗り込んだ
デザイナーたちが多かった。だから結局、自分たちも"巴里・コレデザイナー"と自負しその仲間
の一員と、同じように勘違いをしてしまう結果になる日本人参加デザイナーが多くなるのだが
本当に、今ウケていると言われている日本発のデザイナーブランドはどのような状況の元で、
このパリで一人歩きし始めたのだろうか?
 昨年の秋('07年)にまとめたレポートをここで、此の時期にご紹介しよう。 

1)一つの眼差し/"新素材"をうまく使って、アッセンブリッジが上手なデザイナーたち。

 ショーもであるが、サロン参加も含めてその数が多くなった日本人デザイナーたちの"パリ・
コレ"ですが、この上昇気流に乗って、フランス文化庁が主催している"ANDAM"でまた、日本人
ブランド"TOGA"が貰うまでの勢いが生まれる。
 この"ANDAM"とは、フランス文化庁がイニシアティブを取って若き有望視されている2年以上
の"パリ・コレクション"参加デザイナー対象に与えられる新人奨励賞的なものである。審査する
人たちはフレンチ ジャーナリストたちとバイヤーたちであり、彼らたちに認めてもらうことで、
本来の、"パリ・コレクション デザイナー"となる。
 この国は"選ばれないと本来の自由は与えられない。"という"階級社会"と言われる所以が
未だ、残って居る国の一つである。
 多分、日本人デザイナーで一番早くこのANDAMをもらったのは当時、パリ在住だった'90年
初めのあの"シンイチロー・アラカワ"だったと覚えている。
 今回の"TOGA"が貰ったことで日本人デザイナーたちはここに来て一つの段階をクリアーした
感が在る。"TOGA"の場合は『アッセンブリッジが上手なデザイナーたち』という資格を貰った
様だ。
 これは前回も書いたのですが,今は日本人デザイナーたちには"時代の追い風"が吹いている。
この"時代の追い風"とは、「新しい世代の消費者」の登場である。これからこの街パリもそして
他のEUの都市に住むイミグレーター(移民)たちの新世代層が中心の、新たな消費者層として
確実にこのEUにおいても『大衆消費社会構造』化へ進展して行くことである。
 これは、取りも直さずかつての、'90年代中期以降の"ストリート•ファッション"全盛の日本
の消費状況が重なって見えるからだ。(参照LePli-0号)
 そして、日本人ブランドの優位性とは具体的には先ず進化した"新素材"がウケている時代性。
それらの進化した素材を案外と"簡単・安価"に使いこなせる状況を持っていること。そして,
生産構造(工場)が日本であり未だ、"made in Japan"で確りしている事からの"クオリティと
デリバリー"が他の外国人若手デザイナーたちと比べるとすこぶる良い。それにファッション
メディアと情報が発達している所から"コピーや組み合わせ"が巧く出来、"熟せるデザイナー"が
即ち,"器用さ"が生かせるデザイナーたちのブランドであるからだ。
 しかし,オリジナリ性は弱いか、無いが今は、"円安"で価格が適当に買い易い。海外バイヤー
からすると買って店の奥のハンガーラックに釣っておいても、『Made in TOKYO』がセールス
ポイントにもなりほとんど完売すると言う。この状況はメンズもレディースも同じ状況を齎らし
始めているのが現在の"追い風"のもう一つである。
今回の"TOGA"にしても,今回だけで外国バイヤーの方が国内バイヤーより,受注数が多くなった
と言う。(国内40%、海外60%比率)
 
2)『勤勉性と器用性と見栄性』が生む見た目感の巧さ。/
 しかし,冷静に考えてみるとこの状況というのは案外『日本的なる状況』と言えるでしょう。
従来からの『Made in Japan』には決して,モノの本質的な創造は殆ど無かった。
そのオリジナリティは無いか貧しいにしても,その主題の取り方、素材の使い方の上手さと巧さ
で即ち,"工芸的"に使う事でオリジナルものより、以上に装飾的に使いこなしてその結果、それ
そのモノを"オリジナル"としてしまうことが即ち,『Made in Japan』であったはずだ。
 これは,オーバーな言い方をすると,『日本文化の本質』かもしれない。僕たちが使っている
漢字に対しての仮名の関係も然り,磁器と陶器の関係,漢画と大和絵そして,琳派の関係等など
 最近でのIT機器類にしても,ケイタイの本体の特許部分はサムソンが押さえていてそれらを
使ってのアッセンブリッジが多種多様化されたものが上手、得意分野という事も考えれば、
これが,元々の『日本人の作る』という事に対するオリジナリティ性と理解出来る。
 日本人らしさの『勤勉性と器用性と見栄性』が生む見た目感の「創造の世界」がこのモードの
世界へもやっと,ここ60年をへて辿り着いたのかと考えられる。この日本的創造の世界の本質
には『素材』へのこだわり観と,日本人の特質性である『器用性と見栄性』とその「見た目感」
の関係性が日本的に存在するある種の法則を考えてしまう。これらも,戦後からの『豊かさ』の
発展,進化の結果がもたらした今後,日本人の若い世代に期待するべき所でもあろう。

3)そんな彼等たちはどのような構造でビジネスを行っているか?/
 最近の現実の一つに、多く開催されている"サロン"への出店が増えている。
"サロン"とは日本で言えば、"展示見本市"である。巴里のサロン数は大きなもので10サロンを
超える。
 それらのそれぞれのサロンで、自分たちのテイストとレンジが合うところへモノと自分たちが
行って出店する初期的な構造からスターとしているブランド。
 もう一つは、巴里の"バイニング・エージェント"と契約をして彼らたちのオフィスや会場で
展示受注を行っているブランド。この場合の契約チャージは13%〜18%のセールスコミッシ
ョンを支払うのが基本である。彼らたちに任せば、従来からの良い顧客をエージェント自体が
持っているのでそれらが自分たちの顧客になる念いをかけて任せる。これらのブランドは基本的
にショーをやり、その後の営業活動を現地の"バイニング・エージェント"を外付けとして海外
ビジネスに賭ける比較的経済力のあるブランドメゾンとなる。

4)海外バイヤーたちにどのような受け取り方や格付けがなされているのか?/
 ビジネスを中心に考えると、これからより"将来性と可能性"がある日本ブランドという感想。
メインのブランド商品ではないが仕入れて店に置いておくと売れてしまうというサブ的なもの。
 これは価格帯とデザイン性そして、デリバリーとそれなりのクオリティから安心できると言う
ここでも、日本人らしさの善いところが認められての評価とバイニングであろう。
 それに、追い風としての話題性ある「新素材と東京」が今はウケていると言う。

5)彼らたちが世界のメインブティックのメインブランドになるためには?/
 世界にもそれぞれの都市における"一番店"がある。当然、"世界を目指す"と言うことは、
できれば、これらの"世界版一番店"に買ってもらいたい、取引をしたいが究極の目的になる。
 その為には、"サロン"出展から次は"ショー"へ、と言う新たな道が待ち受けている。
その時にどれだけ、"コストとリスク"を掛けて、『明日』を指させられるクリエーションと
イメージングが発表出来るか?
 そして、それなりの世界レベルのメディアとジャーナリストたちに気に入ってもらい取り上げ
てもらえるか?と言うまでの"現実"のために、「資金と才能と創造性とチーム力」が使えるか?
 これでやっと、念願の「パリ・コレ デザイナー」と言うプライドが持てる!!
(最近のブランドで、このサクセス・ストーリーを地で行ったのが"SACAI"である。"SACAI"の
場合、イタリーのエージェントとの関係が壊れた結果、独自で展示会を行って来たが、バイヤー
たちからの「もうそろそろ、ショーをやってもいいんじゃない?」と言うバイヤーたちのバック
アップでショーをやるようになり現在に至っている、稀に見る日本人ブランドである。)

6)日本のファッションビジネスとブランドの利点と欠点/
 思いつくままに箇条書きしてみると、
*素材が豊富。特に新・高品位繊維。
*まだ、国内生産に頼れる構造が残っている。
*出来上がりクオリティがよい。
*デリバリーがきちんとしている。
*市場が大きく、動く。
*メディアのホロがいい。
*消費者が成熟しはじめている。
*プライス面がこなれている。
*売れ線、トレンドものしか作らない。
*クリエーションにおける冒険はあまりやらない。
*ファッション教育構造が特化している。
*"ONE POINT DESIGN"が出来る。即ち、売れるコツをデザイン出来る。
*手先の器用さで"SPECIAL"が出来る。
*コーディネートファッションが上手。

7)今後の課題は将来性を指差すこと/
 総体に売れるものをきちんと作る事がうまく、それ以上の冒険、可能性そして、独自性を打ち
出しているブランドはまだ少ない。
 トータルで結果、スペシャル性又は、アヴァンギャルド性又は、クラフト性におけるそれぞれ
の"高品位性"を目指すこと。そして、デザインされた"服"に「文化」が感じられ、「美意識」が
感じられるものに挑戦してくれる心意気とレベルが欲しい。
 これが無ければ、世界レベルのファッション・ジャーナリストや彼らのメディアを驚かす事は
出来ない。

8)肩を並べる外国人デザイナーたちは彼等たちをどのような眼差しで見ているか?/
 海外の若手デザイナー達の羨望の的は、ここまでやって来れるブランドであるからそれなりの
資金的な現実が先ず、外国人若手より有るのでそれにジェラシーを感じる。
 次は、素材入手と生産構造が身じかでしっかりしたところが残っていると言う現実のインフラ
は実際に量産"商品"を作ること自体が難しい彼らたちの現実にはとっても羨ましいこと。
 結論としては、現在のNew-Generationsたちは完全に『CONSUMING-DECADENCE』の
落とし子たちである。従って、ファッションを売る事、売りたいという事には早熟であり、この
15年程でかなり成熟した日本ブランド群である。特に、男物はかなり、世界に通じる事が可能
であり、そのサンプリングに『ウラ原』系が有る。それと、劇画、TVゲームからのイメージング
ソースは今や世界規模で共通のコンテンツになっているので女物のテイストやモード観の違いが
まだ存在する女物の世界よりは男物はやり易い状況がある。
 それとこの10年間程で、この世界も海外留学生が増え、彼らたちが帰国後やはり海外を目指
し始め、それによっての語学力の進化も大きな要因で世界マナーを身につけ始めたとも言える。
 弱点は、ビジネス構造としてのスタッフ人材に弱い。これからは彼らたち、世界に通用する
ファッションビジネスマンの養成と教育する事が課題である。ここには"語学力+ビジネスセンス
とスキルと関係性"が問われる。
 ある意味で中途半端な"作り手志向"よりも今は、ビジネス力を持つ事が"鍵"であろう。
多くの日本人デザイナー達が巴里の"サロン"へ出展するレベルのブランドでは、どんなものを
どんな人が買うかが解らないまま進出しているブランドさえ有る。
 現在のままで往くと、あの1987年の『原宿コレクション』参加ブランドがいつの間にか
その後、"DC"ブランドという名称をマスコミから貰って創造性豊かなデザイナーブランドの横に
並んでしまう状況の"巴里版"を考えてしまう。
 そして最後に、国内における"ファッション・ジャーナリズム"を気骨在るものへ成熟させる事
も大切な作り手への知的ホロであり、この批判精神も必要であるはずだ。

9)最後に、/
 現在の日本人ブランドとデザイナーたちの"ブランド進化"のルーツ的キーワードを羅列すると
「オタク=STUDENT CONSUMERS=販売バイト/フリーター=オリジナルものと称した
コピーもの=T-SHIRTS、靴、帽子、アクセサリー、皮小物、シルバージュエリィーなどや古着
の販売そして、トータルブランド展開と次なる、彼ら達の『夢』としての海外進出。」
 このような、日本人デザイナーたちにとっては『追い風』が吹いています。
この風を上手く利用して"風力発電所"的構造と機能を世界へ、アジアへ向けて"夢"とともに気概
豊かに、デザイナーやブランド企業も公的機関もそして役人たちも揃って"モードのリアリティ"
を直視して彼ら達の新たな可能性へビジネス戦略を構築して行って欲しいものである。 

文責/平川武治/昨夏執筆文:
初稿/2008-03-11:
再稿/2021年6月:

投稿者 : take.Hirakawa | 2021年7月30日 15:00 | comment and transrate this entry (0)

2021年1月 8日

令和参年、新年のごあいさつ。

 みなさん、明けましておめでとうございます。
新たな年が始まりました。
 今年は、"穏やかさ"と"新鮮さ"が何気に
大切な気分と時間を齎してくれる年でしょう。
 そして、「コロナ以後」はもう、元の生活には戻れないという
"新しい好奇心"を齎せたと言う考えも可能な今年です。
 ご一読をお愉しみください、合掌。

令和参年正月吉日。
平川武治。
(下記の、"画像の確認"をチェック入れて下さい。)
画像の確認

投稿者 : editor | 2021年1月 8日 21:34 | comment and transrate this entry (0)

2020年10月 1日

新しく、「The ARCHIVES Le Pli」/この”平川武治のノート-ブログ”に新たに、今までの掲載分から選択したアーカイブ集を始めました。「The ARCHIVES Le Pli」

 「時の流れは実に早く、しかも我々は時の中を後ろ向きにしか進めないのです。」
P.ヴァレリー: 

「いつも拝読、ありがとう。このような時世です、
思うように進まぬ”明日”を考えるために、過ぎ去った”昨日”へ、後ろ向きに進んでゆく。
P.ヴァレリィーの言葉を想い出して。」
 
 その始まりが、2002年だったでしょう。
ほぼ、20年近くの時間が既に、このブログにも堆積してしまっています。
 そこで、この機を利用し、以前に書いた僕のこのブログ集から、改めて僕が自薦し、
少し校正を入れた”拙筆文集”を作りました。
 これがこの、”平川武治のノート-ブログ”/「The ARCHIVES Le Pli」”です。
変わらず、ご一読くだされば、嬉しい限りです。
合掌。

 はじめに; 
 このユダヤ人たちのファッションビジネスの世界で言い伝えられている、
「”トレンド”についての定説があります。」
 その一つが、「トレンドは20年サイクル説」です。
単純に、「20年前には、何がファッション以外でも、”トレンド”になったか?」と言う
視点です。
 20年前に流行った、展覧会は?音楽は?映画は?芝居は?バレーは?
あるいは、バカンス地は?インテリア・カラーは?そして、ファッションでは?等、などを
思い出すことです。
 これはこのような汎デジタル時代になった今でもこの世界では確かな定説になっています。
例えば、ここ1、2年前では、20年前にヒットした、映画「レオン」がストリート
ファッションの”センス オブ トレンド”になりました。
 「レオン」の主人公の少女確か、A.ジョリィーのデビュー作だったでしょう。
この映画での彼女が、”アイコン モチーフ”です。
 この映画を二十歳代で見て、好きだった人たちはぜひ、思い出してください。
そして、この映画を知らない世代の人たちは、一度見てください。
その詳細は述べるよりも「一見、必須!」です。 

 さて、今回からのこの僕の、”平川武治のノート-ブログ”/「The ARCHIVES Le Pli」”を
始めますが、このブログの”ミッション”の一つが、
”ユダヤ人たちのファッション トレンド、20年周期説”のために色々その当時を思い出すための
参考情報になればと言う念いを込めて。
ひらかわ:

 「The ARCHIVES Le Pli」/01;
 まずは、「ブログを始めるにあたって、」と言うご挨拶から始めましょう。
投稿日/2002-10-16 :再校正/2020-09-18:
 ***
 はじめに、
 遅まきながら、”平川武治のノート・ブログ/The Le Pli”を
周りの友人たちのお陰で立ち上げました。今後、よろしく御付き合いください。

 永年、ファッションジャーナリストという立場をインデペンデントに活動して来ましたが、
やはり、我が国のジャーナリズムが気骨無き「御用ジャーナリズム」と化してしまっていること
に微力ではあるが抵抗したくこれを立ち上げました。
 ジャーナリズムが本来持ちえている「第4の権力」的立場の復活と、ジャーナリズムがある種
の「社会教育」を担っていると言う視点からこのホームページを始めます。
 そして、この”LE PLI”を媒体にして、多くの人たちと好きなモードの世界を中心に 
コミュニケーションが持てればうれしいです。

 この初回は日記風に、僕がパリを軸にしてどのような行動をしているかも交えて書き始めます。
 8月の終わりから東京を離れて先ずはこの街、巴里へ。
そして、アントワープ、巴里、アントワープ、チューリッヒ、アントワープそして、コレクション
のために再び巴里へ。これが今回の現在までの僕の行動。

 8月27日:成田発巴里へヴィエンナ経由で出発。
未だ、バカンスから戻っていない閑散とした巴里も一つの顔。8月も第4週の週末になると流石
この街のバカンス好きな巴里ッ子達もこの街へ戻って来始める。彼らたちを直接的に巴里へ呼び
戻すのがこの街に多くあるアートギャラリィーである。彼らたちが売り出したい作家たちの新作
展覧会のオープニングレセプションである。残念ながら、ファッションは2の次だ。
 今年からちょっと洒落た趣向を凝らしてのオープニングはアート好きな若者たちを喜ばせた。
多くのギャラリィーがあるマレ地区の一角で、ご近所のギャラリィーが共同でオールナイト・
オープニングレセプションを催したことだ。僕も30,31日の週末にはこの催しへ顔を出す。
中でも面白かったのは『BINGO』展。幾人かの若手アーチストたちのポップでガゼットな作品を
同じテーマで界隈のギャラリィー数軒が共同企画での展覧会。古くからの友人で、日本にも幾度
かコレクション写真を撮りに来た事があるフォトグラファー、クリストファー君が全く、新しい
作品で、アートの世界へ登場し、今回の新人展で見事にデビュー。写真とコンピューターを
使って微妙な皮膚感を人工的に合成した写真は医学写真の新しさの様で面白く興味を持った。
 この後、彼はヨーロッパ写真家美術館でアービング・ペンの新作展と共に、ニュー・ジェネレ
ーションの世界をここでも披露している。彼に話しを聞いてみると、彼の作品に興味を持った
この美術館が制作費用を持ってくれて今回の展覧会になったという。よいものを見る眼とその
よい作家を誕生させる公共の構造がこの街には確りと出来ていて、新人であろうが彼らたちの
眼に止れば今回のクリストファーのようにデビューが出来る仕組みが結局、この国の文化の新陳
代謝になっているのだろう。

 「マルタン・マルジェラ・ブランドがイタリーのヂィーゼルへ身売り。」
 コレクションを1ヶ月後ほどに控えた9月の始めにこの意外なニュースが、この街のファッシ
ョン雀たちの口角を賑わせた。今、モードの世界はクリエーションよりビジネスのほうが面白い
と言う典型なニュースである。
 今、我が国では海外デザイナーブランド物ではバッグのLVには及ばないが、服ではこの
『M.マルタン・マルジェラ』が一番良く売れている、人気度の高いブランドが身売りをした。
しかも、あの、イタリーのデニムメーカーの『ヂィーゼル』にである。発表されたのはこちらの
ファッションビジネス紙の『ジャーナルド・テキスタイル』紙。それをニュースソースとした
日本的なが報道が「センケン」紙と「WWDJapan」紙に発表された。当然だが、これらの記事は
余りにも表層しか書かれていない。勿論、当事者たちも余り多くを喋りたくない。しかし、
面白い事件である。結果、こうなってしまったかと言う感じが僕にはした。
 なぜかと言うと、ここ3シーズン来、彼のクリエーションは今、一つだった。
一時の覇気が無くなっていた。丁度、東京にやっとの事で世界での1番店の直営店がオープンし
た頃から、その感じが匂い始めた。そして、多くの彼とそのチームの友人たちにそれとなく話を
いろいろ聞き始めていた結果が、コレだったのかと。

 アントワープのロイヤルアカデミィーを卒業し、J.P.ゴルチェの元で3年半、働きその後、
独立したのがマルタン・マルジェらである。彼が未だ、ゴルチェの所にいた時には幾度か会って
いる。体格がよくいつもキャスケットを被っている物静かなで、ナイーフな青年だった事が印象
にあった。‘87年の3月コレクションを最後にゴルチェのアトリエを去り1年半の期間をその
準備期間として自らのブランド「M.マルタン・マルジェラ」を発表したのが’88年の10月の
コレクション。このコレクションはよく今でも憶えている。
 彼のデビュー・コレクションを見た事によって、僕はこの仕事をしていて良かった、幸せだと
感じたからだ。僕が、マガジンハウスの春原さんを誘って友人のフランス人ジャーナリストに
教えてもらって行ったその会場には日本人ジャーナリストはいなかった。ポンピドウーの裏に
今でもある小さなライブハウス的なところ、「ラ・ガラージュ」が彼の歴史的なデビューをする
場となった。屋外で既に、小1時間は待たされた事、その時あのJ.P.ゴルチェもみんなと同じよう
に待っていた姿が印象深く記憶にある。
 M.M.マルジェラはこのコレクションを機に、僅か5年間で高イメージを築き上げるまでの見事
なクリエーションとショーを僕たちに見せてくれた。デビューコレクションは当然、資金が無い
ため素材はコットンのみ。永く待たされた後に登場したのがトップレスのマヌカンたち。
胸を抑えて出て来た彼女たちが穿いているのがロングのタイトスカート。それから、次々に
上ものがコーディネートされ、スーツになってタイトでスリムな、健康な若い女性の肩がまるで
はじけ出るのではないかと思わせるようなタイトなコットン・スーツそして、僕たち日本人に
見覚えのある地下足袋を改造したシューズ。
 彼が近年に無いデザイナーだと知ったのは僅か5年間で彼自らのパーマネントコレクションを
古着を使ってクリエートしてしまった事だ。これは近年のデザイナーにはいなかったことだ。
そして、次の5年間で自らのクリエーションを定番化しコマーシャルラインの#6、#10など
を完成させた。このコマーシャルラインが売れた。イメージもどんどん昇華した。そして、
第3期の5年目で、エルメスのデザイナーと東京に直営店第1号を持ち、ブリュッセルと6月に
はこの街巴里にも直営店を出店した。この、僅か13年足らずで彼、マルタン・マルジェラは
巴里のプレタポルテ、クリエイチィブデザイナーの頂点に達した。多くのデザイナーや学生たちが
彼の影響を受けた。モードの流れを完全にストリートへ引き落としたのも彼だった。
 ショーイングのアイデイアや会場選択にも彼が新しい流れを創った。そして、14年目を迎え
ようとした時にこの事件(?)である。

 「ディーゼル社、社長がマルタン・マルジェラの株式の過半を取得。」
このタイトルはセンケン新聞のものであるが現実はこうである。
 話は約1年半前ぐらいから起きた。当時、マルタンの生産を請負っていた「スタッフ・インタ
ーナショナル社」が2年前に倒産し、その後デーゼル社が買収した。ここで先ず、マルタンと
ヂィーゼル社の関係が出来た。東京1号店の直営店が出来た頃からお互いのビジネス戦略上で話
し合いが持たれ始めた。店舗を拡張しビジネスを拡大してゆくには「資金」「生産背景」そして
「物流」の充実が必要になる。ここで、「生産背景」はヂィーゼル社の小会社が請負っているの
だから「資金」も「物流」もこのヂィーゼル社が望むのならこの組み合わせが一番明解な組み合
わせである。その結果がこうだとはちょっとおかしくないだろうか?
 「この"M.M.M."自身がブランド拡大を本心から希望したのだろうか?」という疑問から
僕はこれが『真意』ではないという発想から調べまくった。あんなにも確実に5年単位で自らの
クリエーションとイメージングを昇華しながら地に足を着けたビジネス戦略をキャフルに展開し
てきたこのメゾンの本当の問題は何なのだろうか?その結果がこのような状況を創るのが一番の
方法だったのか?誰が一番儲けたのか?エルメスはどのような態度をとったのか?

 確か、昨年の12月頃にかなり多くのスタッフ、7人ほどが辞めた。この中には事実上、
コレクションラインをデザインしていた女性もいた。彼女の場合も、円満退社ではなかった。
一方、マルタン自身は旅行に凝っていて、多くの時間を好きな旅行に費やしていると聞いた。
ここ3シーズンほど、コレクションラインがコマーシャル化し始めてきた。一方、相変わらず、
コマーシャルラインの#2、#6、#10等の売上は伸びていた。ショップが出来てからかなり
店頭MDが入たものが店頭にはまってきた。最初から大好きで見て来ている僕にとってはこの変化
を感じるのは易しい事だった。何か、このメゾンの内部でも”変化”が起こっていると思い始めた
のが7月だった。

 マルタンがJ.P.ゴルチェの元から独立してバッカーを捜して約1年半後に出会ったのがマダム 
ジェニィー・メイレン。それまでの彼女はブリュッセルでかなり大きな洋品店を2店舗を経営して
いた。ギャルソンも売っていたし、ヨウジも扱っていた。彼と出会った彼女は今までの成功して
いた洋品店を処分して彼、マルタンに掛けた。
 いつか,彼女はインタビューで、『彼が私の夢を持って来てくれたのです』と語っていた。
そして、‘88年10月のあの衝撃的なデビューコレクションとなる。以後、彼らたちは2人3脚
でがむしゃらに働いた。特に最初の5年間は20年分以上のエネルギーを使ってチームワーク良
くやって来たから現在があるのだろう。コマーシャルラインのレデイースを見るとその殆んどが
マダムジェニィーが似合う服ばかりである。だからこのブランドがその後、彼女のような多くの
キャリアウーマンに人気があったことが伺える根拠がここにあった。

 一番儲けたのはヂィーゼル社の社長、レンゾー・ロッソ氏である。
彼らたちの約70%の株を買い占めたからである。これからこのようなブランドを新たに造ると
したら、当然、造ろうとしても不可能ではあるが、これ以上の資金と才能とセンスが必要になる
からだ。マダム ジェニィーとマルタンはデザインコンサルタントとして年契約をした。
結果、いつでも辞めたい時に辞められると言う立場を、やっと得た。

 エルメスが買ったら良かったのにと言ったのは僕と元ジャルダンデモード誌のマダムアリス・
モーガンだけだったと後でエルメスのスタッフから聞いたが、何故そうならなかったのだろう?
この一件はここにも一つの鍵があったように思った。エルメスとの契約は後数年残っている。

 当然であろうが、物凄く時期、タイミングを計算した結果の出来事であった。
"M.マルタンマルジェラ・ジャパン"の「ここのえ」はマルタン側と三菱商事との合弁での会社で
あるが、これがこのように整理されるまでこのM&A契約は発表されなかった。
 当初の『ここのえ』はマルタンと三菱そしてオリゾンチィ社との3社間で始まった。その後、
直営店プロジェクトが始まるとこのオリゾンチィ社に力が無い事が解り、オリゾンチィ社を
外そうと持ち株の分担を減らした。が、そうこうしている間にやはり、このオリゾンチィ社が
倒産という行き着く結果を迎えた。その後、このオリゾンチィ社の親会社W系もこの放蕩会社を
手放した。その先が、ライセンスビジネスの伊藤忠。
 従って、三菱はこの数10%ほどの株を伊藤忠から 買い戻さなければならない羽目になった。
そして、それがちゃんと終わった段階でこの買収契約が発表されている。
それに、仙台の最初からの大口取引先である『レボリューション』がマルタンのオンリィー
ショップをオープニングした後での、事の次第でもある。
 全て、計算された結果の行動である。これは当然であるがこれ程迄に計算された結果の本意
には裏が、何かがあるはずだ?

 3ヶ月前には既に、それなりの社員たちには話があったという。
では、M.M.M.ジャパンの『ここのえ』には同じように話があったのだろうか?

 このブランドも然りである、多くの巴里発の海外ブランドの企業成長に我々日本人は
どの国よりも貢献し、愛し、尽くしてきた。
 彼ら、M.M.M.の14年間のサクセス・ストーリィーも同様である、日本は最大の理解者で
あった筈なのに。本当に今後の企業発展のための結果でこうなったのなら、何故、日本企業にも
アテンドが無かったのだろうか?また、エルメスと組まなかったのか?
 その最大の原因は? 

 しかし、彼らたち、M.マルジェラとマダム ジェニーをリーダーとした、彼らチームの見事な
”仕事”である。やはり、彼らたちはプロ中のプロであった。
 スマートでクレバーなファッションピープルたちが駆け抜けた14年間だった。
当然である、マダム ジェニィーとマルタン マルジェラは膨大なお金を手に入れた。
 「輝きそうな石。きっと、輝くと思って一生懸命磨き上げれば、
それはダイヤモンドになった」というアントワープらしいお話。
 彼らたちは、「M M.マルジェラ」と言う”ファッション・キブツ”を構築し、そこから無限の
可能性を育て上げた。
 その後、この”ファッション・キブツ”で働いていたと言う連中の多くが、他のブランドへ
侵食して行った事だろうか?
 
 「あんなにも彼らたちの売上に貢献した日本人たちは、マルタン自身が誰であるかも
知らないままだ。ーFashion is always in fake.」
文責/平川武治:
投稿日/2002-10-16 :


 

 
 

投稿者 : editor | 2020年10月 1日 15:22 | comment and transrate this entry (0)

2008年3月 4日

自らが『豊なる難民』にならないように身に付けるべき『セルフ・コントロール』のためのセルフ・バランスサーが。

「平川武治のノオトブログ;"The LE PLI" ARCHIVESー19」です。
今回は、「自らが『豊なる難民』にならないように身に付けるべき視点、
ー”セルフ・コントロール”のためのセルフ・バランスサーを意識してください。」
です。
初稿/2007-秋記。
初版/2008-03-04:
再稿/2021年04月15日:
文責/平川武治: 

*はじめに/令和3年5月11日寄稿。
 僕は鎌倉で遅まきながら、P.カルダンとブランド”P.カルダン”の映画「ライフ イズ カラフル」
を見た。「’68MAY」以後、新たな時代が誕生し始めたパリとファッションビジネスの関係が
P.カルダンを通して、このタイトルの如くカラフルにキラキラに息づいていた時代を証明する映画
であり、彼のビジネスにおける”先見の明”を証明するかのように、ファッションビジネスの二つ
の新しさを一つは、”オートクチュールからプレタ・ポルテ”を誕生させたこと。もう一つは
ブランドの”ライセンス”によって”デザイン契約ビジネス”と言うもう一つの当時では全く新しい
ファッションビジネス形態を誕生させた彼の新しモノ好きな元気さと商才とディレクションの
巧さと凄さをそして、当時の”ゲイコネクション”が見ることができた映画で楽しかった。
 実際、この”P.カルダン”ブランド登場以後、パリでもそして、日本でも70年代デザイナーたち
の大半は、K.ラガーフェルド、S.リキエルを始めに、日本ではイッセイミヤケや山本寛斎、コシノ
ジュンコたちは自分の作りたいものを作るための”資金作り”の為に「ブランドライセンス」を
主軸にした”デザイナーライセンスビジネス”によって現在に至っている。
 このライセンスビジネスの有名な祖型は”シャネルの香水”であった。
戦後、彼女は自分のメゾン再建のための資金を”シャネル NO.5”をアメリカの化粧品メーカーとの
ライセンスビジネスによって賄い尚かつ、儲けたことがこの世界の誕生だった。
 僕がこの映画で知りたかったことがあった。それは、”メゾンC.DIOR”において、当時、先輩と
後輩関係であり、ゲイであった、”P.カルダン”と"YSL"がどのような仲だったのか?だったのです
が、彼らたちの関係性を示すようなシーンは殆ど無く、僅か、ワンシーンでしかなかった。
P.カルダン曰く、「クチュールから高級既製服を生み出したのは僕が早かったヨ。」
 あと、もう一つ、彼の日本における”ライセンスビジネス”の”右腕”であった故 高田美さんが
どのようにこの映画で取り扱われているか?だったのですが、これは見事にスルーされていて、
とても残念でした。彼女がいらっしゃらなかったら日本における”ブランド P.カルダン”の勢いは
なかったでしょう。
 映画を見終わって、ふと、思ったことは、
「P.カルダンにマスクをデザイン依頼したら、どのようなマスクをデザインしただろうか?」
だった。(是非、やって欲しかった!)

 そして今回の13年前のARCHIVE原稿を読むと、この「COVID-19」以後、個人の生活の営み
において、新たな”セルフ コントロール”がまた、求められ始めそして、そのための”バランサー”
も模索され求められているようです。例えば、ヨガは無論のこと、最近ではスケートボードを利用
するサラリーマンの登場も然り?
 現代はこの当時とある種の”同時代観”を感じるのですがやはり、今回の根幹は”三密”ゆえ、
かなり”コンサヴァティブ”な”セルフ バランサー観”を感じてしまう時代性なのでしょうか?
 僕は新たな生活の営みが始ま流ことのよっての、たくさんのチャンスの到来が今だと、
ポジティフに感じている一人なのです。
 その為にも、P.カルダンにマスクをデザインして貰いたかった!
ファッションデザインとは至って、ポジティフなバカ陽気が”トキメキ”を生み出す一つでしょ!
文責/平川武治:
初稿/令和3年5月11日記:
 
*ARCHIVES版/
◯「自らが『豊なる難民』にならないように身に付けるべき、『セルフ・コントロール』の
ためのセルフ・バランスサーが必要になり始める時代性とは。」
 まず、 ”豊かなる難民”とは? ”豊さ”を求める事から始まった戦後の日本人の生活目標が既に
”物質的なる豊さ”を豊かに持ち得てしまった現在の消費社会の主人公である彼らたちである。
 現代の東京という都市が構造化してしまった“CONSUMING DECADENCE"の中で彷徨い、
戸惑いながらもなお、”モノの豊かさ”の消費へ走る”豊かなる難民”が増え始める。
 そんな彼らたちは、自分たちが辿り着き始めた”テリトリー”を守る事、保護する事そして拘束
するまでもの”自分の自分化”がこの難民の避難すがた。その結果、モードは”自分の自分化”を『PROTECTION/PROTECT』することが装いの”ユニフォーム”になる。
 そんな彼らたちが目覚める時とはいつなのだろうか?
その時に彼らたちは何を大切に考え守るのだろうか?
その兆しが今、少しずつ社会のリアリティーとして現れ始めている事に気付こう。

◯ 『PISTOはストリートスポーツ、最後のものです。』/Hajime:
 友人である立花肇君。グラフィックデザイナー+元"プラスティック" オリジナルメンバー。
彼と出逢ったのはもう35年以上も前、最初の出会いは’70年だったと記憶している。
その頃の彼もナイーフな美しい少年の後半期であった。
 そんな彼を昨年、在る若人たちの雑誌で本当に久しぶりにインタビューをした。
その時で彼は、既に、50歳。その彼が、『今、僕が嵌っているのがPISTO自転車なの。』と、
自慢げに言い放っていた。その時の彼の言葉で気になったのが、『PISTOはストリートスポーツ、
最後のものです。』だった。
 PISTO自転車にはブレーキが無い。車輪とスポークとサドルとハンドルだけ、各パーツが自分
たちの好みでアッセンブリッジ出来る、メカ・シンプルな自転車である。
 ちなみにこの時、肇くんは車体のパイプを透明アクリル棒仕様に、イタリーへオーダーをして
いた。言い方を変えれば、“美しいメカもの”だ。ブレーキが無い所がこの自転車の特徴であり
機能であり醍醐味であろう。
 彼らたちの『世界大会』と銘打たれたPISTOの競技会を代々木公園前へ深夜に見に行った事も
あった。YOPPIY, HIROSHIそして、HAJIME、彼らたちと本場とされているサンフランシスコ
からも来ていた。京都の僕の友人たちがやっている『風』集団たちも参加。大半の日本人組たち
のPISTOは美し過ぎて壊れそうな印象を持った。外国人組たちのPISTOはボロボロで使いこなさ
れて安心に乗りこなして来たように想えるものばかりだった。
 それから1年も経たないうちにこのPISTO自転車は元ウラ原系を中心にしてブームになった。
ウラ原を歩くと、これ見よがしに自分たちのショップ前に美しすぎるPISTOが立ち掛けられ
始めた。
 分析好きの僕はすぐに、『これはスケボーと同じだ!!』と言う答えを出す。
それで、肇君が行った言葉にやっと繋がってゆく。
 自分自身の身体性と五感と体感が頼りの遊び(?)であり、”バランス”のスポーツである。
自分自身の判断力と責任だけで、自分の自由の裁量に身体を委ねる事で総てがコントロールされ
る遊びである。 
 美しすぎるマシーンはミニマムな板と同じなのである。即ち、ボードをマシーン化したとも
言えるのがPISTO自転車。
 東京では大人男たちが嵌っている。彼らたちも『バランサー』が必要なのだろう。
セルフコントロールのための『バランサー』しかも、【ミニマム】な。
大人になっても少年こゝろを忘れたくない遊びこゝろを持つ大人たち、
彼らたちも輝きとは自分らしいバランスを取る事で発する光。
いくつになっても、その光に憧れ続けている。
多分、「輝き続けたい”ストリート キッズ”たち」
 いつの頃だったであろう。
確か、80年代の半ばの時代で在っただろう。
スケ・ボー、サーフィン、ウインドー・サーフィンが、
それに自転車がブームになり始めたことを
想い出した。 
 ある時代には「POWER」のスポーツが、
ある時代は「チームワーク」なゲームが、
そして、このような『セルフコントロール』のための“セルフ・バランサー”が
遊戯化され社会化され、スポーツになり必要になる時代性。
 今と言う時代性もこの状況を想い出してしまった。
自分たちがより、自分らしく自由の裁量に、身体性をも委ねてセルフバランスを取るための
『セルフコントロール』のためのセルフ・バランサーは
プロテクトし過ぎたことに気が付き始める早熟な若者たちと、少年のこゝろを持った男たちが
この兆しを見逃さない。
女性はこのバランサーを自らの身体の中に持ち備えているから強い。
 モードには,この”バランス”がトレンドとなってあらわれるシーズンが多い。
今シーズンのモードはそれで代表される。
着た女性の体つきを分量に依る新たなバランスに作り出すことが、
この時代の新しさへ通じる一番の手法になってもう2、3シーズンが経つ。
 そこに、P・ポワレ(1903年)が登場する時代性も面白い。
文責/平川武治:平成19年10月執筆分:

◯ “The simple is best.”、再び。;
 例えば、東京の街では”和物ブームからピストと呼ぶシンプルな自転車”。
また、豪華に見える触覚が違う食材を組み合わせたケーキの横に最近、ウケているのが、
シンプルな『ロール・ケーキ』。
 これは、「モノの初源」に戻りたい志向の始まりか?
”トゥーマッチなものからシンプルなものへ”、見え透いたもの、装飾過剰なまでのものの本質を
観てしまった彼らたちは案外と良心的なる世界へ目を向け始めているようだ。
 前春のプルミエールビジョンでも、“ETHIC"(倫理的)というまでの言葉がこのモードの世界でも
使われ始め、少しでも社会に貢献出来るようなものの買い方をしませんか?というまでの想いが
始まり、“NU AUSTERITY"という一種の、ありのままの姿に厳しさを持ってというコンセプトも
一般化し始めているのも現在の特徴だ。
 日本では、言い換えれば、やっと、巡り回って来た”和魂洋才”の現代版”洋魂和才”化が読める
のではないだろうか?
 自分たちの知らない物としての日本の古いものから始まって、出来るだけ過剰なものを
排除したものへの志向性、“The simple is best.”
 その結果が、”シンプル/フレッシュ/イノセント/フラジール”などへ結び付くベクトルを
感じよう。
 
◯本当に今のパリの少年たちは可愛い。;
 14、5歳なのだろうか? 彼らたちが、一昨年の秋、モードの世界へ影響を与えたスリム・
ジーンズをはいてコンバースにちょっと、ロンゲ。7:3に少し掻き分けカールされたヘヤーは
今彼らたちの中での流行り。
 街では『PARANOID PARK』と言う映画が懸かる。タイミングがいい。スケーボー少年の物語
監督はGAS VAN SANT. 以前作の『ドラッグストア・カーボーイ』、『マイ・プライベート・
アイダホ』を含むポーランド3部作の第1作目だ。
 イノセントでナイーフな今の時代観をそのまま携えた彼ら、この早熟な街で、都市で生きて
ゆく彼らたちは自分自身の存在そのものをアンテナにして時代の、社会の歪みから生まれる
ノイズをいつも敏感にピュアーに読み取ってしまうまでの早熟性と未熟性を持ち合わせている
世代の『恐るべき子供たち』であろう。
 未だ固まっていない知恵と早熟で不安定な五感を持って彼らたち、スケボーキッズたちは
小さな、ミニマムな板切れ、ボード上で自分の身体を張っている。
 自分を自由にして、自分らしく生きてゆきたいがために。
自由の裁量に総てを委ねミニマムな自分の領域、ボードの上で輝こうとスケボーキッズたちに
取っては、”輝きとは自分らしいバランスを取る事で発する光。”だろうか?
 その光に憧れる。

◯今のEUは景気はそこそこいいようだ。;
 そこで暮らしている人たちの表層はやはりOPTIMISMだろう。
その結果がこの巴里のこれからが新たなる消費者クラスの登場に依る“CONSUMING -
DECADENCE"への進展が読める。
 でも、彼らたちは決してこの表層に満足はしていなく、寧ろ危機感をも感じ始めている事は
明らかだ。その影響から”ダブル-スタンダード”と言うコンセプトもこのモードの世界に現れ
始めたのが先シーズン。
 ”景気の不安定化、環境問題への心配、クラス化への反動”と行ったこの街のマイナス要因は
”ダブル•スタダード”を意識し始めた。例えば、“LIGHT=SHADOW" "OUT-SIDE=IN-SIDE"
"UP-SIDE=DOWN-SIDE"等は先シーズンのトレンドになった。L.Vの裏地に凝る。前後の異なる
デザイン、DRESS UP & DRESS-DOWNなコーディネート。大人の中の少女 s性。だから、映画
”VERGIN SUICIDE”が気になる。そして、”スピリチュアルリズム”。この流れは日本でも”精神
世界”へ憧れ”ヨガ”や”ベリーダンス”が静かなブームへ。また、ワンピース志向へも。
 そして、もう一方では『LIGHT』な部分としての飽きない『虚飾の上塗り』作業も変わらぬ
このモードの世界のリアリティー。
 これらをどのようにバランス良く日常性の中へ、そこで暮らして行くかのための、より、
『豊かな日常性』の継続化と『クラス化』を望み始めると、そのための『バランサー』も必要に
なり始めたのが現在でしょう。
 時代は、日本的「豊かさ」が一段落し始めると、自らが『豊なる難民』にならないようにと
身に纏うべき『セルフ・コントロール』のための”セルフ・バランスサー”を探し始めたようだ。
 だから、スケートKIDSやピスト、ヨガやダンスなど、バランス感が必要なアイテムに夢中に
なる大人たちが登場するリアリテを感受してください。
 そして、”TATOO"もこの頃から世界的ブームになり始めたことも一つの視点だろう。
文責/平川武治:
初版/2008-03-04 記:
再校正/2021-05-15:

投稿者 : take.Hirakawa | 2008年3月 4日 01:50 | comment and transrate this entry (0)

2008年2月26日

"The LE PLI" ARCHIVESー18/「新たな眼差しは、新たな『夢』を、」

strong>「平川武治のノオトブログ;"The LE PLI" ARCHIVESー18」です。
今回は、『新たな眼差しは、新たな『夢】を、晩秋の巴里から。』です。
初稿/2007-10:記。
初版/2008-02-26
文責/平川武治: 

 ◯はじめに;令和参年3月24日記:
 今回は先週に観た、モードのことよりも好奇心をそそられてしまった、古い映画、
「Soylent Green/ソイレント グリーン 」という題名のS.F.映画が妙に,時代におさまった、恐怖
と実感を感じさせられるまでの映画だったので書いてみたくなりました。
 僕が若い頃多分、40年ほど前の1980年代に入って、見た記憶があります。この映画の時代設定
が”2022年”で、アメリカのある都市が舞台であり、僕に近い後期高齢者の老人が登場する事。
 そして、当時のこの宣伝ポスターのコピーが、“People need it in the year 2022.”/
「2022年、人々は「それ」が必要になる・・・」です。
 この映画の原書は米国のSF作家、ハリー・ハリソン(Harry Harrison)が1966年に著した
「人間がいっぱい(Make Room! Make Room!)」であり、これを’73年に映画化されたものです。
「Soylent Green」:https://ja.wikipedia.org/wiki/ソイレント・グリーン
(この映画は下のアドレスで見ることが可能です。
 https://www.nicovideo.jp/tag/「ソイレント・グリーン」上下、全話。)
 なぜ、この映画「Soylent Green」が、今の時代に”ハマった!”感を感じたといえば昨年来の
誰もが想像しなかったであろう「COVID-19」の現実社会を”予測”的に公言していた機関と人間が
いましたね。それが、あの”J.ホプキンス大学”であり、”B.ゲイツ”でした。
 彼の財団 ”ビル&メリンダ・ゲイツ財団”がロスチャイルドや故D.ロックフェラーたちと組み、
行っている主な先端事業に「N .W .O.」の推進があり、彼らはそのための為すべきプロジェクト
として、”地球環境保全”、”人口淘汰”そして、”監視社会”と”食料コントロール”があり結果、
”バンデミック+ワクチン+モンサント+スヴァールバル世界種子貯蔵庫”+”人工肉など、”という
より、具体的な活動とビジネスが既に、報道されているのは承知の事実です。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/ビル%26メリンダ・ゲイツ財団)
 もう一つ、この「バンデミック」+「COVID-19」に関してより、具体的な活動を行なってきた
のが、昨年の2月以降、「COVID-19」情報をメディア上でコントロール仕切っていた、
”J.ホプキンス大学”(https://www.sciencemag.org/news/2020/04/every-day-new-surprise-
inside-effort-produce-world-s-most-popular-coronavirus-tracker)の存在がありましたね。
 この大学も”ロックフェラー財団”や”ビル&メリンダ・ゲイツ財団”の資金援助で運営が成されて
いる大学であり、この学内には”人類絶滅研究所”と言う機関があり、”人類生体支配技術”を
テーマに研究が成されているそうです。そして、この大学の創設時は”優生学論者”たちによる
”有色人種絶滅研究所”が前身であったと言われている大学機関です。
 2018年にはこの”J.ホプキンス大学”の研究所から、「バンデミック&コロナ」論が提言されて
います。(参考/https://www.youtube.com/watch?v=VnrNOJXHqKU&t=67s
https://twitter.com/m1rdl8qld0lfjif/status/1258184092681551873)
 しかし、これは奇妙に思ってしまうのですが、今年になってからこの大学の名が「COVID-19」
関連ニュースで殆どメディア上に上がらなくなっていると言う不思議さもあります。
 この映画「ソイレント・グリーン」はかなりの“想像可能な近未来”の一端を覗かしてくれます。
70年代に製作されこの映画の”テーマ”そのものが、B.ゲイツやロックフェラーの財団の”一つの
目的“のオリジナル•シナリオとして、この様な「COVID-19/バンデミック」後の世界では、
にわかに信憑性を帯びてきた恐怖な時代感を感じてしまうからです。
(参照/https://prepper.blog.fc2.com/blog-entry-533.html
    https://ja.wikipedia.org/wiki/スヴァールバル世界種子貯蔵庫
    https://prepper.blog.fc2.com/blog-entry-533.html)
 興味を持たれた人はぜひ、一度この映画「ソイレント・グリーン」を観て下さい。
  “People need it in the year 2022.”/「2022年、人々は「それ」が必要になる・・・」

 ◯では、ARCHIVES -18の本文にいきましょう。/初稿:2008-02-26 。
 「皆さん、僕の身勝手でしばらく休んでしまっていたこのブログを再会します。
今回の文章は昨年の秋に書いたものです。よろしく、コミュニケーションを。」
 1)パリのリアリテー;
 『レンタル自転車』も今回来てみると利用者が増え、多く街で見かけられる。少し、重そうな
自転車だが頑丈である。もしもの場合のデポジットが150ユーロ。調べてみると、最初の
1ヶ月でもう既に、利用者数が100万台を突破したそうである。勿論、この街、パリッ子の
珍しい物好きも手伝っての事であろうが、それでも凄い。これを仕掛けたのは車両広告代理店。
パリ市内のメトロやバスの広告を仕切っている代理店が、企画立案で現実に至たらしい。
 兎に角、タクシーの運転手から文句が出ている事が現実を知らせてくれるが、僕としては
”共有化”システムがこのような都市構造の中で進化していくこと自体が新しく、うれしい事だ。
 もう一方では、確実にこの街が「アメリカナイズされ始めた。」というパリっ子の言葉が多く
を語る。すなわち、新たな”消費社会環境”を持ち始めて来た。そして、予測通りにこの街の
”イミグレーター/移民”たちが新たな大衆消費者になり始めている現実。
 今回、驚いた事は、彼らたちを確実に消費者対象と考えられたM.D.戦略が為され始めたため
だろうか?例えば、メトロの構内、至る所に宣伝広告の新しいスペースが作られ、これ見よがし
の広告が張り込められた新しい表情がこの街で始まった。

 もう一つの定着し始めた風景にやはり、この街の“New Generations"がいる。
彼らたちはもうこの街の新しい顔になりつつある。スケートボード、ローラーブレードそれに
自転車のこの3アイテムのストリートスポーツと彼ら世代である。彼らたちは左岸だけでなく
バスティーユのオペラ座の前にも、一つのグループが出来上がっている。彼らたちグループの
グルービー的な女の子たちの姿さえも、いつも見かけられるまでになった。
 スリムジーンズにT-シャツ、ロン毛にシンプルなコンバースタイプがその典型。多分「新らしい
フレンチBCBD」の誕生と読めるでしょう。だからでしょうか、ラッパータイプのルーズ ダウン
パンツ姿の激小化も観られる。
 自転車はさすが、未だピストまではいっていないが、小型マウンテンでのアクションライディ
ングが主流。でも、この街でのピスト化ももうすぐだろう。街には当然だが、彼らたちのご愛用
ショップが幾つも出来始め、ストリートスポーツギア類とウエアーとしての、プリントロゴ T-
シャツ類、G-パン、シューズ類そして、今までの”黒”に変わって彼らたちの世界では”カーキ”が
目に付き始めそれに、CDとゲームソフトが繋がっている所も在り、かつての東京の”ウラ原”情景
が増えている事も事実だ。しかし、ここには東京で見かけ始めている”虚飾的な”光り物スタイル
はなく、ある意味ではストリートの祖形がシンプルにフレシュに感じさせる要因となっている。
 ここに新たなこの街のリアリティーが派生、存在し始めこれを撮りに来るコレクション写真家
たちの姿さえ見受けられる事が在る。彼らたちもモードのステージよりも若者たちのリアリティ
を撮っている方が楽しく良い即ち、『お金になる』というまでの発想で彼らたちをサポートを
始めてもいる。きっと、これからのこの街のモードの世界も身近な彼らたちのリアリティーを
サンプリングしていくベクトルがここでも読まれ始めている。

 2)驚いた事が一つ。;
 アディダスが僕に言わせれば、とてつもなくフューチャーチックなイメージ広告を打ち出す。
「REVELE-TOI adidas TechFit-technologie conque pour la performance 」というコピーで
街の中、メトロの駅中に張り出された”TECHFIT”キャンペーンがそれだ。白人か、黒人が只の
長袖T-シャツを着ている絵図らの広告なのだが、この長袖T-シャツの素材が全くの新しいもの、
身体への一体感を強調した新しいスポーツウエアーとしての長袖T-シャツである。身体の必要な
部分の網立てにリブ効果の変化が付けられている素材なのだ。
 この素材はまさしく、この前のプルミエールビジョンでも言われ始めた、『プレタスポルテ』
素材である。”スポーツウエアーのプレタ化”と、”プレタポルテのスポーツ化”を意味した新しい
言葉が一人歩きし始めているのだが、こんな素材が既に、このように広告に載ってしまうまでに
開発され、イメージ化されて”リアリティ”の中に浸透させている事に驚く。
 これはもうすぐ来るな?と思い返したのが、僕が考える新たな未来へのカジュアル日常着の
世界です。

 お詫び/「ほんとうにご無沙汰していてすみませんでした。LePLi 誌の編集等に追われて
情けない状況でした。これからも、ご一読よろしく。」
文責/ひらかわたけじ:
初稿/2007-10:記 & 再校正/2021-03:
初版/2008-02-26 :

 

投稿者 : take.Hirakawa | 2008年2月26日 01:49 | comment and transrate this entry (0)

2006年10月16日

総論的、パリ・コレクションが終わって、晩秋の巴里。’06 OCT.

「平川武治のノオトブログ;"The LE PLI" ARCHIVESー17」です。
今回は、『総論的、"パリ・コレクション '07 S/S" が終わって、晩秋の巴里。』です。
初稿/2006-10-16: 記。

文責/平川武治: 

0)はじめに;
 今日は「3.11、津波と東電福島原子力発電所企業災害事故」が迎える、”10年目”です。
「多大なご不幸と悲しみに僕もこゝろより、ご冥福を願います。」 

 「COVID-19」以後、僕はより激しく自分自身の存在も含めて、「脆さと定まらない時代」を
感じてしまっています。
 人間が住み着くところとしての”地球のあり方”、”世界のあり方”に関わるまでの「僕の心配」
が始まっています。
 それは、安定的だと思われてきた土台が実は最も簡単に崩壊しうる”段ボール”ものでしかも、
その崩壊は人間の経験や世間知を支えとする既存の尺度を離れたところで起こってしまうという
現実を認識させられたのがこの「3.11」でした。それにしても、あまりにも大きな心と体と
現実世界の損失でした。
 このアーカイヴ原稿の5年後に「3.11」が起こりました。
巴里で知ったこの現実は、僕のその後の人生に大きく関わり、生きる事への視点も変革し、
自分が日本人であることを痛切にそして、謙虚に意識し今があります。
 戦後日本を安定化させた”消費社会”という文化の中で、「豊かさの中の虚しさ」とでも呼ぶ、
「モノを”買う”と言う行為でしか”自分らしさ”を確信できる方法がない」故の、”消費主義”的な
空虚さは、時が経つに連れてその”厚化粧”が剥げてしまった如く、虚しさや惨めさそれに定めが
見えぬ社会と化てしまった様です。
 もう一方では、自然災害がもたらすあの10年前の惨事と、以後の多くの水害、地震と津波等の
度重なる猛威と気象異常危機への不安。それらによって促され、認識させられた”個人の自我”と
いう欲望の肥大化と新たな”企業公害”等に依って、余りにも地球そのものの”脆さ”までを体感し、
自分の実存感覚さえも定まらなくなり始めた僕の「COVID-19」以後の現実です。

 初稿が15年前の原稿です。ここには”二つの時代の予兆”が提言されていました。
結果、この原稿は確実に、以後の”時代の流れ”を予知したものでした。
 その一つは、「時代の身体つき」や「時代の顔つき」が「着るブランドもの」より、生活の
”ときめき”を生み出すまでの兆しがここには書かれています。
 もっと言ってしまえば、「ブランドものの服」の役割は「時代の身体つきや顔つき」を作り出
す為の”パッケージング”というスタンスの視点がこの時期から誕生し始めましたね。
 そしてもう一つは、ケイタイの普及により「仮想社会」がより、実生活に押し入り始め、その
世界への興味と、現実社会からの逃避というW.バインドで日常生活における”バランス”そのもの
が揺れ動きやすくなり、不均等になり始め、そのために「自分を守る」という思考が強くなり、
「イメージ」そのものも変質しはじめる。
 ここで誕生してきた、最後発の”ファッション•コンセプト”が「PROTECTION/PROTECTS」という、”最も古い”コンセプトが一番”新しく”誕生したという、まさに”時代はオート リバース”
という僕の好きな言葉の現実化でした。
 「ラッピング」、「カバーリング」そして、「プロテクション」という”モードの根幹”の変遷
が感じ読める興味ある時代性でした。
文責/平川武治:
初稿/令和参年3月11日記:
                   
1)【リアリテ】も、そして【ネオ・リアリテ】も、総てが変化し過ぎてしまった後に
来たのがこの21世紀です。

 シーズンが終わったばかりのこの街の白々しさは好きです。
あれ程までに、会場を埋め尽くす為に「群衆」化してしまうほどの人たちが何処に行ったのか、
突然に居なくなってしまうこの街のマジックもまた、魅力の一つ。
 気が付いてみると’85年来この時期になると僕もこの街のこんな魅力や友人たちに会いたくて
通い続けてしまった一人。正直言って、少し、永過ぎるようです。なぜかと言うと、モード、
そのものが、もう既に、以前のモードとは違ってきてしまっています。
 当然ですが、モードを育む環境としての社会やそこに住む人々たちの生活意識や様式がその
実体としての【リアリテ】も、そして【ネオ・リアリテ】も、総てが変化し過ぎてしまった後に
来たのがこの21世紀です。
 ある意味では、もう一度、総ての環境も社会も「人間」が中心の「人間」の速度による
「人間」の心の在り方を軸とした社会と生活様式を、その中での「デザイン」をもう一度、考え
始める時期に少し、近づきかけているようにも感じられる時代性を予感出来たシーズンでした。
 生きている人間の「実体」としての又、自分自らの「リアリテ」としての「身体」を一番大切
だと感じ始め、その身体へ自らが投資し始め、健康や安心と同じレベルで自らの身体の美しさを
バランスを想い始めた事。これらへ気が付いてみると「服」よりも既に多く投資している事実。
 今の社会でのこの傾向は決して、時代が貧しかった時期には「夢」であり、「願望」であった
はず。社会が豊かになり始めてここまでの余裕が出来たことによる、今までに無かった新しさと
しての社会現象の一つが、社会の表層としての「モード」が持っていた役割へと新たなスタンス
で近づき始めたと読んだシーズンでもありました。
 
 かつてのモードは階級社会のイニシアティブを持っていた人たちによる「FAMME OBJECT」
でスタートした世界。そのための男の身嗜みとしての「HOMME」はダンディズムと言う思想の
ルールの中での楽しみ。
 その後、’80年代はじめより、男が男を想うことも社会の表層の一部となり始め「HOMME
OBJECT」 がこのモードの世界のもう一方のコンセプトになる。以後、’80年代後半から’90年代
はこの「HOMME OBJECT」に翻弄されてそれなりの女はより、見られることのみへ、
又、ちょっと違う所にいた女性たちは自分たち自身の生き方や思想までもを探し始め、
「モード」の世界へまでも辿りつき、「モード」で感じようと試み新たな可能性を探し始める。
 そして21世紀になり生活の豊かさが一応に手中に入ると今度は自分にとっての「リアリティ」
を想い始め、不安になり始める。
 ここで「モード」はこの時期か「PROTECTION/PROTECTS」という最も古いコンセプトが
再燃され始める。ここでは『イメージ』から『リアリテ』へ、モードの主体も変化したと読る。
 この「最も古い、」というのは、嘗ては、「戦う為のユニフォーム」としての、甲冑があり、
やがて、軍服になり、その工場が作業服を生産しやがて、これらの”工場”が戦後の既製服メーカー
になるのが世界のメンズ既製服の世界の歴史の一端であったからだ。
 このコンセプトで新たにモードに加わったのが「SPORTS」「UNDER WEAR」そして、僕流に
言う所の「SEX」。これらが今世紀に入ってからの「豊かさ」とその裏側の「不安」との不調和
から生まれた新たな「モード」カテゴリィーと読める。
 これらは僕の視点ではみんな「PROTECTION/PROTECTS」がコンセプト。
”身体の機能”と”心のヒーリング”そして”性差と性そのもの”とを「モード」によってプロテクト
し始めたのがこの21世紀の新たな「モード」の入り口と読んでいます。
 今シーズンではこの「性」を考え、女性が持つ「リアリテ」として投資した「身体」の美しさ
をバランス化し始めたデザイナー達がランウエーで先を走った。
 
 着ているブランドやデザイナーモノの「服」で楽しみ、見せびらかしたり遊んだ時代から、
着ている服ではなく、着た服によってより、「身体」(=「リアリテ―生活」)を楽しみ、
見せびらかし、安心して営むために着る時代性が今。ここに来て、大きく変った「服」と
「身体」の関係のパラドックス化とも言えるだろう。
 もう一つには、”ファッション フォト”の世界も斬新なものが少なくなり、変化少なくなった、
「イメージ」ばかりで遊ぶことに飽き始めて来たともいえるでしょう。
イメージは所詮イメージのみ。そこで、「リアリテ」を作れなくなってしまってバーチャルな
世界に逃げ込もうと、ここでも新しさを求める。そして、「エモーショナル」なるものも所詮、
”疑似体験”としてのエモーションが主流になりはじめる。
 現代の「モードの当事者たち」彼らたちは、「サランラップ世代」になってしまった。
そして、TVやTVゲーム、まんが、MTVなどからの感動は総て、”疑似体験感”と”妄想”が「創造
の源流」になる。
 
 従って、現代の女性たちもゲイたちも自分たちの唯一の「リアリテ」としての「身体つき」を
いとほしくも大切に想い始め、それらに気が付くと服以上に既に、投資している現実性。
 これは今までに無かった「新しさ」の社会化。当然「モード」はこの先端に委ね、我がもの顔
をすることによって”消費”されてゆく世界。
 ディーテール・デザインやプリントそのものが主役ではなく、もっと堂々と着る人の「身体」
と「性」そのものを美しく或いは、上品に見せるための”プロポーション”をバランス感でどの
ようにデザインしてあげられるかまでがこれからのデザイナーの役割へと変化。
 だから今シーズンのコレクションでは、シルエットは「ボディー・コンシャス」。
身体のシェープさと動きに委ねた「オプティカル・プリント」、ショートミニのための「ハイ•
ウエスト」、そのための「ショルダー・ポイント」の色々。そして、「トランスパーレンス」な
素材の「ジョーゼット」「シフォン」。そしてやはり、時代は「保守化の進展」のみへと。
クラッシク、オーセンティック、べーッシク、トラディショナルなどというコード。そして、
ロマンティック&エレガンスはエモーショナルとともに。
 しかし、実はその裏側には若者たちの新しい彼らたちらしい『STREET』が潜みはじめる。
その異相は『身体で遊ぶ』事。そのための「服」には、「My I Help You?」の心が必要。
 即ち、「愛」と「ロマン」が。
 それに蛇足であろうが、もう一方では「たるみ」始めた身体をどの様に美しく見せられ続ける
かの為のここでも、「PROTECT/PROTECTION」が「縛る」(フェティズム)までの表現も続く
であろう今後の眼差し。』

2)さて、この『時代の身体つき』の変化に気をつけよう。
 先ず、服を買う以前から、それ以上にもう、既に自分たちの身体つきに投資をし始めてきた
ご婦人たち。自分たちの身体つきの変化に対してあらゆる可能性で既に、それ相当のお金を使い
始めてしまっている彼女たち。頭髪は染める植える付け足す,もう自由自在。顔は基礎化粧品を
塗りたくってプチ整形から小じわ取り身体の付き過ぎた脂肪をエステ、フィットネッスへ通い
つめ、ダイエットをして矯正補整まで。そして、足、腕うんぬん。勿論、ピアス&ボルトそれに
タトゥウとシャドウまでの直接的装飾までも施す現代という時代。
 ここまで自分の身体を触りいじくった時代があっただだろうか?
当然だろうがここまでの、身体をどのように見せるかまでの『時代の身体つき』がときめきを
持って生きることの大切な為すべき事という時代性。
 そこで現れてくるのが『ボディーコンシャス』。これは日本の「ボディ・コン」とは総ての
クオリティが違うはず。ただ、単純に体の線を見せることよりもその線がどれだけ金が掛かって
いるかまでの贅沢さをより、リアルにエモーショナルに見せるまでの「ボディーコンシャス」。
これからの”コスメティックス”の世界にも目が離せられないという時代でもあろう。
 そのため選ばれた身体に纏いつくまでの感触ある素材と色とプリント。
だから「オプチカルプリント」も新しい。そして、それらが感じられるまでのスタイリング。
身体をプロテクトしたスポーツユニフォームのデザイン化によるアウター化とカジュアル化で
今世紀が幕を開け、心と気分をプロテクトした下着のアウター化が続きそして最後が、
性をプロテクトするまでのフェティシュな「ボンテージ」モノとその週辺としてのウエアラブル
なボディーコンシャス。
 男が男らしさをモードの中に再び引入れたことによって、女は女らしさを自分たちが磨き上げ
投資して来た身体で勝負の時代がここに。
 その時の性はいつも変わらぬ性差のシンボル。
これも、時代が「保守の進展」をもたらした新しさの一つ。
 ダンス、現代舞踏それにバレーが面白くなってきたことも忘れてはいけない。  
文責;平川武治:
初稿/2006-10-16 記:再校/2021−03−11:

投稿者 : take.Hirakawa | 2006年10月16日 03:14 | comment and transrate this entry (0)

2006年9月28日

"The LE PLI" ARCHIVESー16」/『リアルなエモーションを知らない子供たちへ。』

「平川武治のノオトブログ;"The LE PLI" ARCHIVESー16」です。
今回は、『リアルなエモーションを知らない子供たちへ。』
初稿/2006-09-28 記。

文責/平川武治: 
 
 はじめに/令和参年2月22日記:
 僕のオールドスクール世代は「リアリティ」と「イメージ」の二つの世界が併存された時代に
生きてきました。そして、「イメージ」を求める”夢”として、「リアリティ」を構築してきた時代
でもありました。
 そんな「イメージ」の多くをアメリカの”リアリティ”から感じ求め、それらが戦後日本の現実
社会に誕生し、構造化されてきました。ハリウッドから始まり、アメリカのTV番組、アメリカの
音楽そして、アメリカの雑誌から解り易くそれこそ、膨大なありうるべき”夢”として「イメージ」
を求め、盗み自分たちの”リアリティ”である現実の日常生活へ、「なりすまし」。
 これが戦後日本の「大衆消費社会」の誕生の根幹であり、そこに当時の団塊世代たちの
”ノン•ポリ”たちが、’80年代以降の「広告産業」と「メディア産業」や「ファッション産業」に
憧れとともに従事し始めたことにより、「高度消費社会」構造に変革進化した。
 また、その「消費社会」で生み出され「消費」された”来歴”が堆積され、メディア化されて
誕生したのが現在の日本の「消費社会文化」の”誕生根幹”だったでしょう。
 これら多くの全ては、「なりすまし」から始まった僕達の”戦後の消費社会文化”と言う育ち。
 しかし、これからの次世代の人たちは、「リアリティ」と「イメージ」と、もう一つの世界、
「ヴァーチュアル•リアリティ」の三つの世界から”夢”を選択できる豊かな時代性に生きる。
 彼ら世代は「リアリティ」で生きることもあるいは、「ヴァーチュアル•リアリティ」だけで
生きてゆくことも選択可能であり、この二つの世界を行き来も可能であると言う新たな”自由”の
元での”生き方”の選択肢が増えた時代でもありますね。
 この増えた”自由の裁量”の選択の根拠そのものが、今後の人間性を決定するまでの時代観かも
しれませんね。より、「他人の生き様」そのものが気になる時代性も読み取れますね。
 これは現在と言う時代がまさにもう既に、この状況を構築し始めているからです。
昨今の”SNS”と言う新たなコミュニケーション機能の”進化と発展”が物語っているでしょう。
そして、「CLUB HOUSE」の登場とその勢いもその一端でしかありませんね。
 しかし、この「CLUB HOUSE」の売りは案外”アナログ”ですね。
単純に、「昭和」「平成」を生き抜いてきた輩たちにとってはそう感じてしまうまでの世界です。
 「リアリティ」と「イメージ」と「ヴァーチュアル•リアリティ」の三つの世界から”夢”を選択
できると言う「脆さ」と「儚さ」の時代性に彷徨っていることそのものが”自由でしあわせ”な、
彼らたちの「生きる」事なのでしょうか?
 もちろん、「安心と安全それにヴァーチュアルな達成感」に委ねながら。
初稿/2021-02-25:
文責/平川武治:
 ***
<ARCHIVE版-16>
 1)『装う』を、『装うこゝろ』を忘れてしまったモードはただの”ノイズ”。
 今、僕が考えている今後のファッションは、イメージだけではなく、より、人間的なる
リアル・エモーションがそのビジネスを生む』と言う発想です。
 即ち、イメージ・ビジネスであったものはより、進化しそしてまた、もう一度人間的な感情を
大切にした、エモーション・ビジネスへ向かうと言うまでの考え。
 感情移入とそれを表現することが上手なユダヤ人たちは、20世紀まではそんな彼らたちの感情
移入を『イメージ』というカテゴリィーと手法で表現して来た。
 それを自分たちが好きな世界、絵画、音楽、バレー、演劇、映画、写真、それに、モードなど
など、彼らたちが得意な分野で、彼らたちが願望した”自由”を作品化してきた。従って、モードの
世界も今までは所謂『イメージ・ビジネス』のもとで生業として来た。
 しかし、時代は21世紀。
気が付くとそんな『イメージの世界』は既に誰でもが、そこそこのイメージを作り出せる時代性
とその背景にテクノロジーの高度な発達と進化は情報と媒体の革新をも生み「誰でも、何でも」
の時代性となってしまった。 これらによって総てのイメージの世界はアミューズメント化や
テーマパーク化されるまでの新たなビジネスの世界がこの21世紀。そして、何が『リアル』かが
「脆さ」と「危うさ」によって不透明になって来た時代性も感じ始める。

 バーチャル・イメージやヴィジュアル・イメージそして、疑似体験などでのみ、既に、
”エモーショナル”を感じてしまっている世代たちの時代。
 そんな時代性の現代では唯の表層としてのイメージよりももっと、より人間的なる感情が、
即ち、”リアル・エモーション&エモーショナル"な方向へと新たなこの時代の文化産業の中心軸は
ベクトル移行し始めた。
 結果、従来の「イメージ・ビジネス」は「エモーション・ビジネス」へと旅たつ。
そこで、モードをクリエートする人は、服という「モノ」を創るのではなく、
 『服を通じて、着ていただく人へ、服と服つくりを通じて学んだ人間的なる感情やトキメキを
どれだけ、”着る人”へ作り手のこゝろの”エモーション”が上質に、美しく差し出されるか?
 そして、そのこゝろは”MAY I HELP YOU.":
 文責/平川武治:
初稿/2006-09-28:

投稿者 : take.Hirakawa | 2006年9月28日 00:55 | comment and transrate this entry (0)

2006年8月21日

PARIS HOMME COLLECTION '07春/夏 レポート/平川武治版;

「平川武治のノオトブログ;"The LE PLI" ARCHIVESー15」です。
今回は、”2006年6月に行われた、
「PARIS HOMME COLLECTION/'07春/夏レポート」です。
初稿/2006-08-21記。

文責/平川武治: 

 はじめに;
 面白い現実を体験したこのシーズンの”巴里•オム コレクション”だった。
このシーズンではそろそろ、”パンツのシルエットが変わるだろう。”と予測をしていた僕は、
ある日、近所のバスティーユ広場やコレクション会場になっていた”パレドトキョウ”の広場で、
12,3歳のKIDSたちがお兄ちゃんボーダーたちに混じって、スケートボードで遊び始めた。
 この世代の男の子たちがスケートボードに夢中になって楽しみ、遊んでいる風景を見るのが
僕は好きだし、実際に巴里のチャーミングな日常でもある。
 それに、彼らたち世代は未だウブで、”文句なしに、カッコいい!!”連中であるからだ。
そんな彼らたちのグループのほとんどが”超・細身エラスティックなデニムパンツ”を履いいる
ことに気がつく。この彼らたちの”細さ”が若さを表現するしもちろん、彼らたちのアクティブさ
にも機能的だし、僕の様なモード関係者から見ると、彼ら世代とその”超・細身エラスティックな
デニムパンツ”がとても新鮮に感じた。
 しかし、今シーズンのデザイナーたちのランウエーでは一体も見ることはなかった。
早速、この街での僕の行きつけの古着屋、「ゲリーソルド」のクルージングをしてこの、”超・
細身エラスティックなデニムパンツ”を探し、ゲットして、”気分は彼ら世代!”と楽しみ始めた。
 その後、半年ほどが過ぎた頃、モデルの男の子や女の子たちの間で、この”超・細身エラスティ
ックなデニムパンツ”が流行り始めた。
 あとは、皆さんもご存知のように、”モード”に乗って、世界中の”トレンド”になり、その後は、
デニムパンツの一つのバリエーションになる。
 これは、「ファッド⇨トレンド⇨ヴァリエーション」と言う”モードのサイクル”の分かり易い
現実を僕が実際の”路上”で「感じ、見て、憧れる」と言う体現経験であり、それが見事に現実に
「ファッション•トレンド」誕生に至ったと言うまでのシーズン体験でした。
初稿/令和3年2月15日記:

1)ARCHIVE/「PARIS HOMME COLLECTION/'07春/夏レポート」/
"ランウエーのパリ オム コレクション S/S '07”
 今シーズンのパリのメンズコレクションは、アン、ラフ、リキヱル、ランバン、ギィーヴァス、
ベルンハルトそれにビジネス的に上手なコレクションをした、クリスと淳弥。若手では、
ヴィエナのウーテイ。安心してのエルメス。そして、R.オーエンの中止は惜しい。
 新しい素材としての合繊モノとそれらの機能性をデザインへ落とし込んだものとしての
スポーツ。これはワールドカップの影響も見られるのだろう。それに、ワークスのユニフォーム類
からのデザインソースが今シーズンも多く、もう一つのアイディアは未だ、フォーマルウエアー
のカジュアル化など、今シーズンも変り映えしないこれらの多くは、[PROTECTION]が
コンセプト。
 アンは変らぬテイストとクオリティのヌーボーボヘミアン。楽しく、巧かったのがリキエル・
オム。得意のニットのレジメンタルをパリジャンらしくソフトにコーディネート。
ロングカーディガンやベストとのスタイリングは新しさを生んだ。ベルンハルトのチロリアン・
フォークロアはニットものが新鮮。これは男、女ユニセックスも大丈夫であるし、シーズンが
過ぎてもベーシックなニットとしてもいけるもの。クリスは初めてウイメンズも出し、いわゆる
[ペアー・ルック]、上品さとフレッシュな感覚で、ベーシックなものを主体にちょっとした
所をいらう程度のデザインが返って、新鮮さを感じさせる。前シーズンのベロニックのペアー・
ルックを思い出す。このベロニック、今シーズンはショーも展示会もやらなかった。きっと、
ヴィエナのアカデミーで教鞭をとっていることでの躊躇観がそうしたのであろうか?
 ビジネスを考え、尚且つこのブランドらしさを考え外国マーケットのみではなく国内市場も
リードせねばならないという状況と環境のブランド”淳弥”。この大変な条件の下でも流石見事な
コレクションをするビジネスに徹してしまった淳弥。今シーズンはスポーツ。それもフットボー
ル。最後に恥ずかしそうに出した、[ゴルフ]の新たなコンセプトのものが一番クリエイティブ
であった。それにしてもこのブランドのショーを見て感じたのは見事な「F-1レーサー」デザイナ
ーだ!!と言うこと。かわらず世界のナショナルブランドとのコラボレーションシリーズ。
 いろいろなワッペンをF-1レーサー宜しく貼り付けてのコレクション。
[運転は巧いのですがガソリンを買わなくては!]と言わんばかりのショーデザイナーに感じて
しまった。

 アイテムでは今シーズンもオーバーオール、カーディガン、ベストそれに、靴では[タッセル]
が新鮮。ゴルフ シューズからか、ドーミュールのみが出していたがこれは来シーズンも引くで
あろう? そして、今シーズン余り出ていなかったのが、エラスティック素材による細身のデニム
パンツ。もう、そろそろ、パンツのシルエットが変る。(ルージーなロー・ヒップパンツはもう
そろそろ終わるだろう。)この時期、巴里の街角では12,3歳のKIDSたちがスケートボードで
遊び始めた。そんな彼らたちがこの超・細身エラスティックなデニムパンツが一番カッコいい。
(しかし、今シーズンのデザイナーレベルではまだ出していない。)
 一方では、より『マスキュリム・ダンディズム』が続く。
このシーンでは、上質な素材と美しい縫製、そのためのしっかりとしたパターンが大切。
 特に,ジャッケトは要。短くなった上着丈で正方形方への上着と細身のパンツ。
ソフィスティケートされたメンズの世界が新しい。バタフライやアスコットタイにフリルシャツ
も。帽子ではハンチングが登場。

 そして、ショーでは『キャスティング』が大切。時代の雰囲気を醸し出せる顔がデザインより
も新鮮に映える。いい男が出ていたのがCdG. とアンは格別。
 CdG HOMME PLUSは「GOLD MEN」。本当にそこまでするのかと言う感じの「ゴールド・
ラッシュ」。ここ2年来、このブランドもすっかり、作り方が変ってしまったのだろうか?
『ピンクパンサーに始まって、ローリングストーンそれに今シーズンのゴールデンボーイ』、
基本的にはアイディアでの勝負モノ即ち、色物。思い切り派手なアイディアでの勝負。
 コレクションを見ている時は驚きもし、凄いと唸ってしまうまでのもの。しかし、その驚きが
後に引かない。即ち、ショックは感じるが余韻は残らないまでのコレクションになってしまう。
 ワンシーズンのメディア受けを狙ってのアイディアで勝負。それがビジネスへ反響を与えれば
それで良しとも読めてしまえるまでのコレクションになってしまった?
 展示会へ行くと成る程と言うアイテムとインナー、ニットものに着てみたくなるのもが多く
あるのだが、ショーだけを見てしまうとそのインパクトだけで勝負している感じが強くなって
来た。多分、『創造のための発想』にかける時間の配分が変って来たのだろうか。
或いは、「売れる」モノ作りへ移行?

 DIOR・HOMMEの来シーズンからはエディ・スリマンが契約切れ。
クリスにも話が来たが彼は今、自分のブランドが好調でその気なし。
結局は、もう一度エディが? これも総てメディア戦略としてのシナリオ???
文責;平川武治:
初稿/2006-08-21記:

投稿者 : take.Hirakawa | 2006年8月21日 00:36 | comment and transrate this entry (0)

2006年8月17日

"The LE PLI" ARCHIVESー14 」/「消費社会と言う微温湯」文化?あるいは、低温火傷状態? (『DISCIPLINE会/8.11』のデジュメ-Ⅰより。)

「平川武治のノオトブログ;"The LE PLI" ARCHIVESー14 」です。
今回は、初稿は”2006年8月11日に行われた、「The Le PLI 会」のデジュメです。
タイトルは、評論「君たちは自由かい? そのための自らの、スタンダードは持っているかい?!”」
ー戦後60年と言う、「消費社会と言う微温湯」文化?あるいは、”低温火傷”状態?
初稿/2006-08-17記。

文責/平川武治:

  0)はじめに;
       『こんにちは、君の体調のその後は、そして、ご機嫌は?
 不条理に訪れた,「COVID-19」によるこの現実世界も1年が経った。
決して、刻を戻すことができないが如く、「元の社会」へは戻れない。
ゆえに、ポジティフな可能性が満ち溢れている今年であろう。
 特に、若い世代の人たちにとっては、叶ってもない好機な1年になるでしょう。
「リアリティ」+「イメージ」+「ヴァーチュアル イメージ」と言う今までにはなかった
「三位一体」と言う新たなコンテンツによって、「新しい日常」が求められる時代性になった
からです。
 「モノで世界は出来ていない。」と言う根幹意識に目覚めれば、戦後の「消費社会文化」から
抜け出せ、それぞれの「新しい日常」に生きることが可能なのも「COVID-19」後の、これからの
新たな可能性でしょう。
 本評論が書かれた、2006年と言う、15年前とは、やはり、戦後の「大衆消費社会」構造が
グローヴァリズムと共に、より拡大化し、現実に反映した時期でもあったでしょう。
 モードの世界も当然、この時代観が反映される。
俗にに言われ始めた、ワールド ワイドな”ラグジュアリィ ブランド"と言う「資本の力」を余す
なく見せつけ始めた時代でもあったでしょう。
 現在のモードの状況と比較して一読ください。
 
 1)「君たちは自由かい? そのための自らの、スタンダードは持っているかい?!”」;
 ――今回の巴里や、アントワープでのモードを見る限り、今後のモードの世界もやはり、
[総てが権力と金次第]と言う傾向が読めてしまって、本来の精神的な高揚もパッションも感じ
られないままに[これでいいのだろうか?]と言う思いの儘が残ったのみ。

 エモーションと言う言葉だけが独り歩きしてしまう。
クリエーションと言う言葉もただ、既に”記号化”されてしまったように、

 やはり、時代が変ってしまったのでしょう。
その時代が変ったとは? 社会の物質的豊かさの終わりなき蔓延化と一方でのハイ・テクの社会
環境化それに、新しさの不透明さと人間が生活するための本意とその心の在り方の傲慢化が時代
を変えてしまった。そして、モードの世界も時代の変化後、この状況を一層、表層のみの、競争
経済のための合理化へと導くただの消費財でしかなくなってきているのでしょう。その消費財に
消費力をつけるためのショーはちょっとうがった比喩でドラッグに例えて言ってしまえば、
「クラック」か「スピード」のレベル。決して、その余韻が長く何時までも残るような上質なもの
ではなくなってしまったまでの観。
 丁度、1シーズンと言う時間とその間にどれだけメディアを騒がせるイメージに委ね、その勢い
に乗ってのビジネス効果を計算してしまったものづくり。そのための表層的な「ZAPPING/
ザッピング」の勢いある”パッと”さしか感じられない。それを派手さと凄さと速度で料理。
 そこには残念ながら本当に僕たちが乞い始めた「エモ-ション」は不在。
たぶん現代社会にかつての「ロマンチィック・イデオロギー」が消滅し、これらさえもただの
バーチャルな世界での『ロマンチック』になってしまった現代の日常観も原因でしょう。
 
 今まで可能であった、モードに於ける芸術的作品についてもその表層の物質的価値だけを見る
ような眼差しに変革してしまい、目に見ない例えば、氷山の水面下の”形態言語”など鼻から考慮
しない。益々、眼に見えない高度の審美性は概念的になりそれが証明出来なくてもただ、消費化
されビジネスへと反映されれば良いというまでの方法論としての手段が一般化したのみ。
 当然であるが、芸術的価値はその物質的なるものに在るのではなく、精神的な高度な審美性に
基づいた美意識によって、人々の共感により、その存在価値が見出されるものであるはず。
 もちろん芸術的な作品では作品そのものは物質であるがそれに対する審美性あるいは、美意識
は人間の情動による全機的な価値評価に基づいて存在している筈だからだ。

 たぶん、現代人の大きな欠如していることとは、各人が持つべきはずの、又は探さなければ
ならないはずのあるいは、学ばなければならないはずの”自心”を自由に存在して行くための自ら
の早熟かつ成熟した「スタンダード」であろう。
 この「スタンダード」を鼻っからぶら下げられ、与えて貰い、得られ易いメディアの末梢的諸
情報に多くを又は、総てを委ねてしまった結果の現実化であろうか? 
 したがって、個人のモラル観の不在と不自由さそして、未熟さが現在と言う時代をより、不自由
な没個性な時代にしてしまったのではないだろうか? 
 従って、自信ある経験を回避して自信と勇気なき責任意識不在の中での漂い観でイージーに
(お気軽に)生きていけるだけの「豊かさ」を国家が産み落とし、技術と環境が新たな風土と
しての現代社会を構築し、それに囲われた方がいわゆる「ラク/楽」と。多くがより、多くを
享受してしまった結果なのでしょう。これが多分、僕たちが選択してしまった戦後の60年間の
『微温湯』だったのでしょう。 
 これは、この間のワールドカップ戦の日本人チームの現実やボクシングのタイトルマッチを
見ていると読めてしまった日本メディアによってご都合よく仕組まれてしまっているシナリが
読める、現代日本人が築き上げて委ねている社会構造なのでしょう?

 ここで、皆さんは本当に『自由』を享受して、自分らしく生きることを選択したのでしょうか?
 
 2)おわりに;
 「自心を自心が自由にする。」
好きな言葉です。
 そのために自心は何を? 
人間の存在価値とはこのレベルで考え行動して行きたいものです。
 どうか、ご自愛ください。
合掌。』 
文責/平川武治:モード・クリニュシュェ
(注-①)「自心を自心で自由にする」/
 他と対立せず、自己の独立を意味する”自受用三昧”と言う道元禅の本意の一つ。
初稿/2006-08-17 記:

投稿者 : take.Hirakawa | 2006年8月17日 22:44 | comment and transrate this entry (0)

2006年5月28日

「東京コレクション速報紙 "LE PLI"」/JFWが主催した『’06~’07A/W 東京コレクション評論』

「平川武治のノオトブログ;"The LE PLI" ARCHIVESー13 」です。
今回は、初稿は”2006年5月に行われた、「東京コレクションの速報記」です。
タイトルは、「JFWが主催した『’06~’07A/W 東京コレクション評論』」
初稿/2006-05-28 記。

文責/平川武治:

 ◯はじめに、「令和参年正月に考えたこと。」
 その一つに、『”モードの世界”も「近代」が終焉してしまった。』と言う結論です。
そして、『”モード評論”の世界も終焉を迎え、これからは「イメージ評論」の世界になる。』
そこでは、『”イメージ”と”リアリティ”と言う”二項対峙の世界観”から、それらに新たに、
『”ヴァーチュアル•イメージ”が加えられた、”三位一体の世界観”と言う新しさ。』
 これが、今後の『「モードの世界」コンテンツ』である。
このようなことを考え出した今年の僕の始まりでした。

 ”COVID-19”時世下では、僕たちの”モードの世界”にも”仮想現実/ヴァーチュアル•リアリテ
ィ”が堂々と、土足で上がり込んで来てしまった。その結果、モード•ビジネスの”構造とルール”
が確実に変質してしまった。

 これは僕が以前から発言してきた、「”モードの世界”も、「近代」の終焉が始まった。」
と言う視点が実際に現実化したことと読むべきであろう。
 ”モードの誕生”も「近代」と言う時代の「新興市民階級社会(ブルジョワジー)」=
「資本主義社会」の一つの「資本」価値として、”虚構”と”現実”或いは、”贅沢”と”普段”などと
言う”二項対立”構造によって誕生した「資本の世界」であった。
 この「近代」の終焉は確実に、「諸デジタル器機による、”罤3次産業革命”」の結果であり、
ここには、”リアリティ”と”イメージ”と言う二項対立の世界観へ、新たに”ヴァーチュアル•
イメージ”と言うもう一つの世界像が加わったことによる全く新しい時代とその社会の日常が
始まったと読むべきであろう。

 例えば、”モード評論”の世界においても、これも僕が随分、以前に発言していた、「これから
は、”モード評論”よりも、”イメージ評論”が面白い時代になる。」と言い切って、これからの若い
人たちが”イメージ評論”と言う新たな評論のジャンルを目指すこと提言していたそれが、現実に
”COVID-19”がもたらし、実体化し始めたとも言える新たな時代の顔つきになってきたとも読める
から面白い。
 なぜ、”モード評論”よりもイメージを評論の方が?
その理由の一つは、「着る人間の体系そのものが普遍であることによる、モードの世界の造形に
は、基本的な”新しさ”が芽生え難くなって来たこと。」もう一つは、「日常生活の”豊かさ”その
ものが、普遍化し始めたこと。」という大きな時代変化(?)によって、モードデザインに於け
る”創造性や奇新性”よりも”在るモノ”をどのようにその時代性に感じさせるかというコンテンツ
による、”アーカイブのヴァリエーション”からの「ザッピングやブリ・コラージュそして、リ•
メイク」という手法が、時の「音楽感」ともシンクロし始めて来た事が、”モード評論”そのもの
の”存在価値や意味付け”を希薄なものにし始めたからである。この変化はここ10年近く前から
じわじわと始まった。そして、ここ数シーズンになると、この動きが「サスティナブル」と言う
ある種、”植民地政策主義的”な「富裕層たちの自己満足倫理観」がこのモードの世界にも正面化
し始めて来た。極論すれば、「使われている素材が”サスティナブル”であれば、創造性が皆無で
も優れたモノ」と言う視点の復活である。
 したがって、「モードの創造性」を論じる評論はもうほとんど”ナンセンス”となり、
ここに来て、”COVID-19”によって、従来の”モードのプレゼンテーション”としての「ショー」
形式が変革されてしまった事で確実に、この「近代」によって誕生した「モードの世界」もその
終焉を迎え、新たな時代へ無理やり、押し閉じ込められてしまった。
 変わって登場し始めたのが、「仮想空間とヴァーチュアルイメージ」による”プレゼンテーショ
ンの手法”である。そして、そのビジネスの手法も当然ながら、この「第3次産業革命」の諸技術
に委ねられた”ビジネス手法”が、”e-コマース”として主選択された。
 ここでは、「近代」と言う時代の「”リアリティ”と”イメージ”の2項な関係性」から、
この”COVID-19”による直接影響として、「”リアリティ”、”イメージ”そして、”ヴァーチュアル•
イメージ”と言う”三位一体”と言う新たな関係性が誕生したことを熟知しよう。
 ここでも既に、「近代」は終焉してしまった。
そこで、今後の「仮想空間とヴァーチュアルイメージ」による”プレゼンテーションの手法”から
どのように”イメージ”を読み取り、それらの読み取った、”イメージ”をどのような”リアリティ”
と関係性を意味つけるか、コードかするかが、今後の「モード評論家」が、その立居場所が未だ
あるとすれば、行うべきことの根幹になろう。
 従って、僕の発言である『「モード評論」は「イメージ評論」すべきである。』になるので
ある。
 しかし、もう既に、日本のファッションメディアにおける「モード評論」の立居場所は無くな
ってしまっているのも現実である。理由は、このような時代になってインデペンデントな思想
あるファッションメディアやサブ•カルチュアー誌が皆無になり、代わって”資本の力”による
”メディア化”の傘下に参入した状況が一つある。従って、「純広」や「タイアップ」次第の御用
記事で盛り付けられた”出版メディアの台所”である。この現実は「ネット上の”ファッション•
サイト”になると余計である。
 もう一つは元々、日本における「モード評論」とは?と言う世界でしかなかったことも認めな
いといけない。その多くが、「モード」とその立居場所である”リアリティ”との時代性と関係性
が希薄で論じられていない。持ち得た自らの教養を「モード」と言う記号を使って放言する世界
は決して”評論”とは言わない。

 そして、この世界も、”イメージ”を”評論する”と言う、「実態なきものを論じる」と言う
ある意味では従来からの”ユダヤ人”たちが秀た得意とする世界の一つでしかないが、やはり、
「”イメージ”と言う”実態なきもの”を論じ、その結果、”ビジネス”の成果につなげる」と言う
実態構造ともう一つは、「モードの世界」そのものがこの新たな「三位一体」の具現化であり、
”リアリティの一つの記号”そのものになる時代或いは、「NEW NORMAR/新しい普通」である
とも読むべきであろう。
 結果、時代が変わろうと、「モードの世界」とは、ヴァーチュアルと言う世界をも含めた、
「虚像の世界」である。だから、現代では「オートクチュールの世界」の方が面白いのである。
 そして、" The Fashion is an always in the fake."と言う僕の「モード評論」の根幹に通じる。
文責/平川武治:
初稿/令和3年正月21日記:

 今回の”Le Pli ARCHIVES”は15年前に行われた「東京コレクション評論記」です。
再読はただの、ノスタルジアだけではない何かが感じられるでしょう。ぜひ、ご一読ください。
◯ARCHIVE版「東京コレクションレポート By LePli:
 はじめに;<”東・コレ”、今シーズン、’06~’07A/Wの”Le Pli”的眼差しは?>
一つの東京的ポイントとして、「カワイイ!!」の進化であろうか?

 この思い起こし、考えてみる必要がある、『カワイイ!!』という形容詞が現在のように、
これ程までに日本人の日常語、尋常語となったのはいつ頃からだろうと。
 ファッションの目線から思い起こすと、確か、‘92年に宝島社から『CUTE』が創刊。
その1,2年前から、コムデギャルソンの”トリコ”が『カワイイ』のパイオニアたちを産み落とし
その後、『CUTE』と共にこのような新しさを感じさせ始めた、二十歳前のトウキョウ娘たちへ
”ZUCCA”は時代のボキャブラリーになり始め、この『カワイイ』をデザインしブランド化した。
 多分、これで『カワイイ』は完全にカッコいい響きとニュアンスを持った流行語として市民権
を持った。そんな、『カワイイ』は僕たちの日常生活の気分感を感じ解く、依然重要な
『キーワード』なのだと再感する。外国で生活していると日本から訪れるその殆どの人たちが
唯一、『カワイイ!』だけで殆どの感情表現を済ませていることが不可思議に、奇妙にさえ感じ
てしまう経験が多い。
 彼らたちの感情を表現する手段としての言語は、コミュニケーションの時代なのにその実態と
してのコミュニケーション・ボキャブラリーそのものが単一化し始めているという現実。
あるいは『言語のユニフォーム』化現象の始まりなのか?
 
 今シーズンの”LE PLI”の眼差しは、この「『カワイイ』が日本のモードにどの様に影響を与え
ているのかまた、与えられているのか?」そして、「どの様な感情表現のためのボキャブラリー
として使っているのか又は、その時、感情は存在しているのか?」という『カワイイ!観』を
今シーズンの”東コレ”で感じ、読んでみたい。/”Le Pli” 編集責任:平川武治:

1)「確実に、この東コレも新たな“主役”交代のシーズンを予測させた。」
 「もう、これ見よがしなノリと派手、悪趣味・オミズ嗜好な、オツム空っぽファッション
ブランドは“二流”へ!!」
 15年程が過ぎたこの国民的「カワイイ!!」も時代と共に変質変貌し始めた今シーズン。
等身大的人間のおおらかさを伸びやかに謳歌し始めた新たな[カワイイ!!]の登場。
これは今シーズンの東コレの本質的な新しさの一つでしょう。
 結論を言ってしまえば、『その大半が、ニュアンスの表現が幼稚で大味な作り手に成り下がっ
てしまった。』
 具体的には、細部のディーテールのデザイン・バランスが大味で無意味に取って付けた程度の
バランス・デザインそして、固まりとしてのアイディアに頼った無粋な表現または、成金悪趣味
的な所謂、デザイナーたち個人の”お水っぽい”感情表現の日常化が、彼らのレベルでの美意識
(?)での”着せ替え人形ゴッコ”即ち、”それぞれの「バービー人形」化”しただけの表層的なる
デザイン・コレクションが大半であった。
 これは”メディア-ウケ”を狙い、メディアに左右された所でのそれらに対する形容詞がお決まり
の全て、『カワイイ!!』語で処理してしまえるまでのある種、無責任なデザインと観客。
 いつの間にか、個人の大切な感情表現を「カワイイ」の一言で済ませてしまっている我々、
日本人の多くがもしかしたら、それぞれが持ち得た感情のニュアンスを表現出来ずに、又は感じ
ることに億劫さと複雑さそして、無表情さや臆病ささえを持ちえてしまった国民性の現代なので
はないだろうか?
 とまで言えるような疑問をやはり、この東コレのデザイナーたちの発表コレクションからも
伺えてしまう。当然、なんでも『カワイイ!』環境の基に生活しているのは何も消費者だけでは
なく、作り手でもある、デザイナーと称される側の人たちの環境と日常性も同じである。結果、
かれら達が『それぞれのバービー人形』での着せ替えゴッコとして表現した今シーズン。
 そして、幾つかの大きなブロックに分かれてしまった所詮、彼らたちのレベルでの『バービー
人形』志向の『カワイイ!』観の現われでしかなかった”東コレ”。
 イメージの上塗り作業、CADによって誰でもが作れる(?)美意識の低い過剰意識における
成金的品性なき装飾性の『カワイイ!』と自己満足によるアイディアだけで先走ってしまった、
ちょっと捻った『カワイイ!』。それに、まるっきり無節操にマーケットのみを意識した日本の
上得意であるO.L向けは「デパ・コレ」派『カワイイ!』。そして、流行としてのリメイクもので
カッコいいと煽っている『カワイイ!』元ウラ原系から古着屋系まで。
 今後、注目されてくるだろう”ポジティフ・オタク”な、ちょっと文化系な「カワイイ!!」。
そんな幾つかの『カワイイ!』を素材にスタイリストが加わっての、これを見て下さいと言わん
ばかりの時代への問題意識たるや希薄なスタイリング・ショーが今シーズンの東コレの結論。
 結果、”東コレ、9つの原罪”は先シーズンと殆ど変らず、
「時代先取り観なし。知的さは殆どなく、アート観なく、エモーション少なく、従って、自由さ
が感じられず,文化の香りは間違っても感じられず、現実味が無く従って、全体が面白味も無く、
それでいて上代が高すぎる。」
 これらの幾つかを既に、スタンダードとして持ってしまっている育ちしか見えなかったメゾン
が多かったに過ぎないこのシーズンの「東京コレクション」でした。
 結果、確実に、この東コレも新たな“主役”交代のシーズンを予測させた。

2)「東コレを所見してしまった、世界のトップジャーナリストの目線とは?」
 これは今シーズン主催者側が招待してインターナショナル・ヘラルドトレビューン紙の世界の
トップファッション記者、スージー・メンケス女史に見てもらったら良い評論を書いてもらえる
かもという悲しい性の元にJFWサイドが今シーズンのトリに据えたドレスキャンプの彼女のレポ
ートに的確に見られたから面白い。この短い文をご紹介しておこう。
 「Dress camp's wild show followed in John Galliano's footprints.」
 「本物」を見て知ってしまった人、何がモードかを知っている人たちにとっては所詮、
”いかさまゴッコはいかさまゴッコ”。これが現在、東コレの世界レベルの眼差しでしょう。
 彼女も精一杯に旨くそつない単語を使って書いています。”日本メディアが騒ぐ、無理な集客力
があるでも、やはりコピーはコピーの世界。”と言うモードを見る彼女の気骨。
 ジョン・ガリアーノは知的センスと途方も無い自由さの発想力による創造性が彼の先ず、
スタンダードに在っての彼の世界。表層を追っかける所謂、日本的オカ•サーファー(時代に乗っ
かるだけ)。ファッションD.J.レベルでは教養も品ある贅沢さも感じられない、全くの桁違い。
『スージーさん、今シーズンはジョン・ガリだったかもしれませんが、先シーズンはヴェルサー
チェだといっていたフランス人が居ましたよ。その前にはサン・ローランもやった事が在ります
よ!!古い、器用なデザイナーなのでしょうね。』
 この彼女の3月28日付けのインターナショナルヘラルド・トレビューン紙では今までの彼女の
経験と関係事実から”一生グループ”のA・ポックとCdGの新人ブランドのTAOを大きく取り上げ、
コレクション関係では”YAM YAM”はパトリックがロンドン出身のためもあってだろうか、
 あとは”THEATER PRODUCTS”を評論記事的に書いたのみ。さすがにこの英国人モード評論家
の冒険心と反骨精神と問題意識を美的に刺激するまでの東コレ・ブランドは皆無だったのだろう
か? (いずれも、ロンドンからみ、”St.Martin校に関係あるデザイナーが選ばれると言うそつの
無さと強かさ。)もう、彼女が好きなあのUNDERCOVERがパリコレで見せているレベルの魅力
的挑発的反骨精神を持ち備えた後発デザイナーは見つけられなかったのだろう。
 バイヤーたちは売れるものを嗅ぎ付けて買うのが仕事だから其れなりの物を探しに何処へでも
行くし、来たとしても当たり前。
 海外のジャーナリストたちはわざわざ自分たちのコストを使ってまでも”この地へ”、この
コレクションを見には来ないであろう。見に来る必然性や興味が、余りにも「Far East」 過ぎる
からである。招待されてこれだけのリアクションしかないのが現実のレベル。

3)「”東コレ的ブランド”とは?あるいは、”東京デザインとは?”」
===”客入りがいいから、ノリがいい、オミズ系とその筋の芸能人が来る”だけで今シーズンの
トリになってしまう”ブランド???。

 「東コレ的ブランド」とは、客入りがいいから、ノリがいい、オミズ系とその筋の芸能人が
来るだけで今シーズンのトリになってしまった”DC” が余計に惨めにも見えてしまう。
 誘うほうの思惑もそのレベルなら、誘われる方も大いなる勘違いとケチな下心だけでやって
しまうまでの品格の無さはこれも現在の東コレを象徴しているだけ。
 彼らを大いなる勘違いへ、”豚もおだてられれば木に登る”までに勘違いをさせたのは2年前の
『毎日ファッション新人賞』であろう。この年ではこのブランドが貰っていい賞は”モネシャンド
ン賞”で十分だったはず。
 自分たちの本業である、プリント素材をプロパガンダする為のある種の不純さとヒネ具合を
持ってスタートしたテキスタイルデザイナー、10年来のブランド暦であり既に、其れなりの企業
形態になってしまっていたこのブランドはこの”新人賞”受賞後、すぐに三井物産との資本提携を
もくろみ見事に成功してしまったこの世界での一つの”サクセスストーリーブランド”と化した。
 他に、苦労して小さな未企業形態で1枚のカラーコピーも思うままにならないで自分たちの世界
観を丁寧に上質に創造しようと励んでいたインテレクチュアルな小規模なブランドも多々あった
はずであろうが???
 ここでは、日本の「ファッションメディア」と称する人種たちの未熟さとでも言おうか、
センスのなさしか窺えないお粗末さであろうか。
 例えば、この審査をした女性審査関係者たちは実際にこのD.C.の服を試着して審査をしたので
あろうか? 
 何故かと言うと、このブランドはこの時期まで完全に着る女性たちを美しく見せるための
「分量のデザイン」即ち、「バランスをデザイン」する事が殆ど皆無であったはず。
 このデザイナーの育ちが90年代初めに文化服装のメンズ科を卒業。従って、パターンメイキン
グが出来ない。卒業後、同窓生6人で合同ショーをしている。当時、呼んで貰って行った僕の目
では彼の作品は只のスタイリストショーに過ぎなかったのを憶えている。
 以後、プリントデザイナー、即ち平面CADデザイナーでしかなかったこと。従って、いつも
ヴィジュアル的な発想でしか服が作れて居なかった。自社のプリント素材とフリルと厚手素材の
足し算でバランスを逃げた見た目のデザイン。だから、ショー時がこのブランドレベルの最高表層
イメージの世界。(その多くは芸能人向け御手軽撮影にそのレベルのスタイリストたちが”派手・
見栄えする”が故に、使ってメディアうけしただけ。)
 実際に、このデザイナーの服を買って女性が試着すると”品あるバランス”が取れたデザインが
出来ていなかった。これが僕の理由である。
 又、現状ではこの賞、『毎日ファッション新人賞』自体も今後、継続して行くのならその在り
方を再考しなければ、今後余計に、かなりの無理があるだろう。
 ここから確実に、日本の現実の”東コレ・レベル”が「ノリと観客動員数とオミズ的芸能界志向
へ。」そう、水の流れと同じように、『高きから、低くきへ流れるまま』になってしまった現実
を感じてしまうのは筆者のみか?

4)「東コレで見る”カワイイ!”の進化とは?」
 最後に結果、ニュアンスのデザインが大雑把になってしまったデザイナーたちや、彼らたちが
作りましたと見せる東コレでの新しさはやはり、この時代になっての[カワイイ!!]が新陳代
謝し始めて来ている事である。多分、15年程が過ぎたこの[カワイイ!!]も時代と共に変質
変貌し始めたのも今シーズンの東コレの本質的な新しさでもあろう。
 ”POTTO”,”mercibeaucoup”,”Ne-net”,”MINTdesigns”それに、”myein”などがこの
「トウキョウ・新・カワイイ!!」ムーブメントの起爆ブランドだろう。
 彼らたちのデザインの中から読み取れるコードは、[スタンダードが備わった人間としての、
自由さ、おおらかさ、それに、ナイーフさも忘れてはいけないし、ユーモア、アイロニーそれに、
周りに振り回されないつよい自我と自分たちらしいリアリティとゆとり、それらをポジティフに
組み立て構築して行くデザイナーの等身大的知的さとニュアンスでデザインされているポジティ
フ・オタクなコーディネートファッション]である。
 ”TRICO”,”ZUCCA”,”JUNYA”,”TUMORI”,”I.S.”、”TOGA”,”MINA”等の先輩デザイナーたち
のルーツがここにあることを忘れてはいけない。

5)「東京の路上に花咲く”自由さ”と言う”カワイイ!”が凄い。そのリアリティを感じろ!!」
 終わりに、デザイナーと称する人たちによって作られた服が大味になってくれば、路上を闊歩
する彼女たち所謂、”年頃の眼差し”、真剣なおしゃれに対する心と自由さのニュアンスが
「カワイイ!」着こなしに伺えるのが多分、一番の「トウキョウ・ファッション・リアリティ」
であろう。
 彼女たちは日本発のファッションカタログ誌で毎日、毎日学習して来た賜物であろうかまた、
10数年前に初めて、この彼女たちの学習結果を堂々と紙面に組み込み「街・スナ」という造語を
生み出すまでの、ストリートでのナマのおしゃれ感度をページ化し編集し紙面化した[CUTIE]
誌以降のトウキョウ・ファッション・メディアが敢行した独自性の”マチ・スナップ”と称される
「功」も忘れてはいけない。街角で出会う、重ね着を一生懸命、上手に自分流にスタイリングし
コーディネートして十分に楽しんでいる彼女たちの等身大的リアリティを東コレ・デザイナーた
ちはどの様に学んでいるのだろうか?
 実際には、いつも東コレ・デザイナーの先を走っているのが彼女たちの”トウキョウ・リアリテ
ィ”でしかない。
 この現実を読み、学び、謙虚さが見られないデザイナーたちはもう、既に終っているだろう。

6)「そんな東京の”路上”を魅力とせず、海外へ飛び出した連中は?」
 今シーズン、気が付いたことは海外で好きなファッションを学んだ人たち、帰国デザイナー
の幾人かは地味だが、確実な彼らたちの世界の進歩は今後の日本のモードをどの様に本当の意味
での『インターナショナル』なレベルへと進化さすか迄の面白みを持っていた。
 彼らたちはコンセプトが作れる。それを然りとした自分の作品に3Dデザインできそして、
そのコンセプトからのイメージングでインテレクチュアルで、よりエモーショナルなプレゼンテ
ーションが出来ていることが彼らの強み、後はどれだけ”着てもらえる服”がデザイン出来るか?
 本来の創造性には「東京的なる芸能界的小さな嘘の上塗り」は不要な世界を目指して、彼ら
例えば、アントワープからの瀬尾英樹君(現在、日本人初のA・アライアの所でスタージュ)
セントマーチンそして、イェール フエスティバルからの”インダストリアル・カテゴリー”の
横塚和幸君そして、10年住み慣れた巴里より帰国して群馬県の実家でデザイン活動を始め、
自分たちのルーツを再確認し始めた、”TAGO”などは気をつけよう。

文責;平川武治:
これは『Le Pli 2006春号』より抜粋。今回のLe Pliは5月末発売予定。
各メゾンのコレクション時評は本誌でお楽しみください。

初稿/2006-05-28記:一部追記/2021-01:

投稿者 : take.Hirakawa | 2006年5月28日 02:59

2005年4月20日

ARCHIVES/「東京コレクション速報紙「LE PLI」発行趣意書とお知らせ。」

「平川武治のノオトブログ;The Lepli ARCHIVESー12 」です。
今回は、初稿が2005年4月と10月に書かれたもので、
タイトルは、「東京コレクション速報紙「LE PLI」の発行趣意書とお知らせ。」
そして、この年の秋に行われた「東京コレクションの速報記」です。
初稿/2005-04-20+10月31日記。
文責/平川武治:

 『みなさん、明けましておめでとうございます。
 新たな年が始まりました。今年は、”穏やかさ”と”新鮮さ”が何気に大切な気分と時間を
齎してくれる年でしょう。

 以前はよく、ファッション界の人たちは「時代が変わった!」とか、「もう、古い!」という
言葉を使いました。この言葉は自分たちのファッションにおけるあるいは、生活の営みにおいて
の”時代感覚”所謂、「センス」を表現する際に使われるのでしょう。或いは、「新しさ」と言うこの世界では価値そのもののメタファーとしての意味合いも兼ねているのでしょう。
 そして、今ではこの言葉は殆んどの一般生活人たちが使う言葉になりましたね。
 ここにも、「豊かさ」による、価値の変革が読めるのが
しかし、この言葉の”根拠”がどれ程、地に足が付いたところからの確りしたものがあるのでしょうか?
 例えば、「モノが不足していた時代」、「自分の部屋が持てる様になった時代」「海外旅行が
容易くなった時代」それに、「情報が飛び交い始めた時代」「情報が個人で収集できる様になっ
た時代」そして、「情報が個人で発信出来る様になった時代」など、単純に考えてみても、これら
の”変化”は確実に、時代を変えましたね。ここにはある種の”生活の安定”とそこから生まれた
”豊かさ”の変化が時代の進化を促す”根幹”であり、”変わる根拠”になるのでしょう。
 そして、現在では、もう「モノの豊かさ」ではなく、「こゝろの豊かさ」が時代を変革させる
までになってしまいましたね。「モノ」の”量”と”種類”と"安価”だけでは新しい時代は来ないと、
むしろ、”時代の退化”と言うまでの時代観を感じます。
 そして、この「コロナ以後」によってこの現実がじわじわと世間に染み込み、令和3年はZ世代
たちが今後の「時代を変える」当事者たちとなるで元年と願います。

 このアーカイブの当時はこの「豊かさ」が大きく変化をもたらした時期でした。
当然ですが、「時代と寝るデザイナー」がいつの時代にもキラキラ輝けるデザイナーで在った筈
でしたが今では、「時代と寝るブランド」群になってしまいましたね。そして、個人レべルで
見ると、「時代の気分」を感度よくデザインできるデザイナーが時折、一等星の如く瞬時の輝き
を閃かす、そんな時代でした。
 この「Le Pli」は会場前で売るという”ゲリラ手法”をやったのですが実際には、”日本の世間”
らしく主催者側からの許可が降りず、途中でこの「Le Pli」は挫折してしまいました。
 意気込んでやり始めた僕たちもこの”日本の世間”の不自由さに疲れと諦めだけの体験と、少し
の出会いがありました。
文責/平川武治:初稿/令和2年12月30日記:

はじめに; 
 10年ほど以前に、この「Le Pli」紙を東京コレクションの私的眼差しの速報紙として発行した
経験を再度、今シーズンの東コレより再発刊しようと考えました。
 ファッションを取り囲んでいた時代と環境の全てがまったく変化し始めた現在です。
経済、社会、生活と政治さえも、それらがもたらした「戦後の豊かさ」が一様に”新・中間大衆
たち”に享受されたという時代性。
 当然、この現実の裏側に存在している価値観も、戦後日本を現在のような社会性、経済性へと
導いてきた「将来志向、効率志向、仕事中心という『道具的手段主義 Insturumentalism』の
価値は衰退し、それに代わって、現在中心、情緒志向、快楽志向、私生活中心的な『即時的快楽
主義/Consummatorism』の価値が現在の私たちの新たな日常性を支配し始めています。(*1)
 この様な新たな「豊かさの日常性」はグローバリズムの高度な全世界的構造化によってより、
進化をもたらしいわゆる「21世紀のリアリティ」がやっと、現実的に僕たちの日常生活環境で
始動し始めたという"機・気"を大切に、ここでもう一度、東京におけるファッション・デザイナー
の世界へ、何のしがらみもなく、持ちえた情熱と感情と学習してきたスキルと経験を本質とした
「21世紀スタンダード」を基盤に考えながら、永年からの低温火傷状態の現状・東コレへ
新たなる一石を投じようと決心しました。
 そこで、この東京コレクション速報紙『Le Pli』は、
編集テーマ;「なぜ、東京のモードは文化の領域へ達し得ないのか?」
編集コンセプト;「ラジカルを読むジャーナリズム」
編集視点;「クリエーション、エステティック、インテレクチュアル、エモ-ショナル
     そして、ウエアラブル」
再発行の意義;「独創性、現実性、辛辣性そして、速報性と人間味」
 これらを基盤に今シーズンの東京コレクションを平川の私的レベルと方法によって
発行いたします。
 この一石を投じることによって、願わくは東京のモードが文化の領域へ一歩でも近ずけばの
”大いなる思いを込めて。”
責任編集;平川武治。
 (*1)出典;「倫理としてのナショナリズム」/佐伯啓思著・発行NTT出版。

「平川武治のノオトブログ;The Lepli ARCHIVESー12 、その2」 
< 評論速報誌 "Le Pli "# 1 号/東京コレクション ‘06S/S >から抜粋。
初稿/2005-10月31日記:
**
はじめに-2;
 やっと、この21世紀も5年が経た今年、世界に肩を並べられるコレクション運営体制が東京
にも出来たようだ。
 これが遅いのか、早いのか又、グッド・タイミングなのか?
多分、現在の東京のモードの人たちからしてみれば然程、関係ないことかも知れないと伺える。

 始まったばかりだから余計そうなのだろうが、僕が持ちえた傍観者の距離からすると、この
東京のモードの人たちの今回のはしゃぎ様は異常に感じるあるいは、不自然に感じた。
 外国人たちが僕たちの街を訪れ、彼らたちが眼にし、体験した東京そのものが面白く、
エキサイティングであり、ファンタジックであるという確かなリアクションが彼らたち自国の街
のメディアに取り上げられ、彼らたちの声に押されてこの街の「東京ファッション界」もその
重かった腰をやっと、挙げたという観が現実のように思えてならない。
 又、当然であろうが、2010年以降の中国という國を思うとこの”モードの世界”の日本も
今までのように『俺様然』してはいられなくなる事を、遅まきながら痛感し始めた結果の行為で
もあろう。
 それに、ここ2年来、東京でのモードのデザイナー輩出機能のイニシアティブを取って来た
”文化服装学園”が現実の少子化現象の余波を当然ながらマイナス影響として感じ、実感し始めた
結果、ビジネス戦略として多くの予算を投じて、「世界の文化服装」という戦略を持ったことに
も関係しているだろう。

 一体、今回の「世界に肩を並べられるコレクション運営体制」が目的としていることは
何なのであろうか?
 勿論、最終的な目標は『よいビジネス』であろう。(残念ながらこのテリトリィーは文化庁の
管轄ではない。)では、ターゲットは誰なのか? USマーケットなのか、EUマーケットなのか
それとも、チャイナマーケットを中心にしたアジアンマーケットなのだろうか、
それに国内マーケットの建て直しも含まれているだろうが具体的なターゲットがファジーで
いつもながら”日本人の内弁解さ”とでも言おうか、明確さが欠けている。

 現在の日本のファッション風土はデザイン表現力、素材開発力、生産キャパシティそれに
マーケット力そして、ファッションエヂュケーション。これらが国外から見ると、かなりの
”ハイポイント”でまとまった産業構造を成し、ハイ・テクと情報そしてメディア化によって更に
味方され構築されている現実がある。
 しかし、これらは戦後60年間の勤勉な営みの結果の現実でもある。
市民の生活環境や情況と同じように中間大衆消費社会構造を構造化し、機能させ具現化させた
その元での「豊かさ」を享受してしまった現実でもある。
 したがって、この「東京コレクション」の実態も、現在の日本市場向けの規模とレベルと
クオリティの現実と情況でしかないことを改めて知らなければならない。
 結果、日本人は日本マーケットで十分と言う発想と意識と認識も一つの現実把握であろうし、
それ以上も、以下もないということ。

 戦後、60年の結果が「豊かな生活」を享受した日本だとすれば、これからの我々がこの21世紀
に求めなければならないこととは?「倫理在る成熟」化であると思う。
 単なる、物質的な豊かさからこころある成熟化即ち、精神的なゆとりと穏やかさを「人間同士
のがんばり」から求め努めるという”こゝろの在り方”が必要であるはずだ。
 僕は海外のファッションブランドとそのビジネスを一つのフィルターとして、現在の日本の
ファッションの世界を見てみると、この「倫理ある成熟度」が必要だと考える。
 売れれば勝ち。服に品がなくなっても、目立つものを目立つ方法でアピールすればメディアが
取り上げ、それのみで消費へ結びつくという倫理なき発想がジャーナリストをも巻き込み、品位や
品性までを感じさせてくれる服がこの数シーズン、僕たちの東京から姿を消してしまったようにも
感じてしまうのは僕だけだろうか?

 我々の日常生活に倫理が消え、「悪趣味、風俗そしてメディア」受けがこのファッションの
世界にも堂々と土足で入って来てしまったツケをどうするべきかを考える機会として、
この「世界に肩を並べられるコレクション運営体制」が服の表層のみだけではなく服が持ち、
現わす社会倫理へまでも、思慮深い一石を投じられる新体制であれば初めて、世界レベルの”東京
ファッション”になりえるだろう。
 今の時代、構造改革だけではダメである。(時の政府を見れば判るはずだ。)
当然であるが、構造を改革すれば、その新たな構造のためのルールが必然である時代だ。
この新たなルールに「倫理」という忘れかけられたキーワードをファッションの世界にも是非!!
初稿/31st. OCT.
文責:平川武治:

投稿者 : take.Hirakawa | 2005年4月20日 03:56

2005年3月 3日

”2005年の1、2月の行動記”/ベルリン、パリ、イェール、ルセーン、東京など等で考えたこと。

「平川武治のノオトブログ;The Lepli ARCHIVESー11 」です。
今回は、初稿が2005年3月に書かれたもので、
 タイトルは、「”2005年の1、2月の行動記”
ーベルリン、パリ、イェール、ルセーン、東京など等の体験と考えたこと。」
初稿/2005-03-03記。

文責/平川武治:

 「こんにちは、誰もが予想をしなかった「コロナウイルス」によって、”時間”の流れが新しい
暦の変わり目へと継続される、余計に不安と不透明さだけの今年の年末ですね。
 「NEW NORMAL/新しい普通」というトレンドが来年には現実になり始めるのでしょうか?

 僕は戦後の「大衆消費社会」が、「監視資本主義」の元で「監視消費社会化」へ向かい始める
大いなる”不安元年”の始まりだと覚悟し始めました。
 例えば、5月27日に決議された「スマートシティ構想」や12月16日の「GIGAスクール
構想」の始動元年でもあります。これらのために、今回の組閣で新たに登場したのが、「5G」
利権の表官庁としての「デジタル庁」の登場ですね。
 これらの「NEW NORMAL/新しい普通」によっての影響は依然変わらぬ”合衆国版シナリオ”に
よる「格差社会」と「拝金資本主義」の拡大化でしょう。
 そして、これからの子供たちが、「監視資本主義」という新たな息苦しい、閉塞社会で
「安心、安全で自由に(?)」生きてゆかなければならなくなるでしょう。
 これらに対しての国民のリアルな肉声も未だ、日本メディアは取り上げていません。
来年はもう少し、”自國の政治”の動き方に敏感にセンスよく関わっていきませんか?

 今回の”ブログLe Pli/ARCHIVES"はちょうど、15年前のものです。
グローバリズムがスタートして、5年も経ち始めると、このモードの世界にも色々な変化が
見え始めたことを感じてくださればと。」
文責/平川武治:令和2年12月28日記:

●ベルリンの新たなファッションの動き。/
 ドイツのベルリンで、一昨年の秋からファッションフェアがはじまっています。
中でも規模が大きいのが「ブレッド&バター(B&B)」所謂、ファッショントレードショーで、
多くの人が注目しています。そしてこれを中心に、若い人が参加できる「プルミエール」や既製服
のフェアも含め、5つくらいのファッションフェアが3日~1週間の期間で行われています。

 '92年に壁がなくなって、二つの構造を持った都市が一つになり、世界では最も大きい都市で、
メトロポリスの割には土地単価が安く、まだ空き地があります。さらに、ドイツはもともと既製
服に強く、工場が沢山ありました。工場があれば、素材屋も多く、フランクフルトでは今も素材
の見本市が行われています。また、ファッション科を有する国立の工科大学が街の両端に2つ、
他にも私立の学校など、ファッション教育の環境もあります。戦後のベルリンは、歴史的観点から
言えば、ナチスの関係で一番ユダヤ人のいない街でしたが、60年経って、現在は戦前以上の
ユダヤ人たちの大都市になっています。そのような、歴史的環境で、従来からあったユダヤ人産業
の一つとしてのファッション産業に彼らたちのジュニア世代が当然のように音楽を中心にして
ストリートカルチャーの一つとしてファッションに興味を持ち、返り咲いて来たわけです。

 ”B&B”のテイストは、ストリートカジュアル。来客は、イタリア、東欧、北欧人が中心。
日本のバイヤーもそれなりのお店は、ここまでバイイング・ウオッチングに来ています。
今年はユナイテッドアローズやミッドウエストなどや巴里・三菱なども来ていました。
日本のジャーナリストはほとんどが未だ、行っていないのではないでしょうか。
 この”B&B”では、イタリーからのデザイナーやブランドが多く出店していることも、ここの
特徴でしょう。なぜイタリア人出店者が多いのかというと今、イタリアでもシューズとストリー
トカジュアルが前面に出てきていて、かつての”イタ•カジ”ブームを再度、起こそうとしている
ファッションピープルが興味とジェラシーをもって訪れて、サンプル買いしているのではないか
と思います。もしかすると、あの70年代後半のイタリアンカジュアルのように”ベルリン・
カジュアルムーブメント”が起こる可能性がありそうです。
 この背景には「アジダス」と「Y-3」それに従来からの「古着」マーケットと共に、巴里で活躍
し始めたドイツ系デザイナーたち、”B.ベルンハート”や”ブレス”、”ルーツ”たちが大きな存在に
なっていることも確かです。

 関心したのはやはり、このような規模のファッションイベントをやることによって当然ですが
都市の経済効率が伸びるということです。ベルリン市自体がファッションフェアを大々的にバック
アップしているため、海外のバイヤーが沢山、来ています。(ただこの状態がいつまで続くか?
という不安は払拭できませんが、)
 また、EUでは今、”都市のプライオリティ”を競い合っています。
”フランスにおけるパリからユーロにおけるパリ”、”イタリアにおけるミラノからユーロにおける
ミラノ”、となってくると広い範囲での経済競争が起こります。競い合いながら、産業経済をどう
回していくかということが大事で、そこでファッションもいい対象素材になってくる。
 多分、このベルリンも一つのアイデアとして、ファッションで”都市のプライオリティ”を持ち
たいということだと思います。

 ベルリンの街は成長段階にあって、沢山の可能性を持った街です。この4~5年、近代建築が
どんどん建っています。また、”現代アートやグラフィティ、音楽&クラブシーンなど”、この街
ならではのユースカルチャーも盛んで、”ストリートカジュアル・ファッション”を形成する要素
が整っているのでしょう。これらのユースカルチャーの面白さの所以は、「自由な発想で、自由
な情報で、作りたいものを作る」精神と環境がこの街を豊穣にしているのでしょう。
 例えば、セントマーチンで勉強した日本人の青年は、卒業後イタリアで2年間で細々と自分の
ものづくりをしていましたが、ベルリンの方が自分の発想を具現化できるという現実的な条件で
去年の暮れからベルリンに移り住んで可能性をいっぱいに、活躍し始めています。
 そして、CdGの”ゲリラショップ”の1号店出店もこの街からだったはずですね。

●モードにおけるグローバリゼーションとローカリゼーション/
 ファッションの世界の現在は、”グローバリゼーションとローカリゼーションのバランス化”が
デザイン面とビジネス面、全てにおいて重要になっています。
 ベルリンが自分達のローカリゼーションを軸としてフェアをやって、結果的にはグローバルな
市場に組み込まれていくというこの関係が経済の発展発達のモデルだと思います。
 ファッションとは、都市環境に左右されるものです。それからモードとしての様式即ち、ここで
は”ストリートカジュアルファッション”がこれらの環境から必然的に誕生するという現実が面白
い経済関係になっています。

 このファッションのビジネスにおいて、具体的には’92年グッチ以降のグローバリゼーション。
ーGAP、ZARA、H&MなどSPA企業が巨大なメーカーになっていることを見ても明らかです。
 一方、クリエイティビティの分野では、ローカリゼーションの視点が大事になってきます。
自分達のローカリティーをどのような形で作品化、オリジナル化するか。ここでは、今は
「パリから距離」を持った人達がモノを作った方が面白いと言えます。
 例えば、ここ10年間でアントワープの人達が巴里の仲間入りしたという勘違いをしている事
が目につき始めていますが実際には、「巴里からの距離感」の差異と拡散が自分達のアイデンテ
ィティの確立と表現することが大切な創造になってきています。
 日本人も自分達のローカリゼーションを確りと認識した上でヨーロッパへ進出するのであれば
それは彼らが活路を見出すのに有効な方法かもしれません。所謂、自分たちの”風土と時代”に
よって育まれた”ジャポニズム”が白人社会が持つ”異国趣味/エキゾティズム”という美意識の
一つに引っかかるからでしょう。最近では、”ストリート•ジャポニズム”を引っ提げてきた、
"UNDER COVER”があるでしょう。
 前回のメンズコレクションを例にしてみると、”作る側のグローバリゼーション”の好例として
は、CdG H.P. とJUNYA Man でしょうか?ハードな山岳ウエア、スキーウエア,ポンチョなど、
全天候型の”アウトドア スポーツ”アイテム群をモードに上手く、落とし込んでいます。
 いかに異業種とリンクし、結果、”コラボレーション”として彼らたちが培ってきた技術を共有
して、自分達の新しさを”モードの世界”でビジネスして行くか、という方法論を具現しました。
 この新たな”モードのコラボ”という流れは今後より、進化して行くでしょう。

●巴里モードの方向性/ 
 パリのモードの人たちが、その方向性を変えようとしています。
現在、ラグジュアリーブランドでは、確実に”服のランウエー”でイメージを作り、そのイメージ
の効果で、コスメ、靴、バッグ、貴金属としてのジュエリーと豪華な時計を売っています。
 彼らのメゾン全ての”広告塔の役割と包装紙”が”服”です。現在では、どこのラグジュアリィー
メゾンも広告素材としてモードがあり、商材としては前述の雑貨、コスメが中心となっています。
ほとんどのメゾンが服では儲けていないと言い切れるくらいです。

 そこで、巴里の”クチュール•プレタポルテ”をディレクションする”サンディカ/組合”の人達が
クチュールテイストを形に出来る若い人材を前に出していこうとしています。
 巴里がモードのキャピタルとして存続するには、自分達が歴史をもって作り上げてきたオート•
クチュールの世界を死守していくしかないのです。その為には、新しい感覚を持ったクチュール
予備軍デザイナーを育てることが必要なのです。巴里のファッションの世界では、”アントワープ
=コンセプチュアル”なものよりは、純粋に”エレガントなオートクチュール”を創造できる人を
求めているのが現在です。もっと言えば、ただ昔と同じことをやるのではなく、「クラシックな
手法・技術を新しいコンセプトによって、どう持ち込むか?」
「新しい手法を新しいコンセプト」で創作しても、もはや新しくない。例えば、現在の「デジ・
カメ」が良い例でしょう。技術の発達によって誰が撮ってもピンボケがしない。これはある意味
でクリエーションではなく、新しくはありません。
 現在の「ファッションの世界」での”創造”は、すでに人間の身体の形状が変わらない限り、
造形的に新しいものはかなり、”至難の技”になりつつある。
 だから、現在のモードにおける新しさとは、「素材感とバランス感」が大切な発想になって
いるのです。これは、「オート•クチュールの世界」における”創作の根幹”へ戻り始めたと、
「モードの世界」は”オート•リバース”と読むべき時代性でしょう。
 
●ヨーロッパのファッション•コンテストについて/
 南仏、コートダジュールのイェール市で毎年、4月末から5月初めの4日間に行われる
「フェスティバル・ド・イエール」は、今年で20年目を迎え盛大にその内容も進化させている。
 先の10年目から運営実行委員をやっているこの街の青年たちが、パリ•サンディカのチェアマン
やボードメンバーとリンクするようになり以後、この「フェスティバル・ド・イエール」がパリ
の新人デザイナーの登竜門的なコンテストとなっています。
 疎らですが、日本人も審査に残るようになってきていますし、最近では大手企業が協賛し始め
200万円単位で賞金を出しています。(LVMH,YSL,ロレアルグループや、”123”、など等。)
僕が審査員で呼ばれた’98年頃はまだ、”賞金”はなく、”ブリキでできた盾”と”ブーケ”だけで
した。
 この「フェスティバル・ド・イエール」の素晴らしさの一つは、招かれる審査員がジャーナ
リスト、デザイナー、アタッシュドプレス、バイヤーたちで、彼らたちとこのイェールの街で
4日間、みんなが一緒に昼夜行われる”コンテスト•イベント”に参加出来る事。
 もう一つは、若いデザイナーたちが独立し、パリでコレクションを行なってゆくために、
”出会わなければならない人たち”と出会えるチャンスがある事です。
 ”出会うべき人たちと出会える”と言うご褒美は若いデザイナーたちにとっては、とても自信と
可能性を与えてくれる素晴らしいアイディアのファッション コンテストです。
 審査内容は、「コンセプト+イメージング+プレゼンテーション」を中心に、どれほどの
オリジナリティある”自分世界”の具現化が問われ、各自が与えられたブースにおいてのプレゼン
テーションを中心に、コミュニケーションをとっての審査がなされる。
 あと、この「フェスティバル・ド・イエール」の特異性として、”イェールとパリ モード”が
繋がった事であろう。この「フェスティバル・ド・イエール」のトップ•チェアーマンがパリ•
サンディカのM.ディディエ グランバッグという構造が出来上がっている。したがって、彼、
ディディエがサンディカのチェアーマンに収まった折に、彼が成した事の一つが、
「自分のオフィスの窓を開けて、”イエール”からの”新しい風”を入れ始めた」事である。
 それによって、この「フェスティバル・ド・イエール」で何かの賞を貰えばジャーナリストは
自分のメディアで彼らたちのことを書いてあげる。バイヤーは自分の店のウインドウで作品を
ディスプレーをしてあげる。もし、受賞デザイナーがショーをやる気であれば、”プレスエージェ
ント”は彼らたちのプレス業務を見てあげる等、などのオプションが準備され、優遇されて憧れ
「パリ•コレ」へウエルカムが可能な素晴らしい仕組みでもある。
 例えば、昨年の11月にはパリのサンディカの連中は、今後進出するべき中国へ向けて、自分
達はこれだけの若い優秀なデザイナーを有しているということを北京でプレゼンテーションして
いますが、そのほとんどの若手デザイナーは先ほど述べた、”クチュールテイスト”がこなせる
この「フェスティバル・ド・イエール」出身のデザイナーたちでした。
 この若手の”パリ•コレ”デザイナーたちの”北京プレゼンテーション”には二つの目的がありまし
た。表の目的は、「今、”パリ•コレ”の若手デザイナーたちの世界観をモード後進国であった中国
へショーイングを行うこと。」そして、この裏では、「中国の安価な素材と豊かな生産構造の
取り込みとそれによって可能な”セカンドライン ビジネスの確立構想”があったのです。

 その他にも、ヨーロッパにはいいコンテストが沢山あります。”スイステキスタイル組合”が中心
となって主催してい「GWAND」。僕はここでも審査員をやっていますが、ロンドンのロイヤル
アカデミー、パリのスタジオ・ベルソーそれに、アントワープやブリュッセルのら カンブルなど
世界のファッション・スクールの代表校が競い合う部門と、スイスの若手デザイナーのコンペ
ティション部門で構成されています。ここでは、昨年の招待デザイナーはラフシモンズ、ソフィ
ア・ココサラキ、ハイダー・アッカーマン、イーリー・キシモトも参加しています。
 この「GWAND」のご褒美は、”スイステキスタイル組合”の素材を使ってもらうことがこの
コンパティションのミッションですから、スイス製の高級シルクや麻、コットンがメインのご褒
美です。確か、ハイダーくんはここでご褒美にもらった”素材と賞金”で自分のブランドをスタート
させましたね。
 
 それから、イタリアのトリエスタでは、最近始まったもので、”DIESEL社が主催する「IT'S」が
あります。このコンペティションのミッションは、世界のファッション学生たちの中から才能豊か
な学生を探し、彼らたちにその”夢”ある可能性を与えることであり、もう一つは”DIESEL社”の
ためのデザイナー探しと”青田刈り”でもあります。
 元、ミッテルモーダで行われていた素材中心のコンペティションをオーガナイズしていた女性
が広告代理店と組んで誕生した、なかなかビジネス臭さがプンプンする”企画コンペティション”
であるのですが、”DIESEL社”がこれに乗って行なったこと自体がある意味で、懐の深い企業だと
感じましたし、対象がヨオロッパだけではなく、世界中のファッション学生を対象としたグロー
バルな発想は新しいでしたね。
 ここでも、毎年、日本人が何人か入選しています。先月、ここのデッィレクターが東京を訪れ
幾つかの学校を回っています。
 いろいろな、ファッション学生のコンペティションに呼ばれている僕も、ファッション企業が
直接、このようなコンペティションを主催して行う時代になったと言う意外性を楽しみました。

●「夢」のため?「ビジネス」のため?日本人デザイナーの海外進出とは?/
 最初から結論を言いますが、パリ、ミラノその他、海外でファッションショーをやってみたい
という人は増えていますが、まず日本で儲けて、その使い方としては、海外進出もあるだろうと
私は思います。
 誰にも可能性はありますが、それが世界で通用するかという次の問題になります。 
日本の留学生がよく勘違いしているのは、海外の学校へ行ったら現地で就職できると思っている
ことです。”教育機関”は外国人を歓迎するかもしれませんが、ビジネスではそうはいきません。
外国人に対しては厳しいです。極論すると、日本人一人を雇えばフランス人が一人失業することに
なります。それでも必要とされる高い能力とタレント性がないと難しいと言う事実です。
  一方、ビジネスだけを考えた展示会参加はまた、別の次元です。
パリは世界のモードのショーケースです。なので、この世界は変わらず、賑わっています。
ユーロが高く、ヨーロッパ市場が活発でない中で、世界のファッション市場はアメリカ、アジア、
特に日本中心ですが、今後は中国もインドもそして、中東もその大きな可能性となっています。
 「時代が進化」することとは、生活者たちの”豊かさ”に現れることです。だから諸国によって、
この「豊かさの差異」がありますから、ファッションビジネスはそのカテゴリィーの違いがあっ
てもまだまだ、”発展途上産業”でしょう。
 個人の夢で海外に行っても、才能があって目立つ存在となれば、ファッションマフィアに喰い
潰される怖さもあります。
 それぞれ個人が持ちえた”夢”でなく、現実の成功のために行く。だけど、現実を知る情報や教育
機関もないのが現状の日本ですね、これは行政の怠慢の一つでしょう。

●なぜ日本のモードは文化となり得ないのでしょうか?/
 そもそも「今の日本の文化とは何か?」と問われても不明です。
「消費文化」と言う言葉があります。消費することが文化だと言われていますが、そうではない。
これはわかりやすい金儲けのための”文化論”でしょう。
 強いてあげれば、可能性があるとすれば、日本のオリジナリティーが感じられる”アニメ・
ゲーム産業”のコンテンツ分野が現代の日本文化の新しさでしょう。
 敢えて、提言すれば、「今、新しい”豊かさのスタンダード”を作らないと、日本の真の文化の
強さは生み出せないでしょう。」
 物質的豊かさを享受した今の若者は「何でもあり」「何でも出来る」状態である為に、
やりたいことにフォーカスが絞りきれず、逆に「何にも出来ない」状態。折角の”自由”を使い切れ
ず、持て余したり、放棄したりの状態が多いのも現在の日本人像でしょう。

 例えば、ファッションデザイナーに限って言ってもまずは、インテレクチュアルな発想や知識
があってデザイナーであるべきですね。”情報とトレンド、サンプル”さえあれば、日本にはまだ
生産背景がある為に”作る”ことはできます。例えば、ジャン・コクトーを読んでいなくても、
ボードレールを知らなくても日本ではデザイナーになれる。そして、それなりのモノが作れれば
ある程度は儲かる。ある程度、儲かれば、メディアを抱きこめてしまうのです。
 冒頭の「消費文化」とは、このような”抱き込まれた世界”の一つでしょう。

 それから、センターポールとなる秀でた人が出ても、ジャーナリズムによって食いつぶされて
しまうケースがあります。例えば、彼らを強かに、ガードしてきたから”川久保玲”は生き残って
いるのです。日本においては今後、世界に通用するデザイナーの一人である”川久保玲”の一人勝ち
でしょう。

 ”売れる仕掛け”を作るのがデザイナーです。そのツールとしてデザインがあるだけでしょう。
今、日本市場を制覇しない限り、”資本”は稼げません。日本人は国内で売れる仕組みこそ作る
べきなのです。その上で、世界に通用するファッションビジネスマンを育てる必要があります。
 パタンナーは優秀な人が多く、実際世界で通用しています。
まずビジネスを強化すべきです。ビジネスに通じれば、”文化”がどのように必要だということが
十分に理解ができるはずです。
合掌。
文責/平川武治:
初稿/2005-03-03 :

投稿者 : take.Hirakawa | 2005年3月 3日 08:25

2005年2月11日

The Lepli ARCHIVES/「平成17年の新年に想ったこと。」

「平川武治のノオトブログ;The Lepli ARCHIVESー10 」です。
今回は、初稿が2005年2月に書かれたもので、「平成17年の新年に想ったこと。」
 テーマは、「今年の僕の眼差しは『豊かさとは何なのだろう?』です。」

初稿/2005-02-11記。
文責/平川武治:

 <今回の「コロナウイルス」によるバンデミックによって、世界中が、「時間」の流れと
「隔たり」と言う距離感が新たに”リセット”させられてしまって、「The New Normal/新しい
普通」と言う現実を選択しなければならない時代性になりましたね。
 この「コロナ以後」で僕がはっきりと気付かされたことの一つに、「速度は豊かさを隠す。」
を知りました。今までの「モノの豊かさ」にも大いなる”ブレーキ”が掛かってしまったのも
この時世ですね。
 この15年前から、人間が人間らしく生きてゆく”根幹”は何も変わっていなかったのです。
追記/令和2年11月28日:>

○「豊かさ」がゆきわたる日本での「豊かさ」とは?;
 日本へ戻っての、数年ぶりでの年末と新年は僕にはさほどの鮮度あるものではなく、
僕の存在そのものが何のために在るのかを、考えさせられました。
 その時に、『豊かさ』を思い切り享受している日本人の真っ只中に居ることが不可思議に想い
始めてしまったのです。
 当然ですが、『豊かさ』は人それぞれに違うでしょうが、この日本では大半の人たち、彼ら
たちを僕は『群集/大衆』と言っている人たちが、戦後、60年経てば「思想」や「教養」が無く
てもそれなりの生活環境や物質的な豊かさを大いに享受してしまっている現実。すこぶる、
『拝金主義』的なる環境に於いても、これからも、『豊かさ』を求めていくには、いったい、
何が『豊かさ』なのだろうか?という疑問なのです。
 モノを作り出してゆく立場の人たちも、今一度、ここで『豊かさとは?』を考え、再確認
すべき時代に来たのではとも想うのです。

○やっと、『新たなる21世紀の風景』と『新たなるスタンダード』?
 もしかしたら、ここへ来てやっと、『新たなる21世紀の風景』が見え始めたのかも
しれません。
 そこで、この新たなる風景のための『新たなるスタンダード』が必然になってきた時代性も
感じ、考えられるでしょう。
 一方、昨年来、日本でも、一番価値が、値が下がったものは何だろうか?
それは、『人間の命』でしょう。戦争こそ無いわれわれの世界ですが、それに変わっての、
平気で殺人を犯す行為、それも若年層や小学生までもの人間が平気で人を殺すという行為が
増えました。
 人間が、人間の価値を下げていることの哀れさ、儚さ、惨めさそして、悲しさはどう理解
すればいいのだろうか?
 もし、すこしの考える余裕をもつことが可能であれば、
『自分にとっての豊かさとは何なのだろうか?』を考え、そのためには何を自分はしたいのか?
したら良いのかを、それがファッションの世界であれば、どのような服を、どのような人たちの
ために、世に作り出したらいいのかをも考えていく必要があるでしょう。
 
○『豊かさとは?』 何でもありですか?
 何をしてもいい、何でも出来る、何でもしたい等、それぞれが持ち得た「自由の裁量」と共に
では、それらは誰のためになのだろうか?「自分の頑張り」は誰かの為になるのだろうか?
 少し以前よりも「物質的な豊かな生活」が日常となり始めた『群衆/大衆』の現実感。
それらの行為が、世間では「アート」だとか「文化」だとかと勘違いして、自分自身に満足し、
仲間たちの間ではしゃいでいる状況が現在の日本の表層ではないでしょうか?
 ここには僕の昨年の眼差しであった、『根っこを知る』に通じるものを感じるのですが。
 「人間の、人間のための豊かさとは?」
 決して、自分のためのみの豊かさだけではないはずでしょう。
ここで、『人間のがんばり』ということも大切な個人の責任になるでしょう。
 自分のやりたいことには『リスクとコスト』を持つそして、やる以上は一生懸命にやる。
時には他者と、同じ目的のうちに『競い合う』ことも必要でしょう。
 これが、『がんばる』ということではないのでしょうか? 

○新の21世紀への『新たなるスタンダード』を。 
 やはり、戦後からの時代は、もうここで完全に新たな時代を迎えてしまっています。
この新たなる時代の、新の21世紀への『新たなるスタンダード』をどのように構築してゆくか
の意識と教育が学校は無論の事、家庭にもそして、社会にも必然であるでしょう。
 そして、僕はこのような『豊かさの時代」に何をしなければいけないのか?
どの様にこのような社会と関わり、何をしたら『人間』として生きることが出来るのか?
そこに、新たな時代への、”新しいスタンダード”が姿を見せる事でしょう。
 例えば、ファッションの世界にこの視点を置けば、どのようなクリエイティブなデザイン活動
が「時代の新しいスタンダード」を生み出せるのでしょうか?
 ここでは、自らが持ちえた、「豊かさとは?」が根幹になるでしょう。
合掌。
文責/平川武治:

投稿者 : take.Hirakawa | 2005年2月11日 11:19

2004年10月27日

<2004年10月版>「変わり始めたモードの新しい環境と風景、その2ー今夏、東京で想ったこと。」

strong>「平川武治のノオトブログ;The Lepli ARCHIVESー09;」です。  今回は、初稿が2004年10月に書かれたもので、「変わり始めたモードの新しい環境と風景、
その2、ー今夏、東京で想ったこと。」がタイトルのアーカイヴです。

初稿/2004-10-27:
文責/平川武治:
 1)アテネオリンピックから想うこと;
 慌しい、落ち着きの無くなっている[ケイタイ症候群]化した人たちの住んでいるこの街、
東京ではもう、今夏に行われたアテネオリンピックの話は、あれほどにTVにかじりついて一喜
一憂し、深夜まで眼を赤くして見、メダルの数を子供までもが数え覚えてしまっていたのに、
2ヶ月ほどが経た今、もう誰も話さなくなってしまった。
 しかし、今年のオリンピックは戦後の日本人が一番活躍し、メダルを多くとった大会であった
ことは確かなる出来事であった。どうして、4年前のシドニー大会からこれほどまで日本人が
メダルを取ることが出来たのだろうか?
 これも僕流に言えば、われら戦後の日本人が築き上げた[新たなる環境と風景]の現実の一つ
である。
 なぜ、これほどまでの結果を生んだのだろうかと自問してみたり、幾人かの友人たちとも
話し合ってみた。その結果が、①”ワールド・ワイド”で的確なる情報収集が高度に現実的に
なったこと。②その収集した情報の分析が的確であったこと。③その情報を基にして世界の
トップクラスや日本での優れたコーチ陣が英才教育を行ったこと。(たとえば、あの卓球の
愛ちゃんでも、中国の元ベスト上位の選手をコーチにつけていた。)④そして、海外練習を行い
国内でも練習設備が整った環境での猛練習が行われた。⑤日本人の体型が外国人のそれに引けを
取らないほどに発育発達したことと、食糧環境の進化。
 これらの新たなる”状況と環境”を持ち得た事によっての結果と、元来の日本人気質としての
”STANDERD”な勤勉と努力それに、この世代特有の”ポジティフさ”がそして、その背景としての
‘90年代以降のわが国の”産業技術”が生んだ先端技術を生かした工業化と商品化による所謂、
情報産業の日常化による我々が持ち得た生活環境の進化と差異化。
 この結果の現れが、[新たなる環境と風景]を背景に、明解でわかりやすい最終目的である
スポーツ大会で得ることが出来た結果のオリンピック大会であったと読める。
 この「新たなる環境と風景」の結果としてのメダルラッシュは何もスポーツ分野のみならず、
戦後、約60年を経たある意味では現在日本の現実であり、他分野でもこの状況は「現在進行形」
として進化しつつある筈だ。この状況は”モードの世界”でもそうかもしれない。
 ここで僕はこれからの[親の役割]や[教育]について想い考えてしまった。
それは20代そこそこの選手たちが持ち得たスポーツ・エヂュケーションの環境である。
卓球の愛ちゃん然り、水泳の北島選手然り、体操選手たちにしてもそうであるが、所謂
[英才教育]が為されている事である。それも子供たちが小さな時から始めている例が多く
なってきた。これには一つの事実がある。このスポーツの世界も、”芸人”や”政治家”の世界と
同じ[親子2代、同じ道を歩む]が、この戦後と言う時間の中でサイクルかされてきたこと。
 親の経験を生かして、親が自分の子供を育児しその家庭で自分の子がどのような才能や天分を
持っているか、自分の子供が何に適応しているか、何が得意かなどを早熟な時期に、親の責任と
して見極めた結果の行為でもある。決して、世間がいう[いい進学校]へ進学させても今の時代
の[不確実]な社会に対してはもう、適応性が親の思った答えを出してくれなくなってしまった
時代性と社会性。学校に頼っていても駄目であると言う一つの答えがここにあるかもしれない。
 この”親と子”の関係はある種の[家元]制度的な関係でもあろうが、親が子育てを行うことの
中には自分の子供がどのような天分を持ち得ているのか、居ないのか位は親の責任で早期発見が
今後の親の大いなる責任になる可能性があることになろうか?
 当然、親にもそれなりの”知性と教養”が必要である。それ以上に親が子供に情熱と責任を持た
なければいけなくなるのである。唯、[かわいい、かわいい]だけで、後は親の自己満足と自分
たちのエゴを押し付ける子供教育をする時代ではなくなり始めるだろう。
 ましてや、出来ちゃった結婚後、子供を[バービー人形症候群]的育児だけではどうかという
疑問をこのオリンピックを通じて再確認した。
 親が早熟に子供の天分や才能、何が好きで何が不向きかを[親の絆]における責任を子も親も
共有し合って、お互いが可能である[リスクとコスト]を共に分担し合い、その目標へ向かって
行く。その為に、親が自分の子供をディレクションしてゆくための”感受性と知性と経験”が必要
となる。それらによって、育児と幼児教育することでたとえば、12,3年間程、これを子供と親が
この時間と責任と夢を共有し、突き詰めれば、彼らの人生の残りと言うよりも人生そのものが、
一生その世界か周辺マスコミ界でやって行ける結果の実例を生んだのも今回のオリンピックで
あろう。
 と言うのも、僕が今の日本の社会を見ていると、[世間]がばらばらになり始めたと感じて
しまうからである。タダ、その世間の”ばらばら感”の裏側には[金・情報・モノ]だけに偏向求心
した[拝金主義的社会構造]が出来上がってしまっている現代日本を嫌がうえにも感じてしまうの
である。
 多分、戦後の日本人が施されてきた教育自体に、そもそも[日本人的なる新たな日本と言う
国を作るためのSTANDARD]教育が施されてこなかったのだろう。例えば、今の日本の多くの二世
政治家たちの解り易過ぎる[アメリカ一辺倒現象]政策はこの後遺症を未だに引きずっている
失礼であるが、もう終わっている人たちなのである。
 「グローバリズム」という「新たな植民地政策主義」的な時代性とは???
 
 2)「再び、モードの世界へ、巴里は?」
 現在の「モードの世界」をこの眼差しで見ると少しその状況が違って見える。
親がデザイナーであるから子供もデザイナーになると言う実例は、実に世界規模でも少ないし、
その殆どが成功していない。無理やりか政治的に為らされてしまったという例は巷でよくある例
だが、これとて、早熟な英才教育を施されずに促成栽培的が多い。
 天分と感覚と美意識がモノをいう世界であるからか、または性的に同性愛者が多い世界である
からでもあろう。それにこの「モードの世界」の現実はデザイナー一人の世界ではなく、所謂
[共同体]化した”アトリエ”をどのように構築してゆくか、そのアトリエをどのように継続して
行くかが必須の実業の世界だからでもあろう。
 この結果があらゆる意味での[異種混合]を好む世界になったことは確かであろう。
現代のパリにおけるオートクチュールの世界の内側を見てみれば一目瞭然である。
 パリのモードの世界の人たちはここへ来てモードの世界も情報化とグローバリズムによって
[ファッションビジネスはショービジネス]と言う状況をもたらし始めた。それによってより、
ラグジュアリーなブランドビジネスはモードをタダ単に自分たちのブランドのイメージつくりと
そのイメージによってより、ラグジュアリー度をアップさすだけの実態へと移行し始めた。
 その現れが、彼らたちは[”モード”でイメージ生み、”コスメと香水”それに”バッグやアクセサ
リー”などで実の売り上げを取り、その儲けで自分たちの屋台骨である老舗ブランド・マークの
クオリティを”金モノ”と言われる”時計”と石モノといわれる”ジュエリィー”をより充実させ、
維持させてゆくと言う方法に去年後半以降、そのほとんどのラグジュアリーブランドメーカーは
彼ら自身で自分たちの価値を移行させ始めた。
 その結果がモード誌のイメージ広告合戦へと移行し、広告を貰うためにメディア関係者達は
”パリコレ詣で”をしなければいけなくなり、ここでもファッションジャーナリストたちを大いに
勘違いさせ始めている。
 「広告が貰えれば良し」と言う短絡的な見方と、それをプッシュする関係の癒着が紙面にも、
より多く反映し始めてきている。これは何も日本人メディアとジャーナリストだけではないが
一番利用されて、「ビジネス的には日本を制して今後は中国を制したい」と言う彼らたちの
”世界戦略”に大いなる勘違いをしているのも日本人ジャーナリストたちである。
 それに、もう一つ新たな”モードの価値”を作り始めたのもパリを中心とするラグジュアリィー
ブランドである。その新たなコンセプトは[誰しもがアーカイヴを持ちえ始めた]という視点で
ある。そのために自分たちのアーカイヴをより価値あるものにしてその価値によって新たな差別
&ステータス化を考え始めたのである。
 彼ら達のコレクションがショー・ビジネス化し、始まったことによってこれ見よがしの
ショー的なる衣装造形服を、これ見よがしに見せて後は、”デッドストック”と言う縮図から、
これらを同じストックしておくならば、自社のストック置き場で保管していても”仕掛かり
在庫”として、課税対象になってしまうだけである。そこで、違った場所へおいておけば
違った、”新たな価値”が生まれると言う構図を考え出したのである。
 その違った場所とは[美術館]である。ここへ寄贈すれば、税金対象にもならず、唯、時間が
経てゆけば、それだけ”新たな価値”が生まれると言う骨董的価値をこのモードの世界へ持ち込み
始めたのである。
 これも、総てのブランドがアーカイヴを持ちえても、これをやれるのはやはり、選ばれた
ブランド、デザイナーの質ある個性豊かな仕事のみに限られるのは当然である。
 今後この影響は多々出てくるであろうしそれによって、[ファッション・エキビジション]が
増えてくることも明らかに読める[新たな環境と風景]の一つである。
 去年からでもJ・アルマーニ、S・フェラガモ、スキャパレリ、V・ウエストウッド、V & L、
etc.の展覧会が開催されたことでも読めるであろう。
 この”新たな価値”についてゆけないのが現在の「東コレデザイナーたち。」だろう。
現在と言う時代性からとその「ブランド名」によって、辛うじて[ファイナルホーム]は海外の
関係者達には人気があるブランドだ。他の大半は[時代の悪趣味化]路線でTV芸能人頼りの
ビジネスへ走ってしまうであろう。
 もう一つ、ここに来てパリのモードの人々は「オートクチュールのための人材」としての
デザイナーを、若き才能ある"新人デザイナー"を発掘し始た。そして、彼らたちにより、多くの
チャンスを与える方向へとシフトし始めたことである。
 たとえば、この11月20日にパリから8人のデザイナーたちが選ばれてサンディカ主催のショウ
を北京で開催するのだが、この8人のうち、4人が僕も審査をしにその後、毎年呼んでもらって
参加している[フェスティヴァル・イエール]の受賞デザイナーであり、また重なるがフランス
文化庁が毎年有望な新人デザイナーたちへ[ANDAM]賞を与えているのだが、このANDAM賞を
うち4人が受賞している現実。(実はこのイエールも、ANDAMもY・S・L、LVMH、ロレアル
グループが実際の賞金をバックアップしている。)
 彼ら、有望な新人デザイナーを選りすぐって中国へ連れてゆくということは彼らたちに将来の
ビジネスをこの国で委ねたい為でもあり、当面ではやはり、彼らたちの生産国として
[新たな環境]を新人達へあてがう為でもある。
 結局、この国の”モードの世界”は[オートクチュールが大黒柱]と言う論理が今も歴然として
この国のモードを牽引し世界に於ける、[モードのショーケース]化を担っているのである。 
 そして現在のように経済のインフレ状態が長く続き、新たな階級(ヌーボーリッシュ)が誕生
し始め貧富の差が大きくなろうとしている時代性にはこの[保守性]は[新たなる革新の為の
保守]としてその役割を果たすという視点だ。

 3)「そして、再び東京」へ、
 今回、東京へ戻ってきて一番驚いたことはこの東京にも[新たなる金持ち階級]が登場し始め
ていること。しかも彼らたちの年齢が若い。30代前半から45歳ぐらいの年代層にこの新たなる
成金層が形成され始めている。彼らたちはIT関連産業での成功者であり、ゲーム産業、音楽産業
それに、飲食産業となって今年の高額所得納税者リストを賑わせている。結果、彼らたちは
”新しい階級”を形成し始めたといえる。なぜならば、戦後の日本社会における金持ち層は大体に
高年代層から順序的になっていたものがここに来て所謂、[飛び年代の金持ち]が彼らたちに
よって構成され始めたことである。
(別紙参照)
 これに気が付いたのはある日新聞を読んでいたら、あの焼肉屋で若い人たちに人気のある
チェーン店[牛角]の社長が35歳ほど、その彼が社長を辞めて会長になり新たな社長が31歳。
会長になった彼はその後、コンビニのチェーン店[AM/PM]を買収してそこの社長を兼任する
と言う記事であった。これは凄いぞ!!新たな日本の階級社会を形成する原動力になる。
という視点と興味を僕が持ったことからである。
 多くの彼らたちは10年ほど前までは単なる[オタク]。しかも、ゲームやIT関係の大半が
ネクラなオタクであったはずだ。学生起業家として登場し、そのまま時代を猛烈なスピードで
走り始め、この10年ほどで時代の寵児になり資産をも持ってしまった。そんな彼らたちがどの
ようなお金の使い方をするかと考えれば面白くなってきた。先ず、住空間、オフィス空間は
ウオーターフロントの高層マンションの最上階。これ見よがしのインテリア空間。次が車。
これも彼らなりのこれ見よがしの外車を幾台も。そうなると彼らたちのファッションは?
 そう、彼らが学生で[オタク]だった頃はポロシャツにチノパン。続いてT-シャツにジーンズ。
先ず、ファッション感覚はないに等しい世代。彼らたちはエンタテ―メントの世界をそれぞれの
分野で目指した世代であるがために基本的なお金の使い方は派手になりそれも周りからどのよう
に見てもらいたいかと言うある種の[見せびらかしの消費]行動が主になってしまっている。
 そこで海外有名ブランドモノを買い漁る。その情報ソースとしてのファッション雑誌が売れる
それがイタリア男の成金モードを扱った[LEONE]で代表される。そこで従来であればこの手の
客はデパートでは西武へと流れたのであるが、今は伊勢丹が一人勝ち的存在として、タイミング
よきリ・ニュアルで余計に成功しているのが現在の東京メンズ・マーケット。
 伊勢丹のバイヤー、高田氏に聞いたところやはりこれらの新・成金階層がしっかりと伊勢丹の
顧客であり高価なシューズが難なくしっかりと売れてゆくと言う。セレクトであれば、U.A. で
あり、ブランドでいえば、芸能人に人気の”ディオール・オム”であり、”グッチ”であり”ドル・
ガバ”であり”LV” となる。
 総てが[見せびらかしの消費]的発想で芸能人ご用達ものしか受けない。彼ら達はもう、
”裏原”ではなく、”ストリート”でもない、今やこれらの層をどの様に手なずけるかが勝負どころ
 従って、スーツも美味しいアイテムになってきているのもこの新たな社会環境の変化によるも
のであろう。したがって、今は女物よりも男物の方がそれ相当の高額物スーツやシャツなどと
靴、ブルーミングや化粧品類までもがセットで売れている現実もここに在る。
 では、彼らたちはどの様な女性たちに金を使うかと考えてみよう。
ここでも[見せびらかし]というキーワードは生きる。見た目の派手でセクシーなセレブな
女性、芸能人的な女性、自分がよく行くクラブやキャバクラのホステス的な女性へ。
 ここでの女性モノがどの様なものが売れるかも想像が付く。
やっぱり、海外有名ラグジュアリーモノ。「派手」「セクシー」そして「高モノ」。これではあの
ひと時代前の[バブル期]と変わりは無いのでは?と言うことになろう。が、彼らたちの消費
行動を考えればやはりそのような[見せびらかしの消費]になってしまうであろう。
 従って、この層は[ネオ・バブル期]を迎えているのが現在であろうし、[保守化]へと
向かうことも明らかである。
 ここで話を伊勢丹のメンズフロアーに戻してみたい。
この3階フロアーの”ヨウジ”、”一生”そして”CdG”のコーナーを見てみると、如何に前者の2ブラ
ンドが古く感じてしまっても仕方がない状況を見せている。こんなにスペースを貰っているのに
これでは商売をする気があるのですか?と言いたくなる。
 それほどに”CdG”がすばらしいのである。その気でもって商売を楽しんでがんばって、大いに
売り上げを取っているからである。所謂、「独り勝ち」というやつだ。ここでは、あの"M.M.
マルジェラ"さえも落ちてしまい始めている。例えば、一つのアイディアとして、このブランドは
レディスでの新しいブランド「#04」のメンズ版を現在の日本の新たな社会状況の中で、MD化
された手法も面白いのにと想うのだが?
 それにしても、彼らたちの「見せびらかしの消費」は日本社会の「悪趣味化」とシンクロして
彼らたちを頂点にしてそれ以下の東コレ・ブランドの多くはその趣味の悪さをうりにし始めて
いることもこの機の東京の現実である。
 バービー化現象や芸能人ご用達現象でだけがファッションでもない。ここにはセンスや知性が
感じられない。むしろ、表層的であり、一時的な刹那的なモードしかファッションでないような
状況をも作り出しているのがスタイリストやファッションライターと称する連中であろう。
 メディアも受けさえすればいいとこれらを歓迎する。ますます、増長した悪趣味風景を
「セレブ」とメディアで騒ぎ、”東京化”してゆく。ここには何ら知性や教養が感じられない。  
「躾」と「恥じらい」を喪失させる。「ボン・グゥ」を知らないことをもってデザイナーぶって
いる当人たちの”確実性”とは???
 やはり、東京のデザイナー達は「STREET MUSUC CASUAL」+「古着+リメイク」に
特化するしかないのだろう。

 前回の「DISCIPLINE会」ではここまでをお話したかったのですが、
体調が優れずに、済みませんでした。
次回をお楽しみに。
文責/平川武治:
初稿/2004-10-27 :

投稿者 : take.Hirakawa | 2004年10月27日 00:34

2004年9月24日

<2004年09月版>「変わり始めたモードの新しい環境と風景。」+<臨時特別ニュース>「あのアントワープ王立アカデミィーモード科主任教授の リンダ ロッパ先生が”POLI MODA校”へ移籍!!」

strong>「平川武治のノオトブログ;The Lepli ARCHIVESー08;」です。  <臨時特別ニュース>「あのアントワープ王立アカデミィーモード科主任教授の
リンダ ロッパ先生が”POLI MODA校”へ移籍!!」strong>
 今回のアーカイヴでは、あの”アントワープ・王立アカデミー”校の変貌について二編です。
”2004-09”初稿版「変わり始めたモードの新しい環境と風景、アントワープ編」と
”2006-09”初稿版、<臨時特別ニュース>「あのアントワープ王立アカデミィーモード科主任教授の
リンダ ロッパ先生が”POLI MODA校”へ移籍!!」の二編をアーカイヴとして取り上げます。
 時代が変わろうとしている兆候はやはり、人心にその根拠があるのでしょう。

文責/平川武治:

「変わり始めたモードの新しい環境と風景、アントワープ編」
初稿/2004-09-24;
―「過ぎ行かない過去から逃避せよ。」
 あれほどまでに華やかで創造性に溢れていた筈のこの街のモードも淀みが始まった様です。

 「名声は川のようなものであって、軽くて膨らんだものを浮かべ、
重くて、がっちりしたものを沈める。」/ベーコン随想集。
 
 この世界ではもう、少し古い話になってしまった、5月も終わりに「コムデギャルソンのための
コムデギャルソン展」を川久保流、社員研修のために同社のワンフロアーを使って1週間の開催の
初日だけを見て、すぐに恒例のアントワープ・ロイヤルアカデミーの卒業コレクションの審査の
ために出かけた。これが今回の旅の始まりでその後、結局、約2ヶ月をヨーロッパで過ごした。

 1)「アントワープが、何か変?パリに近着き過ぎたアントワープ。」;
 恒例、この街のロイヤルアカデミィの卒業コレクションが今年は6月17,18,&19日に行われた。
 結論から言おう。
今年も低調だった。昨年が悪かったので今年は?という気持ちがあったが昨年よりは良かったの
だろうが、正直言って、このままでは数年前にあのバーナード・Wやアンジェロ・Fが出て以来、
当分,彼らのような逸材は輩出されないだろうと言い切れる。歯に衣を被せない、僕なりの言い方
をしてしまえば、ドリス・V・Nレベルの学校に成り下がってしまった。(デザインの根幹の違い)
と言えようか?
 では、なぜ低調だったか?
コレクションの作品において、生徒たちが迷った挙句のコレクションが多かったと感じたこと。
この学校は本当にびっくりさせてくれる、成熟した人間が作る自由な精神の元で創造される作品
に出会う、ヨーロッパでも数少ないモード学校のコレクションであったはずなのに昨年と言い、
今年も「おや、どうしたんだ?」と言ってしまうような、感動するほどの知的な作品もないし、
驚くほどセンスのよいモードな作品も無かった。多分、生徒たちはこの両極の間で迷った挙句の
コレクションだったのでは?
 アントワープが巴里、モード界で騒がれるようになったのはやっと、10年そこそこである。
‘85年に政府観光局がらみで、かの「アントワープ・シックス」が東京へショーをしに来たことが
あった。この時はほとんど騒がれず、それ以上に当時の日本人デザイナー(この時期の山本耀司と
川久保玲の”黒の旋風”)の凄さを目の当たりにして帰国し、以後、彼らたちはこの「ヨウジ」と
「コムデギャルソン」をお手本に”モノつくり”から”ビジネス”そして、”プレスコントロール”
までをも切磋琢磨した。その後、巴里のモード界で現在のような名声を得るためには’88年の10月
を待たなければならなかった。先輩O.B.であるあの、マルタン・マルジェラの登場であった。
 彼はこのアカデミーを卒業後、J・P・ゴルチェで3年半ほどを働き、独立準備に1年半を費やし
ての登場がこの時。以後、彼の創造性と高度なイメージのつけ方はご存知のとうりである。
 そして、ロンドンやミラノへ出かけては試行錯誤を繰り返していた”アントワープ・シックス”
の5人はやっと、‘90年代からのモードが”ストリート”へランディングし始め、新たな環境と風景
を見せ始めた時に巴里へ上陸することが出来たのである。
 そして、’90年代の殆どがこの巴里でも、彼らたちはアントワープ派とまで呼ばれ、彼らたちの
うねりの時代になった。当然であるが、彼らたちの母校が注目されこの様なモードの学校が在っ
たのだと言う驚きと共に多くのジャーナリストを味方につけた。何を言おう、この僕もそんな中
の一人であった。
 確かに、今でもこの学校の教育レベルは他国のモード系学校からは抜きん出ている。
インテレクチュアルであるし、エモーショナルな表現が巧いし、オリジナリ性も豊かである。
 やはり、この街の「根っこ」がユダヤ人の町であるために彼らたち独特な感情表現の巧さと
ビジネス上手を育ちとして持っているのが強みである。僕はこの学校とリレーションが出来て
から多くのこの街が輩出したデザイナーたちと関ってきたが、彼らたちに共通する所は「エゴ」
が強いことである。彼らたちの”エゴ”の強さをモードの世界で教育して来たのがこのアカデミー
であろう。
 このアカデミーがここ1,2年来、少しその状況に変化が出てきた。
街が変わり始めた。モードの関係者たちがこの街をモードによって変革させるパワーを持って
実行し、確実に彼らたちのイニシアティブを持ちえた。「フランドルファッション研究所」が
出来、政府と市に掛け合って空きビルを貰ってリノベーションして見事な"モードの殿堂"を
築いたのが2001年。以後、この街のモードの人たちは特別の人たちになり、街が変化し始めたと
同じように彼らたちも変化し始める。例えば、日本人学生が"ブランド志向"宜しく、ここ2年来
毎年12人ほどが入学をしている。20%を"日本人"でと言うような枠を作ったのであろうか?
 それまではよく、僕にまでこの学校の先生は日本人学生を嘆いていたはずなのに、ここに来て
なぜ12人も? 
 調べてみると、この2年来アジア系の学生には年額費が40万円が加算された。
それまでの全生徒、一律60,000円ほどで良かったのが、急に値上がりしてしまっている。
これはこの国の政策であろうがこれを請求したのは当事者たち、アカデミーの先生たちである。
 日本人や韓国人をはじめとするアジア系生徒たちは語学の問題も含めて手間暇が掛かるからと
言う理由からの”値上げ”であろうか?
 その為、昨年も今年も日本からは12人が入学をしている。当然、昨年の5人ほどはもうすでに
落ちてしまって2年生へ進級出来ない。東京の新興ファッション大学もアントワープブームに
のかって、生徒を毎シーズンコレクション時期にこの街へ連れて行き、この学校の先生を窓口に
特別講義と称してクラスを設けて先生たちにアルバイトをさせている。
 僅か数時間の講義を終えた生徒からディプロマを出してほしいと質問されてとんでもないこと
と慌てふためいた事件もあったほどである。
 このような様変わりはかつての、ロンドンのセントマーチン校を思い出す。
以後、この学校も実質のレベルが下がったほどであった。今まで、静かで小さな田舎町が、質素
倹約でつつしみやかに生活していたこの街がモードによって都市そのものが変革したことで確実
にこの街の経済効果も上がり社会環境も、そこで生活している当事者たちも変化したのが現実
であり、今では騒々しい小都市化へと移行、”小巴里”になろうとしているように感じられる。 
 ここに問題の一つが在ろう。アントワープが巴里化しても始まらないのである。
すでに、世界レベルでファッション情報が飛び交いメディアがひしめき合ってそれらの差異を
イメージの世界で均一化し始めているので余計に、この街の生徒たちはこれらのイメージに翻弄
されて彼らたちがこの街で学ぶアイデンティティが無くなって来ている事もこのアカデミーに
多少の変化与えているであろう。ここにも、モードのイメージによる「グローバリズム」と言う
”新しい環境と風景”が現れ、現実化してきていることが感じられる。
 EUになったことも大きな要因であろう。EUにおける都市間の差異がちじまり始め余りにパリへ
近ずいために学生が中央集中型になってしまうと言う変化が現れ始めたと僕は読んでいる。
今ではこのアカデミ-もベルギー人は少なく、ユーゴスラビアをはじめとする東欧、オーストリ
アとドイツ系が多くそれにフランスやイスラエル、中東と先のアジア系で占められるように
なってしまった。
 この学校が今、本当にしなければならないことは生産背景を自国または自分たちの手が届く
ところで拡大することである。卒業生は毎年出て来るが彼らのコレクションの生産を引き受けて
くれる工場が不足している現実を解決しないでこの街もイタリーへ逃げている(?)
 先生と言う役割を考えてみると、生徒を”迷える羊”と思って、彼らたちにあった「囲い」を
作ってやって、「さあ、ここでやりたいことをやりなさい」方式で行くか、生徒たちの個人能力
を認めて、彼たちを飛び立てる鳥という発想で、彼らたちにあった「窓」を開けて「さあ、大きな
青い空へ、」と飛び立つことをすすめることも先生の役割であろう。
 当然、これは生徒個人の才能にも学年にも依るであろうが、その判断がシャープだったこの
学校の先生たちが鈍くなってきたのか?と言う判断も僕は考えてしまう。
 今年の審査員を選ぶところで面白いことがこの学校で起こった。
学校側は最初あの、”トム・フオード”へ先ず、依頼した。が、勿論「No!」。次にプラダへ、
これも「No!」。そして、最後にA・アライアへ。彼も「No!」。
 結局は地元のパターンも出来ない卒業生デザイナーP.ブルーノとパリからプレスのKUKIと
ブティック、マリアルイザのマリアがメインジュリーとなったと言うお粗末なことが起こった。
 なぜ、トムなのかが僕にはわからない。生徒のためなのか、先生達の為なのかと言う問題に
思われてくる。多分、卒業生のことを思い就職先拡大化のためなのだろうか。インデペンデンな
デザイナーが誕生しにくくなったことを予感しての行為?とも考えられる。
 最後に、なぜ、僕がD・V・ノッテン止まりかと言うと、ここ数年来、この学校からのデザイナ
ーが殆どと言っていいほど独立出てきていない。これは、新人がデヴューし難くなったと一言で
言ってしまっているが、これは先にも挙げたが、現実の問題がある。
 この国、地方での生産環境が狭くなり始めたこと。
もう満杯で新たな新人デザイナーのものを生産できる工場のキャパに余裕が無くなり始めた。
 従って、この街のデザイナーのモノがそれなりの物であるのに売値が高くなり始めたり、
デリヴァリーも悪くなってきたデザイナーもあり、折角、独立しても落ちてしまうケースが多く
なってきたことが一番の原因であろう。そこで、卒業生でもビジネスが優秀なデザイナーが、
この街1番の稼ぎ頭で、彼は既に、この街の郊外に城もどきの邸宅を買って住んでいるこの街の
”ファッション・エンペラー”であり、そのドリスの元へ一旦、卒業生たちも就職してしまう
ケースが増えているのである。結果的にはドリスがいつも若くて才能ある卒業生を自分のアトリ
エへ迎えられると言う美味しい状況を作っているのも現実である。
 この例では、あのアンジェロ・Fとの間に、イタリーでは珍しくもないが、この街では珍しい
[ファッション・マフィア的な]出来事が起こっている。
アンジェロの非凡なる才能に大いなる興味を示したドリスは彼の事実上のデヴューコレクション
を後ろから支えいろいろな面倒を、たとえば、展示会場のスペースを貸してやったりして所謂、
面倒を見てきていたのだ。が、結果、最近になって判明したことに、このドリスの会社が、
”アンジェロ F."のブランド名の”登記”を彼に内緒で数十年間もドリスの会社がホウルディング
する内容の契約を交わしてしまっていた。従って、当のアンジェロはこの契約期間中には自分の
名前なのに”ブランド名”として自分の名前が勝手には使えないと言う隠された事件まで起き上が
っている。
 アンジェロはイタリア人という現実も手伝ってか、誰もこの件に対しては手が出せない。
これがこの変わったこの街のある現実の一コマで在る。
 従って、この学校からしばらくは大物デザイナーが登場するのは至難の状況になってきたと
言える。これがモード都市へと成長を遂げている現実のアントワープの新たな環境と風景の一部
の昨今である。
 結論を言えば、[巴里は巴里一つでいいのである。アントワープが巴里化する必要はないので
ある。]
 ”巴里”に近つきすぎ、差異が見えなくなり始めたのだろうか?
或いは、アカデミーに君臨するファッショングルービー達の”ドンキホーテ現象”であろうか?
文責/平川武治:
  *
 2)そして、このブログから二年後に次の様な出来事が起こった。
実際に、この”ファッショングルーピィー”の賑わうアントワープが狂い始める。

  **
Part-2/<臨時特別ニュース>
「あのアントワープ王立アカデミィーモード科主任教授のリンダ ロッパ先生が”フィレンチェの
POLI MODA校”へ移籍!!」
初稿/2006-09-14:
 日本でも既に、ブランド的モード教育機関になってしまった、アントワープ王立アカデミィー
のモード科を代表する主任教授、LINDA LOPPA氏が突然辞職。
 『 2006年09月13日、アントワープ発;
 本日、王立アカデミィーのモード科、主任教授であり、彼女自らが提唱者の一人であった、
”FLAMAN FASHION INS.”(FFI)/フラマンファッション研究所”及び、新設されて間もない、
「国立アントワープ服飾美術館」館長をも兼務していた LINDA LOPPA女史が突然、総ての職を
辞任した。』
 今年2月に地元ベルギィーの新聞で”公金横領”のスキャンダルを巻き起こした彼女の、その半年
程後の”アントワープ脱出事件”である。
 即ち、彼女が携わって来たこの街、アントワープにおける総てのモード関係の職を辞任した。
 その彼女の新しい職場は、イタリーのフレンチェに在る、「ポリ・モ-ダ」校へ移籍。
この「ポリ・モーダ」校とは、この国、イタリィーのファッションを代表するS.フェラガモ社が
創設した教育ならびにモードをプロパガンがする研究機関である。彼女、LINDA LOPPA女史の
ルーツはイタリア人。ここ数年来、フィレンチェの「ピッツァ・ウオモウ」関係でアントワープ
のデザイナーたち、RAF SIMONS,ANGERO F.等を送り込んでイベント企画等を行ってきた事も
この経過での新たな動きと見ることが出来る。
 彼女自身も今後、フレンチェに家を買って住み、多くの若いアントワープ卒業デザイナーに
成長した教え子たちのためにイタリアの工場を紹介するとまでの公言。
 これは彼ら、アントワープの若手デザイナーたちや今後の卒業生たちにとって本質的に大切な
事がらであり必然性と大いに可能性を含んだ視点である。
 だが、この移籍の根幹と本意はもっとどろどろしたものがありそうだ。
この一件によって、アントワープのモード科も今後どのような方向性へ向いた教育機関になるか?
彼女の後の”主任教授”を受け持つことになったのは、今までこのアカデミィーの3年生の担任教授
であったあの「6人組」の一人のデザイナー、”WALTER VAN BEIRENDONCK”がモード主任へ
昇進という。
 ”Poli moda(ポリモーダ)校” ;フィレンツェ市内 にあるポリモーダは1986 年創設、
ニューヨークのファッション・インスティテュート・テクノロジー(FIT ) との提携のもと、
イタリア・ファッションをグローバルに学ぶ場所として地元フィレンツェ市やS . フェラガモ社
などの協力で創立されたイタリィーを代表するファッション・スクール。
 デザイン、創造性、技術革新を重視し、 デッサン教室、テクノロジー・センター、デザイン・
ラボラトリー、テキスタイル・ラボラトリー、 図書館等を備えている。
 1986 年の創業以来、世界中から集まってくる生徒数は700人を越え、卒業生の7割が実際の
ファッション産業で働いている。イタリーファッション業界と密接な関係を保持しているのが
大きな特色。ファッションを 基礎から学びたい人、すでに学歴・職歴ある人たちの能力開発及び
文化的教養を高めたい人に向けての応用・専門コースを各種開講しており、夏期講座では日本語
コースも可能らしい。
 <参考サイト>
http://www.vrtnieuws.net/nieuwsnet_master/versie2/english/details/060912_lindaloppa/index.shtml
文責;平川武治:
初稿/<2004-09-24>+<2006-09-14>

投稿者 : take.Hirakawa | 2004年9月24日 19:17

2004年6月30日

<2004年6月>[コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展]企画・解説に参画して。

平川武治のノオトブログ/”ARCHIVES Le Pli-07;" 
[コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展]企画・解説に参画して。
初稿/2004-06-30 :
文責/平川武治;

 ご存知だっただろうか?
6月14日からコムデギャルソンの東京本社内のワンフロアーを利用して
「コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展」というのが始まった。
1)はじめに;
 '60年代後半に立ち上げられたこのブランド”コム デ ギャルソン”の黎明期は”三人”で創業した
ブランドであった。そして、現在では数百人という従業員の企業体になっている。
 このCdGブランドの黎明期を知っている業界人やジャーナリスト達はその数も減って来たのが
現実。この状況は、当のCdG企業内の社員も然りである。
 現在のCdGブランドとその商品しか知らない社員が増えて来たことを危惧なさった、オーナー
デザイナーである川久保玲さん本人の発案でこのとっても贅沢な企画が発案なされ、僕が具体的
なこの展覧会のためのコンストラクションを提案させて頂き現実した。
 「うちも、人数が多くなり、昔のコムデギャルソンを知らない社員が多くなって来たの。
なので、そんな社員たちに何か、”コムデギャルソンとはどんなブランドだったのか?”の何かを
やっていただけない?」と言う趣旨が発端。
 そして、「私はご存知の様に忙しくって、時間がないんです。」「あなた、手伝ってくだされ
る?」で、僕は大喜びと言う次第。
 これは、ファッション企業多けれどたぶん、世界でも最初の試みであろう。
1週間のみの展観であり、観客対象はコムデギャルソンの社員のみ。アトリエで働く人たちも
各地のショップで働く人たちも総て,社員が対象。正に「プライベート・ミニ・展覧会」で
ある。一企業が自分たちの社員のために、思い切り私的な発想と規模と条件で行われたとても
”贅沢な展覧会”である。
 本音を言ってしまえば、“企業トップ”としての義務と責任感の強靭な表れであろう。
そして、その内容はどこへ出してもおかしくない寧ろ、出せば、確実に一般のファッションに
興味がある観客たちに感動と興味と楽しみそして、お勉強が出来るまでの「小規模だけど充実」
した展覧会が始まった。

2)”The Root of the Comme des Garcons” /
ーーー「全く育ちの違う3ブランド。それでも、同じ服。」 
 前述の様に、企業コムデギャルソンは自分たちの新しい社員へ向けて何かしなくてはという
ある種の危惧からの責任ある行動として今回の企画展[コムデギャルソンのためのコムデギャル
ソン展]の発端になった。
 若い、新しい社員が年々増えてくる。彼らたちとの”共通言語”を模索しなければならない。
そして、その共通言語で共有して行かなければならないこととは、それらが今後のこの企業の
存続と隆盛を決める。もしかしたら第二の渡辺潤也が生まれる可能性だってある。 
 [コムデギャルソンとはどんなブランドなのか、どんな服をどのような精神と時代観で創って
来たのか、どのようなメッセージを時代毎に発信していたのだろうか?]
所謂、[コムデギャルソンらしさとは?]を服屋は服で語ろうという極シンプルな試みである。
そのためにこのブランドは贅沢で高品位なアーカイヴを持ち得てしまっているので川久保玲は
それを利用して何かやれないものかの思いと責任感がこのミニ・コムデギャルソン展に進展し
それに僕も企画とこの展覧会のための解説を書くことに加わった。

3)"The Concept for the constractions"/
 ーー第1回目であるので、明快なコンセプトを提案した。
 ‘92年を軸と考えた。この年はモードの世界観が大きく変化の兆し表し始めた年である。
クリエーションでは、[モードが地上へ舞い降りてきた。]即ち、特権階級者のためのモードが
戦後の新市民階級者たちのモードになったように、このころ、バブル経済崩壊後から新たな市民
階級者が認知された。
 そして、モードを提供する側はいち早くこの新・階級者たちを見逃さず、自分たちの新たな顧客
に加えるためモードをより、中産階級者のためのものへとストリートから誕生した当時のサブ
カルチャーやユースカルチャーの影響を受けたミュージュックカルチャーのMTV化、ストリート
スポーツの大衆化その結果としての、グラフィチィや古着の再流行、リ・サイクル、グランジ、
リ・メイク、リ・ミックス等など、ストリートでの”リアリティ”が音楽シーンと共に大きな影響を
受け、モード化され始め、提案され始めた時代の動きがあった時だ。
 次に、イメージ戦略と広告戦略に湯水のほどに投資して自らのブランドのイメージ再建に、
エゴイスチィックに半ば、暴力的にファッションメディアを巻き込み結果、トム・フォードと
いう今までこの世界には不在だったスーパースターが「ファッション・ディレクター」として
誕生し、自作自演を演じることでグッチブランドの再生化に繋がるというこの世界ならではの
荒療法を持って登場した。
 彼はN.Y.の地場産業とも言っておかしくは無いこの街の広告産業を見事に利用したイメージ
戦略と広告戦略を持って登場した。その後、この影響は言わずと知れたもので、モードの世界で
再び[ラグジュアリーブランドの時代]を誕生させるまでに至った。プラダ然り、ルイ・ヴィト
ン然りそして、あの”LVMH対PPMR戦争”へと突入して行ったことは忘れてはいまい。
 これらの影響を順風万帆に受けてその後の変化を、このモードの世界をより市民生活者へ向け
進化させたのが、[モードのグローバル化]だった。
 アメリカのインダストリアル・ファッション・クロージングの世界即ち、アメリカの軍服、
作業服メーカー上がりの衣料品世界の人たちが、発達したテクノロジーと通信技術を利用した
世界規模でのMD戦略とラグジュアリィーたちと同じレベルのイメージ戦略に投資し、中国、東南
アジアを一大生産基地として世界を目指した。その成果がやはり、‘92年に巨大「GAP」再生させ
た。以後、北欧という新たな地誌から”H&M”が。そして、工場ブランドを世界規模のグローバル
化させた”ZALA”や”MANGO”もこの’92年以降の現象結果である。
 当然ながら、この世界規模の新たなファッションビジネスは新・市民生活者たちの手ごろな
”ファッショナブル日常普段着”として巨大マーケットを築き始め、既存のプレタポルテファッシ
ョンデザインビジネスを「低価格」と「高イメージ」で大いに脅かし始めた。
 この最盛期はまるで、[ラグジュアリー対GAP] の勢いまでを感じさせるほどだった。
当時は彼らたちの狭間に挟まれたプレタポルテ・ファッションデザイナーたちは瀕死や溺死状態
たったといっても過言ではなかった。拝金至上主義な、ファッション・メディア誌上で大いに
屈辱として、広告ヴィジュアル先行のビジネス戦略に自分たちの肩身の狭さを味わった。
 この年’92年に”ブランド・ジュンヤ”が東京でデヴィーした。CdGも確かに、この時期以降
[ストリートテイスト]を認識した美意識と創造性を持って実際にハッピーに着れる事を大いに
意識したこのデザイナーらしさの品位ある作品群へと進化していった。
 例えば、反対に”V&L "などは’90年代半ばから、これ見よがしの、”着れないファッション・
オブジェ”を、遅れた視線でこの世界へ侵入してきたファッション・プロパガンダなフェローに
過ぎない。 
 僕の今回の企画においての”眼差し”の一つとして[‘92年]がこうしてコンセプト・キーワード
となり、展覧会になった。
 そこでの展示方法は’92年を代表とした「GAP」と「CdGとジュンヤ・W」をある種哲学的発想
を持って[二項対立]的手法と空間演出を行った。
 [CdG]が‘92年以降の彼らのアーカイヴから代表する創造性豊かなストリート性が強いものを
トータル50体と’92年の[ジュンヤ]デヴューコレクションを初めとした50対余り。それに、
[GAP]が40体ほどの規模で、を[二項対立]の展観となった。
 「全く育ちの違うこの3ブランド。それでも、同じ服。」
ここでそれぞれのブランドが持つブランドらしさ、そして、見え方が同じ服であっても当然
[根っこ・ルーツ]が違うことによる”差異”をあらゆることから、たとえばこの会場がかもし
出す違和感などと雰囲気からも、身体で感じ、心で読んで欲しいという願いがある。

4)この展覧会のための書き下ろした”拙筆文”を記しておこう。
解説 / 平川武治:
主旨 / ”The Root of the Comme des Garcons”
ーーー「コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展」:
 「あらゆる人やモノそして、存在する全てのモノには「根っこ」があります。
いわゆる「ルーツ」であり、「育ち」の根元です。
 しかし、高度で充分すぎるまでのステレオタイプの情報量が主役となったこの日本の現在社会
の環境では、ただただ、私たちの目先を通過していくこれら時代の表層、過剰情報の取捨選択と
それらを再編集する作業のみで、日常が慌ただしく過ぎてゆくことが、クリエーターと呼ばれる
人たちでさえ、彼らたちの日々の現実の繰り返しです。 
 この様な私たちの日常の風景の中での「根っこ」は自らによってその存在確認すらされない
まま表層のみが社会化され色々な環境や風景を形づくっているのが現在の東京のリアティーで
しょう。
 自らの「根っこ」を自認し、再確認しつつ、ディシプリンしてゆくことでその結果としての
現れが社会的に認知され、認識されやがて、それらが関係、時間、質量そして、存在と経験に
よって「根っこ」は「育ち」、人あるいはものやブランドに「あり得るべき良き姿の本質」で
ある<品性や品格>が備わってきます。

 初めての試みである本「コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展」の主旨は
ここにあります。
 新たに働く人たち、もう既に働いている人たち、即ち、企業コムデギャルソンの社員の人たち
に、自分が働いている企業コムデギャルソンの「コムデギャルソンらしい創造性」とは何かを
自らの眼と心で感じ理解してもらうためのミニ・エキシビジョンです。

 今回の第一回展は手法として<二項対立>的なある種、哲学的発想をもって、ブランド、コムデ
ギャルソン及び、ジュンヤ ワタナベの'92年以後のコレクション・アーカイブの中から
「コムデギャルソンらしい創造性」とは何かを。
 他方、'92年以後台頭し始めたアメリカ発のファッション産業のグローバリゼーションブランド
の先陣、インダストリアル・ファッションクロージング・ブランド「GAP」 製品との対比に依る
展観を試みました。
 この展観をエモーショナルに経験する事に依って自らの心の安心と自信が拡がり、それらが
自分たちの直接の企業内の職域での仕事へ、新しい発想とそして、本質的なエネルギーと昇華し
ていくことを願います。」 
  <二項対立におけるコムデギャルソン>
・与えられたものとしての身体、肉体をどう拡張するか。そこに創造の必然性がある。
・構築されたものとしての教養、美意識、関係、時間、存在などをいかに再構築するか。
そのためのルールの解体がコムデギャルソンらしい創造である。
  <二項対立としてのGAPブランド>
・インダストリアル・ファッション・クロージングの現在のあり方の一つ。
・MDとイメージング+工業製品としての衣料品=ファッショナブル・インダストリアル・
ブランド。
・日常性としてカジュアル、カンファタブル、デイリー、チープ、マスプロダクト、アウトドア、
ストリートウエアー、ユニフォーム/スクール、ワークス、スポーツ。

 そして、”会場構成”は、これらの解説文がグラフィカルに白地のパネルに書き込まれている
だけの風景の中に不連続な連続性を感じるまでのトルソーが建ち並ぶ。

5)おわりに;
ーーー「総ての人が、アーカイヴを持ちえ始める。」:
 これからの時代においてかつて、過去という時代が決して持ち得なかったことが一つある。
それは、「総ての人が誰でもが、企業がグループがアーカイヴを持ちえ始めた。」ことである。
 誰でもが持ちえたアーカイヴだが問題はその量ではなくやはり、「根っこ・ルーツ」と
「質・品性」だろう。それ以外はゴミでしかない。
 コムデギャルソンがこの企画を実行出来たのも彼らたちのアーカイヴが本当に、総てが高品位
で品格が感じられるまでの高水準の作品群だったからである。これらの作品群を創造し続けて
きた企業の存在と環境にも敬服である。ここからこのデザイナーの「根っこ」の一つとしての
”気骨と気概”がここまでの現実を成就させたことも読み取れる。
 「根っこ・ルーツ」を認識することとは、自分自身のアイデンティティを確認することで
ある。植物の世界ではこの根っこにも2種類のタイプの根っこがあるという。
 1つの根は広く大きく、所謂「根が張る」という表現の根でありそして、もう一つは深く
しっかりと太く、所謂「根ずく」タイプだある。
 多分、人間の特異性にもこれは当てはまるであろう。
こうして、それぞれがアーカイヴを持ちえるようになった時代では自らのアーカイブを通じて
自分の「根っこ・ルーツ」を思い巡らすことも大切な時代的行動行為である。
 そこから「未来」が顔を覗かすことすら在ろう。
今回の仕事によって僕が経験したことは自由で自分らしい経験をコストとリスクを持って積み
重ねてゆけば経験そのものに自信が持てる事。それを土壌に考え、思慮深さを積むこと、再認識
すること、再調査をすること。そして、編集することと再学習であった。         
 「博物館学または図書館学」そして、「美術館学」もそうであろう。
今後、アーカイヴが増加状況を創ってゆくことが時代性となった時、「収集学」とでも言う学問
が、時のニューメディアとともに新しい”博物学的発想”が面白く、重要なものになってゆこう。
 今後の展覧会を考えるときもこの時代性は大切な一つのメッセージになろう。

6)さいごに、
 ーーー「よい展覧会とは?」;
 昨年のチューリッヒでの展覧会企画の経験も入れて僕なりのよい展覧会企画とは?を
考えてみよう。
 展覧会企画は、ある意味で「映画を作るのとよく似ている。」良い”シナリオ”が必要である。
どのようにこの展覧会を見てもらいたいかの”シナリオ”である。
 即ち、展覧会のコンセプトである。
また、この”シナリオ”によって空間造形や導線が構想され構築される。
 見せ方としての”ショーイング&照明方法”。それに、キャスチィングとしての展示物の
バランスのつけ方と並べ方などなど。
 今ではもう昔の展覧会のようにお勉強だけの雰囲気では楽しくないであろう。
現在では「展覧会ビジネス」と言う新たなビジネスの領域が、「総ての人が、アーカイヴを持ち
始める。」と言う時代性ゆえに誕生しているからだ。
 現在の展覧会に必要なサーヴィスポイントとは?
1)エモーショナル。感情を与える。
2)興味を与える。
3)楽しみを感じさす。
4)お勉強が出来る。
5)情報が多くある。
6)満足感がある。
7)そして、もう一度感。
8)物販という機能がある。
これらをどのようなレベルとジャンルでまとめ上げるかが展覧会としても重要な時代性である。
 例えば、この発想にあの、「デズニーランド商法」もある。ここにはもう一つ、「食」が
加わっている。
 これらはこれからの日本の社会環境を考えれば、”ファッション産業”にも適用できる。
総てが、「サーヴィス業」。生業としてゆくならばこれらのサーヴィスは物販でも必要になって
くるはずだ。自分たちのブランドの売り場はいくつのサーヴィスが必要か?という視点だ。 
 
 最後に、「社員へのサーヴィス」までを知的に考えた企業トップ、川久保玲。
彼女は自分たちのアーカイヴを使って「根っこ・ルーツ」を知ってもらうことで、この展覧会を
共有し経験した人たちへ「自信と意欲」を与える術として、”服と服”から発せられる共通言語を
もって、”サーヴィス・コミュニュケーション”を投げかけた。
 この結果としての、「共有したエモーション」と「共労する社員たちの”モチベーション”」と
いう新たな「共有言語」が生まれたであろう

 付記;
 6月14日から22日までの1週間の開催期間で約400人ほどの人たちが
この展覧会「コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展」を見てくださった。   感謝。
初稿/2004-06-30 :
文責/平川武治:

投稿者 : take.Hirakawa | 2004年6月30日 08:50

2004年5月27日

NEW-2/「東京コレクションシーズン雑感。」A/W '04~'05版

 平川武治のノオトブログ "ARCHIVES Le Pli"-06;
 「この東京ファッションウイークが始まった昨今と比較してご一読、愉しみください。」 

A/W '04~'05版「東京コレクションシーズン雑感。」
初稿/2004-05-27;
文責/平川武治:

1)スイス バーゼル芸術大学のモード科主任教授の初めて見た東コレとその環境。;
 最近は、気がついてみると東京へ戻ってくる機会が少しずつ少なくなって来ている。
多分、巴里、アントワープに加えチューリッヒでの仕事が加わりその結果であろう。
 今回は丁度、東京コレクション時期と友人のバーゼル芸術大学のモード科の主任教授が
初来日して居るので比較的多く彼女と東コレを見る機会を持った。この彼女の学校は例えれば、
スイスにおける『東京芸大のモード科』にあたる国立大学である。
 彼女、Pia Himmaneは自分自身でリスクを張って、約半年の長期休暇をとり最初の2ヶ月程を
タイ、ベトナム、カンボジア、ラオスそして、ハワイ経由で東京に入り、自分で家を探して3ヶ月
の東京生活を始めている。実際に僕も彼女と一緒にアパートを探したのだが、外国人、女一人
そして,3ヶ月という条件では普通の不動産屋は皆無。鼻から断られ放しを経験し結局、比較的条件
の悪い外国人専門のアパートを蒲田に借りることが出来、今では楽しく東京生活を行っている 
 ヨーロッパの多くの学校がそうであるように彼女の学校も3年生になると最初の半年は自分たち
が希望するデザイナーのアトリエや企業への研修参加が義務付けられている。
 そこで彼女はこの機会を利用して経験として憧れでもあった東京のファッションシーンを体験
し、出来ることなら東京の学校と自分たちの学校とで生徒たちが交換学習を出来ればさせたいと
いうもうひとつの目的を持って来日した。
 そして、実際に彼女が幾校かの学校訪問を行ってみると現実の答えは殆ど決まっていると
嘆く。『それは是非、やってみたいのですが、今は未だ、、、、』それと廻っているうちに基本
的なレベルが違うことにも彼女は気がつき始めた。そこで今度はショーを見て彼女が興味を
持った東京のデザイナーのアトリエで研修が出来ないかと。これも現実では『TOGA』がO.K. を
出してくれたがやはり、至難。これから『ミントデザイン』や『ATO』を回ってみる予定だが
このレベルのアトリエはかなり可能性が無きにしも非ずというところであろうか?
 残す、3週間ほどでどれ位、彼女が最初に夢見ていた東京ファッションシーンでの学校や
デザイナーとの交換研修などのコラボレーションが可能か?これも現実としての現在の
東京ファッション教育レベルの一端と現実であろう。
 そして、彼女が見た限りあるコレクションの中では、『TOGA』『FLABOA『MINTDESIGN』
『SUNAOKUWAHARA』などに好感と興味を持ったという。そして、少し彼女にとってはきつい
モノが在ったキッチュな『DRESSCAMP』はある面でとても東京的だったと。
 彼女は自分の経験と立場上、何のために洋服をデザインするかの『根っこ』を読む。
その発端としてのコンセプトそして、クリアティヴィティを重視する。 これらは彼らたちの発表
された服と彼らたちが感じた時代の雰囲気が質よく、高く提案されていて、何のためにデザイナ
ーと自称する人たちがコレクションを発表するのか?その根本的な『根っこ』の部分の世界観が
全体のビジネスマインドや売名行為以上にオリジナリチィを感じさせるかにプライオリチィを
視点として見た結果だという。その結果、全体的にはビジネスが優先されていると感じたらし
い。しかし、これは無理もない、彼らたち東京のデザイナーたちは一応「プロ」であるからだ。
 これはPiaの学校やヨーロッパにおける他の国立芸術系工科大学校のモード科ではアントワープ
もオランダのアーネム、ブリュッセルのラ・カンブル等僕が審査員をさせて頂いている諸学校も
同視点である。[質の高い創造性と自由な時代感]を好きな服の世界で教えるという立場を
取っているからであろう。
 これら僕が海外でコンテストや彼らたちの卒コレで学生たちに接する時の僕の責任としての
視点は、『クレアティヴィティ、クオリチィ、イメージ、ウエアラブルそして根っことしての
コンセプト』であるが、巴里・コレ等でのプロの仕事になるとこれに『ビジネス』という項目を
加えて評価し、これらのそれぞれがどの様なバランスでまとめられているか?が評価の軸として
いる。      

2)戻って来る度に東京は『悪趣味』が蔓延化している。;
 これはこの街が持ち得てしまった一種の時代感なのかも知れない。
かつての’30年代初頭にはドイツを中心として『キッチュ』が登場した。時代のあだ花としての
”キッチュ”。
 今回の僕は巴里のデザイナー”JEAN COLONNA” を連れ立って帰国した。
彼も日本企業とのビジネスマネージメントが巧く行かず、あれだけの才能と実力そして何よりも
人間的に豊かな感性と魅力を持った、巴里のモード界では誰からも愛される人柄の人物でも
日本企業の幼稚さと無知さ、それに何よりも企業のエゴ優先とそこで働く個人がリスクとコスト
を回避するのが当たり前の環境の中では彼の知的創造性と繊細な感性は破壊されてしまった。
 彼にとっては2年半ぶりの東京を一緒に1週間すごした。
現在の東京ファッションビジネス構造は『新たな「ターミナル型」と「郊外型」の2極特化』で
ある。”ターミナル型”は以前のようにその代表がデパートではなくなり、各所に出来ている
駅ビルがこのマーケットの中心である。このマーケットのコンセプトは『コンビニアンス』。
(フランス語では、敏速、便利、便宜、簡単にと言う意味)ファッション情報カタログ雑誌に
よって発せられた消費情報を元に、どれだけスピーディーにコンビニアンスにファッション
コンビニ的駅ビル ブチックで会社の帰りにお手軽にショッピングが出来るか?の進化(?)
 もう一方の”郊外型”は確実に戦後日本社会の発展を新たな生活環境とした『時間消費型』の
「AEON」で代表されるそれである。自分たちのテイストと感覚に合ったファッションショッピ
ングが自分たちの地元住環境で出来ることの満足感と安心感がこのタイプ。
僕はこれを『ファッションディズニーランド』化と呼んでいる。この郊外型で今一番ホットだと
言われている”AEON”で代表される旧量販型ショッピングセンター等は正しくこれであろう。
 主なターゲットは、「マイルド・ヤンキー」と言われる元ヤンキーたちの「地元パラサイト」
族である。休日はもう街へ出てゆきたくない。家族みんなで安心して、時間を生活空間全般と
化したファッションショッピングで楽しもう。女物の店には男モノも子供モノまで揃っている。
当然、服だけではなくいわゆるファッション小物からコスメまで。そして今回、驚いたのは愛犬
用ファッショングッズまで揃っている事であった。
 そして、現在のTVメヂィアを中心とした大衆娯楽の世界はより、低俗化が進化するのみだ。
今、東京のファッションの環境はこの低俗化したTVタレントやいわゆる芸能人を媒介とする事で
消費のモチベーションを挙げているのが現実である。その証拠に元々センスの悪い芸能人ご用達
のスタイリストたちが同じ狢たちの雑誌メヂィアによって勘違いさせられてもう幾年も経てば
彼らたちの勘違いも日常化してしまっている現実。
 そんな結果であろうか、東京のテイストが『悪趣味』化している。
先ほどのペットブームに見られる消費現象も然り、街を闊歩する女性たちのいでたちには個人の
上品な趣味性は殆ど姿を消しユニフォーム化されて仕舞い、『悪趣味』を悪趣味と解らない世代
が登場しているのである。対峙すべき『良き趣味』を知らないで育ってきた世代。
 彼らたちからは既に『躾と恥じらい』という言葉が死語になっているのだろうか?
もし、これが死語となってしまっているのなら日本のファッションの世界も新たなシーンを必要
としているしそれが現実化していてもおかしくはない。
 東コレを見ていてもこの傾向に気が付く。先に挙げた『DORESSCAMP』などはこの『悪趣味
/キッチュ』時代の風向きに順風漫帆なのだろうか?こんな時代を少し先取りしてしまった結果
が受け始めているのだろうか?
 戦後60年間で社会構造の中に殆ど、『クラス』が無い現実は一方では『趣味性』を欲し、
他方では『悪趣味』が現実化する。 多分、この矛盾は2010年まで『あだ華』となって進化し、
消費の強力なモチベーションとして進化して行くだろうがその後は、”上海の万博”が終わった
中国が巨大な”大衆消費社会構造”を確実に稼動し始めると僕たち日本人は悪夢から否応にも目覚
め、新たな21世紀の日本の役割を謙虚に捜し始めなければならない。
 そして、外国人たちの眼差しはこの『21世紀版悪趣味ジャポニズム』を早熟に感じエンジョイ
し始めたのが今。そして、これらの東京の現実が「観光立国」化の売り(?)

”WWD Japan”「東コレ・アンケート回答」(初稿/2004-05-27:)
 僕はすべてを見ていないので貴社企画の『ベスト3を選ぶ』には不適当な回答となるでしょう。
また、この様な「ベスト」を選ぶことには多少の疑問があります。それはビジネス業績や企業規模
それに企業形態の違いがあるのにステージでの見えている部分でしかの判断の結果としての
「ベスト」選びは「大いなる勘違い」を生むから僕はこのレベルでの、この様な企画はメディア
の興味本位即ち、実ビジネスを狙った企画でしかないと想っているからです。
 僕が国内外の[コレクションを見るときの基準]:
世界レベルでデザイナーのコレクションを見る時の『基準』があります。
1)クリアティビティ:
 時代観と美意識をバランスで診てそのデザイナーのオリジナリティを読む。
2)クオリティ:
 どれだけその服が美しいくクオリティ高く出来上がっているか。
作られた服に対する気持ちのクオリティと技術面からのクオリティ。
3) イメージ:
 デザイナーが感じる時代観とその雰囲気や気分をどのようにイメージングしているか?
そのアイディアと独創性。
4)ウエアラブル:
 着れる服であること。時代が求める機能性や汎応用性をも含めた着れる服であること。
ここで僕はファッションはアートでないという視点を重視。着る人の心や気分そして環境や風景
とのバランスを感じ読む。
5)プライス:
 当然ファッションもビジネスであるため、モノに見合った価格が大切。
ここではどれだけそのデザイナーたちがプロであるか?を読む。身勝手な自己満足におぼれた
デザイナーはここで落ちる。
 この”5つのポイント”で東コレを見てしまうと、、、
それに僕は「ベスト」という順位をつけることはこの東京ではナンセンス。
ただの趣味の悪いお遊び。レベルの低いメディア側の自己満と感じてしまうからです。
 デザイナーブランドでは、[「フラボア」「TOGA」と「DRESSCAMP」]:
 そこで僕が観たものでこの基準に沿って高得点なメゾンをあげさせていただく。
  「フラボア」:このデザイナーの自由さが程よく新しさになって服に現れていた。何か、
人と違ったことがしたいという基本的なデザイナーである前の作り手としての心が在った。
  「TOGA」:このデザイナーのショーは不参加。展示会でのヴィデオと作品を見て。
しっかりとビジネスをも考え自分の世界観を持って、成熟してきたデザイナー。
全体のコレクションの作り方もうまくなった。3人で自分たちの作りたい服を作りながらのメゾン
のスタートを知っているのでよく成長したと想っている。ビジネス的にはこのメゾンが一番企業
構造も安定していると想っている。世界へのチャンスもあり???
今後の課題は彼女が持っている”服作りの『根っこ』”をもっと豊かに深いものにすること。
そして、”フラットから抜け出すこと。”
 僕の合格ブランドはコレだけ。きっともっといろいろ可能性のあるブランド デザイナーが
いるのだろうが、僕は見なかったのでこれだけ。

 後、印象に残ったブランドは「DRESSCAMP」:
 今の東京をある意味で代表しているブランド。
『悪趣味』が蔓延している東京とその時代性をこれ程までに見事にイメージングして気持ち悪い
ほどに堂々と明るくショー化しているこのデザイナーの「東京ポジティフ」が面白い。
好きなものがはっきりとしたコレクションは気持ちよいが、いつまで続くかが問題。
今後もう少し自由さと謙虚さそれに彼も自分の「根っこ」をもっと成長させなければいけない。
このままでメディアに勘違いさせられると唯の、「東京芸能人ご用達スタイリスト向け悪趣味
デザイナー」でしかなくなる。

 ここに上げた3組のメゾンはそれぞれ企業形態がっている。
すなわち、『育ち』が違う”3組”のメゾンである。コレは東京的な面白さと特徴である。 
 「フラボア」は東京DCの元祖ある(株)BIGIの一ブランドデビジョン。
「TOGA」は自分たちが作りたいものを作ってゆく最小規模から始めたメゾン。
「DORESSCAMP」はプリント素材メーカーが親会社で、このデザイナーは今でもこのプリント
会社の社員であり、既に10数年歴でありここでも給料を貰い、御報美的とこのプリントメーカー
の企業戦略によってこのブランドを展開している。
 こうしてこれらのブランドの企業背景を調べても当然、企画環境もビジネス構造も違っている
ので今後の成長の規模や期待が違ってくる。当然であるが、この根拠は「お金の流れ」である。

 [「MINA」「NEMETH」「VOLGA  VOLGA」そして、「ミントデザイン」]:
 いわゆる、世間一般的な「苦労をして自分の好きな世界を築いてきたデザイナー」では
「MINA」をあげる。彼の素材に固執する職人気質でのものつくりは本物であるはずだ。
これに近いものを持っている東京デザイナーでは「クリストファー・ネメス」と
「VOLGA VOLGA」を挙げたい。
 '85年にロンドンコレクションをしてその後、東京へ移住してからの彼、ネメスのこの東京での
仕事振りは服職人である。'90年代初頭のストリート系東京デザイナーの殆どが彼の服をパクッて
デビュー。しかし、残念ながら彼の服つくりの精神まではパクらなかったためそんな彼らたちは
10年も持たずして、殆どが自爆状態である。
 「VOLGA VOLGA」はロシア人と日本人のペアユニット。ロシアからヨウジにほれ込んでの
来日。そして、3年半ほどをここで勉強してからの独立。デザイン発想の玄人らしさとそれらを
商品とした服にするためのパターンメイキングがしっかりしている彼らたちも服職人的存在。
奥さんである人が巴里のサンディカで学びパターンメイキングの基礎が出来た技術者である。
彼らたちに共通するところは「骨太な服つくり」ができるしっかりとした「根っこ」を持って
いる人たちである。
 メディアをかまして、芸能人に擦り寄ったスタイリストたちに媚を売ることが引いては
ビジネスに繋がると言う公式の元でのファッションデザイナーとその関係者が多いこの東京
ファッションシーンではこれがリアリティなのだからこの所謂「微温湯」の中で悪趣味感覚に
馴らされながらやってゆくのならそれはそれで良いだろう。儲かるし、カッコもつけられる
しかし、もし、”違う世界”を見てしまったらどうするかがその人の人間性に関る事となるで
あろう。
 「ミントデザイン」は好きなブランドであるが、悲しいかな、彼らたちにもう少し野性的な
強さが作品にも表れればもっと好きになれるブランドである。育ちが良すぎる分、今の東京的
悪趣味の中では居心地が悪いだろう。それに少し彼らたちが作る服のフレームが狭すぎる。
それによって毎シーズンの面白さに欠ける気配がするのが残念である。
 他の若手と称され、メディアを騒がしているデザイナーたちもその殆どが「オカ・サーファー
」である。”乗る”こと即ち、時代の流行や雰囲気に乗ることは上手でこんなことも出来ます、
あんなこともしますという部類。
 肝心の「時代の大きなウエーブ」を造ることが出来ず唯、乗っかるだけが多い。
従って、これらのタイプのブランドは3~4年でこけてしまうのが現実であろう。

 本来の、「根幹」を持った、”メイド イン TOKIO"デザイナーを育てるという「視点と気骨」を
持ち得た「ファッション・メディア」も、共に育ってゆかないと日本のファッションデザイナー
の今後のこの世界は変わらないだろう。                         [完] 合掌。
文責/平川武治:
初稿/2004-05-27:

投稿者 : take.Hirakawa | 2004年5月27日 07:02

2004年5月24日

時代を呼び込む、「21世紀モード的眼差し、環境と風景を探して。」

平川武治 ノオト ブログ/"The ARCHIVES Le Pli-05"/「21世紀モード的眼差し、環境と風景を探して。」
初稿/2004-05-24
文責/平川武治:

 「この初稿原稿は、現在の「大衆消費社会」の様を予測していた。
そして、「新型コロナ」以前のここ数年間の日本国内の消費経済の最先端を促していた
「インバウンド」さま様状況を思い出して下さい。見事に予測が的中しています。」
ひらかわ:

 Feb.‘04
 1)「観光立国化と戦後日本の独自性としての、コンテンツ産業立国化」
 昨年末に書店の店頭でもらってきた小冊子「草思」(2004年1月号草思社発行)が興味深い
特集「日本の生きる道」をしていた。
 「奇跡の経済成長も今は昔の話。もはや工業立国・貿易立国の基盤もアジア諸国の追撃に
危うくなった日本は、物作りは得意でもソフトは危弱、食料の60パーセントは輸入に頼り、
輸入率100パーセントの石油無しには我が国は成り立たない。長引く景気低迷のうちにもはや
日本は衰退の一途をたどるのみ。ー ー言われてはいるが、本当なのだろうか。(中略)
今直面する問題とその克服の道を考察してみた。」とプロローグに始まるこの特集は本来、
全てが拝金主義の大衆消費社会の全カタログ誌と化した一般教養誌で真剣に取り上げるべき内容
であると信じているのは筆者だけであろうか。
 ここで取り上げられている我が国の生きる道は4つ。
「農業立国・日本は可能なのか?」
「科学技術立国の落とし穴?」
「観光立国への道ー醜き衰退から美しき成熟へ」
そして、「日本の新たな資源としてのアニメーション」
ここで戦後日本のお家芸的なアニメーションやTVゲームのコンテンツビジネスが語られている。
 
 筆者が思うにBSE問題で現実としての「吉野家」牛丼販売停止や鳥インフルエンザによる
関係業種の開店休業的状況は確かに目先の問題としては大変な事件であろうがこの状況は
もしかしたら今後の日本の食料事情の変化を促進し、60パーセント輸入に頼っている我が国を
救い、思いも寄らぬ方向へと進展させるベクトルになる可能性も考えられる。
 例えば、それはもう一度、21世紀の僕たちが謙虚にそして、150年ほどタイムトリップをして
日本人らしさの根幹の一つとして、江戸時代のような基本的には自給自足を目指した菜食主義的
な民族へ戻る為の一つの機会と考えるのはどうだろうか?
 
 筆者は90年代後半に既に、我が国は2010年以降は「観光立国」化へという発想を持っていた
のでこの特集はとても興味深く読んだ。
 筆者の主なる根拠は隣国の「中国」が大衆消費社会化へと2008年の北京オリンピック開催と
2010年の上海の万博以後、戦後の日本がその同じシナリオによって完全に現在のような大衆消費
社会構造を築き歩み始めたことを思い起こせば納得するであろう。
 この時期の日本は、「労働者」がいつの間にか「消費者」というニュアンスで語られるように
なったことその後、ハワイは観光メインの州として星条旗の星の一つに加わったことを想い出し
てみよう。
 このような発想を持った以後、筆者の近未来への眼差しは「観光立国」化であった。
資源の貧しさも手伝って、生産性よりも消費性を、サービスを生業とした現在のような国民の
大半以上が商売人的感覚の民族と化してしまった以上、「観光立国」化は考えられる最善策の
一つであろう。

 2)このような「観光立国化」におけるファッションビジネスのあり方とは?;
 社会がそのような「観光立国化」と言う”環境と風景”になったとき「ファッションビジネス」
は今以上に多種多様な”サービス化”が必然であり、辿るであろう。同じような物がより、
パーソナルメディア(SNS)を通じてトレンドと称されて例えば、携帯でトレンド情報を、
コーディネート情報を、それにバーゲン情報などがコンテンツ化されると「ユニフォーニズム」
へと進展していくはず。そうした近未来を考えると各ブランドやショップ、デパートがどのような
独自のサービスを持って顧客を満足させるかに行き着くのは確実であろう。
 この現実を既に生業として行っているのが「エルメス」「ルイ・ヴイトン」などの老舗商法/
”ラグジュアリィブランド•ビジネス”であろう。彼らたちは「イメージ、情報、安心そして、
アフターケア」のサービスを150年前にやはり、同じパリで誕生した世界最初のデパート,
ボンマルシェの「空間、品揃え、接客」サービスを基盤に時代と共に常に新たなサービスを加え
提案し現在に至っていることを熟知しよう。「継続はサービスなり」とでも言えよう。
 従って、今後のファッションビジネスも”ホスピタリティ”も加わってより、サービス業である
という自覚と新たな発想は大事な視点となるであろう。

 3)「今、東京にあってもおかしくないデザイナーズ ホテル」;
 そこで、これだけありとあらゆる物が氾濫する中で、ない物を探すのが大変な東京でない物を
挙げるとしたら、この「観光立国」化に通じるもので「デザインナーズ ホテル」がない。
 その殆どがアメリカンタイプの遅れてきた20世紀物ばかりが目につくこの東京です。
この「デザイナーズ・ホテル」が無いのは21世紀的「環境と風景」をイマジネーションした発想
とマーチャンダイジングに独自の”リアリティ”が欠如しているからであろうか?
 「観光立国」+「サービス業」+「ファッションビジネス」=「デザイナーズ・ホテル」という
公式が近未来であろう。30室ぐらいでクオリティーが高くセンス良く、ホスピタリティと
サービスがセンス良いホテル空間とそれに併設された自社ブティックとバーやレストラン、テラス
カフェ。室内はハウスホールドの雑貨物からリネン、トイレタリーを含む”五感”に訴えるデザイン
物でこぢんまりとした落ち着いたたたずまいの玄人請けするミニホテルをデザイナーや建築家と
アーティスト、料理人たちとコラボレートして作る。これは確実に21世紀型のファッション
ビジネスの一つの新たな可能性であろう。
 が、残念ながらこの東京にはない。「地方創生」と言う国家戦略とヤンキーたちの”地元帰り”
の時代の風を受けて、郊外型の商業施設がその生活環境が戦後も、60年ほど過ぎると進化し、
豊かになってきたために生活者の行動ベクトルが都心型から郊外型へ移行してきた結果が現在の
ファッションビジネスの現実と現状を語っているはずである。
ならば、都心型は次なるビジョンを発想して「新たなる環境と風景」を創造すべきである。
 これに一番近いところにいるのがファッションアパレルであろう。
(余談になるが、15、6年前に筆者は既に青山の根津美術館付近でこれをやってはとあるアパレル
企業に提言したことがあったのだが。)
 この界隈はファッション人間たちの”参勤交代”が行われるために少なくとも年4,5回は地方の
ショップバイヤーたちが上京して来るという現実は30室でも口コミが人を呼ぶ物である。
また、海外からのモード関係者たちが東京へ来れば、競って宿泊したくなるような東京的様式美
が若手建築家やインテリアデザイナー達によってデザインさたホテルは今是非、欲しいもので
ある。例えば、パリでは”ホテル コスト”がこの役割を果たして、この街を訪れるファッション
ピープル達の新しいご用達ホテルになっている。
 20世紀の特化した物を世界レベルでコラボレートして新たな環境と風景を築くことがこれから
の東京、すなわち「観光立国」のキャピタル”東京”には必要であるはずだ。このように、”環境と
風景”をあたらしく構築することで、ここに新たなファッションビジネスの新境地が生まれる。
 このコンセプトで昨年オープンしたのが目黒のビジネスホテルを改造して出来上がったホテル
”クラスカ”であろう。ここは筆者流に言えば21世紀の風景がある。また、80年代後期のバブル期
にブランド アパレルの”ビギ”が渋谷のラブホテルを買収したことを想い出す。
 筆者はこの日本独自の”ラブホテル”をリ・メイク、リ・モデルする方法もこれからは有りで非常
に面白いと思うし、自らやってみたいことの一つである。これは、スケール的にも丁度良い規模
であるし、立地条件もよい。利用者として最近では”パラサイト”と呼ばれる「豊かなる難民」が
現実に増殖してきた現在、ラブホテルをもっと自由な活用にした利用者が増加している事実も
忘れてはいけない。
 我が家以外の”棲み家”を持つことの願望は特に、社会で成功している人たちや男性が好む、
文明が豊かになれば自然発生的な欲望現象である。ここには「時間消費」「男女消費」や
「クオリティー消費」などが派生するはずだ。

 4)「たとえば、オリエンタルバザーを見直そう。」;
 今回の帰国で新たな発見は表参道に戦後直ぐに出来た「オリエンタルバザール」の建築で
ある。ここの内部は面白い。地下一階地上二階のこの規模が良いし構造体がしっかりしている、
空間がゆったりしていることも良い。むろん立地は申し分ない。表参道に面した二階には
バルコニーもある。
 この規模で「十貨店」をリモデルして「デザイナーズ十貨店」を外国人旅行者たちのために
リニューアル・オープンすればこれも21世紀の原宿の昔を継続させた”新しい風景”になることは
間違い無しであろう。
 元々このオリエンタルバザールは戦後、高岡の鋳物生産者たちが自らの地場産業をこの地で
外国人の土産物へ転向させて商売をするために創設された物であるから、今後の「観光立国」
東京、原宿にはもってこいの環境であり風景とショップコンセプトになるはずだ。
 いつも日本人は近視眼的な発想でこの戦後の現在の環境を築き上げてきたがもう、そろそろ
次世代的な眼差しで21世紀をイマジネーションしてみようではないか。
 その時、物事の「根っこ/根幹」から思い起こして考えることが大切なプロセスのスタート
である。あまりにも、現在の東京人は近視眼的目先のみを落ちつきなく見ている様な気がして
ならない。
文責/ひらかわたけじ:

 5)あとがきとしての追文;
 この拙文の初稿が、2004年の05月24日である。
この15年間ほどの時間の流れと堆積によって、僕のこの視点、「21世紀モード的眼差し、”環境と
風景”を探して。」は殆どが現実化された。
 因みに、その世界的代表が「airbnb」であろう、2008年に創設された新事業である。
この10年間ほどで、”世界制覇”を行った、「動きまわりたい人間」のための「宿」ビジネス。
 今回の僕のような視点を日本の若者たちがもっと、突き詰め、自分たちが想像できる
”リアリティ”を生み出すことを熟考すれば、このユダヤ青年2人のアイディアによる「airbnb」の
日本版が独自に構築できただろう。
 僕がいつも感じる、日本人が持つ”遅れて来たコンプレックス”の一つに、「外国人特に、白人
たちの元で仕事がしたい。或は、友達になりたいレベル」のコンプレックスがまだ若者たちにも
普通のように、何も疑問視せずにある。
 僕の立ち居場所である、ファッションビジネスの世界では、特にこのコンプレックスで仕事を
している優秀な日本人男女が多く働いている。彼らたちをみていると、悲しくも、惨めにさえ
思ってしまうのである。
 「ああ、ここにも、日本人でありながら、日本の歴史を、宗教を、哲学を礼儀作法をそして、
何よりも、”気骨”を、”含羞”を忘れている或は、不勉強な狭義な日本人たちがいる。」と分別
してしまうのですが、やはり、年老いたせいでしょうか!?
合掌。
文責/ひらかわたけじ:
再校/令和2年10月5日記:


投稿者 : take.Hirakawa | 2004年5月24日 10:12

2003年8月26日

[過ぎてゆかない過去]の中で漂っている僕たちの21世紀から逃亡せよ。

新版/平川武治のノート-ブログ ”The ARCHIVES Le Pli"-04;
新たに、今までの掲載分から選択したアーカイブ集を始めました。
”「過ぎてゆかない過去」の中で漂っている僕たちの21世紀から逃亡せよ。”
初稿/2003-08-26:

  「”過ぎてゆかない過去”の中で漂っている僕たちの21世紀からの逃亡。   
僕たちはもう、既に21世紀で生活しているというのに!!
―――ヨーロッパに於けるファッション環境の新しさとは?」

 まず、日記風に。22th.AUG.’03;
 アントワープデザイナーの一人、ラフ・シモンズがここ3年来この学校の客員教授を行って
いるヴィエナ工科大学ファッションコースの卒業コレクションのための審査からスタートした
2ヶ月間あまりの旅を終え帰国。
 この間、巴里ではクチュール時期を利用してコレクションを発表した若手デザイナーのショー
とメンズコレクションそして、幾つかのファッションイベントへの参加とこの国を代表する
ファッションの専門学校”スタジオ・ベルソー”の卒業コレクションを見た。
 これらの合間を見てアントワープを訪れこの学校の進級発表に立会い日本人学生の現実を
知り、僕のギャラリーで”ワンナイトイベント”を行う。
 又、イタリーのトリエスタで今年も行われた、”IT’S#2”の2回目のファッションコンテストに
も審査員として参加。しかし、今回の多くはスイスのチューリッヒでの展覧会企画の仕事に始終
した。

 僕的眼差しから、;
 現在の様な1年の内、4ヶ月ほどをパリを中心にヨオロッパで生活をするという生活形態を
送っている僕の眼差しはある種の距離と位相を持ち得た状況から、僕独自の発想と視点で東京と
言う都市の表層の差異が読み取れるので面白い。
 従って、毎回、帰国する度に東京を良い意味にも悪い意味にも興味を持って”俯瞰視”が出来る
その結果が最近では嘆き憂う事の方が多くなっているのは、僕が歳を取り始めたという事だけで
はなさそうである。
 今回、一番に感じたことはこの東京は街そのものと、そこで生活している人たちとモノが作り
出される環境と風景が知らない間に”より、悪趣味”化へ暴走していると感じたこと。(これは
先週、大阪へも行ったのだがここの”悪趣味化”は東京のそれよりも尚、悪いと感じた。)
 例えば、環境と風景を考えた”調和”、自分と他者と社会を考慮した”調和”すら感じる事が少な
くなって来た。大半の日本人は自分たちのやりたいことや楽しい事、ハッピーな事は願望し現実
化へ努力するが、出来る事なら”責任”は取りたくない、自分たちの行為に対しての”リスクと
コスト”は出来れば、避けたいという群衆の溜まり場が都市化してしまったようだ。
 その根幹は、個人が人間的な端正さで生きるよりも、個人が群がって、責任転嫁が可能な集団
の中で楽に生きればいい、という生き方を選択してしまったようだ。
 又、季節柄だからであろうか、路上を闊歩している若者達の服装から今や、”躾と恥じらい”が
喪失してしまったようである。業界人たちがこれをファッションや流行またはカジュアル化、
個性化と思い込んでいるのなら僕は大いに危惧する所である。思慮深い人が少なくなり思想亡き
群衆が中流化から”ハイソ”を気取り始めたプロセスとその表情としてのこの街の様は結果、
ファッションも含めて、”悪趣味”以外の何者でもない。
 多分、本来の”よき趣味”を知らない拝金主義者たちの群集がメデアにより、大いなる勘違いを
しているだけなのだろうが、これを王道に嗜める人たちがいるのだろうか?これからの子供たち
が成長し生活しなければいけない僕たちの国の将来を考えると恐怖をも覚えてしまう。

 巴里•コレから見たファッションの世界の進化とは?; 
 さて、今回は僕が滞在していた時期に起こった事、考えた事のいろいろなトピックスを
"Le Pli"的視点で深読みしてみよう。

 1)[21世紀のカジュアルウエアーはスポーツ、下着とセックス。
そして、そのコンセプトはネオ・プロテクション]

 ‘93年、当時、W&LTブランドを展開していたデザイナーW.V.ベイレンドンクに
インタヴューした時の事をお互いが良く覚えていて先シーズンのパリでの彼のショールームでも
その話が話題になった。あのときの僕の質問が彼のコレクションから、将来、21世紀のカジュ
アルウエアーは[スポーツ、ランジェリィ―とセックス]という発想を彼に問い掛けていた事が、
今年になっても彼は覚えていた。
 僕にとっては‘90年代始まりまでの、かつてのモードは[ラッピング]がコンセプトであった。
醜い身体つきをどの様に美しく見せるかの為のラッピング。
 そして、’92,3年ごろからのモードは[カヴァーリング]をコンセプトとして当時のモードを
僕は読込んでいた。着る人たちの身体つきが良くなったことからもう全身を覆い隠さないでも
見せたくない所だけをカヴァーする事がモードの新たな役割になったという発想だ。
 それに、美しくなった身体つきをより美しく見せるためのスリム・チューブラインとそのため
のシースルーで伸縮自在な合繊素材がより多く開発されモードによって日常化された。
 そして、21世紀も近くなった時、J.P.ゴルチェを筆頭に先のウオルターも然り、彼らは
[スポーツ、下着とセックス]を日常化し始めた。この時の僕のコンセプトが[プロテクション]だっ
た。当然、これらの世界で使われている”素材と縫製技術”までを含めて、これらが新しいモード
カジュアル化へと”進化”するという理論を僕は既に展開していた。
 スポーツウエアーの身体の動きと、外界に機能するプロテクションと、下着の皮膚とこころ
に、気分に優しいプロテクションそして、セックスショップで売られているボンテージやフェチ
なコスチュームは着る人間の生物的性癖をプロテクトするものであるという視点での発想。
 そこで最近の僕のモードに対する新たなコンセプトは[ネオ・プロテクション]である。
全てが不確実な時代、信じられるものは自分の身体。(TATOOの普及化もこの現象であろう。)
そして、現代のプロテクション、[ネオ・プロテクション]とは、“安心、安全、癒し、快適、楽、
性的“などをキーワードとしたもので、決して”守り囲う”ことだけのプロテクションから自分自身
をより、自分らしく安心とポジティブに生きるためのモードの機能になったと見る事が出来ると
いう視点である。
 現代の女性たちを見ていると以前のように[自由]を表現するためだけのモードではなくなり始め
た事も考えられる。もう彼女たちの自由はすべて手に入るものになってしまいむしろ、安心出来
るのであれば人と一緒でも良い、マークやブランドそして、メデアが提案する着こなしで自分た
ちの[属]が明確になること、プロテクトされる事がファッションを着る事であるというある種の
パラドックス化状態ともう一方では、時代の雰囲気に遊び、楽しむための彼女たちが持ち得た
ポジティブな服選びでもあろう。
 プロテクションには大きく分けると”4つのカテゴリー”がある。
「自然、身体、社会的モラルそして心的安心。」
 これらのプロテクションを[スポーツ、下着そしてセックス]でヴィジュアリティに、
ミュージュックマインドとヴィンテージテイストも忘れてはいけない安心の大きな要素として
どの様にバランスよくまとめコレクションを行うかが今のプレタポルテの時代性になった。
 そして、カジュアル性は日常性やウエアラブルを必然とするし、時代性ではこれらをどの様な
”贅沢感”を持ってまとめ味付けをするかがヴィジュアリティと共に、今後もより進展するだろう
 従って、[消費するデザイン]としてはデイテールに凝ったデザインよりも素材と色調やプリント
と分量がデザインにおける大事な勝負どころになる。
 例えば、カモフラージュ/迷彩服。これも今ではアーミーで代表される自然と人間との距離感
からの迷彩だけではなく、都市に生活している人間と都市風景との距離感で発想できる迷彩も
必要な時代性。
 20世紀は[距離の消滅]の時代であった。が、もう今では僕たちの日常生活では携帯やPCと
言う情報機器の発達によって[距離の消滅が完了]が為され始めている。これからのこの21世紀は
[距離の再確認]と言う時代性をコンセプトにすればより、この[ネオ・プロテクト]と言う僕が提言
するコンセプトが大切になるだろう。
 やはり、モードの世界も[ポスト・モダン社会]の中で確実に人間的,五感的に進化しているの
が、うれしい。
 Ex..デザイナーでは、ベルンハルト、ラフ・シモンズ、Dior、J.ガリアーノなどなど。
ひも、コード、ベルト、尾錠、ボリューム、羽織る、巻きつける等のファンクション。
そして、素材ではラッテクス、光り物、ぬめり感あるモノとフォトプリントもの。
イメージ・シンボルンとしての”プロテクト”はポッチェルリの[ヴィーナスの誕生]の右側の女性。
そして、これらのコンセプトは、“Home is not a House.”。”安心と快適さは家だけではない。”

 2) [21世紀を意識して動き始めたヨーロッパの都市が面白い。]
 僕が今回訪れた都市はヴィエナ、巴里、アントワープ、チューリッヒ、バーゼル、ブラッセル、
ロッテルダムそれにトリエスタ。これらのヨオロッパの都市は20世紀まではそれぞれの国におけ
る都市であったのが現在ではEUの都市になってしまった。そこでこれらの都市ではここに来て
自分たちの都市は自分たちで独自に活性化し、21世紀の今後のためにも経済面だけではなく
”文化の領域”に於いても自分たちの都市の伝統と共にアイデンテイテイを大いに生かしてゆこう
という積極的な動きが各都市で始まったことである。これは、日本にいて、書物を読んだだけで
理解できることではない。実際にこれらの都市を徘徊しなければこの空気感と鼓動は感じられな
い事である。
 特に、モードの世界ではこれらの街はベルリンやアムステルダムも含めて以前より教育面が
活発化し始めている。各都市や政府の行政が自分たちの国の若いデザイナーたちをバックアップ
し、オーガナイズするためのファッション研究所を設立したり、サイトを立ち上げ、自国の
デザイナーたちと巴里へ進出している他国のデザイナーたちとの情報交換を企画したり、
ファッション・コンテストやイベントを都市を挙げて行い始めている。例えば、ヴィエナでは
学校関係者たち自らがセレクト・ショップを始めるなどの動きもある。又、モード系の展覧会
企画を国立の美術館が主催して行う機会も多くなってきているし、モード雑誌がここに来て多く
発刊され始める。
 これらの動きに共通する事は学校関係者たちと産業界そして、市や国にまでも抱え込んだ動き
を取っている事だ。そして、これらの殆んどが若い人たちが意欲と責任を持って率先して携わっ
ている事である。
 では、東京では何が為されているのだろうか?
「枯れ木も山の賑わい。」状況を変わらず、勘違いした人たちで構造化されているだけの
現実感しか感じられないのは僕だけであろうか?

 3)[早ければ来春かもしくは来秋には中国からの巴里コレ参加デザイナーの
コレクションが見れそう。]

 中国のデザイナーたちもかつての日本人デザイナーたちと同じように、巴里でコレクションを
やりたがっているデザイナーたちが増えてきている。毎年、我が国を訪れるモードサンデイカの
理事長グランバック氏も東京の前か後には必ず、北京や上海を訪れている現実でも読める。
 そこで彼へのインタヴューによって聞いた話では、遅くとも‘05年をめどに中国人デザイナー
のコレクションが巴里で見れるようだ。
 現実は多くのデザイナーたちが希望しているのだが、彼らたちの殆んどは未だ、その水準に
達していない事を理由に延ばし延ばしにされているのが現実。
 そのため、巴里サイドは毎年、春に南仏のイエール市で行われているファションコンテスト
[フェステイヴァル・イエール]を利用して一度、このコンテストで彼ら中国人デザイナーたちを
受けその後、パリコレ登場を企て、このコンテストを中国で開催をも考えているという。
 この裏面には、パリの若手デザイナーたちを中国の生産環境の情報と紹介するためでも在る。
かつての日本人デザイナーがこの街へ参入して来たときの‘72年以降の事を思い浮かべてみよう
 “憧れのパリコレ参加“後、当然の様にメイド イン フランスのデザイナーブランド商品が堂々と
日本市場へ登場しその後、80年代を待って、日本企業とのライセンスビジネスもスタートした
という過去が証明している。日本における現在のファッションビジネスと市場構造と状況の全て
が、この“憧れのパリコレ参加“というミッションとモチヴェーションによって高揚され以後、
現在の状況へ発展した記憶は忘れてはいけない。
 これは「文化は武器」と発想した彼らたち、フランス人の強かな所である。この戦略は最近
では’90年代後半からのソ連崩壊後の”ロシア市場への参入”と”ブラジル市場参入”があった。
そして、次なる”新しい顧客”は中国。
 中国における、‘08年と’10年、北京オリンピックと上海万博という経済戦略のための国際
イベント以後の中国へ、日本企業はどのレベルで、どのような規模で経済参入が参入可能なの
だろうか?或いは、計画がなされているのだろうか?
 今の状況ではアフリカとの関係性においても同様であるが、全てが、”中国の後追い政策。”
でしかない。

 4)[工場に主導権が再び握られ始めたEUファッション産業界。]
 ‘90年代初頭、ベルリンの壁崩壊以降のロシアと東ヨーロッパの変動は当然、この
ファッションビジネスにも大きく影響を与え,新たな産業構造を再構築し始めた。
 その一つが、東ヨーロッパ地区のユダヤ人達が新たな生産地として再度、認識され活性化し
始めたことであろう。
 又、ポスト・モダン社会以降、このモードの世界も幾つかの大きな変革があった。
“普遍的物語“としての独創性豊かなファッション・クリエーターと彼らたちのクリエーションの
末期的状況下、ファッションデザイナーの質とタイプが変質したことがある。
 もう一方では、メデアの高度な発達によるヴィジュアル化社会の発展によるイメージの高度化
と進化の結果、“ファッション・デイレクター“が登場し、もう一つ、最近ではオリジナルとコピ
ーの境界意識が希薄なシュミラクールとしての“ファッションDJ“さえもが登場して、“大きな物語
から小さな物語“へ、多くの”どんぐりの背比べ”的なデザイナーが増殖した状況になってしまった
ことであろうか。これは言い換えれば、“情報のスピードとその量“の進化によって誰でもが
デザイナーになれる環境と何でも有り状況がこのモードの世界の現在を”進化”(?)させた。
 こんな時代であるからデザインする側より、実際にモノとしての服を生産する工場が今まで
以上に、”大きな力”を持ちはじめ、政治的にも発言権を振るい始めたのがここ最近のEUのモード
環境の現実である。ここには、従来からの“ユダヤ ビジネス”の更なる発展化が読める。
 デザイナーたちが、幾らすばらしいデザイン発想力やアイデアを持っていても工場が生産して
くれなければ実ビジネスにならない。この状況によって、最近では若手の才能あるアントワープ
デザイナーたちが、アントワープには工場が殆ど無い為に、消え始めていることや、オランダ勢
がその生産背景が極小のため、思ったより伸びない事も現実になる。
 最近、パリのファッションビジネス・エリートを育てる学校”IFM”では、サンディカ理事長
でもあるムッシュ グランバックが30名ほどの生徒たちを連れてイタリーとイギリスの工場見学
を行い、生徒たちと工場との”お見合い”コミュニケーションを図った。
 今思うに、’80年代も後半、バブル経済期にカシヤマが今は亡くなられた、故中本氏の
アイデアでイタリーの工場企業”ジボ社”を買収した一件は、彼の時代を読む眼と現地在住からの
経験と発想が無ければ今の世界に於けるカシヤマの存在は決して、実現していなかった。
以後、カシヤマはこの”ジボ社”を持った為にデザイナー契約に彼ら達独自のプライオリティが
発揮できたのである。作る生産環境が在ればその中に必要なソフトとしてのデザイナーは自分
たちが主導権を持って選び放題である事をこの”ジボ社”とカシヤマの連携プレーは事実を教えて
くれる。
 それに、ZARAやMGOを代表とするモードに於けるグローバル化が定着したのも”工場主権”に
よっての現実である。実際、モードの環境がここまで変革して来た一方では、この反動として、
“手作りもの、リ・メイクもの“がクオリテイー・アップした事、その存在価値を少し高め始めた
のも事実であるが。
 現実として、日本のファッション産業環境と構造を「日本的21世紀型」へ、再考しなければ
ならないだろう。世界のファッション産業環境が21世紀型へと変革し始めたのだから、
余計である。

 このようなパリを取り囲む世界のファッション産業の現実をもう少し、深読みすると、
「素材・生地関係も、生産工場オーナー達もそして、トレンドをデザインするデザイナー達も、
その彼ら達をプロモーションするビジネスマンやリテーラー達も、そんな彼ら世界をメディア化
するインターネットをはじめとしたメディア業界もみんな、ユダヤ人たち」
という強力な世界が再構築され始めたということなのである。

 5)[誰が21世紀のYSLになるか?真剣に探し始めたパリ。]
 老舗エルメスがJPゴルチェを次期デザイナーにした事はこの街にとっても、正論過ぎるほどに
正論であった。
 今、巴里のモード関係者たちは誰が次の、YSL的存在になれるか、誰を推そうかと必死に、
詮索している。
 言い換えれば、フラン人デザイナーで、フレンチテイストをフレンチモード的に演出できる
YSL的中心デザイナーを物色しているのだが、殆んど誰もいない状況に気が付き始めたのも
今なのである。
 「フランス人、フレンチテイスト、フレンチエレガンスそして若手ゲイ。」
これが条件であろうがG・ユーキヴィッチやアレキサンダー・マチュ―でも未だ、不十分。
では誰?エルメスにおけるJPゴルチェの起用は既に、彼が同系列会社のデザイナーであるため
最も、当たり前すぎるほどの選択で会った。しかし、彼を推すしか今は若手が居ないというのが
現実なのだ。
 僕も次期デザイナーの件ではエルメスの友人へ僕なりの候補デザイナーリストを作ったのだ
が、この時もゴルチェは彼の作風から言っても、本命中の本命で面白くなかった。
 日本のモード関係者たちはどれだけ本意に、21世紀のモードを背負って立つ“ポスト川久保玲
やヨウジ“を育てる気はあるのだろうか?または、もう必要ないのだろうか?

 6)[ゲイマーケットが冷め始め変革を迫られているメンズファッション界。]
 確実に、2シーズン前から世界のメンズマーケットが変化し始めた。
この10年以上の間、そもそもは‘85年来、ゴルチェが登場し「オムオブジェ論」をコンセプト
にメンズ界の教祖的存在になって以来、特に’90年代の若手メンズデザイナー達は自らたちも
そうであって当たり前のようにゲイ化し、ゲイマーケットをターゲットとしてビジネスを行って
きた。だが、ここに来て“エイズ以降“彼等、ゲイたちの生活様式が変化し始めた。
 彼ら達もそれなりのライフスタイルそのものを楽しむ方向へ転化し始めたからだ。
その主流は、健康スポーツ志向へ向い、高級スポーツ・ジムでの身体造りに励む事が彼らたちの
ライフスタイルでのプライオリティーになる。続いて、イベント参加、CD&DVDとライヴ・
コンサートそして、バイクと旅行、ハイテク機器と料理とインテリア関連と続く。
ファッションはH&MでO.K.という彼ら達の”NEW NORMAL“な時代が新しい。 
 その結果が、“ノーマルな男たちへの普段着を贅沢にオシャレさせよう“という魂胆が再び、
メンズマーケットのメインになり、着易くコンファタブルなジャケット中心の”シンプル&
ラグジュアリ―”がキーワードのコレクションへと変化し始めた。
 その兆候として女性デザイナーたちが、川久保玲、エルメス・オムのヴェロニックやS.リキエル
たちが造るメンズ服が熱くなった。
 日本では“オカマ“マーケットがソフィスティケーテッド可能なのだろうか?

 7)[一ファッション企業Dieselのプロモーション事業でしかなかったファッション
コンテスト、IT’S#2]

 昨年、イタリーの国境の街トリエスタで始まったファッションコンテスト“IT’S”に僕も昨年の
第1回目の審査員でそして、今年もプレスとしての招待で参加させてもらった。
 ここで判った事は、このインターナショナルな規模のファッションコンテストはEUで幾つか
行われている、代表的なものはフランスのイエール・コンテストなどとその最終目的が違って
いることだった。
 考え様では、これも21世紀型といえよう。
現在、行われているファッションコンテストの多くがインデペンデントなデザイナーへのパリ
コレへの登竜門的性格の“イエール・フェスティバル“のようなコンテストか、自分たちの国の
ファッション産業そのもののレベル・アップの為に行われる、スイスの“GWAND“や
素材メーカーがバックアップして自分たちの素材を若いデザイナーたちに使ってもらい新たな
可能性をプレゼンテーっションし、問うためのイタリーの“ミッテルモーダ・コンテスト“等の
種類に分けられるファッション・コンテストなのだが、この“IT’S#2“はスポンサーである
イタリーの”Diesel社”の広告販促と自分たちの企業へ、世界レベルで才能ある可能性豊かな人材を
探し、見つける事が目的のファッションコンテストなのである。
 そのために、世界中のファッションデザインスクールの学生や新卒者を対象にし彼らたちを
選ぶ審査員も世界中から招待した雑誌を中心にメデア関係者、有名バイヤー、ヘッドハンテイン
グオフィスそれに、デザイナーたちを巻き込んだ規模のものとなっている。
 従ってこのコンテストをオーガナイズしているのは地元の”広告代理店”と元、ミッテルモーダ
でオーガナイズをしていた女性が“Diesel社“と組んでの、なかなか強かな構造を構築したもの。
 この規模で、この様なファッションコンテストが出来る“Diesel社“は今、手中にした地元
イタリーの幾つかの生産工場とマルタン・マルジェラブランドそれに、メインのデニムラインが
好調な印なのであろう。ここにも生産背景を手中にした企業が強い証拠を見せてくれている現実
がある。
 この勢いで行くと“Diesel社“はここトリエステに“Dieselタウン“を作って、ファッションと
ストリート・スポーツとアートそれに勿論音楽、ゲームをエンジョイさせた21世紀型の
「ファッション・アミューズメント・タウン」を環境化してしまえば面白いのにと僕は考えて、
知り合いである“Diesel社“の社長へ提言する。
 本当は,日本にこの様な21世紀発想の新しいファッション環境が街ぐるみの規模で
プロジュースされれば面白いし、今後の対中国戦略とアジアにおけるファッション・キャピタル
としての可能性が考えられるのだが。
 21世紀も10年を過ぎる頃には僕たちの国、日本は今後、「観光立国」としてしか国際的には
立場が無くなるであろうから余計である。
 東京アパレルが自分たちの新たな人材を捜す時にこれだけの心意気で“規模とリスクとコスト“
を掛けてやるだけの企業が在るだろうか?

 8)[みやげ物ブランドを考える価値がある東京アパレル。]
 僕の思い込みでの将来の日本は先にも書いたように「観光立国」化するしかないであろうと
真剣に想っている。
 勿論、「日本的新・観光国」である。ファーイーストとしての、伝統的なる日本、世界遺産の
日本各地、ポスト・モダンの先進国としてのハイテク・日本そして、アニメ・ゲームと風俗をも
含めた東京・アミューズメントこれに新たな産業、お台場カジノがやがて加わるであろう。
 この根拠は2008年の北京のオリンピックゲームと2010年の上海での万博以降の中国が
かつての日本よろしく確実に、物的欲望を喚起する「大衆消費社会」構造へとイデオロギィーに
関係なく、“様変わり“をしてゆくと読ん時に、この発想が一つ考えられる。
 僕は世界のファッション ラグジュアリー企業の最近の東京進出ラッシュによるこの街の
様変わりはその殆んどが、対中国へのプレゼンテーション機能も考慮された“サンプル都市化“
状態がその根幹だと認識している。なので、その中国からの観光客を呼び寄せることが、これか
らの「日本的新・観光立国」化と、インバウンドには欠かせない”お得意様”であろう。
 そこで、「日本的新・観光国」の”土産物マーケット”が気になり、日本のみやげ物の実態をTV
で見た。全国のみやげ物菓子で一番が歴史的にも江戸時代から在る、お伊勢名物の[赤福]で年商
約90億円。続いて比較的歴史の浅い戦後の商品、北海道の[白い恋人たち]、これはJリーグ誕生
と関連があり、これで年商約85億円。すごい事である。東京の[東京バナナ]も新興みやげ物では
トップ。これらはワンアイテム・ビジネスである。もしかしたら、[消費されないデザイン]という
コンセプトが適応されるであろう世界だ。
 これをファッション業界で考えてみたらどうだろうか?
多分、[古着 ]や[裏原]ブランドそれに「竹下通りブランド」が僕はこの分類に入ると思っている。
この街へ来たら買って帰るT-シャツそして、馴染みになるブランドそのもの。言い換えれば、
[街ブランド]である。そして、この手の元祖は大川ひとみの[MILK]であろう。その証拠に今の
[裏原]系ブランドのデザイナーと称されている藤原ヒロシを始めとした連中はひとみさんに可愛が
られて社会へ出てきた連中が多い。当然、彼らたちのメディアとの関わり巧さも大いに手伝っているが。
 40年近くの歴史の戦後のこの国のファッションアパレル産業も気が付いてみると未だ、
[ナショナルブランド]といえるブランドが無い。例えば、”ブルックス ブラザース”、”ラコスト”
”バーバリィー”などなどである。
 日本の大手アパレルが売上を競っても所詮、ワンブランドの最好調期は3,4年周期しか継続し
ないのが現実である。日本には、戦前からの素材メーカーと生産工場が構造化された産業環境に
よって再発展してきた戦後アパレルと、それに続くデザイナーブランドとキャラクターブランド
そして、“裏原“系の1発屋ブランドの現在に至るまでそして、最近では“SPA型“という小売業が、
その生産背景を中国方面へ発展させた「大量生産と大量販売」構造をグローバル時代の波に
乗ってモノつくりを行い、ワンシーズンにより回転数を多くし、実質の売上を伸ばして来た
「SPA型」アパレルが現在までの日本のファッション産業の変革であろう。
 そして、そのための情報量と速度はインターネットによって加速し、従来のMDは今では
より消費者へ近づき、店頭MDが大切な情報源にもなっている。
 しかし、我が国のファッション産業の最終コンセプトは40年経っても変わらず、
「消費されるデザイン」と「差異としての時間差的価値観」でしかない。
 ”グローバリズム”と言う汎世界的経済構造を構築された現在、この辺でファッションデザイン
も「消費されないデザイン」というコンセプトで新たなビジネス方式を考えてもよさそうであ
る。
 ならば、今後の「観光立国化」と「スーベニィール・ファッション」という新たなビジネス
コンセプトも考えられるであろう。

 9)[21世紀の新しい環境とランドスケープとしてのプラダビル]
 最近、“六本木ヒルズビル“が出来たが、これは残念ながら[遅れて来た20世紀のショッピング
テナントビル]でしかない。美術館を併設しているが、所詮”貸しビル業”出身の仕事である。
 従って何一つ、新しいさ在る商業施設としての21世紀を予言し、それを構造化していないし
また、21世紀の風景も作り出してはいない。規模が大きいだけで環境もアクセスも都市機能も
そして、テナントとそのデベロップメントも20世紀型の延長でしかない。
 その一方で、遅れて出来上がった“プラダビル“は21世紀の顔をしている。
建築そのものだけではなく、使っているマテリアルもそうだし、敷地の使い方、ユーティリテイ
としての空間の使い方そのものが新しい。幾つかの勾配斜面を作り上手にゾーニングし決して、
大きくない敷地を見事に豊かに新しい“ランドマーク化“している。地元の従来からの風景を、
横裏に当たる所に在る“マニマンダラ“のハーフチェンバー様式の建物を上手に取り込んでもいる
 そして、僕が1年前に提案していた「垂直のガーデニング」をここでは苔/モスをネット上に
仕込んだバイオ・タイルを作ってこの敷地境界面をゾーニングしている。強いて、欠点を言えば
地下への導入部のエントランスのデザイン的こなしと素材感が今一貧弱である。この建築設計は
バーゼルの建築家ユニットが請負った。
 これから、表参道界隈は日本人建築家の作品ラッシュになる。伊東豊雄のTOD’Sから黒川記章
に、妹島和代のDIORそれに向かい側に安藤忠雄。さて、どんな21世紀を彼らたちが”環境と
ランドスケープ”として見せてくれるのであろうか? 
 決して、東京をニューヨーク化する事が21世紀ではないことに気が付かなければならない。

 番外) [次期パリ・コレでのトレンドは‘92,3年が再び???]
 湾岸戦争、ジェンダー、フリーダガーボ、レゲエミュージュック、パンキー、不確実性、不安、
グランジ、リ・メイク、厚底、デ・コンストラクション、フィット&ルージイ―、プリント、
ニュー・迷彩等などと、何でも有りのモードの世界のトレンドと称されて発信された”環境と
ランドスケープ。”
 そして、クリエイティブ・コンセプトは「ネオ・プロテクション/ネオ・カモフラージュ」、
イメージング・ソースは仏映画「レオン」であろうか?

 [終わりに]
 もう一度、再確認してみよう。
「僕たちは既に、21世紀に生きている事を❗️❗️
そして、僕たちの未来を豊かにポジテイフに考え、
 次世代の子供たちのための「大いなる空想旅行」を❗️
そして、「新しい環境とランドスケープ」を思惟してみよう。
 ならば、それから逆算して今を考えたとき、
本当に今、ファッションデザイナーは何をデザインしなければいけないか?
 この新たな方法とは?この発想と順序付けが大切なこと、
それ自体が時代性ではないだろうか?
 これが21世紀型「アヴァンギャルド、再び!!」の真意と根幹である。

 [過ぎてゆかない過去]の中で漂っている僕たちの21世紀から大きく窓を開け、
未来をポジチィフにかつ、思慮深く感じ考えてみよう。
そのための“深呼吸“も忘れないように!!
合掌。
初稿/2003-08-26:
文責/平川武治:

投稿者 : take.Hirakawa | 2003年8月26日 20:37 | comment and transrate this entry (0)

2003年8月 7日

「21世紀のカジュアルウエアーとプロテクション」或いは、『距離の消滅』から『距離の消滅の完了』という時代性について。」

 「新版「The ARCHIVES Le Pli」/03;
「21世紀のカジュアルウエアーとプロテクション」或いは、
『距離の消滅』から『距離の消滅の完了』という時代性について。」

 これは、ノオトブログ Le Pliの2003年のアーカイヴ原稿です。
初稿/2003-08-07:再校正を9月13日;
 ***
 今回の僕の眼差しは、
<「距離の消滅」を御和算或いは、リセットした「新型コロナ」>という試論です。
 この原稿のように、”『距離の消滅』から『距離の消滅の完了』”でしたが、
今回の「新型コロナ」以降のバンデミックによって、世界は「三密」という、「新型コロナ」が
齎した”新たな普通/New Normal”のコンセプトは、再び「距離」を設定し、なくなり始めた
「差異」あるいは、「距離」が、再び生活環境と空間に再必需。
 しかし、今回の「新しい距離」とは”実距離”では無く、”バーチュアル”な「距離」が、
これからの「新しい普通/New Normal」の生活における”距離”となるのだろう。
 ここでは、確実に「時間観」が変革する。
そこでは、「自由」も”バーチュアル”化する。
 では、この”バーチュアル”な「距離」は再び、新たな「差異」をも生み出すのであろうか?
この「”バーチュアル”な”差異”」によって、モードの界も新たな価値を生みださるのだろうか?
 
 ***
「”HOME IS NOT A  HOUSE.”
---21世紀のカジュアルウエアーとプロテクション。
或いは、『距離の消滅』から『距離の消滅の完了』という時代性について。」

初稿/2003-08-07:
文責/平川武治: 

 『人間のこの地上における関心事は全て、ホックやボタンを掛けられ、
衣服によってまとめられている。』
Thomas Carlyle:

はじめに;
 僕たちは既に、21世紀にもう、3年も生きていると言うのに、毎日の生活に於いてこの現実
感と意識はどれほど存在しているのだろうか?
 モードが時代の表層であり続けているとしたらそれらがどのような要因で僕たちの路上へ変化
を及ぼし始めたのだろうか?

仮説『距離の消滅』と『距離の消滅の完了』;
 ここで、一つの仮説を提言して、モードと現代社会の関係を僕も住んでいる東京という大都市を
サンプリングして改めて考えてみよう。
 20世紀という時代とその文明はあらゆる意味で『距離の消滅』のためのモノの発見や発明
そして、進化のための時代だと仮定出来るだろう。そうした時、例えば新たなるモノとしての
ハイ・テク機能を多重化し日本化した”携帯電話”の登場と我が国におけるその、"ケイタイ”の
発展・進化の速度は本来のコミュニケーション機能をこれもまた、日本的にコンビニアンスで
一元的かつ短絡的なものへ変質させ、20世紀最後の日本国民の新たな必需品と化してしまった
 これによって、20世紀末期の東京では既に、『距離の消滅の完了』が僕たちの生活環境の中
で日常化してしまったと言える。
 ここで言う『距離』とは、空間、人間、時間、関係、カテゴリィ、クオリチィ、性と国、
イデオロギィーそれにグローバル化等までをも含めた『距離』を考える。これらは日本という
島国の国土の狭さ、人口の多さそして、階級のない敗戦後の諸コンプレックスを拭い去るために
勤勉に働き、その多くは思想無き大衆化した表層的には単一民族のハイ・テク中流消費社会構造
での『距離の消滅の完了』であり、この状況は他国に比べて顕著に,早々に表層に具現化してし
まった。
 ボードリヤールが既に指摘した『全ては狂宴/オージーの後』化状態が現在の東京の路上で
あろう。そこには人間本来の楽しみや面白さと共に哀れさや儚ささえもが強かに、単一的に、
ノイジィーに過敏に同居した虚飾な業の日常化でしかない。本来、1世紀を掛けて成されるべき
事が戦後の僕たちの国では僅か50年足らずで成された結果が全ての不調和、不自然さをも日常
化してしまったからだろう。元来、日本人が持っていた価値観や美意識では決して、認められ
得なかったはずの大切なこゝろから安らぎが消えた。結果、精神的な空虚さとこゝろの寂しさを
背負い込んだ僕たちは既に、10年程以前に『オタク』と言う新しい言葉を探し出し、手探りも
しないままで他者との距離感を無理やり作った。そして、与えられたあらゆる過剰な情報を元に
して各人が背負い込んだ『寂しさ』を共有する事で得られる一時的な安らぎを「消費」という
現実行動に求めた。あらゆる世代の日本人が以外とポジチィフに自分たちが求める安心を社会の
最表層を漂って、誰でもがすぐに手を出し易いモードの世界即ち、『流行』の『記号』=
『/ブランド・マーク』に委ね、癒す事の虚飾も含めたあらゆる心地よさを憶え、味わい続けて
いるのが現実の大衆消費社会の東京であろう。

「モードとポスト モダン」そして、「ファッションDJ」;
 モードの世界での‘90年代後半以降、より現実になった「距離の消滅」はTVやインターネット
それにPCとそれを使っての印刷メデイアとイメージングの高度な発達によって、”シーズントレン
ド”を発信するコレクションとその分析情報が即座に、同時に世界規模で見たい人たち、必要と
する人たちへ、アマチュア/プロフェッショナルの区別無く、確実に届くまでの速度と言う時代
になった。一方では、コレクションデザイナーたちによって発信されるクリエイティビティにも
それなりに、”在るべき差異”が無くなり、ビジネスのために発信される”トレンド”を中心に
毎シーズンが過去のノスタルジアに基いた幾つかの”小さな塊”が投げかけられるだけの現実と
なってしまった。
 モードの世界もここでは既に、「ポストモダン」状況が現実と化して、かつてのような
「大きな塊」としての、眼を見張り心躍るようなマジシャンよろしく、知的に大胆かつ繊細な
クリエーションを見せてくれた、80年代からの偉大なファッション・クリエーターたちの存在
が殆んどと言って良いほどに少なくなり、「ポスト・モダン」社会特有の「大きな物語」に変わ
って、「小さな物語」のモード化現象を生んでしまった。
 それらは既に、時代の”気分”や”雰囲気”、”心の情景”を大切なキーワードにノスタルジアと
いう「過ぎてゆかない過去」をアーカイブとしてそれらをサンプリングし、リ・ミックスや
リ・メイクという音楽的な発想と手法それに、ヴィジュアリテイーにのみ委ねた服つくりを行う
30歳代前半の、「ポスト・モダン以降」の新たな作り手が多く登場し始めた。
 その結果、路上での若者達の日常着としてのスポーティ‐カジュアルウエアーは「スポーテイ
ー・ミュージュック カジュアルウエアー」と化し、コレクションデザイナーたちとの在るべき
はずだった距離が無くなり始める。
 この結果、最近ではこのような音楽的発想とサンプリング手法によってヴィジュアリテイのみ
をイメージングするデザイナーたち、「ファッションDJ」もコレクションを行う時代にもなった。

モードにおける「距離の消滅」と「プロテクション」;
 「距離の消滅」は「未来」をも消滅させたかのように彼ら世代にとって未来は不毛化し
「今日」だけが残り続けている。かつてのモードの世界のアヴァンギャルドなる言葉も消滅して
久しい。その結果、『イメージとリアリティー』の距離も消滅した。
 例えば、この新たな現実を即座に嗅ぎ取ってビジネスチャンスとして登場したのがモードにお
けるグローバリゼイション。発信されたトレンドはこのグローバル化によってより特化したデーテ
ルデザインか、ベーシックに純化されたクロージングの世界で路上に登場し「クロージング/
衣料品」のモード化が「SPA」と言う手法によって、スポーティカジュアルウエアーを進化させた
 そして、モードが時代の気分や奮囲気そして心の情景や安心を新たな表現価値とし始めた時、
モードの機能は変質し始め、『より、心地よいか』『より豊かな感情でいられるか』『より、
素直な自分らしさの心や気分で居られるか』そして『安心』が得られるか迄の現代的なる
『プロテクション』が新しい意味の拡がりを持った大切な『モードのヒューマニズム』現象。と
なる。これらはスポーティカジュアルウエアーともシンクロしながらその距離をうつろい、消滅
させながら、新たな「SPA」と言う工業化で進化してきた。
 当然、この『プロテクション』はデイテールのデザインのみに求めずむしろ、「色」「模様」
「分量」との”バランス観”から生まれる「調和」そして、「素材感」「手作り感」「和み感」等
より、エモ‐ショナルな要素を重要視し始める。
 そして、これらは以後、スポーティ‐カジュアルウエアーの世界を含めた新たなモードの世界、
全般の『共通言語』となり始めた。

モードの新たなコンセプト、「プロテクション」;
 東京の路上での若者達のモードはイラク戦争を待つまでも無く、”ケイタイ”の登場と共に彼ら
たちの日常着としてのスポーテイ―カジュアルウエアーの分野で既に、あらゆる意味でポスト・
モダン社会への『プロテクション』化が始まっている。
 ここで現代社会に於ける「新たな環境」の眼差しを試行してみよう。
新しいモノの日常化によって僕たちの生活そのものや生活様式、環境が変革した。それらの中で
の人間の立居振舞やルールとしての躾などまでもが変化した。当然、生活者としての当事者であ
る人間の心の在り方までもが変質してしまう可能性が在る。例えば、先の『ケイタイ』の日常化
によって「HOME」と言う概念が全くと言って良いほどに変化しはじめ、若者たちは路上へ溢れ
始めた。そこでは、『HOME IS NOT A HOUSE』と言うコンセプトが考えられる。
 これは単純に『ケイタイ』の出現によって何処でもが「HOME」化してしまうと言うまでの
発想である。このコンセプトを元にモードを考えると、「新たなプロテクションを考えたホーム
ウエアー」が最新のモードに為り得る。考えられる事は可能なプロテクションをデザイン概念
として、『楽、派手、ベーシック』に時代の雰囲気をミュージュックDJ感覚とスポーツ感それに
ヴィンテージ・テイストをベースに味付けし色感、素材感と分量感によってプロテクションが
デザインされたニュー・ホームウエアーの世界である。
 これが僕の、ケイタイ以後の東京発信の路上に於ける眼差しであり、スポーツウエアー観で
ある。事実、東京でのストリートカジュアルウエアーでビジネス的に成功しているブランド、
例えば、”ハリウッドランチマーケット”や”コムデギャルソン・シャツ”等と”アンダーカヴァー”
で代表されるいわゆる”裏原系”はこのカテゴリー・ブランドと僕は分類している。
 従来の『PROTECTION』は人間が人間らしく安全に生活を営む為のあらゆる『機能』に対する
プロテクトであった。例えば、対自然環境や自然現象としての天候までも含めた従来のプロテク
ションから次には、「対社会環境、制度やモラル」に対してまでの機能とてのプロテクションで
あった。しかし、現在では、”より豊かに人間らしい内面”を優しく穏やかに生きるための新たな
プロテクションである。従って、『心的、精神的かつ、健康的』な意味を強く持ち始めた事だ。
それに勿論、『性的』なプロテクションまでも含まれるのが現代の『PROTECTION』であろう。
 従来のそれは”殻”をイメージ出来るクローズドな発想で物理的側面が強かったが、新たなプロ
テクションは”羊水”がイメージであり、よりオープンでエモーショナルな五感的発想へと移行し
始めている。現代の路上ではヘッドホンで自分たちの好きなファッションで、好きな音楽を聴く
ことそのものが”PROTECTION”行為である。

都市、東京と「距離の消滅の完了」;
 このようなハイ・テクノロジーを実生活に取り込んだニュー・メディア社会に於ける最近の
東京発のストリートウエアーはここ一年ほどで今までモード先進国だったロンドンや巴里を始め
とする路上のKIDSたちへ、”アニメと漫画”をも携えて現代の”新たなジャポニズム”として、
大きな影響を与え始めた。そして、この東京のストリートファッションが即ち、”スポーティ
カジュアルが今、面白い”とこの街を訪れる外国人デザイナーたちも多く増えた。
 それはこの東京が既に、「距離の消滅の完了」が成され、従来在った筈の他者との距離が、
在るようで、消えてしまったことからの”あらゆる不安”が彼らたちの日常着としてのスポティ‐
カジュアルウエアーにより多くの要素とそして、デイテールに”プロテクト”を必要とし始めた。
 彼らたちの遊び道具もウオークマン以後、ゲームボーイ、ポケットカメラ、スケートボード、
ローラーブレード、キックスケートそして、デジカメ、ケイタイなどの全てがパーソナル・ギア化
し、日常生活の中へ世界に先駆けて、サイバー・リアリティを新たな環境にしたことでも理解
出来る。従って、この東京の若者たちの多くは一足先に、20世紀状態から抜き出て”路上が
全て”と言う、嘗ての「ヤンキー」がマイルド化された。しかし、その根幹の多くが「ヤンキー
的」である事によっての”知性と豊かさ”のバランス観不在、多くは悪趣味に満たされた”何でも
あり状態”と言うリアリテイーそのものが東京を外国人を驚かす21世紀にしている。
 それは彼らたちにとっては、『全てが、狂宴/オージーの後』であるが為に、『距離の消滅の
完了』の兆しを実際に感じるが為に、一つの”未来観”をこの東京と言う都市環境から体感出来る
からであろう。

「差異という距離」はモード世界からなくなるのか?;
 現代ファッションの面白さとは、全てに”差異”を感じたときの興奮度であっただろう。
すなわち、「他人と違う」という感覚が生む”差異”であった。しかし、最近では、「他人と同じ
ようなモノ」、をチョイスすることが、”ファッション”的になってしまった。
 全ての”差異”によって、「近代」が生み出した資本主義経済が構築化されている筈だったのが
この最近の『距離の消滅の完了』の加速によって、あらゆる表層的な”差異”が消滅し始めたため
であろうか、今後は二つの大きな流れが生まれるだろう。
 一つは資本主義経済構造そのものの「パラドックス化」と、もう一つは、消費構造そのものが
今後、より差異化のベクトルを求め「階級消費社会構造化」が始まる。
 これが現在進行中のモードにおける『ラグジュアリィー・ビジネス』化の本意であろう。

 最後に、ファッションは約100年という時間を費やして『WRAPPINGからCOVERING
そして、PROTECTING』へと21世紀の実社会とパラレルに進化して行くのだろうか?

****
おわりに; 
 このアーカイブ原稿から、わずか20年足らずで、僕たちの実時間の流れが、「新型コロナ・
ウイルス」によって突然変異してしまった。
 結果、「距離の消滅の完了」が、再び、「在るべき、距離」を意識する実生活が始まった。
一方で、「新たな資本主義社会」構造を考えるべき事態と、その実生活においては、従来にも
なかった、「三密」と言うコンセプトによって、極めて、”保守的な”「距離」を要求し始めると
言う、この時代性とは??????
 大いに、新たな可能性が見え隠れする”New Normal”ですが、いかがでしょうか?
文責/平川武治:

投稿者 : take.Hirakawa | 2003年8月 7日 04:25

2002年10月28日

新版「The ARCHIVES Le Pli」/この”平川武治のノート-ブログ”に新たに、今までの掲載分から選択したアーカイブ集を始めました。「The ARCHIVES Le Pli」03 S/S パリ・コレ 平川版

 新版「The ARCHIVES Le Pli」/
この”平川武治のノート-ブログ”に新たに、今までの掲載分から選択したアーカイブ集です。 
 
 今回も、日記風に書く。
 新版「The ARCHIVES Le Pli」-02:
「03 S/S パリ・コレ ひらかわ版;」
 この”平川武治のノート-ブログ”に新たに、今までの掲載分から選択したアーカイブ集を
始めました。

初稿/2002-10-28

 21th.OCT.02/
  アントワープで「incubation gallery DISCIPLINE-JAP」をオープン;
 コレクションが始まる前の9月の半ば過ぎ、2週間ほどはアントワープ。
9月21日にこの街に新たに完成した「モード美術館」のオープニングに合わせて、
僕も「incubation gallery DISCIPLINE-JAP」をオープンさせ、レセプッションを開き多くの友人
たちが、巴里からのWWDのロバート夫妻、モード美術館の館長に就任したリンダ・ロッパと巴里
のI.F.M.のチーフファッション・ヂィレクターのフランシーヌ、マガジン・Cの編集長ゲルデイー
を始めアカデミーの先生や生徒たちとU.A.の栗野さんやバイヤーそれにウオルターたちも。
いっぱいの人たちが、集まってくださってオープニングが出来た。このギャラリーは名前の通り
ファッションを学んだ元学生たちが実社会へ出てゆくために役立てて欲しいと言う思いでの
スペース。展示会や展覧会それに彼らたちのプレゼンテーションに使ってくれればという発想の
ギャラリィ。今このコンセプト・ドシエを製作中。御楽しみに。

 JACOB S.社の100年展の企画。; 
 その後、チューリッヒへ行き10年来のこの街の友人たちと2004年にチューリッヒ
ナショナル美術館でオートクチュール素材の企画展を行うための打ち合わせ。
これは僕も大変に勉強になる仕事。
 チューリッヒの郊外約80K.の所にザンクト・ガレンと言う織物の町がある。
ここに古くから、100年を越えて受け継がれ、今も盛んに美しい、良い素材を作っている
クチュール素材専門の素材メーカー、JACOB S.社のための企画展。この”ザンクト・ガレン”は、
8世紀には既に、麻、亜麻織物産業が始まり、18世紀には綿工業が主流になり、19世紀からは
精緻な刺繍やレースの産地として広く知られる町。
 JACOB S.社はパリのクチュールメゾンの御用達素材メーカーで、最近では、スワロスキーの
クリスタルをシルク地に打ち込む技術開発によってより、需要が広がった。
ここのチーフディレクターマーティンが、ロンドンのセント・ マーティン校で教鞭をとっている
ことから、日本人のインターン生も嘗て、はいたと言うところ。
 そして、今回は組む人たちがみんなプロなので楽しみ。

 コレクションが始まる。;
 そして、アントワープ経由で再び、巴里。
僕が始めてこの街へコレクションを見るために来たのが‘85年。それ以来、一度も欠かさずに
コレクション詣での状況が続く。
 そんな僕が今、振り返って思うことは‘93年ぐらいまでは僕も好奇心旺盛に情熱を持って見て
いたが、それ以降は少しずつ惰性的になって来ていると感じる。
 「モードは退化し、服が進化し始めた。」と提言したのが丁度、この時期。
世界情勢が変わり、社会も変化し、生活の価値観が変貌し始め、女性たちの生き方も、身体つき
までもが進化したためであろうか、モードが新たなシーンを迎えたようだ。

 モードに再び、夢を求め始めた、今シーズンのパリコレ、#1;
 マルタン・マルジェラの一件でその前月迄を賑わしていたパリのジャーナリストたちもこの
時期が来るとモデムと会場にその神経が集中する。
 近年来、ここパリコレもトレンドだけを捜すためにであれば初日から2,3日で既に、読めて
しまう程の現状になってしまった。
 先ず、総括的な今シーズンのモードの状況とそこから生まれたトレンドを紹介しよう。
いつも良く聞かれる質問「トレンドは誰が作るのですか?」の答えは今シーズンを見ても解る。
それはデザイナーではなく勿論、素材メーカーである。素材メーカーが1年先のコレクションの
基礎となる”トレンド・フレーム”を発案し、プルミエール・ビジョン(パリで催される合同素材
展)でプレゼンテーションを行う。これが一年先のトレンドの”基礎フレーム”である。
そして、現在ではその殆ど、何らかの形でビジネスが継続しているプレタポルテ・デザイナーたち
はこのプルミエール・ビジョンへ出掛ける。
 悪く云ってしまえば、「ワラをもすがる」ために、いわば、第一のビジネスの安全パイを手に
入れるためにこの素材展”プルミエール・ビジョン”へ出掛ける。多分、最近の傾向を見ていると
この安全パイを先ず入手するデザイナーは以前より増えたことでコレクション初期に既に、
「トレンド」が読めるようになった原因であろう。若いデザイナーも、売る事を意識し始めたと
も読める。
 従って、大半のファッション・デザイナーは”トレンド”を文字通りデザインするだけだ。
この時に、「自分の世界観」で”トレンド”をどのように、”デザインするか”がそのデザイナーや
ブランドのアイデンティティとなる。素材メーカーが与えたトレンドフレームの中で彼らたちは
素材を選び、テーマ性を考え、インスピレーションを探し求め、自分たちの世界観をどのような
イメージでショーイングするかに掛ける。これが「コレクションを創る」と言うことである。
 最近の若手デザイナーたちのその多くが「ネタ」を過去のデザイナーの作品やモノからサンプ
リングしリメイクして”時代の気分”を自分の美意識の中で一つの世界観を創造する作業そのもの
が、『未来への閉塞感』、『未来への不安感』が時代観になってしまい、過去のノスタルジーへ
その拠りどころを求め出したのがここ数年来のモードの現実である。
 即ち「時間がスローになり」結果、「明日を想うために、昨日を探す。」ことがでザインする
手法になりつつある。

 そこで、今シーズンから僕は新たなデザイナーのカテゴリーを考えた。;
 従来は、【ファッション・クリエーター】【ファッション・デザイナー】だった世界に、
‘91年のトム・フォードの登場と共に、【ファッション・デイレクター】がこのモードの現実に
新たなデザイナー・カテゴリーとして登場し、この約10年間が賑わった。
 しかし、21世紀のファッションデザイナーのカテゴリーとして、僕は【ファッション・D.J.】
を加えたい。
 ここでこれらのファッション・カテゴリーを少し、説明しておこう。
 【ファッション・クリエーター】とは時代をクリエートする事とモードをクリエートする事が
自らのアイデンティティとコンセプトによって、同じクオリチィー・レベルと感覚と美意識で
時代と服をクリエーションして来たデザイナーたちだ。A.アライア、J.P.ゴルチェ、川久保玲、
M.マルジェラ、J.ワタナベ、H.チャラヤン、B.ウィリヘルム等がさし当たって思い出せる。
 【ファッション・デザイナー】これは先程にも書いた”トレンドをデザインするデザイナー”で
ある。プレタポルテの世界は大半がこれである。
 【ファッション・デレクター】とは”ファッション・ビジネスのMD”をイメージングするのが
上手く、巧みなデザイナー。勿論、彼らは服のデザインだけではなくもっと、トータルに、
ファッション・ビジネスそのものをイメージ・デレクション出来る新たな人種とでも言えるだろう。
 【ファッション・DJ】MTVジェネレーションたちのモードへの参加現象で誕生した。
これは今シーズンのアンダーカヴァーやラフ シモンズが代表であろう。そのネタは”ザッピング”
によって他のデザイナーのものから”サンプリング”してそれらを今の時代の気分にヴィジュアル
的に上手にまとめ上げる連中の事である。当然、彼らたちには”オリジナル”は必要なく
”オリジナル”に対する貞操観念は皆無である。自分たちが今の時代でカッコいいと思ったものを
サンプリング或は、パックっての”ヴィジュアルゴッコ”。これは彼ら、ファッション・フェロー
たち、ニューゼネレーションの新たなファッションデザインの領域でもあろう。彼らたちの
クリエイティブキーワードは≪ザッピング≫≪サンプリング≫≪ヴィジュアル≫≪カッコ良さ≫即ち、
ミュージュックD.J.のファッション版でしかない。「ストリート+ミュージック+ファッション」
がクールの根幹だと言う世代。
 これは現在の日本では他国よりも環境が発達している。その為に、このタイプのデザイナーが
殆んどが、日本の状況である。メヂィアがモノ情報のカタログ化状態であるため≪サンプリング≫
のネタが多いというだけである。そして、≪大きな物語よりも小さなデチィールのサンプリングに
よるヴィジュアル化≫現象、これは≪ポストモダン≫社会の超・消費化現象の一つでもあろう。

 新らたな見事なまでのモード・マジシャンが居なくなり始めた。;
 そして、これらのモードにおける構造変化の要因は90年代始まりの、「モードは退化し、服が
進化し始めた。」頃より、本質的なモード・クリエーションの領域が不明確になって来た事。
もう、殆んど、新たな見事なまでのモード・マジシャンが居なくなり始めた事と勿論、その結果
と影響によって、ファッション・デイレクター、トム君が登場し、ビジネスライクのデザイナー
・メゾンの多くがこぞって、このトラックに並び始め、参加した事。
 もう一つは、‘90年も半ば過ぎより安定してきたこれら、「ファッションのマック化」現象の
即ち、ファッション産業のグローバリゼーション化の結果とその反動としての【ファッション・
D.J.】の登場である。
 その為、現実のプレタポルテデザイナーの実状はこの二つの大きな「ファッション・ビック・
マック」に挟まれてしまった。一つはラグジュアリーのファッション・ビック・マックと
もう一つはSPA型のビック・マックに!
 この結果、従来までのインデペンデントなクリエイティビティー豊かなデザイナーたちが
生産面とビジネス面でメインストリームを独立独歩、歩むことが至難化した。
”マック”には「笑顔とスピードと安価」というサービスがある。しかし、そのテイストは割一
で、クオリチィーは???である。
 彼らたち、ラグジュアリィーブランドの笑顔とサービスは膨大な予算でメディアを操る
イメージ広告と店頭MD力である。彼らたちメゾンは、「裸の王様」よろしく、誰を味方に付け、
成金たちや大衆を先導させればよいかを、モードよりも立場やお金の好きなファッション・
ビクティム・ジャーナリストたちを煽っている。
 
 総括的、幾つかの”キーワード”と”トレンド”とは、;
 この様なモードのランドスケープをバックに今シーズンもやはり、トレンドは生地屋が発振し
デザイナーがそれを受けてトレンドをデザインしたコレクション・シーズン。
 先ず、クリエーションコンセプトは「分量/ボリュームのデザイン」である。
そこで、クリエーティブ・コンセプトは分量からの発想で、「サークル/円」そして、
「ジオメトリー」。素材メーカーは喜ぶ。しかし、このコンセプトも早いデザイナーからすれば
既に、5シーズン目に至っているので旬は越したと云える。よって、”テーマ性やイメージ
コンセプト”がもう一方の重要なコレクション軸となる。同じ素材も理屈を別の目線で作れば、
違って感じる、見える。と言う戦法である。
 
 昨年の11th.Sep.以降より、未来が見え難くなり、経済や社会の不安定さ、不確実さと
YSローランの引退後のモードは『モードとポエジー』という新たなポジティフなテーマ性も
考慮始める。
 これらのテーマは「太陽の新しい輝き、光」と「新しく、爽やかな風」そして、
「ファッションに夢、再び」をいくつかのトレンド・テーマの中で謳歌した。
これらの時代性、社会性をくみ取った幾つかのトレンドテーマの一つは『新・ロマンティズム』
素材は綿中心に、ジャージ、カットソー、麻、サテン、シャンブレー、そしてシフォン等など。
プリントは多くが「小花」プリントの謳歌。インテリアファブリックやウォール・ペーパーも
魅力。
 解り易く、ミラノでも主役を勤めたテーマが『セクシー』。
女性の身体つきのパーツをバランスよく、美しくセクシーに新鮮に見せる。着た女性が輝き、夢
再び!というコンセプト。
素材はレーヨン、トリコ、ジョーゼットなどと輝きのあるラメ、スパンコール、シルバーと
ゴールドもの。それに、下着素材が中心とデュポン社のストレッチ素材のダイクラも。
 実際には、このテーマによって、”ミニ・スカート”の再登場や次のコレクションへ影響を
与えるであろう『ソフト・ボンテージ』もちらりと登場。
 「ニュースがモード」のコンセプトは「北アフリカンテイストのエスニック」。
素材は綿、麻、洗いざらしと染め。そして、クラフトな温もり感がポイント。
ここでも花プリント。バックやベルト、アクセサリー類にこのテイストはビーズやスパンコールの
刺繍と共にプリミチィフな施しでより、人間味ある感覚として多く表れた。
 これらのトレンドテーマと「分量豊かなバランス化」というクリエーションコンセプトを
つなぐディテールとして「結ぶ」「しめる」「巻き付ける」「たぐしあげる」と言う機能が多く
登場。その為に「パンキッシュ」も一つの香辛料となった。
 そして、デイテール使いにラメやスパンコールの光り物と、風になびくひもやリボンが多く
表れたのも珍しくはなくなったが”新しい輝き”のためであろうか?

 「どんなデザイナーが良かったかと?」;
 シーズンが終わった今、フランス人ジャーナリストたちから、「どんなデザイナーが良かった
かと?」これも良く聞かれる質問であるが、
 今シーズンで、最もクリエイテイヴィテイあるエキサイテイングデザイナーはH.チャラヤン。
最も美しいショーを行ったのはJ.ワタナベ。最も良いコレクションを行った新人デザイナーは
H.アッカーマン。ワーストコレクションはジバンシー。
 今シーズンで格が下がったデザイナーはV.&ロルフ。若返りが成功したブランドはモンタナを
はじめたS.パルマンティエ。反対に、若返りに失敗したのがR.フェローのJ.P.ノット。
 来シーズンに影響を与えるであろうコレクションを発表したのがM.シットボン。
自らの”ルーツ帰り”でクリアーなコレクションを発表したのが僕の好きな、J.コロナ。
それに、ショーはしなかったがコレクションとしては充実し、彼の個性が溢れ出ていたのが
B.ウイリヘルム。彼のコレクションにはいつも、多くの次回のコレクションのアイヂィアが
溢れている。
 次回は個々のデザイナー・コレクションについて。
ありがとう。T**E.

投稿者 : take.Hirakawa | 2002年10月28日 09:11

2002年10月16日

始めのごあいさつ。

 はじめに、
 遅まきながら、”平川武治のノート・ブログ/The Le Pli”を
周りの友人たちのお陰で立ち上げました。今後、よろしく御付き合いください。

 永年、ファッションジャーナリストという立場をインデペンデントに活動して来ましたが、
やはり、我が国のジャーナリズムが気骨無き「御用ジャーナリズム」と化してしまっていること
に微力ではあるが抵抗したくこれを立ち上げました。
 ジャーナリズムが本来持ちえている「第4の権力」的立場の復活と、ジャーナリズムがある種
の「社会教育」を担っていると言う視点からこのホームページを始めます。
 そして、この”LE PLI”を媒体にして、多くの人たちと好きなモードの世界を中心に 
コミュニケーションが持てればうれしいです。

 この初回は日記風に、僕がパリを軸にしてどのような行動をしているかも交えて書き始めます。
 8月の終わりから東京を離れて先ずはこの街、巴里へ。
そして、アントワープ、巴里、アントワープ、チューリッヒ、アントワープそして、コレクション
のために再び巴里へ。これが今回の現在までの僕の行動。

 8月27日:成田発巴里へヴィエンナ経由で出発。
未だ、バカンスから戻っていない閑散とした巴里も一つの顔。8月も第4週の週末になると流石
この街のバカンス好きな巴里ッ子達もこの街へ戻って来始める。彼らたちを直接的に巴里へ呼び
戻すのがこの街に多くあるアートギャラリィーである。彼らたちが売り出したい作家たちの新作
展覧会のオープニングレセプションである。残念ながら、ファッションは2の次だ。
 今年からちょっと洒落た趣向を凝らしてのオープニングはアート好きな若者たちを喜ばせた。
多くのギャラリィーがあるマレ地区の一角で、ご近所のギャラリィーが共同でオールナイト・
オープニングレセプションを催したことだ。僕も30,31日の週末にはこの催しへ顔を出す。
中でも面白かったのは『BINGO』展。幾人かの若手アーチストたちのポップでガゼットな作品を
同じテーマで界隈のギャラリィー数軒が共同企画での展覧会。古くからの友人で、日本にも幾度
かコレクション写真を撮りに来た事があるフォトグラファー、クリストファー君が全く、新しい
作品で、アートの世界へ登場し、今回の新人展で見事にデビュー。写真とコンピューターを
使って微妙な皮膚感を人工的に合成した写真は医学写真の新しさの様で面白く興味を持った。
 この後、彼はヨーロッパ写真家美術館でアービング・ペンの新作展と共に、ニュー・ジェネレ
ーションの世界をここでも披露している。彼に話しを聞いてみると、彼の作品に興味を持った
この美術館が制作費用を持ってくれて今回の展覧会になったという。よいものを見る眼とその
よい作家を誕生させる公共の構造がこの街には確りと出来ていて、新人であろうが彼らたちの
眼に止れば今回のクリストファーのようにデビューが出来る仕組みが結局、この国の文化の新陳
代謝になっているのだろう。

 「マルタン・マルジェラ・ブランドがイタリーのヂィーゼルへ身売り。」
 コレクションを1ヶ月後ほどに控えた9月の始めにこの意外なニュースが、この街のファッシ
ョン雀たちの口角を賑わせた。今、モードの世界はクリエーションよりビジネスのほうが面白い
と言う典型なニュースである。
 今、我が国では海外デザイナーブランド物ではバッグのLVには及ばないが、服ではこの
『M.マルタン・マルジェラ』が一番良く売れている、人気度の高いブランドが身売りをした。
しかも、あの、イタリーのデニムメーカーの『ヂィーゼル』にである。発表されたのはこちらの
ファッションビジネス紙の『ジャーナルド・テキスタイル』紙。それをニュースソースとした
日本的なが報道が「センケン」紙と「WWDJapan」紙に発表された。当然だが、これらの記事は
余りにも表層しか書かれていない。勿論、当事者たちも余り多くを喋りたくない。しかし、
面白い事件である。結果、こうなってしまったかと言う感じが僕にはした。
 なぜかと言うと、ここ3シーズン来、彼のクリエーションは今、一つだった。
一時の覇気が無くなっていた。丁度、東京にやっとの事で世界での1番店の直営店がオープンし
た頃から、その感じが匂い始めた。そして、多くの彼とそのチームの友人たちにそれとなく話を
いろいろ聞き始めていた結果が、コレだったのかと。

 アントワープのロイヤルアカデミィーを卒業し、J.P.ゴルチェの元で3年半、働きその後、
独立したのがマルタン・マルジェらである。彼が未だ、ゴルチェの所にいた時には幾度か会って
いる。体格がよくいつもキャスケットを被っている物静かなで、ナイーフな青年だった事が印象
にあった。‘87年の3月コレクションを最後にゴルチェのアトリエを去り1年半の期間をその
準備期間として自らのブランド「M.マルタン・マルジェラ」を発表したのが’88年の10月の
コレクション。このコレクションはよく今でも憶えている。
 彼のデビュー・コレクションを見た事によって、僕はこの仕事をしていて良かった、幸せだと
感じたからだ。僕が、マガジンハウスの春原さんを誘って友人のフランス人ジャーナリストに
教えてもらって行ったその会場には日本人ジャーナリストはいなかった。ポンピドウーの裏に
今でもある小さなライブハウス的なところ、「ラ・ガラージュ」が彼の歴史的なデビューをする
場となった。屋外で既に、小1時間は待たされた事、その時あのJ.P.ゴルチェもみんなと同じよう
に待っていた姿が印象深く記憶にある。
 M.M.マルジェラはこのコレクションを機に、僅か5年間で高イメージを築き上げるまでの見事
なクリエーションとショーを僕たちに見せてくれた。デビューコレクションは当然、資金が無い
ため素材はコットンのみ。永く待たされた後に登場したのがトップレスのマヌカンたち。
胸を抑えて出て来た彼女たちが穿いているのがロングのタイトスカート。それから、次々に
上ものがコーディネートされ、スーツになってタイトでスリムな、健康な若い女性の肩がまるで
はじけ出るのではないかと思わせるようなタイトなコットン・スーツそして、僕たち日本人に
見覚えのある地下足袋を改造したシューズ。
 彼が近年に無いデザイナーだと知ったのは僅か5年間で彼自らのパーマネントコレクションを
古着を使ってクリエートしてしまった事だ。これは近年のデザイナーにはいなかったことだ。
そして、次の5年間で自らのクリエーションを定番化しコマーシャルラインの#6、#10など
を完成させた。このコマーシャルラインが売れた。イメージもどんどん昇華した。そして、
第3期の5年目で、エルメスのデザイナーと東京に直営店第1号を持ち、ブリュッセルと6月に
はこの街巴里にも直営店を出店した。この、僅か13年足らずで彼、マルタン・マルジェラは
巴里のプレタポルテ、クリエイチィブデザイナーの頂点に達した。多くのデザイナーや学生たちが
彼の影響を受けた。モードの流れを完全にストリートへ引き落としたのも彼だった。
 ショーイングのアイデイアや会場選択にも彼が新しい流れを創った。そして、14年目を迎え
ようとした時にこの事件(?)である。

 「ヂィーゼル社長がマルタン・マルジェラの株式の過半を取得。」
このタイトルはセンケン新聞のものであるが現実はこうである。
 話は約1年半前ぐらいから起きた。当時、マルタンの生産を請負っていた「スタッフ・インタ
ーナショナル社」が2年前に倒産し、その後デーゼル社が買収した。ここで先ず、マルタンと
ヂィーゼル社の関係が出来た。東京1号店の直営店が出来た頃からお互いのビジネス戦略上で話
し合いが持たれ始めた。店舗を拡張しビジネスを拡大してゆくには「資金」「生産背景」そして
「物流」の充実が必要になる。ここで、「生産背景」はヂィーゼル社の小会社が請負っているの
だから「資金」も「物流」もこのヂィーゼル社が望むのならこの組み合わせが一番明解な組み合
わせである。その結果がこうだとはちょっとおかしくないだろうか?
 「この"M.M.M."自身がブランド拡大を本心から希望したのだろうか?」という疑問から
僕はこれが『真意』ではないという発想から調べまくった。あんなにも確実に5年単位で自らの
クリエーションとイメージングを昇華しながら地に足を着けたビジネス戦略をキャフルに展開し
てきたこのメゾンの本当の問題は何なのだろうか?その結果がこのような状況を創るのが一番の
方法だったのか?誰が一番儲けたのか?エルメスはどのような態度をとったのか?

 確か、昨年の12月頃にかなり多くのスタッフ、7人ほどが辞めた。この中には事実上、
コレクションラインをデザインしていた女性もいた。彼女の場合も、円満退社ではなかった。
一方、マルタン自身は旅行に凝っていて、多くの時間を好きな旅行に費やしていると聞いた。
ここ3シーズンほど、コレクションラインがコマーシャル化し始めてきた。一方、相変わらず、
コマーシャルラインの#2、#6、#10等の売上は伸びていた。ショップが出来てからかなり
店頭MDが入たものが店頭にはまってきた。最初から大好きで見て来ている僕にとってはこの変化
を感じるのは易しい事だった。何か、このメゾンの内部でも”変化”が起こっていると思い始めた
のが7月だった。

 マルタンがJ.P.ゴルチェの元から独立してバッカーを捜して約1年半後に出会ったのがマダム 
ジェニィー・メイレン。それまでの彼女はブリュッセルでかなり大きな洋品店を2店舗を経営して
いた。ギャルソンも売っていたし、ヨウジも扱っていた。彼と出会った彼女は今までの成功して
いた洋品店を処分して彼、マルタンに掛けた。
 いつか,彼女はインタビューで、『彼が私の夢を持って来てくれたのです』と語っていた。
そして、‘88年10月のあの衝撃的なデビューコレクションとなる。以後、彼らたちは2人3脚
でがむしゃらに働いた。特に最初の5年間は20年分以上のエネルギーを使ってチームワーク良
くやって来たから現在があるのだろう。コマーシャルラインのレデイースを見るとその殆んどが
マダムジェニィーが似合う服ばかりである。だからこのブランドがその後、彼女のような多くの
キャリアウーマンに人気があったことが伺える根拠がここにあった。

 一番儲けたのはヂィーゼル社の社長、レンゾー・ロッソ氏である。
彼らたちの約70%の株を買い占めたからである。これからこのようなブランドを新たに造ると
したら、当然、造ろうとしても不可能ではあるが、これ以上の資金と才能とセンスが必要になる
からだ。マダム ジェニィーとマルタンはデザインコンサルタントとして年契約をした。
結果、いつでも辞めたい時に辞められると言う立場を、やっと得た。

 エルメスが買ったら良かったのにと言ったのは僕と元ジャルダンデモード誌のマダムアリス・
モーガンだけだったと後でエルメスのスタッフから聞いたが、何故そうならなかったのだろう?
この一件はここにも一つの鍵があったように思った。エルメスとの契約は後数年残っている。

 当然であろうが、物凄く時期、タイミングを計算した結果の出来事であった。
"M.マルタンマルジェラ・ジャパン"の「ここのえ」はマルタン側と三菱商事との合弁での会社で
あるが、これがこのように整理されるまでこのM&A契約は発表されなかった。
 当初の『ここのえ』はマルタンと三菱そしてオリゾンチィ社との3社間で始まった。その後、
直営店プロジェクトが始まるとこのオリゾンチィ社に力が無い事が解り、オリゾンチィ社を
外そうと持ち株の分担を減らした。が、そうこうしている間にやはり、このオリゾンチィ社が
倒産という行き着く結果を迎えた。その後、このオリゾンチィ社の親会社W系もこの放蕩会社を
手放した。その先が、ライセンスビジネスの伊藤忠。
 従って、三菱はこの数10%ほどの株を伊藤忠から 買い戻さなければならない羽目になった。
そして、それがちゃんと終わった段階でこの買収契約が発表されている。
それに、仙台の最初からの大口取引先である『レボリューション』がマルタンのオンリィー
ショップをオープニングした後での、事の次第でもある。
 全て、計算された結果の行動である。これは当然であるがこれ程迄に計算された結果の本意
には裏が、何かがあるはずだ?

 3ヶ月前には既に、それなりの社員たちには話があったという。
では、M.M.M.ジャパンの『ここのえ』には同じように話があったのだろうか?

 このブランドも然りである、多くの巴里発の海外ブランドの企業成長に我々日本人は
どの国よりも貢献し、愛し、尽くしてきた。
 彼ら、M.M.M.の14年間のサクセス・ストーリィーも同様である、日本は最大の理解者で
あった筈なのに。本当に今後の企業発展のための結果でこうなったのなら、何故、日本企業にも
アテンドが無かったのだろうか?また、エルメスと組まなかったのか?
 その最大の原因は? 

 しかし、彼らたち、M.マルジェラとマダム ジェニーをリーダーとした、彼らチームの見事な
”仕事”である。やはり、彼らたちはプロ中のプロであった。
 スマートでクレバーなファッションピープルたちが駆け抜けた14年間だった。
当然である、マダム ジェニィーとマルタン マルジェラは膨大なお金を手に入れた。
 「輝きそうな石。きっと、輝くと思って一生懸命磨き上げれば、
それはダイヤモンドになった」というアントワープらしいお話。
 彼らたちは、「M M.マルジェラ」と言う”ファッション・キブツ”を構築し、そこから無限の
可能性を育て上げた。
 その後、この”ファッション・キブツ”で働いていたと言う連中の多くが、他のブランドへ
侵食して行った事だろうか?
 
 「あんなにも彼らたちの売上に貢献した日本人たちは、マルタン自身が誰であるかも
知らないままだ。ーFashion is always in fake.」
文責/平川武治:
投稿日/2002-10-16 :

投稿者 : take.Hirakawa | 2002年10月16日 07:59